2010年3月8日月曜日

バヌアツ最終回

今は1月31日です。1月8日に帰国して三週間が経ちました。最終回を書かないとと思いながらも日本にいると何となく書く気になれず。ダラダラと来てしまいしたが、ブログを今までブログを読んでいただいた方にきちんと挨拶をと思い最終回を書こうと思います。
となんか日本で書くと文面まで固くなりますねー!

バヌアツからシドニーで3時間の乗継をして、成田に着きました。15時間ほどでバヌアツから日本に到着、2年間こんなに遠く感じていたところにこんなにあっさり着いてしまうとはというのが正直な感想です。
バヌアツに持っていった靴4足はすべて日本で履けるレベルではなかったのでサンダルに靴下を履き。
バヌアツから持ってきたすべての長そでと長ズボンを朝の7時の成田空港で着込みました。
荷物を宅急便で実家におくって一緒に戻ってきた同期と別れて一人で成田エキスプレスに乗って新宿に向かう途中、千葉の田園と寒そうな外の景色を見ながら。
「オー!ジャパン!愛すべきわが故郷!」
と思ったのかどうかは三週間前だったので忘れてしまいましたが。帰りの飛行機の中でカンタス航空の人達に朝の4時に起こされてスクランブルエッグとクロワッサンを食べさせらて、自ら無理してコーヒーの2杯も飲んだので、なんか胃の中がおかしかったのは覚えています。

日本について最初に何食べた?とみんながきくので書きますが。それは母親の作ってくれたウドンでした。
本当はずっとJRの立ち食いソバを食べようと帰国前から心に誓っていたのだけれど早朝のスクランブルエッグで胃袋が時差ボケで食べる気が起らず、とりあえず家に戻りました。
2年ぶりに会った母親は最初は少し老けたかな?って思ったけど、それは朝早くて僕に起こされて寝起きだったからで、午後には2年前に別れた時と同じ顔に戻ってました。
っていうかみんな2年前と全くと言ってよいほど変わっていなかったです。それが驚き!人の顔って変わらないなー!というのが実感です。ちなみに僕は日焼けしてたので少し変わってました。

そして少しだけ寝てから母親に「蕎麦食べたい」っていったら蕎麦がなかったみたいで、出てきたのがうどん
でした。でもやっぱり美味かった。きれいに刻んである白菜やニンジン、シメジ、豚肉も素敵でした。
「やっぱりダシ文化は素晴らしい、親というものはありがたい」
とおもいましたが、なんか具だけみるとチャンポンにも見えました。でもおいしかったです。
母親の一言は
「ブログ見てたからあんまり2年間離れて感じがしないねー」
でした、このブログ役に立ちました。

話は戻って成田で感じたことは、行き違う人がみんな挨拶してくれないなー!ということでしたが。
なりた到着して10分くらいして気がついたことは、これだけ人が多かったらすれ違う人全員に挨拶してたら
生活が成り立たないからそれは当り前だ!というとでした。バヌアツの大自然のなかで、それぞれ一人で歩いていたときに出会った感動は、日本では無いことだろうな、と感じます。
それぞれの国にはそれぞれの生活のスタイルにあわせた相手に対する尊敬の表わし方があるものなのだと納得しました。
JRのホームで駅員さんが慌てて階段を駆け上がってきたと思ったら、道を聞いたお客さんに快速と急行で
乗り換えが難しいので気を付けてください。と親切に説明しているのをみて。
「やはり日本人というのは律儀で素敵だ!」
とも感じました。

不景気、不景気というので町は世紀末のようになっているのかな?って思っていたら意外と何も変わって
なかったしね。ネズミ食べてるバヌアツの人が見たら何が不景気なのかな?雇用削減っていっても全員無職な
バヌアツ人は何のことかわからないだろうな?
なんて思いました。ちなみにバヌアツの人はネズミは食べるものがなくて食べているのではなくて、なんとなく居るから捕まえて食べてるみたいです。

お寿司は食べたくて帰国後三日目に一人で回転寿司に入りました。サーモンとエンガワがおいしかったです。

帰国後3日ですべてが日本モードに切り替わりました。結構あっという間でした。
ウィンドウズのアップデートくらい早かったです。ウィンドウズ95だったのがXPくらいのレベルにはなりました。

病気で療養中の父親も僕の帰りを待ってくれていました。すでに結婚している姉も電話をくれました。
家族と同じ国にいることは安心するものだなー!とも感じます。

一年半前にブログが始まったころに言われた事は、
協力隊でバヌアツに配属が決まった人が、インターネットでバヌアツを調べるとマラリアがあるとか、人食い人種だなどと書いてあるので、辞退する人が多い、そういった間違った情報が先行しないように、現地で活動している隊員がブログを書くことが一番効果がある。
ということでした。そういえばぼくも派遣前はそういった情報に踊らされていたなー!
今思えばこの2年間マラリアになった隊員は一人もいなかったし、現地の人に捕らわれて食われた隊員もいなかったなー! などと笑ってしまいます。
そしてここで一つ懺悔があります。
100かいくらいブログを書いていて、一度だけ嘘を書いたことがあります。それは
「もう何も欲しがりません」
という題名だったと思います。
僕がマーケットであった現地の人に山奥に連れて行かれて食われそうになって必死に逃げて帰ってくる。
という内容だったのですが、僕は何を思ったのかその一回だけ妄想が止まらずに嘘を書きました。
帰国後に親戚の人から連絡があって、
「帰国したらあの内容が本当なのか本人に聞いてくれ」
と近所の人に言われてたんだけど・・・
ということでした。あれは嘘です。自分の中ではあれは三部作になっていて、コウモリの話と牛タンの話を
書いてる内になんかこの流れで面白いのが書けそう!って勝手に妄想してしまいました。

あの一通は嘘です、ゴメンナサイ・・・(コウモリと牛タンは本当です)

ブログを書いて良かったことは自分の気持ちの中でバヌアツの派遣が決まった人が来たくなるようなブログ、という気持ちが働いていたのと、これはジャイカの公式なブログなのだから、いい加減なことは書けないのだ!
という気持ちがあったおかげで、文章がとても前向きになって、書いているうちに自分の気持ちが整理できて
それを読み直すうちに、自分の活動も前向きになっていったことだと思います。
もし個人で管理するブログであったら、もう少し愚痴が連なっていたかも知れません。

