2010年7月31日土曜日

朝から少しふざけたお話





 <写真はブラジルアルツーと僕、地元のお祭りに参加した時の物です、
 アルツーは宣伝係、僕はマメをお箸でつまむというインチキな競争を
 作って、募金を集めていました。ケイタは折り紙と手相を見て、大人気
 でした>

  今日の朝のミーティングは人間の「振る舞い」についてだった、

 先生のオーサが言った、
 
わたしの国のスウェーデンでは人々はあまり近づいて話をしません。

ある一定の距離を取ります、それはアジア人と良く似ています。

 だからわたしははじめアジアの文化とスウェーデンの文化が近いと

知って驚きました。

そして初めてわたしがアンゴラに行ったときに気がついたら

 私の半径一メートルに5人くらいの人がいました。

 子供はみんな髪の毛を触るし、勝手に手を握るし、

 そういう距離感が普通なのです。だから驚いてはいけません。

 ブラジルメンバーの答えは

「それは当たり前だ、みんな近いほうが楽しいじゃん!」

 オーサ

「アフリカ人の男たちはすぐに結婚して!と言ってきます。

 若い女の子はアフリカに行ったら驚くかもしれません、

 決してわたしは受け入れてはいけないとは言っていません、

 あなたたちは大人なのですから、

 でも彼らの結婚してという言葉には先進国で使われているような

 深い意味はありません、

 彼らは何人もの奥さんを持つことを許されていることもあります。
 
 あなたが受け入れたいなら受け入れて良いです、

 それはあなたの選択ですから、

 でも彼らに愛の意味を尋ねたら答えられる人は少ないことも事実です」

 

 僕の意見


 「僕が南太平洋のバヌアツに住んでいた時、

 逆夜這いがあるから気をつけろと事前に言われた、

 でも2年間準備して待っていたけど、誰も僕の家をノックする人はいなかった」

 
 オーサ

 
 「それはウラの個人的な問題です、わたしは今は一般的な話しをしているのです、

 アフリカの一部では男性が女性に性行為を訪ねた時、

 女性は断わらないのが習慣となっていることもあります、

 だから女性のボランティアがアフリカに行ったときには、

 いくら断っても相手の男性は理解しないこともあります、

 彼らは知らない外国人が自分の村にやってきたら

 その女性をエスコートすることが自分の使命だと思っていることもあります。

 10回断ってやっと少しだけ気がつく程度なのです」

 
 先ほど僕の意見を否定された僕はそこですかさず反論、


 「オーサあなたは間違っている、だって僕は人生の中で何度も断られている」

 
 「ウラ、今私はアフリカの話をしているのです、

  あなたが断られているのはアフリカだけではなくて、

  全世界中で起こっていることでしょ!」

 
  みんなの笑いは止まりませんでした。

 
 そんな感じで今日の朝のミーティングは終了、みんなとても喜んでくれました。

2010年7月28日水曜日

自信を持って嘘ついて良いよ



 <もちろんこの写真は中学校三年生ではありません、
たぶん小学校3年くらいですが、頭の中身は中三でも同じだったとおもいます>


 第二次ベビーブームの僕は同級生が320人、

 僕は中学三年生で成績が300番目。

 高校受験は専門学校を視野に入れながら、私学に絞っての挑戦でした。
 
 私立学校は学力と試験と面接があります。 

 中学の先生と一緒に面接の練習もしました。
 
 
 「なぜこの学校を選びましたか?」

  って聞かれたら

 「山に囲まれて自然が美しく、勉強するには良い環境だと思ったからです。」
 
 
 「高校生活では何をしたいですか?」

  
 「僕はスポーツが好きなので部活に入ってスポーツを頑張りたいです」

 
 「中学校ではどんなことに熱中しましたか?」

 
 「友達をたくさん作りました、友達とキャンプに行ったり、スポーツをしたりしました」

  
 そんな練習を先生と一緒にしましたが、でも気持ちの中では
 
 僕には選択肢が無いからこの高校をえらんだんだ。 

 うちの学区内で一番低いレベルの
 
 普通科高校ってことぐらい高校の先生だって知ってるはずだ。

 って思っていました。少しふてくされて、先生に。

 「なんか嘘ついてるみたいで嫌だ、

 相手の先生だって僕に選択肢が無かったことくらい知ってるはずだ、

 嘘つくと逆に緊張するし、落とされるような気がする。」

 
 って言いました。どうしようもない生徒だったと思います。
 
 そしたら先生が教えてくれました。 
 

 「お前は間違っている、高校の先生達はお前に選択肢が無かったから

 私学に絞ってこの学校を受けていることくらい知っている。

 だからこそ高校の先生達は確認したいんだ、

 こういう大切な場面できちんとお前が嘘をつけるかどうか、

 そういうことが人生のなかでは大事なん

 だから心配しないで安心して嘘をついてきて良いんだよ」

 
 「そっか、高校の先生達だって知ってるにきまってるよね」

 
  そのアドバイスのおかげで僕には難関だった普通科高校に無事に入学できました。



  人生って本当に不思議だな、ってつくづく感じます。

 あのアドバイスが無かったらきっと 緊張しておかしなこと言って落ちてたかもな?

 って今でも思います。中学校の先生ありがとうございました。

 

 

2010年7月27日火曜日

インド人の10倍論


 協力隊に行く前の訓練で言われた事があった、

 インド人は自分が10した仕事を100したって言います。

 だから彼らの話は10分の1だと思って聞かないと、後で痛い思いをしますから

気をつけてください。

 逆に日本人は10した仕事を1しかしてないと言います。

日本人にとってはそれは美徳なのかもしれませんが、

世界の中ではそれはインド人が自分の仕事を10倍にしていうのと

同じだけ迷惑になります。

 日本人の中では美徳であっても、そんなわかりにくい美徳は通用しないし、

もしそれが通用するのなら、我々はインド人の価値観も受け入れなければいけません。

 10した仕事は普通に10だと言ってください。

少しずつそうやって言うことに慣れていってください。

あの話を聞いてから4年が過ぎたけど、自分なりに考えたら、

10したことを10したって言うことも大事だけど、

10したことを8くらいしました。って言うほうが外国の人からしたら

 「やっぱり彼ら日本人は謙虚で嘘をつかない」

って思ってくれてるみたいだし。8くらいがちょうど良いレベルなのかな? 

って思います。

 ヨーロッパの人が日本ん人を評価する時に一番良く耳にするのは

「モラル」って言う言葉です。

 「日本人はモラルが高い」

ってよく言われます。 僕も子供のころに習った記憶があります。

 「例え自分の部屋が汚くても、公共の場はきちんときれいにしなくてはいけません。」

 そういうところが個人主義の国とは違うのかな? って思います。

 でも世界共通の意識としては

 「両方きれいでなくてはいけません」

 なのだと思います。 

 ちなみにイギリスのインド人はみんなとても優しいです。今度また書きますね!
 

2010年7月25日日曜日

選択肢と豊さの話し




<写真は掃除機の音を聞いているのかと思ったら、掃除機で耳掃除をして
 いた男ブラジル人アルツーです、ハートのある良い男です>




 今朝のミーティングはポルトガル人のルイ―スの提案で

「人間の選択肢は昔に比べて増えたけど、それは幸せなことなのか?」

 ということでした。

 みんなでユーチューブの映像を見ました。その映像の中で

 昔はジーンズの種類はそれほどなかった、だから単にジーンズを買えた

だけで嬉しかった、でも今は町を歩けば500種類はある、金額、デザイン、サイズ、

ブランド、選ぶだけでも疲れるし、

結局その中から自分に一番合ったものを選んだつもりでも、

その選択肢があっていたのかをさらに思い悩むことになる、

昔のように選択肢が無ければ、ジーンズを買えたというだけで幸せだったのに・・・

 
 とまあそういう感じの提案でした。

 もうひとつの説明は三つの絵が書いてあって

①一番右側の人はゴルフをしています、でも頭の中では自分の彼女との

デートの事を考えています。


②真ん中の絵は彼女とデートしている時の絵です、

でも頭の中は仕事の事を考えています。


③一番右側の絵は仕事をしている時の絵です、

でも頭の中はゴルフの事を考えています。



 結局は沢山の選択肢をこなさなくてはならない現代人は常に他の事が気になって、

人生を楽しむことができていない。ということを表しています。



「我々は選択肢を増やすことが豊かになることだと信じてきた、

実際にそれは良かったのか?」

 
 デンマーク人んの先生60歳のカリンの意見は

 
 「わたしは30年前に先生になることに決めた、あれから30年経つけど、

後悔してないし、正しい選択だったと思ってる。 

結局選択した時にはそれが正しいかどうかはわからない、

その後に一生懸命に努力して、良い結果を出せば、

結果的には良い選択をしたことになる。」


 でもそれはジーパンには当てはまらないよね?

