2012年2月20日月曜日

プレッシャーについて

幅20センチ、長さ10メートルの平均台を地面の上に置いて歩いたら

 綱渡りみたいな感じだけど、誰も落ちないとおもうんだよね。

 それを30センチにしても落ちたらすぐに足が着ける高さだから安心して

 渡れると思います。

 それを1メートルくらいにしたくらいから少し恐怖心がでるよね、

 それがプレッシャーなのだと思います。

 1メートルは高校野球で言うと一回戦って感じ、

 5メートルは県大会の決勝、

 甲子園は10メートルくらい、注目度も高まるしね、落ちたら多少は怪我する

 怖さもあるよね。

 甲子園決勝は30メートルくらいです、絶対に負けられない、

甲子園で優勝するか準優勝かは高校生の当人達にとっては

生きるか死ぬかくらいの気持ちになると思います。

 
 でも基本的にはその平均台が地面の上に置いてあるときはほとんどの人が

 わたれるわけだから、技術的というか能力的には渡れないはずはないんだよね。

 でもみんなが注目しているとか絶対に負けたくないとか、落ちたら怪我を

 してしまうという恐怖感が心に動揺を生んでバランスを失うのだと思います

 それがプレッシャーだよね。

 「プレッシャーというのは実はこの世に存在しない、だから誰もみたことはない

   ただ人が勝手にその実在しないものの存在を感じるだけだ」

 ということを教えてもらったことがあります。


 
 克服の仕方は色々とあると思うけど、

 一つはやっぱり反復練習と経験で10メートル、20メートルのプレッシャーを

 自分でコントロールできて自信が持てれば30メートルも行けると思います。

 心、技、体の三つがバランスよくトレーニングされているからね。

 
  もう一つは私心をわすれること、自分が自分でなくなってしまうくらい、

 怪我したってもうこの体はチームのものであって、自分のものではない、
 
 というくらいに使命感というか、

あるいみマインドコントロールされているとき、

または強烈なカリスマをもった指導者がいるときなんかは

そういうことあると思います。

  もう一つはセコイこと考えないこと「王道」とでも言うのかな?

 高校野球の場合なら対戦相手がいるから

 「もしも相手が自分達よりも質の高い練習して、準備をして、栄養を取って

努力して、圧倒的に上回っているのなら、相手が勝つことは当たり前だ、

 それは仕方のないことだ、自分が今日の試合でベストを尽くしても負ける

 だろうからそれは仕方ない。でも自分たちだって一年間、日本のどのチームに

 も負けないくらいの努力を積み重ねていた、その自信がある。

 セコイことせずに真っ向勝負しても絶対に勝てるはずだ、このメンバーで

 チームとして一年間やってきたことを今日の試合でもやるだけ」

 というふうに気持ちが落ち着いていれば0対0での9回の裏でも何の

プレッシャーも動揺もなくプレーをできるのだと思います

 
自信がなくなって試合中にセコイことして策におぼれて負けた場合は

 自分達を信じ切れなかったという気持ちで後悔するけど、真っ向勝負で

 負けたら、次の年にもう一度頑張れば良いと感じることができると思います。

 「王道」で勝負して負けたら、優勝チームは自分たちよりも努力と準備を

怠らなかったということだから、潔く負けを認めて相手を尊敬できると思います。

 
一球入魂とか一戦必勝とかいうけど、プレッシャーとか考えずに自分の

 プレーだけに集中できるのはやっぱり心の中にセコサが無いのだと思います。

 
 ちなみにアメリカでも同じ言葉があって

 「ONE PLAY AT THE TIME 」

 過去のミスとか、試合の流れとか、気にせずにその一プレーに集中しろ。

 というのがあります。

 ハワイにいたときのコーチは

 ワン ステップ アット ザ タイム

 って言ってました。


 後は10点差で負けていても10点差で勝っていても常に同じ気持ちでプレ

ーできることを常に心がけておくこと、それができていなくて、10点差で勝って

いる時にスタンドプレーをして気を抜いたかっこをつけてプレーをしてしまう

と、それが体に染みついて癖になって、大事な場面で余計な考えることが増えれ

しまうからです。

 そういうことがすべてわかっていればプレッシャーをコントロールすること

は難しく無いと僕は思います。

2012年2月19日日曜日

クロマニオンと青の洞窟

後輩: 「先輩やっぱり海外とか良く行くんですか?」

先輩: 「当たり前だよ、こないだはイタリアに行っちゃったよ、」

後輩: 「イタリアっすか、ってことは先輩英語もペラペラっすか?」

先輩: 「ペラペラっとほどでもないけどね、まあ日常会話ってとこかな

     昔から結構海外旅行いってたからな。」

後輩: 「凄いっすねー、自分もイタリアいきてー、とりあえずパスポート持ちてー」


先輩: 「イタリアにはな青の洞窟っていうすっごく綺麗な洞窟があるんだぞ

     こないだはそこに行ったんだけどよ、ヨーロッパは怖いぞ、

     洞窟に行く船の代金が俺達アジア人とクロマニオン人と値段が違うんだぜ!」


後輩: 「何すかクロマニオン人って?」
 
先輩: 「おめーは本当に何もしらねーな! 

