2010年3月8日月曜日

バヌアツ最終回

今は1月31日です。1月8日に帰国して三週間が経ちました。最終回を書かないとと思いながらも日本にいると何となく書く気になれず。ダラダラと来てしまいしたが、ブログを今までブログを読んでいただいた方にきちんと挨拶をと思い最終回を書こうと思います。
となんか日本で書くと文面まで固くなりますねー!

バヌアツからシドニーで3時間の乗継をして、成田に着きました。15時間ほどでバヌアツから日本に到着、2年間こんなに遠く感じていたところにこんなにあっさり着いてしまうとはというのが正直な感想です。
バヌアツに持っていった靴4足はすべて日本で履けるレベルではなかったのでサンダルに靴下を履き。
バヌアツから持ってきたすべての長そでと長ズボンを朝の7時の成田空港で着込みました。
荷物を宅急便で実家におくって一緒に戻ってきた同期と別れて一人で成田エキスプレスに乗って新宿に向かう途中、千葉の田園と寒そうな外の景色を見ながら。
「オー!ジャパン!愛すべきわが故郷!」
と思ったのかどうかは三週間前だったので忘れてしまいましたが。帰りの飛行機の中でカンタス航空の人達に朝の4時に起こされてスクランブルエッグとクロワッサンを食べさせらて、自ら無理してコーヒーの2杯も飲んだので、なんか胃の中がおかしかったのは覚えています。

日本について最初に何食べた?とみんながきくので書きますが。それは母親の作ってくれたウドンでした。
本当はずっとJRの立ち食いソバを食べようと帰国前から心に誓っていたのだけれど早朝のスクランブルエッグで胃袋が時差ボケで食べる気が起らず、とりあえず家に戻りました。
2年ぶりに会った母親は最初は少し老けたかな?って思ったけど、それは朝早くて僕に起こされて寝起きだったからで、午後には2年前に別れた時と同じ顔に戻ってました。
っていうかみんな2年前と全くと言ってよいほど変わっていなかったです。それが驚き!人の顔って変わらないなー!というのが実感です。ちなみに僕は日焼けしてたので少し変わってました。

そして少しだけ寝てから母親に「蕎麦食べたい」っていったら蕎麦がなかったみたいで、出てきたのがうどん
でした。でもやっぱり美味かった。きれいに刻んである白菜やニンジン、シメジ、豚肉も素敵でした。
「やっぱりダシ文化は素晴らしい、親というものはありがたい」
とおもいましたが、なんか具だけみるとチャンポンにも見えました。でもおいしかったです。
母親の一言は
「ブログ見てたからあんまり2年間離れて感じがしないねー」
でした、このブログ役に立ちました。

話は戻って成田で感じたことは、行き違う人がみんな挨拶してくれないなー!ということでしたが。
なりた到着して10分くらいして気がついたことは、これだけ人が多かったらすれ違う人全員に挨拶してたら
生活が成り立たないからそれは当り前だ!というとでした。バヌアツの大自然のなかで、それぞれ一人で歩いていたときに出会った感動は、日本では無いことだろうな、と感じます。
それぞれの国にはそれぞれの生活のスタイルにあわせた相手に対する尊敬の表わし方があるものなのだと納得しました。
JRのホームで駅員さんが慌てて階段を駆け上がってきたと思ったら、道を聞いたお客さんに快速と急行で
乗り換えが難しいので気を付けてください。と親切に説明しているのをみて。
「やはり日本人というのは律儀で素敵だ!」
とも感じました。

不景気、不景気というので町は世紀末のようになっているのかな?って思っていたら意外と何も変わって
なかったしね。ネズミ食べてるバヌアツの人が見たら何が不景気なのかな?雇用削減っていっても全員無職な
バヌアツ人は何のことかわからないだろうな?
なんて思いました。ちなみにバヌアツの人はネズミは食べるものがなくて食べているのではなくて、なんとなく居るから捕まえて食べてるみたいです。

お寿司は食べたくて帰国後三日目に一人で回転寿司に入りました。サーモンとエンガワがおいしかったです。

帰国後3日ですべてが日本モードに切り替わりました。結構あっという間でした。
ウィンドウズのアップデートくらい早かったです。ウィンドウズ95だったのがXPくらいのレベルにはなりました。

病気で療養中の父親も僕の帰りを待ってくれていました。すでに結婚している姉も電話をくれました。
家族と同じ国にいることは安心するものだなー!とも感じます。

一年半前にブログが始まったころに言われた事は、
協力隊でバヌアツに配属が決まった人が、インターネットでバヌアツを調べるとマラリアがあるとか、人食い人種だなどと書いてあるので、辞退する人が多い、そういった間違った情報が先行しないように、現地で活動している隊員がブログを書くことが一番効果がある。
ということでした。そういえばぼくも派遣前はそういった情報に踊らされていたなー!
今思えばこの2年間マラリアになった隊員は一人もいなかったし、現地の人に捕らわれて食われた隊員もいなかったなー! などと笑ってしまいます。
そしてここで一つ懺悔があります。
100かいくらいブログを書いていて、一度だけ嘘を書いたことがあります。それは
「もう何も欲しがりません」
という題名だったと思います。
僕がマーケットであった現地の人に山奥に連れて行かれて食われそうになって必死に逃げて帰ってくる。
という内容だったのですが、僕は何を思ったのかその一回だけ妄想が止まらずに嘘を書きました。
帰国後に親戚の人から連絡があって、
「帰国したらあの内容が本当なのか本人に聞いてくれ」
と近所の人に言われてたんだけど・・・
ということでした。あれは嘘です。自分の中ではあれは三部作になっていて、コウモリの話と牛タンの話を
書いてる内になんかこの流れで面白いのが書けそう!って勝手に妄想してしまいました。

あの一通は嘘です、ゴメンナサイ・・・(コウモリと牛タンは本当です)

ブログを書いて良かったことは自分の気持ちの中でバヌアツの派遣が決まった人が来たくなるようなブログ、という気持ちが働いていたのと、これはジャイカの公式なブログなのだから、いい加減なことは書けないのだ!
という気持ちがあったおかげで、文章がとても前向きになって、書いているうちに自分の気持ちが整理できて
それを読み直すうちに、自分の活動も前向きになっていったことだと思います。
もし個人で管理するブログであったら、もう少し愚痴が連なっていたかも知れません。

活動に迷って軌道修正したいときに過去のブログを読み返すことがよくありました。
ブログの中には前向きな自分の姿が描かれており、読んでいるうちに心のブレが修正されていったこともあった
のかもしれません。また協力隊の隊員なのだ。というプライドが文章の中に反映されていたのかなー?
と帰国して読み返してみて感じることもあります。バヌアツが僕という人間を輝かせてくれていたのではないのかな?と感じます。日本の自分も輝かないとね・・・

とこれが日本にもどって三週間の隊員の心境です。
「今後個人的にブログを書かないの?」
って聞いてくれる人もいますが。今のところ考えていません。このブログも僕がメールとして首都の事務所に
送ったものを担当調整員がアップしてくれていたので、僕はアウトルックに書いていただけだったので。ブログの作り方もしらないしね。

今後はしばらく日本で教員をしたいなー!って思って就職活動中です。人生で初めて教員のまねごとみたいなことを2年間やらしてもらって気がついたことは、教育って今すぐに結果が見えるわけではなくって10年後とか20年後にジワーッと教え子の記憶の中にその先生から教わったことがにじみ出てくるのではないかな?ということです。協力隊の活動もおなじで、今の僕は2年前とは変わってないけど、10年くらいしたらなんとなくにじみ出るものだと思います。
半年、1年先の学力の向上は塾の先生に任せて、教員は10年先に効き目が出てくれば良いのかな?なんて思います。まあそんな呑気なことを言えるのは僕の専門が体育だからだとは思いますが・・・・

とこんな感じで最終回は終わりたいと思います。ブログに関する感謝の気持ちを述べだすときりがないので
一人に絞ると、バヌアツ事務所の調整員さま僕をワールドレポーターに選んでくれたことも、わけのわからない文章でもOKを出してくれたこともとても感謝しています。

青年海外協力隊 18年度2次隊 体育だった 浦 輝大

爽やかすぎる二人


「ウラー!僕らの写真を撮ってくれよー」

っていうので、

「OK!ワン!ツー!スリー!」 

で写真を撮りました。
 
 デジカメなので、画像を見せてあげようと思って僕がカメラを二

人に見せるより先に

「ウラ、サンキュー!」

って行って全力疾走でどこかに走り去って行きました。
 
写真の意味わかってるのかな?って思いながらもあまりにも爽

やかな2人に驚かされました。

そのときの写真がこれです。右がお隣のクウィンティル、左がモシ

スです。僕はあまりにも早い展開に1人で取り残されて苦笑い

しました。
 
 

体育は重要じゃなかった


2年間の巡回指導が終わって今は首都で帰国の準備をしなが

ら、この2年間を振り返っています。
 
 自分の2年間の活動には悔いも後悔もありません。もしもう一度

2年前からやり直し!っていわれても同じように悩み、同じように苦

しみ、そして楽しみたいと思います。

 タンナを出発した時の事はまた今度書きますが、現在タンナ島の

家を引き払って首都で帰国準備をしながら、時々パソコンでタンナ

の写真を見たりして寂しく思うことがあります。

 そして最近になって大きく胸に響いてきた言葉があります。2学

期に巡回していたポートレゾリューションのラッキン校長に言われた

言葉で、別れの挨拶で僕が

「僕の仕事は体育の価値を広める事で、巡回指導で今はみんな

体育の価値がわかったでしょ、僕はタンナ全体に体育を広めるのが

仕事だから、次の学期は他の学校へ巡回にいかなければならない

んだよ」
 
という僕のお別れの挨拶に

「ウラ、何でもう巡回指導に着れくれなくなるんだ、もちろん体育は

重要だけどそれ以上に、お前が毎週学校に来てくれて会えること

のほうが俺たちには重要なんだ」

といわれた言葉です。
 
 また3学期に教えていたイキティの子供にも帰国の挨拶と僕には

後任が来るので彼が仕事を引き継ぐから大丈夫だよ、といった時に

「ウラ、俺たちはお前に会いたいだけなんだ」

と言ってもらえたことです。

そんなこと言われたら、いつまで経っても体育は広がらないし、技術

移転だって出来ないでしょ!

 ってそのときは思ったけど、全てが終わって今考えたら、そこが日

本人としての僕の悪いところだったのかな?とも感じます。
 
 仕事の為には自分を犠牲にすることは日本では美徳だけど、バ

ヌアツの人はそうは思って居なかったと思います。

 なぜウラは仕事を優先させているのかな?体育なんかよりも人と

してもっと大切なものがあるのじゃないかな?

 と思っていたのかもしれません。そこがわかっていずに、仕事優先

に生活している僕は不思議な存在だったのかもしれないです。

 全てが終わって思えば仕事なんて、体育の普及でも、青少年活

動でも、村おこしをする村落開発普及でもなんでも良かったのかも

しれません。

仕事の肩書きよりもウラっていう自分をもっとアピールして、もっと自

分らしく振舞う事をするべきだったのかも知れません。

 そこが日本人の苦手なところでもあり、自分の悪かったところなの

かな?とも感じます。

 僕はボランティアという立場だし、州全体の体育の普及なのだか

ら公私混同しないで、全ての人に平等な立場で接するべきだとい

う気持ちが根底にありました、

でもやっぱり

「俺たちはお前に会いたいだけなんだ」

って言ってもらえてことは一生の宝だと感じます。

もちろん公私混同しない僕のスタイルを評価してくれる人も沢山居

ました。でも仕事の量以外に人として評価してもらえたことは心の

財産になると思います。
 
 今までの人生でそういう価値観を知っていたとしてもこんなに強く

感じたことはなかったと思います。バヌアツで教わった一番大きなこ

とだと思います。

今は僕にそのことを教えてくれたバヌアツの人たちに感謝しています。

来年からは日本社会です。色々と悩むだろうけど、この経験は

決して忘れてはいけないと感じます。
 
 写真は黄色いシャツなのでフランス語学校の4年生です。

 英語学校はブルーのシャツを着ています。 

 一年生から4年生までフランス語にいて、その後に英語に転校す

る子供が結構います。先に英語から習うと、フランス語は難しくて物にならないそうです

あっさりだった最終日


タンナ島の最終日のことを書きます。

期待に反して意外とあっさりでした。僕がタンナを後にしたのは

12月6日です、その次の週から首都でバヌアツの協力隊員全

員参加の隊員総会があったので、それにあわせてバヌアツ出

国の一月七日よりも一ヶ月も早めに上京しました。

すでに11月末で学校も終わっていたので、仕事もなく、

お世話になった先生たちもあっという間に自分の地元へと散ら

ばっていきました。
 
 なので公務員の多いウチの村は意外と静かで、僕が日本に

帰ると行っても、「クリスマスだけでしょ!」

って思っている人が多かったみたいです。そして総会の為に他

の協力隊員4名と一緒に飛行機に乗ったこともあり、空港で

会った人達も休暇で首都に行くだけだと思っていたみたいです。
 
 飛行機に乗ってからの僕の気持ちを結構あっさりで、

「アー、これがタンナ島を見る最後なんだなー!」

なんて思いながらも、飛行機の席が通路側だったので、特に

自分の世界に入ることもなく、そのまま飛び立ってしまいまし

た。 

 それが僕のタンナ島最終日でした。
 
 いらない洋服は綺麗なものは高校の校長のドネルに島を経

つ朝に持って行きました。

 少し汚い服や靴などは僕が隊員としてタンナにきて巡回指

導を始めたときに、問題児の多かったコーナースクールの7,8

年生で常に気を使って僕を助けてくれたタイヨウ少年に託しま

した。

 彼はすでに小学校を卒業して中学校に通っていたので今年

は直接授業をすることはなかったのですが、個人的にずっと友

達だったし、洋服を上げても周りの人に自慢するような子では

ないので、無理やりに押し付けてきました。

きっと今頃は6人いる男兄弟で分け合ってくれていると思います。

 ガレージセールで村人に売るという方法もありましたが、自分

がタンナ島でお世話になった道具達が買われていくのは寂しい

きがしたので、2人の人に絞ってゆずる事にしました。みんなに

配らなかったのは、あげれた人とそうでなかった人が出来てしま

う事がイヤだった事と、みんなが家の殺到する事が怖かったこと

と、そのときにしなればならない別れの挨拶が苦手だった事もあ

ります。そのかわりに写真は50枚ほどプリントしてみんなに配り

ました。
 
 冷蔵庫やその他の雑貨は後任のヨリ君に譲り、首都には30

キロほどで上がりました。冬服はないので日本に戻ったら大変

だと思いますが、荷物はなるべく少なくして帰国しようと思います。

 それがタンナ島の最終日でした。感動の涙はなかったけど、

島を最後にする時はなんとなく誇らしげな気持ちになりました。

「出来ないながらもよく頑張ったなー!」というのが正直な気持

ちです。

 残り一ヶ月は首都での活動の報告、表敬訪問、最終レポー

トなどで終わりです。ブログの内容も落ちも何もなくあっさりして

いてごめんなさい・・・・ 
 
 写真のテーマは「夕日と少年」いつの間にか子供達は僕より

逆立ち上手になりました!
 

妊娠していますか?


