2014年12月29日月曜日

最低で最高だった高校時代

ミノウ学園、大阪の私立の普通科で最も偏差値の低いといわれている高校。 

僕はそこに滑り込みで入学しました。

同じ中学から5人が受験、ミノウ学園からは2人は合格させます。と伝えられていたそうです。

そして担任の先生はワッキーとフルチンという僕と同じクラスの2人にはそのことを伝え、僕には、

「この受験を失敗したら公立で受け入れてくれるところはない、専門学校を視野にいれながらの高校受験です」

というアドバイスでした。

でもフタを開けたらワッキー、フルチン、僕の三人が受かっていて、僕もなんとか高校生になれました。 結構奇跡だね・・・・

ミノウ学園はミノウにたくさん猿がいたことからモンキー学園とか、あまりにも頭が悪いのでムノウ学園、ミノウ専門学校とも言われていたけど、それは専門学校に失礼だよね。

俺たちはなんの専門技能も学ばないものね・・・・


三年間の目標はとてもシンプルで「卒業する」でした、

46人で始まった我が1年8組は1年間で7名が中退、8名が落第でした・・・・

2年生からは進学コースと就職コースにわかれるのだけど、僕は迷わず就職コースを選びました。

そんなミノウ学園で僕はなぜかアメリカンフットボール部に入り、それから32歳まで16年間、飛んだり跳ねたりぶつかったりしていたわけです。

ちなみにチームは大阪府で最弱でした。そもそも人数が少なすぎました・・・

「危険な奴ら」 という名前で デンジャーズという名前が付いていましたが、その危険さは恐ろしい意味での危険ではなくて、

「危ない人達」という意味合いが強く、その危なさはフットボールでの危なさではなく、僕たちの私生活や人間性もしくはクラブの存続の危なさも含まれたものであったと思います。

もう一つの意味は、人数が足りなくて毎年公式戦を棄権するので 

「試合を棄権する奴ら=デンジャーズ」

という意味にもとられていました。

部室でたばこを吸ったり、麻雀をして怒られたりしていましたが、根はいい人達なので、ワキアイアイと高校時代を過ごしていました。


キャプテン ウッキー  

副キャプテン ワッキー 

コーターバック エゴ 

レシーバー リンダ

ランニングバック ジョージ

パンターその他のポジション 俺(ウラ)

という感じでした。

 

練習は意味もな厳しく、辛すぎて僕は高校2年生で176センチくらい身長があったのに体重が53キロとガリガリでした。

フットボール選手としてはこれもまたスーパー三流でした。


あれから20年以上。

卒業したのが18歳だからそれよりも長い時間が過ぎました。

僕らに麻雀を教えていたうちの親父も亡くなり、その他のメンバーの両親もそれなりに年をとっていく中で、俺たち自身もすでに立派なおっさん。

腹、白髪、加齢臭は増大し、髪の毛と年収は減少傾向

誰かがこの世から居なくなる前に一度みんなであって人生の反省会をしようということになり、みんなで大阪の温泉に行きました。


仕事が終わってからだから集合したのは8時、すでに旅館の晩御飯は終わっているので
スーパーで買い出しをして部屋飲みです。

ダイエーみたいなスーパーに行って、みんなでお買い物。

40前のおっさんが5人でカートを引きながら発泡酒をあさる姿はブログに書いている以上にミジメなのかもしれませんが、俺たちはそんなことはお構いなし!

みんなであの時のように集まることが楽しいのです。

人間関係の序列は高校の時のままなのが面白いです。

半額になったコロッケを見つけて喜んだり、うまい棒を大人買いできるようになったと感動している俺たち、刺身も半額、白米も半額、あげた魚のあんかけも半額、焼き鳥盛り合わせは30%だけどまあ買ってしまおう! 

餃子とたこ焼きは暖かい物が良いので駅前で売っていた作りたてを買おう。
などとみんなで楽しくお買い物。


「高校時代は人生最大の汚点」

と言った僕にすかさずキャプテン・ウッキーは

「イヤイヤ、人生で最も輝いていた時代だ!」

 と反撃そういえばそうだったな、あれほど居心地の良い場所は人生で始めてだったのかもしれません。自分の居場所と仲間が出来た時代でした。

人生で初めて自分がやりたいことと、安心していられる仲間ができた3年間でした。

やはり「石の上にも3年」でした、「自分探し」とか言ってすぐに部活を辞めなかったのは、勉強はできないからせめて部活は続けないと生きている意味が無い。

という劣等感があったことと、同じように頑張っている仲間が居たからだと思います。

本当に良い時代でした。みんなにはとても感謝しています。





美しくて幸せな人

TEDのプレゼンテーションで

白人のモデルのキャメロン・ラッセルさんが言っていた

 


