2012年3月28日水曜日

地球市民に疑問

ちょっと過激に書いてみると、

 グローバル化とか「地球市民」なんていう言葉があって、

 みんな世界を助けよう!みたいな感じになってるけど、

世界は日本人が思っているほど甘くはないという目線から書いてみようと思います。



 今の日本人は、謙虚に、我慢ず良く、努力して、自己犠牲を払って、

世のため人のために使命感をもって生きることが大切、震災もあり、

ボランティアをしたり人助けをすることはとても大切だという考え方が流れています。

 でも震災のボランティアはお互いに日本人同士、

される側も感謝してくれるし、

東北の人は感謝の気持ちを絶対に忘れないと思います。


 近いうちに関東に震災がきたら、今度は神戸の人、

東北の人みんながまた助け合って、生活レベルは少しくらい下がっても、

助け合う日本人の心のふれあいや、

失われつつあった日本人の良さを再確認できる良い機会だと思います。

 もちろん震災は来ないに越したことないけど、自然には逆らえないからね

 でももし電力が今の半分になっても、みんなで助け合えば心の豊かさは半分には

 ならないと思います。

 お父さんが早く家に帰ってきて、家族みんなが暖房費節約で炬燵に集まったり、

テレビや携帯が使えないから本当の人と人、

家族のコミュニケーションが増えたりして、自殺者も減るかも知れません。
 
 アンゴラの教員養成校でボランティアしているとき、

8時くらいになってみんな好きなところで勉強してたり、

テレビ見てたりするけど、ラジエーターが壊れて、

何もすることがななくなって、一人、二人といすを持って外に出てきて、

みんなで暗闇のなか勉強もテレビも中止で星を眺めてた時って、

やっぱりそれは良いものだったからね。


 その前にいたバヌアツでも電力がなくなって停電が続くと

10ヶ月後には出産ラッシュが来る! 

とうそのような嘘でも無いような話がありました。

 
 でも震災で日本のなかでの助け合いは良いと思うけど、

それが違う文化のだったらどうなるか、少し真剣に言うと。

 
 イギリスで僕の先生だったスウェーデン人だったオーサは

スウェーデンはとても素晴らしい福祉国家で、年金、医療、

 教育も高い税金のですべて安定してまかなわれていたし、

 (税率50パーセントくらいだったと思う)

 みんなそれで良いと思っていた、逆に生活保護甘えるような風潮は無かったし、

高額所得者も安全な治安を保つためには結果的には

 格差をなくすことと教育を充実させることが大切だと理解していた。
 
ユーロに入るときにスウェーデン人が「地球市民」すなわち、

 人類みな兄弟なのだから、他のヨーロッパの国を助けよう。と思ったのか、

 何故ユーロに参加したのかはわからないけど、

 結局それまで充実していたスウェーデンの福祉は、

 ギリシャやポルトガルを中心とする、

 ヨーロッパの途上国と呼ばれる国に食い物にされて、

 スウェーデンの年金を中心とする福祉は崩壊してしまった。

  僕が思うにそのお金は結局はギリシャとかポルトガルなんかのラテンな感じの

いい加減な国の人達、お金は自分たちで稼ぐよりも持っている国から

 交渉術で奪ってくればよいのだ! 

 って思っている人のところに行ったのだと思います。

 ギリシャ人の多くは公務員らしいからね、

 あの人たちの給料はもしかしたらスウェーデンの人達が、

 世のため、人のため、地球市民として貢献しようとしたお金だったのかもしれません。

 日本も何故かグローバル化なんていって、

 すでに世界に追い付いてるのに変な劣等感からそういう風にお金をばらまいて、

 しまうのはどうかと思います。


 
 ちなみにもう一つの被害国はドイツで彼らもそういうところは

変にまじめでユーロに参加したのだろうけど、

結局はユーロの価値を維持するために他の国の借金を自分達が

肩代わりするようなことになっているのだと思います。

 そういうとやはり賢くてしたたかなのがグレートブリテン、すなわちイギリス

彼らはどういうくくりだったかは忘れたけど、

たぶんヨーロッパユニオンには入っているはず、

だからヨーロッパのパスポート持ってればビザもなしに入国できるし、

自分達もヨーロッパに自由にいける。ようはアジアユニオンみたいなのができたら、

日本人、中国、韓国、シンガポールとかそれに参加した国はみんなどこにいって

働いてもOKなんだよね。だから移民も沢山来るし、逆に海外進出も意外と簡単です。

イギリスはそういう利点を得ながらもでもユーロには参加していない。

ようはポンドの価値を保つためにはポンドのままにいたほうが良い

 とわかっていたんだよんね。だから今でもポンドの価値は常に安定している。

 もちろんわれらが円も安定してるけどね。

 

 それに比べるとアメリカドルはダメだよね、不安定で。

 「地球しみん」もちろん良い言葉だよ、文化の交流という面ではね、

 でも政治的に使われたりして、日本のお金を海外に流出させたり、

 変に移民を受け入れすぎるのは良くないと思います。

 もちろん困っている外国人を助けるのは裕福な国の義務だとは思うけど、

冷静に考えてほしいのは、今の日本の富はもともとは開国してから今まで、

 僕達の祖先達が日本人の為にと思って身を削って自己犠牲をいとわずに

 次の世代の為に教育を受けさせたり、

 経済力をつけたりしてくれたから身についた国力なのだと思います。

 それに甘やかされた育ってきた今の世代が、

 外国人とまじまる事がカッコイイ!

 みたいな商売主義の留学情報とか英会話教室に流されて、

 スウェーデンみたいんいなっていくのは本当の姿ではないのだと思います。

 もっと日本の技術とか考え方とかを伝えることが大切なのだと思います。

 「地球市民」「グローバル」っていう言葉はバブルで日本が踊らされていた

 時と同じように使い方を間違えるとあとからそのバブルがはじけた

 お金も威厳もなくなって日本はすっからかんという風になってはいけないと思います。

 外国人の気ままさとか自由さって普段我慢ばかりしている日本人からみたら

 カッコよく見えるのかもしれないけど、彼らは彼ら同士で喧嘩も沢山しているのです。

 日本にはそういうのは合わないと僕は思ってます。

2012年3月23日金曜日

大学の学費を無料にするとおこること

ヨーロッパの多くの国は大学まで学費無料のところが多いと思います。

特に旧社会主義、共産主義はもともと無料だったからね。

フランスとかもそうだったんじゃないかな?イギリス国民はメチャクチャ安い金額でした。

 日本も消費税20%でも良いからそうすれば良いと思うんだよね。

これは僕の世代(38歳第2次ベビーブーム)個人的な意見も結構入っています。

 だって結婚して子供が二人できたらやっぱり教育費が恐ろしいものね、僕の世代は潜在的に、

「親がしてくれたぐらいの事は子供にもしてあげなくては」

 って思ってしまうよね、もし自分の親が高校まで行かせてくれたのなら、

やっぱり子供にも高校まで行ってほしいし、大学まで行かせてもらったのなら、できれば子供にも行ってほしい。

 でも行動成長で終身雇用で、給料が安定して上がっていた僕らの親父世代とは違って、

今の僕らはそうとは限らないものね。今の給料のままで子供が18歳になって大学に行きたいって言ったら?