昨年に巡回していたラムカエル小学校には、メリーと

ベティーという女性の先生がいて、2人とも体育には凄

く協力的で良い先生でした。

男子対女子でドッチボールをやっているとどうしても劣

勢になってしまう女子チームを助けます。
 
 優位に立って調子に乗っている男子に容赦なくボー

ルをぶつけていきます。子供の頃から木の枝を投げてマ

ンゴーを落としたり、犬を追い払ったりしているのでコン

トロールは素晴らしく、形勢は一気に逆転して男子生

徒は狭いコートに逃げ惑います。
 
 外野に入ると他の女子生徒から

「ギブ!」

といってボールを取り上げます。女子生徒の仕事は拾

ってきたボールを2人の先生に渡すことになりおかしな

チームワークが成り立ちますが、そうやって先生の役に

立てることがうれしいみたいで、率先してボールを拾います。

2人の先生がいままで自分たちを苦しめた男子生徒を

撃退することに声援を送ります。

 僕の目標とする技術移転の形とは少し違うけど、ま

あ授業に参加してくれてるしこれはこれで良いのかな

 などと考えていましたが、今年になって2人に会うと、

二人ともまだ0歳くらいの子供を抱いています。

ってことは昨年は2人とも妊娠していたということです。 

 バヌアツの女性は結婚するとアイランドドレスというか

らだのラインが見えない頭からスッポリかぶるドレスを着

るので、妊娠しているかどうかわかりにくいです。
 
 「一緒にグランドに出て授業をして欲しい」

 と尋ねたところ

「妊娠しているから無理」

 と嫌な顔をされることもあるし、

おなかが目立って大変そうなので、妊娠しているなら

無理に授業に参加しなくても良いよといったら、

「妊娠はしていませんけど!」

と嫌な顔をされることもあるし、女性の先生の扱いは子

供以上に難しい事があります。


しかもバヌアツは妊娠することはそれほど珍しいことで

はないので日本みたいにオメデトウとかは言わないです。

 世間話の中で

「妊娠してるの?」

 って聞いたところ

「今、妊娠してるかどうかなんて私にもわからないわ」

と少し意味ありげなほほえみと共に言われて戸惑った事もありました。

20歳から40歳までの間に10人近く子供を産む人も

多いのでそういう感覚なのかもしれないけど、

僕にはよくわからない感覚です。 女性だったらそういう

感覚わかるのかな?

 でももし妊娠してるの?って尋ねて
 
 「ウラ、私に妊娠して欲しいの?」

って答えられたら新たな展開がうまれてしまいそうなので、

色々な意味で相手を選んで聞かなくてはと思います。
 
 写真中央でグリーンのシャツを着ているのがベティー

先生で、その左はキンディーに通っている娘さんです。

キンディーの集会の時の写真です。

ピクニック!


「 ピクニック!ピクニック!

ユーミー ゴー ロング ピクニック! 」

 バヌアツの公用語のビシュラマでは英語でいう

WE (私たち) は YUMI (あなたと私)

になります。 「ロング」 というのは前置詞の

TO なので、上の歌詞の海は

「さあ、俺達ピクニックに行こう!」

 というかんじです。
 
 11月の二週目に年度末のテストが終わって

三週目はピクニックに行きます、4週目は終業式

です、それぞれ1週間もしないでしょ!って思うけ

ど、それがバヌアツ流です。

残りの4日は何もしなくてもそれは良いのです。

今週はピクニックウィーク、来週は終業式ウィーク

 なのです。

クラスごとに行きます、今日は4年生です。

1、とりあえず泳ぎます。

2、岩から飛び込みます。

3、水をかけ合います。

4、砂浜から助走をつけて全力疾走して波打ち 
  際で空中前転をします。

5、水中で友達の背中の上に立ってそのままジャ  
  ンプします。

6、沖にある足の付く岩まで遠泳します。

7、砂浜での逆立ち大会が始まります。

8、女子と男子に分かれて水中で石を集めて山 
  を作ります、お互いに相手の山から岩を取り
  合ったりします。
 
9、11時に先生に呼ばれて昼食になります。ラッ  
  プラップとご飯、ツナ缶などをミックスしたぶっか
  けご飯を平らげ、ココナッツジュースを飲んで、
  パパイヤを食べてそのまま海に飛び込みます。
 
 昼食は1時半にもう一セットあって、午前中に

残ったご飯とバナナ、パイナップルが用意されてい

ます。食事以外のときはほとんど海に入りっぱな 
 
しです。

 5時頃になっても日差しはキツイので男子は同

じペースで泳ぎ回りますが、先生とお手伝いの女

子生徒達が食事に使ったお鍋やお皿を海で洗

い終わると解散になります。

 「ピクニック!ピクニック! ユーミー ゴー

  ロング ピクニック!」
 
  世界一綺麗な夕日を浴びながら

  それぞれの家へと散らばって行きます。

早かった二年間


2年間の巡回指導とワークショップも無事に終わり、マレ

クラ島の帰りに首都に寄った時に買い物に行きました。

夏に向かいつつあるバヌアツでクリスマスセールに向けての

棚の配置換えやデコレーションが行われているのを見ると

季節の感覚がおかしくなりますが、買い物をしながらスポー

ツ用品などを見て、新しい授業の発想が浮かぶことは良く

あります。
 
 たとえば高学年のキックベースに丁度良いのは3号級の

サッカーボールだし、フラフープは単に手に持って子供にくぐ

らすだけでも低学年は喜ぶし。

 やわらかいスポンジのようなボールは低学年に最初にドッ

チボールを教える時に恐怖心無くてよかったりします。

いきなりバレーボールを使うとまだ3頭身くらいの低学年は

顔面にボールが当たる可能性が三分の一と高いです。

 今回見てて興味を引かれたのはネットボールというバスケ

ットのような感じで、少しだけ違うという競技のボールで、

結構丈夫そうだし、滑りにくそうで良い感じでした。

 値段も1200円とお手ごろです。
 
 低学年用に買おうかな?っておもったけど、よく考えてみ

たら来年の授業が始まるのは2月からで僕は1月に帰国

するからいつ使うの?

 って気が付いてしまいました。

「ウーン、この気持ちはちょっと切ないなー!」

クリスマスセールのお店の中で真剣にボールを見つめなが

ら思いをめぐらしている自分はおかしいな客だと気が付くま

でに結構時間が経ってしまいました。

でもあのボールがあったら結構面白い授業が出来るだろう

なー。子供喜ぶだろうなー、猿みたいに両足で飛び跳ね

て、手を叩きながら「キャッ!キャッ!」って奇声を上げてく

れるだろうなー!そのときはきっと鼻水全快だろうなー!

もうあの姿はみれないんだなー!

と往生際の悪い事を考えたしたが、買わずに帰ってきました。

振り返れば本当に楽しかった2年間だったと思います。
 

ついに本物ジェットリーへ


8ヶ月ぶりにマレクラ島に出張に行きました。

道路に左側を歩いていると、逆斜線を歩いていた小4くら

いの3人組が、僕の20メートルくらい前方で明らかに不自

然な道路横断をしてから僕の前をすれ違います。

バヌアツ人はみんな眉毛で挨拶するので、軽く挨拶したら

「やっぱりお前は!」

という一言が!
 
 「覚えていたか、俺だよ、ジェット・リーの弟だよ!」

三人組みは少し緊張して言葉が出ないようだったので

「よし、再会を祝してもう一度握手しよう!」

と言う事で握手しました。

 前回マレクラに来た時に少し生意気そうな子供たちに

言う事を聞かせようとしたのかどうかは忘れましたが、俺は

ジェット・リーの弟だ!と言っていたのです。

そのときのブログは

「なんちゃってジェット・リー」

という題でアップされています。もし時間の許す方はあまり

期待しないで読んで見てください・・・

 その後彼らの小学校に赴任しているトモミ隊員から学校

に遊びに来て欲しいとのリクエストをもらい、正式に学校に

遊びに行きました。

 すでにそのときには僕はジェット・リーの弟ではなく

ジェット・リー本人に昇格していて。子供はみんな

「ジェット・リーが来た!」

と騒いでくれました。

町で会っても

「ジェット・リー」

と言って手を振ってくれます。

10月は少し体調が悪くて髪の毛切るの忘れてましたが

こんな事になるなら出張前にチャンとジェット・リーっぽく髪

の毛を切っておくべきだった。と後悔しながらも、インチキカ

ンフーと逆立ちで本物になりきって来ました。

ブログの場をお借りしてマレクラの子供達と本物のジェット・

リーさんに懺悔します・・・・

写真はワークショップの時のものです。なれない講義なので

緊張して変な汗をかいています・・・・
 

自己ベスト


ワークショップで色々な島に行って久しぶりにタンナに戻っ

てきたら、すっかり夏が来ていました。

 植物はグングンそだって、気温も頭痛がするほど高くなっ

てます。昼間に部屋で本を読むことも出来ないくらい暑く

なってました。
 
 これは海の解禁日だとおもって今週はすでに2回も泳ぎ

ました。すでにバヌアツは3学期も大詰めで年度末のテス

トが行われているので、体育の授業はまったく無しです。

僕の協力隊としての仕事はあっけなく終わってしまいました。


と言う事で今日は今週三回目の海となります。

海は今週に入って凄く穏やかです。

1人でバイクで丘を下ると子供達がすでに集まっていました。

僕がスノーケルとフィンをつけるのを面白そうに見ています。

といっても子供もスノーケルを持っているので珍しいわけで

はなく、彼らはすでに何時間も泳いで退屈しているだけで

す。

 そのままバサバサ穏やかな海に入って珊瑚のある100

m位先まで軍手をはめるのに戸惑いながら泳ぎます。

子供達が見ている前でフィンをつけるのはカッコよいけど軍

手をはめるのはかっこ悪い気がするので、軍手はポケットに

しまっておいて泳ぎだしてからつけます。
 
 すでに海底には黒鯛みたいな魚やカラフルなリーフフィッ

シュが泳いでいます。
 
 サンゴについて早速貝をさがします。子供たちは普段パ

チンコとして使っているゴムを改造してモリのようなものを作

って魚を突いていますが。広いサンゴの中を泳いでいる魚

はそんなにトロくはなく、あまり魚を突いているところは見た

ことはありません。
 
 潜っていると早速トロッカという貝を見つけました。

その後に表面の滑らかな巻貝を二つ見つけて、その後に

角のあるような巻貝を同じサンゴの穴の中から二つ一緒に

見つけました。
 
 やっと見つけたサザエは掴んだ瞬間に中からヤドカリみた

いなのが海底に向かって脱出していきました。残念でし

た。

 その後に見つけた本物のサザエは穴に綺麗に挟まってい

て、穴の中ではコトコト動くけど、引っ張り出す事は出来

なくて、3分粘って諦めました。鉄筋の棒を20センチくらい

に切ったものか、鉄のヤスリを持っていれば多分引っ張り出

せたと思います。
 
 まだ夏の初めでみんなが潜ってないからかもしれません

が、こんなハイペースで取れてよいのか?と言うくらいに

色々な貝が見つかりました。もっと探したかったけどポケット

が一杯になってこれ以上入れるとウッカリ落としてしまいそう

な気がしたので、岸に上がりました。
 
 浜で自慢げに次々とポケットから貝を出して子供に見せ

ると

「ウラ、トロッカ捕ったら警察に捕まるぞ!」

 と教えられました。なにやらボタンを作る為にみんなが取

りすぎて、捕るの禁止されてるみたいです。

 それにしても20分でこれだけ取れたのは始めてでした。

最高記録です。

 ポケットに満杯にして岸に戻る時に泳ぎながらオシッコし

たので、海パンを通して少しだけ僕のオシッコが貝にしみこ

んだかも知れないけど、貝は1人で食べても美味しくない

ので明日の金曜日に他の隊員が遊びに来たら焚き火で

焼いて食べようと思い今は塩水につけてます。ブログがアッ

プされる頃にはみんな食べ終わってるから問題無しです!

みんなの喜ぶ顔が目に浮かびます・・・・・
 
 

耳かき、孫の手、はえたたき


最近は帰国前と言う心の緩みもあって子供が家の中

に入ってくるのを少しだけ認めてしまっています。

 最初はベランダをホウキで掃いていると、隣のティンティ

ナやアーテル(小2と小3)などがきて

「ウラ、私がやってあげる!」

 とホウキを取り上げられます。

1人に貸すともう一人も欲しがるので、ホウキを二本貸し

ます、するとサブリナとジンもきて、仕方が無いので、手で

使う小さなホウキを渡します。

 それで家の中のソファーの裏側のくもの巣なんかを綺麗

にしてもらいます。
 
そこに、それぞれの女の子たちの兄弟のクレガー、サック、

クウィンティル、ナッシー、などが合流してきてしまいます。
 
 すでにお姉さん達が我が家に侵入しているので

「今日はウラの家は解禁日みたいだ見たいだ!」

 と勝手に決め込んで少しずつ家の中へと進出してきます。
こちらもどうせ暇なので、まあ良いかと思ってデジカメや財

布などは高いところにおいて見えないようにして、みんな

を招き入れます。

 みんなは僕の家の張ってある近所の子供や自分の写

真ジャイカのカレンダーなどをみて色々と質問してきます。

 その後にジンが

「ウラこれはなに?」

「それは耳掻きといってそれで耳の中を掃除するんだよ」

みんなが驚きながら感心します。

「これは?」

「それは料理に使うんだよね!」

「違うよ、これは背中をかくもの?」
 
「どうやって?」

「こうやって!」
 
「ガーラ!これは凄いなー!」
 
「じゃあこれは?」

「それでハエを殺すんだよ、やってごらん」

「オレ!オレ!オレ!」
 
 と取り合いになります。

「これは?」
 
「それは頭につける懐中電灯だよ、夜中にブッシュトイレに行っても両手が使えるでしょ!」
 
「これは?アッ!これは知ってる、こないだの授業のときに
これを持って走ったやつだよね!」

「よく覚えてたねー!それはバトンって言うんだよ」

「この小さなサンダルは誰の?」
 
「これは小人のだよ!」

といって、人差し指と中指でテケテケテケー!と言いなが

ら走るしぐさをすると、「ガーッラ!」口を大きく開けてビック

リしていました。

その後に子供達みんなでテーブルの上でテケテケテケー

と真似をしていました。

「もう片方は何処に言ったの?」
 
「もう片方はなくしちゃったけど、もう小人は居ないから
片方だけで大丈夫!」
 
「どこに行ったの?」

「大きくなって今はジンくらいになったよ!」
 
「へー!」 

とまた大きく口をあけて驚いていました。
 
 結局はみんなに物色されて、最初よりも部屋の中は

ゴチャゴチャになります。
 
 綺麗にしたはずのテーブルも、食器や大工道具、食料

品、本、トイレットペーパーなどが大きさ別に並べられてい

るので、意味がわからなくなります。

 まあそれでも子供達は僕の手伝いができて満足してく

れるのなら良いかなー!

 って思って見ています。
 
 最近は夕方に料理をしているといつの間にか後ろに子

供が立っていることがあるので驚きます。こちらはほとんど

が薪なのでガスを使って料理をしているのが面白いみた

いです。

子供達は本当に純粋で可愛いです。 
 
写真は左から サブリナ、ジン、ティンティナ、アーテルです。

なんちゃってジェットリー


タンナ島を離れてマレクラとうでのワークショップの時の事

休み時間に子供と一緒に逆立ちなどをしていると、ちょっ

と生意気そうな子供が

「お前はカンフーできるのか?ブルースリー知ってるのか?

会ったことあるのか?」

と聞いていたので、

「ブルースリーは死んだからあったこと無いけど、ジェット・リ

ーは知ってるよ、なんといってもジェット・リーは俺のお兄さ

んだからね」

 というとみんなの目つきが変わりました。

「ってことは、お前はジェット・リーの弟なのか」

「そうだよ、兄貴は映画スターになって、俺は体育の先生になったんだ、だから顔が似てるでしょ!」


 僕の顔は人類を5分割くらいにするとジェット・リーの部

類に入ります。ジャッキー・チェンやブルー・スリーよりはジェ

ット・リー寄りだと思います。

「スイマセン、話を整理すると、あなたは日本人でジェッ
ト・リーも日本人ですか?」

「もともと日本に居たんだけど、兄貴は今は中国だよ」

「何人兄弟ですか?」

「5人だけど、残りの三人は女だよ」

「スッゲー!、本物の弟だ、これは大変だお前らみんなを

呼んで来い!

