2012年4月30日月曜日

高校生に伝える「夢と現実」とは?



  近いうちにスポーツで有名な高校で協力隊の経験を話させてもらうのだけど

 僕が選ばれた理由は実業団での選手経験があったからみたいです。

 16歳でそろそろ将来のことを考える生徒たちの中には

Jリーグのジュニアチームみたいなのに入ろうと思っている生徒も

いると思うし、不景気のこの時代に夢を追っても仕方ないから

進学して会社員を目指す生徒もいるだろうし、

親の影響とか経済的理由とか現実的な問題がたくさんあると思うんだよね。
 
僕だって長くアメフトやれたし、とても恵まれた環境でプレーできたけど、

だからと言ってそれだけで一生食べていけないのも現実。

 でもそこで、

「日本ではスポーツで飯を食っていけるのはプロ野球選手と

一部のJリーグの選手と相撲取り。

テニスとゴルフに関してはある程度のレベルに行くのには相当な

お金がかかるので貧乏では無理、お金があるならどうぞ!」

 っていう必要ってあるのかな? どうなのかな?

 

 僕も高校生くらいのときに将来は海外でボランティアしたいって話したら

 親から

「あんたみたいないい加減な人間には絶対に無理!」

 と何げなく言った一言に対して10倍くらいに否定されて、

二度と言わないと思ったことがあります。


 でも今はもう海外ボランティアに行ってきたら

 いつか母ちゃんにはいつか誤ってもらいたいね、

 (器小さいね・・・ボランティア行かせてもらったも、しょせんこんな器なのか?

  と言われそうです)

 大学に行きたいって言った時も

「絶対に無理!」って高校の先生に言われたし。
 
 アメリカのプロリーグに行きたいって言った時も

「考え方が甘い」
 
 ってエージェントに言われたし。

 親戚にも上司にも

 「ウラが考えてるみたいに世の中は甘いものではないよ」

 って言われてきたし、自分でもそう思ってはいるんだけど

 でも挑戦しないであきらめることが出来なくって

 とりあえず飛び込んで行ったら何とかなったんだよね。

  実際に飛び込んですぐは大変だったけど、人間の能力とか適応力は

 自分がおもってるよりも意外と高くて、今まで何とかなりました。


 「良い人との出会い、助けてくれる人がたくさんいたことも確かです」

 この言葉はあまり好きではないし、みんなよく使うからありきたりで

 嫌いなんだけど、確かにこれは本当。

 
  でも今の僕が16歳のころの僕

 「偏差値が大阪で最低レベルの普通科高校、アメフト部も大阪最弱

 漢字は書けなく、勉強はできなくて、実力も自信もないのにその裏返しで言う

ことだけは一人前、体力もなくて体は細くて、それでいて大人の言うことは聞かない」

 
 にアドバイスするとしたらなんて言うかな?

 「海外にボランティアに行けると思うよ、大学でアメフトもできるだろうし

 実業団でもできると思うよ」

 って言えるかなー? でも言わないといけないのかなー?
 

 それを言ったら無責任なのかなー?

 「しょせん他人の子供だから無責任なことを言って!」
  
 って父兄に怒られるかな?


 でも逆に有名な、ミュージシャンやお笑い芸人は周りにどれだけ否定されても

 迷いながらも自分を信じてやってきて成功してるんだろうしな・・・

 たとえ夢がかなわなかったとしても何かに一生懸命に打ち込んだ経験は人を成長させるし

、成功できなかったらそれはまたそれで、

頑張っている人の気持ちがよくわかる人間になれるしね。(そういう人は教員に向いていたり

 するとおもいます。)

 でもその場合は年齢を決めて

 25歳まで、とか30歳までというのを設定しておかないと駄目だろうね。

 

  いまどきの言葉で言うと「リアル」 ってことですね。

 あとは彼らが考える事だろうね。

 こちらは応援するしかできないよね。

 10年前の自分だったら(28歳ね)

 「絶対に夢は叶う、自分を信じて頑張ってみろ!」

 
 って言ってたんだけど、なんで年取るといえなくなるのかな?

  ひとつ今思っていることは、もしかしたら僕は自分の夢が結構

 叶ってしまって、でも叶ったらその夢は自分にとってはすでに過去に

 なってしまっていて、大したことではなくなっているというのがあるの
 
 かもしれません。だから夢をかなえたってしょせん人間は叶えた夢だけで

 一生食べていけるわけではなくって、次にまた生活のためなのか夢のため

 なのか現実(まさに「リアル」)が待っていて、過去に叶えた夢よりも

 今、現在の毎日の生活が結局は大切だと言うことが身にしみて分かっているか

らなのかもしれません。

 でもちょっと待てよ?
 