 なんて思うと、親がしれくれたことができないなら、子供は作らない。

 と思う人が多くなるの自然だと思います。「
 
でも、もしも学費がタダだったら、子供二人とか三人できても食べることはできるから子供作れるよね。

 飯だけしっかり食べさせてあげれば、子供の努力次第でどこの大学にでも進学できるなら、

3人でも子供作ろうかな!って思えると思います。
 
 40歳で子供作っても子供が20歳で自分が60でも学費さえ無料なら、

勉強したい子供はバイトしながらでも勉強続けられると思います。

 あとはイギリスではもはや当たり前すぎて誰も言わないけど、

大学とか大学院は別に高校でたら直ぐに行くわけではなくって、

その後に社会にいったん出て、3年とか5年とか働いてから、

「自分なやっぱりこういうことが勉強したかったんだ!」

「今の仕事でもっと必要な知識を伸ばしたい!」

 とかっていってみんな大学に戻ってくるんだよね。日本でそれをしようとすると新規採用に漏れるのと

もう一つの大きな課題は「学費」

 でももし大学がタダなら、一度社会人になっても生活費だけバイトして大学に通えばまったく問題なしだし、

そういった学生は良く勉強すると思います。

 今みたいに22歳までに自分に意味があるのか無いのかわからない学歴を無理やりつけるよりも、

本当に必要になった時に必要な人が学校に行って勉強すれば、大学のレベルも上がるし、

学歴は若いうちに着けるもの!チャンスは一度だけ!って思ってたら、

とりあえずみんな意味もなく名前の通った大学に行きたいと思うかもしれないけど、

「いくつになっても取れる学歴」

ならとりあえず今本当に研究したい環境の整った大学に行くようになるのだと思います。

 そうすることによって大学のレベルも質も上がるし、

無意味な学歴社会や経済格差によって学歴が決まってしまうという変な仕組みもなくなるんだよね。

 それほど難しいこととは思わないけどね。

2012年3月22日木曜日

知識として情報を持つということ

僕のブログだってそうだし、世の中色々な情報が流れてるよね。

最近おもんだけど、みんなそういう情報をウノミにしすぎているのだと思います。

 前も書いたけど

 大人と子供の違いは、大人は自分の価値観がしっかりしているから、他人と比べない、

でも子供は自分の価値観が定まっていないから、他人と比べる。

人より高学歴だから自分は良い。人より大きい家に住んでいるから自分は幸せだ、

自分がどう感じるかではなくって人とばっかり比べるんだよね、

その理論で言うと井の中の蛙になって周りにくだらない人ばっかりがいて、

その中で自分が一番だったらそれでとりあえず幸せになってしまうよね。

 そんな自己満足な人生ではなんとなく寂しいとも思ってしまうよね

 せっかく地球に産まれてきたんだしね 

 
 もう一つ自分の価値観が無い人の困ったところは、本を読んだり、

テレビを見た入りした時にその情報がそのまま

 100%自分の価値観になってしまうのではないかな?という恐ろしさです。

 あるていど自分の価値観が決まっていれば

「まあこういう意見もあるけども、自分はこう思っている、

 だから賛成も反対もしないけど、意見としてはとても価値があるから

 今後自分が物事を判断する時にには参考にしよう」
 
 というふうに一つの「知識として」「考え方の引き出しをふやす」

 という感覚で情報を自分に取り入れられるのだとおもいます。

 でも最近は、ネットでみた情報とか
 
 カリスマって言われている人が書いた本とか、演出の凄いテレビとか見ると

 自分の中で消化して「知識」として使うのでは無くって、

 「洗脳」っていうか自分が他人の意見になりきってしまうこと多いと思います。

自分で考えて消化できないんだよね。

 日本の詰め込み教育のせいもあると思います。

 そうじゃだめだよね、やっぱり入った情報は自分の体で消化されて吸収されて、

身となり、骨となり、血となってこその情報だし、

さらに「新しい知識への食欲」につながるよね。

 子供のころからコンピューターゲームばっかりしていて、

何もかもがすでに決められていて、

自分で考えて遊びを作ってこなかった人っていうのは素直になりすぎているのかな?
 
結局はそういう人が最後に頼る絶対的な価値観って「お金」に行きがちだよね。

だってコンピューターゲームを作っている人達の一番の理由はお金になるからだもんね、

2番目は「夢」とか「想像力」なのだろうけど。

 基本はゲーム以外でも服でもアイドルでも車でも保険でもなんでもお

金が儲かるから作りだされてお金儲けの上手な人達が勝者になってるわけだからね。

 情報社会の世の中だからこそみんな情報を上手く自分で消化しなくてはいけないのに、

情報の量とスピードが速すぎてみんな消化不良になっちゃってるのかな?
 
 自分の好きなことにじっくりと取り組んで、軽くてどうでもよいような情報は
 
 気にしないのが良い生き方だと思います。 

 ちなみにこの事に気がついたのは、ウチの母親と会話していてです。

 決して若い人だけではないんだよね、ちょっとテレビで詐欺の話をみたとか、

 ちょっと世紀末が来るとか聞いただけで。

 「この先どうしようか?」 
 
 などといって結局お金使わされてるところあります。

  でも本人は自分がテレビで見た情報を僕に語るときにはあたかも自分が

 考えたかのように、語るんだよね。 聞いてるとなんか白けてきます・・・・

  やばいメッチャ家庭の愚痴になってきた。ボロが出る前にアップします!