って僕は思っていました。


ジーパンのデザインはその後に努力してもあまり関係ないものね。

 豊かさの定義は難しい

 

 たとえばうちの親父世代は高度成長期だったから、

選択肢無しにひたすら働いて、20代で結婚して、30歳で家を買って、

ていう道が決まっていたからそれほど迷わなかったけど、

第二次ベビーブームの僕は、仕事や人生にたいする選択肢が増えたことで、

みんなが迷って、


 「今の人生であってるのかな?」

ってみんなが思ってるのが僕らの世代だと思います。


「結婚だってそうだよね、結婚相手の選択肢が沢山あった人が必ずしも

幸せな結婚をしているかと言えばそうではないし・・・・」

 それにたいするデンマーク、カリンの意見


 「90歳になるわたしのお母さんがこの歳になってわたしに伝えた事がある、

実は彼女はお父さんの事が大嫌い、

もし選択肢があれば離婚したかったと後悔している、

なぜ90歳の彼女が60歳のわたしに今になってそのことを

伝えたのかはわたしにはわからないけど、選択肢の話になると、

昔のデンマーク人は離婚は絶対にできなかった、それを思うと、

今の人は離婚する選択肢があるから幸せなのかもしれない」
 
 でもそれはまたさらに難しい問題で



 離婚という選択肢がありながら結婚生活を送ると、本当に離婚するかもしれない。

でも絶対に離婚できない、という事を心に誓って生活すれば、

結果的にはその結婚は上手く行くこともあるかもしれない


 このレベルになると個人の価値観によって全く違ってくるから

これ以上は話してもきりはないとおもいます。


 その場にいた20人のそれぞれの年代、国籍、結婚、未婚、性別

によって選択肢って違ってくると思います。


 正しい選択ってないと思うけど、自分らしい選択ができる

センスを磨くことって人生にとって大切だと思いました。

 そして自分で決めたら後悔しないことも大事です。

 だって自分で決めたのだから!

 話がいろんな方向に行ってしまって、まとまらなくなってゴメンナサイ。

 それが今朝のミーティングでした。

2010年7月23日金曜日

憎めない社会主義国家の男について



アルバニアから来たバレラは独立前はソビエト連邦の男、

社会主義国家の男なのです。

 一般的に僕達の思い描く白人は明るくて、陽気なかんじですが、
バレラはアジア人以上に笑いません、

ネットで見たらリトアニア自殺者が世界一だったこともあるようです。

少し暗い民族なのです。

そんなバレラがなぜボランティアプログラムに参加してアフリカ

に行こうと思ったのかはよく分かりませんが、

やっぱり彼も自分の人生にたいしてイロイロト考えることが

あったのだと思います。

アジア人よりも英語が堪能な彼も時にヨーロッパの人達の

文化や習慣に戸惑っているように感じます。
 
「ロシア人とドイツ人(ゲルマン)の人達は正直すぎて嫌われるんだ」

ってイギリス人から聞いたことがあります、イギリス人も日本人の僕から

みたら相当正直で合理的だとおもうけど、

その彼らが言うのならそれは相当なのだと思います。

 そんなバレラはロボットのように働きます。

掃除でも仕事でも徹底的に合理的、そして絶対に時間内に終わろうとしますし、

遅い人を助けるようなことは絶対にしません。自分の時間内で、

自分のできる範囲の中でベストを尽くすのが彼です。

 だからある意味ではとても信用できるけど、

たまに合理的すぎて腹が経つことがあるし、融通が利かないので、

トラブルがおこったときには困ります。

一緒に車に乗っていても運転の仕方がとても合理的、譲り合いの精神はあまりありません。

助手席に乗っていてヒヤヒヤすることもあります。


 食事の時間が7時から8時と決まっていたら、

8時になったらまだみんなが食べていても普通に片づけだすのがバレラです、

誰かがにこやかに
 
「バレラ、ちょっとだけ待ってよ」

っていっても、普通に真顔で

「8時だから!」

 というのが彼です。でも自分が逆の立場になっても絶対に文句を言わないのも彼です、

そういう面では筋は通っているのです。

 そんな彼もここにきて既に8カ月、戸惑いながらも大分変化してきてと思います。

 人に助けれもらってうれしいという感情を出すようになったし

「アリガトウ」

って小さな声で恥ずかしそうにいうようにもなりました。

 基本的に彼は日本人であるケイタと僕にはとても親しみを持っていて、友好的です。

 たまに困るのは助ける方法も彼の独特の方法なので、

こちらのやり方を無視して、助けてくれるので、嬉しいのだけど、戸惑います。

 でもそれがバレラだと、助けてくれる行為だけでも嬉しいので、

ケイタも僕も我慢できます。

 不器用な男が一生懸命に助けようとしてくれていることに何故か感動できるからです。

 そして実は彼はとても二枚目です。

 イギリス人のユアン・マクレガー という俳優と、

ハリウッドのジュード・ロウ を足して二で割ったような顔をしています。

 そして無口で良く働く、もう少し自分の優しい感情を表現できれば

きっと女性にも持てると思います。



 そんな彼と先日に車で一日働いた時の出来事、
とても暑い一日だったので、夕方になって彼は

スーパーでイギリスでは結構メジャーな4リットルの水と

オレンジジュースをかって車に戻ってきました。

 おそらくオレンジジュースは今飲みたくって、

水は学校に持って帰って飲もうと思っていたようです。
 
でもその時に僕は気がつきました。 そのオレンジジュースには

「コーディアル」
って書いてあることを、それは日本で言うカルピスみたいな水で薄める

為のシロップなのです、でも金額が70円と安かったので、

彼はただのジュースだと思ったようです。

それを一口飲んで、あまりにも濃すぎるその味に、彼の顔がゆがみました。

「なんだこれ?メチャクチャ濃いぞ!」

「バレラ、それはきっと水で薄めるんだよ、コーディアルって書いてるでしょ」

「そうなのか、だから冷蔵庫に入ってなかったのか」

 ということで、彼はさっそく4リットルの水のほうを空けてそれを

グビグビと飲みだしました、そして空いたスペースにシロップを

入れて一生懸命振っています。

 そしてためしにふた口ほど飲んでみましたが、

4リットルの水ではまだまだ薄かったみたいで、

 「駄目だ」

と言ってもう二口ほど飲んで、それからまたシロップを注ぎました。

 それで既に彼は相当にお腹がいっぱいになっていると思いましたが、

 どうしても味が濃くなったジュースを飲みたかったようで、

シロップを足しては飲み、また足しては飲みしていました。
 
それを隣で見たいた僕は普段は殆どミスをしない彼が珍しく

可愛い失敗をしたことが嬉しくて、

「きっとお腹いっぱいだけど、味が濃いのが飲みたいんだろうな、

そういうところ妥協しない男だよなー」

って思いながら見ていました。

 憎めないソビエトの男、それがバレラです。

2010年7月21日水曜日

美しい物



<この塔をみて、美しさとその歴史の古さ、どんな人達がどんな目的で建てたのか?
 そんな事を考えると、自分の今の悩みなんて本当に小さなものに感じました>


仕事が上手く行かなくて、イライラしている時、イギリスの田舎町で突如として大きな

塔が見えた、おそらく高さは100M以上あると思う、

とても広い平原にポツンと一つだけ立っている、相当古いみたいだ、

 凄くきれいだなと感じる、そういう風に感じる気持ちは大切だと思う、

例え仕事が上手く言っていなくても、一緒に車に乗っているミンジーと言葉も通じず、

お互いに気まずい雰囲気でも、きれいな物をみて、感動する気持ちは、

その後の仕事を助けてくれるような気がする。


 先日も朝一番の仕事初めの時、僕らは商店を一件ずつ訪ねて、

古着集めのコンテナを置かせてもらえないか尋ねるのだけど、

一つの教会が今までその教会で結婚した人達の為の記念式典をしていた。

 なんとなく興味があったので、恐る恐る入ってみた、

「160年間の間に、沢山の人がここで結婚しました、
今日はその人達の為の会なのです、どうぞ見ていってください」


 何人かの老夫婦が自分達の結婚した時の写真を見ていた、

急に入ってきたアジア人に驚くこともなく、みんな普通に笑顔だった」

教会をでるときい入り口で無料のコーヒーとケーキを勧められた、

何故かとても感動した。

 その日に僕たちは4件の契約を取った。それは最高記録だった、

 朝一番の教会が僕たちの気持ちを変えたのだと思う。


 
 朝一番に家の周りの走っているウサギを見て可愛いと思えるか?

