2011年2月27日日曜日

自主性を保ちながら管理すること


 <いつもは干上がっていて歩いてわたれる川ですが、上流で雨がふったので
 今日は靴を脱いで濡れながらわたりました>

 「自主性を保ちながら管理すること」って本当に難しいなと改めて

感じてしまいます。それは実業団のフットボールでも、ファミレスの店舗

でも、大学の体育会でも同じだと思います。

 組織が大きくなって、一人ひとりの意見が反映されなくなると、

みんな自分では考えることをやめてしまって、従うだけになるんだよね。
 
 だからといって、自主性に任せてしまうと、方向性を見失ったり、

モラルが下がったりしてしまいます。

 それを保つにはきちんとしたビジョンを持つリーダーが常に全

体を「見守る」ことができることが大切なのかもしれません。

 常に上の人が自分を見ていてくれているという「安心感」

はやる気とモラルを保つには大切なのだと思います。

管理する側がそれをしなくなると

管理される側もそれをしなくなります。

 実業団でフットボールをしていた頃に九州から来た選手がいました。

3年間関東の実業団でフットボールを勉強して母校に戻って、

自分の大学を九州で優勝させる。

 というのが目標だったので、良い選手だったのに

3年でやめて九州に戻りました。

 僕と何人かの同期が年に2回ほどその大学に呼ばれて教えていたのです

が、一番最初に合宿に呼ばれていったときの選手達の目の輝きは凄いもの

がありました。

 今までは関東の大学のビデオを見ながら選手同士で

「ああでもない、こうでもない」

と話し合って、そのまねをしていたのが、それを実際にやっていて、

今は実業団でプレーしている僕達が教えに来たのだから、

喜んでくれるよね。

 金髪に髪を染めたり、関東とはまた違うファッションでたくみに九州弁

をあやつる学生達のフットボールに対する質問は、

とても高度なものから、単純なものまで数多くあり。

 「実際に関東でやってる俺達もそこまで考えてないよ!」

っていう質問から。

 「よくこのレベルまで考えてるな?」

と感心させられるものまで、選手の意識の高さはすばらしいものがありました。

 
2年、3年と続けて行っているうちにあるプレーの選手の動きが気になって

「何でこのプレーはこうやって動いてるの?」

 ってきいたところ

自分が、大学一年生のときにウラサンにこの動きを教えていただきました

 だからそれから3年間、ずっとこれを守ってやってきました」

って言われて、

 とても驚いたし感動もしたし責任を感じた記憶があります。

 その後、僕は自分のフットボールが忙しくなり、2年ほどその大学から

遠ざかってしまいましたが、その間に創部30年近くで初の九州制覇をと

げ、大学から予算もたくさん下りて、しかも高校からのスポーツ推薦枠も

3人までが10人近く取れるようになり。

チームの環境も大分良なりました。

 俺達貢献できたのかなー?なんておもって久しぶりにコーチに行った

時には、きれいなミーティングルームも完成して、エアコンがかかった

なかでミーティングして、グランドで練習もしましたが。

 ミーティングでは特に質問もなく、選手はフットボールに対して自分達

で考えるのを辞めてしまって、コーチにやらされる感じでした。

 練習前の自主練習もとくに行わず、どこの体育会でもある練習前の憂鬱

な雰囲気が漂うチームになってしまっていました。

 僕の同期は監督になっていましたが、自主性の無い選手に怒ることも多

くなり、選手からは鬼コーチ呼ばわりでした。

 九州で優勝してからはそれまで関心を持っていなかったOB達がやたら

と口を出すようになって、関東から来た僕達があまり歓迎されなくなり。

高校で野球や柔道をしていて、運動能力が高く推薦で入ってきた能力の高

い選手は先輩を尊敬しなくなって、

5年ほど前に初めて僕達が尋ねたときの雰囲気は

なくなってしまっていました。

 ちなみに5年前に初めてその大学の合宿に呼ばれていったとき、

僕は夜中にものすごく怖い夢を見て、金縛りにもあい。

九州にはオバケがいると感じて
 
人生で初めて夜中にトイレに行くのが怖くなって一緒に寝ていた同期を起

こしてトイレに行ったことが、

次の日の朝には選手全員に知れ渡っていて。

「ウラサン偉そうなこと行ってるけど、
 大人なのに怖い夢見てトイレ行けなくなったらしいぞ」
 
 と選手にささやかれていたことを合宿の帰りに聞きました。

 でもあの旅館絶対に何かいたと思います。

選手達はチームを変えるためにわざわざ関東の実業団で3年も修行して、

自分達のチームを九州で優勝させた

僕の同期の長年の情熱を理解しているのかな?

と感じながら、人を管理すること、教育すること、そして

「鬼コーチ」
とささやかれても情熱を持ち続けることは大変だし、

それができて初めて、「教育者」なのだと感じました。

 アンゴラの学生はとても自主性があります。

子供の頃から自分から主張して勝ち取っていかないと、

食事でも勉強でも誰も準備してくれないからです。
ここにいる生徒はとても高い生存競争のなかで勝ち残っていた

生徒なのです。実際に多くの生徒たちが兄弟の死を経験しています。

 ようは九州の大学に僕が始めていったときのような

「向上心」と「野望」が彼らにはあります。

こちらが管理しすぎて、甘やかされた生徒にしてしまうよりも、

できるだけ一緒に働いて、何かを感じてもらって

今後の人生に生かしてもらうことが、半年しかいない僕にできる

最低で最高のことなのではと感じます。

 ちなみにアンゴラではまだ怖い夢を見ていないので、

今のところ「ウラはカラテを扱う凄い日本人だ!」

 ということになっているはずです。

2011年2月25日金曜日

久米宏的教員と筑紫哲也的教員


 
 <写真は毎日僕達が食べている豆を料理しているところです>

  親父に言われたことがある、この二人の違いはなにか?