スイマセン、とりあえず僕から握手をお願いします。」

その後にきれいな列が僕の前にできて、男の子達が順

番に握手してきます。ちょっとお辞儀をするようにして、両

手で握手してきます。

 そして握手が終わった子供同士でみんなでカンフーごっ

こが始まります。

 「スイマセン、もう一度逆立ちしてもらっても良いですか」

「仕方ないなー、少しだけなら良いけどお前らもやるんだぞ!」

「もちろんです」

と言う感じで、20分ほどの休憩時間が盛り上がりました。
 
 もちろんタンナではそういう嘘はつきません。だってそん

なことしたら島中から人が集まってくるからね。

 出張先ならではの出来事でした。
 
 ちなみにタンナ島には名前がジェットリーという高校生が

居ます。体育大会の時にみんなが呼んでいました。

 ジェット・リーなんだけどね・・・・
 

幸せは自分が決める


飛び石連休の合間や学校の予算を作る為にPTAを呼んで食

事を作ってみんなに売るファウンドレイジングなどが行われる時

は、先生達は授業をしないことが多いです。

 「来週は飛び石連休だけど、学校はあるの?」

と聞くと、

「ある、私たちはいい加減な事はしないからきちんと授業をする!」

といわれます。しかし行ってみると、半分くらいの先生達は日陰

でおしゃべりをしていて、子供たちは教室の中で黒板を写してい

たり、教室にテレビを持ち込んで映画を見ていたりしています。
 
そして、たくさんの子供達が学校に来ていません。

 先生達の言い訳は、子供がきちんとこないから授業をしてしま

うと、同じことを二回繰り返す事になる。と言う事なのかも知れません。
 50名くらいの生徒が居る学年でも、20名くらいになることもあります。

体育の授業の計画は変更になります。

 コーンやボールなどを借りようと思っても、鍵を持っている先生

が今日は来ていないから、今日は使えない。と言う事にもなります。
 
 そんな中でもきちんと授業を行う事が大切だと思って自分で学

年ごとに子供を呼んで授業をします。

 暇な他の学年の子供達が見物に来て冷やかします。

そしてドッチボールや鬼ごっこに勝手にはいってきたりもします。

 授業を受けなくてはいけない子供は面倒になると、日陰で休

んだり、水を飲みに行ったりします。

 もともと学校に来ているだけでも偉いと思われ居るので、途中

で抜けても、家に戻っても罪悪感は無いようです。

 子供の集中力は落ちるし、授業は上手く行きません。

やはり僕もイライラします。

 それでもここで頑張って授業を続ける事が先生達にいつか伝わるのだと頑張ります。

 でも途中で疑問が沸いてきます。

 自給自足が成り立っているバヌアツでは、働きすぎる事を良く

ないとする文化があることも確かです。働きすぎると

「あいつはビジネスマンだ」

という言われ方をされます。ビジネスマンと言う言葉にはお金にこ

とばかり考えていて、自分たちの大切なカスタムを忘れている。

 という皮肉がこもっています。しかし逆にキリスト教徒が多いバ

ヌアツではなにかセレモニーがあると。偉い人たちが

「我々の未来、我々の子供の為に今何ができるか考えよう!、

スクールフィーをきちんと払って、全ての子供たちにきちんとユニフ

ォームを着させて、学校に通わす事が、今後のバヌアツの未来

を明るくする!今頑張れば、未来は明るい!」

を連発します。

 そういっている大臣や校長の子供が連休に入ると学校に来な

かったりしています。

個人レベルで話していてもものすごく素晴らしい理想を語ります。

この人は物事がわかっているとおもって信頼すると

「トクトク(お話)ツマス(沢山)、でも仕事は少しだけ(スモール・

ノモ)が俺達の文化なんだよ!」

 と悪びれません。

 そんなことをイライラと考えながら、先日引退した清原選手が
言っていた

「やらない理由は自分が決める」

と言う言葉を思い出して、ここで辞めるのは自分に負ける事にな

る。と考え直し、子供たちを授業に集中させる為に、暑い中を

時には怒り、時には褒めながら進めていきます。
 
 何とか全学年が終わって先生達に

「今週もありがとう、また来週宜しくお願いします」

と声をかけますが、自分達が授業をきちんと行っていない事と、

僕が教育省配属なので、何か言われるのではないか?ウチの

学校はきちんと先生が来ているだけでも、まだマシなのだという開

き直りの混じった。前向きではない挨拶がもどってきたりもします。
 
 僕は疲れと普段より出しすぎた大声で、頭痛を感じながら、そ

ういった色々な感情を何とか処理しようと考えます。

 やる気があるのなら助けてあげることもできるけど、先生達は最

初から諦めてしまっている、そういった先生達にいい加減に扱わ

れた生徒達はさらに被害者で、体育の時間だけきちんと授業を

しなさいと言われても朝一番から既にいい加減な学校の運営で

始まってしまうと、集中力は低下している。
 
 でも少し掘り下げて考えてみると、先生達は十分な教科書も

与えられず、低学年には椅子や机もなく、床に座っているだけ

なので、一日4コマの授業を一年を通して教えるほどの内容を

持っていないのではないか、そうなると悪いのはその環境を整え

るべき、教育省や首都の文部省になる。

 きちんと中央から順序だてて地方に下ろしていかないと、タンナ

のような地方で頑張ったところで誰が評価してくれるわけでもな

く、周りの教員との足並みをそろえないと、1人だけ浮く事になる

かもしれない。

 バヌアツ人同士では1人だけ正論を振りかざして他の先生を

厳しく管理する事はもちろんタブーだし、学校で勉強したからと

いって、卒業すれば仕事があるわけでもなく自給自足に戻るの

だから、一生懸命勉強する意味が無い。

 そう考えると中央に居るバヌアツ政府自体も、限られた予算の

なかで現在の教育水準を保つだけでも精一杯なのかもしれな

い。もともと教育は西洋社会が押し付けただけで、今のバヌアツ

にはまだ必要でないのかもしれない。
 
だったら先生達と一緒に自分の授業を辞めてしまうのか?と考

えると、それは違う気がします。現地の人達が自分達だけでは

気がつきにくい価値観を広める事も僕らの仕事だとおもうからです。
 ボランティアだから評価と言うものは自分で決めれるし、出世と

言うものは無いから自分が正しいと思った道を進めば良い。

バヌアツでの2年間が僕の人生にとって無駄な時間だったと思う

のなら、逆に日本でお金と時間に追われながら過ごす2年間に

それ以上の価値があると思えるのか?
 
などと一通りいつも感じる感情が沸き起こります。

 一通り考えて、人生の意味、援助の意味、人間にとって何が

一番大切なのか?進歩する事なのか、それともただ楽しく生活

できればそれで良いのか?などを考えます。

考えて、疲れて、結局は自分は他人にとってはそんなに意味の

無いもので、人生はそういうものなのだ。

 と言う結果になります。そこまで来てやっと納得がいきます。

 誰にも必要とされていないのであれば、自分を信じて自分で

自分を応援するしかない。そもそも他人に理解してもらおうとい

う気持ちがあること自体が自分が驕っている証拠だ。ボランティア

なのに気がつかないうちに感謝されたいという見返りを求めてしま

っている自分が甘いのだと考えることができるようになります。

 誰にも理解されない中でも授業を続ける事が大切で、自分が

今納得していれば、それを信じるしかない。

 一通りそのサイクルで考えがまとまると、また自然と体が動き出します。
 
 その人サイクルを一日で終わらすことができることもあれば、

1週間かかることもあり、時には一ヶ月かかってもう抜け出せないかも?

 と思うこともあります。

 
 「幸せは、いつも自分の心が決める」


相田 みつお の言葉が胸に響きます。

先日の会話


先日の高校の用務員の叔父さん達の会話

「オイ!何でホワイトマン(外国人)達は長生きするか知ってるか?」

「何でやねん、教えろよ」

「あいつらの食事は米にしてもフルーツにしても全て地上に生えているものを食べているかららしいぞ」

「ほんまか?」

「俺たちは、タロにしてもヤムにしてもにしても
全て地面の中から掘り出して食ってるやろ、それがあかんらしいぞ、地中のものばかり食べてると早く死ぬらしいぞ」

「やっぱり地中のものばかり食ってると、体が早く地中に
戻りたいと思うわけやな」

「ウーン・・・・、しかしコメは高いしな・・・・・」

「ウラ、お前はどう思うねん」

「関係ないと思う」

「やっぱりそうか!良かった、良かった!コメはまずいからな、お前ももっとタロとヤム食べた方がええぞ!」

バヌアツ人、世界一幸せなのか世界一ノー天気なのか良

くわからないことも結構あります・・・・・
 
 

芽が出るチョコボール


日本から遊びに来てくれた友達がニューカレドニア経由で

タンナにきてくれました。
 
 そしてニューカレドニアで中にコーヒー豆の入ったチョコレ

ートを買ってきてくれました。
 
 50個位で1500円!一粒30円です。

さすがに味も高級です。

「チョコボールとはわけが違うね!」

 などと話しながら食べていると、生垣の中からなにやら光
る目が!

隣の悪ガキクウィンティルがウラの友達が怪しいものをうれ

しそうに食べている。というめでこちらを見ています。

 「クウィンティル一つ食べてごらん」

といって渡すと警戒して臭いを嗅いでいます。

「中にシーツ(種)がはいっているけどそれも食べれるんだよ」

 といってクウィンティルの前で僕が食べるとクウィンティルは

上手に半分だけかじって中の種を観察していました。

 その後にもう2粒を握って家に持って帰りました。 

30秒して戻ってきたら

「お母さんの分が欲しい!」

 そのまた30秒後に走って戻ってきて

「マラの分が欲しい!」

 僕が

「クウィンティル、マラは一歳だからまだ食べれないよ」

 と言いながらも、クウィンティルが自分で食べるに決まって

るのでちょっと多めに上げました。
 
 次の日にクウィンティルのお母さんのリーシーが僕に

「昨日にクウィンティルがウラからもらったシーツを庭に植え

ていたけど、何がなるの?」

 と言ったので僕はビックリ!

「あいつ、意外と頭良かったんだな・・・・と思いながらも、

いくら世界一幸せな国バヌアツでもチョコボールを土に埋

めて育てる事は不可能だろうな・・・・・」

 クウィンティルは今どんな気持ちで芽が出てくるのを待っ

ているのかな?と想像してみたりもしました。
 
 ちなみにクウィンティルがいつも使っているスコップはマラの

ウンコをきれいにすくって我が家(僕の家)に投げ込む為に

使っていることを僕は知っています。クウィンティルはその仕

事に情熱をかけています。意外と妹思いです。

 まさかあのウンコスコップを使ったのかな?

と思いながらも、彼の夢を壊さないように、チョコボールの

芽が出てくるのを一緒に待とうと思います。
 
 写真中央で

「ウィーン!」

と車を運転する気になっているのがクウィンティルです、自

分の運転で首都に上がってバイクを買うのだ!と言い張っ

ています。周りの子供はその迫力に驚いていました。
 
 「腕白でも良い、たくましく育ってくれ、クウィンティル!」
 

成功のまねはできない


一年半前に僕がタンナ島に赴任してきた時の挨拶は

「フィジカル・エデュケーション、ティーチャーです」

「何?何の先生なの?」

「スポーツを教えます」

「へー・・・・」

「ナオキさんの後任です」

「アッ!そうなのナオキの後輩なの!俺はナオキとは凄く仲

がよくって、あーそうか!ナオキの後任なのか!それは凄

い、今度ウチの村に遊びに来い!」

とそこからズーッと僕の前任者のナオキさんの話になります。
 
 赴任して1週間したときには自分の仕事は名のらずに、

「ナオキの後任です」

と自己紹介していました。
 
 ナオキさんはカバというバヌアツの飲み物が好きで近所の

親父達とよく飲んでいたようです。親父達は僕がナオキさん

の後任だと聞いて、僕も毎晩カバを飲むと期待していたよ

うです。

僕がカバが苦手だと知ると。

「ナオキの方が親しみやすかったなー」

と思っていた人も居ると思います。

僕のことを「オイ、ナオキ!」

と呼ぶ人も多かったです。

そしてナオキさんは地元イサンゲルを中心に巡回指導をし

ていましたが。僕は体育大会を行う体育コミッティーのメン

バーの居る小学校に行って彼らと働きたかったので、島全

体の巡回指導をしました。

 だから地元イサンゲルの子供たちには

「ナオキは2年間僕らの学校に来てくれたのに、ウラは来て

くれない、ナオキの方が良かった、しかもナオキはビシュラマ

語がとっても上手でウラより良く喋れた!」

 と言われて困ったこともありました。

ビシュラマ語が上手く聞き取れなかった時にそういう意見を

聞くと、村の人全員がそういう風に思っているのかな?

という気持ちになることもありました。

 そのときに僕を支えた言葉は

「前任者ののやったことだけを真似しても

           その成功までは真似できない」

  でした。

 この一年半、島全体への巡回指導にこだわって、一つで

も多くの学校で、多くの授業をしたい。

という気持ちで活動してきました。今はもう僕の事をナオキ

と呼ぶ人は居なくなり。

 まったく知らない人に

「ウチの子供はミスターウラが学校に来て体育を教えてくれ

る、ウチの子供はお前が大好きだと行っていたぞ」

「セカンダリーにも来て欲しい」

「ウチの学校にも戻ってきて欲しい」

「ウチの村に遊びに来て欲しい」

「ウチの娘と結婚して欲しい」

「お前に子供ができたら1人我が家に養子に欲しい」

と気がつかないうちに僕のスタイルを認めてくれる人が増えました。

ある日をさかいにそういうふうになったと言うわけではないけ

ど、いつの間にか自分のスタイルができていたのだと思います。

信じて続けることの大切さをとても実感した今までの道のり

だったと思います。

 僕の仕事は前任者を越えることではなく、体育をバヌア

ツに広める事だといいう軸がぶれることがなかったことも僕を

支えてくれたのかなと思います。
 
 「人を相手にせずに、天を相手にしろ」
 
 西郷 隆盛 は良いこと言いますね。
 
 

今週の10点満点!


今週のスーパー ルーラル プレース (ド田舎と言う意味

です) イキティ小学校での写真です。
 
 組体操で6人組みで 3人、2人、1人のピラミッドを作

った後で、女子で1チーム、男子で1チームを作って
 
 4人、3人、2人、1人でのピラミッドが作れたら写真を

とってあげる、といったときのものです。
 
 イキティはグランドが斜めなので結構苦労したけど、

よく写真を見ると、形だけは4-3-2-1となっています。
 
 一番上の女の子の笑顔とポーズがとっても素敵です。

完成してみんなで大喜びしました。

日本だったら絶対に認められないピラミッドだけど、僕は

これでも100点満点をあげたいと思います。

だって笑顔が素敵だもの! 君たちの笑顔のキラキラは世界一で

す!
 