 そうなると自分の夢が貧乏フットボール選手や海外ボランティアではなくって、

 ビルゲイツだったら話は変わってくるな。

 だって叶えた夢と一緒に現金が残るからね。 

 資本主義社会では現金は夢よりも大きなものだよね!?

 自分の子供にプロゴルファーとかプロテニス選手になってもらえるかも

 しれないよね。

 やばい、結局は夢ではなく金なのか?

 いろんな矛盾が頭に浮かんできて、

 高校生に何を話したらよいのかわからなくなってきた・・・

  でも今回の高校はスポーツのことだけがテーマでよいんだったっけ?

 もう少し考えてみます・・・・

2012年4月25日水曜日

個人と組織のジレンマ

「人事のミスは組織の最大の罪である」

親父が昔教えてくれた言葉です。 

名誉欲ばっかり強くって実力が無く、

自分に自信がないから嫉妬深くて計算高い

 それを自分でわかってるから余計に自信がなくなるのだけど、

自分を上手くごまかしてもしょせん人間は自分自身はだませないから

ますます自分に自信がなくなるんだよね。 悪循環

 こういう上司が上に立つと「シラケル」よね、

 ここで自分が頑張って結果を出すことが何の意味があるのか? 

あの馬鹿上司の手柄になるだけではないか? 
 
そう言った不満を持ちながら献身的に働けるか?と考えたら難しいよね。

 逆に上司が無心で頑張っていて、常に自分を信頼してくれていると思うとこっちも疲れもわすれて

 無心で頑張ってしまうと思います。 上司が世のため人のために使命感を持って働いているなら

 自分も無心で働けます。 そういう時は疲れ知らずだよね、必死だものね。

 ああいう時に感じる充実感とその後に来る達成感はお金には代えがたいよね。

  仕事に感情を入れてはいけないと言うけど、人生たかが70年だと思えば

  今を生きなくて何時を生きるのか?今を生きていない人間に

 未来に輝く機会はあるのか? 今が輝いていない人は未来も輝かないとおもいます。

 輝きグセをつけてないと、一度妥協すると妥協グセがつくからね。

  日本社会では「出る杭は打たれる}けど、世界では「出ない杭は腐って忘れられる」

 からね。

 個人と組織というのは永遠のテーマだと言われるけど、常に限界を求める気持ちは忘れたく
 
 ないよね。

 西洋の個人主義が好きなわけでもないけど、日本の組織優先型だとどうしても

 実力の無い人が上に立つことがあるんだよね。

最大3年は我慢できるけど、5年は無理だな・・・ 上司にもよるけどね・・・

2012年4月11日水曜日

サウナ大学

先月に協力隊の後輩が無事に結婚、茨城県の筑波で挙式、

 無事に二次会まで終わって、久しぶりの仲間、大ちゃん、けんちゃん

 ヒロと俺で3次回までご機嫌よく行ったんだけど、

 時間はそろそろ11時半、都内だったらもう一軒だけど、

 ここは茨城県のつくば市という少しアウェーな土地、油断は禁物、新宿までは

 戻りたい!とおもってヒロと二人でつくばエキスプレスまで戻りました。

 

  つくば駅には11時40分に到着、でも駅員さんに

 「すいません東京方面は11時15分でおしまいです・・・」

 ってとても丁寧だけど若干なれた口調で断られてしまいました。

 
  結構いるんだね、俺達みたいな人達が・・・・

 と納得しながらも俺とヒロはいままで数回終電のがしてるから

 別にどこでも寝れるから良いか! っておもってまたみんなに合流。

 とりあえず大ちゃん、けんちゃんの泊まる予定のホテルに電話してみました。

  でもあっさり断られてしまって。

 どこでも寝れるとは言っても結婚式用のスーツで3月のツクバ、

 午前中にはみぞれもまってたので屋根と毛布は必要

 ってことで閉店準備の居酒屋店員さんに聞きました。

 「この先に真っ直ぐ行くとサウナがあって泊まれますよ」

 と意外と前向きな答えが。

 さっそく電話して泊まれるか尋ねると

 「お待ちしてます」

 との返事が、やった! 大ちゃん、けんちゃんのところが断られても

 俺達にはサウナがある。とりあえず行って荷物を預けて寝場所さえ確保すれば

 何の迷いもなく4軒目に突入できる!

