2011年1月15日土曜日

ここからアンゴラです。


ついにアンゴラに到着しました。

 なんと言ったらよいのか、ちょっと難しいのですが、協力隊のOBの人がこのブログを

 読んでくれている思うので、正直に書くと、あまり実感がないというのが

 正直なところです。

 バヌアツでの2年間で僕の中ではなんとなくボランティアにたいする

 考え方がまとまっていて、

 今回の6ヶ月間はどちらかといえばそれほど熱く無いという気持ちです。

 ひとつの理由は4名で一緒にきましたが、

 みんながアフリカを目の前にして興奮しているのを見て、

 なんとなく一緒に興奮できない自分に気がついてしまったこと。

 空港に着いたときに感想は、

 なんとなくバヌアツに戻ってきたという気持ちでした。
 
 空港、町、人、匂い、湿気、食事、なんとなくすでに知っている気持ちでした。

 ただ一つ違うのはポルトガル語だということ、

 初日に来た首都の学校の先生達は英語を話しますが、

 それ以外はみんなポルトガル語だということです。

 アンゴラはポルトガルの植民地だったからです。

 
 もうひとつの僕がの気持ちが熱くならないというか落ち着いている理由は、

 学校の生徒も町の人たちもみんな親切でよい人達だとわかったからです。

  東京よりも物価が高くて、世界で一番すみにくい町と呼ばれている

  首都の町ルアンダですが、

 (ルアンダとはアンゴラの首都で、別にルワンダという国もあります)

  今日一日過ごして、みんながよい人だということがわかったので、

やっぱり地球はどこに行っても自分次第、

 みんなよい人という安心感をもちました。

  今は協力隊みたいに熱い気持ちではなくって、もっとこう大人な気持ちで

 挑むべきなのかな? と感じています。

 
 明日の朝から400キロほど南にあるバンゲラという町にある教員養成校

 バスで8時間かけて行きますが、

 少し冷静に、実践的に働きたいと思います。

  

 もうひとつの感想は、協力隊は2年間だったけど、今回は6ヶ月だということ。

 協力隊で初めて任地のタンナ島に着いたときみたいに、

 「ここで2年間すむんだ、それぞれのシーズンを二回経験して、

 帰国するときには自分は2年も年をとるんだ、

 何が何でも言葉を覚えて、島に貢献したい」

 という気持ちでした、でも今回は。

 「自分には半年しかない、

 プロジェクトの中心に自分がなることは言葉の面でも、

 時間の面でもありえない、

 だったらいまプロジェクトと学校を一生懸命運営している人を

 どうやってサポートできるか? 

 どちらかといえば裏方に徹することがもっとも貢献できる道だ」

 という気持ちでいます。そのなかでこっそりとポルトガルを覚えようと思います。

  
 イギリスとアンゴラの間で時差が1時間しかないのも理由のひとつかも知れません。

 変な時間に眠くなったり、食べたくないのに食事を取らなければならなかったりという

 海外旅行独特な変な健康状態になることはありません。

  いたって普通です。

 
 それがアンゴラの初日です。

 ちなみにアンゴラは内戦が長かったので、協力隊の派遣はありません。

 でも見た感じではいたって普通、ものはバヌアツよりも豊かです。

 国の規模もバヌアツより10倍くらい大きいしね。
 
 国土は日本の5倍くらいはあると思います。

 そんなアンゴラ生活始めますので、またよろしくお願いします。