 「おはよう」 って普通に言えるか?

 時には運転しながらいつも聞いている、FM局ではなくて、
    クラッシック局に変えて気分転換することができるか?

 人の親切に反射的に「ありがとう」って言えたか?
 
 見上げた夜空に流れ星を探すか?

 みつけた虹をだれかに教えたくなるか?

 さりげなく近づいてきてくれた犬の頭を無意識になでることができるか?

 毎日通る道で例え小さな花でも咲いたことに気がつけるか?

 誰かが作ってくれた美味しい料理を、「美味しい!」って気がつけるか?

 

 何でも良いのだと思います。自分の中で感動することができれば。

  
 
 そういう感情って日本人んの中にはとても強くあると思うし、

 イギリス人の中にもとても強くあると思います。

 
  その日、一日だけの事を考えたら、そんな余計なことを考えるよりも

 仕事に集中したほうが良いのかもしれないけど、

 5年とか10年の単位で考えたら、そういう気持ちを持っているか

 どうかはとてもとても大切で、正しい判断ができる人は心の中に

 美しい物を美しいと感じることができる人だと思います。

 伊達君子さんが言っていました。

 
「普段の生活で正しい判断ができなければ、コートの中でも正しい判断はできない」

 普段の生活の中での正しい判断はどうやってできるのかというと、

 やっぱりそれは綺麗な物をみて綺麗と思えるかどうかだと思います。

 何かに感動した時、人の心の中に正義感みたいなものが産まれるのだと

 僕は思います。そういう気持ちは大切だと思います。

 だから少しでも意識して生活したいとおもいます。

2010年7月18日日曜日

銀河系植民地支配計画



  <教室の写真が無かったので、変わりにキッチンの写真です、毎日三回、
  ローテーションでみんなが料理をします、多国籍料理過ぎて、
  味は良く分かりませんが、みんなが順番に料理するので文句は言えません>

  今週のテーマはアフリカのそれぞれの国の植民地政策と独立について、

4人のチームを8個作って、それぞれの国の独立の歴史をプレゼンテーションします。

僕らのテーマはマラウイですが、僕は準備の時に仕事で居なかったので、

ハンガリア人のベロニカが僕の為の資料を作ってくれました。

 それを持っていざ発表ですが、30分前に英語で書かれた資料を

もらっても僕の頭では上手く処理できませんでした。

 そこで一つのひらめきが浮かびました。

500年くらい前の植民地支配を今に置き換えたらどうなるのか?

 まず500年まえのヨーロッパを今の地球と考えます。

それぞれの国が限られた資源と土地の奪い合いで窮屈な生活をしています。

 しかし、航海技術が発達して、コロンブスとかマゼランとか

ガリレオみたいな人達が、言いだします。

 「ヨーロッパの皆さん、チョト待ってください、

最近にイロイロト旅してわかったけど、世界はもっと広いみたいです、

ヨーロッパの中だけで闘うよりも、アフリカとかアメリカ大陸とかに

攻め込んであそこを支配してしまえば、

お互いにこれ以上戦争しなくて済みそうですよ!」

 
って提案します。

 現在に例えるとこんなかんじです。


 
 2010年以降に宇宙船の航海技術が発達して、

火星とか、木星、金星、水星、なんかをそれぞれの国が探索しだします。
 
 そして何処かの国が言いだします

「地球の皆さん、今まで地球だけで色々なものを奪いあっていたけど、

銀河系はもっと広くて、沢山の資源がまだあります、

そして征服するのは結構簡単みたいです、とりあえずどこの星でも

よいから攻め込んで、そこに自分の国の国旗を掲げれば、

その日からその星はあなたの国の植民地(この場合は植民星か)にできますよ。

これ以上地球の中だけで争うのはやめましょう!

 そしてみんなでそれぞれの星の取り合いが始まります。

 そして後になって気がつきます。

「すいません、それぞれの星には先住宇宙人のエイリアン達が住んでますけど、
 
    彼らはどうしますか?」

 「彼らは英語もフランス語もはなさない、大した兵力もないし、

第一に人間ではないんだ、とりあえず反抗するなら殺してしまえ。

それは殺人では無いのだ、使えそうなら捕まえてきて奴隷にして

売り飛ばしてしまえ、ためらってはいけない、

今ためらうとよその国から出遅れる、どうせ何処の国も殺しまくってるんだから、

我々にも罪はない」
 
 その後に何年か経ってから彼らは再び気がつきます。

 エイリアン達は我々が持っていなかった、素晴らしい文化や伝統、

習慣を持っていて、彼らの歴史は時には地球よりも古く、

そういった彼らの生活やプライドを地球人達のエゴで台無しにしてしまったことを。

 そしてとても後悔します。
 
 そして、銀河系独立運動がそれぞれの星で始まり、

みんな独立して元の生活に戻ろうとします。

しかし彼らは地球人達からお金という価値を植え付けられてしまったし、

地球人達が去った後には彼らの中の強い物たちが、

今まで地球人達がしてきたような搾取する立場を保ちたい為に、

いつまでたっても国が発達しません、

そこに地球からボランティアなどがきますが、

同時に色々なビジネスの会社も入り込んできて、

いつまでも地球人達の利益の為に銀河系の人達は苦しい生活をしなくてはなりません。

 それが今のアフリカの現状、それが人間、それが私達なのです。

 「僕達はボランティアとして何ができるんだろう?」

 でも500年前の状況はなんとなく理解できる。仕方なかったでは済まされないけど、

 彼らはにそれほど罪の意識は無かったのだろう、

だってヨーロッパの中で今までずっと殺しあってきたのだから、

アフリカに行って彼らを殺してもそれが悪いとか気が付くことは難しい。

  
 お昼休みにポルトガル人のルイ―スとソフィアにいわれました

 「お前の発表はその通りだ、昔ポルトガルはスペインに回りを全て囲まれていた、

残っていた脱出ルートは海だけだったんだ、

だから我々は海から世界に進出していった。

あの時にはそれしか方法が無いと信じていたのだ」

 何が正しくて何が間違ってるのかは時代によって違うし、

判断するのはとても難しいといつも感じます。

2010年7月16日金曜日

ワールドカップと植民地


 <写真はポルトガル 対 ブラジル戦です。右はブラジルのピエトロ、
 左は何故かアルバニアのドーランド、後ろはみんなブラジル人達です、
 どこからかブラジルの旗を持ってきてみんなで大騒ぎしていました。
 ちなみに写真には映っていませんが、コの字になっているソファーの
左側にはポルトガル人達が支配していた者たちのプライドをかけてとても真剣な顔をして試合を見ていたので、そちらにはカメラを向けることができませんでした。 確か引き分けて万事休すだったと思います>


少し話が遅れたけど、ワールドカップ中はみんな盛り上がりました。

 特に植民地対決は熱い物がありました。

 ブラジル 対 ポルトガル

 ブラジル人達はポルトガルにリベンジする!