2012年3月20日火曜日

良いリーダーはマダマダいます

最近感じるけど、政治家も、会社の社長も、学校の先生も、

みんなほんとうは10年先とか100年先の日本の将来の事を考えているのだけれども、


会社の社長は本当に会社の為ではなくって、

自分が社長でいる数年間だけは株が下がらないようにして、

株主に怒られなければ社長としてやり手だと言われるようになったし、


学校の先生は生徒の将来よりも目の前の受験が大切だし


 政治家だって政権を取るにはとりあえず選挙に勝たなくてはいけないので、

みんなが喜ぶような「増税は絶対にしません」というような甘いことを政策に掲げて、

とりあえず目先の政権を取らないと、相手側に政権を取られてしまう。



 本当は政治家も、社長も、先生もきちんとしたビジョンを持っている人が

  多いのだとも思います。

 でもお金を持っていればそれで幸せとう世の中では

 長期的なことは発言できないのが現状です、

 国の将来を語ることは現在の国民の個人の自由を

 奪うことになりかねないからね。


 そろそろ何か変化が必要なのだと思います。

 政治家も社長達も先生達もみんな正しいことわかっているのに、

  一年だけで評価されるのはかわいそうです。

 良い政治家、良い社長、良い先生がいるうちにこの窮屈な制度を変えたいよね


 少しずつだけど日本はそういう方向に動いていくのだと僕は思っています。

空気読めない言い訳

空気を読むのがへたくそな人の理由の一つは

 読むのが上手な人は、空気が読みにくい状況だったり

 すこしおかしい雰囲気だった時には、空気を読もうとしないで

 黙っているのだと思います。

 結果としてはそれが結局は空気がよめてるということになるのではないかな?
 
 逆に空気の読めない人にかぎって自分は空気が読めると勘違いしているので、

 何とか会話をしなくては、とおもって気を使って余計な発言をして

 「あいつは空気が読めない」
 
 と逆にみんなに失笑されてしまうようなこともあると思います。

  って今日自分に対して思いました 

 関西人は沈黙が苦手だからついついね・・・

季節、時空、次元、社会的立場によってできる人格

アンゴラ、バヌアツ、イギリスと最近は違く国に行ってきて、日本に帰ってきて思う。 

自分っていう人間は季節が変わると考えてることが変わるものだって。

 冬はいくらか哲学的になる、動くのがおっくうになるし、

外に出るときはきちんとマフラー巻いたり、

モモヒキをはいたりしないといけないから服装にも神経質になる、

その日の一日の外出のスケジュールを考えて、念密にその日の服装を考える、

肌はカサカサになるし、血行が悪くなるから顔色もなんとなく青白くなる、

寒いからションベンの回数も多くなるし、残尿も多くなる? 

なんて思ってたのだけど、残尿については最近思った、

冬に残尿が多くなる理由は一つは寒いので男性のイチモツはとんがっているから

冷えやすいからションベンを切るというか気張るという感覚が鈍ること、

でも最近もっとよくよく考えると、本当の理由がわかってきた、

冬はみんなモモヒキを履いてしまうのがもう一つの理由なのだと思った。

モモヒキをはいてジーンズはいたり、スーツを履いたりすると、

男性はみんなわかると思うけど、トイレで立ちションをする時に

パンツのゴムとモモヒキのゴムを押し下げて、

その押し下げたゴムと開けたチャックの間というとても狭い間から

我々は出てきて仕事をしなくてはならない、

しかもスーツとかジーパンだと上にはキッチリベルトをしているから、

下からはパンツとモモヒキのゴムにボールもバットも締め付けられつつ押し上げられ、

上はキッチリベルトで固定されてその間のジッパーという

 限られた空間から出てきて用を足すということは、もともと難しいのだと思います。

 だから上手く水分が切れなくって、残尿して、それが不安で

冬になると年を取ったなーって男はみんな衰えたような気分になるのでしょう。

 この部分は別に力説する必要は今日はなかったのだけど、


そして春になると少し心ウキウキして心もオープンなって幸せな気分になるし、

さらに夏になると、毛穴も開いてラテンな気分、

心も体もみなぎったった気分になるのだけど、

秋になると何故か急にセンチメンタルな気分になりつつも

食欲は倍増するという心と体の矛盾を抱え込んだまま

気がついてみれば急にバタバタと年を越さなければいけないという強迫観念とともに、

除夜の鐘がなって本当に年を取ってしまうというサイクルになっている。 

これが日本、一年間の中で4人の自分に会える、

同じ人間が4つの考え方を持ってしまっているのです。

 ちなみにアンゴラもバヌアツも熱い夏、涼しい夏、雨の降る夏の

三つの夏はあるけど、

秋とか冬とか春とはは別にないから何時も毛穴も鼻の穴も全開で

攻撃的でみなぎっている。

 一方イギリスはちょっとした春のようなものはあるけど、

それは日差しがきつすぎて一瞬熱くなるときが30分とか午後いっぱいとかあるけど、

基本的には空気はとてもひんやりしているので、日差しの当たらないところは常に寒い。

 日本でいう10月から3月くらいまでで

一年間の季節が説明できてしまう感じです。

だから一人のなかの季節の感覚は日本人の半分くらいだと思います。 

逆に言ったらだから心が安定していて、イギリス人は冷静で合理的なのかもね?