愛すべき悪ガキ達


ワークショップや巡回授業などで始めてのクラスで授業を

する時、いつも僕は手をつないで大きなサークルを作るとこ

ろからはじめます。
 
 そのサークルの大きさで人数を把握できるし、子

供はサークルを作り始めると慌てて教室から飛び出してき

てくれるし、何かと便利なのです。
 
 そして必ずと言ってよいほど一番に教室から飛び出して

きて僕と手をつないでくれた子供は、僕のことを助けてくれます。 僕が

「手をつないで、サークルを作って!」

 と言うと

「お前ら、はやく手をつないで大きなサークルを作れ!」

 僕

「もっと大きなサークルを全員で作って!」

 子供

「男子はもっと下がれ!女子は全体的にもうちょっと横にずれろ!ムーブだ!ムーブしろ!」

 と支持するので、そうやって言うのか!と僕も気が付い

て、その子真似をして

「ムーブだ!ムーブ!」

 と支持します。すると意外と子供はみんな理解して動い

てくれます。

結局はどっちが先生なのかわからなくなるけど、チラッと隣を

見て

 「ありがとう!」

 って言うと、額に汗をかきながら必死に叫んでいた顔が

急に恥ずかしそうな照れ笑いに変わります。そういうときの

顔はすっごく可愛いです。
 
 その後の準備運動のカウントもその子が中心になって行

ってくれます。

 何処のクラスにも必ずそういう子供が居るところがなぜか

不思議です。こんなに小さいのに人を助けようとする気持

ちがあるって素晴らしいと思います。 



 授業が終わった時に

「男子は使ったコーンと縄跳びを俺のところまで持ってきてく

れたらうれしいなー!」

 みたいな事を言うと、凄い勢いで取り合いながらかき集め

てきてくれます。

 「俺が!俺が!」

 と奪い合いながらコーンや縄跳び、メジャーなどを持って

きてくれますが、僕が一言

「サンキュー!お前がトップだよ!」

 というと急に恥ずかしそうになって、そのままどこかに走り

去っていったり、10メートルくらい間隔をあけていつまでも

後ろをついてきたりします。
 
 そういう悪ガキだけど優しい男の子達と一緒に居られるこ

とはすっごく幸せだし、飽きません。

 子供にはいつもエネルギーを与えてもらっています。

 写真は英語学校の一年生です。クラスでは悪ガキなのに、僕のことをすっごく助けてくれます。
休み時間にもずっと隣に座っていたので写真を撮ってあげたらこんな顔になりました。憎めません・・・・
 

優しいシャボン玉


夕方にちびっ子メンバーが騒がしいと思って外に出てみ

ると、ナッシーが空になったツナ缶の容器に洗剤を溶か

してその中にパパイヤの枝を突っ込んでストロー代わりに

して、シャボン玉を作っていました。

 ナッシーが立っているのはオータータンクを載せる為の

足場のようなもので3メートルほどあります。

 下に居るメンバーは降って来るシャボン玉を一生懸命

に取り合っています。
 
 しばらく見ていてから、志村ケンがやっていたみたいに

シャボン玉を食べるまねをしてみよう、と思って僕もみん

なの輪に入って落ちてくるシャボン玉を掴んで食べる振

りをしてみました。
 
 子供たちはみんな驚いて

「ガーラ!ウラがシャボン玉を食べている!」

「ウラの国ではシャボン玉は食べ物なの?」

って言われたので

「そうだと、美味しいんだよ、ナッシー!俺はお腹が減ってるからドンドン作ってよ!」

 って冗談で言ったら、クレガーがみんなに

「今ウラはお腹が減っていてシャボン玉を食べているから、みんなはシャボン玉を壊してはいけない、ウラに優先的に食べさせろ!」

 と言うとみんなも

「それはもっともな話だ・・・・」

 と言って僕から離れて僕がシャボン玉を食べる振りをしているのを遠まわしに

 「スッゲー!」

 っと言って観察していました。僕は思わぬ展開に少し

戸惑いながらどのタイミングで嘘だと伝えようかな?

って迷っているとみんながナッシーに

「ナッシー、ウラはお腹が減っている、もっと早く作れないのか?」

 そして、焦るナッシーに我慢できずに、サック、クレガー

フーソフィーが足場に登ってナッシーから缶をとりあげました。

 僕はだんだんと本当のことを言い出せなくなって、とり

あえずおなかがいっぱいになったから大丈夫だ。と言いま

した。

 「本当に一杯になったの?大丈夫なの?遠慮してない?」

と上に登った三人は心配そうなのか残念そうなのかわか

らなかったけど、とりあえずそういうことなら俺達も食べて

みようと言う事になり、みんなで必死に食べていました。

 みんなが何処まで信じていたのかはわからないけど、

まさに半信半疑というかんじだったと思います。

 でもそういうときの子供達の優しさってとてもうれしいも

のです。

お腹は一杯にならなかったけど、胸は一杯になりました。
 
 写真は必死に僕に餌を与えている時のナッシーです。
 

2010年3月5日金曜日

たき火検定



青年海外協力隊タンナ島派遣は現在男子4名です。

週末などに一時間以上歩いて我が家にみんなが集まることがあります。

といっても時間もルーズで

・「日没を目標に集合」とか。

・「腹が減ったら集合」

・「誰にも捕まらずにたどり着けたらとりあえず我が家に集合」

・「こないつもりだけど、気が向いたら集合」

・「月夜なら9時には解散して岐路だがもし月が出なければ宿泊」

・「飯は全員の到着を待たずに食べ始める。」 

などと全てがいたってルーズな感じです。

嘘をつかない為には初めからあやふやなルールにしておく事が島では大切です。

食事の後には会話以外にすることもなく、いかに会話を楽しむ

かはやはり、ムードという事になります。

そしてやはりムードが良いのは焚き火の回りということになります。

食後にその日だけはインスタントではなくてきちんとフィルターを使

ってコーヒーを落としてのみます。

男4名が狭いキッチンで食事をすると南国バヌアツでは相当熱

気が上がるしヒロがタバコを吸いたいので外に出て焚き火をしよう

というな流になります。

そこで大切なのはいかにスムーズに焚き火を作るかということです

が、そこはなかなか難しいです。

僕らの中での焚き火の定義はきちんと安定して薪が燃えている

事、落ち葉やダンボールなどに一過性の焚き火は認められずにき

ちんと薪に燃え移って、みんなが安心してその炎を見つめられると

いう状態が焚き火が完成したということになります。

そこで

「焚き火検定」

という言葉が生まれました。


4級なら時間制限も無くマッチ、ライター、ろうそく、時にはガソリ

ン(爆発してスネ毛が燃えるので、邪道だといわれています)や、

油分の多いマンゴーの葉やココナッツを包んでいるパームなど何で

も使ってよいので、とりあえず火が燃えれば4級がもらえます。


3級は時間制限があり、4級と同じ条件で5分以内に

安定して薪が燃えれば合格です。

ここまでは大抵の人が合格できるし、4級を持っていなくても3級

の受験資格はあります。

2級になると少し難しくて、ライター、ウチワ、枯葉、ダンボールな

ど邪道簡単火おこしグッズへの依存が文明に頼りすぎという理由

と焚き火検定の品格向上の理由で使用が不可になります。

文明社会との接点として与えられる三本のマッチのみでので安

定した焚き火がもとめられます。

その三本を無駄に使ってしまった場合でも5分間以内であれば、

火打石、枯れ木、偶然の雷と火山の噴火などの方法で規定の

5分以内に火を起こす事ができれば合格となりますが、その可能

性は極めて少なく、受検定料として使われる

「隊員としてのプライド」

を無駄に使ったとして、同情されるというもっとも屈辱的な気持ちを味わいます。

なので2級からは合格率は極端に下がりますし、もしタンナ派

遣の協力隊員OBの履歴書に、

「焚き火検定2級」

とあれば、それは自動二輪免許と同じ、もしくは英検2級と同じ

程度の評価を下してもらえれば個人的にはうれしいです。

ちなみに1級は相当高度で、その検定方法はのメインは

「雨の中での火を使う為の道具を使わない薪への着火、
制限時間5分以内」

という検定試験内容になります。

一級検定が2級以下と大きく違う事は着火剤は一切使えませ

んが、ブッシュナイフは直接的に火を起こす道具ではないので使用できます。

ちなみに数少ない合格者の必勝法は

検定開始同時にブッシュに入り、倒れて湿っている薪には目もく

れず、朽ちてもなお枝として幹にしがみついている、もしくは縦に

立っている薪を探し切り倒してくる事。

その薪も雨の中では表面は湿っているので、ブッシュナイフで真

っ二つに割り、内側の湿っていない部分をこすりあわせて火をおこす事。

そしてそれをすばやく枯れたココナッツの周りを囲んでいる細い繊

維でできた油分の多いココナッツパームに燃え移らせてから

湿っていない薪の内側を割り箸状に小さく裂いて燃やしその炎で

湿ったまきを乾かしつつ安定した焚き火にすること。

一級合格に大切なのは、種火への強すぎず弱すぎずという絶

妙の息の吹きかけとその際のコントロールとタイミング、合格への情

熱と豊富な肺活量が決め手になります。

これをクリアすると「焚き火検定一級」という認定がもらえます。


男4人のタンナの夜は焚き火検定の話のほかに

この4名で日本で商売をするとしたら何で儲けるのか?

1、タンナの生姜を輸出する

2、ドライマンゴーを輸出する

3、カバを輸出してカバの店(ナカマル)を下北沢にオープンする

4、チーフの娘と結婚してこのままタンナでチーフになる

5、マンタンナを煽ってバヌアツからの独立運動を起こして、タン 
ナ王国の国王になる

などといったあくまでもいい加減な今後の人生プランの会話もします。

その話題に飽きると、昔に流行った映画「スタンドバイミー」だっ

たら4人のウチの誰がリバーフェニックスの役になるか?

北斗4兄弟なら誰がケンシロウとして伝承者に選ばれるか?

バンドを組んだら誰がボーカルになるか?

またその場合はカントリーでいくのか、ロックでいくのか、ビジュアル

系で行くのか?やはりバヌアツで流行っているストリングバンドでデ

ビューすべきなのか?

というようなないようで少し口論をしてみなりしながら夜が更ける

のを無駄に待ちます。

焚き火検定とは昭和生まれの大人になりきれない隊員達のロマンの詰まった幻の検定です。

ちなみにこれと似たものに、

マンタンナ検定、ガキ大将検定、村語検定、ブッシュナイフ検定

などの検定もありまが、内容がしつこくなりそうなので、今日はこの

くらいにしておきます・・・・

戦場ドッチボール



スーパー ルーラル プレースのイキティ小学校!

(超ド田舎の小学校!)

サウスの上というところにあり、そこに巡回に行っているとバヌ

アツの人に言うと

「お前大丈夫か?」

「何が?」

「何がって全てにおいて・・・・」

という感じ、サウスは道が悪いし、人口も少なく、しかもその

さらに上のほうだからバイクで登っていくのも結構大変です。

海岸沿いにサウスへ向かってイキティ小学校のある山頂を

見上げるとそこだけに雲が立ち込めている事もあります。

そんなイキティが僕は大好き、こんな山奥でどうしてフラン

ス語習ってるの?って思うけど、そんなことは大して問題では

ないみたいです。

3学期初めの週は子供が学校に来なくて少ないのでみん

なでドッチボールをしました。

しかしイキティのグランドは丘にあったココナッツ畑を切り開

いて牛に草を食べさせてできたグランドで、グランドといっても

凄い傾斜で、芝生といってもそこは牧草地!

牛のウンコが沢山あります。

二つのボールを同時に使ってドッチボールをやっていると、

ボールがネチョッ!と牛のウンコに突き刺さります。

しかし子供はそんなことはなれたもので、草にこすり付けて

ウンコを剥がします。

でもドッチボールで興奮している子供たちはきれいにウンコ

を剥がす前に投げてしまいます。

こっちは絶対にあたりたくないのでますます緊張感のあるド

ッチボールになります。

そのうちにまたグチョッ!っていう音が聞こえて振り返ると、

子供の足が茶色に染まっています。

「まさかお前・・・・」

しかしこちらもそんな事にはかまってられません、立ち止まっ

ていればウンコのついたボールが飛んできます。

空中にはウンコ爆弾が飛び交い、足元のいたるところには

ウンコ地雷がしかけられている、今日の授業はまさに戦場と

化していました。

必死にウンコボールをかわして、必死に投げつけて、そのう

ち自分の足にも何かおかしな間隔が。

まさか自分だけはそういうことにはならないという自信が少

し揺らぎます。ゆっくりと後ろを振り返ると

「ウラがソーリーなことになってる・・・・」

という子供達のささやきが。

でもっちょうど直径30センチのウンコのど真ん中に足が入っ

たので力が上手く吸収されて、サンダルの外側から少しだけ

小指にウンコが進入してきただけでした。

「今だ!とりあえずウラを倒せ!」

という子供達のウンコボール攻撃を必死にかわしながら重

たく湿った足の裏のウンコもそぎ落とします。

日差しも強いし、だんだんとみんなの熱気もウンコ臭くなって

きます。

でもここまできたらどうでも良くなってきて逆にウンコまみれも

楽しくなってきます。

結局一時間ほどウンコにまみれて三学期最初に授業は

終了しました。

なにかスポーツとは違う盛り上がりを見せてた気がします。

きっとウンコと一緒に充満したアンモニアと子供達の汗の臭

いが混ざり合って神経を刺激したのだと思います。

家に戻って庭に置いてある真っ黒のゴミ箱の中に溜めてある

水で水浴びします。何故ゴミ箱かというと、黒いと水が太陽

の日差しで温かくなるからです。

きれいになって昼飯食ってゆっくり昼寝をしました。

夕方パンを買いに行こうと思って、財布を捜してイキティに

ボールを入れて持っていったかばんを空けた瞬間。

「プーン!」

というウンコの臭いが生暖かいかばんの空気と一緒に部屋

中に充満しました。

これぞバヌアツ!これぞイキティ小学校!

人間のウンコに比べたら草しか食べてない牛のウンコはきれ

いなものだと思いました。この臭いなぜか癖になりそうです・・

写真はイキティ小学校、この一見平和なフォールドが戦場と化します。

セコムしてますか?


2月に学校が始まって12月に終わるバヌアツは早くも二学

期が終了しました。

 二週間のタームホリデーです。

南半球は今は冬だし、二学期と三学期の間だからやっぱり

冬休みと言う感覚です。
 
 冬と言えばセコムサイズ、日本語で言うと割礼です、男の

子の成人の儀式です、大事なところにかぶっている皮をカット

してもらいます。それが終わると男の子として認められて、髪

の毛が長かった子も短くカットしてもらいます。

何故今の時期かと言うと夏にすると傷口が膿むからです、今

はドライシーズンだからカットしたところが膿みにくいみたいです
 
 二学期最終週になると男の子の数が少なくなっています。

何でかな?って思っていたら、割礼の儀式のあとは一ヶ月間

は女性の居ないところに隔離されて、村の老人たちが割礼の

終わった男の子の食事の世話をするらしいのです。だから二

週間のタームホリデーの始まるさらに2週間前に自分の村に

もどって割礼を受けて、その後の一ヶ月間をそこで過ごせば、

ちょうど三学期が始まる時に学校に戻ってこれると言う事でし

た。
 
 なるほどね、だから終業式には女の子の方が多くなるんだと納得しました。

だいたい3年生から6年生までの間に割礼するみたいです。
 
「日本はセコムサイズどうしてるの?」
 
 って良く聞かれるのでそこは日本ではタブーだと思いながらも
 
 「ナチュラルだよ!」
 
 ってあいまいに答えたら、みんな納得しないので
 
 「する時は病院に行くよ」

 って答えたら、
 
 「俺たちとどう違うのか見せてみろ!」
 
 と言われました。
 
 「嫌だ!」
 
 というと
 
 「本当にセコムサイズしたの?」
 
 って疑われました。そういえば
 
 「セコムしてますか?」
 
 っていうCMが昔あったよね?
 
