2010年10月21日木曜日

忍耐力の続き③


 <写真は18歳予備校時代に大阪の淀川の河川敷のフットボールチームに参加していたころのものです。 一緒に写っているのは高校時代からの親友、ウッキーです、彼も僕の人生に大きく影響を与えた一人です、彼についてはまたいつか書きますね> 

ごめんなさい、忍耐力もうひとつ書きました。

 もし①と②を読んでいない方がいたら、順番が逆になっています。


ここまで書いてまたもう一つ深く考えると、

 なぜ高校三年間フットボールを続けられたのか? 

 ということになりますが。その理由の一つは劣等感からだと思います。

 専門学校を視野に入れながらやっと入った普通科高校でしたが、

 高校に入ったからと言って勉強ができるようになるわけでもなく、

 何か部活に入らないといけないと思って入ったアメフト部でしたが、

弱小チームで、公式戦も年に一度だけ一回戦で敗退するために出場するようなものでした。 

そのくせ練習だけはやたらときつくて、先輩にはいつもしごかれて、

 後輩にはなめられて、肩身の狭い3年間でしたが、なぜ続いたかというと、

「自分は勉強はできないから、

 もしアメフト部を辞めてしまったら学校に来る理由がなくなってしまう。

 子供のころから唯一好きだったスポーツまで辞めてしまったら、

 生きてる意味が本当に無くなる」

って思っていたからだと思います。

 もちろん、もう一つの理由は先輩と顧問の先生が怖くて辞めると

 言えなかったというのもあります。

 
 まあ理由はともあれ、一つのことに打ち込んだ高校三年間でしたが、

 3年間、嫌々続けてみると、それはそれなりに何か心に訴えるものがあり、

 大学に行ってやってみたい!

  って思うようになりました。

 たまたま大学に行った先輩が練習を見に来てくれて、

「ウチの大学は推薦なら、論文とフットボールだけで受験できるよ」

っていわれて、勉強しなくて大学に行けるんだ! 

 っていう甘い考えから始まったものでした。
 
 
 結局は現役で8校受けてすべて不合格、順調に予備校に入学しました。

 勉強嫌いな僕が予備校で自分に誓ったことはただ一つ。

「この受験勉強は勉強では無いんだ、

 大学でフットボールをするための入団試験の為のものなんだ、

 だからこれは勉強ではなくて、フットボールの一つなんだ、

 ウエイトしたり、練習したり、長距離はしったりして

 体を鍛えてフットボールが上手くなるための一つの手段なんだ

 だから受験勉強もフットボールの一環だと思えばよい」

 って自分に言い聞かせました。

 勉強を勉強と思わず、フットボールなんだ、と思えば意外と素直に机にむかえました。

 

 社会人でファミレスのスカイラークに入って、

 ガストの洗い場の油と食べ残しが浮いているシンクの中に初めて

 手を突っ込んだ時も思いました。
 

 「体育大学出てなんでこんな仕事してるんだろう?

 でも我慢できる、これをしてるから安心して実業団で社会人として

 フットボールができるんだ、日本一を目指せるんだ。

 この洗い場もフットボールのうちなんだ」

 
 って思って手を突っ込んだのを今でも覚えています。

 「日本一になるためなら、なんでもする、それが本当のプライドっていうものだ」

 って思っていました。

 元をただせばすべて自分の劣等感から来たのだと思います。

 みんなと同じレベルになりたい、社会に受け入れてもらいたい。

 チームのみんなと一緒に試合に出たい。さらに上のレベルでフットボールがしたい。

 
 そういう気持ちが僕に高校三年間のアメフト部を続けさしたと思うし、

 社会人生活も続いたのだとおもっています。

 もし勉強ができて、なんの苦労や劣等感もなく高校に入学していたら、

 アメフト部はすぐに辞めていたと思います。

 だから時に劣等感ってときには大切なんだと思います。

 けして持っていて悪いものではない気がしています。