 といって熱く燃えていました。

 
 そして意外とイギリス 対 アメリカ もなんとなくライバル心

 があることにきがつかされました。イギリス人は普段は無視してる

けど、意外とアメリカのことを良く思ってないみたいです。ヨーロッパ全体

的にいえることですが・・・

 
 でも偉いところは普段は無視してるところです、相手にしてない

 というのが本音かもしれませんが、ヨーロッパの中だけで十分に沢山の国が

あるので、そこまでアメリカの事考えてないのかもしれません。

 イギリス(イングランド)がドイツに負けた時、僕はイギリスのパブに居まし

たが、イギリス人達の落ち込みぶりは凄かったです。みんな頭を抱えていました。

 結局はこの学校に一人も生徒がいないスペインとドイツが決勝に行ったので

何の問題もおきませんでした。

 普段はフランス人だといっているセリーヌがその時だけは

私はフランスでそだったけど、お父さんはスペイン人でお母さんはポルトガル人

だから私のパスポートはスペインのもので、私はスペイン人なのよ、と急に

国籍を変えたことに驚きました。

 日本の評価はとても高かったです。次回も頑張って欲しいと思います。
 
 その時僕はどこに居るのかな?

環境を越えて世界共通な人の心



 <写真は僕の住んでいる寮から教室に向かう道です、毎朝このマンホールを踏んでから教室に向かいます。>


昔にハワイでアメフトしていたことがありました。

そこでハワイと日本の似ているところ、ヨーロッパと違うところを書きたいと思います。

 大昔からヨーロッパの人は自分の国で不満が生じたり、

なんとなく国の中で力が有り余ると、海を渡ったり、隣の国を攻めてみたりして、

 領土を拡大して、新しい土地を獲得しようとする、どちらかというと 

「領地拡大型」 の文化だと思います。


 そしてハワイや日本は島国なので、常にその島の中だけでの闘いになります。

だから常に戦いに備えて、新しい武器を作ったり、

 兵隊をトレーニングして、さらに強い軍隊にしようとします、

いわば「少数精鋭」を考えています。だって島国だから、人数を増やすことは

 できなから、でも大陸に住んでいれば、自分の兵隊をトレーニングするよりは、

隣の村に攻め込んで、その人達を自分の兵隊にしてしまえば、

 人数が増えるから、楽して強くなることができるというかんじです。


  ハワイのフットボールチームのそういうところがあって、

ハワイの高校生の優れた選手はみんな本土の大学に進学してしまう、

 逆に本土の学生は日本でいう沖縄みたいな感じで、

「独特な文化をもち、みんながプライドをもって平和に生活している」

ハワイに、フットボール選手としてくることはあまり望まない。

  ということで慢性的に人材不足なのがハワイの現状でした、

大柄な本土の選手に比べたら、体のサイズもそれほど大きくありません。

 そうなると勝つためには必然的に

 「厳しい練習」

 が必要となります。実際にハワイの練習はとても厳しかったです、

そして日本人のように「根性、忍耐」が大事とされます。

 選手たちも一般的なアメリカ人よりも忍耐強く、とても謙虚で真面目です。

 そういうところは日本人と似ています。

 おおらかで、謙虚で外国人に優しい、

それは限られた土地の中に住んでいる島国の文化だと思います。

 限られた土地の中で人々が生活すると、必然的に相手に

「気を使う」文化が生まれるのだと思います。


  ヨーロッパの人達は言葉も文化も全く違う人達と闘ったり、

占領したり、されたりで、常に自分のやり方を相手に押し付けないと

 生き残っていけない文化だとおもいます。

そして相手に支配されないためには先に相手を支配しないといけないこともあり、

必然的に強烈な自己主張が必要となります。

ヨーロッパでは負けることは相手の国にたいして奴隷になることになり、

全てを失ってしまうからです。

 (もちろん大昔の話です)

 お互いにそこが基本的に違うのだと思います。

 ぞれぞれの文化で、農民、貴族、政治家、軍隊などで違う文化があると思います。

 一般的に農民の人達は自然を相手にしているので、

問題が起こったときでも言いわけする相手が自然だから文句を言っても仕方ないし、
 
貴族や政治家は人をコントロールしようとするから、とても

「権力」にたいしてこだわりがあり、人間がどう動くか、

どうすればコントロールできるかを考えています。

だから交渉能力と自己主張が強くなります。 

軍隊は農民と比べて常に相手が「人」だからこれもまた何かもんだが

おこったときには「人間」にたいして文句を言うし、

原因は農民のように自然にあるのではなくて、誰かの過失であるということで、

誰かが責任を取らされます。


 このプログラムに参加していて、ヨーロッパのひと、アジア人、

と生活していて、なんでここまで違うのかな?
 
 って考えた時、根本的にそういう昔からの国の状況なのかな? 

っておもうことがあります。

 西洋の人は自己主張が強く、

自分が忍耐強く働くよりも相手を自分に屈服させて、

自分の今の立場をさらに良くしようと考えている人がアジア人にくれべて

多いと思います。 もちろん忍耐強く働く人も沢山います。

 
  最後に世界で圧倒的に有名なのが中国人です、

日本人んが外国人をみんなアメリカ人だと思っているようなレベルで、西洋の人は

 アジア人はみんな中国人なのだ。と思っています。

 少ししつれいな話だとおもいますが、おそらく日本に住んでいる、イタリア人とか

 フランス人に日本人が英語で話しかけた時、彼らも同じように

「なんで俺達に英語で話しかけるの?アメリカ人じゃないよ?」

 って思っていると思います。


  そして世界中に移り住んでいる中国人にたいして聞いた話があります。

 中国は昔から大きな国で、何も悪い事はしてない、

あそこで静かに暮らしていただけだった、そこに色々な国が攻め込んできて、

領土を奪おうとしてきた、彼らは何もわるくないのに、

沢山の犠牲を払った、だから彼ら自身は自分達を守るために、強くならざるを得なかった。

 
そしてバヌアツに居たころにも聞いた話、

 中国人のかなしいところは彼らは西洋の国の人に比べて、

よその国に行ってもその国を占領しようとしない、ただ移り住んで、

そこで商売をして生活をするだけだ。それを見た現地の人達は、

中国人の商売の仕方をまねて自分達も商売を始める。

でも中国人のほうが真面目で商売上手だから結局は現地の人から

ヤキモチをやかれて嫌われることもある。

 しかし最もバヌアツからお金を巻き上げているのは中国人ではなくて、

西洋人だ、彼らは決して現地の人と同じレベルで仕事をしない。

 海沿いの土地を全部買い取って、そこに大きなリゾートを建設して、

現地の人をやとって自分達はお金の管理をしているだけ、それで現地の人からは

 尊敬されるし、何のトラブルも起こらず、広大なお金を巻き上げている、

形は違うがやっぱりそれは植民地みたいなものだ。


 なるほどねー! っていつも思ってました。 

いろいろな国でそれぞれみんなが頑張った結果がこういう風になるんだなー、

って思います。

 ちなみに今のこのプログラムでも全く同じようなことが展開されています。

 僕の居る5月チームは14人いますが、

それぞれの文化によって考え方が全く違うし僕たちはアフリカに行く

お金を自分達で貯めなくてはいけません。

そのための活動についてもそれぞれの国で全く違う考え方とアプローチをしてきます。

 全般的に助け合おうとするのがアジア人ですし、

そういった考えが全く通用しない西洋の人もいます。

 そして持っている人が持っていない人に分け与えることが普通である、

という文化があるアフリカ出身者は、全く違う感覚でここに居ます。


 そして最後に強烈に思うのは、これだけ書いてきてなんですが、

やっぱり最終的にはどこの国の、どういう文化だ、というのではなく、

 その人の個人的な魅力とか、誠実さとかが出身国を越えて大切なのだとも思います。

  国、文化、年齢、性別とかよりもやっぱり人間としての

魅力に勝るものは無いのだとかんじています、そこだけは

「世界共通」

 なのだと僕は最近かんじます、国に関係なく、世界はそういう人を評価します。

だから今以上に真面目に頑張らなくてはとおもいます。




 