 久米宏はアナウンサーのプロである、だから話すことは上手だし。

 表現力も豊かである。視聴者が求めているものが何かを見極めて

 それに答えるべくニュースを作ってサービスのように届ける。

 
 筑紫哲也はもともとアナウンサーではなく、新聞社で働いていた。

 だから社会人としての経験がとても長く、世の中の「現実」や汚い

部分もたくさん学んできたことになる。

 だから時に番組の中でコメントに詰まって

 「うーん、難しい問題ですね」

 とかいって、何か考えているような時がある。

 きっと過去の自分の経験から肯定も否定もできないニュースが世の中

には多いことを良く知っているからだとおもう。

 話すプロとしてのアナウンサーとしては駄目なのかもしれないけど

  「アー」とか「ウー」とかうなるだけでも何か僕には訴えるもの

があったような気がする、人柄からうかがえる何かがあの人にはあった

 と思う。

 そして自分の意見をまとめて番組の最後に話すコーナーもあった、

 きっと記者の経験が長かったので、自分の意見は一度文章にしてから

 読んだほうがやりやすかったのかも知れない。

  
 と僕がなぜ今僕がこの二人のことを考えているかというと、

 学校で教員として働いている中でこの二人のことをよく思い出すからです。


 たとえば教員一本でいた人は久米宏的要素が大きいと思います。

 常に臨機応変に生徒の意見に対応して、その場でことをまとめなけれ

ばいけない、子供の意見は勉強したくなかったり、ルールを守れなかったときの言い訳であることが多いので、とっさに正論をいえなくてはいけないのだと思います。

  でも僕は自分は学生の頃はずっと勉強できなくって、落ちこぼれで

「言い訳番長」だったし、ファミレス、フットボール、協力隊と色々な

組織や、国、ものの見方を学んできて、とっさに正論を言うのをためらってしまうというか、言ってる自分に自信が持てなくなるときがあります。

 もちろん正論を振りかざすことは気持ちよいけどね。

 だからどちらかといえば筑紫哲也的なのだとおもいます。

正論を振りかざすことにためらいます。だからとっさに

「あー」とか「うー」とか言っちゃうんだよね。

 それで困った顔になると、生徒のほうも察してくれて

 「アー、ウラ、別に良いよ、ウラの言うこと聞いてあげるよ!」

 みたいなことになることが5割よりもちょっと多くて6割くらいです。でも6割なら良いかな?

 後の4割は子供に押し切られます。

 「言ったもの勝ち」

 になって、口の上手い生徒がいつも得するようでは駄目だな。

 と思いながらも、生徒達の「良心」に助けられて、今日も頑張っています。

2011年2月24日木曜日

長期的に考えること


 <写真はバスケットボールのファールをめぐってポルトガル語で激しく
 抗議するサムエル、見方からも「サムエル、ジョガ!ジョガ!」
 (しゃべるのやめてプレーしろ!)ってずっと言われてました

アンゴラにいてよく感じることは、長期的に物事を考えることに

 慣れていないな、ということです。

 1975年に独立してから内戦がが2002年まで続いていたこの国では

 人々の関心は10年先ではなくて、明日なのだと思います。

 今でも内戦の銃弾の後や地雷がたくさん残っています。

 そういった環境で育てってきた人達は、長期的なことは考えません。

 農業よりも略奪のほうが効率が良いかもしれませんし、

 貯金よりも今日おなかいっぱい食べるほうが賢い選択だったのかも

しれません。

 そして共同でものを管理することにも慣れていません。


 たとえば僕が働いているキッチンですが、食材の中でもニンニク、

 玉ねぎ、トマト缶、洗剤、油などは実際に使う量と同じだけ、

もって行かれてしまいます。

 トウモノコシの粉や米、小麦粉などはなくなっていても僕には

わかりませんが、それ以外は昨日まで10あったものが、一しかない

ことも普通にあります。

 新しく買った2本のナイフも一日で無くなってしまいましたし。

 チキンを切っていても、

 「ウラ、おなか痛くてみんなと一緒に食べれないから別に料理

したいの、一切れ頂戴」

 と悪びれずに言ってきます。おなか痛かったら鶏肉良くないよ!

 っておもい増すが、あまりにも真剣な目つきにこちらも渡して

しまいます。

 すこし大げさに言えば、とりあえずキッチンに入ったら何かを

ポケットに入れないといけない。という雰囲気があります。

 僕がキッチンにいるとみんな少しだけですが気まずそうな雰囲気に

なるときがあります。なにか働きにくそうなのです。

 僕が生徒に

「ニンニクが昨日はたくさん会ったのに今日は
             ゼロだからどうしよう?」

 っていうと、生徒が

 「部屋にあるから持ってきてあげる!」

 っていって悪びれずに持ってきました。

 一番信頼しているキッチンで働いているおばちゃんのですら、

 帰るときには用意した黒のビニール袋に何かを持って帰ります。

  みんながしていて、それで成り立っているから良いといえば

良いのですが、これを変えていくのは難しいなー!