活動に迷って軌道修正したいときに過去のブログを読み返すことがよくありました。
ブログの中には前向きな自分の姿が描かれており、読んでいるうちに心のブレが修正されていったこともあった
のかもしれません。また協力隊の隊員なのだ。というプライドが文章の中に反映されていたのかなー?
と帰国して読み返してみて感じることもあります。バヌアツが僕という人間を輝かせてくれていたのではないのかな?と感じます。日本の自分も輝かないとね・・・

とこれが日本にもどって三週間の隊員の心境です。
「今後個人的にブログを書かないの?」
って聞いてくれる人もいますが。今のところ考えていません。このブログも僕がメールとして首都の事務所に
送ったものを担当調整員がアップしてくれていたので、僕はアウトルックに書いていただけだったので。ブログの作り方もしらないしね。

今後はしばらく日本で教員をしたいなー!って思って就職活動中です。人生で初めて教員のまねごとみたいなことを2年間やらしてもらって気がついたことは、教育って今すぐに結果が見えるわけではなくって10年後とか20年後にジワーッと教え子の記憶の中にその先生から教わったことがにじみ出てくるのではないかな?ということです。協力隊の活動もおなじで、今の僕は2年前とは変わってないけど、10年くらいしたらなんとなくにじみ出るものだと思います。
半年、1年先の学力の向上は塾の先生に任せて、教員は10年先に効き目が出てくれば良いのかな?なんて思います。まあそんな呑気なことを言えるのは僕の専門が体育だからだとは思いますが・・・・

とこんな感じで最終回は終わりたいと思います。ブログに関する感謝の気持ちを述べだすときりがないので
一人に絞ると、バヌアツ事務所の調整員さま僕をワールドレポーターに選んでくれたことも、わけのわからない文章でもOKを出してくれたこともとても感謝しています。

青年海外協力隊 18年度2次隊 体育だった 浦 輝大

爽やかすぎる二人


「ウラー!僕らの写真を撮ってくれよー」

っていうので、

「OK!ワン!ツー!スリー!」 

で写真を撮りました。
 
 デジカメなので、画像を見せてあげようと思って僕がカメラを二

人に見せるより先に

「ウラ、サンキュー!」

って行って全力疾走でどこかに走り去って行きました。
 
写真の意味わかってるのかな?って思いながらもあまりにも爽

やかな2人に驚かされました。

そのときの写真がこれです。右がお隣のクウィンティル、左がモシ

スです。僕はあまりにも早い展開に1人で取り残されて苦笑い

しました。
 
 

体育は重要じゃなかった


2年間の巡回指導が終わって今は首都で帰国の準備をしなが

ら、この2年間を振り返っています。
 
 自分の2年間の活動には悔いも後悔もありません。もしもう一度

2年前からやり直し!っていわれても同じように悩み、同じように苦

しみ、そして楽しみたいと思います。

 タンナを出発した時の事はまた今度書きますが、現在タンナ島の

家を引き払って首都で帰国準備をしながら、時々パソコンでタンナ

の写真を見たりして寂しく思うことがあります。

 そして最近になって大きく胸に響いてきた言葉があります。2学

期に巡回していたポートレゾリューションのラッキン校長に言われた

言葉で、別れの挨拶で僕が

「僕の仕事は体育の価値を広める事で、巡回指導で今はみんな

体育の価値がわかったでしょ、僕はタンナ全体に体育を広めるのが

仕事だから、次の学期は他の学校へ巡回にいかなければならない

んだよ」
 
という僕のお別れの挨拶に

「ウラ、何でもう巡回指導に着れくれなくなるんだ、もちろん体育は

重要だけどそれ以上に、お前が毎週学校に来てくれて会えること

のほうが俺たちには重要なんだ」

といわれた言葉です。
 
 また3学期に教えていたイキティの子供にも帰国の挨拶と僕には

後任が来るので彼が仕事を引き継ぐから大丈夫だよ、といった時に

「ウラ、俺たちはお前に会いたいだけなんだ」

と言ってもらえたことです。

そんなこと言われたら、いつまで経っても体育は広がらないし、技術

移転だって出来ないでしょ!

 ってそのときは思ったけど、全てが終わって今考えたら、そこが日

本人としての僕の悪いところだったのかな?とも感じます。
 
 仕事の為には自分を犠牲にすることは日本では美徳だけど、バ

ヌアツの人はそうは思って居なかったと思います。

 なぜウラは仕事を優先させているのかな?体育なんかよりも人と

してもっと大切なものがあるのじゃないかな?