2010年7月14日水曜日



  今のボランティア活動は募金を集めたり、活動のマガジンを200円で売ったりするほかに

  古着を集めたりします。

  とりあえずイロイロな車を運転します。 しかもイギリスは車検ないみたいで、

古い車も沢山走ってますし、キツネやウサギ、トラクター、

時には馬も普通に街中を走っています。馬を抜かす時はこっちが緊張します。

今回はいろんな車を運転した経験を書きます。

  まず間違えてはいけないのが、日本で言う軽油はディーゼルと呼ばれていて、

レギュラーガソリンとハイオクはアンリミテッド95、

または97とい呼ばれていること、

アンリミテッド95、97は混ぜても問題はないけど、

もしディーゼル車にガソリン入れたら壊れてしまいます。
 
 だからそれは絶対に駄目、

そしてそれぞれの車で給油口が右だったり左だったりするので、

ガソリンスタンドに入る前にきちんと確認しておかないと、

一端中に入ってしまうとなかなか切り返すのは難しいです。

そしてほとんどの車がマニュアル車なので、たまにオートマチックを運転すると、

左足がクラッチを探してしまって、おかしくなります。

 そしてウィンカーがまた難しい、日本は普通は右だけど、

こっちは右ハンドルなのに、左がウィンカーで右がワイパーになっていたりします。

 「何のため?」って思うけどそうなってるから仕方が無い。
 
ウィンカー出したつもりが、ワイパーが動きます。

特に午前と午後で違う車を運転すると相当戸惑います。

頭でわかっていてもからだは自然に動いてしまいます。

 それでもまだ日本人はましです、イギリスは左側通行で日本と同じだから、

世界で左側通行なのは日本とイギリスとあとアジアにもう一つくらいありました。

でもヨーロッパは圧倒的に右側通行です。

 時々駅まで新しいボランティアの参加者を迎えに行ったりしますが、

みんな助手席に座ろうとして右側のドアに向かいます。

 ドライバーの僕も右側の運転席のドアに向かうので、

 「イギリスは運転席右なんです」

 っていうと、みんな驚くし、その後に学校に着くまでも何か変な感じみたいです。

 「日本も右だから、僕は大丈夫なんです」

 っていうと、みんなそれにもおどろきます。

 そしてイギリスの信号は黄色から赤に変わりますが、

その後に青に変わるときに、一度黄色になります。

だからもし回りに全く車が居ないときに信号が黄色だったら、それは信号が

 赤になる前の黄色なのか、青になる前の黄色なのか一瞬戸惑います。

 でもほとんどの場合は、周りの車の動きで判断できます。

  でもマニュアル車だと、サイドブレーキを引いて信号待ちをしている時など、

黄色で一度知らせてくれると、サイドブレーキをおろしてロー

に入れる時間があるので、気持ちは楽です。
 
 基本的にイギリス人は全くクラクションを鳴らさないので、

少しくらいスタートが遅れてもだれも怒ったりしません。

 オートマチック車なら問題ないけど、マニュアル車だと、

ヨーロッパ出身者は普段は右手でギアを変えているから、それは殆ど不可能になります。

 こないだ運転した古いベンツのワゴンは日本でいうセカンドギア

のところにバックギアがついていて、バックに入れる時はギアに付いているリングを

握ります、そうするとバックに入ります。

 それって外車では普通なのかもしれないけど、相当戸惑いました。




 極めつけは先日にそれぞれの町に置いてある20個のコンテナを

ナビを使って調べながら一日かけて回るときの事です、

 朝一番にその日に回るルートとランチとコーヒーを準備して、

デンマーク人のレベッカと一緒にスタート、ナビに最初に回収に

行くコンテナの郵便番号を打ち込もうとした時、画面が全てスペイン語になっていました。

 前日に運転したエリックはメキシコ人で彼は

スペイン語に設定を変えてしまっていたのです。

 言語以外の設定ならなんとなく画面でわかるけど、

完全にスペイン語の画面は何が何だかわかりません。

 食堂にいたブラジル人のアルツーはスペイン語に似ている

ポルトガル語だから少しわかるということで、20分頑張ってもらいましたが、

今度はナビがドイツ語を話しだしてしまってアルツーも断念、

ドイツ語なら読めるというルイ―スに頑張ってもらったけど、それも結局無理。

 最終的にはデンマーク人のレベッカがドイツ語なら少し理解できる、

ということでとりあえずレベッカがドイツ語のナビを僕に英語で通訳しながら

 一日働くことになりましたが、

普段の倍の時間がかかって恐ろしく疲れた一日になりました。


 

2010年7月11日日曜日

実は優しいイギリス人②



 <写真は車での移動中にいきなり現れたイギリスの墓地の中の
  建物です、あまりの素晴らしさに圧倒されましたが、どこの町にも
  こういった建物が中心にあり、近くに郵便局があり、人々が昔ながら
  の生活をしているのがイギリスです、たまに時間を忘れて見とれてしまいます>

今参加してるプログラムの団体は既に30年くらい続いている老舗の

ボランティアプログラムで、現在は600個もの古着集めのポストを

全国のスーパーとかパブ、商店の駐車場などに置かせてもらっています。

 今週の僕の仕事は古着集めのポスト
(と言っても幅1メートル、奥行きも一メートル、高さも1,5メートルくらいあります)

を飛び込みで

「置かしてください!」

と頼むものです、この仕事はかなり花形の仕事で、

どこの国の人もやりたがる仕事です、その名はズバリ「サイトファインディんグ」
 
チームの中でその仕事を割り当てられることは名誉なことなのです。

もちろん既に置いている場所のサンプルの写真とか広告などを見せながらですが、

正直いって

「置いて良いよ」って言われているのか

「興味無いよ」 って言われているのか

全く英語が聞き取れません。

 14人居るチームでなんでお前が選ばれたの?

 ってことになりますが、何故かは僕にも全くわからない、

おそらくこのプログラムの中では日本人はかなり優秀だという思い込みがあり、

過去の人達は実際に優秀だったようで、

プログラム開始当初の僕の人間性のメッキがはがれる前に先生が任命してくれました。

今は剥がれかけたメッキを張りなおすことに必死です。

最初から純金だったら楽だったのにね。

 ヨーロッパの人達は勝手に日本人は勤勉で良く働く、

と真剣に思っています。不思議です。

 そこでのイギリス人観察を再びレポートしたいと思います。

 日本で飛び込みの営業をすると、おそらくお店の店長は、

営業マンの笑顔が素敵だとか、対応が誠実だからとか、

人柄が良さそうで信頼できそうだから、ということで決めると思います。

 イギリス人はそういうのはあまり重要ではないみたいです。

物凄く眉間にしわを寄せて真剣に僕の説明を聞いてくれます。

それは僕の英語が片言だから、一生懸命に理解しようとしてくれているのです。

話している僕の気持ちとしては

「あ、この人怖い、断るな」

って思ってビビります。

 一通り聞き終わった後で、ゆっくりと腕を組んで、

時には手をあごの下に持ってきて、なにか一生懸命はなしています。

 断ってるのかな? っておもって少し弱気になって聞いていると

「ということは駐車場の奥ではみんなに見えにくいな、

ゴミ箱の横だと間違えてゴミを入れる奴もいるだろう、

道路から見えたほうが良いな、とりあえず一緒に駐車上に行こう」

 流れとしてはそういう会話になっていて、その間に一切笑顔なしです。

「ここならおそらくみんなが古着を入れるだろう」

 と言って、あっさり場所を提供してくれたりします。

 「お前、偉い仕事してるな」

 と真顔で褒められたりします。

 断るときもきちんと考えます。

 「うちの客はおそらく家族よりも圧倒的に男が多い。

だからせっかく置いてもらっても、君の利益になることは少ないと思う、

だから俺は断る、でもお前は良い仕事をしてる、頑張れ、すまんな」

 「あっちにスーーパーは既にビン、カンのリサイクルのポストを置いている、

おそらくあちらのほうが捨てる人は一度にまとめて捨てることができて

便利だと思うから、私は断る」

 とこちらの人間性ではなくて、

それが効率的で実用的なのかどうかを考えて返事をしてくれます。

 だからセールマンの人柄が良いからとりあえずOKしておいて、

後からヤッパリうちのお店向けではないから引き取ってくれる?