 と思いながら、昨日はナイフが一本も無かったので、野菜は切れませ

んでした。

 だから料理は豆と米ばかり、

 学校側としては玉ねぎとかトマト缶とかかってきても無くなるだけ

だから、米と豆だけにして毎日同じメニューにしおいたほうが良い。

 と思うのが当たり前なのかもしれません。

 生徒自信は結局は自分達の行為が、毎日同じメニューを食べる結果

を招く。という長期的な考えよりも

 とりあえず今日自分がおいしいものを食べれれた

らそれでよい。明日がどうなるかは明日考える。

 メニューが同じになったらとりあえず上に文句を言えばなんとか

なるかも。

それが、長いこと植民地にされて、内戦が続いて、将来的に物事

を考えていてもその結果が出る前に、ぶち壊され続けてきた人達の
 
 標準的な考え方なのだと納得できます。

 なぜ中国と国の発達の為に共同で働いているのかという質問には

 「中国人はビルを建てるためにセメントを5袋用意したら、5袋つか

ってビルを建ててくれる。アンゴラ人なら5袋すべて自分の為に使う、

中国人はすばらしい、だからアンゴラは契約を交わした」

 と話していました。

 最初は少し戸惑いましたが、少しずつ納得してしまいました。

 なかなか根が深くて、向上していくのは時間がかかる問題だと

 思います。彼らを攻めることは今の僕にはできません

「王道」から思い出した話


 <写真は干上がった川を歩いてわたる人達です、
 でも空は晴れていても、上流で大量に雨が降ると、ものすごい勢いで
 泥水が流れ出すので要注意です> 

  地味な仕事が今の「王道」

 って書きましたが、続きがあります。
 
 イギリスでもアンゴラでも感じることがあります。

 日本の社会は地味に一生懸命働いていれば、

上司や社会がそれを評価してくれるものだとおもいますし、

そうなりやすい社会なのだと思います。

 「そんなの嘘だ!」

 と日本社会で働いている人は思うかも知れませんが、本当です。

 イギリス、アンゴラで感じることは、

地味な仕事をコツコツやって自己主張しない人は周りから

 「あの人は地味に働くことが好きな人なんだ」

 って思われます。我慢して社会や組織のために地味に働いている

 とは誰も思いません。

  だからもし、自分が評価を得たいのなら、

 「これだけ働いたよ!、結果出したよ!」

 って言わないといけません。

 それはイギリスの学校でよく感じました。

 ちなみにイギリスの学校にはイギリス人の先生はいなかったので、基本的に

 文化としてはフランス、イタリア、ポルトガルなどにラテンの国、自己主張

の強い国の人達が主導権を握っていました。

 そういう人達は働く前に自己主張します。不利な仕事はしないんだよね。

 最初はそういう文化に戸惑ったけど、それはある意味当たり前なんだと感じ

 ました、だって地味に働くことも、ある意味では自分の意思だととられるから

 です。

 ヨーロッパやアメリカみたいに色々の国の人が混ざって働いていると、

 日本みたいに仕事に対する「共通認識」みたいなものは無いんだよね。

 日本みたいに嫌な仕事は誰が決めなくても順番に行うというのではなくて、

 毎回きちんと明確にローテーションを決めないと、誰もしないし。

 そうするには最初に自分が権力を持ってローテーションを

 決める立場にならないと、他人がその立場になったら、

 自分は使われる立場になってしまう。

 そしてみんな恐ろしいほど自分のモラルとリーダーシップに

 自信を持っています。自分はすばらしい人間なのだ!

 という絶対的に自信を持っているラテンの人達は日本の

 それの3割増しくらいはいると思います。

 だから自己主張激しいです。

 日本人は、それほどもめるのなら、僕は使われる立場でよいよ、そこで地味に

やっていたら、いつか評価されるだろう。

 と思いますが、それではいつまでたっても評価されないこともあります。

 でも不思議なことに、結果としては同じなんだよね。

 自己主張の強い人達はお互いに足を引っ張り合うから、結果的に

 「一番働いている日本人に仕切ってもらおう!」
 
 見たいなことになりかねないからです。話がとても矛盾んしていますが、

 まあ時と場合ですね!

2011年2月22日火曜日

地味な仕事が今の「王道」



<写真は学校から歩いて5分のところにあるお店の子供達です。子供の笑顔
は世界共通ですね、うーんなんか自分らしくないありきたりな表現・・・>


 アンゴラに来て自分の居場所を見つけるのは難しい、

 学校はすでにきちんと運営されているので、そこで何かやりがいの

 ある仕事を見つけるって難しいのです。

 居場所っていうかね。

 もしポルトガル語がペラペラだったら生徒達にももっと内容のある話を

 することができると思うし、会話の中で人間関係を作っていくことも

もう少しできるかもしれない。

 でもそれは今言っても仕方ないんだよね。

  最初からポルトガル語ができないことをは自分が一番知ってることだから

 それをわかっていてここまで着たんだしね。

 

  でも実はこの一ヶ月で大分伸びました。文法は英語と一緒だし、ようは

 単語を覚えて、英語と同じ文法に乗っけて話せばよいんだよね。

 そして生徒は一生懸命に理解しようとしてくれる。よく言葉を覚えるには

 その言葉を話す恋人を作れば良いっていうけど、生徒達、特に男子生徒は

 今は僕の恋人です。アンゴラの男の子凄く真面目です。

 ものすごく眉間にしわを寄せて、一生懸命に僕のポルトガル語を理解しようと

してくれます。 あまりにも真剣な視線で僕の顔を見つめながら、時には額から

 汗が2、3滴にじみ出てくるので、こちらは会話よりもそっちのほうが気に

なったりしますが、取り合えず彼らは真剣なのです。憎めません。

 やっぱり日本人は他人と視線を合わせて会話するのに慣れてないのだな!

 っとこちらも真面目な顔をしながら頭をよぎったりします。



 自分の居場所の話だけど、会話ができずに、仕事も無く、その中で自分の
 
 居場所を探すには、地味な仕事でも与えられた仕事をコツコツするしか無いの

だと思います。こないだも「人生の王道」っていう言葉を書いたけど、

 それが今僕のできる「王道」なのだと思います。

 かっこつけて凄いことをしようとしても空回りしてできないことはわかって

います。だから朝一番にするジョギングの出席を取ったり、生徒がやりたがらな

い、ご飯のあとかたずけとか、焦付いた鍋を洗ったり、水汲み、掃除

そういう仕事を当たり前のように生き生きとするしかないのだと思います。

 「ウラ、たくさん働くね!」

 って男の子も、女の子も評価してくれます。

 そこには見下したような雰囲気はないんだよね。

  「日本は戦後なんでこんなに発展したの?」

 ってよくきかれるけど、

 「戦後の日本人は次の世代のために一生懸命働いたからだよ」

 って答えてる日本人の僕が、地味な仕事を一生懸命やってると説得力が

 あるものね。そういうところから自分の居場所を作るしかないのかな?

 っておもいます。 それが今の自分のできる「王道」なのだと思っています。

2011年2月19日土曜日

「押し付け」よりも「動機付け」


 <農業の時間に働いている生徒達です、人数が多い割には仕事と道具が
 少ないので、みんな立ち話が始まってしまいます、まあ仕方ないなー
 となんとなく納得して今います、憎めないんだよね・・・>

  物事を人に教えるにはやはり動機付けというか

なぜそれが必要なのか? どういった効果があるのか?
 