     ヨーロッパの白人たちの事をクロマニオンっていうんだよ!」

後輩: 「まじすか!?そう言えば昔に歴史でその言葉を習った気がするっす!」


先輩: 「周りの日本人観光客は馬鹿だから気がついてなかったけど、

     おれは気がついちゃったもんね、やっぱり駄目だよな日本人は海外で

     舐められちゃって。」


後輩: 「ってことはやっぱり先輩はクロマニオン価格に値切ったんですか?」
 
先輩: 「バーカ!そんなカッコ悪いことできるかよ、和だよ和

       足並みそろえるのが日本の伝統だろ!」
 
後輩:  「やっぱ大人っすね!」

先輩: 「まあな、一応俺もグローバルとかめざしてっけど、

     ぶっちゃけ俺達はクロマニオン人じゃねえしな、仕方ねえよな」

 
後輩: 「そうっすね、でもクロマニオンは女が綺麗ですよねー」


先輩: 「そうだよなー、あいつら反則だよなー」

後輩: 「俺もクロマニオンにうまれてきたかったなー」



 なんかすべてが少しずつ噛み合ってない二人でした・・・

イタリア人はイタリア語喋ってるし

アングロサクソン21世紀でも存在してるけど

クロマニオン人は4万年ほど前に絶滅してるから恋愛するのは難しいだろうし

 歴史で習ったのに現在のことになっちゃってるし

アングロサクソンって酔っぱらって思い出せないんだったら白人って言えば良

かったのにな。 

って思いながら2006年の春に六本木のイモ洗い坂のメキシコ料理屋で

 この話を盗み聴きしていました。

2012年2月18日土曜日

目的があれば頑張れること

最近ちょくちょく中学校とか高校でバヌアツの活動の講演をさせてもらうの

 だけど、その中ではどうしても自分の人生については話すことがあって

 僕がよく行ってしまうのは

 「やりたいことが見つからないのなら、やりたくないことをやらないように

 したらそれが結局は自分のやりたいことなのかも知れないよ」
 
 といういい加減な発言です。

 まあ僕は現場の教師ではなくて、外部講師だからそういうことを言っても

 許されるのだろうけどね・・・・


 僕の場合なら、お勉強は全くできなかったし嫌いだったから体育だけ

 やってた、それで体育大学に行って体育の教員免許を取りました。

 大学では体育だけだったのでとても楽しかったのだけど、別にそれが

 自分のやりたいことだったのかといえば、今はボランティアとかやってるし

 大学受験の時にそれほど体育大学を考えていたわけでないんだよね。

 ただ高校で3年間アメフトをやっていたから、それを続けたかっただけです。

  でもそれで言うと少し矛盾があるんだよね。

 勉強は全くしなかったって言っても一応は日本体育大学とはいえ、英語、

国語、体育実技の三科目だからね。

 きちんと受験してるじゃん! 

 ってことになります。

しかも僕は一浪で一般入試、アメフトの推薦とかではないんだよね

 現役、浪人で15校くらい大学を受けて、日体大一校しか受かってないのが

 自慢です!

 ってことは英語と国語勉強してるじゃん!

