2010年5月2日日曜日

結局は同じなこと

 3年前にバヌアツに行く前に思っていた

 「うちの親父はラッキーだな、日本に生まれたから癌になっても手術できる、

 痛み止めもあるし至れり尽くせりだ、

 バヌアツで癌になったらどうなるのだろうな?」

  

  そしてバヌアツに言ってジョセフという伯父さんの家に遊びに言った時に

 「ウラ、食事をする前に挨拶してほしい人がいる」

 って言われて連れて行かれた部屋には


 おじさんやおばさんが狭い部屋に6,7人いて、そこの横のベッドにお爺さんが横に

 なっていました。

  「たぶん肝臓が悪いみたいなんだ、背中が痛いみたいだ」

 ということでした、病院にいってどこが悪いかを診察してもらっても、特に

 治療とかはないので、交替でみんなでゆっくりとウチワで煽いであげていました。

 お爺さんはウチワの優しい風を受けながら、うっすらと目を空けて

 満足そうな顔をしていました。

 

 
  食事の時間だったので、平らなお皿に入ったミルクとお芋が運ばれてきました。

 最初に病人のお爺さんがふた口ほど口をつけましたが、それ以上は飲むのが

 
 苦しいみたいで、それを見ていた近くに居たおじさんがそれを受け取りました。

 
 それを回りのみんなで食事をしながら飲んでいました。

  「お芋は食べる?」

 って聞いても軽く手を振るだけでした。

 ジョセフも

 
 「もう長くはないからみんな一緒に居てあげているんだよ、さあ僕たちは隣の

 部屋で食事を取ろう、俺はお前の日本の話が聞きたいんだ!」

  
 って特に悲しそうでもなく、当たり前のようでした。

  だれもお爺さんに同情しているような雰囲気はなく、ただ別れの時を待っている

 感じでした。

 
 バヌアツと日本の一つの違いは医療以上に点滴があることだと思います。

 おそらくあのおじいさんは口から食事がとれなくなったら二週間ほどで無くなるのだと
 
 思います。
 
 気持ちのなかで

 「自分にもその時来たのだな」

 と悟れば、病気の進行は関係なく自然に食欲が無くなり、そのままなくなっていく

のだと思います。

 日本だと点滴があるから食事がとれなくなっても

 病気が進行するまでは命は続くと思います。


 このお爺さんとウチの親父とどっちが幸せなのかな? 
 
 とその時考えましたが、その時に少し思ったのは

 うちの親父には点滴を受けるか受けないからのチョイスがある、
 
 でもジョセフのお爺さんにはそのチョイスすら無い。だからウチの親父のほうが

 選択肢があるだけ良いのかな?
 
 でも逆に選択肢があるということは病気で弱っている病人がさらに迷わなくては

 いけないし、家族は少しでも生きていて欲しいと思うから、病人も頑張って

医療を受けるだろうし、もしバヌアツみたいにその選択肢が最初から無ければ自然に

 みんなが納得する形で人生をおわれるのかな?
 
  という気持ちでいました。




  5月から始まる僕のプログラムに昨日にポルトガルから

  40歳くらいの夫婦がやってきました

 
 旦那さんはルイーズ、奥さんはソフィア

  とても上品で最初に会話も面白く、英語もきれいです

 最初にあったときにルイーズに僕が

 「ここに来る前は何をしていたんですか?」

 ってきいたときに

 「ウーン色々としてきたからなー、
             何がメインだったのかな、何からはなそうかなー」

 って言った時の笑顔というか満足した顔がいかにも

 この人は色々な人生を歩んできて、とても満足しているし、

 沢山の成功体験をもっているのだろうなって感じました。

 今日の朝もたまたま同じテーブルで食事をしていたのですが、

 二人はオージリアというカメルーンの女の人と話していました。

 
 少し聞き耳を立てていると、

「昨年はソフィアは髪の毛が無かったんだよ」

 という話をしていました

 オージリアが上手く聞き取れなかったのか、理解できかなったのか

 「どういうこと?」

 って感度かききかえしていたので、僕も気がつきました


 「ソフィアは昨年に乳がんになって、その治療で髪の毛が一時的に無かったんだよ」

 って言う話をしていました。

 「彼女はラッキーだった、ポルトガルにある癌専門の病院に入院できたし、

 発見がはやかったからすぐに治せたんだよ」
 
 と言う話でした、僕も話に参加しようかな? って思ったけど、

 もし親父の癌の話になって

 「それでお父さんは今はどうしてるの?」

 って聞かれたらまさか昨年に癌の治療をしたばっかりの二人に

 「親父は亡くなりました」

 とも言いにくいから、取り合えず黙っていました。

 
 でも幸せそうに見える、ポルトガルからきたこの夫婦の人生にも色々なことが起こって

 それで人生を考え直すというかおそらく

 二人の時間を大切にしたくてここにきたのだろうなと感じました。

 
 
 そこで結局僕が思ったことは


 医学があるか無いかなんてそんなに関係の無いことなんだろうな、自分が信じて生きて

 きた環境で、好きな人と一緒に人生を過ごすことができれば、それが一番幸せなことで

あって、どっちが良いとか悪いとかは無いと思いました。

 もし進んだ医学をもっていて、

 「あなたが私の国に産まれていれば・・・」

 
なんて言う人がいたらその人が間違っているということだと思います。

 そんな同情は必要ないよね。


 
 最後に我が愛犬だったスパイダーの話をしたいと思います。
 
 詳しくは「追悼スパイダー」 と言うブログに乗っています。

  スパイダーはおそらく事故にあったか犬を食べる習慣のあるバヌアツ人につかまって

 死んだのだと思います。

  そして彼自身は自分が犬として野生の掟の中で生きていることを十分に理解していた

 と思うし、最後に愛する人とか僕とかに挨拶もできずに旅立って行ったけど、

 彼自身には何の後悔も無かったと思います。

 動物として弱肉強食の中で生きていて、その途中で亡くなったのだと思います。 

それもまた誇り高き旅立ち方だったと思います。
 
 だから誰にもみとられずに孤独に死んだとしても、それはそれで良いのだと思います。


 結局は医学があるとか無いとかの問題よりも、納得して亡くなるのなら

 同じことなのだと感じました。