 をきちんと伝えることが必要だと思います。


 たとえば毎朝グランド2週を100人の生徒に走ってもらいたい。

 生徒が嫌いな野菜を昼ごはんに食べてもらいたい。

 そういうことでも何かこちらが変えようとすると必ず拒絶反応が出ます。

 「日本人が言い出したから取り合えずやろう!」
 
 という外国人ならではの特権が生かせるときと。

 「外国人に言われて自分達のやり方を変えたくない!」

 という場合があります。


 たとえば朝のランニングは今までやってないことだったから、僕が言い出したらみんな朝の6時におきて走ってくれました。

 その後にきちんと出欠を取ることにより、さらに出席率は上がりました。
 
 でも今日感じました。 走る理由出席を取る理由を説明しないと続かない

 「朝一番で体を動かすことにより、朝ごはんをしっかり食べることができるし、体も目覚める、それによって午前中の授業に集中できる、朝に軽い運動をすることは大切だ。

出席は必ずとる、それはきちんと走っている人と走っていない人が同じ評価なのはきちんと走っている人のやる気を失わせるからである。

遅れてきて、病気だから今日は走れませんと言い訳するのは良くない、遅れるなら早めに着てきちんと理由を述べるべきである。遅れる生徒に病気が多いのは、時間がなくて走れない走りたくないことの言い訳である」

 本当はランニングを始めるときにきちんとここまで予想しておいて説明
するべきだったんだろうけど、ポルトガル語でこれを教えるのはとても難しいし、毎朝ランニングすることがうちの学校にとってどれほど強制力を持って押し付けてよいものかもアンゴラでの感覚がわからなかったし、気がついたら真面目にやる生徒とやらない生徒が出てきてしまいました。


 料理のほうはもっと難しいでうす。

 好調は芋だけど、ショッパイ大根みたいな野菜を生徒に食べさせて欲しいと
僕に頼みました。

 いろいろと試した結果、細かく刻んで大根のようにして鶏肉と煮込めば、ご飯にかけて食べれてもおいしいことがわかったので、朝一番せ畑に行って50個ほど掘り起こして、ポンプの水で洗ってキッチンにもって行きました。

 今週の月曜日から生徒とその芋のことについて話していたのですが、結局みんな料理するのを嫌がったので、金曜日の今日は強制的にでも入れてもらおうとおもって、準備したのですが。結局生徒は誰も皮をむくのを手伝う気もなく、

 「明日にしたらよい」

 「ご飯には合わないからパスタの日にしたほうが良い」
 
 「作っても誰も食べない」

 「日本では食べていても、アンゴラでは食べない」

 「晩御飯のスープに入れたらよい」

 などといって料理してくれません。ぼくが

「校長からのリクエストで生徒がみんな嫌いなのは知ってるけど、
すでに畑にいっぱいなっているし鉄分が多くて体に良いから食べるように
といわれているんだよ、日本で僕も食べたことないよ」

 とせつめいしても

「じゃあ半分だけそれで作れば?」

 と言い残して気がついたら勝手に料理を始めてしまっていました

 結局とってきた芋は使い道がなく、今日も断念。

 やっぱりきちんと健康に良いとか、自分達で育てた野菜を食べることは大切だとか、米と肉だけの食事は良くない

 などの理論がないと生徒達は単に「ウラが言っている」
 
 だけでは動いてくれないのだと思います。

 そうなるとポルトガル語だよね。

 それができない自分は相手に強制させることはできないよね。

 っておもいました。

  でもできれば生徒達に試してみて欲しいとおもいます。

 生徒が試してみて、試食してみて、その結果やっぱりアンゴラのやり方のほうが正しいと思ってくれたのなら、それは生徒の「選択」による結果だから、良いけど、最初から「やりたくない」
というだけの理由で挑戦すらしないのなら、それは「選択」ではなくて、「無知」だから、やっぱり試してみてから決めたほうが良いのだと僕は思います。

日本人はそうやって外国のものをドンドン吸収して、時にはそちらが良いと選択したり、時には日本のほうが良いと選択したり、その真ん中をとってさらに良いものを作ったりするのが得意のだと思います。
 生徒にも朝一番で試食を作って食べてもらって、みんな
「おいしい」
 とはいうものの、
「それでは今日はこれを作りましょう」

 というと、みんな嫌がってしまいます。

 やっぱり栄養のこととか、自給自足の生活の良さとかプレゼンすべきなのかな?とも思いますが。

 そこまでして、生徒にやり方を変えてもらうよりは、半年仲良くみんなと
同じものを食べてるほうが良いのかな?校長先生にはわるいけどね。
それが限界かな? などとも思いました。
 もう少し長い目で見て、何か改善しようと思います。

2011年2月16日水曜日

6本の腕


 
 <写真は典型的なアンゴラのバンゲラという町の風景です。乾燥した
空気のサハラ気候では植物は育ちにくく、捨てられたゴミばかりが乾いた
大地に残って目立ちます。もう少し植物が生えればきれいな風景というか
やさしい風景になるのにな、と感じます>


 日本人は相手の気持ちになって考えることが得意な

人種だと習ったこともあるし、自分でもそう思います。

 相手の気持ちを創造できるので、相手が嫌がるようなことは言わないし、

 協調を優先するので、衝突も少ない。

 でもたまに思います。

 日本にいてアンゴラの映像をみて、

 子供がごみをあさっている、

 マーケットで女性と男性がつかみ合いの喧嘩をしている。

 泥水を飲んでいる

 車は人がすれ違うような感覚で走っている

 薬不足で日本でなら簡単に救える命が救えない

 教育を受けれない子供達がいる

 
そういう光景を見て相手の気持ちになって考えることが得意な日本人は

 もし私が明日この状況になったら生きていけない。

 そう思うと何かしなくてはいけない。

 と思うかもしれませんが、

 たとえばアンゴラの人達が昨日まで日本のように豊かで今日、

急に今の現状のようになったのなら、

日本人の「想像力」はアンゴラの人達にとっては一時的に

「ありがたい」

だろうし、津波や地震で今までの生活が急に破壊されたのなら

 そういう援助は今すぐにでも必要な援助だとおもいますが。

 生まれたときからそれが当たり前の人達にとっては、

そういう想像力とか援助というなの「同情」よりもきちんとした

 ビジネスパートナーとして同等に仕事をしてくれる仲間のほうが

必要なのかもしれません。



  前にもブログに書きましたが

 100年後の2111年からタイムマシーンで未来の人達がきて

「日本人の平均寿命は85歳なんてかわいそう、ガンやエイズで死ぬなんて

100年後には考えられない、2111年の平均寿命は120歳だよ」

 っていわれて、日本人を救ってあげよう!