 と言われると思いますが、浪人の時に考えていたのは

 「勉強は絶対にしたくない、でもアメフトで日本一になるには大学に

 入学しなければならない。ということは今やっている英語と国語は
 
 勉強ではなくてアメフトで日本一になる為の一つの手段なんだ、

 ウエイトをしたり、走ったり、戦術を覚えたりするのと同じことで、

 これがアメフトで日本一になることに繋がるんだ、勉強だと思わずこれも

 アメフトの一つだと思って頑張ろう」

 って考えて納得していました。あの時は日本一なんて考えてなかったかも・・・

  奇跡的に合格しますが、そこで運を使い果たしたみたいで大学時代は

 4年間二軍生活、そこで今度は当時僕を入社させてくた唯一の実業団

 の会社すかいらーくに入りました。

入社して新人だった時に洗い場で皿洗いを何時間もさせられた時にも思いました。

 大学でて皿洗いしてたら学費を払ってくれた親に申し訳ないけど、

 これを我慢すれるから安心してアメフトに集中することができるんだ、

 皿洗いもアメフトで日本一になるためにしなければならないことの一つなんだ

 って自分を言い聞かせたことがあったのを思い出します。

 その後9年間すかいらーくにお世話になったけど、9年間皿だけ

 洗っていたわけではないですけどね・・・・

 
  やっぱり好きなことがあれば人間嫌いなこともできるようになるのだと

 思います。

劣等感が人を育てる

前回は好きなことを見つければ頑張れる、

じゃあ好きなことはどうやって見つけるのか?っていうと、

それはやりたくないことをやらなければ自然とやれることだけが残って

それが結果的にはそれが好きなことということになる。

 と書いたけど、僕の場合は高校に入った時に全く勉強できなかったので、

生きている理由はスポーツだけだでした。

ようは部活でやっていたアメフトだけが唯一自分がこの世の中でできること

 だと思ってたんだよね。

 でもあの頃は決して真剣にやりたかったわけではなくて、

 単に

「これすらも辞めてしまったら自分には何も残らない、

 生きている意味がなくなってしまう」

 って思っていたことと、先輩が怖くて辞めさせてもらえなかったのがとても

 大きかったというのもあります。

 結果的に3年間、それほど前向きにやっていたわけではないけど、

 人間何か一つの事を3年間もやっていると、

 それなりに次の段階というかもっと高いレベルを見てみたいと思うのだとおもいます。

 そこで大学という次の道を思いついたんだよね。

 今思えばアメフトはそれほど高校時代にやりたいことではなかった気がします。

 単に自分が勉強できない劣等感から続けたところが大きかったです。
 

 もし中学時代にそれなりの成績を収めていて普通に中堅くらいの高校に入れていたら、

 部活なんて直ぐに辞めていたと思うんだよね。

 ってことは高校時代に持っていた劣等感が僕に3年間アメフトを続けさせてくれた

 ということになるのだと思います。

 
若いころに持っている劣等感は時に必要なのかなー? って今では思います。

エミレーツのナイフと原子力発電所の共通点

アンゴラから日本を往復したとき、行きも帰りもエミレーツ航空だった、

 アラブの大金持ち航空会社で今後世界で一番になる可能性もある相当影響力

のある航空会社だとおもう。

 全席にテレビ画面が付いているし、300本くらいの映画が見放題だし、

 日本字幕ももちろんあって、海外の飛行機会社にしては気が利いている。

そして海外の飛行機会社には珍しくCAの方々が美しいという基準で採用

 されている気がします。
  

今は国際線はどこも厳重にボディーチェックされるのはみんな

知っていると思うけど、エミレーツの面白いところは、

搭乗手続きでとても厳重に持ち物検査をするのに

機内食に毎回プラスティックではなくて、

ちゃんとしたステンレスでできた立派なナイフとフォークが出てくるところです。

 配られた時にその重量感に少なからずの手ごたえを感じるし、

 食事が温かいのに対してナイフとフォークは冷たいところに保管されている
 
 みたいで、ひんやりとした手ごたえがエアコンがきいた機内でひときわ

 存在感を示すのね。

 絶対にこれをもって搭乗手続きをしたらエックス線がピコピコ鳴って、

「お前相当な挑戦者だな」

という顔をされて没収されること間違いなしなんだけど

それくらい立派なナイフでお肉でもなんでも力を入れて

 ドンドン切れてしまいます。

それが機内で配られていることになんとなく違和感あるんだよね、配られた時に

「これ使ってハイジャックできちゃうけど?」

っておもってそういう自分の妄想を抑えるのに大変だったけど、

 いま冷静に考えれば僕が一人でナイフをかざして

 「今からこの飛行機をハイジャックします!」

 っていったらその時食事している周りの乗客もみんなナイフとフォークを持っている

 わけだから、みんなが僕をとめようとして、食事用のナイフで大格闘になるのだけど

 結局は300人乗りの飛行機なら他の299人の乗客もナイフもってるからあっさり

 取り押さえられてしまうな、そういうナイフは一人だけが持っているから

 武器になるんだな、って思います、思いとどまって良かったです。

 エミレーツがそこまで考えてあのナイフを配っているとは思えないですけどね・・・


話は少しずれるけど、

日本の原発もちょっと似てるところある気がするんだよね。

 安全なのかどうか?みたいな論議が絶えないけど、もし核爆弾持ってない国が

日本を攻めようとした時に、原子力発電所に9,11のようなテロ攻撃を

 したら日本は原子力で汚染されてしまうよね?だって津波で

あれだけダメージでてしまうのだものね。

ということはイラクが核を持っているかどうか視察しよう、

なんて言ってるアメリカ中心の意見に反対しなかった日本だけど、

飛行機の中で立派なナイフを配ってるエミレーツの人とやってること

同じだよね?