 
 これに個人の経験が入るのだと思います。

「時間軸」とでも言うのかな?個人的経験と立場

 僕だったらファミレスの社員だった9年間、接客していたし、

一緒に働いていた大学生とか一生懸命パートをしながら子供を育てている

お母さん達の生活をみることができました。立場は社員だから一応は責任のある立場。

 でもその一方でフットボールではマダマダ試合も出ていなくって、

チームも「弱者」な立場でした、でもその後に合併して良いチームメートに巡り合い、

どんな試合でも勝てる「強者」の立場にも経ちました。

 バヌアツでのボランティアの2年間はそういった勝ち負けの全く無い世界、

僕のバックグランドなど全く知らない人達のところに単身で飛びこんでいって

一から人間関係を作るから、自分の笑顔と人間性が試された2年間でした。
 
フェミレスの「売上第一主義」でもなくフットボールの

「勝利以外は何も認めない」 というのでも無い世界でした。
 


 体が健康でいられるという面では僕は今のところ大きな病気はしてないから

「多数派」だし、結婚していないという面では「少数派」にはいります。

 何か決断をするときにそういった過去の経験してきた

10人くらいの自分の立場というか人格みたいなものが決断を下します。

 もちろんその決断は季節によっても左右されると思うんだよね。

 季節 × 経験 って感じ。

 でもそれともう一つ最近思うことは、

これはバヌアツとアンゴラに行って感じたのだけど、

バヌアツはジャングルだから三次元なんだよね、

森の中にすんでいるから子供の頃から木に登ったり、

遊ぶときでも道具が身の回りに豊富にある、ココナッツの実だったり、

木の枝、葉っぱ、ロープになるツル、

そういった道具に囲まれいるから常に立体的に物事を

感じたり考えたりしながら育っていくのだと思います。

 一方アンゴラは水が少ないので、砂漠みたいでドライです。

ようは2次元の世界なんだよね木とが少ないから立体的な環境ではありません。

子供は他の子供と遊んだりするだけ、食べ物も豊富ではないし、

木も少ないから焚き火もしない。

バヌアツの子供達が幼いころから火を起こしたり、

動物を追い回したり、ココナッツの木に登ったりという

3次元の遊びをしているのに比べると、

平面でしか想像力を働かしていないのきがします。

 海だってバヌアツの子供は入り組んだリーフの中で貝を探したり、

岩から飛び込んだりしているのに比べると、

アンゴラはだだっ広い大西洋の砂浜で水遊びといった感じです。

 だからバヌアツ人とか昔の日本人みたいに「自然を相手にする」


という経験は少なく、どちらかというと「人を相手にする」

経験が多いのだと思います。

 ちなみにイギリス人にとっては自然とは「征服するもの」

であって共存しようとは思っていなくて人と同じく自分たちで

コントロールできると思っていると思います。 

まあ彼らならある程度はできるのかもね。
 
 ちなみにバヌアツでいつも物足りないと思っていたのは、

日本みたいに20歳過ぎたら仕事をするわけではないので、

20歳過ぎてもみんな同じ性格のままなんだよね。

日本なら

・20代のバイブル

・男が30歳にすべきこと

・40代の中間管理職に捧ぐ本 

・50代のリーダシップ論

・60代の役員の条件
 
 みたいなそれぞれの世代の文化というか考え方があって研究されているけど、

仕事してないとそういうのも育たないのだと思いました。
 
 だから60歳のおじいちゃんでも少年と同じ笑顔で笑えるのだけどね


 そう言うと日本人ほど色々な角度から物事を考える環境が整っているし

 世界のなかでは珍しい自然環境なのだと思います。 

 季節に関していば何度もまたその季節ごとの自分にであるののだから、
 
 それが他の経験とか自分の職場とか家庭での環境とも複雑にまじりあって

 新しい自分が構築されていくのだろうな。って思います。

 繊細だったり、物事を深く考えるように日本人がなったのはそういう理由
 
 からなのでは?という考えもあってよいのだと思います。

2012年3月17日土曜日

毎日が無料のディズニーランドだった頃

子供の頃は日曜日になるとマンションの4階に住んでいたケンと

 3階のシーちゃんと三人で遊んでました、この二人以外は

 僕と遊ぶと怪我するから遊んではいけないと親から言われている

 みたいでした。

 遊ぶルートは最初にマンションのごみ箱に入り、なにかその日に使えそうな

 物をあさります、大型ゴミの日でゴルフクラブとかあればそれを

稲刈りの終わった田んぼに持って行ってゴルフをするし、

もしクラブはあってもボールがなければ

真ん中で折って、刀みたいに持ち歩きます。

折るときはコンクリートの壁の間に差し込んで、

力いっぱい押したり引いたりしているとポッキリ折れます。

 その先を石でコンコン叩けば先が平べったくなって、木でも、

土でもなんでも突き刺すことのできるスパスパ棒の完成で、

それだと攻撃力、

破壊力ともに80くらいと相当高めの武器になります。

 あとはジュウタンとかベニア板、スコップになりそうなもの、

 ムチになりそうなプラスティックの棒、ロープ、

フリスビーになりそうな園芸用の水受けのプラスティックの皿

 発泡スチロールはこすると分解されて雪みたいになるし

(後で掃除のおばさんにとても怒られるけどね)

ゴミ箱の中では想像力さえあればどんなものでも

 その日の「武器」となります。

 ドラゴンクエストの武器のようなもので良い道具を持っていれば

 その日は一日良い働きができるしまわりからも尊敬されます。


 でもマンションの管理人さんが一日に数回見回りにくるので、

そういうときはすかさず隠れます、

ゴミの小屋から逃げ遅れて中に潜んでいると、ホースで水を

かけられるという攻撃を受けます。

まあお互いに限度を分かってやってて

管理人さんもここら辺に逃げ込んで隠れているんだな?

って思ったあたりにイカク射撃に水をまいてる程度だから、

濡れたって大したことないけどいつ終わるかわからない水攻撃を

大型ごみのタンスの中や、ゴミの袋の間に埋もれたりして

 暗がりに隠れながら、水が自分の真上に水を振りかけられてい

る時の恐怖と隠れているタンスに水が当たってゴーゴーいう

水の音は、子供心にそれなりの覚悟と自立心を社会性を芽生え

させるのだと思います。

  あの頃はそう言った微笑ましくも暑い

「小学生なりの大人との戦い」

が僕達の世界ではありました。

うちは大型マンションだったので、

管理人さんもマンションの一階に住んでいてい、

何時もマンションの入り口のカウンターに座っているのだけど、

ゴミ箱に行く時はその前をとおると管理人さんに

 「悪ガキ3人げゴミ箱に行ったから、時間を見て追い払いに行こう」

 と思われると困るので、管理事務所の前は避けて裏の階段から行く

ようにしていました。

 今だったらゴミ箱の監視カメラが付けられていて、

そういうこざかしいことを考えることすら

意味がなくなってしまうよね。アナログ時代が懐かしいです。




僕達の武器になったそれらのアイテムを刀のようにベルトにさしたり、

ブンブン振り回してより良い使い方を考えたりしながら
 
山に入ってとりあえず木に登るか、崖を削って基地を作るか、

竹藪に入って竹を切って弓を作るか、また弓ができたら野犬を狩りにいくか、

田んぼに行ってチャンバラをするか、

ひたすらみんなでヘビを探してながら川口ヒロシ探検隊の

歌を歌ってそこら辺をさまようのか?


適用な目的を立ててドラクエのように近所をハイカイします。

 そのうちに何処かで誰かが何か面白いことを発見して、

場当たり的にその日の遊びの場が決まります。



田んぼに積み上げられているワラをみんなで高く積み上げて山を作り、

その中にトンネルを作って遊ぶ時は常に農家の人の目を気にしてい

ないといけません。
 
 (でも田んぼの場合は場所が広いから逃げ場所が沢山あるけどね)

 バラバラに逃げて散った後にどこに集合するのか?