 みたいなキャンペーンをされてもうれしくないように。

  
 たとえば地球人全員が阿修羅みたいに腕が6本あって生活しているなかで

事故か何かで急に4本の腕を失って2本になってしまった人がいたら、

その人は次の日から不便だと思うだろうけど、

生まれたときから2本で生活してきた僕達がが今のところそれで

 十分だと思っているように、アンゴラ人も特に今の状況を

 不便だとは思っていないのだと思います。

 

相手の気持ちを考えることができることはすばらしいことだと思いますが、

 もう一つ次の段階、「裏の裏」まで考えてあげて、そこから相手のプライド

を傷付けないように、そしてさらにお互いに利益が上がるように。

 そこまで考えての援助なら必要ですが、

「2本の腕だけでは可愛そうだから」

 といって急に援助というなの現金と同情をもらっても

一時的なものになり、結果的には自分で働いて得たお金でないと、

簡単に賄賂や私腹を肥やすために使われてしまうのだと思います。

 だから援助は難しい、そしてビジネスパートナーとして考えるなら

援助国の日本にもきちんと利益があがらなくてはいけない。

 同情というな利益ではなくて現金が儲からなくてはならない。

 そこまでわかっていての援助が大切なのかな?

 と思ったりしています。

 

2011年2月13日日曜日

やっと大人になれたのかもしれません


 <写真はビーチにいたアンゴラの子供です。人生には
  迷わずワイルドに育って欲しいと思います>

健ちゃんとヨッシーのコメントの返信を書こうと思います。

アンゴラに来て何も感じないというか、

アンゴラ人の人生も日本人と変わらずに普通の人生なのだな・・・・

 と思った自分を客観視して感じることは

 もしかして自分はやっと大人になれたのかな?

 ということでした。

 「世の中にはもっと面白い場所がある」

 「自分にはもっと活躍できる場所があるはず」

 「もっと自分のことを理解してくれる人達がいる」

 と思っていままで頑張ってきたし、

 イギリスの学校のなかで派遣国の選択肢にあった

 モザンピーク、アンゴラ、インド、マラウイのなかで、もっとも困難で

 協力隊の派遣も行われない、首都のルアンダは世界でもっとも物価が高く

 治安が悪い、などといわれていたアンゴラまで着てみてわかったことは

  結局はこの世の中はどこに行ってもそれほど悪い世界ではない

 ということを自分が理解したのだと思います。

 逆に言えば、

 世の中はどこまで行っても汚いことと嫌なやつばかりですばらしい世界など

ないということも理解したのだと思います。

 でも不思議なことにここアンゴラよりも、

世界中の先進国の人達が集まっているイギリスの学校のほうがよっぽど純粋で

はない世界だったような気もします。

 それが世の中というもので、

そういってる自分が一番矛盾だらけ客観視できてないのかな?

 とも思うし。

 それが人間なのだと納得してきたのだと思います。


 自分を受け入れられると、世の中のどんな世界も意外と受け入れられるよう

 な気がしてきました。

 きっとこの年になってやっと大人になったのだと思います。

 別にアンゴラに危険を求めてきたわけでもないし、ただ、日本と正反対の

 国を見ないと価値観の違いがわからない、と思ってバヌアツ、アンゴラ、

 そしてイギリスを見て納得したことは、人生とはそういうものだのだ。

 ということだとおもいます。 

 でも無駄な時間をすごしてきたとも思わないんだよね。

 いろいろなことを経験して納得した上で

「人生はこういうものだ!」

 と納得して理解するのと、教科書や人から聞いて

 「こういうもののはずだ!」

 っておもうのとでは自分の気持ちの奥深くにある納得の重さが違う

 とおもいます。

 大分と時間がかかったけど、ようやく大人に慣れたかな?

とも感じています。

 けんちゃん、よっしー いつもありがとうございます!

 

 

2011年2月10日木曜日

面白いことが書けない理由


 <写真は先週の日曜日に海に行ったときのものです。
 子供達のサンダルと洋服がすべてまとめて置かれていました、
 子供達は小さなグループは作らないで30人くらいで一緒に遊んでいました
 僕も31人目として子供達と遊んでもらいました>


 アンゴラに到着して、約一ヶ月がたちました。

滞在は7月の24日にイギリスに戻るよていなので、残り5ヶ月半です。

残りといっても始まったばかりですが。

 アンゴラのブログ、何か面白いことを書きたいと思っていたのですが、

なぜかかけません。

それはアンゴラと僕のいる教員養成校がきちんと成り立っているからだと

思います。

 すべてがいたって普通なのです。

 授業の運営もきちんと組織化されていて、

掃除、食事の準備、農業、スポーツ、もちろん勉強にいたるまで、

こちらが言わなくても生徒はきちんと動きます。日本と同じなのです。

 
 生徒は普通5名から10名ほどの兄弟をもっています。

その中で優秀な子供が教員養成校にきていることもあるとおもいますが、

兄弟が多いと子供の頃から親に手をかけてもらう時間が少ないので、

自然と自分で考えて行動するようになるのかもしれません。

大家族で育つと自立するのが早くなるのだと思います。

 

 食事を取るのも、勉強するのも、掃除をするのも

 親に注意されたからするのではなくて、自主的にやっている気がします。

待っていても誰も自分のことなど気にしてくれないからです。 

 逆に言えば他人をあんまり意識しないで生活しているので、

マイペースに見えたり、相手の気持ちを考えないな。と思われたり、

合理的過ぎたりします。


 日本人は合理性よりもみんなが周りの気持ちを考えすぎて、

たまに窮屈だったりしますよね。 ケーキでもなんでも必ず最後の一切れが

「遠慮のカタマリ」として残るし
 

 飲み屋の支払いもお互いに

「今日は私が出します!」

 「いや、今日こそ私が!」

 みたいなことになって、

合理性よりも人間関係を優先して疲れることもあります。

 
だから見えないところで陰口が出たりすることもあると思います。

 アンゴラ人はそういうことがない分、ケーキの最後の一切れは絶対に

 残らないし、支払いは最初から割り勘は当たり前。

 おごってもらっても特に感謝はされないかもしれません。
 
 「お金があって出したいなら出せば」

 っという感じかもしれません。すごいでしょ!