 よろこんでサウナに向かいました。

 そこの名前は 「サウナ大学」

 しかも建物の屋上にある看板はすでに消されていて、本当に入学できるのか?

 ここもまた断られるのでは? 偏差値いくらかな?

  やっぱり大学だから入学試験があるのかな?

 面接だけかな? というふざけた不安を感じました。

今思えば俺達はそうとう酔ってたんだな

 「とりあえず荷物が置けて温かければ今日のところはなんでも良いので
  いざとなったらお金を積んで裏口入学でもなんでも良いです・・・」

 「でもいったん入学したら最終学歴はサウナ大学だぞ、今後の転職に

  なにか影響が・・・}

 「ウラさん、まだ入学できるかどうかもわからないのに、卒業後の事は
  後で考えましょう、とりあえず寒いです」

  ということになり、とりあえず開けた扉は薄暗く、しかもいきなり急こうばいで

  2回に続く階段が・・・  

 「なんでいきなり階段なんだ?」 

 「きっと入学試験に体力テストも含まれているのでしょう」

  と千鳥足で階段を上りました。

 「火曜、金曜は男性デーってなってますけど、もともと共学ではないですよね・・・」

  「絶対に女性は入学してこないだろう」

  2階に上がって恐る恐るフロントで入学について相談すると、深夜にしてはとても

   親切そうな受付の方が
 
 「もしのまだ飲まれるようでしたら、深夜1時以降にいていただくと、入場料の1300円

 だけで済みますよ、でも今からだと(12時過ぎくらい)

入浴料800円もかかりますので少しお金がかさみます、どうされますか?

  という親切な入学案内に僕とヒロは感動、

 「1時に戻ってきたら定員いっぱいで不合格にはならないですか?」

 ときくと
 
 「最近は不景気で受験者が少なくて週末でも定員割れしてますから大丈夫です」

 とは言わなかったけど、とりあえずうちの学校で学ぶ気持ちのある方には

 門はいつでも開けております。という感じの姿勢だったので
 
  そのまま俺達は入学せずに結婚式の引き出物
 
 その他もろもろの手荷物をもって4件目に突入!

 そこでのトークはもっぱら俺達の志望校のサウナ大学について

 「そう言えばラーメン大学というのもあったな!もしかするとつくば市には

 大学という名前を付けると非営利団体とか特殊法人に認定されて
 
 税金が優遇されるシステムがあるのではないか?」
 
 
 「でもなぜサウナ大学なんだろう? サウナ高校、サウナ中学ではだめだったのか?

  最近はグローバル化が進んでるからサウナ留学でもいけるな

 しかしもしあれがもしサウナ幼稚園やサウナ保育園ということになると

  少しだけ店の趣旨が違ってきて100%男性専用になって

 看板などもピンクなどになったりしてお兄さん、軽く寄って行きませんか?