 と思っていたのかもしれません。そこがわかっていずに、仕事優先

に生活している僕は不思議な存在だったのかもしれないです。

 全てが終わって思えば仕事なんて、体育の普及でも、青少年活

動でも、村おこしをする村落開発普及でもなんでも良かったのかも

しれません。

仕事の肩書きよりもウラっていう自分をもっとアピールして、もっと自

分らしく振舞う事をするべきだったのかも知れません。

 そこが日本人の苦手なところでもあり、自分の悪かったところなの

かな?とも感じます。

 僕はボランティアという立場だし、州全体の体育の普及なのだか

ら公私混同しないで、全ての人に平等な立場で接するべきだとい

う気持ちが根底にありました、

でもやっぱり

「俺たちはお前に会いたいだけなんだ」

って言ってもらえてことは一生の宝だと感じます。

もちろん公私混同しない僕のスタイルを評価してくれる人も沢山居

ました。でも仕事の量以外に人として評価してもらえたことは心の

財産になると思います。
 
 今までの人生でそういう価値観を知っていたとしてもこんなに強く

感じたことはなかったと思います。バヌアツで教わった一番大きなこ

とだと思います。

今は僕にそのことを教えてくれたバヌアツの人たちに感謝しています。

来年からは日本社会です。色々と悩むだろうけど、この経験は

決して忘れてはいけないと感じます。
 
 写真は黄色いシャツなのでフランス語学校の4年生です。

 英語学校はブルーのシャツを着ています。 

 一年生から4年生までフランス語にいて、その後に英語に転校す

る子供が結構います。先に英語から習うと、フランス語は難しくて物にならないそうです

あっさりだった最終日


タンナ島の最終日のことを書きます。

期待に反して意外とあっさりでした。僕がタンナを後にしたのは

12月6日です、その次の週から首都でバヌアツの協力隊員全

員参加の隊員総会があったので、それにあわせてバヌアツ出

国の一月七日よりも一ヶ月も早めに上京しました。

すでに11月末で学校も終わっていたので、仕事もなく、

お世話になった先生たちもあっという間に自分の地元へと散ら

ばっていきました。
 
 なので公務員の多いウチの村は意外と静かで、僕が日本に

帰ると行っても、「クリスマスだけでしょ!」

って思っている人が多かったみたいです。そして総会の為に他

の協力隊員4名と一緒に飛行機に乗ったこともあり、空港で

会った人達も休暇で首都に行くだけだと思っていたみたいです。
 
 飛行機に乗ってからの僕の気持ちを結構あっさりで、

「アー、これがタンナ島を見る最後なんだなー!」

なんて思いながらも、飛行機の席が通路側だったので、特に

自分の世界に入ることもなく、そのまま飛び立ってしまいまし

た。 

 それが僕のタンナ島最終日でした。
 
 いらない洋服は綺麗なものは高校の校長のドネルに島を経

つ朝に持って行きました。

 少し汚い服や靴などは僕が隊員としてタンナにきて巡回指

導を始めたときに、問題児の多かったコーナースクールの7,8

年生で常に気を使って僕を助けてくれたタイヨウ少年に託しま

した。

 彼はすでに小学校を卒業して中学校に通っていたので今年

は直接授業をすることはなかったのですが、個人的にずっと友

達だったし、洋服を上げても周りの人に自慢するような子では

ないので、無理やりに押し付けてきました。

きっと今頃は6人いる男兄弟で分け合ってくれていると思います。

 ガレージセールで村人に売るという方法もありましたが、自分

がタンナ島でお世話になった道具達が買われていくのは寂しい

きがしたので、2人の人に絞ってゆずる事にしました。みんなに

配らなかったのは、あげれた人とそうでなかった人が出来てしま

う事がイヤだった事と、みんなが家の殺到する事が怖かったこと

と、そのときにしなればならない別れの挨拶が苦手だった事もあ

ります。そのかわりに写真は50枚ほどプリントしてみんなに配り

ました。
 
 冷蔵庫やその他の雑貨は後任のヨリ君に譲り、首都には30

キロほどで上がりました。冬服はないので日本に戻ったら大変

だと思いますが、荷物はなるべく少なくして帰国しようと思います。

 それがタンナ島の最終日でした。感動の涙はなかったけど、

島を最後にする時はなんとなく誇らしげな気持ちになりました。

「出来ないながらもよく頑張ったなー!」というのが正直な気持

ちです。

 残り一ヶ月は首都での活動の報告、表敬訪問、最終レポー

トなどで終わりです。ブログの内容も落ちも何もなくあっさりして

いてごめんなさい・・・・ 
 
 写真のテーマは「夕日と少年」いつの間にか子供達は僕より

逆立ち上手になりました!
 

妊娠していますか?


昨年に巡回していたラムカエル小学校には、メリーと

ベティーという女性の先生がいて、2人とも体育には凄

く協力的で良い先生でした。

男子対女子でドッチボールをやっているとどうしても劣

勢になってしまう女子チームを助けます。
 
 優位に立って調子に乗っている男子に容赦なくボー

ルをぶつけていきます。子供の頃から木の枝を投げてマ

ンゴーを落としたり、犬を追い払ったりしているのでコン

トロールは素晴らしく、形勢は一気に逆転して男子生

徒は狭いコートに逃げ惑います。
 
 外野に入ると他の女子生徒から

「ギブ!」

といってボールを取り上げます。女子生徒の仕事は拾

ってきたボールを2人の先生に渡すことになりおかしな

チームワークが成り立ちますが、そうやって先生の役に

立てることがうれしいみたいで、率先してボールを拾います。

2人の先生がいままで自分たちを苦しめた男子生徒を

撃退することに声援を送ります。

 僕の目標とする技術移転の形とは少し違うけど、ま

あ授業に参加してくれてるしこれはこれで良いのかな

 などと考えていましたが、今年になって2人に会うと、

二人ともまだ0歳くらいの子供を抱いています。

ってことは昨年は2人とも妊娠していたということです。 

 バヌアツの女性は結婚するとアイランドドレスというか

らだのラインが見えない頭からスッポリかぶるドレスを着

るので、妊娠しているかどうかわかりにくいです。
 
 「一緒にグランドに出て授業をして欲しい」

 と尋ねたところ

「妊娠しているから無理」

 と嫌な顔をされることもあるし、

おなかが目立って大変そうなので、妊娠しているなら

無理に授業に参加しなくても良いよといったら、

「妊娠はしていませんけど!」

と嫌な顔をされることもあるし、女性の先生の扱いは子

供以上に難しい事があります。


しかもバヌアツは妊娠することはそれほど珍しいことで

はないので日本みたいにオメデトウとかは言わないです。

 世間話の中で

「妊娠してるの?」

 って聞いたところ

「今、妊娠してるかどうかなんて私にもわからないわ」

と少し意味ありげなほほえみと共に言われて戸惑った事もありました。

20歳から40歳までの間に10人近く子供を産む人も

多いのでそういう感覚なのかもしれないけど、

僕にはよくわからない感覚です。 女性だったらそういう

感覚わかるのかな?

 でももし妊娠してるの?って尋ねて
 
 「ウラ、私に妊娠して欲しいの?」

って答えられたら新たな展開がうまれてしまいそうなので、

色々な意味で相手を選んで聞かなくてはと思います。
 
 写真中央でグリーンのシャツを着ているのがベティー

先生で、その左はキンディーに通っている娘さんです。

キンディーの集会の時の写真です。

ピクニック!


「 ピクニック!ピクニック!

ユーミー ゴー ロング ピクニック! 」

 バヌアツの公用語のビシュラマでは英語でいう

WE (私たち) は YUMI (あなたと私)

になります。 「ロング」 というのは前置詞の

TO なので、上の歌詞の海は

「さあ、俺達ピクニックに行こう!」

 というかんじです。
 
 11月の二週目に年度末のテストが終わって

三週目はピクニックに行きます、4週目は終業式

です、それぞれ1週間もしないでしょ!って思うけ

ど、それがバヌアツ流です。

残りの4日は何もしなくてもそれは良いのです。

今週はピクニックウィーク、来週は終業式ウィーク

 なのです。

クラスごとに行きます、今日は4年生です。

1、とりあえず泳ぎます。

2、岩から飛び込みます。

3、水をかけ合います。

4、砂浜から助走をつけて全力疾走して波打ち 
  際で空中前転をします。

5、水中で友達の背中の上に立ってそのままジャ  
  ンプします。

6、沖にある足の付く岩まで遠泳します。

7、砂浜での逆立ち大会が始まります。

8、女子と男子に分かれて水中で石を集めて山 
  を作ります、お互いに相手の山から岩を取り
  合ったりします。
 
9、11時に先生に呼ばれて昼食になります。ラッ  
  プラップとご飯、ツナ缶などをミックスしたぶっか
  けご飯を平らげ、ココナッツジュースを飲んで、
  パパイヤを食べてそのまま海に飛び込みます。
 