 でもそれが世界基準なのだと最近は思います。

 ギブ アンド テイク のバランスは日本ほどきっちりしていません。

 そのかわり陰口は無しです。ストレートです。

 疲れていたら話さないし、親切なときは100%心から親切です。

 無理して親切を装ってお互いに疲れることはないです。

 
  
  高い教育とはすなわち
 
 「やせ我慢」

 なのかと思うこともあります。

 お互いに上品ぶって、自分が下品だと思われたくないので、

相手に道を譲ります。

 本当に生活にゆとりがある人ならそれでよいですが、

 一般庶民同士がそれをすると、生活に困ります。

 そういう気持ちは陰口やねたみに変わるのかも知れません。

 「あの人は図々しい、相手の気持ちが考えられない」

 っておもうこと、日本人は良くあると思います。 

 どちらもバランスが大切なのだと思います。

 
 合理的過ぎると、弱者が守られない社会になるし、
 
 気を使いすぎても陰口が出るのだと思います。

   そのバランス感覚を持っていることが大切なのだと思います。

 
 結果としては
 
  アンゴラでそのバランスを持っている人は日本に行っても人間関係で

 悩むことはないだろうし、日本のなかでそのバランス感覚を持っている人は

 アンゴラに来ても成功するのだと思います。

  結局人間としての基本はアンゴラも日本も同じなのかもしれません・・・

 やっぱりまた最終的には普通でありきたりな

ブログにまとまってしまいました。

 せっかくアフリカのアンゴラまで来て何か違いを

 見つけたいと思っているのに、

 この世の中はどこまで行ってもみんなが普通に生活を営んでいて、

 家族をもって平和に暮らしているのだとつくづく感じてしまいます・・・・

2011年2月9日水曜日

一日の時間割


 
 <写真は卒業式の前日にお料理をしている女子生徒たちです>

朝の6時に生徒は起きます。

 7時まで水汲みと農業、清掃などします。

 7時から朝ごはん、

 8時から一時間目が10時まで

 30分の休憩の後に10時半から12時半までが2時間目

 教科は、理科、地理、歴史、国語、科学、英語、社会

 といった感じ・・・・

  1時から2時がお昼ご飯で、2時から午後の授業が4時まであります。


 その後にもう一度農業したり、僕と一緒にスポーツしたりして

 一日が終わります。

 晩御飯は7時からですが、三食すべて生徒が作っています。

  朝ごはんはトウモロコシの粉を水で溶いて、砂糖で味を付けたもの。

 昼と晩は赤い豆を塩でゆでたものにライスかパスタ

 このローテーションが永遠に続いています。
 
 二週目で吐き気がして体が受け付けない時期がありましたが、

 それを乗り越えると食事という概念が自分の中で変わってしまって、

 楽しいというよりも、ノルマ的に食べれるようになります。
 
 たまに干したアジがマーケットで売っているので、ご飯と一緒に食べると
 
 とても食が進みます。

   ちなみに時間割はすべて20分前後の遅れがありますが、

それはそういうものみたいです。それでも意外ときっちりと授業をしていて

 感心します。

 

2011年2月6日日曜日

急に仕事が始まりました


 
 <写真はインチキ空手を教えているところです、意外と女の子に
  うけが良かったです、それにしても写真にあるように砂漠と山
  ばかりなのがうちの学校です、空気はいつもドライです>

到着から三週間、1月31日の卒業式に初めて現れた女校長のデルフィナは

特に僕達に挨拶をするわけでもなく、しかめっ面で卒業式に出席していました。

年は34歳だそうですが、そうとう貫禄はあります。

 次の日に部屋をたずねてくれたときにはとてもにこやか、

 その後にどういう仕事ができるか、

 何を教えることができるのかのミーティングをしてくれました。

 僕は料理と体育を教えたい。と伝えました。

 ケイタは生徒と一緒に農業をしたいと提案しました。

 どちらも賛成!でした。デルフィナいわく

「何も無い状態なので、何をしてくれてもうれしいのよ!

 料理も毎日三食、同じメニューで同じものを食べてるけど、

 それはお金の問題というよりも、単に誰も何も知識が無いだけなの」

 と言われて少し驚きました。

 必要なものがあれば、見積もりだしてくれたら予算おろすからね!

 っていわれて、本当かな? っておもったけど、

 とりあえずボールとコーンは体育に必要なので、

出すだけ出してみようかな?っておもいます。

  料理はどんな食材があるかわからないし、包丁もまな板も無いので、

 しばらく様子をみて少しずつ向上できればと思います。

  ということで、実際に仕事はいつからなの?っ手思っていたその日の夕方

 デルフィナが僕のところにやってきて、きちんと正式にコピーした

 時間割みたいなものを渡しました。
 
 「ウラこれ今週の時間割ね!今日は火曜日だからここ見て、夕方5時から

 スポーツになってるでしょ、今4時だから5時からね、あなたすでに先生だか
 
 ら好きにしてよいわよ。頑張ってね、鐘を鳴らしたら生徒が集まってくる

 仕組みになってるから、今日は説明だけで終わっても良いわよ、

 初日だからね」

  っていわれたけど、基本は90人の生徒を女子、

男子一緒に授業するのは難しいです。

 でも

 「日本社会は窮屈だ、あれも駄目、これも駄目で自由が無い!」

 ってたまに思う僕が、自由を求めて勝手にきたアンゴラで、

 「自由すぎで組織化できてないから体育できない!」

 って言い訳したら、結局どこに言っても自分は言い訳してるだけになるよね

 だからまあとりあえず生徒に体を動かしてもらおうと思いました。

 
 だって授業の説明するって言っても、ポルトガル語も話せないものね。

  道具に使うコーンが無いから生徒が水を汲むのに使っているバケツを

 もってきて、って頼んだら、うまく伝わらなくて、半分くらいの生徒は

 バケツではなくて大きなタライを持ってきてくれました。

  「これじゃあコーンにならないよ・・・・」

 っ手思ったけど、とりあえずインチキ空手でハートを掴んでからは、

意外と普通にみんな楽しくやってくれました。

  午前中に一日4時間やっていたバヌアツに比べたら一クラスだけの授業は

 楽なもんだな! っておもいながらも、早めに道具をそろえてポルトガル語を

 覚えないと、すぐにねた切れだな・・・・

 なんて思いました。

 
 でもまだどの授業も始まってないのに、いきなり体育の授業を最初にできたの

 は生徒達に体育を意識してもらうのには良かったかも知れません。

  授業のあとに運動のすきそうな男子生徒達がバスケットを始めたので、

 「この子達のハートを掴めば、体育授業ももっと楽になるだろう!」

 とおもって、バスケットも参加しました。 膝の怪我も気になってるけど、

  それよりも今は生徒とコミニケーションをとらないとね!