  ちなみにセコムサイズの儀式が終わるとみんなで一晩中

踊るというカスタムがあるので、

 タームホリデーの間は色々なおところでみんなが踊っています。
 
 僕も誘われて何回か見に行きました。
  
 三学期に「一皮剥けた」男の子たちに会えるのが楽しみです。
 
 写真はカットした後で隔離されている男の子です、写真では緊張

したような顔をしていますが、結構楽しそうに過ごしていました。

もちろんカットする時は麻酔とかはないから痛かっただろうと思います。
 
 

ケニーと観光⑥


最近火山は結構アグレッシブで、先週は飛んできた石が観光

客に当たったということだったので、僕は隅っこのほうで

 「俺はすでにベテランで何回も見に来てるからそんなにはしゃ

がないよ」

 という感じでみていました。

 もちろんケニーは始めてです。

 タオルにくるまり、トラックに飛び乗ってきたままなのでもちろん

はだしのまま一生懸命火山の爆発を見ていました。
 
僕の頭にあったのはもうそうとう腰が痛くなってきてるし、帰りは

特に記念撮影とかもないからドライバーは真っ暗な道をビュンビ

ュン飛ばすだろうし、でもいまさら、半袖、短パンのケニーを外に

出すわけには行かないし・・・・・

 タンナ島には珍しい日本の女性に囲まれて島を一周回って

おまけにカリントウまで食べやがって・・・・

 とケニーの笑顔がなんとなく憎らしく見えてきました。
 
 でもそれは口にせずに、ケニーを見てニッコリと笑うと、相変わ

らずのお気楽スマイルで、眉毛と顎を少しだけ持ち上げるように

僕に微笑みかけてきました。
 

ケニーと観光⑦


火山をみて本日の目標は全て達成!あとはいかに早くホテル

まで戻るかだけを目標にして走り出したドライバー

のウィリーはまったく愛情無しの、ラリーモードで走ります。
 
 前にいた三台の車を猛スピードで抜き去りました。後ろの男4

名は

 「絶対に俺達の存在を忘れている」

 と文句を言っていましたが、3台抜いてトップに躍り出ると前の

車の巻き上げる砂埃が無くなって荷台に乗っていても目を細め

なくても大丈夫に成りました。

 「なるほどね、そういう愛情があったんだね」

 とみんなで納得していると、なぜかトラックが急停車、

「なんだ!なんだ!」

と意味も無く止まっているうちに後ろの三台にまた抜かれてしまいました。

 荷台の僕らは寒いし砂埃が凄いし、ちょっと不機嫌でした。し

ばらくみんなでやけくそになって歌などを歌っていましたが、そのう

ちそれも面倒になってしばし無言の時間が続いた時、ヒロが

 「後部座席の後ろの小さな扉から暖かい風がもれてきます

よ、手をかざすと温かいですよ、きっとなかでは暖房を炊いてい

るのでしょう」

 とうれしそうに叫んでいましたが、僕はすでにお腹も減っていた

し、寒いし、とりあえずパーカーを深く被って

「そんなことには興味は無いよ」

 という姿勢を貫きました。僕は世の中の結構辛い事も我慢で

きるタイプですが、お腹が減った時だけは例外で、車の中から

漏れてくる温かい空気ですら不機嫌の対象になります。
 
 その後にどういう姿勢で座ったら一番楽に過ごせるかというコ

ンテストを4人でやって、その後に星が綺麗だというのと月が小さ

いという話をして、一気に山の峠まで上ると耳が痛くなり、それと

同時に寒さで頭痛もして、山を西サイドまで降りてきました。
 
 下り切った所で、みんなの泊まっているホテルは島の北側、我

が家は南側なので、いったん車を泊めて、ケニーに

 「俺達みんなはホテルで晩飯を食うからお前はここから歩いて村まで戻ってくれ」

 といいました、といっても歩いて30分ほどです。
 
 そのときのケニーの満足げな笑顔はまさに最初に授業を遅刻

してきたときに見せた

 「世の中には僕のことを攻めるものなんてなにも無いよー」

 というノビノビとした笑顔でした。

 「結局こいつには一日やられた・・・・・」

 と思いました。

 「浦さん寒いから中に入ってください」

 ってみんなが気を使ってくれたけど、なんかもう入るのも嫌にな

ってしまって、

 「ここまで来たから最後まで後ろで良いよ」

 と意地を張りました。

 「ケニーは今日のこの彼の人生のなかでもっとも豪華で楽しか

ったはずの一日を友達みんなにどんな風に自慢するのかな?」

 って思いながら、それでもまだ憎む気になれないケニーの笑顔

を思い出しながら僕も無理して悲しい笑顔を作ってみまし

た・・・・ 
 
 写真はポートレゾリューションでみたお花の道です。
 
 トラックでこの間をくぐりぬけました。なんかディズニーランドみた

いな感じでした。
 
 ケニーとの観光はこれでおしまいです。
 

ケニート観光⑤


そのままトラックは火山に引き返します。火山の入山料は2250円

です、これはバヌアツの物価からいって高すぎです。ちなみに観光客

は払いますが、バヌアツ人は払いません。
 
 現地の言葉で、俺たちはボランティアだし何度も来てるから払わなく

て良いよね?

 って言い張って何とか値切ります。   
 
 ちなみに僕はすでに10回は登っているので、絶対に払いたくありません。
 
 そしてそのゲートのところにあるカバというバヌアツ特有の胡椒科の木

の根を水で溶いた飲み物を飲みます。

 これは大人の男性しか飲めないとされているものですが、ここは観

光用のゲートなので女性も飲めます。

 みんなでためしにタンナ島のカバを飲もうという事になり、車から降り

ましたが、カバは子供は飲むところも見てはいけない、と思っているの

か、車から降りてこようとしませんでした。

 「お前もまだ可愛いところあるじゃん」

 と思ってみていましたが。少し可哀想だったのでクラッカーを渡すとう

れしそうに食べていました。

 きっとお腹が相当すいていたのだと思います。
 
 ゲートから火山までまた相当急な坂を登ってほぼ9合目といったとこ

ろに車が止まります。

 そこでみんなはそれぞれにフリースやウウィンドブレイカーなどを着込

みます。

 ケニーは何も無いけど、僕も自分の分しかないし、勝手にここまで

ついてきたのだから我慢しろと思ってみていると

 ちゃっかり女性たちが持ってきていた大きなバスタオルをかりて体に巻

いていました。  

 最初にトラックの荷台に乗っていたときには、なんとなく僕を頼るよう

な目で見ていたケニーもトラックの中に座らせてもらってからというも

の、もう僕にはようがなくなってみたいで、中にいる女性達に上手く甘

えて、後ろで寒いのを我慢しているトラックにしがみついている僕の事

を軽視している気がしてきて、

 「寒くないか?」

 と声をかけるを辞めて僕はスタスタと火山の頂上へと向かいました。

 僕自身が少しでも早く体を動かして温まりたいという気持ちが働い

ていました。
 
 写真は火山のふもとから見上げた火口です。
 

ケニート観光委④


丘を下ってジャングルを抜けて行きます、ここら辺になるとすで

に火山灰が凄くて、サングラスをはずすと目の周りだけが白くなっ

たりします。

 ケニーも必死に目を細めていました。僕は木工などに使う安

全用の透き通ったダサいサングラスをかけています。これだとレン

ズが透き通っているのでバイクに乗っていたり、トラックの荷台に

しがみついている時でも眉毛で挨拶ができるから便利です。

 ジャングルを抜けると砂漠に一本の川と大きな岩の塊という壮大な風景が広がります。
 
 ずっと昔にここを訪れたフランス人がそのあまりにも美しい景観

に感動して、ここをシウイとなずける!と勝手に自分の名前を

付けて帰っていったという、単純な地名ですが、なんとなくバヌア

ツのローカルの言葉にも溶け込みやすい感じの名前です。
 
 そのサバクにエアーズロックのような真っ赤な石の塊がそびえた

っています。みんなで記念撮影をしているとケニーはうれしそうに

その岩の塊に登っていきました。時間はちょうど4時頃で岩にあ

たる西日が綺麗でした。 
 
 そのまま火山の前をとをって、とり合えずポートレゾリューションに向かいます。
 
 ポートレゾリューションは東と南の境にある岬です、なのでケニ

ーはポートレゾリューションには行かずにここでお別れになります。

ケニーに

 「ここで降りたら家まで戻れるのか?」

  ってきいたらあいまいな笑顔

でもいずれにしても彼の家までは送っていくことはできないのでこ

ちらも少し真剣に

 「ポートまで言ったら日が沈むけどとりあえず行ってみたいのか?」

 って聞いたら笑顔で頷きました。
 
 何処にでも知り合いの居るバヌアツだからもし月が出なくて歩

けなければどこかの村に泊めてもらえばよいだろうと思ってそのま

まにしておきました。
 
 ポートに行くと選挙のまえなので、人が沢山集まっていました。 

 そしてそこにはとても綺麗な花の道がありました。みんなで喜

んで記念撮影をすると、その先には綺麗な白い砂浜

 が待っていました。

 僕もポートレゾリューションには何度もきたけど、この砂浜は初

めてでした。みんなで記念撮影をして、綺麗な砂浜をみて感動
しました。

 気温が大分下がってきたのでケニーは少し寒そうでした。仕方

が無いのでヒロが荷台にのってケニーは女性達と一緒にトラック

の中に入れてもらいました。
 
隊員はみんなビシュラマゴを話せるので、ケニーが入っても問題はなしです。
 
 ポートの白い砂浜とお花の道に感動し、そのまま岬から火山

へと引き返します。

 そこでもう一度トラックの荷台からケニーに

 「ここで下りるのか?」

 と聞こうとおもって覗き込むと、彼は女性隊員にもらったカリント

ウをとても複雑な顔で口に運ぼうとしていました。

 「だまされているのではないか?」

 と犬のように臭いをかいでいましたが、他の女性たちが食べて

いるのを見て自分も口に運んでいました。
 
 「後ろのトラックの人達にも配ろう」
 
 と後部座席の小窓からかりんとうの袋が差し出されましたが、

後ろの4人はオフロードを走るトラックにつかまるだけで精一杯、

 「今は無理!」

 と言い捨てて僕は寒いのでパーカーのフードを必死に被ろうと

したとき、車の中では僕等に拒否され行き場を失ったカリントウの袋

は再びケニーに向けられていました。

 今度は警戒心もなくうれしそうにカリントウをつまむケニーを見

ながら、僕は少しどうでも良くなってきてケニーに降りるのか?と

聞くのをやめてしまいました。
 
 写真はポートレゾリューションの先にあった綺麗な砂浜です。 

 

ケニート観光②


ケニーが今日は何をするのか?ときいてきたので、今から友達

と観光するんだよ、と言いました。

 ケニーは二週間休み何するの?自分の実家に戻ったりしないの?

 って聞いたら、彼の村は南東にあるから僕らの住んでいる西か

らは山を挟んで裏側にあたり、海沿いに戻っても山沿いに戻って

も20キロ近くあるので、帰れないということでした。
 
 今は何処に住んでるの?って聞くと、「上の村」、というシンプル

な答えが戻ってきました。でもせっかくのお休みなのに、家族に会

えないのは可哀想な気がしました。
 
 今から僕らが行くのは島の東側です。山側から行ってちょうど南

東との境に突き出たような形になっているポートレゾリューションと

言う湾と、火山を見に行きます。
 
 乗っけていってあげたいけど、トラックは優勝パレードトラックとい

うピックアップトラックの荷台にベンチを乗っけて、三人が座れるよ

うにしたもの、これだと助手席に一人、後部座席に三人、そして

トラックの荷台に3人と計7名が座れます。片道2時間のオフロ

ードは二台の後ろにしがみついて行くには遠すぎるので、優勝パ

レードをお願いしていました。
 
 しかしやってきたトラックはなぜか荷台に椅子が着いていない普

通のピックアップトラックで、僕らはがっかり、今から片道2時間トラ

ックの荷台にしがみついてオフロードの山を登るのか・・・
 
 仕方なく荷台に座ると見送っているケニーの意味ありげなまな

ざしを感じました。

 後ろに3人乗るはずだったトラックは椅子が無いのでコーナーが

四つ、その一つが空いています。僕の家の前でトラックがUターン

しているのを見送るというより何かを訴えかけているように見てい

るケニーに、

 「ケニー実家に戻るのに何か荷物とか取りに帰らなくてもよいのか?」

 と聞くとニンマリ笑って

 「もちろんそんなもの無いよ」

 「じゃあ南東との境までこのトラックに乗っていけばそこから二時間も歩けば家まで帰れるけど来るか?」

 と言ったらトラックに飛び乗って着ました。
 
前回はいつ実家に戻ったのかは知らないけど、まったく荷

物も無しに何ヶ月も「上の村」に住んでいたのかと思うと驚きです。

 それがこのたびの始まりでした・・・・・
 
 写真は今回な乗れなかった通称「優勝パレードトラック」 
 
 これに乗って島を旅すると島の人みんなが手を振ってくれて
 
 なにも優勝してないけど優勝したような気分になれます。
 
 冬は少し寒いけど、夏は最高です。
 

ケニート観光③


峠を猛スピードで駆け上がるトラックの荷台でケニーはうれしそ

うに座っています。

後の三人が日本語で話しているのを興味深く聞いていました。

 「ケニー、大丈夫か?」

 って声をかけるとうれしそうに笑ってうなずきます。家に戻れる

のはやっぱりみんなうれしいものなのかな?と感じました。島を横

断して東側にある火山をとりあえずは横切り、南東にあるポート

レゾリューションに向かいます。
 
 火山までの道のりは僕は巡回指導でなんども通った道、そし

て何度もなかされた道です、オーバーヒート、パンク、転倒、川

の増水、雨季の悪路、一つの丘を除いて全ての道が舗装され

てないので、雨季の悪路は相当なものでした。

 残りの活動期間はもうこちら側への巡回はしないのでなんとな

く、懐かしい気持ちで山を登ります。

 登りきるとそこにはジャングルが広がります、トラックもドンドンス

ピードを上げます。

 僕はトラックの荷台にしがみつきながら過去に巡回指導した

学校の子供たちに挨拶をします、峠も越えて今度はくだりにな

ります。

 ジャングルの奥にある火山を見下ろすと共に、アニワ島、エロマ

ンガ島とうなどのタフェア州の他の島を眺めながら山を下ります、

ちなみにタフェア州というのは
 
 タ ンナ島
 ア ニワ島
 フ ツナ島
 エ ロマンガ島
 ア ナイチョム島

 の5島の頭文字をとってタフェア週です。日本で有名なのはな

んと言ってもエロマンガですが。それぞれの島にそれぞれの特徴

があり、州といってもそれほどの結束は無いという感じです。州と

言うのは政府が決めた単位で、あくまでもバヌアツの人の生活

の基盤はそれぞれの村の単位であると思います。

 写真は峠から島の東側の海岸を写したものです、この峠からだと

 肉眼ではアニワ島、エロマンガ島、フツナ島が見えます。

ケニーと観光①


バヌアツは二学期が終わり二週間のお休みです、日本で言う夏

休みだけど、こちらは季節が逆なので冬休みという事になるけど、

常夏なのでやっぱり夏休み?まあ一年中夏だからそういう表現の

仕方はできません。
 
 首都から何人かの教員隊員とその友達がタンナ島に遊びにき

てくれました。

 今日はみんなでタンナ島観光です。
 
 トラックをチャーターしたので、僕は家でピックアップを待ちます。
 
 でも退屈なので、庭でなんとなく木を削っていました。

 するとフラッとケニーが現れました。

 ケニーはフランス語学校の5年生、ハニカム笑顔の素敵なおと

なしい男の子です、彼が僕の印象に残っているのは、授業に思

いっきり遅刻してきたのに、その素敵な笑顔と悪びれなさで何事

も無かったように授業に入ってきたことです。

 実際に本人はいつも楽しそうで、世の中に自分を責めるものな

んてなにも無いよー!