 昼食は1時半にもう一セットあって、午前中に

残ったご飯とバナナ、パイナップルが用意されてい

ます。食事以外のときはほとんど海に入りっぱな 
 
しです。

 5時頃になっても日差しはキツイので男子は同

じペースで泳ぎ回りますが、先生とお手伝いの女

子生徒達が食事に使ったお鍋やお皿を海で洗

い終わると解散になります。

 「ピクニック!ピクニック! ユーミー ゴー

  ロング ピクニック!」
 
  世界一綺麗な夕日を浴びながら

  それぞれの家へと散らばって行きます。

早かった二年間


2年間の巡回指導とワークショップも無事に終わり、マレ

クラ島の帰りに首都に寄った時に買い物に行きました。

夏に向かいつつあるバヌアツでクリスマスセールに向けての

棚の配置換えやデコレーションが行われているのを見ると

季節の感覚がおかしくなりますが、買い物をしながらスポー

ツ用品などを見て、新しい授業の発想が浮かぶことは良く

あります。
 
 たとえば高学年のキックベースに丁度良いのは3号級の

サッカーボールだし、フラフープは単に手に持って子供にくぐ

らすだけでも低学年は喜ぶし。

 やわらかいスポンジのようなボールは低学年に最初にドッ

チボールを教える時に恐怖心無くてよかったりします。

いきなりバレーボールを使うとまだ3頭身くらいの低学年は

顔面にボールが当たる可能性が三分の一と高いです。

 今回見てて興味を引かれたのはネットボールというバスケ

ットのような感じで、少しだけ違うという競技のボールで、

結構丈夫そうだし、滑りにくそうで良い感じでした。

 値段も1200円とお手ごろです。
 
 低学年用に買おうかな?っておもったけど、よく考えてみ

たら来年の授業が始まるのは2月からで僕は1月に帰国

するからいつ使うの?

 って気が付いてしまいました。

「ウーン、この気持ちはちょっと切ないなー!」

クリスマスセールのお店の中で真剣にボールを見つめなが

ら思いをめぐらしている自分はおかしいな客だと気が付くま

でに結構時間が経ってしまいました。

でもあのボールがあったら結構面白い授業が出来るだろう

なー。子供喜ぶだろうなー、猿みたいに両足で飛び跳ね

て、手を叩きながら「キャッ!キャッ!」って奇声を上げてく

れるだろうなー!そのときはきっと鼻水全快だろうなー!

もうあの姿はみれないんだなー!

と往生際の悪い事を考えたしたが、買わずに帰ってきました。

振り返れば本当に楽しかった2年間だったと思います。
 

ついに本物ジェットリーへ


8ヶ月ぶりにマレクラ島に出張に行きました。

道路に左側を歩いていると、逆斜線を歩いていた小4くら

いの3人組が、僕の20メートルくらい前方で明らかに不自

然な道路横断をしてから僕の前をすれ違います。

バヌアツ人はみんな眉毛で挨拶するので、軽く挨拶したら

「やっぱりお前は!」

という一言が!
 
