2010年8月12日木曜日

人が輝いているとき(すいません少し長くなりました。)


 
<写真は本日2010年8月12日に生活に少し疲れた僕がブログを

書いたテーブルです、10年後にこの写真を見直した時に、

 あの日の自分は輝いていたなー、って思い返せる日が

   来ることを願って頑張ろうと思います>



今の生活は募金集めの活動とお勉強の両方です。


 週に三日募金、三回勉強といった感じですが、

それ以外にもビルディングウイークエンド、と言って

 住んでいる煉瓦の古い寮の補修とかペンキ塗り、芝刈り、

ガーデニング、畑、料理、皿洗いなど、

学校のすべてのことを自分達でまかないます。

 だから募金と勉強に集中する時間はありません、

常に何かに追われている感じです、この時にこれをしよう、

 と前もって考えていても、その時になると急にほかの仕事が入って、

結局は何も終わらないままに常に何かに追われているような気持ちになります。


 一番多いのは僕は免許を持っているので、ドライブを頼まれます。

 駅まで片道30分、誰かを迎えにいって、

戻ってくるだけで一時間以上の時間を使います。

 そして月に一度の先生とのミーティングで、

 あなたは勉強も募金も相当に遅れている、もっと頑張りなさい、

 って言われます。 

結局は免許ももっていなくてたいして働いていない人たちがキッチリと

勉強していたりして、僕が足を引っ張っているような気持ちになるし、

でもそういう人の為に自分は一生懸命に掃除をしたり、 

ドライブをしたりしていると思うと、これってあってるのかな? 

神様はキチンと見てくれているのかな?

って思うこともあります。



 フットボーをしていた時、大切なプレーオフ2週間前の練習で、

僕は見事に足を捻挫、あとに二つ勝てば日本一という場面での怪我でした。

 捻挫したのは土曜日の午後、どこも病院は閉まっています。

それでもレントゲンを撮ってくれる病院をトレーナーが大急ぎで探して、

捻挫に骨折があるかどうかをチェックしました。

 骨折があれば早くても4週間、普通は6週間かかります。

レントゲンを見た病院の先生は、

「靭帯は部分断裂していますから絶対に安静です、でも幸いに骨折はないです。」
 
そのまま帰って、すぐにバケツに入った氷水で足を冷やして、炎症を最低限にします。

 グランドに戻ってからのみんなの質問はたった一つ

「ウラサン、何週間ですか、2週間?それとも4週間?」

 「骨折なかったから2週間で行けると思うよ」

 「ってことは次のプレーオフ間に合いますね」

 それだけ、誰も僕の痛みとか気持は気にしていません。

 僕のリハビリは次の月曜日から開始、

腫れを引かす為のマッサージと氷水でのアイシング、

アイシングして足が麻痺したら、

そのまま裸足で11月の寒いグランドウォーキング、

横向きとか足の側面だけを使ったりして、捻挫した筋肉が固まらないように、

動かします。

 それが終わって足が腫れてきたらまた氷水に足を突っ込んでアイシング、

その後に包帯で足を圧迫して

 腫れが足首に集中しないようにします、

だから膝とかほかの所が腫れたりします。

 そんなことを二週間繰り返して、いざプレーオフ、

テーピングで足をガチガチに固定して、試合前の練習にとりあえず参加、

でも痛いし、怖いしで全力では走れないので、

みんなの迷惑にならない程度のものでした。


 試合前10分前にテーピングを全て外して、痛み止めの注射を打ちます。

 その後にテーピングを巻きなおして、

グランドに戻るとすでにみんなは試合前のセレモニーも

終わってコイントスをしていました。

 そのままの体と心で試合に飛び込みます。
 

その日に良いプレーができれば、僕の評価は上がりますが、

もし痛くて良いプレーが出来なければ

 「ウラもそろそろ引退かな?」

 って思われてしまいます。 

 神様は気にしていくれているのかな? ってその時も思いました。

 