などみんなで決めておきます。 

 高い竹に囲まれた日の当たらない池は冬になると氷が張って靴の

ままスケートできたし、

氷の上でみんなで集まってジャンプすると亀裂が入ってヤバイ事に

 なるのだけど、それが楽しくて、氷を割って遊んでいたし。

 亀のいる池、ザリガニだけの池、コイがいる池、カエルのいる池、全部いる池があります

遊んでいても怒られない池、

雨が降ると水位が上がってその先の用水路に亀も帰るも蛇も流されてきて捕まえられる池

春になるとカエルるの卵が沢山浮かんでいて、

竹の棒で集めて誰の長靴に一番多く入れられるかを競える池。

 子供ながらにそう言った情報はすべて頭に入っていて、毎日楽しく遊んでいました。




注意の必要な池は「野犬注意」「オバン注意」、「マムシの注意!」「工事中立ち入り禁止」

がありましたが、そういう場所ほど遊んでいて面白いものでした。

全部いる池があって(注意ではなくて獲物がね)そこが一度駐車場に

なるというので、市役所の人がポンプで水を抜いて中の魚やカエル、

ザリガニ、亀などを全部回収する日がありました。

 小学校の帰りに池の前を通ると、

すでに回収されたコイとか何時も逃げられて捕まえられなかった大きな亀とかがすでに

プラスティックのタライの中で泳いでいました。子供はみんな野次馬のように役所の人が

 網で次々と獲物を捕まえるのを見ていました。

 すでに池の中にはほとんど何も居なかったけど、

かろうじて数匹の食用ガエルが泥の中に混じっていて、

目を開けた時だけその存在を示していました。

 それを見つけた僕とシーちゃんは、これは絶対に使命感をもって

 回収すべきだ。役所の人に褒められるかも。

 と思ったのか、単に池の水がなくなっているこのチャンスに何も
 
 捕まえられないのは悔しいと思ったのか、一目散にそのカエルを
 
めがけて池というよりすでに沼になっていた中へと突入していき

 ました、でも自分が池の中に入ってしまうとカエルを見失ったりして

 もう一度外にでて、また入ったりしているうちに池の真ん中あたり

 まで入ってしまって、すでにパンツも浸かって、胸のあたりまで

 ドロの中でした。

 シーちゃんは腰までつかっていました。

  結局カエルは捕まえられなくて、二人はがっかりして帰ったの
 
 だけど、それぞれ家に帰った後に

 「こんな腰の深さまで池に入ってあんたは本当にアホだね」

 って言われたシーちゃんはすかさず

 「でもウはここまで入ってたよ、どっちがアホなん?」


 って言って胸のあたりを水平にチョップみたいにしてさし示していたので呆れた

 と後日シーちゃんのお母さんがウチの母親に笑いながら話していた

 らしいです。


 今はディズニーランドでもコンピュータゲームでも

すでに用意されている面白い遊びが沢山あるけど、

 あの頃は想像力さえあればディズニーランド以上に面白くて、緊張感のある

 「大人が金儲けの為に作った準備された遊び」ではなくって

 子供がお金の代わりに想像力をつかって作った遊びがあったのだと思います。
 
 ゴミ箱から始まる遊びはまさにリサイクル、のエコな遊びだったのだろうね
 
 「ゴミ箱行こうぜ」

 から始まる、僕達の遊びは、僕の人生に大きな影響を及ぼしていると思うし

 それはフットボールの状況判断でも、協力隊でバヌアツに住んでいたときでも

 大いに発揮されたと思います。うちの親は電子ゲームもゲームオッチも

 ファミコンすら買ってくれなかったけど、今思えばそれは良かったんだろうな
 
 って思います。

2012年3月15日木曜日

「知識」としても反抗期の例です

反抗期が大変だとかそういうこと良く聞くけど、あれって必要だと最近になって

よく思います。

 反抗期は子供が親に

「僕はもうあなたとは違う人間で違う人格が育ってきましたよ」

 って伝える作業だとおもいます。思春期になると自我が芽生えるからね。

 でも親のほうはすでにだたのおっさん、

おばさんだから別に思春期でもなんでもないし、単に

「思春期は季節みたいなものだからほっておけばよいけど、
    それにしても親に対して反抗するとは生意気だ!」

 みたいな感じだとおもうんだよね、

 何故急に反抗するのか理解できないのだと思います。

 昔みたいに中学出てから丁稚奉公にでもいって家庭から出ていくなら

13歳とか15歳とかで自分に目覚めても親にしてみたら後は勝手にやってください。

 ってかんじだけど、まずいことに最近は20歳でも学生だから経済的には

親に頼る時代だものね。

 親にしてみればこっちが金出して学校に行かせてるわけだし。

今の生活が厳しいのは自分が学生時代に勉強しなくて、

 就職を選べなかったからで、同じことを子供に繰り返さない為にも、

 少しでも良い学校に行ってもらいたい。そこで出てくる言葉は

「あなたの為だから!