 というようなことは少ないと思います。

逆に言えば営業に必要以上の日本人の笑顔は必要ないということでもあります。

逆に「なんでわかってるのかな?」って思われてるかもしれません。

 
お笑い芸人のホッシャンも言ってました。

 先輩に言われて外国で夜中にお酒を買いに行った、

日本人は若く見られるからパスポートをきちんと持って行った、

でもレジにお酒を持っていったら、強面の親父が凄い勢いで話しかけてくる。

 何がいけないのかな?って思ったらその人は大まじめに

「お前、こんなに沢山買って、ポイントカードは作らなくて良いのか?」

と親切で聞いてくれていたらしい。

 それはどこの国の話かはわからないけど、イギリス人にはありえます。

そういう人達です。

2010年7月10日土曜日

シャンプーと言う犬の話⑥(最終回)



<写真はシャンプーを追いかけて我が家までたどり着いた子犬です。優しい表情
 のシャンプーから僕はなぜか強さをもらった気がします>


 その後に僕は一度もシャンプーの子供を見に行ったことは無かったのですが、

途中で気がついたのはシャンプーは育児の手を休めるためにウチにきて

くつろいでいることでした。

一週間くらい経つと少し大きくなったシャンプーの子供達が一匹、

これもまたガリガリに痩せて、シャンプーを探して我が家に来るようになりました。

100Mくらいの距離ですが、よろよろとシャンプーを探して歩いてきます。

 シャンプーからミルクをもらおうと一生懸命にまとわりつきますが、

シャンプーもすでにガリガリでおそらくミルクはでないと思います。

子供も一生懸命ですがシャンプーもどうしようもできない様子でした。

 ただ一生懸命に子供の顔や体を舐めてあげていました。



 ある程度まで大きくなった子供は既に自分で食べ物を探さなければ

バヌアツでは生きていけないし、その能力が無い子供は生き残ることができない

という自然淘汰の中に居るのだと思いました。

優しそうなシャンプーが普通にその掟を理解して子供を甘やかさない姿勢に

僕は少し感動しました。


 そんなシャンプーの子供達も、人間の都合で勝手に犬の欲しい

家に引き取られていって、僕から見たらシャンプーはなんでこんなに

つらい思いをして子供を産んだのかな?

って思ってしまったけど、それはシャンプーにとっては普通の事

なのだとも思いました。

 結局はそういう同情みたいなものは野性の掟の中で生きている

彼女にとっては意味はないし、それをコントロールしようとか

勝手な同情で助けるのは人間のエゴなのだと感じました。

 「金持ちの奥様が自分の犬を愛すような、神様が人間を愛すような、
       そんな愛なら私達は必要ない」
 
バヌアツの図書館にあった本多勝一さんの本に書いてありました。

「ひざまずいて生き延びるくらいなら、自分の足で立ったまま死にたい」

 これは何故かオーシャンズ13の映画の中のセリフだったと思います。
 
バヌアツでの自分のボランティア活動がそういった間違った

姿勢になってないなかったか、これから行くアフリカで自分がそういう風な同情

にたよった「自己満足」なボランティア活動にならないか、

しっかりと考えようと思います。


 僕がバヌアツを去ったのは2009年の一月、それから一年以上たった先日、

協力隊の活動が終わってバヌアツを去ることになった

後輩隊員のヒロがバヌアツから最後のメールとして僕に送ってきたメールに、

追申として

 「シャンプーは今でもおしとやかに頑張っていますよ」

という一文が加えられていました。

 バヌアツ、タンナ島は治安の問題で男性隊員だけ、

僕一人から始まった最終的に5名でした。

その5名の隊員がみんな尊敬して、いつも気にかけていた犬、

それがシャンプーです、過酷な状況のなかで、恋人のスパイダーを失い、

ガリガリになって産んだ子供達も、すぐに人間達に持っていかれてしまった

シャンプー、そんな状況のなかでもおしとやかに、自分のペースで

決して餌の為にだけ生きているのではない彼女の姿勢は、

なぜか僕ら5人の心に訴えるものがありました。

きっと彼女は僕ら5人がどれほど彼女について話し合ったかは知らないし、

そんなことは興味はないのかもしれませんが、

僕ら5人は10年後にあってもやっぱりシャンプーの事は忘れないと思います。

 これがシャンプーと言う犬のお話です。 高貴ということばを犬に使ってよいのか

わかりませんが、彼女こそ本当に高貴な存在なのだと感じました。

 

2010年7月9日金曜日

募金されて感じた事


 
 <写真は町に行く途中のバスから撮ったものです、有名な二階建のオープンバスと
 すれ違いました。>



前回の続きです。

 ロンドンには一週間ほど居ました。

 基本的には休暇で来ているので何をしても自由ですが、ロンドンで募金活動ができるか

を視察したかったこともあり、チャレンジしたのが前回の話です。

 
 ロンドンでビックリしたのが、無印良品とユニクロがロンドンの一等地にあること、

 懐かしかったので入ってみました。

 ユニクロのTシャツ一枚6ポンド(800円)、無印の防水の小物入れがセールで500円

 でした、日本だったらすぐに買います。

 もちろんイギリスでも募金のお金と自分の財布は全く別なので、500円は決して高い

買い物では無いです。 でも買えなかった。

 1000円入れてくれたおじさんとか、50円入れてくれた学生とか、イスラムの人、

 インド人、老人、若い兄ちゃん、ベビーカーの主婦とかみんながの大切なお金

 面識のない僕が単に「たずねた」だけなのに入れてくれたお金、もちろん財布は違うから

 それを買うのは僕の勝手だけど、500円を入れてくれた少年に

 「本当にありがとう」

 って本当にうれしくて笑顔でほほえんだ自分の笑顔が嘘にならない為には、

「必要のない物は買わない!」

 って思えました、ちなみに懺悔するとイギリスでビール二杯飲みました。イングランド対

 ドイツの試合でイングランドが負けたときです、これはパブでみんなで見たし、

 3か月禁酒してたから、これは必要なお金だと思いました。もちろん募金のお金ではなくて

 自分のお金です。

 お水もペットボトルに自分で水道水を入れて持っていくようになりました。

 ちなみにロンドンの水は意外と美味しいです。

  
  もうひとついつも迷うことがあって、

 汚い格好をしていないと、みんな

 「あいつは絶対に募金のお金を生活費にまわす」

 って疑われるし、逆にきれいな格好をしていると

 「あいつは俺達の金で素敵な服を買っている」

 って思われうかもしれないし、ビミョーなレベルの服装が必要だと思います。

 でも基本的には清潔ならそれで大丈夫です。ちなみにイギリスは雨が多いので

 レインコートは必需品です。

 
 イギリス人の友達に

 「なんで募金くれるの?」

 ってきいたら

 「半分はカトリックだし、そういう文化がある、もう一つは植民地支配にたいする

 罪の意識が私達にはある、考え方は世代によって違う」

 「日本人はそういう文化は無いんだよね」

 っていったら、少し嬉しそうな顔をしていましたが、僕の考えでは日本人は

 「もしお金が必要で8時間募金で町に立っているのだったら、

  その8時間をきちんと働いて、まっとうなお金で社会に貢献しなさい、

  いくら自分の活動が正しい事だとしても人からもらったお金で行ったのでは
 
 意味が無い」

 っていう考え方があると思うし、それは僕の中では大賛成な正論だと思ってます。

 僕は学生のビザだからイギリスでは働けないから仕方ないけどね。

 
  まあでも、罪の意識のあるイギリス人が直接アフリカに行かずに、アジア人の僕が

 イギリス人から募金をもらって、アフリカを助ければ結局はイギリス人が間接的に

 アフリカを助けたことになるから、意外と良いかな?

  と勝手に思っています。

 やっぱりイギリス人は直接アフリカに行くことはまだ難しいのかもしれません。

 そういう面では日本人であることは凄く便利です。 だって

 戦争に負けて原爆を落とされた唯一の国であるか、胸を張って平和大切!って言えるし、

 実際に長い事戦争をしていないから、説得力があるし、

海外にでてもみんなきちんと仕事をしているから、信頼されているし、

それでいてみんなきちんと謙虚だから敵が少なく、

 アフリカ人も日本人には恨みは全くなく、しかも車でも家電でも技術はトップだから

 文句の言いようが無いし、なんといっても僕らは偉くなっても偉そうにしないか

 らね、そういう謙虚さの美学が根底にあることってとても大切だと思います。
 
 「稲は実れば実るほど頭を低くする」

 でしたっけ、そういう文化は世界的にとても大事です、

外国人は誰も気がついてくれないからたまに淋しいけどね・・・
 (でも韓国人は気がつ入れくれます、偉いぞ儒教)

 おそらくそういう気持は

 外国人には無いと思います。

 頑張ったから偉そうで良いんだ! って世界では普通です。全くそのとうり!