  みたいな呼び込みも必要で、金額設定も10倍にはなるのだろうな・・・・

 
  という話題になり、
 
  「入学すると何が学べるのだろう?やはりサウナ学部のスチームサウナ学科
  
  マッサージ学部のアカスリ学科、

  理系だと入浴学部は水質管理学科など色々とあるのかな?」

  と勝手に盛り上がっていました。

 2時には無事に4件目も終了! みんなで歩いて大学に向かいました。

  入り口でお兄さんに、お風呂に水の出が悪いですけど我慢してくださいね。
  
   
  といわれたけど、もともと入浴料は払ってないし、そんなこと気にしませんよ。

 っていいながら薄暗い共有の仮眠スペースみたいなところに行きました。

  でっかいリクライニングシートみたいなのが50席くらいあって、

 そこに芋虫のようにタオルケットにくるまった人達が20名くらい寝ていました。
 
 「意外と空いてるな」

 「とりあえず寒いし頭洗いたいからお風呂に入る」

 と言ってお風呂に向かいました。

 入ると浴槽に3人くらい、洗い場にも3人くらいいたんだけど、

 みんながいっせいに僕をみました。

 「何この雰囲気?」

 って思ったけど、すぐにわかりました。

  洗い場の蛇口の水がほとんどと言って出ないのです。

  洗面器に一杯ためるのに、一分くらいかかります。

  おまけにシャワーとなると、シャワーのホースを登るほどの水圧が

  無いようで、シャワーの口から水がホースにチョロチョロつたるだけ

  でした、

 「みんなこの状態をしているから酔っぱらっている俺が入ってきたので

  こいも寒い中気の毒だな、って思って見てたんだ」


  でも浴槽には温かいお湯がタップリだったので、すかさず洗面器を手にとって

  ざぶざぶお湯をかぶって浴槽に入りました。さすがに浴槽の水はそれほど

  きれいでは無かったので頭からはかぶれなかったけどね。
 
  ふと隣のおじさんの方をみると、こういうサウナには入場制限がある

  怖い模様が小さくだけど肩に入ってました。

  「サウナ大学ともなるとこれも良いのかな?」

 などと思いながら、黙ってはいってました。

  体も温まったし、俺も芋虫のように寝よう。

 って思ってそこから熟睡。 夜中に寒さと喉がカラカラなのに気がついて

 タオルケットを取ってきてかぶりました。

  次の日は朝から研修があったので、6時に起きてもう一度浴槽へ。
  
 朝になっても水の勢いは一向に変わらず寂しかったけど、洗面器に水をためて

 なんとか顔だけはきれいな水で洗いました。

  ヒロに

 「一緒に帰るか?」

  と聞いたら

 「もう少し寝ていきます、風呂も入ってないし」

 ってことだったので荷物をまとめて一人で入り口に、
 
  そこですれ違ったおじさんの肩から腕にかけて昨日のよりもさらに本格的

  でまさにその筋の方だとわかる立派な模様がありました。

 「ここはそういうの気にしないのかな?」

  って思って、帰りにフロントでそういうお断り書きみたいな看板は無いのかな?

  って思って探したら

 「当サウナでは

   ・刺青の方
   
   ・タツゥーの方

   ・泥酔いの方の入館をお断りします。」

  って書いてありました。

   ということはもし受付の人がこの断り書きを守っていたら

   昨晩の俺達は泥酔いだったから確実に入館拒否で

 この寒さのなか外で凍えて寝なければならなかったのだな、

 刺青やタツゥーの人だって外で寝るのは寒いはずだ、

  やっぱりみんなきちんと入学できてこそ、世の中の平和は保たれるのだ

 と変に納得しながら急な階段を下って外にでました。

  後日ヒロに聞いたらヒロが朝に喫煙所にいったとにも明らかにそういう

 雰囲気をかもしだしている方がおられたので思わず
 
 「おはようございます」

  ってあいさつしてしまったと言っていました。
  
  
  外は朝の7時というのに空気がとても澄んでいてすがすがしい朝日が!
 
  きちんとしたスーツで右手には昨日にもらった真っ赤な紙袋の引き出物!

  それはまさしく卒業式のような晴々した朝でした

 「サウナ大学、無事に卒業!大変お世話になりました!」

 と少し二日酔いの頭を抱えながらも気持ち良く岐路に着きました。

  つくばはめったに行かないけど、なかなかよいところでした!

2012年4月9日月曜日

長かった人生の夏休み

協力隊に行く前からだから役6年ぶりに日本で働いているんだけど、

 友達に

 「長いや夏休みだったなー」

 って言ってから帰りの電車で思ったんだけど、これって本当に夏休みだったのかな?

 夏休みってことはまだ人生の一学期しか終わってないのかな?

  この先に人生の二学期、三学期が待っているってことなのかな?

 と真剣に考えてると、やっぱり今はすでに二学期は終わって冬休みだろうと

 言う結論になりました。

  僕の人生の一学期は産まれてから高校生までで、世の中の様子を見ながら

 目標もなく自信もなく生きていたころ、

 16歳から32歳までが二学期で、これはアメフトばっかりしていた頃、

 ここが結構充実していて、あっという間に過ぎました。

  フットボールが終わってからこの先どうやって人生を楽しめば良いのか?
 