 って思って、老体に鞭打って頑張っています。

  でも久しぶりにしたバスケットボールは意外と楽しくって、おなかも

 すいたし、良かったです。

  週ごとに時間割が変わるらしいので、来週はどうなるかわからないけど、

 とりあえず呼ばれたらいつでもできるように、常に準備をしておこうと
 
 思います。

 

二週間めですが、まだ何も始まりません



 <写真は生徒達です、ふけて見えますが大体20歳から25歳くらいです>

恐ろしいことに到着から二週間、

ポルトガル語の勉強以外は何もしていません。

 昨年末のクリスマスホリデーから始まって、

13日に僕たちはアンゴラに到着しましたが。

 一月20日にオランダから学校に寄付をしてくれた人が見学に来るので

その寄付で学校のどこを修理したとか、どこに電気を取り付けた、

どこの教室にガラスを入れた、などの確認と、

それにかかった経費のレシートの確認をするので、

学校にいる生徒は午後になるとみんなガラスを拭いたり、

ペンキを塗ったり、お掃除したりの毎日でした。

 それが終わると1月27日に予定されていた

卒業式の準備が始まりましたが、

 クリスマスから体調不良でキューバに手術をしに行っている

校長のデルフィーナの帰国が遅れるということで、

その卒業式も1月31日に変更になりました。

 ちなみに今日は30日なので明日が卒業式になります。


 そういった学校の事情が良くわからなかった僕とケイタは、

 「デルフィーナが帰ってきたら仕事くれるからね」

 っていわれて待っていましたが、なんとなく情報を収集すると、

僕たちが一緒に働くのは2010年度の生徒たちみたいで、

その子達が学校に来るのは2月に入ってからみたいです。

 とりあえずそれまで後一週間は何もおこりそうにありません。

  でも僕にとってはそれは良かったかもしれません。

  気温がマイナスだったイギリスから、

気温40度近くのアンゴラにきて時差が無いにしても

 体は相当びっくりしていると思います。

  実際に寝ようと思えばいくらでも眠れるし、めまい、

午後には頭痛がします。

 水をたくさん飲め、って言われて水を飲んでいますが、

井戸から汲んだ水は殺菌してもやはり日本の水とは違うので、

飲みすぎると下痢します。

  水を飲んで頭痛とめまいを回避するか、

飲まないで下痢を回避するかの選択になります。

 バヌアツのころも最初の二ヶ月くらいはこんな調子だったのを

思い出します。

  いったん痩せて、病気もして、下痢もして、

体はそれから現地に対応しだすのだとおもいます。


 ちなみにポルトガル語はいたって順調。

 なんといっても生徒がみんな親切です、

みんな壁のペンキ塗りやお掃除に飽き飽きしているので、

僕が勉強していると、とても親切に教えてくれます。

 「何人兄弟がいて、どこに住んでいて、
            卒業したらどこの学校の先生になる。」

 その三つの質問をすでに10人以上の生徒にしたので、

その言い回しについては完璧です。

 たまに同じ生徒に気がつかないで二回同じ質問をしているかも知れませんが

暇な生徒達は 親切に二回同じ質問に答えてくれます。途中で

 「この子には一度聞いたような気がするな?」

 っておもうけど、相手はすでに気がついていて、付き合ってくれているなら、

 許してもらえるかな?って思っています。

 こっちの人達は僕のポルトガル語が聞き取れなくても

 「えっ?何?」 「理解できない?」

 などと、急に眉間にしわを寄せてこちらをナーバスにさせるような態度はとらないので、

 とてもリラックスしてお話できます。

 そこが英語を話す人達の文化と違うところかな???

 とおもいます。

  ということで、いまだに学校の校長にもあえず自分が教える

 生徒にも会っていませんが、

 とりあえずもう少しまとうと思います。

 唯一した仕事といえば、卒業アルバムのための個人写真を撮ったことです。

 みんななぜかカメラから目をそれします。

 それがこっちではかっこよいみたいです。

 平均で2枚ずつとって選んでもらいましたが、なぜこちらを選ぶのか?

 と僕はいつも疑問に思いました。 やっぱりそれは文化だと思います。

2011年2月5日土曜日

比較しにくいアンゴラとバヌアツ


バヌアツとアンゴラの違うところ、 

バヌアツは島国なので、物資が届きにくい、車の輸送はすべて船なので、

車の数と質は圧倒的に違う、アンゴラはすべてにおいて物が豊かだ、

そして石油があるのでお金があるセメントや車もどんどん輸入できる、

ビルもどんどん建つ、

バヌアツには資源が無い、だから外貨の獲得は難しい、

資源が無い国の外貨獲得は観光になる、

しかし観光はお金と引き換えに自分達の大切な自然とともに、

人間としてのプライドを失うことになりかねない。
 
外国からお金を持ってくる観光客のほうが自分達より

優れていると思わざるを得ないこともあるからだ。

そして彼らからしか現金を得ることができなことは悲しい。

 アンゴラのビザ獲得になぜ2ヶ月以上もかかったのか、

今なんとなくわかる、

彼らは外国人たちが勝手にアンゴラに乗り込んできて、

車やセメントと引き換えにオイルやダイヤモンドを

買っていくことを制限したいのだとおもう。

外国人に勝手に商売されては困るのだ。
 
そうやって自分達の国を守る手段を知っていることは

とてもすばらしいことだとおもう。

 僕も外国人としてビザ獲得に泣かされたけど、

やっぱりそうやって自分達の国と国民を守ることは当然の権利であり、

そういう面は日本も見習うことができるとおもう。

 日本もバヌアツも島国なので、

外国に対する警戒意識はどちらかといえば低い気がする。



そして教育、バヌアツの頃は僕は初等教育、

ローカルの村の小学校が専門で、

日本の教育との差は教育レベルの面でも、

組織つくりの面でもものすごいギャップがあり、戸惑った。

 