一方ではイラクまで攻め込んでいってものすごく厳しく取り締まってるけど、

他方ではとてもスキのあることを平気でやっていてそれに気がついてない。


 核を持っていない国にしてみたら、別に持つ必要はないよね、だって相手国が

 すでに原子力がここにありますって公表してるからね。

 なんか変だよね?

 この二つの矛盾をひとまとめのストーリーにすると

 エミレーツの機内で配っているナイフを使ってハイジャックをしてそのまま

原子力発電所に突っ込んだら、何の準備も無しにテロが完成してしまうのが

怖いところだよね。

 原子力発電所を賛成か反対かっていうのは偉い人たちが真剣に話し合って

 決めていることだからどうこう言うつもりはないのだけれど、僕みたいな

 何も難しいこと考えてない人から見るとエミレーツのナイフも原子力発電所

 もどちらも便利なんだけど、何か違和感を感じるところもあります。

 もしくは飛行機の中のナイフと同じようにすべての国が原子力発電所を配れば

 お互いに攻撃しないのかな? そんな一触即発的な思いをしてまで使う電気に

 どれだけの便利さがあるのかね? 空想が空想をつくって元がわからなくなって

 きたよ。とりあえず今の生活水準のままでも僕は十分幸せだということは

 こんな僕でもはっきり断言できます!

2012年2月14日火曜日

自由の意味と「おきて」の大切さ

日本には自由が無い、窮屈だ、もっと自分を試したいという気持ちでバヌアツやアンゴラに行ったけど、そこで感じたことは

「自由を得たいなら、リスクも覚悟しなければならないということ」

 バヌアツに派遣される前の研修で、色々な立場のプロが途上国で起こることに対するレクチャーをしてくれる。

 衛生に対するレクチャーでは

 「現地の人の家の呼ばれて食事をするときは、もし現地の人が手を洗わずに食事の準備をしていたり、まな板が汚れていたり、水が無いので生野菜を洗っていなかった場合は、衛生上断るべきである」

 と言われたり、

 
「現地の足と言われているバイクの2人乗り、3人乗りのタクシーは隊員は乗ってはいけない、時にはドライバーが酔っぱらっていることもあるし過去に事故が多く報告されている」

 
「現地ではトラックの荷台に人が乗ることが許されているが、あれは振り落とされるので危険である。」

「現地のレストランで出された水は飲んではいけない、必ず下痢をする、しかしコーラなどの加工されている飲み物は安全である、でももしコーラがグラスにつがれていて、その中に氷が入っていた場合、氷は生水からつくられているので、残念ながら飲んではいけない」


などとそれぞれの立場からそれぞれの専門家が連日レクチャーしたあとに異文化理解の教授がきてこう言っていた
 
 「協力隊の隊員としては現地の人と同じものを食べて、同じものを着て、同じ生活をしなくては誰もあなたの事を信頼して一緒に働いてはくれません。どこまで現地に溶け込めるかが信頼を得るには大切なのです」



それぞれの自分の専門分野で真面目に考えた結果がこういう矛盾をになるのだろうし、結局人間は一人一人がとても真面目で良い人だけど、多くの人が組織を構成していて、その人たちの安全を守る為に、過去に起こった事件、事故を繰り返さないようルールを作っていくと今度は禁止事項ばかりで何もできなくなってしまう。

結局は途上国の人に

 「日本人みたいにはなりたくないよー!人生楽しめてないじゃん!自分の良心よりもルールが優先なんだ!」

って言われちゃうかもね?



 現地に行って感じたことは、日本で聞いている時には馬鹿らしいと思っていたこういうアドバイスも、現地の医療設備や日本とは違う常識に当てはめると

 「なるほどな」
 
と思わされることもあります。 でもこのアドバイスをすべて守っていたら窮屈過ぎて何も生活できません。

 だってペットボトルの水が手に入らなくて、煮沸することが困難だった場合、生水を飲んで下痢をするか、我慢して脱水症状になるかの選択になるからです。

現地のお母さんが一生懸命作ってくれたご飯を遠回しでも断ることはボランティアとして以前に人間としていかがなものか?ということになるしね。

 
下痢する自由ってもんがあっても良いよね?

 自分の判断で下痢したならその下痢には意味があるし、プライドを持てると思います。

 
そこでダメなのは?

 「下痢したー、ジャイカの人助けてー、協力隊なんて来なければ良かった」

 っていう人だと思います。
  
 そういう人には「自由」を求める権利は無いよね。

 自由が欲しいならそれによって起こったことには自分で責任とらないとね

 責任は取らない、でも自由は欲しいでは矛盾してるよね。

 
 その選択を自分ですることが「自由がある」ということなのだと思います。

日本では最初からルールと規制か過剰すぎて、危険だからルールを守らなきゃ!って思う前に、警察に捕まるから守らなきゃ!