 という課題が持ち上がり、楽しいことが無ければ朝に起きることもできずに、

 ニート、ひきこもりに簡単に慣れる自分にとってはアメフト以上に面白いことを

 しないと朝起きれない、ということで、こうなったアフリカでもどこでも

 行っちゃおう、っておもって協力隊で気がついたら南太平洋の小さな島に

 一人でいました。8か月一人でいたら、2人目、3人目と日本から

 罪人たちが(隊員だった)流されていて、最終的には5人になって、

 あわよくばキューバのカストロと組んでここからバヌアツ独立運動を起こそうと

 学校で生徒達を体育の授業という名目で軍隊化して鍛えていたら2年間の任期が

 終わって無事に帰国。

 でも最近聞いたらそのままあいつらは軍隊ではなくて窃盗団に

 なって公務員の家からものを盗みまくって、結局は僕の任地の
 
 タンナ島は協力隊の派遣が禁止になってしまったみたいです。

  ジェームス・クックに発見されて、エロマンガ島の隣にあって

 常に火山が爆発しているという、嘘のような実在する島、タンナ島は

 もしかしたら本当に革命を起こす準備をしているかもしれません。

 
  今でも覚えているのはバヌアツの最後の一カ月くらいは授業もおわって

 やることが無くって、家にずっといることが多くて、

 その時に考えていたのは、この先日本に戻ってまた新しいく

 毎朝起きる理由を考えるのだったら

 これまでの34年間結構楽しかったし、

 でもしかしたら今が一番幸せな時かもしれない。

 今後日本にもどってこれ以上欲をだしても幸せにはなれないかもしれない。

  ちょうどうちの島には一年中爆発している火山がある。
 
 今からバイクであの山頂まで2時間くらいかけていって、火口にいっきに

 飛び込んでそのまま死んでしまったら意外と自分の人生もダイナミックに

 良い物のままで終わるかもしれない。

 と真剣だか冗談だかわからない葛藤を抱えていた時期もありました。

  でも思いとどまった理由は火山は常に爆発していて、3分とか5分に一回

 意外と大きな爆発がきます。
 
 もし僕が飛び込んだ時に下にちょうど爆発して、風圧で押し戻されて火口の周りの
 
 クレーターみたいなところに全身やけどで引っ掛かって、

 そのまま熱風にあぶられて焼き鳥のようにジワジワと死んでいくのはいやだな。

 と真剣に思ってしまったことです。

  いっきにマグマまで落ちてバイクもろとも火山の中で溶けてしまったら

 それはそれでカッコよ死に方だなー! って思ったんだけどね。
 

 結局は飛びこまずに無事に帰国!

 大阪で一年間親父の面倒を見ながら体育の先生したり支援の先生をしたり

 非常勤ではたらいていました。

   その後にイギリス一年、アンゴラ半年して帰ってきて、無事に日本社会に

 復活しました。まだ社会復帰できてないところもあってみんなに迷惑かけっぱなし

 だけど、これから人生の三学期をしっかり頑張ろうと思います。

  年とってきたからか目標なくてもちゃんとお切れる今日この頃です。

  明日もちゃんと頑張ります!

2012年4月8日日曜日

幸せの数は無制限


 学生の頃の落ち込んでる友達を慰めている時に

 「人生苦労の数は決まっているっていうからな・・・」

 って別の友達が言ってたんだけど、それから20年近くたって今日気がついた

  「人生って苦労の数は決まってるのかもしれないけど

   、幸せの数は無限大だな!って」
 
 幸せの数も決まってたら大問題だよね、

 苦労の数は決まってて、幸せの数は努力次第でいくらでも
 
 増やせるところが人生の素晴らしいところだよね!

苦労の数が100って決まっていて、幸せも100しかつかめなかったら

 それは普通の人生だけど、もし頑張って幸せを10000万位に

 したら9900も幸せな人生になるよね。 

 こう考えられるだけで幸得点1点は稼いだ気がする。

  「幸せは自分が決める」 って良い言葉だねー

2012年4月2日月曜日

僕が思う普通で最高な人生

僕が長く付き合ってきた人の人生をなんとなくミックスして考えた

 お話です、落ちもなく勝者も敗者もない普通の話だけど、
 
 最近年とったのか人生について考えてたらなんとなくおもいつきました。

 面白くもなんともない話ですが・・・
 

二人の営業マン一人はバリバリの出世頭Aさん、

もう一人はお人よしの平社員Bさん、

ある日AさんがBさんに

 「お前は何時までたってもお人好しなだけで出世しないな、

給料だって上がらないし、それではダメだなー」

 Bさん
「良いんだよ、うちの会社は良い製品を扱っているから、

本当に必要な人に必要なものを売りたいだけなんだ、
自分の成績とか出世の為に無理に商品を買ってもらうのは僕のやり方ではないんだよ、
残業や祝日出勤するよりは家族と一緒にいたいしね」