 お母さんはあなたの為を思って勉強しろって言ってるのよ!」

 っていう言葉なのだと思います。

 子供にしてみば、

「自分のやりたいことをやらせてもらえなくて何が私の為なの?」
 
ってなるよね。

 だから親があきらめるまでとことんぶつからないと自分の人生が何時までも

 親にコントロールされているみたいな不安があって、

 生きてる意味がわからなくなるのだと思います。

子供の気持ちは 

「自分で決めて道を自分の力で歩みたい」

親にしてみたら

「バンドやりたいとか、留学したいとかより、とりあえず高校受験、

 大学受験が最優先、やりたいことは受験がおわったらいくらでもやらせてあげる」

 っておもってるだろうね


「そんなに親の言うことがきけないのなら、出て行きなさい、

 自分で好きなように生きなさい!」

 って言いたくもなるよね。

 それが反抗期なのだと思います。


  子供は親があきらめてくれるまですべての事に反抗するのだと思います。

 だってそこには自分の人生を自分のものにするために命をかけた戦い

  があるのだと思うからね。


 親の為の人生だったら自分の人生ではないから死んだほうがマシ、
  
どうせ死ぬなら死ぬ気で反抗してみてダメだったらあきらめて死ぬしかない


 これくらいの気持ちだと思います。

 金持ちの親とか、世間的に立派すぎる親で結局子供を理解できずに

 親も子供も疲れ果てている家もあると思いますが。

 僕が思うにはそういう親は自分自身の「社会的な成功」が成功であり、

自分の価値観よりも社会的にどうかが大切というまだ

 本人達が親離れできてない親だとも感じます。

 もちろんお金と権力、社会的地位はとても大切なことは僕も良く理解しています。

 そこが純粋な思春期の子供には理解できないし、

 醜いと感じてしまうのかもしれません。

 人生の中では権力も金も大切だとは思いますが、

 自分が本当にやりたいこととのバランスがあってのステータスなのだと思います。
 
 でも思春期の子供を抱えている親(40代、50代)は会社のなかでも

 一番忙しい時期だし、金銭的にも家のローンも子供の学費もあって、

 「もっと有名大学で高学歴を収めていれば、もう少し楽だった」

 という親自身の後悔もあり、勉強せずに反抗する子供は許せないのかもね。


  だからいろんなところで親子間の問題があるのだと思います。

 日本の教育制度とか社会のシステムと子供が自我に目覚める

 時期のタイミングが今の日本はあまり良くないのだろうね。

 
 しかしと言っては何ですが、

 そのすさまじい反抗期を乗り越えた子供は、

 自分というものをしっかりと持った素晴らしい大人になるのだともおもいます。

僕の好きな国際理解の例に例えると、

 日本以外の国はほとんどは一度他の国に攻め込まれて、植民地にされてりして、

 自分達の言葉や文化を否定されているから、

 逆に自分達のアイデンティティーとしっかり持っているんだよね。

 日本人はそういう経験がほとんどないから、

 グローバル化といえば外国人の真似をすれば良いと思ってるのと問題は似ています。

 親と一緒に生活してきたけど、これではいけないという独立心が芽生えてきて

 親にたいして自分達のアイデンティティーを主張する、

 「独立運動」みたいなものだと思います。

 そこで独立の為に戦った子供は自分のアイデンティティーを深く胸に刻み込めます。

 だからその時に反抗してもめればもめるほど、

 その後は自分にプライドを持って生きていけるのだと思うんだよね。

 でもその作業ができなかった人って、自分って何が好きなのかな?

 どういう服が似合うのかな?

 どういう人と結婚したら良いのかな?

 人生って何の為にあるのかな? 

 どうして私だけ何をやっても楽しく無いのかな?

 こんなことしたら親になんて思われるんだろう?なにか小言いわれるかな?


 みたいなことが気になって、「自分の人生」を生きる喜びを感じれないのだと思います。
 
 それでも不器用で、社会の不公平に疑問を感じて世の中に反抗できた人は

 社会に反抗して自己確立できるから良いけど。

 なまじ頭が良くて、偏差値社会の中では苦労しなくてもトップで、

 そのまま一流大学にはいって、気がつかないうちに高い給料もらって、

 でも私って何のために生きてるの? 生きてる理由はなんなの? 

 でもまわりにはそういう悩みは贅沢だと思われるし、

 とりあえず実感の無いまま生きていく、なんか自分に自信がもてないけど、

 ただ生きてるひともいると思います。

 そして最後まで親に押さえつけられて、自分の人生を生きられない人や、

 自らこの世を去っていく人もいるのが現実だと思います。

 僕は反抗期ってそういうことなんじゃないかな?って思ってます。

 この話は「知識」としてもっていることが大切だと思います。

 これがすべてではなくって、

 他にも色々な反抗期ともっと前向きなパターンや例も沢山あると思うけど、

 こういう話を聞いたことがあるなって「知識」として覚えておいてもらったら、

 いつかなんとなく役に立つこともあるかもしれないと僕は思っています。

2012年3月11日日曜日

アトムとターミネーターとエレファントマン

たぶんというか絶対に間違ってると思うのだけど、
 
鉄腕アトムの実写版かハリウッド版というのがあったと思うのだけど、

 映画の内容は、自分の子供が死んでしまってとても悲しい科学者が自分の

 子供の生まれ変わりのロボットを作るという話だったと思うんだよね。

 でもその科学者はその後に本当の自分の子供ができるか、何らかの理由で

 ロボットであるアトムを愛せなくなってしまって、アトムのスイッチを切ろう

としたのか切ってしまったのかのだと思います。もしくはアトムが自分で

 自分が邪魔な存在になってしまってことをに気がついて自ら去って行ったの

 かもしれません。

  
 シュワルツエネッガー主演のターミネーターもそういう話でした。

 未来から送られてきて、将来自分のボスになる子供を助けに来るんだけど、

 ロボットだけと人間の気持ちを理解して学習する能力がついてるんだよね。

 彼の最後のミッションはもう一人未来から送られてきた悪役の

ターミネーターと戦って、

将来の自分のボスを守りきり、敵のターミネーターの体を

 きちんと破壊して粉々にしてハッピーエンドで喜んでる時に急に

 「自分には最後にインプットされたプログラムがある、それは自分の体を

 溶かす釜ので溶かしてこの世に残さないこと、自分の体が残ってしまうと

 それが研究材料になって未来に新しいターミネーターができてしまう。

  最初に送られてきが時点でそのことは知っていたので問題は無い。

 でも自分には学習機能が付いているので、人間が涙を流す意味がこの数週間で

 理解できた。でも僕には波を流すことはできないけど、とても悲しい

 といって溶鉱炉に自殺していくというものでした。


  エレファントマンという映画の中では、病気で顔が像みたいになっていまっ

 った男の子が実は頭は良いのに、それが知れるといじめられるので、

言葉を話せないふりをして生きていて。

それに気がついたお医者さんが彼を引き取って人生で初めて人間として扱われた日に、

彼は鼻が悪いので座ってしか眠れず、

もし枕をすべて取って頭をフラットにして眠ってしまうと、

鼻が詰まって死んでしまうということを知っているのに、

自分が人間として扱ってもらったことに満足して、その日の晩、

眠るときに一つずつその枕を取り外して、

枕なしで寝てしまうのがラストシーンだった気がします。

 今までの人生があまりにも辛すぎたので、

今日という人間扱いしてもらった幸せな日に死にたいと思っての行動だったと思います。


 どれもこれもみんな人間のエゴ、

抱えられない苦しみや悲しみを何とか埋め合わせようと、

科学技術を使ってロボットに子供の代わりをさせたり。

必要ではなくなったら、スイッチを切ったりしたり。

人間ができない能力をコンピューターに装備して戦わしたり。

自分より弱かったり、醜いものをみて自分のほうがましだと思ったり。

それによってお金を稼いだり。

 やってる人達も悲しいし、

それ利用されたりロボットやエレファントマンはもっと悲しい。」

わかっているけど一時的な自分の気持ちの為に他人の事はどうでもよくなってしまう。

 悲しいけどそれが現実なのかな。

こんなこと言ってる自分だってきっと他人を傷つけてきたんだと思うんだよね。

 テーマが深すぎて答えが出ないけど、

もし傷つけられるのなら傷つけられたほうが良いのかな?

 どの映画も名作ってことは人はみんなこういう気持ちを持ちながら

 生活しているのだろうね。 世の中難しいなーって何時も思います

2012年3月8日木曜日

土地に対する気持ちって

今は東京で母親と一緒に住んでいるんだけど、両親は母親の実家が新宿区

 親父やは山口の下関、親父が学生の頃に東京で出会って結婚したんだけど

 親父の就職先が大阪だったので、僕と姉ちゃんは大阪で産まれました。

 今は親父は亡くなって母親は新宿区に戻ってきてるので、

僕も母親と一緒に新宿に住んでいますが、仕事で

「ご自宅どこですか?」

 って聞かれたら、

「新宿区です」

 って答えるんだけど、

「家賃高いでしょう?」

 って聞かれるので

「実家なんで大丈夫です」

っていう会話になるんだけど、相手の表情に少し違和感があるんだよね。

「なんでこの人関西弁なの?」

 この場合は実家はたとえ母親が東京に住んでいても産まれた大阪になるのかな?