 バヌアツにいたころ、

「2年間で60校の小学校の中で何校でもよいからきちんと週に何日か時間をとって、

 体育を教えることができるようにする。」

 それが青年海外協力隊と事務所と現地の教育省が話し合って決めて僕の仕事

 結局は2年たっても一校も現地の先生達がきちんと

 体育を教えている学校はありませんでした。


 途上国では体育、音楽、美術は今はテストの評価に入らないし、

 大切なのは植民地支配していた国の言葉、

バヌアツならフランス語と英語を話せるようにならないと、

 将来お金を稼げる仕事に就けない。

その次に算数が何といっても大切です。

 だから体育はまだ重要ではないのです。 

でも神様はあの小さな島で一人で頑張っていた僕の努力を知ってくれているのかな?

っておもいます。



 昨年に亡くなった親父の一周忌のとき、

 6歳、3歳、0歳の三人の男の子に囲まれた姉が

「お母さん、僕がこれするの見てて!」

「僕もお兄ちゃんみたいにするから見てて!」

って0歳の三男に授乳している姉に長男、次男の二人の

 息子たちが代わる代わるに尋ねます。

 授乳している姉が二人の息子のしている対して上手でもないで

んぐり返しを集中してみてあげることができないと

 不満な長男は授乳している姉の背中に飛びつきます。

「今オッパイあげてるんだから、触らないでね」

 って言ってる姉の言うことも聞かないで、二人目も姉の背中に上ろうとします。

 姉は言っていました。

 「常に何もかもが中途半端、掃除も、食事も、育児も、

すべてがいつも終わらなくて、睡眠もいつも

 浅いし、朝起きても疲れがとれていることなんてない、

 子供に起こされて疲れた体を持ち上げるようにして

 毎日がはじまる、みんなが私みたいに辛いのか、たまに不思議に思う」

 
その話と三人の息子の面倒をしている姉を、

 喪服姿でお茶を飲みながら聞いていた僕と叔母さん、
 
(亡くなった親父のお姉さん)は言いました。

「姉ちゃん、自分は今そう思ってるかもしれないけど、

 僕らから見たら今の姉ちゃんは人生の中で一番輝いているときに見えるよ。

 もちろん大変で自分の時間が全くないのはよくわかるけど、

 3人の息子にこれだけ必要とされているなんてうらやましいよ」

 隣にいたおばさんも二人の息子がいます。 

 僕の従兄になるので二人ともすでに僕と同じで30超えてます。そのおばさんも

「私にもこんな時期があったのかと思うと、

 ほんとによく頑張ったなと思う、とても輝いて見えるし、
 
 今思えば人生で一番良い時間だったとおもう。」

 という意見でした。

 
 結局は忙しくて、まったく自分に時間がなくって、

 いつも何かに追われている人というのは

 それだけみんなに必要とされているのだと思います。 

 それを必要とされていると感じれるのか、

 利用されていると感じるようになるのかは状況によってだとは思いますが。

 もし自分が捻挫した時に、チームに、

 「君の変わりがいるから、ゆっくり休んでいて良いよ!」

 って言われるのが、選手として大事にされているのか?
 
 どんなことをしてでも次の試合にはお前が必要だ、

 たとえ怪我で100%のプレーができなくても・・・
  
 って思ってもらえることが大切にされていることなのかと考えたら、

 やっぱりどれだけ辛くても

 同情やいたわりの言葉よりも選手として評価されることが幸せなのだとも思います。


 
 そんな理想を頭の片隅で考えなら、僕の目の前には今日も僕には現実が待っています。

 いつまでたっても終わらない仕事と勉強、

 数次や評価にならない雑用や他人のお手伝い。

 半日でも良いから、気持ちを落ち着かせて自分のことだけ考えたい。

  たぶんこうやってブログを書いてるときが今の僕のそういう時間なのかもしれません。

 このブログを書き終えた今、少しだけ気持ちが整理できた気がします。

 スッキリではないけど、
 
仕方ないから、今日も一日頑張ろうかな? 

「とりあえず今日も一日作業開始!」 っていう気持ちにはなれた気がします。
 
  いつか2010年の今日のこの一日が輝いていたんだなー!
 
 って思える日までとりあえず頑張ろうと思います。