 Aさん
「お前はしみったれている、お前自身はそれで楽しいかもしれないけど、
何時までも給料の上がらない旦那と一緒にいる家族の身にもなってみろよ」

 「でも俺は自分が正しいと思っていることしかしたくないんだ、
 そういう自分を家族も愛してくれている」

 「お前はワガママな理想家だ、家族に迷惑をかけている、
仕事ができない言い訳を正義感ということばで
カモフラージュしているだけだ会社にだって迷惑をかけている」

 「実はね、ウチの家はもともとは都内にマンションを2件もっていて、
僕の給料よりもそっちの収入で生活しているんだよ、
だから僕は大切なお客さんと良い仕事がしたいだけなんだよ、
あとは子供が生まれた時から体にすこし障害ががあってね、
その面倒も夫婦で見ているから、残業はしにくいんだよ」

 まあこんな話があったとします。

 ちょっと強い性格のAさんと、優しいBさんなのかもしれないけど、
前半を読むとBさんだめなのかな?今の世の中では負け組なのかな? 
出世しているAさんのほうが会社の中では評価されているのだろうな、
ということはわかります。


 でも後半でBさんがマンションの収入があるので、お金持ちが勝者という
 観点からいうと勝者は逆転してしまいます。
(何が勝者かはもともとないけどね)

 どっちが良いとか悪いとかではなくて、
それぞれの違う人生をそれぞれに自分の正しいと思った道で生きていくことが
大切なのだと思います。

 小さな問題ががあるとすると最初にAさんがBさんの生き方を
 少し否定してしまったことかな?

 続きをかくとするなら、
早く結婚して50歳ですでに二人の子供が独立したAさんは、
今まで仕事一筋では自分のやりたかったことをできなかったので、
早めに退職して、いままでもてなかった奥さんとの時間を大切にしたくて、
 海外旅行に行ったり、
料理やハイキングを初めて見たりするかもしれませんし。
前半頑張って働いた分後半は時間とお金に
ゆとりを持った人生を送るかもしれないし。
孫が生まれたりして、エリートサラリーマンだったことを忘れて
素敵なお爺ちゃんになるかもしれません。

 そのまま60歳まで仕事を続けたBさんは後半意外と出世しますが、
会社を引退後、あっさり病に倒れて亡くなってしまうこともあると思います。


 どちらも自分に与えられた環境と才能のなかで一生懸命生きた
素晴らしい人生なのだと思うし。それが人生なのだとおもいます。

 二人とも次の震災であっさり亡くなってしまうことが
あってもおかしくはないですし
二人揃って90歳まで元気で生きていることもおかしくはないとおもいます。 
 それぞれがお互いに人生を精一杯生きれば、
良い人生とか悪い人生は無いんだなー、
ってふんわりと感じている今日この頃です。

 なんの訴えも落ちもなくってごめんなさい、でもこういうのが僕のみてきた

 普通だけど、力強くて感動する人生だなと思うことがあります。

知的好奇心という言葉

こんな僕でも一時期は大学院に行ってもう一度勉強しようと思った時期があって

それなりに人に相談させてもらったことがあって、その時に言われた言葉は

 あなたの年でもう一度勉強するなら、その大学院をでたあとで確実に仕事
 
 になるものを出ないといけない。知的好奇心を満たしたいだけで大学院に行くのは
 
あなたの年ではもう遅いよ、もし知識を得たいなら今はインターネットでも

 そこらへんの公民館でも無料で勉強できるツールはいくらでもある。

 大学院に行くのはその分野で何年も仕事をしていて、院をでたらさらにその分野

 で活躍できる人だけがいけばよいものだ。

 って言われました。その時に意外と納得したんだよね、そう言えば僕は
 
 知的好奇心派だなって、あのアドバイス的確だったと思った感謝しています。


  もう一つこれはもっと前に聞いた話なんだけど、国際協力の世界は院を出ている

 ことが最低条件だけど、結局は院をでるってことはパスポートを取るのと同じ

 ことであって、それがあれば外国にいって仕事をする権利は得れるけど、

 だからと言って仕事がすぐにできるわけではない。院を出てからが大切だ。

 と言われたこともあります。

 なるほどねー、ってこっちもとても良い情報でした。

 いろんな人の話を聞いておいて良かったって思います。

 もちろん専門分野が決まってる人とか、若い人はドンドン進学して欲しいです!