 「覚えていたか、俺だよ、ジェット・リーの弟だよ!」

三人組みは少し緊張して言葉が出ないようだったので

「よし、再会を祝してもう一度握手しよう!」

と言う事で握手しました。

 前回マレクラに来た時に少し生意気そうな子供たちに

言う事を聞かせようとしたのかどうかは忘れましたが、俺は

ジェット・リーの弟だ!と言っていたのです。

そのときのブログは

「なんちゃってジェット・リー」

という題でアップされています。もし時間の許す方はあまり

期待しないで読んで見てください・・・

 その後彼らの小学校に赴任しているトモミ隊員から学校

に遊びに来て欲しいとのリクエストをもらい、正式に学校に

遊びに行きました。

 すでにそのときには僕はジェット・リーの弟ではなく

ジェット・リー本人に昇格していて。子供はみんな

「ジェット・リーが来た!」

と騒いでくれました。

町で会っても

「ジェット・リー」

と言って手を振ってくれます。

10月は少し体調が悪くて髪の毛切るの忘れてましたが

こんな事になるなら出張前にチャンとジェット・リーっぽく髪

の毛を切っておくべきだった。と後悔しながらも、インチキカ

ンフーと逆立ちで本物になりきって来ました。

ブログの場をお借りしてマレクラの子供達と本物のジェット・

リーさんに懺悔します・・・・

写真はワークショップの時のものです。なれない講義なので

緊張して変な汗をかいています・・・・
 

自己ベスト


ワークショップで色々な島に行って久しぶりにタンナに戻っ

てきたら、すっかり夏が来ていました。

 植物はグングンそだって、気温も頭痛がするほど高くなっ

てます。昼間に部屋で本を読むことも出来ないくらい暑く

なってました。
 
 これは海の解禁日だとおもって今週はすでに2回も泳ぎ

ました。すでにバヌアツは3学期も大詰めで年度末のテス

トが行われているので、体育の授業はまったく無しです。

僕の協力隊としての仕事はあっけなく終わってしまいました。


と言う事で今日は今週三回目の海となります。

海は今週に入って凄く穏やかです。

1人でバイクで丘を下ると子供達がすでに集まっていました。

僕がスノーケルとフィンをつけるのを面白そうに見ています。

といっても子供もスノーケルを持っているので珍しいわけで

はなく、彼らはすでに何時間も泳いで退屈しているだけで

す。

 そのままバサバサ穏やかな海に入って珊瑚のある100

m位先まで軍手をはめるのに戸惑いながら泳ぎます。

子供達が見ている前でフィンをつけるのはカッコよいけど軍

手をはめるのはかっこ悪い気がするので、軍手はポケットに

しまっておいて泳ぎだしてからつけます。
 
 すでに海底には黒鯛みたいな魚やカラフルなリーフフィッ

シュが泳いでいます。
 
 サンゴについて早速貝をさがします。子供たちは普段パ

チンコとして使っているゴムを改造してモリのようなものを作

って魚を突いていますが。広いサンゴの中を泳いでいる魚

はそんなにトロくはなく、あまり魚を突いているところは見た

ことはありません。
 
 潜っていると早速トロッカという貝を見つけました。

その後に表面の滑らかな巻貝を二つ見つけて、その後に

角のあるような巻貝を同じサンゴの穴の中から二つ一緒に

見つけました。
 
 やっと見つけたサザエは掴んだ瞬間に中からヤドカリみた

いなのが海底に向かって脱出していきました。残念でし

た。

 その後に見つけた本物のサザエは穴に綺麗に挟まってい

て、穴の中ではコトコト動くけど、引っ張り出す事は出来

なくて、3分粘って諦めました。鉄筋の棒を20センチくらい

に切ったものか、鉄のヤスリを持っていれば多分引っ張り出

せたと思います。
 
 まだ夏の初めでみんなが潜ってないからかもしれません

が、こんなハイペースで取れてよいのか?と言うくらいに

色々な貝が見つかりました。もっと探したかったけどポケット

が一杯になってこれ以上入れるとウッカリ落としてしまいそう

な気がしたので、岸に上がりました。
 
 浜で自慢げに次々とポケットから貝を出して子供に見せ

ると

「ウラ、トロッカ捕ったら警察に捕まるぞ!」

 と教えられました。なにやらボタンを作る為にみんなが取

りすぎて、捕るの禁止されてるみたいです。

 それにしても20分でこれだけ取れたのは始めてでした。

最高記録です。

 ポケットに満杯にして岸に戻る時に泳ぎながらオシッコし

たので、海パンを通して少しだけ僕のオシッコが貝にしみこ

んだかも知れないけど、貝は1人で食べても美味しくない

ので明日の金曜日に他の隊員が遊びに来たら焚き火で

焼いて食べようと思い今は塩水につけてます。ブログがアッ

プされる頃にはみんな食べ終わってるから問題無しです!

みんなの喜ぶ顔が目に浮かびます・・・・・
 
 

耳かき、孫の手、はえたたき


最近は帰国前と言う心の緩みもあって子供が家の中

に入ってくるのを少しだけ認めてしまっています。

 最初はベランダをホウキで掃いていると、隣のティンティ

ナやアーテル(小2と小3)などがきて

「ウラ、私がやってあげる!」

 とホウキを取り上げられます。

1人に貸すともう一人も欲しがるので、ホウキを二本貸し

ます、するとサブリナとジンもきて、仕方が無いので、手で

使う小さなホウキを渡します。

 それで家の中のソファーの裏側のくもの巣なんかを綺麗

にしてもらいます。
 
そこに、それぞれの女の子たちの兄弟のクレガー、サック、

クウィンティル、ナッシー、などが合流してきてしまいます。
 
 すでにお姉さん達が我が家に侵入しているので

「今日はウラの家は解禁日みたいだ見たいだ!」

 と勝手に決め込んで少しずつ家の中へと進出してきます。
こちらもどうせ暇なので、まあ良いかと思ってデジカメや財

布などは高いところにおいて見えないようにして、みんな

を招き入れます。

 みんなは僕の家の張ってある近所の子供や自分の写

真ジャイカのカレンダーなどをみて色々と質問してきます。

 その後にジンが

「ウラこれはなに?」

「それは耳掻きといってそれで耳の中を掃除するんだよ」

みんなが驚きながら感心します。

「これは?」

「それは料理に使うんだよね!」

「違うよ、これは背中をかくもの?」
 
「どうやって?」

「こうやって!」
 
「ガーラ!これは凄いなー!」
 
「じゃあこれは?」

「それでハエを殺すんだよ、やってごらん」

「オレ!オレ!オレ!」
 
 と取り合いになります。

「これは?」
 
「それは頭につける懐中電灯だよ、夜中にブッシュトイレに行っても両手が使えるでしょ!」
 
「これは?アッ!これは知ってる、こないだの授業のときに
これを持って走ったやつだよね!」

「よく覚えてたねー!それはバトンって言うんだよ」

「この小さなサンダルは誰の?」
 
「これは小人のだよ!」

といって、人差し指と中指でテケテケテケー!と言いなが

ら走るしぐさをすると、「ガーッラ!」口を大きく開けてビック

リしていました。

その後に子供達みんなでテーブルの上でテケテケテケー

と真似をしていました。

「もう片方は何処に言ったの?」
 
「もう片方はなくしちゃったけど、もう小人は居ないから
片方だけで大丈夫!」
 
「どこに行ったの?」

「大きくなって今はジンくらいになったよ!」
 
「へー!」 

とまた大きく口をあけて驚いていました。
 
 結局はみんなに物色されて、最初よりも部屋の中は

ゴチャゴチャになります。
 
 綺麗にしたはずのテーブルも、食器や大工道具、食料

品、本、トイレットペーパーなどが大きさ別に並べられてい

るので、意味がわからなくなります。

 まあそれでも子供達は僕の手伝いができて満足してく

れるのなら良いかなー!

 って思って見ています。
 
 最近は夕方に料理をしているといつの間にか後ろに子

供が立っていることがあるので驚きます。こちらはほとんど

が薪なのでガスを使って料理をしているのが面白いみた

いです。

子供達は本当に純粋で可愛いです。 
 
写真は左から サブリナ、ジン、ティンティナ、アーテルです。

なんちゃってジェットリー


タンナ島を離れてマレクラとうでのワークショップの時の事

休み時間に子供と一緒に逆立ちなどをしていると、ちょっ

と生意気そうな子供が

「お前はカンフーできるのか?ブルースリー知ってるのか?

会ったことあるのか?」

と聞いていたので、

「ブルースリーは死んだからあったこと無いけど、ジェット・リ

ーは知ってるよ、なんといってもジェット・リーは俺のお兄さ

んだからね」

 というとみんなの目つきが変わりました。

「ってことは、お前はジェット・リーの弟なのか」

「そうだよ、兄貴は映画スターになって、俺は体育の先生になったんだ、だから顔が似てるでしょ!」


 僕の顔は人類を5分割くらいにするとジェット・リーの部

類に入ります。ジャッキー・チェンやブルー・スリーよりはジェ

ット・リー寄りだと思います。

「スイマセン、話を整理すると、あなたは日本人でジェッ
ト・リーも日本人ですか?」

「もともと日本に居たんだけど、兄貴は今は中国だよ」

「何人兄弟ですか?」

「5人だけど、残りの三人は女だよ」

「スッゲー!、本物の弟だ、これは大変だお前らみんなを

呼んで来い!