 って思ってるみたいです。
 
 そのケニーと二人で木を削ります、削っていたのは畑を耕すクワ

の柄の部分でそこに鉄でできたクワを差し込んで庭を耕します。 

先日にストアーで見つけたので高かったけどこれは必要!と思っ

て買ってきました。
 
 僕はケニーに自慢げに、

 「この棒を上から順番に削っていって、このクワを通すんだよ、

 下の部分を太くして上は細くしておけば鉄の部分が外れて飛ん

でいってしまう事は無いでしょ」

 と説明します。ケニーもうれしそうにうなずきます。
 

 でも太さ十センチほどある角材を5センチくらいの棒にするのは

結構大変で、僕も途中で疲れてきました。

 するとヒロが時間よりも早くウチにやってきました。
 
 俺がヒロに、

「この棒にクワをつけようとおもって削ってるんだけど、棒が大きすぎて全て削るのは結構大変なんだよ」

 というとヒロはあっさり

 「浦さんこういうのはですね、先の部分だけを削ってそこにクワを差し込んで、開いた隙間にクサビを打ち込むものですよ、全て削って上からクワを通したらとっての部分が細くなって下に行くほど太くなって握りにくいでしょ!」

 って言われて僕も納得、さすがヒロだとおもって、早速ケニーに

説明してやろうと思って彼を見ると、なにか意味ありげな笑顔

 「お前もしかして、クサビのこと知ってたの?」

 って聞くと、相変わらずの悪びれない笑顔と共にコクリとうなず

き、声を上げて笑い出しました。

 おそらく日本人は賢いからそんなことは当然知っていると思って

いたのかもしれませんが、それにしても先に提案くらいしてくれても

良いよね。
 
 写真はケニーです、なぜかこの日はブルースリーの顔の入った
 Tシャツを着ていました。
 
 

ロウノンとその兄弟


前回のブログの続きです。一番後ろでグレーのシャツを着ているの

がカスタムビレッジから来ているロウノンです。

そしてその兄弟、ロウノンは10歳くらいだとおもうので、それぞれ二年

くらいの間隔だと思います。

男9人、女の子一人だと言っていました。

でも学校に行っていても数の概念があまり無いので、兄弟の数は詳

しくは知らないみたいです。

 とりあえずこの写真の5人は本当の兄弟だと言っていました。 

学校のあるときは町に住んで、お休みになると2時間くらいかけて歩

いて村に戻るみたいです。
 
 そして町に住んでいる時にはロウノンが弟達の面倒を見ている

ようでした。

 ちなみにロウノンは5年生ですが、6年生にカティパというロウノンの

お兄ちゃんがいます。

 でも彼は村から町の学校に行くのが遅かった為に、体は大きいけ

どロウノンよりも現地ごのビシュラマ語がまだ理解できていないみたい

で、少しシャイです。

 学年と学力、年齢はまったくと言ってよいほど定まっていません。

13歳で小学校2年生の子供も居れば6歳で2年生の子供も居ます。

同じクラスで体育をするのは結構大変です。 
 
 ちなみに、ウチのとなりの高校の校長のドネルさんの家にはメルメ

ル、ネイサン、アーテル、という3人兄弟がいて、昨年はそれぞれ1年

生、2年生、3年生に一人ずつ居たのですが、

今年は全員3年生にまとまられていました。兄弟三人が同じクラス

です。そのほうが親としては何かと便利なのかもしれませんが、学校

の教室でも家の延長みたいな感じが気がします。まさにアットホーム。
 
日本には無い感覚だな、と思います。

待ち遠しい朝


朝僕が巡回先の学校に向かう時、それぞれの学校にそれぞれの子供達が登校して行きます。
 ウチのすぐ隣の子供たちはフランス語学校なので黄色いシャツ、コーナースクールは英語学校なのでブルーのシャツ、僕の家のすぐ裏にあるキンディーはグリーンのシャツと決められています。でもキンディーはみんなユニフォームは着てきません。

 すれ違うとみんな挨拶してくれます。
日本の朝は寒かったりみんなテンションが上がらなかったりでなんとなく憂鬱でしたが、バヌアツは朝からおかしなことが沢山起こります。
 
 ・自分の兄弟と手をつないでキンディーに送り届けてから学校に行く子
 
 ・沿道の花を摘みながら毎日花束を学校に持って行く子

 ・親のトラックの荷台に乗って登校してくる子

 ・学校が8時に始まるのに、その時間になぜか学校と逆の方向に笑顔で全力疾走している子

 ・8時過ぎているのに公園のブランコをこいでいて、悪びれもせずに満
 面の笑みで「ウラ おはよう!」っていってくる子
 
 ・後ろから追いかけてきて僕の荷物を持ってくれる子

 ・フランス語学校なのに、英語学校に登校して友達と遊んでいる子
 
 ・そしてそんな子供に混じって悪びれもせずに遅刻してくる先生達

 みんな8時になると取り合えずその時に居るメンバーで賛美歌とかジーザスの歌を歌いだします。
その間にもドンドンと生徒が登校してきて人数が増えていくと言う感じです。
 
 時計は無いので太陽が早く昇季節になるとみんな早く学校に来ます。大体8時になるとその日の担当の先生が笛を吹いて外で遊んでいる子供達に中に入るように合図します。
 
 僕が8時前に学校にいってその日の授業の準備をしていると、毎週時間割は決まっているのに、
 「今日は何年生からはじめるつもりなの?」
 って集まってきます。
 ちなみに今は春なのでみんなの学校に来る時間も日に日に早くなります。

 みんなが朝が来るのが待ちどうしい国って世界に何カ国残ってるのかな?

 

女の子が偉そうな理由とは?


先日友達が旅行に来たので、タンナ島にあるカスタムビレッジに行

ってきました。

するとなんとなく様子がおかしいというか、子供たちが僕と目を会わ

せないように隠れているような空気が流れています。
 
なんでかな?って思ってよく見ると、そのうちの一人が

 「ミスターウラ!」

って話しかけてきたので驚きました。

 僕が巡回している学校の子供達が混じっていたのです。

カスタムを守っている村でも何人かの子供は学校に行ってるみたい

で、学校に行っているときは洋服を着ているのですが、村に戻るとナ

ンバスと呼ばれる腰ミノに着替えて生活しているので気がつきませ

んでした。

 これも時代の流れだなー、と感じました。
 
 一度教え子のロウノンという男の子と学校帰りに村に行った事が

あったんですけど、そのときも村の入り口に来たときにロウノンが

 「ウラ少し待っていて」

 というので待っていると、ロウノンが村の入り口にある自分の家に

入って行って、出てきた時には腰ミノに着替えていました。

 出てきたロウノンも僕に腰ミノの姿を見られるのは少し恥ずかしそ

うでしたが、僕にチーフを紹介する時には尊敬をあらわす為に、洋

服は着てはいけないみたいでした。

 5年生のロウノンは緊張しながら僕をチーフに紹介してくれまし

た、もちろんチーフはバヌアツの公用語であるビシュラマ語は話せな

いので、ロウノンが通訳をしてくれます。

 まだ子供なのにすっごくしっかりしていましたが、しばらくすると椅子

に座って両手を腿の下に入れて足をバタバタと振って遊んでいた

ので、マダマダ子供なんだなと思いました。

 ロウノンは普通なら3年生くらいの体の大きさなのに5年生に居ま

す、なかなか頭が良いみたいです。 

 僕はロウノンが好きです、次回は彼の兄弟を紹介します。


 
 授業中に一列に並んでコーンの上をジャンプしたりする時がある

んですけど、ローカルなエリアの学校に行くと、なぜか女の子がみん

な順番を待っているときにみんな偉そうに腕を組んで居たりします。

そして先生達が必死に

 「腕を組むな!」

 と怒っていた事がありました。

 あの時は

 「小学生の女の子なのにみんな偉そうだなー」

 って不思議に思っていたけど、カスタムの強い村では女の子は腕

を組んで胸を隠す習慣があるみたいで、列に並んだりして、少し不

安になったりすると自然と普段の癖が出るみたいです。
 
 カスタムビレッジで教え子に会った時にようやくその理由がわかり

ました。

 別に偉そうだったわけではないみたいです。

 もし僕が腰ミノつけて学校に行って授業したらみんな喜んでくれる

かな?
 
でも組み体操とか逆立ちはこれでは難しいな?って思います。
 
 写真はカスタムビレッジです、左のほうで腕を組んでいるのが

 良くあるスタイルです。
 

自分のスタイル


テーブルでもつくろうかな?って思って木材を買ってきてベ

ランダで音楽を聴きながらヤスリをかけていると、クレガー(6

歳)がっやってきます、

一分くらい不思議そうに僕の作業を見てから

「ウラ、何か助ける事できる?」

「ウーンそうだねじゃあ俺の反対側に座ってヤスリをかけてくれるかな?」

 二人でヤスリをかけていると、エタ、ウェンディー、バネッ

サ、ジャミラ、ロドニーがやってきて一分くらい僕らを観察しま

す、それをみてクレガーが言います

「ウラ、俺がウラを助けてるってみんなに言ってよ」

「クレガーが俺を助けてくれてるんだよ」

クレガーのお姉さんのバネッサ(8歳)が

「クレガーちょっと代わりなさい」

「嫌だよ、俺がウラを助けてるんだから」

「ウラ、私と代われって言ってよ」

「じゃあバネッサ俺と代わってあげるよ」

 っていって僕がバネッサにペーパーヤスリを渡して自分は

違う木を持ってきてしい木にヤスリをかけ始めるとエタとジャミラが

「ウラ、ミー!」

っていって代わってくれます、僕は新しいヤスリをカットして二

人に渡します

そしてさりげなく音楽を最近首都でダウンロードした映画パ

イレーツオブカリビアンの音楽に変えるとロドニーが

 「アッ!これなんか知ってる、ウラこれなんだっけ?」

 「パイレーツ オブ カリビアンだよ」

 「エッ、何?」

 「ジャック・スパロウの映画だよ」

 「エッ?あーわかった、チャック・スパロウね!」

 バヌアツはGの発音が無いのでジャック・スパローはチャッ

ク・スパローになります。

 ちなみにロバートはロペット、エスタはエタ、アルバートはア

ルペット、ジョーはチョーになりジョージはチョーチと少しだけ

可愛くなります。ジャック・スパロー約のジョニー・デップも「チョ

ニー・デップ」になってしまいます。

 周りの子供も気が付いて

 「そうだチャック・スパロウがデビルと戦う映画だ!ウラそうだよね!」

(悪役はみんなデビルになります・・・・)

 とみんなでストーリーを話し合って盛り上がります。
 
 そのうちにエタが
 
「ウラ、私のヤスリかけたところを触ってみてよ!」

 と尋ねてきます

 「完璧にできてるから次はこっちに決めの細かいので仕上

げれば終わりだよ」

 するとバネッサも

 「私のももういいよね?」

 「ウン、良いよ、新しいヤスリを今渡すね」
  
 次はクレガーが

 「ウラ、俺も新しいの!」

 でも三人目もすぐに許すと今後の仕事の質が低下する

ので、少し慎重にチェックするふりをして
 
「クレガーのはここら辺がまだだな、もう少しだけ今のヤスリで削らないとダメだね・・・」

 と言う感じにします。

 素直なクレガーはみんなに冷やかされながらも一生懸命

にヤスリをかけてくれます。
 
 そのうちにエタとバネッサはきめの細かいヤスリも終わって

次の木に移りたいと言ってきます。

 キメの荒いヤスリをもう一度うので、細かいのが必要なく

なります、でも賢いこの二人は細かいヤスリを周りに取られ

ないようにきっちりと隠しています。
 
 だから僕はここでやり方を少し変えます。
 
 「エタとバネッサはこの椅子に座って常に細かいヤスリで仕

上げるようにして、ロドニー、クレガーは荒いヤスリでドンドン

削って、終わったらエタとバネッサに渡すようにすればみんな

ひとつのヤスリだけですむでしょ、ジャミラはほうきを貸してあ

げるからそれで木のくずを掃きだすかかりね!」
 
 
みんな納得するとほっておいても作業はドンドン進みます。

 交代要員も増えてきて疲れると次に代わる事ができます

が、みんな意地になって

交代しません。仕方ないので部屋からマッチを持ってきて焚

き火をはじめます。

 「ウラが焚き火をはじめてるから落ち葉と薪を拾おう」

 と集まってきた子供たちがドンドン薪を拾ってきてくれます。

 時間は5時過ぎでそろそろ暗くなってきたし、気温も下がってきたので焚き火の炎はみんなの気持ちを明るくします。

 マーケットで買ってきたピーナッツを配ると、喜んで食べる

子供と、自分は今は働いてるからいらない、と職人のような

気持ちになっている子供もいます。
 
 6時近くになって水道の水が閉じられる時間になると、み

んなのお兄さんやお姉さんが

 「水浴びしろってお母さんが言ってるぞ!」

 と迎えにきます。

 みんなは水浴びが寒くて嫌なので、粘りますが、最近夕

方になってみんなが電気を使い出すと電力会社がパンクし

てバチン!と停電になって真っ暗になります。

 「じゃあ今日は終了ね!みんなありがとう使った道具はこの箱に入れてね!」

 となってみんな解散していきます。
 
 残された僕は、

 「今日もなかなか上手く行ったなー」

 と一人ニンマリします。
  
 
 そういうときになんとなく頭に浮かぶのは僕の仕事の体育の普及のことです。

僕の仕事である体育の普及は現在僕が一人でヤスリをか

けているのをクレガーが見ていた最初の一分の段階です。

 体育って意味あるの?ウラは何を一生懸命やってるのか

な?って観察されている状態、もう少し頑張ってれば、

 「ウラ、何か助ける事できる?」

って誰かが言ってくれそうなところまでやっときた感じです。

 それじゃあ仕事としてはダメかもしれないけど、みんなの自

主性を促す事と僕が帰国した後も継続的に続けてもらうに

はみんなに自主性を持ってもらうことが大切、

厳しく言って強引に僕のいる間だけやってもらって、僕も先

生達もみんな嫌な思いして、そして僕の帰国後はみんなに

忘れられてしまうよりも、とりあえず一人で一生懸命働くの

が自分のスタイルだと思っています。

 あとはみんながまだ声をかけてくれないのは、僕に魅力が

無いからだと思います。

 外国では自分のやっている仕事は積極的にアピールしな

いといけない、という考え方もあるし、それも試してみたこと

があるけど、やっぱりそれは自分のスタイルとは違うと思いや

めました、変えても良いじぶんとのスタイルと、変えてはいけ

ない自分のスタイルがあると思います。

 自分じゃないものになろうとすると、自分を失って自信が

無くなると感じました。

自分のスタイルで失敗した時は何かが自分に身につくと思

いますが、他人の真似をして失敗した時に残るのは、自分

を裏切ったという後悔だとおもいます。
 
 写真は夕方にみんなでヤスリをかけているところです、真

ん中に座っているグリーンのシャツがクレガー、細く光ってい

るのは木のくずです。 

 

日本、アメリカ、オーストラリアのボランティア達


僕の任地タンナ島には現在日本のボランティアが4名、アメリカのピ

ースコーが10名、オーストラリアから4名ほどのボラ

ンティアがきています。
 
 たまに立ち話しますが、英語でもなくて日本語でもなくて、外国の

人とバヌアツの公用語であるビシュラマ語で話すのは何かおかしな感

じです。

 日本のボランティアとその他の国のボランティアのスタイルの違いは、

日本人は

 「現地の人に溶け込んで、現地の人の為の活動」

という気持ちが強いと思います。

 逆にアメリカやオーストラリアの人は

「自分のキャリアアップの為、自分の経験の為」

 と言う気持ちが強いと思います。おそらく学校教育のスタイルの違い

だと思います。

 西洋文化の学校は

「自分のスキルをあげる、自分に良い経験を積ませる」 

 という感じなのかな?とおもいます。
 
 逆に日本は

「世の為、人の為に立派な人間になる為に学ぶ」

 という哲学が根底にはあるのではないかな?と思います。

お互いに良いところと悪いところがあって、時に日本人は

 「こんなに私が一生懸命みんなの為に働いているのに、何故それを
わかってくれないんだ」
 
と失望する事もあると思います。

 そういうところは西洋文化は妙にさわやかです

「自分の為にやってるんだから、伝わらなくても気にしないよ、だから特
に失望もしないし、自分のスタイルで頑張るつもりだよ、、ダメならアプローチの仕方を変えてやってみるけど、それでもダメなら居ても意味が無いから帰国するか、僕を必要としているところに移るだけだよ」
 
