2010年5月14日金曜日

喪中ハガキって・・・



 <写真は今から25年くらい前だと思います、僕が小学校高学年で、家族で
 志賀高原にスキーに行った時のものです、僕は親父が29歳の時に産まれている
 から、親父はちょうど今も僕よりも2歳くらい年上なのだと思います。
 そう思うと自分は何やってるんだか?って思います・・・>



親父が死んで喪中です。

って言う手紙をみんなに出すときになって気がついた。

 僕はすでに10年近く殆ど年賀状だしてないし、過去の2年間は

バヌアツだったし、その後はもといた住所でもないし、この5年間で

 会社を辞めて、東京、大阪、バヌアツ、大阪と色々と住所が変わって居るので、

 だれも僕には年賀状をくれません。 親友だけはくれますが・・・

 でも親父は会社員のころから毎年100枚以上の年賀状を出していたので、

 喪中のハガキだすのも大変です。

 
  ってここまで書いて気がついてくれた人いるかな?

 死んだ人って喪中ハガキは出さないってことを? だっておかしいよね。

 死んだ人から
 
 「今年は私は喪中ですから、年賀状いりません。もしくは天国に送ってください」

 ってありえないよね。

  そんなこと気がつかないで、僕は50枚ほどハガキを買ってきてせっせと

 親父の為に喪中ハガキを作っていました。

 そして途中で気がつきました。

 「なんか変だぞ!僕の友達に親父が死んだから喪中です、って言うハガキは

 ありえるけど、死んだ人から死にましたから喪中です。って言うのは変だな」

 
 そして何人かに確認したら

 「それは必要なくって、親父の死を伝えきれてなくて、年賀状をくれた人には

 1月15日を過ぎてから寒中見舞いとしてハガキを出すものです」


 ということになりました。だから結局50枚のはがきは大切に保存して

少しずつ郵便局で手紙を送るときなどに現金として使ってます。

 
 6月19日に死んだ親父への年賀状は15枚ほど来ました。

 
 その中に一つに


 「年末に癌の手術と転移を繰り返しても、まだ10年以上も頑張ってる人の

 テレビをNHKでやっていました。浦さんに伝えようと思って、あわてて電話

したけど、繋がりませんでした。電話番号変えたのですか?

 浦さん今年も頑張ってくださいね!」

 という内容でした。

 親父の携帯は66月に亡くなってから2カ月ほどそのままにしていましたが、

 誰からも連絡が来なくなったので、解約してしまいました。

 面白かったのは僕が親父の電話に出るとみんなが100%親父だと思って

 話し出すことです。自分では思っていなかったけど、声の出し方とか話し方

 は凄く似てるみたいです。


 みんな親父が癌になってから8年間ずっと見守ってくれていて、それが今年

も続くと願っていてくれたんだな。と思うと、寒中見舞いを書くのは少し辛い

 作業でしたが、誇らしくもありました。 親父は幸せ者だったと思います。