 って言いたくなるけど、そうじゃない文化があるところが日本の良いところだと

 思います。

 

2010年7月8日木曜日

ロンドンでの募金活動


 
  <写真はロンドンの凄く有名な広場です、みんなが大道芸していました。
 タンクトップの男の人が観客を巻き込んで、僕がイリュージョンを見せます。
 空中を飛んで下の男性にも触れずにチェーンを超えることができます。

 「もしできたら拍手とコインを!」

 と言いだしてから30分くらいマエフリがあって、最初から居る人は
「これだけ待ったから何がおこるのか見ないと」
って思うし、途中からきた人は
「これだけ人が集まっているってことは凄いのだろう」
 という感じで期待するし、
結局はこの男の人は体操か何かをしてるみたいで、手前から踏み切ってひねりを加えた
空中回転で見事に寝ている男の子にも触れずに着地しました。
 でも少し長すぎたみたいで、あまりの一瞬の出来事に
「やっぱりそういうことか、タンクトップの体つきが良いものね」
 ってみんなが納得して、おわりました。お金を集めるところまで見なかったけど
 きっと結構もらっていたと思います >



 ロンドンで募金活動しました、一人で行って、バス停の隣の

 電話ボックスが二台並んでいる横におもむろに折りたたみの椅子を組み立てて

 一分で準備完了!すぐに実行です。セリフは二言!

 「ハロー、ハブ ア ナイスデイ!」 こんにちは 良い一日を!

 日本だったら誰も振り向かないよね。

 でもイギリス人は習慣的に

 「何のチャリチーかな?」

 って確認します、そして興味があるとよってきます。

  そういう人にだけ、僕はボードに張ってあるバヌアツの写真を見せて

 「これは僕です、体育を教えています。11月にアフリカに行きます。

 だからサポートしてください」

 って普通の事を普通に言います。 すると僕の写真をじっくり見てから

 「この写真はあなたじゃないの?」

 って聞いてきます。基本的に僕の英語はいつも全く通じていません。だから

僕は説明したいことは全てボードに張ってあります。 アフリカの地図を見せて

  「ボク、ココ、11月 イク スポーツ オシエル 」

 って言ってニヤッと笑います。
 

 そこでたいてい質問は二つに分かれます。

 「何のスポーツ教えるの?」  「あなたアフリカに戻りたいの?」

 基本的に外国って「体育」っていう科目はあまり一般的では無いです。だから

 ピント来ないみたい。

  アフリカに戻りたいの?っていう質問が一番説明が難しくて、

 「これは南太平洋です(英語でサウス・パシフィック)僕はそこにある

 トンガとかフィジーとかニューカレドニアの近くにあるバヌアツっていう

 国に二年間行っていました、次の目標はアフリカなんです」

 って言います。 みんなの理解度は20%くらいだと思います。

 「ああ、南アフリカに行ってきたのね!」 っていう人も結構います。

 ちなみに僕はいつも偉そうに外国の話をブログに乗っけていますが、
 
 人生の中で英語のテストで100点を取ったことは一度もないし、

 英検を受けたことも一度もないし、トーフルとかそういう感じの英語の検定

 を受けたことも一度もなく、英語力は中三レベルにビシュラマ・イングリッシュ

 というバヌアツの言葉とハワイでアメフトしてたときに覚えた

 「英語が喋れなくても場を持たせるスキル」

 っていうか単に黙って話を聞いてるだけで生き延びています。

 なんで英語の能力を証明するもの何もないのに学生ビザがとれたのかは

 自分でも不思議なのです・・・

 
 「言葉の意味は良く分からんが、とにかく凄い自信だ!」

 っていうセリフが昔に筋肉マンでありましたが、まさにそんな感じだとおもいます。

 ロンドンの人は写真と僕の片言の英語を聞いて

  「じゃあ募金!」

 って言ってお金を入れてくれます、ちなみに僕の仕事は学校の活動のマガジンを

 200円で売ることで、その為のライセンスは持っていますが、募金は他のライセンス

 が居るので基本的には非合法です、でもみんな

 「そのマガジンは要らないけどあなたにお金は渡したい!」

 って言ってくれるので、募金いただいています。

 困るのは子供と学生です。

 本当はもらってはいけないんだけど、子供はみんな僕のボードに興味があって

 見に来るし、基本的に募金してるときってお金の為に挨拶してる訳ではなくて

 単に僕がロンドンの人に「良い一日を!」って言いたいだけだから、

 人を選んで挨拶したくないので、子供にも学生にも挨拶しています。

 すると学生などは戻ってきてお金を入れてくれたりします。

 でもたぶんこれも非合法だと思います。

 でもたとえ20円でも入れてくれようとしている中学生に

 「君からはもらえない」

 って片言の英語で伝えるのが良いのか、それとも

 「本当にありがとう!」 って満面の笑みを返すのが学生にとって良いのか

 って思ったら、100円以下の募金なら罪は無いかな?っておもいますが、

 回りの大人の目が気になります。 

  
 ロンドンで良かったことは彼らは片言の英語に素晴らしく慣れていて、しかも普段

 生活しているHULLという町よりも英語の発音がきれいでした。だから意外と

 会話が成り立ちました。

 全て説明が終わると、もう一度僕の顔を見直してから

 「君の行ってることはたぶんあってるし面白い、ボランティアに行くのに、

 自分でお金を稼いでいるって面白いね。頑張ってね」

 って言って朝の一番に自転車にのった60代くらいのおじさんが1000円

 を箱に入れてくれました。札をもらったことは初めてだったので、相当驚きました。

 「風でお札が飛んだらどうしよう?小銭で飛ばないようにしておかないと・・・」

 ってそんなことばかり考えながら、

 「ロンドン恐るべし!」

 って思いました。

 ちなみにその日は3時間で4000円くらいでした。

 途中で何度かホームレスが寄ってきて僕の募金箱を覗きだしたので、

 怖くなってたいさんしました。 

 次回は募金されてどういうことが自分の中で変わったかを書こうと思います。

2010年7月5日月曜日

シャンプーという犬の話し⑤



 <写真は僕が空気を入れすぎて割れてしまったボールをかぶっている
クリンクリンです。途中まで女の子だと思っていたけど、男の子でした、
声もとても可愛くて、行動も面白くていつも楽しませてくれました>

 シャンプーの様子を心配しながら週週間が経ち、夕方になっても彼女が

現れない日が続いてある日、子供たちがやってきて、

 「ウラ、犬の子供が沢山居るぞ、7匹も居る!」

とみんなで僕のところに報告に来ました。

 「シャンプーはジョンの家に戻ってそこで主産したんだな」

とわかって、少しほっとしたというか、ヤッパリ彼女のなかでは飼い主

はジョンなんだな。 とおもいながら、なんとなく自分の役目は終わった

ような気もしていました。

 子育てが忙しくて、彼女はもう家には来ないだろうというきもちでした。

 

 その二日後、シャンプーが幽霊のようにフラフラと家にやってきました。

 ガリガリに痩せて、毛並みはドス黒く、アバラが丸見え、出産したので

お腹の皮がたるんで、背骨というサオ竹に毛皮のシーツがかけられてるみ

たいに、まさに骨と皮だけになっていました。

 僕の顔を少し懐かしそうに見ると、すでに顔を上にあげることすらおっくうな感じで、

そのまあ家のベランダの一番風の良く通る、

冷たいセメントの上に横になって、ピックリとも動かずに眠ってしまいました。

 僕があわてて冷蔵庫から残り物を持ってきて、

彼女の鼻の前に並べてみましたが、優しい目でちらっと見ただけで、

口にすることはなく、死んでしまったのか?というくらいに静かに眠っていました。

 

