2012年3月11日日曜日

アトムとターミネーターとエレファントマン

たぶんというか絶対に間違ってると思うのだけど、
 
鉄腕アトムの実写版かハリウッド版というのがあったと思うのだけど、

 映画の内容は、自分の子供が死んでしまってとても悲しい科学者が自分の

 子供の生まれ変わりのロボットを作るという話だったと思うんだよね。

 でもその科学者はその後に本当の自分の子供ができるか、何らかの理由で

 ロボットであるアトムを愛せなくなってしまって、アトムのスイッチを切ろう

としたのか切ってしまったのかのだと思います。もしくはアトムが自分で

 自分が邪魔な存在になってしまってことをに気がついて自ら去って行ったの

 かもしれません。

  
 シュワルツエネッガー主演のターミネーターもそういう話でした。

 未来から送られてきて、将来自分のボスになる子供を助けに来るんだけど、

 ロボットだけと人間の気持ちを理解して学習する能力がついてるんだよね。

 彼の最後のミッションはもう一人未来から送られてきた悪役の

ターミネーターと戦って、

将来の自分のボスを守りきり、敵のターミネーターの体を

 きちんと破壊して粉々にしてハッピーエンドで喜んでる時に急に

 「自分には最後にインプットされたプログラムがある、それは自分の体を

 溶かす釜ので溶かしてこの世に残さないこと、自分の体が残ってしまうと

 それが研究材料になって未来に新しいターミネーターができてしまう。

  最初に送られてきが時点でそのことは知っていたので問題は無い。

 でも自分には学習機能が付いているので、人間が涙を流す意味がこの数週間で

 理解できた。でも僕には波を流すことはできないけど、とても悲しい

 といって溶鉱炉に自殺していくというものでした。


  エレファントマンという映画の中では、病気で顔が像みたいになっていまっ

 った男の子が実は頭は良いのに、それが知れるといじめられるので、

言葉を話せないふりをして生きていて。

それに気がついたお医者さんが彼を引き取って人生で初めて人間として扱われた日に、

彼は鼻が悪いので座ってしか眠れず、

もし枕をすべて取って頭をフラットにして眠ってしまうと、

鼻が詰まって死んでしまうということを知っているのに、

自分が人間として扱ってもらったことに満足して、その日の晩、

眠るときに一つずつその枕を取り外して、

枕なしで寝てしまうのがラストシーンだった気がします。

 今までの人生があまりにも辛すぎたので、

今日という人間扱いしてもらった幸せな日に死にたいと思っての行動だったと思います。


 どれもこれもみんな人間のエゴ、

抱えられない苦しみや悲しみを何とか埋め合わせようと、

科学技術を使ってロボットに子供の代わりをさせたり。

必要ではなくなったら、スイッチを切ったりしたり。

人間ができない能力をコンピューターに装備して戦わしたり。

自分より弱かったり、醜いものをみて自分のほうがましだと思ったり。

それによってお金を稼いだり。

 やってる人達も悲しいし、

それ利用されたりロボットやエレファントマンはもっと悲しい。」

わかっているけど一時的な自分の気持ちの為に他人の事はどうでもよくなってしまう。

 悲しいけどそれが現実なのかな。

こんなこと言ってる自分だってきっと他人を傷つけてきたんだと思うんだよね。

 テーマが深すぎて答えが出ないけど、

もし傷つけられるのなら傷つけられたほうが良いのかな?

 どの映画も名作ってことは人はみんなこういう気持ちを持ちながら

 生活しているのだろうね。 世の中難しいなーって何時も思います