 ってことになってるよね。 そういう環境で育った人が考えることは

「ルールの範囲内でやれることはどんな汚いこともやらなきゃ損!

 法律や規制が追いついていないグレーゾーンならとりあえずやったもん勝ち」

 になってしまってるところもあると思います。

 資本主義が行きづまっているのもそういう考え方が一部の頭の良いと言われる

 ビジネスマンの中で「自由」という言葉を盾にして広がりすぎたからだと思います。

 ルールや規制ではなくって「ジャングルのオキテ」が守られていたころのほうが

 人間は純粋だったのではないかな?

 「弱肉強食」っていう言葉は野蛮ではなくてもしかしたらバランスのとれた

 素晴らしい「オキテ」だったのではないかと思います。

2012年2月11日土曜日

準備ばかりの日本人

小・中学校時代は高校受験に向けて、

 高校三年間は大学受験に向けて、

 大学4年間は少しゆとりを持ちながらも就職に向けて準備して

社会人になったら年金制度の崩壊を恐れて老後の為にせっせと貯金、

 60歳で定年すると同時に病気で死んでしまったり、

 定年した瞬間に奥さんに逃げられたり、

 仕事一筋だったので社会に居場所がなかったり、

それでも周りに迷惑かけてはいけないと一生懸命に医療保険を

 払い続けて何時病気になってもよいように準備して

 日本人の「人生の本番」は何時だったのか?

 と思うこともあります。

 外国人の自由すぎにもどうかな?と不安になることもあるけどね!

