2010年8月6日金曜日

アメフトしてた時の事




僕は協力隊に行く前に9年間実業団でアメリカンフットボールをしていました、

16歳の高校生の頃から32歳で引退するまでなので、引退した時点では

人生の半分をフットボール共に過ごしてきたということになります。

 目標はやっぱり実業団日本一でした。それを達成してから引退するのと、

しないのとでは自分の中でのフットボールの意味は全く変わってくると思います。 

 良く言っていました。プロ選手は良い、もし勝てなくっても給料がもらえるから、

でも実業団は勝とうが負けようが給料はたいして変わらない。

何のためにやっているかと言えば単にプライドの為にやっているのであって、

お金は関係ないし、その後の職場での出世を考えたら、

早めに引退して仕事に集中したほうが良いのかもしれない。

 だからこそ、やるからには必ず日本一になってから引退しなくてはいけない。

 でも23歳で実業団に入ってから最初の4年間は全く勝てなくて、

このままでは引退するまで絶対に勝てないという気持ちが大きくなってきました。

 もし引退するまで一度も日本一になれなかったら、

フットボールをしていたことを後悔するかもしれないし。

 チームを恨むかもしれない。


 そんなことを考えていたときにある人がアドバイスしてくれました。

 「ウラ、必ず日本一になってから引退したくて、

今居るチームが日本一になる可能性が無いと判断するなら、

日本一になる可能性のあるチームに移籍して、

そこで日本一を目指すほうがお前の目標はかなう可能性は高い、

お前がフットボールをする理由が単に日本一なら、

それは当たり前のことだからためらってはいけない」

 

なるほど、と思いました。そしてもう一つの意見

「日本一になることは大切だ、でももしなるなら

日本一行きのバスを自分で運転して日本一になりたくないか?

日本一行きのバスにタマタマ乗り合わせていたというだけの

日本一は自分にとってどれだけの価値があるのか考えなくてはいけないよ。」

 なるほどね、それも真実だな、っておもいました。

 たった一つの目標の為に生きていたあの時代は今はとても懐かしく感じます。

 何事も限界まで考える癖がついたのはフットボールから

  学んだことが多かったとも思います。