そして今はアンゴラの教員養成校。
 
小学校、中学校と選らばれて、しかも親もお金持ちで、

エリートとして育ってきた子供たちの集まり、
 
年齢は20歳前後だが、

彼らは僕の想像以上に真面目で親切で誠実なことに驚いた。

 途上国という言葉はバヌアツとアンゴラではまったく違ってくるし、

ヨーロッパとアジアがまったく違うように、

アンゴラとバヌアツもまったく違う。
 
比較はできないし、

バヌアツの学校での経験はアンゴラの学校では

応用はできない気がします。

 それほどの違いを今は感じています。

2011年2月3日木曜日

ポルトガル語と発展への道




  <写真は市場で売っていた、虫です。食べてみるとそのまんま
   「虫」のこおばしい味がしました。
   って書こうかな?っておもったけど、そうかいて
   「なるほどあの味か!」って思える人は日本にはあまりいないとおもいます。
   僕にも虫の味がどういうものか、どの虫がおいしくて、どれがまずいのか? 
   を論じる自信はありません。まあしいて言えば雑魚みたいな味です>

 アンゴラには天然資源のダイアモンド石油がたくさんあり、

 内戦が終わって平和になった今、

 中国を初めたくさんの国が興味を示しています。もちろん日本もです。
 
 でも少しだけアンゴラが難しいところは、

 ポルトガルに植民地にされていたことです。

 やっぱり今世界の中で経済的に豊かな国は英語を話しています。

 アメリカにしてもイギリスにしてもラテンの国の人達も、

 基本的には英語を話さなくても理解はします。
 
でもポルトガル語を話す国で経済的に豊かな国は無いのが現状です。

 ポルトガル、東ティモール、ブラジル、アンゴラ、モザンピーク
 
 特にアンゴラに関しては、

 ポルトガル人は植民地にして搾取だけして

 帰っていったという評価があります。

 イギリスやフランスみたいに学校を作って、農園を組織化して、

キリスト教を広めて、

 というような教育や国つくりにはあまり興味が無かったみたいです。

 そこがアンゴラの難しいところです。

 どの先進国と一緒に国作りを行えばよいのかが難しいのだと思います。

 先進国のほうも英語が通じれば一緒に仕事をしようかな? 

と思うかも知れませんが、言葉が通じないと、

とりあえず資源だけ買って商売しよう。

 という風になるのかもしれません。

 アンゴラの生徒が言っていました。
 
 「僕たちには資源というお金がある、

そのお金を使って教育にまわせば僕たちに国も日本みたいになれると思う」
 
 日本の戦後の復興についてよく聞かれます、

 でもそれはアンゴラだけではなくて、
 
スペイン人にも、ノルウェー人にも聞かれました。

 海外に行く人は自分なりの答えを考えていたほうがよさそうです。
 
ちなみに僕は

 戦争ですべて失って劣等感があったこと、

 みんなが何も持っていなかったので格差が無かったこと、

そして戦前からすでに日本の教育水準は高く「読み書きそろばん」
 
 が一般の人のレベルまできちんと行き届いていたことなどを説明しました。

  バヌアツの人達は心の中では発展することを望んでなかったけど、

アフリカの人達、特にアンゴラでは発展への意識は高いみたいです。

 バヌアツにいた頃とはまた違った感覚を今僕は感じています。

アンゴラ一週間目です



 アンゴラにきて約一週間、学校のネットは3ヶ月ほどつながってないらしくて、


  いつあっぷできるかわかりませんが、とりあえず近況を書こうと思います。

 10年ほど前まで内戦があって危険、しかも地雷もまだう待っている、

 マラリアは普通に念に一度はみんながかかる、

 ピアスは耳からもぎ取って盗まれるし、腕時計は腕ごとバッサリきられる。
 
 それがアンゴラ。
 
 なんて、昔話がどんどん大げさになるように、

 一つの噂が無知な人達の勝手な創造でどんどんと大げさになるように、

 ここアンゴラもそういう風になってしまっているようです。
 

 バヌアツ行く前も、


 「人を食べている、もちろんマラリアもある、逆夜這いの文化がある」

 と聞いていましたが2年間待っていても何も起こりませんでした。

 ちなみにアンゴラ人、凄くよい人です。

 というかノー天気に良いというわけではなくて、礼儀正しいということです。
 
 もちろん今回の僕の派遣先はバヌアツの頃みたいに

 ローカルな場所に行って現地の人と一緒に働くというものではなくて、
 

 アンゴラの中にある教員養成校、(20歳前後)に半年住み込んで、

 日本の文化を教えたり、英語が教えれればさらによし、

 体育が教えれればもっとよし、何もできなくてもそれもまたよし。

 というものなので、学生も毎日きちんとした格好をしているし、

 先生に関してはアイロンをあてた襟付きシャツを毎日着ている

 (一週間同じシャツをきていますが)


 という恐るべし「規律」を守っている学校です。

 先生も生徒もとてもプライドが高い、ポルトガル語を話さないと馬鹿にされる。

 
 という話でしたが、こちらが一生懸命に勉強していると、

 みんなとても喜んで教えてくれます。

 生徒はみんな礼儀正しくて、

 「すいません」 デスクーペ

 「失礼します」 コン リセンサ

 などといたってまじめです。

 もちろんみんな若いから何か楽しいことがあると大声で笑っていますが、

 バヌアツの頃のように常にみんな面白いことを探している。

 何があっても笑っている、というのではなくて、

 時にはとても真剣で、真面目です。

 放課後にバスケットをしているのを見ていましたが、

 みんな額に汗をかきながら、ものすごく真剣に勝ちにこだわっていました。

 笑いはほとんど無し、

 時には口論しながらどちらのファールなのか言い合っていましたが、

 おそらくそれは彼らの日常なのだとおもいます。

 真剣で真面目な黒人達。とても自分達にプライドを持っていて、

 物事を追求する姿勢があるように思います。もちろんおおらかさもありますが。

 バヌアツ、アンゴラと途上国と呼ばれる国の中で両極端な国を見て感じたことは、

 世の中人のすんでいるところは、それなりに規律があって、

 バランスが取れている、

 日本のドキュメンタリーとかユーチューブで流れてるような

 「この世の終わり」

 みたいな世界はテレビが作った世界であり、

 先進国の人達が自分の人生に少し疲れてしまったときに

 そういう番組を見て

 「あー、アフリカに比べたら、自分のほうがまだましなのかな?」

 
 っておもうための世界であって、

 実際にはどこもとても良いところなのだと思い始めました。

  
 もしかしたら刑務所の中だって入ってみたら意外とみんな良い人なのかもな?
 
 なんて思いました。

 それがアンゴラの第一印象です。