スイマセン、とりあえず僕から握手をお願いします。」

その後にきれいな列が僕の前にできて、男の子達が順

番に握手してきます。ちょっとお辞儀をするようにして、両

手で握手してきます。

 そして握手が終わった子供同士でみんなでカンフーごっ

こが始まります。

 「スイマセン、もう一度逆立ちしてもらっても良いですか」

「仕方ないなー、少しだけなら良いけどお前らもやるんだぞ!」

「もちろんです」

と言う感じで、20分ほどの休憩時間が盛り上がりました。
 
 もちろんタンナではそういう嘘はつきません。だってそん

なことしたら島中から人が集まってくるからね。

 出張先ならではの出来事でした。
 
 ちなみにタンナ島には名前がジェットリーという高校生が

居ます。体育大会の時にみんなが呼んでいました。

 ジェット・リーなんだけどね・・・・
 

幸せは自分が決める


飛び石連休の合間や学校の予算を作る為にPTAを呼んで食

事を作ってみんなに売るファウンドレイジングなどが行われる時

は、先生達は授業をしないことが多いです。

 「来週は飛び石連休だけど、学校はあるの?」

と聞くと、

「ある、私たちはいい加減な事はしないからきちんと授業をする!」

といわれます。しかし行ってみると、半分くらいの先生達は日陰

でおしゃべりをしていて、子供たちは教室の中で黒板を写してい

たり、教室にテレビを持ち込んで映画を見ていたりしています。
 
そして、たくさんの子供達が学校に来ていません。

 先生達の言い訳は、子供がきちんとこないから授業をしてしま

うと、同じことを二回繰り返す事になる。と言う事なのかも知れません。
 50名くらいの生徒が居る学年でも、20名くらいになることもあります。

体育の授業の計画は変更になります。

 コーンやボールなどを借りようと思っても、鍵を持っている先生

が今日は来ていないから、今日は使えない。と言う事にもなります。
 
 そんな中でもきちんと授業を行う事が大切だと思って自分で学

年ごとに子供を呼んで授業をします。

 暇な他の学年の子供達が見物に来て冷やかします。

そしてドッチボールや鬼ごっこに勝手にはいってきたりもします。

 授業を受けなくてはいけない子供は面倒になると、日陰で休

んだり、水を飲みに行ったりします。

 もともと学校に来ているだけでも偉いと思われ居るので、途中

で抜けても、家に戻っても罪悪感は無いようです。

 子供の集中力は落ちるし、授業は上手く行きません。

やはり僕もイライラします。

 それでもここで頑張って授業を続ける事が先生達にいつか伝わるのだと頑張ります。

 でも途中で疑問が沸いてきます。

 自給自足が成り立っているバヌアツでは、働きすぎる事を良く

ないとする文化があることも確かです。働きすぎると

「あいつはビジネスマンだ」

という言われ方をされます。ビジネスマンと言う言葉にはお金にこ

とばかり考えていて、自分たちの大切なカスタムを忘れている。

 という皮肉がこもっています。しかし逆にキリスト教徒が多いバ

ヌアツではなにかセレモニーがあると。偉い人たちが

「我々の未来、我々の子供の為に今何ができるか考えよう!、

スクールフィーをきちんと払って、全ての子供たちにきちんとユニフ

ォームを着させて、学校に通わす事が、今後のバヌアツの未来

を明るくする!今頑張れば、未来は明るい!」

を連発します。

 そういっている大臣や校長の子供が連休に入ると学校に来な

かったりしています。

個人レベルで話していてもものすごく素晴らしい理想を語ります。

この人は物事がわかっているとおもって信頼すると

「トクトク(お話)ツマス(沢山)、でも仕事は少しだけ(スモール・

ノモ)が俺達の文化なんだよ!」

 と悪びれません。

 そんなことをイライラと考えながら、先日引退した清原選手が
言っていた

「やらない理由は自分が決める」

と言う言葉を思い出して、ここで辞めるのは自分に負ける事にな

る。と考え直し、子供たちを授業に集中させる為に、暑い中を

時には怒り、時には褒めながら進めていきます。
 
 何とか全学年が終わって先生達に

「今週もありがとう、また来週宜しくお願いします」

と声をかけますが、自分達が授業をきちんと行っていない事と、

僕が教育省配属なので、何か言われるのではないか?ウチの

学校はきちんと先生が来ているだけでも、まだマシなのだという開

き直りの混じった。前向きではない挨拶がもどってきたりもします。
 
 僕は疲れと普段より出しすぎた大声で、頭痛を感じながら、そ

ういった色々な感情を何とか処理しようと考えます。

 やる気があるのなら助けてあげることもできるけど、先生達は最

初から諦めてしまっている、そういった先生達にいい加減に扱わ

れた生徒達はさらに被害者で、体育の時間だけきちんと授業を

しなさいと言われても朝一番から既にいい加減な学校の運営で

始まってしまうと、集中力は低下している。
 
 でも少し掘り下げて考えてみると、先生達は十分な教科書も

与えられず、低学年には椅子や机もなく、床に座っているだけ

なので、一日4コマの授業を一年を通して教えるほどの内容を

持っていないのではないか、そうなると悪いのはその環境を整え

るべき、教育省や首都の文部省になる。

 きちんと中央から順序だてて地方に下ろしていかないと、タンナ

のような地方で頑張ったところで誰が評価してくれるわけでもな

く、周りの教員との足並みをそろえないと、1人だけ浮く事になる

かもしれない。

 バヌアツ人同士では1人だけ正論を振りかざして他の先生を

厳しく管理する事はもちろんタブーだし、学校で勉強したからと

いって、卒業すれば仕事があるわけでもなく自給自足に戻るの

だから、一生懸命勉強する意味が無い。

 そう考えると中央に居るバヌアツ政府自体も、限られた予算の

なかで現在の教育水準を保つだけでも精一杯なのかもしれな

い。もともと教育は西洋社会が押し付けただけで、今のバヌアツ

にはまだ必要でないのかもしれない。
 
だったら先生達と一緒に自分の授業を辞めてしまうのか?と考

えると、それは違う気がします。現地の人達が自分達だけでは

気がつきにくい価値観を広める事も僕らの仕事だとおもうからです。
 ボランティアだから評価と言うものは自分で決めれるし、出世と

言うものは無いから自分が正しいと思った道を進めば良い。

バヌアツでの2年間が僕の人生にとって無駄な時間だったと思う

のなら、逆に日本でお金と時間に追われながら過ごす2年間に

それ以上の価値があると思えるのか?
 