 「モデルはコンプレックスの塊、私達は何の努力もしないで ただ単に、白人で金髪で細くてシンメトリー(左右対称)が美しいと いう最近の価値観に乗っかっているだけ、10年間モデルをしても何の技術も身につかない、単に友達に向かって笑顔で手を振るような ポーズを1日に200回も300回も行うだけ。才能のある人たちと働いても自分自身には何の成長も無い」

「いわば宝くじに当たっただけの人間」
と言って今いました。
  
そういえば宝くじに当たって逆に不幸になった人ってたくさんいると思います。

その理由は自分が努力しないで得た「物」対して自分に自信が持てないこと
もう一つは、周りがその人の「心」にではなく「お金」に集まるからです。

「僕宝くじに当たりました!」

と言っている人と食事に行って、割り勘になることは無いと思うのだよね。多くの人がその人に期待しているのはその人ではなく、お金なんだと思います。

食事の最後に「では割り勘で」にはできないよね
「宝くじ当たったというから、一緒に食事したのに、なぜ割り勘なの?」
ということになります。

綺麗なモデルやセクシーな女性も同じだと思います。

相手が求めているのはその人の美しさや色気であってその人の「心」ではないからね。
極端なことを言えば、巨乳をアピールしている女性に男性が食事をおごってその後にホテルに誘った時に女性が

「私はそういうつもりではありません」
と言ったらそこに少し矛盾がうまれてきます。
  
宝くじと同じ原理が働いて
「色気でアピールしてきたから食事おごったのに」
となるかも。
「お金があるっていうから食事に付き合ったのに割り勘なの?」
と同じ原理です。

そこで初めて相手が自分自身の魅力ではなくそれ以外のことで一緒に居てくれたことに気が付くと思います。

それに気が付けずに、いつまでも同じ間違いを繰り返している女性も多くて、
「私は魅力的なのにどうして幸せになれないの?」
となります。幸せになる方法をしらないよね。   

そのTVの中ではスケートの安藤美姫さんと、女優の吹石一恵さんがゲストで出ていたのだけど、安藤美姫さんが
「私も容姿だけに注目されて辛い思いをしたことがある」
とのコメントに対する吹石さんの回答は

「女優は綺麗なことだけが認められる理由ではなく、綺麗でない女性を演じることもあり、演じるということにおいて自分を磨けば成長がある」

ということでした。

それでいうと安藤さんのスケート選手としてのキャリアも決して宝くじ的な要素だけではなく、本人の努力があって成功しているのだから、自信を持ってよいのだと思います。
   
また同じように人に食事をおごるのでも、宝くじが当たって食事をおごる人には魅力を感じないけど、努力して一生懸命働いて成功した人がおごる食事にはきちんとした価値があると思うし、そういう人にはお金が無くても人が集まる器が備わっていると思います。
   
美人や巨乳や宝くじが当たった人がその「チャンス」をきちんと次のステップに繋げることができれば、それは幸せなことかもしれないし、単に自分が宝くじに当たっただけなのに、自分が特別な存在だと勘違いしてしまえばお金が無くなったり、美しさが衰え、自分より若い女性や、スタイルの良い女性が現れたら、自分は取り換えられてしまうことに気が付くことが大切です。

 

 

  

  

 


  



いつもここから




【写真は荒川の中学校でのキャリア教育のお手伝い中です】

大した選手でもなかったのに、大学を卒業後社会人でアメフトを続けようと思った時

32歳で引退して海外にボランティアに行った時その後に仕事を探していた時人生の岐路に立った時、追い詰められた時にいつも自分をワクワクさせてくれる原点がこの成績表です。

大阪の吹田市での中学校3年生の僕の成績表です。

写真では三学期の理科のテスト結果が24点を指しています。

ちなみに

国語 10点

社会 23点

数学 25点

理科 24点

英語 15点

5教科の合計点が97点です。

1教科で100点採る人も居るのにね。


これが中学校3年生の高校受験の時に僕の成績です。

見せるといつも

「大阪ではテストは30点満点なのですか?」

と言われます。

中学3年の担任の先生には、

「ウラ君の成績は同級生320人の中で300番目です、

だから私立の専願がダメなら学区外の定時制に行くか、

専門学校を視野に入れながらの高校受験になります」

と言われました。

母親に、将来僕に何になって欲しい?と質問したら

「何にならなくても良い、誰にも迷惑をかけない、普通の人間になってくれたらそれでよい。 」

と言われ、母親にとっては今の自分は普通の人間では無いのだな・・・・と感じたことを覚えています。

親にいくら反抗しても、自分一人で生きていけるわけもなく、

だからと言って頑張って机に向かって勉強しようと思っても教科書に何が書いてあるのかわからないし、質問の意味がなになのかもわからない。

普通のことが普通にできない自分自身を責める日と勉強ができない人間の居場所が無い日本の社会を責める日のウツと反抗の繰り返しでした。

だから人生に追い詰められて、岐路に立った時いつもこの成績を思い出します。

中学校3年生の時にはこの成績表は何の役にも立たないと思っていたけど、今の自分の出発点です。