2010年7月3日土曜日

シャンプーという犬の話し④



  <写真は2008年、2009年頃に、どういうわけか、タンナ島にボランティア
  として、流されてきたボランティア達です、たぶん僕たちはあそこで一つの時代を
  作ったような気がします。いつもこの5人に優しくいたわられ、そしてこの5人
  を優しい目で眺めていたのがシャンプーでした。 そして写真のように後輩4人は
  良く僕の面倒を見てくれました。みんな写真かってにアップしてゴメンネ!この
  秋には右から2番目に居るヨリが日本に帰国して、僕がいたころの隊員は全員
  タンナ島を去ることになります、俺達良く頑張ったよね!>



その約一ヶ月後、なぜかシャンプーの体は一回り大きくなっていました。

バヌアツは夏真っ盛り、僕は毎日子供達と海に飛び込んであそんでいましたが、

シャンプーはうちの裏庭の手入れされていない木陰の雑草の中に、

埋もれるように毎日いました。

 食欲もなく、あまり動かず、

いつもより大きく息をしているシャンプーは夏バテではなくて、

妊娠しているのだと気がつきました。

 犬につわりがあるのかはわからないけど、お腹は一回り大きくなっても、

もともとが細い体のシャンプーにはとても苦しそうな毎日が続いていました。

 雄犬が守ってくれるわけでもなく、

自分の家よりも安全な僕の家の隅でひたすら苦しそうに横たわっているシャンプは、

すでに食事もあまりとらなくなっていました。

 最初は

「スパイダーのこどもかな?」

 と少し期待しましたが、時期的に見ておそらくそれは期待できないだろうな?

とおもいながらも、あまりにも苦しそうなその姿に、

メス犬の苦労とオス犬のいい加減さに腹をたてながら、

ただ僕はシャンプーの生命力に期待するだけで、

何も助けてあげられない自分にもどかしさを感じながらも、

協力隊の隊員としてのバヌアツでの活動で感じるもどかしさと

同じような気持ちをシャンプーにも感じていました。

 結局は人が人を助けることはできないし、

野生の掟に逆らうことは良い事ではないのかも?
 
 と思いながらも、目の前にいるシャンプーを何とかしてあげたい

気持ちもやはりありました。

 シャンプーは自分が不憫だとは感じていなかったと思うし、

そんな同情は彼女には必要無かったのだと今は感じています。

 可哀そうだとか、惨めだとか言って、中途半端に他人の人生を手助けして、

自己満足することは結局はさらに相手を傷つけることもある。
 
 とバヌアツに2年間居で感じました。

 自分の今まで過ごしてきた人生や文化、習慣にプライドを持てることは、

生活が便利になることよりも大切なことなのだと思います。

日本人の良いところ。


 
 <僕は5月チームですが、写真は3月チームです、デンマークの演劇のコンテストに参加して2週間ぶりに帰ってきた時の写真です。この中だけでも10カ国は居ます、3月チームには日本人はいません>


バヌアツで帰国する前に一人のおばさんに言われた

「浦はバヌアツに何も残せなかったって言ってるみたいだけど、

あなたが自分の洗濯物を

自分で洗って干している姿はとても感心したわよ、あなたにとっては普通の事

かもしれないけど、西洋文化の男の人がそういうことをしているのをみて私達は

うれしかったわ」

 と言われた事があった、そういえばバヌアツに居たころ何度か近所の親父達に

「ウラ、家の嫁が洗濯するからお前しなくて良いよ!」

 って言われた事ありました。僕は別に洗濯は嫌いでは無かったし、

 結構洗濯ものは持っていかれることがあると聞いていたので、その人がせっかく

干してくれてる時に誰かが持って行ってしまったら、責任感じるだろうし、

 やっぱり下着とかお願いするのなんか恥ずかしいし、でも下着だけ自分で洗うと

それもまた変だし、

結局バヌアツの時はパンツとシャツ以外はほとんど洗濯してなかったし、

(基本的に夏だし、サンダルだから靴下ははかないしね)

 ということでいつも断っていました。

 ちなみにバヌアツで女の子が男の子に
 
 「誰があなたの洗濯をしてるの?」

 って聞かれたらそれはきっと

 「彼女居るの?」

 っていう意味だったと記憶しています。 たぶんね・・・

 
 
 先日スウェーデン人のオーサに

 「やっぱりウラとかは日本で健康な食事に対する教育とか受けてるの?」

 って聞かれたけど、ただ母親に出された豆腐とか焼き魚とかお浸しとか

 味噌汁を普通に食べてただけだから、
 
 「そんなの習わないよ、スポーツしてたからサプリメントの事は勉強したけどね」

 ってったら、失望されました。 

なんか食にたいするポスター作って欲しかったみたい。

 和食の評価はヨーロッパでは相当高いです。


 ちなみにイギリス人の友達も、

 「政府が毎日5種類の野菜を食べろって言ってるから頑張って食べてるの」

 って言ってたけど、そんなの政府が言うことなの?

 って少し驚いたし、イギリス人は意外と政府のいうことを素直に聞きます。

 真面目です。

 
  自分の国の人達が意識してない習慣って

他の国の人から見たら評価されることあるんだな?

 って思いました。

 
  今週は天気が良かったので日焼けした僕の腕を見て、イギリス人が

 「良いな、きれいに日焼けして、私達は赤くなるだけだからきれいに焼けないのよね」

 って言われて、そんなこと意識してなかったし、一般的にアジア人は日焼けは嫌いだよ

 って言ったら、「それは知ってるけど、やっぱり日焼けした肌は素敵だと思う」

 って言ってました。

  
 僕からしたら外国の人って髪が薄くなったり白髪が増えてもなんか素敵な感じだけど、

そういうのっておそらく本人達はあまり意識していないような気もします。

 
 ちなみに今の学校には僕とケイタの二人が所属していますが、

二人とも結構頑張っています。

 先日にみんなが

 「ケイタとウラは良く働くしみんながしたがらない仕事でもして偉いね!」

 って話しだしました。そうでしょ!俺達は偉いでしょ!っておもっていたら

 その中の一人が

 「だって彼らは日本人だからだよ」

 って言ってました。

 決して悪い意味では無いです、でもちょっと心の中で

 「日本人だからっていうだけで片づけて欲しくないなー!」

 って思ったけど、やっぱりうれしかったです。

 
 ちなみにこの学校のプログラムの勧誘の話しの時に先生が言っていました。

 日本人は5人がコンタクトを取ってきたら1人は参加してくれる、

 韓国人は20人に一人、

 イタリアなら50人に一人、ポルトガル、フランスは100人くらい、

 ブラジルなら200人。

 だから世界基準は大体80人に一人くらいが来てくれます。だからみんな

できるだけ宣伝してください。
 
 って言ってました。しかも日本人は参加を決めたら絶対にやり遂げる、辞める人は

ほとんど居ない、それも断トツにトップ!

 って言ってました。 まあヨーロッパの人は家が近いから気に入らないとすぐ

 帰っちゃうよね。旅費も安いしビザ要らないしね。

 ちなみに日本からは飛行機だけで16時間、少しくらい学校が辛くても残るよね・・・

 
 もしこのプログラムに興味のある人はメールください

 urablog1974@gmail.com

です、決して僕はお勧めしてませんけど、僕みたいに変わり者の人がいたら

きっとこのプログラムは相当楽しめます。ヨーロッパの人とふれあえるし、

 結構きちんと仕事とか募金活動とかあるから、学校で学ぶよりも深く人間関係が

持てるからね、僕向きです。でも勉強したい人はきちんと留学することを勧めます。

 話しそれましたけど、日本人の評価は素晴らしく、僕達が意識してない事が

結構評価されてますよ!って言うことでした。

ちなみにこちらでもワールドカップの日本チームの評価は高く、

 PKは運だから残念だった、もっと日本の試合が見たかった!

 って言ってくれてます。イングランドも負けてしまったのイギリス人はみんな

「サッカーはもう忘れよう、私達は今はウィンブルドンがある!」

 って言ってました。 ちなみに先週までは誰もテニス見てなかった気がします・・・