などと一通りいつも感じる感情が沸き起こります。

 一通り考えて、人生の意味、援助の意味、人間にとって何が

一番大切なのか?進歩する事なのか、それともただ楽しく生活

できればそれで良いのか?などを考えます。

考えて、疲れて、結局は自分は他人にとってはそんなに意味の

無いもので、人生はそういうものなのだ。

 と言う結果になります。そこまで来てやっと納得がいきます。

 誰にも必要とされていないのであれば、自分を信じて自分で

自分を応援するしかない。そもそも他人に理解してもらおうとい

う気持ちがあること自体が自分が驕っている証拠だ。ボランティア

なのに気がつかないうちに感謝されたいという見返りを求めてしま

っている自分が甘いのだと考えることができるようになります。

 誰にも理解されない中でも授業を続ける事が大切で、自分が

今納得していれば、それを信じるしかない。

 一通りそのサイクルで考えがまとまると、また自然と体が動き出します。
 
 その人サイクルを一日で終わらすことができることもあれば、

1週間かかることもあり、時には一ヶ月かかってもう抜け出せないかも?

 と思うこともあります。

 
 「幸せは、いつも自分の心が決める」


相田 みつお の言葉が胸に響きます。

先日の会話


先日の高校の用務員の叔父さん達の会話

「オイ!何でホワイトマン(外国人)達は長生きするか知ってるか?」

「何でやねん、教えろよ」

「あいつらの食事は米にしてもフルーツにしても全て地上に生えているものを食べているかららしいぞ」

「ほんまか?」

「俺たちは、タロにしてもヤムにしてもにしても
全て地面の中から掘り出して食ってるやろ、それがあかんらしいぞ、地中のものばかり食べてると早く死ぬらしいぞ」

「やっぱり地中のものばかり食ってると、体が早く地中に
戻りたいと思うわけやな」

「ウーン・・・・、しかしコメは高いしな・・・・・」

「ウラ、お前はどう思うねん」

「関係ないと思う」

「やっぱりそうか!良かった、良かった!コメはまずいからな、お前ももっとタロとヤム食べた方がええぞ!」

バヌアツ人、世界一幸せなのか世界一ノー天気なのか良

くわからないことも結構あります・・・・・
 
 

芽が出るチョコボール


日本から遊びに来てくれた友達がニューカレドニア経由で

タンナにきてくれました。
 
 そしてニューカレドニアで中にコーヒー豆の入ったチョコレ

ートを買ってきてくれました。
 
 50個位で1500円!一粒30円です。

さすがに味も高級です。

「チョコボールとはわけが違うね!」

 などと話しながら食べていると、生垣の中からなにやら光
る目が!

隣の悪ガキクウィンティルがウラの友達が怪しいものをうれ

しそうに食べている。というめでこちらを見ています。

 「クウィンティル一つ食べてごらん」

といって渡すと警戒して臭いを嗅いでいます。

「中にシーツ(種)がはいっているけどそれも食べれるんだよ」

 といってクウィンティルの前で僕が食べるとクウィンティルは

上手に半分だけかじって中の種を観察していました。

 その後にもう2粒を握って家に持って帰りました。 

30秒して戻ってきたら

「お母さんの分が欲しい!」

 そのまた30秒後に走って戻ってきて

「マラの分が欲しい!」

 僕が

「クウィンティル、マラは一歳だからまだ食べれないよ」

 と言いながらも、クウィンティルが自分で食べるに決まって

るのでちょっと多めに上げました。
 
 次の日にクウィンティルのお母さんのリーシーが僕に

「昨日にクウィンティルがウラからもらったシーツを庭に植え

ていたけど、何がなるの?」

 と言ったので僕はビックリ!

「あいつ、意外と頭良かったんだな・・・・と思いながらも、

いくら世界一幸せな国バヌアツでもチョコボールを土に埋

めて育てる事は不可能だろうな・・・・・」

 クウィンティルは今どんな気持ちで芽が出てくるのを待っ

ているのかな?と想像してみたりもしました。
 
 ちなみにクウィンティルがいつも使っているスコップはマラの

ウンコをきれいにすくって我が家(僕の家)に投げ込む為に

使っていることを僕は知っています。クウィンティルはその仕

事に情熱をかけています。意外と妹思いです。

 まさかあのウンコスコップを使ったのかな?

と思いながらも、彼の夢を壊さないように、チョコボールの

芽が出てくるのを一緒に待とうと思います。
 
 写真中央で

「ウィーン!」

と車を運転する気になっているのがクウィンティルです、自

分の運転で首都に上がってバイクを買うのだ!と言い張っ

ています。周りの子供はその迫力に驚いていました。
 
 「腕白でも良い、たくましく育ってくれ、クウィンティル!」
 

成功のまねはできない


一年半前に僕がタンナ島に赴任してきた時の挨拶は

「フィジカル・エデュケーション、ティーチャーです」

「何?何の先生なの?」

「スポーツを教えます」

「へー・・・・」

「ナオキさんの後任です」

「アッ!そうなのナオキの後輩なの!俺はナオキとは凄く仲

がよくって、あーそうか!ナオキの後任なのか!それは凄

い、今度ウチの村に遊びに来い!」

とそこからズーッと僕の前任者のナオキさんの話になります。
 
 赴任して1週間したときには自分の仕事は名のらずに、

「ナオキの後任です」

と自己紹介していました。
 
 ナオキさんはカバというバヌアツの飲み物が好きで近所の

親父達とよく飲んでいたようです。親父達は僕がナオキさん

の後任だと聞いて、僕も毎晩カバを飲むと期待していたよ

うです。

僕がカバが苦手だと知ると。

「ナオキの方が親しみやすかったなー」

と思っていた人も居ると思います。

僕のことを「オイ、ナオキ!」

と呼ぶ人も多かったです。

そしてナオキさんは地元イサンゲルを中心に巡回指導をし

ていましたが。僕は体育大会を行う体育コミッティーのメン

バーの居る小学校に行って彼らと働きたかったので、島全

体の巡回指導をしました。

 だから地元イサンゲルの子供たちには

「ナオキは2年間僕らの学校に来てくれたのに、ウラは来て

くれない、ナオキの方が良かった、しかもナオキはビシュラマ

語がとっても上手でウラより良く喋れた!」

 と言われて困ったこともありました。

ビシュラマ語が上手く聞き取れなかった時にそういう意見を

聞くと、村の人全員がそういう風に思っているのかな?