 ちなみに僕は大阪で育ったけど、母親は東京だから納豆とか普通に食べれるし、

 たこ焼きを週に一回家族で食べる習慣は無かったし、

 母親の関西弁は僕と姉が学校に行くようになって、僕達から習ったものです。

 基本的には子供は関西弁ですが、母親は関西弁は今でもあんまり上手ではないです。

 
 
 この関西弁に対するリアクション現象はたまに学校で

 協力隊の話をさせてもらうときにもおこるんだけど

 僕が話しだすと生徒がヒソヒソ話を始めます。そのほとんどが僕の

関西弁のせいです。だから僕も気がついて

「ごめんね19歳まで大阪にいたから関西弁だけど許してね!」

 って言ってます。

そして教室に入って僕が話し出す前のヒソヒソ話の7割くらいは

「あの人はオードリーの春日に似てる」

 です、日本に帰ってきてから太ったから春日に似てるんだよね。

 髪型も似てるし、自分でもうなずけます。


 
 僕は19歳まで大阪だったけど、

大学一年の時は大学の学生の為の寮のある世田谷区、

2年、3年は今住んでる当時はまだ生きていたばあちゃんの家のある新宿区、

大学4年は今度はアメフト部の寮のある世田谷に一年間戻りました。
 
その後にすかいらーくのアメフト部に入社したので

 グランドのある埼玉の川越のほうに5年間住んで、

 アメフト部がオンワードと合併してからはグランドのある神奈川県の

 相模原市に4年間、でもその間2003年、2004年はそれぞれ春に

 ハワイのプロチームに所属していたのでそれぞれ5か月ワイキキにいました。
 
引退後は少しだけ都内に潜伏してたけど、親父の入院で大阪に3カ月ほど戻り、

その後は長野に協力隊の研修にまた2カ月ちょっと、

その後にバヌアツタンナ島に2年間、

 帰国後大阪に一年間、

 その後にイギリスに一年、、

 アンゴラ7カ月、

 アンゴラから帰国した時はすでに親父は亡くなって大阪は引き払っていたので、

 東京に戻ってきました。
 
 だからだと思うんだけど、バヌアツでもアンゴラでも、イギリスでも

 「日本が恋しいだろ」

 って言われるけど、土地に関する懐かしさって無いんだよね。

 バヌアツにいた2年間はなぜか帰るのはその前に4年間住んでいた

 相模原だったような気がしていて

 帰ったらいつものスーパー行って刺身買いたい!

 何時も行ってるアウトレットに行って買い物したい!

 ってついつい思ってしまうんだけどそのたびに

 「帰国するのは相模原ではなくって大阪なんだった」

 って思いだして変な気分でした、

イギリスに出発する時は大阪のマンションを引き払ったのちに東京に荷物送って

成田から出発したけど、その直前までは大阪に住んでいたし、
 
出発する前と帰国する時の家が違うと海外にいる間にどこを懐かしんで良いのか 

 今まで住んでいた大阪なのか? 

 今現在に日本で荷物を置かせてもらっていて帰国後に帰る東京なのか? 

 わからなくなってきます。

 だから結局は人は恋しくても場所は恋しくはならなくなってしまってます。

 正直に言うと人よりも一番恋しいのはどこにいっても和食だったけどね・・・

 たまに昔住んでいたあたりを車で通ったりすると

 「俺はこんなところに数年住んでいたんだなー、あれほど思い出あったはずなのに

 道もお店も全く思い出せないなー、そういうものなのかなー」

 って不思議な気持になります。それが懐かしいってことなのかもね・・・・
 
 こんな経験書いても誰も面白くないか?

今日、若者から学んだこと

ちょっとまじめに仕事しなくてはいけなくって、部屋の中だとどうしても集

中出来ないので朝から図書館に行くことにした、家から5分くらいでいけてしま

うからね。

図書館の自習室はガラガラだったんだけど、パソコンを使っても良いところは

満杯で、割り込みにくい雰囲気だったので、しばらく本でも読んで時間をつぶそ

うかな?