協力隊員の親達

留学するかどうか迷っている高校生に、大人は良いよ、

 自分の責任で何でもできるからね。って言った時に思い出して話したことがあって、

 協力隊に一緒にいった隊員にも二つのタイプがありました。

 一つは親から反対されている人、親からの理解を受けられず、

それでも自分の人生を進みたいと思って会社を辞めてでも参加する人。
 

 もう一つは親から

 「ダメだったらいつでも帰っておいで、私達はいつでも待っているよ」

と応援してもらって参加する人です。


  何をしようが親は無関心という人もいますが・・・

 親の理解が得られないまま参加している人は、

 やっぱり頭のはじっこで親の事がちらつくし意地になるから、

 どんな辛いことがあっても弱音を吐かずに頑張ると思います。

そうなると時には仕事に心のゆとりがなくなってしまうこともあると思います。

 弱音を吐いてしまって親から

 「だから言ったじゃないか、お前には無理んだったんだ!」
 
と言われるのがいやで頑張りすぎて抱え込んでしまう人も結構いると思います。

 でも協力隊の場合は行った現地と自分の能力や技術、

 人との出会いなどの運によるものが7割くらいを占めてるとおもうので、

自分のせいにしすぎないほうが良いと僕は思います。
 
 そこに親の反対を押し切ったという変なプレッシャーがかかると

 判断を間違いやすいと思います。


 親から

「いつでも待っているよ、自分のやり方でベストを尽くしておいで!」

と応援された人は、辛い現状になっても心が安定して弱音も吐けるし、

頑張らないといけないところ、妥協すべきところの判断も素直にできるのだと感じます。

 
 最後に僕が最も好きなパターンは

 親に反対されてきた隊員が現地に親を呼んで自分の生活や

現地の人達にどれくらい信頼され良い関係を作っているかを見てもらうことです。

親からしたら

「子供の頃から何を考えているか理解できないし、

何をやっても中途半端だと思っていたし、

ろくに相談もしないで勝手に協力隊に申し込んで飛び出していった自分の子供が、

ボランティアとしてこれほど輝いているとは」
 
と理解して、親自身の人生観もかえてしまう瞬間を見たときです。

仕事一筋で真面目だった親のほうがそういう気持ちになると思います。

 
 あといつも驚かされるのは、隊員として一緒に活動していたり普段生活していると、

「この人どんな親に育てられたのかな?なんでこんなに自由すぎるのかな?」

 って疑問に思ってしまう日本社会に不適合そうな隊員の親にあってみると、

メチャクチャしっかりしていて、優しくて、気が利いて良い人だったりします。 

そういうときに何かとてもうれしい気持ちになります。
 
それってウラさん自分の事でしょ。と思う人もいるかも知れませんけど、

僕はしっかりしているつもりです。

高校生は大変

先日に高校に講演に行った時に高校生に相談されたんだけど、

海外に留学しようと思っているけど親の理解を得られない、

でも今のまま学校に通うモチベーションが上がらなくって困っている、

とりあえず留学しないと何もかもが前進しないような気がしてしまっている。

 って言っていました。
 
よく気持ちわかるなー、って思いました。

 自分も大学受験を決めたとき、フットボールでプロのリーグに行こうと思った時、

社会人のチームの移籍を考えたとき、協力隊に行こうと思った時、

それぞれのタイミングで人生の転機があって、迷いました。
 
大人になると親に相談しなくて決めれたけど、

学生だと金銭的にも親の助けが必要だからやっぱり親の意見は絶対です。

 その子も「親にまだ留学する必要はない」
 
 と言われているみたいでした。

でも自分では足踏みしているような毎日は嫌だと言っていました。 

僕は親の気持ちもわかったし、その子の気持ちもわかったし、

「うーん難しいなー」
 
って本気で思ってしまったので思わず。

 「上手くアドバイスできないけど、僕から言わせると大人は良いよ!

自分で何でも決めれるしどこに行ってもよいし、金銭的にも親から自立できるからね。

高校生はそこが難しいよね、

結局はお金の事が絡むと親の意見を聞かなければいけないからね。

早く大人になれたらよいねー、俺も2度と高校生にはなりたくないよ」

って言ってしまいました。でもなんとなく説得力があったみたい。

 周りの先生も笑っていました。

 何の自信もなくも目標も希望もなかった自分の高校時代を思い出すと、

つくづく人生は面白いものだな。何とか生きてる自分に感謝です。
 
だからこそ人の為になるような仕事したいなともおもいます。

 高校生にも頑張ってほしいです。

日体大の意味付けが難しかった頃

教育の現場の変化について前回書いたのだけど、思い出したことが一つ。

 僕が日体大を卒業した97年ってバブルがちょうど終わるころで、

しかも日体大生もそれまでの好景気で民間企業に入る人が多かった時期です。
 
もう一つの理由は第2次ベビーブームが終わってから子供の数が減ってるので、

教員の採用が全くなくなってしまったんだよね。
 
 日体大は基本的には体育の教員を育てる大学として有名だったんだけど、

その時期って授業で勉強して教員免許をとっても、

教員になる人はほとんどいない状態でした。

 学校のカリキュラムと生徒が必要なことがマッチしてなかったんだと思います。

 でも日体大はそれを変えなかった、単科大学だから帰るのは難しいし、
(今はユニバーシティーだけどね)


そしたら最近はまた教員の採用が増えてきて、

本当になりたい人は教員に慣れるようにもなってきたしね。

 時代の流れってあるもんだなー、と感じています。

記憶力と想像力のバランス

最近は学校でバヌアツの事について講演させてもらう機会が結構あるんだけど、

そこで思うことは、日本の教育は記憶力をつけさせるものなんだなー、ってことです。

頭の中のハードディスクにいかに多くの情報を詰め込むかを

競い合っているのだと思います。

たとえば偏差値75の東大生の頭には750ギガバイトくらいの情報量が入っていて、

そこから偏差値順に600ギガの大学、

500ギガの学生のいる大学となっているような感じ。

 昔はそれでよかったんだと思うんだよね、

まいあさ新聞読んで不特定多数な情報を頭に叩き込んでその中で

勝負してればよかったんだと思います。

でも今ってインターネットがあるから個人がそれほど多くの情報を頭の中に

叩き込まなくても生活で必要な300ギガくらいの「基本知識」だけ頭に入ってれば、

必要な時にネットにつないでわからないことは

グーグルとかウィキペティアで調べることができるんだよね。

だってネットの中にはすでにギガレベルではなくてその何百倍もの情報が入っていて、

いつでもそこから情報や知識は引っ張り出せるものね。

そうなると偏差値30の学校出てても60出ててもたいして変わらないよね。

 必要なのはどのタイミングでどの情報を引っ張ってくるかの「ひらめき」

と「情報処理」的な能力のほうなんだと思います。

 ネットで調べられる情報をわざわざ記憶する必要はないと思います。

情報を分析して、文章や形にして外に発表する能力だよね。

もう一つの問題は現場の生成達はすでにそれに気が付いていることだと思います。

みんなわかってるんだよね、

わかっているけど上が変わらないから現場ではどうしようもない。

 あんまり簡単に今までの日本の教育を変えることは危険だと思うけど、

現場でそう言った矛盾に悩みながらも毎日頑張っている先生達は偉いな、

とも感じます。

2012年2月4日土曜日

トイレの手洗いセンサー

トイレの洗面所によくある手をかざすとセンサーで水が出る水道があるけど、

 最近あれとの愛称が悪い、手をかざすと一瞬ビュッと水が出てくる、

でも僕はけっこうしっかりと手を洗いたいタイプなのでもう一度かざす、
 
 でも水は出てこない、手をヒラヒラさせる、でも反応がないので仕切り直して

 一度ひっこめてみる、するとその瞬間にビュッとでる、あわてて手を出すと

 その時には止まってしまうというモグラたたき状態になる。

 先日八王子でそれが起こったのだけど、昨日も青梅線で同じことが起こった。

 JRつながりだけど、まあ僕が駅のトイレばかり使ってるからかな?