 と言う感じです。
 
バヌアツ人にしてもときに日本人はバヌアツ人の気持ちを理解してく

れて、親身になってくれる、と言う感覚もあるみたいですが。それが逆

に、日本人はヒストイック過ぎるし自分で勝手に物事を難しくしておい

て、イライラしている、そんなにイライラするのならやらなきゃ良いのに

 って思ってることもあるかもしれないです。
 
でもこちらとしては税金使ってこさせてもらってるのだから、何か結果を

出さないと納税者の皆様に申し訳ない、という気持ちが少なからずあります。
 
 でも西洋文化はそういうのは無いみたいです。納税者が怒るのな

ら、その納税者もボランティアになってくれば良い。

 と言うこれもまたさわやかな感じです。
 
 そして自分のキャリアアップだから、失望する事も無くドンドンと仕事

をこなしていくし、また特に仕事の形を残さずに思いっきり楽しんで帰

国するのもそれは自分のスタイルだからと申し訳ない気持ちになること

も無いようです。
 
 そういうところから出てくる西洋文化の割り切りっては日本人には無

いものだと思います。
 
 西洋のやり方は受け入れ側のバヌアツ人にしてみたら、素晴らしい

リーダーシップと合理的なやり方で何事もスローにしか進まないバヌア

ツ人のやり方を変えてくれたと評価されることもあるし、

まったくこっちの意見を聞居てくれずに強引な仕事のやり方をして、無

責任に去っていった西洋人という見方になることもあるとおもいます。

 まあそこはおそらくやり方がどうこうではなくてそのボランティアの人柄が大きく影響するのかとも思います。

 僕はどうなの?って振り返ると、取り合えず自分の限界までは自分

のこだわりをもって突き進んだ気がしますが、それが難しいと判断する

とバッサリと切り捨てて方向転換を図りました。

 その点では納税者の皆様にはごめんなさい、僕の能力ではここまで

でした・・・・ という感じです。

 体育が必要だと考えてくれているのは、ジャイカに要請をだした大臣

や外国に留学したことのある偉い人達で、実際に僕の任地で僕と一

緒に働く先生達は、小学校時代に体育を習った事も無く、日本から

来た僕が、片言の現地語で体育の必要性を伝えても、まだ伝わらな

かったみたいです。僕の仕事はそういう意識付けからはじめるべきだっ

たのに、僕は現地の先生達は少なからず体育を教えたいと思ってい

るとと勘違いしていたのが未熟なところだったのだと思います。
 
 悩んだ結果にそのギャップに自分で気が付いて現地の先生達への

アプローチを諦めて、一人の体育教師として島全体に巡回して体育

の授業を紹介するという方向転換でした。結果的にはみんなには笑

顔しか残さないという

「大道芸人的ボランティア活動」

であったと自分では思っていますがここまでみんなに笑顔になってもら

えたのならそれはそれで良しとしようかな?と勝手に思ってます。

 そしてそういう僕のやり方をみて少しずつ先生たちの体育に関する

意識も高くなってきたと思います。

 追いかけると逃げていくけど、ほっておくと興味を示してくれる、先生

達との関係はそういものでした。

方向転換するまでに相当悩んだから、その後は迷わずに自分の決め

た道を進んできたと思います。
 
 ボランティア側ではないけれでも、日本人、アメリカ人、オーストラリア

人と比べてバヌアツ人はどうなの?って考えると、もともとは島文化だ

し、村文化です、そういう面では日本的、でも農耕民族ではないの

で、協力して仕事する事はあまり無く、お互いの生活に迷惑がかから

ないように気を使えば特に協力する必要は無く生活できています。
 
 でもおそらく日本人よりの考え方が強い気がします。そして現在急

速に西洋文化に変化してきています。

 日本は長かった江戸時代に相当なレベルまで積み上げられた日本

独自の教育と文化そして国力があったから自分達の文化を残しつ

つ、西洋文化も取り入れるというゆっくりな進み方でしたが、バヌアツ

は日本よりも早く西洋化が進みそうです。

 それぞれの国、人、教育、気候などによって人間はイロイロな存在

になるものだと思います。不思議です。旅行では味わえないものをこ

の二年間で味わえたと思っています。
 
 写真は警官の子供のエドウィリー、なかなかの演技派でいつも笑わせてくれます。当たり前だけど、昨年は3歳だったのがすでに4歳になりました。子供の成長は早いなって改めて思わされます。
 
 

ウラ戻ってきたよ


写真の男の子たちは悪名高きイサンゲルのイングリッシュスクールの7,8年生です。

 昨年僕は赴任当初の2月から7月まで彼らを教えていま

した。この学校の名称は角にあるのでコーナースクールです、そ

うよばれるもう一つの理由はイサンゲルにはフランス語の小学

校がもう一校あり、そちらはフランスから援助がくるので少し格

上と言う感じでイサンゲルスクールというとなんとなくみんなそち

らを連想してしまうからです。
 
 昨年はコーナースクールの7,8年生に悩まされました。シャ

イだし、怒るとフテクサレルし、ほっておくとイジケルしなかなか

難しい年頃なのです。
 
 そして昨年7月の僕の最後の巡回授業のときにもナピルとブ

ルースという二人の男の子が授業に参加していなくて、僕は

今日が最後だからみんなに挨拶だけしたいからこっちにおいで

と言ったんだけど、最後まで木の陰に隠れて出てきませんでし

た。仕方ないので、その二人を抜きにして

「今日で僕の授業は最後になるけど、5ヶ月間ありがとう」

と言ってさよならしました。
 
 もともとコーナースクールの先生は校長とクーパー先生を除い

てはまったく体育に関心が無く、特に7,8年生の先生は黒板

に授業の内容を書いたらいつも居なくなってしまう先生達で

(誤解の無いように説明するとバヌアツ英語学校の現状はそ

れがスタンダードです)体育の授業にも顔を出さなかったのでそ

の場には担任の先生は居なくて、女子生徒達は僕が怒って

授業を辞めたのだと思ったらしく、慌てて学校に戻って先生達

に話したようでした。

 そして5年生の担任だったクーパーが慌てて僕の家にやってきました。
 
 僕は7月になって首都からバイクが届いたのでこれからタンナ

島全土に巡回するから今月で巡回先を変えるんだよ。

と話しましたが、話がややこしくなりそうだったので、午後にもう

一度学校に行って7,8年生に事情を話しました。
 
「朝一番の一年生の授業から全てのクラスで今日は最後になるよとお別れの挨拶をしてきたから、ナピルとブルースが授業に参加しなかったから来なくなるわけではないんだよ。」
 
と説明しましたが、生徒たちは相変わらずうつむいたままでした。
 
 そして悪い事にイサンゲルのフランス語学校は生徒が250

人もいて隔週で授業をしていたし、先生達も体育に関してす

ごく積極的でしかもフランス語だから通訳も必要だと言う事で

一緒にグラントでてきてくれるし、僕も1週間の巡回先5校全

てにバイクで行くのは疲れると思ったので、そのままフランス語

学校には昨年いっぱいは巡回を続けました。やはり僕としても

体育の指導に熱心な先生達と働けるのはうれしかったですし、

ここまで良くしてもらって裏切れないと言う気持ちもありました。
 
 ちなみにコーナースクールは生徒数160名ほどで、ちょうど4

コマで全ての授業が午前中の4時間で終ります。
 
 「浦はフランス語のほうにはまだ授業をしに行っているみたいだ」
 
 と同じ町なのですぐに噂が広がり、低学年の子供たちには

「何で私達だけ来てくれなくなったの?」

と聞かれることもありました。フランス語は隔週だからと言っても

なんとなく7,8年生の一件もありみんな納得してくれていませ
んでした。
 
 その後わたってきたことなのですが、バヌアツの小学校は全て

の学校に7,8年生があるわけではなくてセントラルスクールと

定められた規模の大きな学校にだけ7,8年生があり、1年生

から6年生までの学費が一学期につき500円なのに対して

7,8年生は5000円と10倍になります。
 
だいたい5校につき一校くらいの割合でセントラルスクールがあります。

 コーナースクールの場合だと一年から6年まで一学年20名

だとすると7,8年生はそれぞれ30名ほどになり2クラスあわ

せて授業をすると60名くらいになります。

 人数も多く、そして当然のように昔からコーナースクールに居

る内部の生徒達と7年生から参加してくる田舎の子供達とで

は着てる服や学力、そして時には言葉も違います。

 当然のように問題が多くなります。
 
 昨年新学期の始まった2月には僕はまったくそういう事情が

わかっていなくて、6年生までみんな良い子なのに、何故7年

生から人数も多くなるし、クラスの雰囲気もこんなに変わってし

まうのかと不思議でした。
 
 あれから1年がたち僕の活動も残りわずかとなり、そして勝

手に好きなところに巡回していたタンナ島にも続々と新隊員

達が赴任してきて現在4名、僕を含め3名が教員で一人が

漁業組合です。

 みんな着々と地元の町になじんでいき、そういう姿を見てい

ると、ここまできたら最後は地元に還元して帰国しないとな!
 
という気持ちが沸いてきました。

 11月は期末テストなので、体育の授業巡回指導は10月

でおしまい、なので8月、9月、10月は火曜日にコーナースク

ール、木曜日、金曜日はフランス語学校を半分ずつに分けて

行い、新しく行く学校は雨季の時期に巡回指導のレターを持

っていったのにもかかわらず、あまりの道の悪さに断念てしまっ

たイキティ小学校、断念した時に

「子供達にウラが雨でもバイクで丘を登ってこれるように整備させるから来て欲しい」

 とまで言ってくれたのでどうしても行こうと思い、月曜日に行く

ことにしました。

 水曜日はお休みしてます。5日連続だと声を出しすぎて耳がおかしくなるので・・・・・
 
 そして8月の初めにコーナースクールに一年ぶりに戻る事に

なったとき、最後だなーという気持ちと武者震いがしました。

 「終わりよければ全てよし!」

と言う事でこの一年でそれなりに上手になった授業の展開と

現地語で最後にみんなに喜んでもらって帰国したいと思いま

した。

 昨年は1,2年生から始めていた授業も、この8月からは7,

8を最初にしてもらって朝一番で気持ちもフレッシュでしかも気

温がまだ上がっていない時にはじめる事にしました。
 
 写真の男の子達と同じくらいの数の女の子がグランドに出て

きて、一年ぶりにみんなで手をつないでサークルを作ったとき

に、

 「ダメでも何でももうこの3ヶ月が最後だからべストを尽くそう!」

という気持ちになりました。

 目標は生徒みんなの名前を覚える事です。昨年は
 
「ユー!」

 としか呼べなかったからなんとなく距離を感じていたけど、今年は常にポケットにサインペンを入れておいて
 
 ミッシェル (黒シャツ)
 サルル  (フツナ島の子)
 カティパ  (ロウノンの兄)
 ジェームス (アフリカ顔)
 モシス    (ハナタレ)
 アントニー  (オヤジ顔)
 
 などと左腕に書いていきます。

 授業の内容もキックベースに絞ってやっているので、僕は常

にキャッチャーでホームベースの横に立っているので、みんなの

顔がよく見渡せるし、顔と名前もチェックしやすいです。

 そしてやっぱり今年も7年生からコーナースクールに入ってき

た生徒達はみんなと距離があります、住んでる村も谷を二つ

以上越えてきてます。昨年6年生だった子は顔を覚えている

から、今年から入ってきた子供を優先的に覚えました。
 
 結果的には上手く行っています。キックベースの打順も男子

が奇数、女子は偶数で最初に手のひらに書き込んでいるので

混乱もありません。
 
 みんな楽しく授業をしてくれています。1年生から6年生まで

も昨年に引き続き絶好調に楽しんでくれてます。
 
 そして授業の最後に
 
「写真撮るよ!」
 
 っていって撮ったのがこの写真です。みんな何も知らずに笑っ

てるけど、これは現在僕のパソコンの待ち受け画面です。

これだと簡単に名前が覚えられます。
 
 今週で二学期が終わり二週間のお休みに入ります。
 
 その後は三学期、僕の活動も本当に最後になります。授

業中はいつも僕がリーダーシップを取ってるけど、心の中ではい

つも感謝するとともに、みんなが楽しんでくれるようにお願いす

るような気持ちで取り組んでいます。

 結局2年間の目標だった先生達への体育技術移転は

まったくできなかったけど、いつも生徒に励まされて頑張って来

れたきがします。
 
 今の授業が上手くいってるだけでも本当に嬉しいです。残り
 
 わずか、毎日大切に活動しようと思います。
 

すてきなひげの女性


7月24日はバヌアツのこどもの日です、それぞれの学校でスポーツ大会などが行われます。
 
僕は以前に巡回していたポートレゾリューション小学校で行われる3校の学校合同の体育大会に招待してもらいました。
 
そこであったのが写真の女性です。首都にある
 「SAVE THE CHILDREN FUND」
というところから大会の予算を持って来てくれたのです。
とってもVIPなお客様です。
 
 僕が招待されて理由は簡単で、ストップウォッチと100メートルのメジャーを貸して欲しいからです。 
 
 開会式にきちんとした椅子に座らされて、校長や地元のチーフなどの長いスピーチが午前中に永遠と続きます。
 
 二人ともお客さん扱いなので、なんとなく一緒に話していたんですが、その時から気になってきたのがこの人のあごひげでした。
 
 バヌアツには自分の村のチーフや身内が死んだ時などにはその後1年間はヒゲを剃らないとか、一ヶ月は村から出てはいけないというカスタムがあり、そういったものなのかな?
 
 と考えていましたが、話せば話すほど気さくな感じだし、首都に報告する為か本人もデジタルカメラを持っていて、写真をパシャパシャと撮っていました。 

 午後になって大会の雰囲気も和んだものになり、二人してリレーのゴール地点でカメラを持って立っていたので、これはチャンスと思い。 

 「そのヒゲはやっぱり村のカスタムなのですか?」
 
 と恐る恐る尋ねたところ
 
 「単に私が面倒だから剃ってないだけなのよ」
 
 って大笑いしてくれました。そこでここぞとばかりに
 
 「そのヒゲが気に入ったので一枚とっても良いですか?」
 
 って尋ねたら、恥ずかしがりながらもうれしそうに撮らせてくれました。
 
 顎の下にあるのは影ではなくてヒゲです、僕なんかよりずっと
  
濃くて立派でした。バヌアツの女性は結構生えてる人います。
 
 特にヒゲを恥ずかしいとは思っていないようで普通です。
 

 先日首都に行った時に免税店で少し胸の谷間が素敵なド

レスを着ている20才くらいの若くて綺麗な定員さんが居たの

で、 「さすが首都はオシャレだな!」
 
 っておもって思わず目が言ってしまったのですが、その時に
 
驚いたのが、谷間に立派な胸毛が生えていたことです。
 
ちょっと裏切られたような、それでいてなんか少しうれしいよう

な、背中がくすぐったいような、少し複雑な気持ちになりまし

た。きっと見てはいけないところを見てしまったで罰が当たった
 
のだと感じました。
 
 アレはアレでアピールなのかな?っとその後にみんなと相談し
 
ましたが日本人の中では答えはでませんでした。
 
 自称「相当にバヌアツになじんだ」つもりの僕でも、や

っぱりバヌアツってマダマダ奥が深いな・・・・・
 
と改めて身構えてしまいました。
 
でもヒゲはなんとなく素敵だと思います。この方の笑顔も素敵でした。

胸毛は誤解されるといけないので写真での報告はできませんが、立派なヒゲの女性が居たらまた報告しますね。 

 

恋の悩みは世界共通


バヌアツの人は凄く自分たちのカスタムに誇りを持っていて、よくそういう話になります、特に結婚の話は好きみたいです。
 僕の任地のタンナ島では彼女は居ないの?
と聞きたい時は
「お前の洗濯物は誰が洗ってるのか?」
 と聞いてきます。
 
 基本的には男の人は洗濯をしない習慣なので、そうやって遠まわしに聞いてきます。
「僕は自分で洗ってるんだよ」
 というと、
「そうなんだ・・・」
 となんか少し可哀想な人を見るような目で見られます。
 
 結婚してるかどうか聞きたい時は
「子供は何人居るのか?」
 って聞いてきます。
「まだ結婚してないから子供は居ないよ」
 ってこたえると、なるほど結婚してないんだなと理解してくれます。 
 年齢はあまり聞かれません、あまり数の概念がないから気にしてないみたいです、年齢よりも見た目の感じで判断しています。
まあその方が自然で年齢で人を判断するほうがおかしいのかな?とも最近感じてきました。
 日本みたいに年長者を敬うような習慣はそれほど無い気がします。

 こないだまた親父達に取り囲まれて日本はどうやって結婚が決まるのか?
 ときかれました。
「昔は親が決めていたけど、今は二人が恋人になってその後に親に二人で挨拶に行って、親が気に入れば結婚するんだよ、でもほとんどの親は反対しないから問題は無いよ。」

 と答えました。すると

「それはウエスタンカスタムだ!若者が勝手に結婚相手を決めるのは良くない」
 
 と一人の親父が言い出しました。
 ちなみにバヌアツではチーフや父親が結婚相手を決めます。
そういったカスタムが少しずつ薄れている事に親父達は不満を感じているみたいでした。
 親父の説明によるとたとえば自分が隣の村の娘を好きになったとすると、とりあえず自分たちのチーフに相談する、そしてナカマルという大きな木の下に設けられた会議場でそのことについて相手方のチーフとこちらのチーフそして村人たちみんなで会議が開かれる、その場合は三通りの決め方があって、