って思ったけど、図書館は朝の9時にあいたばっかりなので、

10時半には誰も出ていかないだろうな、っておもって、

贅沢だけどそのまま隣の駅まで歩いて何処か喫茶店に入ろうと思ってぐんぐん

と歩いて行きました。

 何回か行ったことのあるおひとり様用みたいなカフェがあって

そこは2階もあたんだけど、今までは一階しか行ったことが無かったんだよね。

 11時にあいたその店に11時10分くらいに入ったんだけど、

若い男の店員さんが二人で準備してました。

 「2階に行っても良いですか?」って聞いたら

「どうぞ、どうぞ」

 って一緒に階段を上ってくれました。

 「二階初めてですか?テーブルとカウンターがありますのでお好きなところ
 どうぞ」

 って言ってくれました。

 二階からだと川が見えてとても解放感があるし、

しかもみんながパソコン繋げるように、

タコ足配線がおしゃれに固定してあるんだよね。

 偉いなー、っておもってコーヒー頼んで、パソコン開いてたんだけど、
 
コーヒー持って来てくれた時に
 
「二階どうですか?気にいってくれましたか?」

 って聞いてくれたんだよね。

 「イヤー、素敵だよ、眺め良いし、落ち着くし、とっても良いよ」

 ってお礼を言ってそこから30分くらい僕にしては集中して作業してて、

 結構はかどってる最中にフッと何故か思ったんだけど、

 「たぶん2階が素敵なんじゃなくって、そのことを気がつかせてくれたあの

 店員さんの接客が素敵だったんだ」

 ってヒラメイタっていうか気がついたんだよね

 伝えたほうが良いかな?って思ったけど、

僕の場合そういうカッコつけてこと言おうとするとロレツが回らなくなって、

カッコ悪くなるからどうしようかなー

なんて思いながら一時過ぎに一階でレジしたんだけど、

ドキドキして下りて行ったワリにはその人はもう働いて無かったので、

伝えれなかったんだけど、

 若い人でも立派な人いるなー、って最近思うこと結構あります。

 ちなみに僕は老人が多いフィットネスクラブにも通ってるんだけど、

 そこの老人達も一緒にロッカー使ってたり、シャワー浴びていたりすると

 とても礼儀正しい人がいます。

  団塊世代より上の人だから70歳くらいなのかな?尊敬できます。

 でもそういう人から見たら僕だってマダマダケツの青い若造なんだろうな。

 「最近の若造もなかなかしっかりしてる奴がいるもんだな!」

 って思われるように自分も行動しないとな。 なんて思いました。

2012年3月2日金曜日

オバン訓練

放課後にみんなでよく遊びに行った池があったんだけど、そこは

   「絶対立ち入り禁止」

 という池でした。でもそういう池って何故か魅力的だし遊んでて楽しいんだよね。

  でも農家のおばちゃんが夕方になると農作業するためにやってきて怒られます。

  一番捕まるのはザリガニを釣っているときで、これはみんなが池に向かって
 
 集中力を保っているので気がついた時には真後ろに立っていて、

 「あんたらどこの子や、親をよんできなさい!」

 などと言われて、人生が終わったような気持ちになります。

 管理しているのは農家のおばさんなので

 「オバンが来た!」

 といったらみんなはザリガニ釣りに使っている竹の竿とかタコ糸とかを

 そのままほおり出して、いちもくさんに逃げます。サクを飛び越えるルートは

 みんなが集中して順番が詰まるので焦るし、

 焦って服がワイヤーについているトゲに引っ掛かると

 服が破れるかオバンに捕まるかを瞬時に選択する必要が出てきます。

  
 一番最低でみんなから失望されるケースは、ランドセルやカバンをその場に忘れる
 
 事で、オバンの農作業は基本的には3時から5時半ごろまでなので、それが

 終わるまでは取りに戻れません。オバンが長く働いて6時まで帰らないと

 門限が6時の我が家ではオバンとオカンのどちらに怒られるかの選択にも

 悩まされます。

  そんなある日

 「オバンが来た!」

 と誰かが叫びました。みんなあわててランドセルや給食袋をかき集めて背負う

 余裕もなく両手に持って駆け出します。サクを超えるのは順番なので、とりあえず

 サクの向こうにランドセルを投げて、その後に自分がサクを超えます。

 みんなが必死になって逃げている時に誰かが叫びます

 「ウソよねーん」

 「あほやなー、お前ら何ビビってんねん!」

 ってなって誰がどれだけビビって必死になって逃げていたかが

  検証されます。

  「コーチャンは靴を忘れてはだしで逃げていた!」

  「シミタンは一人だけ逆方向に逃げた、みんなを裏切った!」

  「アベチャンは必死にランドセルをサクの向こうに投げててフエが壊れた!」

  「チーは一人で竹藪のほうに逃げたけど、誰も一緒についてきてくれないので

    怖くなって戻ってきた」

  「ケンは田んぼにはまってサンダルが脱げてた」
  
  「ヨッチャンまだ嘘に気がつかずに帰ってこない、

    もしかしたらそのまま家に帰ったんとちゃうか?」 

   となります。

  そう言った状況で一番尊敬されるのは最後まで冷静に逃げなかったヤツです

  「リョウヘイ凄いなー、全然逃げへんかったな、こわなかったん?」

  みたいな称賛があびせられ、そういう人間は一目置かれます。

  「俺せっかくメッチャでっかいザリガニつれそうだったのに、

    嘘のせいで逃げられた」

   って言うやつがいて、最後に誰かが

  「もうオバン訓練するの辞めてや!」

  って言ったので、みんなが「そうやオバン訓練や!オバン訓練!」

   って言って大笑いしました。そのうちに
  
  「おい、誰かの仕掛けにザリが来てるぞ!」

   ってなって、みんなそれぞれ自分の仕掛けの場所にもどってザリガニ釣りが

    再会されます。

  
  そんなことを繰り返しているうちに僕らはすっかりオオカミ少年状態
   
   になっていたある日、今日も釣れへんし、オバン訓練も飽きたなー、って

    「災害は忘れた頃にやってくる」  状態に陥っていた時

   そこにいた7,8名全員が一挙に確保されてしまったことがありました。

    池のふちは低くなっていてみんなそこに降りてつっていたので、

   オバンに上から見下ろされて

   「あんたらどこの小や? サイショウか?(左寺小学校)
     
     センニか?(千里第二小学校)」

    って言われて、学校に電話するからな、この池は危ないから遊んだらアカンで、

    あんなデッカイ柵を作ってるのになんであんたら入ってくるの!
 
    って相当怒られました。

   「みんながオバン訓練ばっかりやってるからこんなことになったんや」
  
   
   「なんでうそついて隣の小学校の生徒って言わへんかってん」

    って帰りに負け惜しみを言いながら、

   「言われるとしたら来週の月曜日の全校朝礼やな」

   「月曜日に言われる前に親に行っておいたほうが良いかな?」


  って話しあいました。結局はその後におとがめは無かったけどね。

  
 
   オバンには火遊びしてて見つかったこともあったし、

  大人の男性専用の写真中心雑誌をみんなで見つけて来て読んでいた時も

 見つかったことあったなー

 あの時はザリガニ釣り以上にみんなの集中力が本に向かっていたので

 オバンが後ろに立っていた時は何が起こったかわからず茫然でした。

 大人になって今思うことはオバンはあの時はモンペみたいなのはいてて

 年よりに見えたけど、今思えばそんなに年ではなかったのかもしれません。

 「オバンが来た!」って叫ばずに、「お姉さんが来た!」ってみんなで

 騒いでたら、あんなに怒らなかったし、なんだったらみかんとか干しイモの一つも
 
 恵んでもらえたのかな? あの頃は女心がわからなかったなー

(だからといって今もわかってるわけではないけど・・・)

  プレステーションもウィーもなかったけど、あの頃毎日楽しかったなー

 想像力使ってたなー、っておもいます。

 大人になって仕事してるとあの時の経験が貴重だったことに気がつかされます。

2012年3月1日木曜日

協力隊に行く不安

協力隊に参加するかどうかを相談されるときに必ずあるのが

「やっぱり危険ですか?治安とか病気とか大丈夫ですか」

 っていうものです。それに対する答えは

「自分の身の保障を求めながら人助けをしようと思うのなら、

きっと現地では何もできないし誰も助けることはできないから

行かないほうが良いと思います」

 です、でも僕は今この文章を書いていて、あまりの正論に耐えれなくて

 熱燗のんで現実逃避したくなります。
(今は2月です、東京から博多に向かう新幹線の中です)

 みんな不安で、みんな怖くて、それでも一歩踏み出すのだと思います。

 逆に言ったら病気もなくって、治安もよくって、安全が確保されて日本み

たいだったら、協力隊にいってる意味もないし、そんな立派な国で協力隊の

助けが必要だとも思えないしね。

 だったら留学しても同じだもんね。

 怖くて不安でそれを口にしてもよいのだと思います。