 駅のトイレって入り口に扉がないから入りやすいんだよね。

 居酒屋やスタバは個室になっていてドアをいちいち開けたり閉めたりするの

 面倒なんだよね、きっと女性にはわからない感覚だろうなー

 駅だとトイレに入って用をたしてから出てくるまで男なら一切なににも触れ

 ずにその一連の動作を終わらすことができるという気軽さが

 唯一よいところなのです。最近は小便器の水もセンサーで流れるし、
 
 あれは多少反応が悪くても男は誰もきにしてないしね、

 もちろん清潔さではスタバやデパートには負けますけど。

 
 話をセンサー付きの洗面台に戻すと、

すいている駅とか誰もいないデパートなんかで一人でやってる分には
 
 良いけど、後ろで人が待っていたりするとけっこう気を使ってしまう。

 こんなことならセンサーなんて使わないで、蛇口をつけてくれたほうが

 よっぽど良い気がする、中に入ってる乾電池がきれてるのかな?

 (電池なんて使ってないか?)

 
 一度アンゴラから帰ってくるときにドバイの空港で27時間乗り換え待ちと
 
 というのをやって事があったのだけど、もともとアンゴラとドバイだけでも

 6時間くらいの時差がある、アンゴラの夕方に飛行機に乗ったけどドバイ

に着いた時にはすでにドバイの太陽が朝日なのか夕日なのかもわからなくなってい

た。とりあえずガラス張りの空港に真横から突き刺してくる太陽光線は非常に眩し

い、日本でいったら西日的な光だけど、ドバイでも西日イコール夕日になるのかな?

 それは世界中で変わらないか? 

世界中どこでも太陽は西に沈むんだよね?