 一つは自分に女兄弟が居た場合は、その一人を相手側の村の適齢期の男と結婚させるということで話がまとまる、
 そういった「スワップ」が上手くまとまらなかった場合は、豚を3匹くらいとバヌアツの伝統的な飲み物である、カバの根っこを3株くらい持っていけばそれでよい、
 一番最後の手段は現金で、それだと8万円になる。
という事でした、8万円という中途半端な額はなんでかな?
 っておもったけど、そこはそのままにしておきました。

「それが俺達のやり方だ、ウエスタンカスタムみたいに若者が勝手に結婚するのはけしからん!」

 そこで僕にも素朴な疑問が沸いて来て

「じゃあみんなその方法で結婚したのなら、今はみんな幸せなんだよね?みんな奥さんと上手くいってるんだよね?」
 
 って聞いたら、何故かその質問には全員が痛いところを突かれた感じで視線を落としてしばらく沈黙が続きました、そのうち一人が

「まあ俺達のカスタムもそんなにきつくないよ、少しずつ変わってきてるからさ、今はお互いが好きなら結婚できなくも無いよ・・・・」

 結局はウエスタンカスタムでもバヌアツのカスタムでも結果はあまり変わらないよね!ってことで女性の尻にしかれている男同士の妙な一体感がその場に生まれました。
 
 高校生の女の子達と話していた時にも同じような会話になりました。僕が
「バヌアツの男性ではどういう人が素敵とされてるの?」
 って聞いたら、恥ずかしがりながらも
「・ルックアウテム(面倒見がよいこと)
 ・シェアレム(分け合う気持ち)
 ・ファッシン(全般的なその人のやり方)
 の三つだと言われました」
 
 僕は三つ目のファッシンをファッションと聞き間違えて
「洋服のセンスってこと」
 といったら真面目な女子高生達は
「ファッシンとは服のセンスではなくてその人の生活や生き方のスタイルの事だ!」
 と眉間にしわを寄せて凄い勢いで正されました。
バヌアツの女子高生は純粋なのだけれど時にオバサン的な要素が強く、怖いです。
 
 「結婚はどうやって決まるの」
 って聞いたら
「昔はチーフや親が決めていたけど、最近では好きなら結婚できるようになってきたよ」

 と一人が言うと、おそらくカスタムの強い村から来たと思われる少し面目そうな子が

「私は絶対に親が決めた人と結婚する、勝手に結婚するのは良くないと思う」
 と真面目な口調で主張してきました。

 周りの女の子達はどちらというわけでもなく、まあどっちの言う事も間違ってないよと少し困った感じでしたが僕がその子に
 
 「もし親とチーフがお前はウラと結婚しなければならない!
って言ったら僕と結婚してくれる?」
 
 って言ったら、急に真っ赤な顔になって(メラネシアンだから赤くなたわけではないけど)小さな声で、でもはっきりと
「イエス・・・・」
 って答えてくれました。周りの子達は大喜びで、みんなでバヌアツ特有の奇声を上げるような笑い方ではしゃいでいましたが、なんとなく話が丸くまとまってよかったなと感じました。
 
 結局は恋愛に関しては何処の国でも本音と建前があって文明がどれだけ発展ても恋愛に関してはいつまでも発展てないのかな?ってすこしうれしくなりました。
 
 写真は7月30日のバヌアツの独立記念日の為のお祭りの時の写真です。真ん中の黒いシャツの子が「イエス」と答えてくれた女の子です。名前は知らないんだけど、真面目で良い子です。きっと彼女なら誰と結婚しても幸せな家庭を築いてくれると思います。

 

スポーツ哲学


バヌアツに来る前に三ヶ月ほど日本で研修があったんだ

けど、その時に体育教員とその他の専門スポーツ(たとえ

ばバレーボール、水泳、テニス、陸上、武道)の人たちで

集まって情報交換をやりましょう、見たいな企画がありまし

た、合計20名くらいで集まってテーマを決めて話合うこと

になったんだけど、そのテーマは

・個人スポーツと集団スポーツの違いは?

・スポーツは勝つことが全てなのか?

・対戦相手がいるスポーツと陸上などのスポーツの違いは?

・アマチュアとプロの違いは?

・努力と才能はどっちが大切か?

などでした、最初にテニスなどの個人スポーツをしていた隊員から、

「集団スポーツは自分がベストを尽くしてもチームメイトに

足を引っ張られて負ける事もあるし、たとえば高校野球の

タバコでの辞退のような例もあるし、純粋に自分の技術だ

けを磨けば勝てるというものではないところが難しいと感じ

る」
 
 という意見でしたそれに対して集団スポーツをしていた人

からは

「確かにそういうことはあるけども、集団スポーツでは1プラ

ス1が単純に2ではなく、3になったりそれ以上になることも

ある、そういった高まりを感じた時には凄い充実感を味わ

える事ができる」
 
 「同じような問題が対戦相手の居るスポーツにもあるの

ではないかな?たとえばサッカーなんかの場合は自分がそ

の試合にベストではなくても、相手の調子が悪ければ勝て

ることもあるし、チームメイトの調子が良くて勝てることもあ

る、そういうあやふやな部分があるよね?」

 「あるある、そういう気持ちって難しいよね、たとえばチー

ムが負けても自分がホームラン打った日は落ち込まないけ

ど、チームが快勝しても自分がそれに貢献出来ていなけ

ればそれは負けた時よりもショックに感じる事もあるも

も・・・」
 
という野球隊員の意見もありました。
 
 そこで出てきたのが陸上をしていた人の意見で

 「陸上というのは個人スポーツだし、対戦相手もチームメ

ートも居ないもので、なにと戦うかというと過去の自分の記

録と戦うものなのです。」
 
 そこで全員が納得して

「ウーン深いねー」
 
 って感じでした。

 「じゃあアマチュアとプロの違いは?」
 
ってことになって

「プロって言うのはやっぱり勝つことが全てでしょ、目的は一

つだけ、でもアマチュアはイロイロな目的があるよね、健康

だったり、ストレス解消だったり、学校の現場だったら規律

や協調性を教えたりね。」
 
 そこでプロ経験の人の意見で

「プロの世界ではナイスファウルっていう言葉があるんです

よ、基本的にはスポーツは反則はしないっていうのが原則

ですけど、プロの世界の考え方は違って反則以外は何を

しても良いという考え方になってるんですけど、でもやっぱり

日本一とかそういうレベルになると、反則もバレなければし

てもよい、というもう一歩進んだ考え方になると思います。

バレた時のペナルティーとバレなかったときに獲得できる得

点みたいなものを計算するようになります。

 だからといってその世界がメチャクチャ汚い世界というので

はなくて、そのレベルの世界での弱肉強食のルールもある

と思います。

 そのルールはスポーツの本来のルールとは他のところにあ

って、そのルールの中でプレーできる人は本当に一流だと

おもいます。
 
たとえばゴール前の接戦で本当は相手を掴んではいけ

ないところで審判にばれないところで掴んだり、掴まれたり

して、それで得点を許した時なんかに、得点をした相手に

向かって笑顔で

 「ナイスファウル!」

 って半分は皮肉を込めて言う事があります、言われた相手も

 「サンキュー!」

 ってウィンクする感じ、お互いにそういうところまで考えてプ

レーできてるところにそれなりのリスペクトがあります。

外人選手とかは結構そういうこと多いですね、でもそれって

お互いにそのレベルまで考えてしかも自分のチームを背負

っているもの同士にしかわからないようなところもあって、お

互いにそのレベルでプレーできてることに喜びを感じていると

思います」

 という多少長い意見もありました。

確かにプロボクシングとか見てるとそういう世界だなってかんじますよね。

 「なるほどねー、プロはスポーツごっこではなくて真剣勝負

だものね、生活がかかってるからね。勝てば官軍だものね」
 
 とそこまで話がヒートアップしてきたところでこれまであまり

発言をしていなかった合気道の隊員に皆が意見を求めま

した。すると

 「合気道というのは勝ち負けとかそういうものはありませ

ん、あれはスポーツではなくて「道(ドウ)」なのです、その道

を極める為に反復練習などをして心と体を鍛えているので

す。だから反則とか勝ち負けとかいうのとは根本的にありま

せん。」
 
 という日本人の心を熱くする一言が発せられました
「なるほどー!」
「深いね」
「素晴らしい」
 
という賞賛の言葉をその武道隊員ははにかみながら聞い

ていました。
 
 結局こういう話は1時間半の枠では収まりがつかず、そ

の後も食堂や休憩時間に継続して意見交換がなされて

とても勉強になりました。

 そしてそれそれの考え方は違うけど、協力隊員としての

共通点は、何か人の役に立ちたいと考えていること、その

根底だけはスポーツに対する考え方は違っても共通のも

のだと思いました。

 世界中に散らばっていった20数名の隊員達は2年間

でまた違う意見を持って帰ってきてくれることだと思います。
 
 写真は訓練中に皆でとったものです、毎朝6時半からラジオ
 
 体操とジョギング、ウォーキングがありました。
 
 僕らは秋から冬にかけてだったので、朝は寒かったです、しかも
 
 真っ暗でした。頑張れ18年度2次隊!
 
 

バツイチ親父の相談


バヌアツで無職のことを

スタップ ノモ 「ただ居るだけ」

といいます。といっても僕の赴任地のタンナ島では8割の

人がスタップ ノモです、だって芋もマンゴーもココナッツも

ほっておいてもドンドン育って落ちてくるから、

人間の仕事はそれをドンドン食べる事だけになります。
 
 先日30代のバヌアツ親父達10名ほどに取り囲まれて、

 「お前はバヌアツと日本とどっちが好きなん?」

 となかば脅迫っぽく聞かれました。
 
 その質問は既に100回くらい答えて自信があるので

「もちろんバヌアツだよ!、日本は忙しいからね、バヌアツは静
かだし、食べ物はフリーだし、海は綺麗だし、会話も沢山でき
るしね、ちょうど今僕達が話してるみたいにね」

 という模範解答!なんといっても1対10だからおかしなこと言えないしね。

 そしたらその中の一人が

「日本人は離婚は多いのか?」

 と聞いてきました。ぼくは

「4組に一人だよ」

 って答えました。

 どうやらその親父は離婚しているらしいのです、

 バヌアツって日本と逆でキリスト教が強いから中絶はみとめら

れていなくて、だから未婚の母は結構普通に受け入れられて

います。みんな普通にシングルマザーです。

 逆に離婚は相当なタブーで居場所がなくなります。
 
 親父は離婚率が高いことに異常に興味をしめして自分の

新しい生活は日本以外にありえないと思ったみたいで

「なら日本には俺たちみたいにスタップ ノモのやつらはおるん

か?」

 と身を乗り出して聞いてきました。残りの9名もその親父を

応援するように興味津々で身を乗り出しています。

 「ウーン・・・・?居なくは無いよ、少しだけだけどね」

 「オウ!そうかそうか、ホンデやっぱりそいつらも俺達みたいに
ブッシュに住んでるのか?」

 「ウーン・・・・?それは違うかも・・・・ 逆に町に住んでるよ」

「町ていうのはシティーのことか、そんなところにの食べ物が
あるんか?その人達は何を食べてるんや」

「ウーンなにかな?まあシティーではイロイロと食べるものがあるんだよ・・・・」

 「でもそいつらはスタップ ノモで生活できてるんやろ」

 「まあね」

 「じゃあそいつらと俺達との違いはなんやねん?」
 
 って聞かれて上手く答えられなくて迷いました、
 
でもバツイチで居場所の無いその親父は既に日本に行く気

満々みたいで、凄い勢いで僕に質問してきます。僕は親父の

息が臭いのと、ちょっと話がかみ合わない事、日が沈みそうな

ことに少しイライラしていて早くその場から立ち去りたい気分で

した。
 
 「お前はバヌアツ人の女をどう思うか?」

 という話が隣の親父から出ました

「素敵だと思うよ、僕は好きだよ」

 って言ったら、

 「だったら逆に日本の女は俺達バヌアツ人を好きになること
もあるわけやろ!」

 ってまたバツイチ親父に臭い息で迫ってこられて、そういう話

の展開ねっておもったけどでもこっちもそろそろ何か反撃しない

と親父のペースで話していると会話が終わらないと思って。

「でもねー、日本の女性はお金が好きだからね、たとえば僕はボランティアだしお金が無いからいまだに結婚できてないでしょ、日本はスクールフィーが高いし狭い土地に沢山の人が住んでいるから土地も食べ物も高いし、だから女性はお金を持っている男性がすきなんだよ」
 
 と少し反撃をしてみました。
 
 一番痛いところを付かれた親父は少し意気消沈でしたが

まだ諦めがつかないらしく

「じゃあ俺がもしバヌアツで沢山のお米を植えてお金は無くて
もお米が沢山あったら、俺も日本人の嫁をもらえるという事に
なるということやろ?」
 
と懲りずに聞いてきたので

「まあその女の人がお金よりお米が好きなら来ると思うよ」
 
って答えたら、周りの親父が大笑い、本人は次の質問を考え

ようとしていたけど、僕の態度が少しづつ冷たくなっているのを

感じたみたいで、諦めたみたいでした。

 本当はこういう親父達とも時間をかけてゆっくりはすとそれは

それですっごく仲良くなれてとても良い友達になれるのはわかっ

ていたのだけど、その時は既に夕暮れで、懐中電灯を持って

いなかったので、日が沈む前に帰りたいと少し焦っていたので

そこで話が終わってしまいました。

 ごめんねバツイチ親父、こんどまた相談に乗ります・・・・ 
 
 写真の一番奥に立っているのがバツイチのピーター 
 
 嫁さん募集中です・・・・

情報共有しすぎると・・・


3ヶ月に一回くらい首都に上がるとジャイカのオフィスに行って、

本を借りてきます。オフィスには過去の隊員が赴任した時に持

っていって、帰国する時に置いていった本や、東京から送られ

てきたボランティアや援助に対する本などが大量に置いてあり

ます。 僕の読むペースは一ヶ月に三冊くらいです。
 
 そしてその後その本を任地にもう一人居る隊員の徹也と取

り替えるえたりして、お互いにまた読みます。
 
 お互いに同じ本を読み、感想を言い合いますが感じ方がま

ったく違うときもあれば同じような思考回路になっているときも

あります。どちらかといえばこの数ヶ月で考え方が似てきたよう

な気がします。
 
 そしてきっと僕は同じことを何度も徹也に話していると思いま

す。だって話している途中に

「この話前にも誰かにしたことあるな?」

 って気が付くからです、島には日本人二人しか居ないので

徹也以外にはありえないからです。
 
でも徹也の偉いところはそういうときでも気が付かないふりをし

て思う一度聞いてくれるところで、なかなかできた男なのです。
 
 しかしたまにもっとおかしなこともあります。

徹也が話した内容を僕が頭の中で記憶していて、それを徹

也に自分のことのように話してしまう事です。
 
 たとえば日本でこんな事が起こっているそうだ、とか首都でこ

んな事が合ったそうだ、と言う事を徹也が僕に話してくれます。
 
 一週間後に二人で合った時に、徹也に何か面白い話は無

いかな?と僕は考えて、そういえば日本ではこういうことが流

行っているって聞いたな?

なんて思って徹也に一生懸命話します。徹也もウンウンと聞

いてくれます。でも徹也が帰ってからそういえばあの情報って何

処で聞いたんだっけ?

 って思い出すと前の週に徹也が教えてくれたことだった事に

気が付く事もあります。少し恥ずかしくなります。
 
 写真は首都でピースコーというアメリカのボランティアのブレッ

ドとテツヤと三人で一緒にとったものです。

 ブレッドの仕事はタンナコーヒーというコーヒー会社のマネージ
 
 メントでした、2年間で素晴らしい成果を上げて先月に帰

国していきました。
 
 普段は島でボロボロの格好しているのに、首都でのお別れ
 
 会だったのでみんな少しだけオシャレしています。

 おそらくこの2年間で一番都会的な写真だと思います。