という気持ちになることもありました。

 そのときに僕を支えた言葉は

「前任者ののやったことだけを真似しても

           その成功までは真似できない」

  でした。

 この一年半、島全体への巡回指導にこだわって、一つで

も多くの学校で、多くの授業をしたい。

という気持ちで活動してきました。今はもう僕の事をナオキ

と呼ぶ人は居なくなり。

 まったく知らない人に

「ウチの子供はミスターウラが学校に来て体育を教えてくれ

る、ウチの子供はお前が大好きだと行っていたぞ」

「セカンダリーにも来て欲しい」

「ウチの学校にも戻ってきて欲しい」

「ウチの村に遊びに来て欲しい」

「ウチの娘と結婚して欲しい」

「お前に子供ができたら1人我が家に養子に欲しい」

と気がつかないうちに僕のスタイルを認めてくれる人が増えました。

ある日をさかいにそういうふうになったと言うわけではないけ

ど、いつの間にか自分のスタイルができていたのだと思います。

信じて続けることの大切さをとても実感した今までの道のり

だったと思います。

 僕の仕事は前任者を越えることではなく、体育をバヌア

ツに広める事だといいう軸がぶれることがなかったことも僕を

支えてくれたのかなと思います。
 
 「人を相手にせずに、天を相手にしろ」
 
 西郷 隆盛 は良いこと言いますね。
 
 

今週の10点満点!


今週のスーパー ルーラル プレース (ド田舎と言う意味

です) イキティ小学校での写真です。
 
 組体操で6人組みで 3人、2人、1人のピラミッドを作

った後で、女子で1チーム、男子で1チームを作って
 
 4人、3人、2人、1人でのピラミッドが作れたら写真を

とってあげる、といったときのものです。
 
 イキティはグランドが斜めなので結構苦労したけど、

よく写真を見ると、形だけは4-3-2-1となっています。
 
 一番上の女の子の笑顔とポーズがとっても素敵です。

完成してみんなで大喜びしました。

日本だったら絶対に認められないピラミッドだけど、僕は

これでも100点満点をあげたいと思います。

だって笑顔が素敵だもの! 君たちの笑顔のキラキラは世界一で

す!
 

愛すべき悪ガキ達


ワークショップや巡回授業などで始めてのクラスで授業を

する時、いつも僕は手をつないで大きなサークルを作るとこ

ろからはじめます。
 
 そのサークルの大きさで人数を把握できるし、子

供はサークルを作り始めると慌てて教室から飛び出してき

てくれるし、何かと便利なのです。
 
 そして必ずと言ってよいほど一番に教室から飛び出して

きて僕と手をつないでくれた子供は、僕のことを助けてくれます。 僕が

「手をつないで、サークルを作って!」

 と言うと

「お前ら、はやく手をつないで大きなサークルを作れ!」

 僕

「もっと大きなサークルを全員で作って!」

 子供

「男子はもっと下がれ!女子は全体的にもうちょっと横にずれろ!ムーブだ!ムーブしろ!」

 と支持するので、そうやって言うのか!と僕も気が付い

て、その子真似をして

「ムーブだ!ムーブ!」

 と支持します。すると意外と子供はみんな理解して動い

てくれます。

結局はどっちが先生なのかわからなくなるけど、チラッと隣を

見て

 「ありがとう!」

 って言うと、額に汗をかきながら必死に叫んでいた顔が

急に恥ずかしそうな照れ笑いに変わります。そういうときの

顔はすっごく可愛いです。
 
 その後の準備運動のカウントもその子が中心になって行

ってくれます。

 何処のクラスにも必ずそういう子供が居るところがなぜか

不思議です。こんなに小さいのに人を助けようとする気持

ちがあるって素晴らしいと思います。 



 授業が終わった時に

「男子は使ったコーンと縄跳びを俺のところまで持ってきてく

れたらうれしいなー!」

 みたいな事を言うと、凄い勢いで取り合いながらかき集め

てきてくれます。

 「俺が!俺が!」

 と奪い合いながらコーンや縄跳び、メジャーなどを持って

きてくれますが、僕が一言

「サンキュー!お前がトップだよ!」

 というと急に恥ずかしそうになって、そのままどこかに走り

去っていったり、10メートルくらい間隔をあけていつまでも

後ろをついてきたりします。
 
 そういう悪ガキだけど優しい男の子達と一緒に居られるこ

とはすっごく幸せだし、飽きません。

 子供にはいつもエネルギーを与えてもらっています。

 写真は英語学校の一年生です。クラスでは悪ガキなのに、僕のことをすっごく助けてくれます。
休み時間にもずっと隣に座っていたので写真を撮ってあげたらこんな顔になりました。憎めません・・・・
 

優しいシャボン玉


夕方にちびっ子メンバーが騒がしいと思って外に出てみ

ると、ナッシーが空になったツナ缶の容器に洗剤を溶か

してその中にパパイヤの枝を突っ込んでストロー代わりに

して、シャボン玉を作っていました。

 ナッシーが立っているのはオータータンクを載せる為の

足場のようなもので3メートルほどあります。

 下に居るメンバーは降って来るシャボン玉を一生懸命

に取り合っています。
 
 しばらく見ていてから、志村ケンがやっていたみたいに

シャボン玉を食べるまねをしてみよう、と思って僕もみん

なの輪に入って落ちてくるシャボン玉を掴んで食べる振

りをしてみました。
 
 子供たちはみんな驚いて

「ガーラ!ウラがシャボン玉を食べている!」

「ウラの国ではシャボン玉は食べ物なの?」

って言われたので

「そうだと、美味しいんだよ、ナッシー!俺はお腹が減ってるからドンドン作ってよ!」

 って冗談で言ったら、クレガーがみんなに

「今ウラはお腹が減っていてシャボン玉を食べているから、みんなはシャボン玉を壊してはいけない、ウラに優先的に食べさせろ!」

 と言うとみんなも

「それはもっともな話だ・・・・」

 と言って僕から離れて僕がシャボン玉を食べる振りをしているのを遠まわしに

 「スッゲー!」

 っと言って観察していました。僕は思わぬ展開に少し

戸惑いながらどのタイミングで嘘だと伝えようかな?

って迷っているとみんながナッシーに

「ナッシー、ウラはお腹が減っている、もっと早く作れないのか?」

 そして、焦るナッシーに我慢できずに、サック、クレガー

フーソフィーが足場に登ってナッシーから缶をとりあげました。

 僕はだんだんと本当のことを言い出せなくなって、とり

あえずおなかがいっぱいになったから大丈夫だ。と言いま

した。

 「本当に一杯になったの?大丈夫なの?遠慮してない?」

と上に登った三人は心配そうなのか残念そうなのかわか

らなかったけど、とりあえずそういうことなら俺達も食べて

みようと言う事になり、みんなで必死に食べていました。

 みんなが何処まで信じていたのかはわからないけど、

まさに半信半疑というかんじだったと思います。

 でもそういうときの子供達の優しさってとてもうれしいも

のです。

お腹は一杯にならなかったけど、胸は一杯になりました。
 
 写真は必死に僕に餌を与えている時のナッシーです。