 時差ボケ、アフリカボケの頭でそんなこと考えてました。


ちなみにドバイは昼間に2時間くらい全く飛行機が飛ばない時間があって、

超巨大な体育間50個くらいある清潔なワンフロアーの空港に、

とても素敵な男性の声のコーランが大音量かつ神聖に流れて、従業員はみんな

 何処かに消え去ってしまって、空港は静まり返ってひっそりとした場所になる。

 これだけ天井が高くて大きな建物にほとんど人影がなく、そこにコーランが

 流れていて、しかも全体がガラス張りの空港の建物の周りには広大な滑走路が

広がっていてその先は砂漠が広がっていると、なんか火星にできた宇宙ステーショ

ンの中にいるような気分で、今までに見たこともない景色がアラブにはあったのだ

なー、などと圧倒されてしまった。

 この静かな時間利用して、贅沢にトイレと歯磨き、洗顔を済ませようと

 これもまた大小のトイレがそれぞれ30個くらいずつ並んでいる
 
 広大なトイレに荷物を持ち込んだ、トイレだけでも山手線2車両分くらいある

もちろん独り占めだから下着もひととおり着替えたけど、

すでにほとんどの荷物はアンゴラでチェックインする時に

 預けてしまっているから、パンツ、靴下、本とラップトップくらししかカバンに

ははいっていない。

 普通は27時間も待ち時間があるのなら、何処かホテルにはいったり空港内にも

 シャワーや休憩所など色々な設備があるのだろうけど、こっちは貧乏

 ボランティアなので、とりあえず空港の床で本を読めば良いのだ。

 と思っていたので何の準備もない。

  歯を磨いて口をゆすぐ時になって気がついたのだけど、ここの便所の

手洗いセンサーもメチャクチャ反応が悪い。

 でも手洗い場だけでも30個以上あるのだこっちも安心だ。
 
 一つが反応が悪ければ隣に移ればよいからね。しかし中には全く反応もしない

 水道もあって、しかもどれも平均2秒ほどしか水がでない、

 その時に気がついた、

  ドバイにはガソリンは豊富にあっても水はないのだということ

 口をゆすぐだけで15台くらいの洗面台を次々に隣に移動しないといけなかった

 そのあと顔を洗い終わるのにさらに15台の洗面台を移動してやっと終了、

 気がついたら自分の荷物ははるか遠くのトイレのはじにあって、

 かばんの上に自分が置いたタオルまで濡れた顔をふくためにたどり着くのに

15メートルはあるく事になってしまった。 

まあ時間はたっぷり27時間あるし、

 トイレは貸し切りだし、あと一日で成田に着けばそこは一年ぶりの日本だし

 だからすべてが許せたけど、

あの洗面台を次々に移動する日本人の姿をドバイの人にみられなくてよかったなー、

監視カメラ見てる人に笑われてるだろうなー、って思いながら日本行きの飛行機を

 待っていた思い出があります。

 八王、青梅、ドバイと変なところで繋がったけど、公共交通機関のトイレの

 手洗いセンサーはどこも反応が悪いということなのですね・・・

2012年2月1日水曜日

苗字の違う家族

年末に二人の甥っ子が山口県から飛行機で送られてきて、僕が羽田に迎えに

 いって、レンタカーを借りてウチの母親と4人でスキーにいきました。

 甥っ子の苗字はアキモト、僕はウラ、母親は離婚してるから旧姓

 なんだよね、レンタルスキーとウエアーのカウンターで一人ずつ名前書いて

 申し込んだのだけど、そこのお兄さんが

 「とりあえず息子さんウエアーがこれで、お父さん(僕のことね)のスキーが

 こちらで」

なんて言って説明したあとに、子供と僕の名字が違うのを知って、

 少しあわててたけど、まあいまどきそういうこともあるから許してね!

 って思ってたんだけど、その後に靴を履いていた母親に僕が

 「お母さん」

 って呼んだときに自分の中で何か違和感が・・・

 もしかして、ウチの母親と僕が夫婦だと思われてる?

 もしくは僕がバツ一で子供を二人引き取って育てていると思われてる?

 でもその場合だと子供と僕の名字が違うのはおかしいから

状況的には嫁さんが二人の子供を引き取っていて、

スキー旅行は子供との面会日みたいな感じで、

僕が母親に連れ添ってもらって今ここにいると思われてる?

  でも甥っ子達は僕の事を「お父さん」ではなくて「てるくん」

 と呼んでいる。

  レンタルスキーのお兄さんにどういう風に解釈されているのか

 とても気になってしまいました。

  むかしソフトバンクに家族割を申し込んだときもそうだったんだよね。

 「みんな苗字違うでしょ。でも昔はみんなウラっていう名前で家族だったの!」

 だから割り引いて! って説明しました。

 でも向こうの人も結構慣れてるみたいで大丈夫でした。

 まあいまどきけっこう当たり前か・・・

なるほど、って思ったこと

現役教員の友人に今の日本の教育現場の体罰について聞きました。

  昔みたいに

 「ウチの子がおかしかったらぶん殴ってやってもらって結構です!」

   みたいなこと言ってくれる親っていないの? って聞いたら

 「もちろん今でもそういう親はいますよ、

  でも実際はそういうことが言える親に育てられてる子供は

  初めから殴る必要は全くないんですよね、そういう子は口で言えば理解しますから、

  殴るべき子供は言い訳ばっかりする甘えた子供です、

  親を見れば一発でわかりますね。

  だって親自信が言い訳ばっかりで社会に甘えてますからね、 

    とりあえず親からぶん殴らないとっておもいますね・・・・」

  なるほどね、学校現場は今でも素敵な人が多いな!って嬉しくなりました。

アラフォーの言い訳

協力隊で一緒にバヌアツにいた、ヒロが言ってたんだけど、

 「戦後生まれのウチの親父が働きだした頃は、40年働いてカブ(新聞配達の人達が
  
よく乗ってるバイク)一台買えたら良いなー、くらいに思っていた。でも実際は

 定年するころには、車も実家の軽トラを含めて3代、バイクもトラクターも

 持っている。まさかこんな風になるとは思っていなかった」

 と言っていたそうです。

 この40年てそういうものだったよね。

 でもこの先40年はどうかな?って考えると、そういう時代ではなくなってきた

 のだと思います。

 親達がしてくれたことが自分の子供にできるのかな?

 って考えると、現状維持はできても、それ以上は難しい時代だと思います。

 
でも最近気がついたのだけど、そういう喪失感みたいなものは第2次ベビーブーム

 でバブルの最後を少し見た僕の世代

(ジュリアナに行く年ではなかったけど、テレビで見たことはある世代、30代後半)

しか持っていないのかもなということです。

 今の20代の人達ってもともとバブルも知らないし、ゆとり教育をうけて、

就職も最初から無いし、終身雇用も崩壊、年金も崩壊、就職したら車を買って

ドライブするというよりは、電車で近場に行く、そもそも人数が少ないから

何をしたって社会現象として取り上げられにくかった世代だと思います。

 ある意味そういう世代の人達のほうが今の世の中の現状にマッチしていて

地に足がついている気もします。

 焦りがあるのは僕の世代(38歳くらい)親達がたどってきた成長が望めない

という世代だけなのかもしれません。

 こういうこと考えるのって40前にして同じ世代の勝ち組、負け組が決まって

 きたからなのかな?

惨敗組の自分はどうやって這い上がるべきなのかね・・・