2013年2月17日日曜日

豚とソクラテス

「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである」 ジョン・スチュアート・ミル『功利主義』第二章
この言葉を最近知ったのだけど、前半部分の満足なブタであるより、不満足な人間、満足な人間であるよりも不満足なソクラテスという部分が面白いなー、と思います。

僕がボランティアとして2年間生活していたバヌアツの人達は
昨日と今日、今日と明日、同じ生活が60年から70年続いて人生が終わるのが一番良い人生だと思っている、どうして日本では昨日と今日が同じじゃいけないの?
 
 という素朴な疑問を持っていた。 しかも面白いことに僕のいたバヌアツは1980年までイギリスとフランスに植民地にされていて、
一度は自分たちのスローライフを否定され、島にはココナッツの畑ができたり、食品を加工する缶詰め工場ができたりしていたのだ。 今でも年配の人の中には若いことにイギリスに行って勉強したことがある人がいて、普通に英語を話す。

 彼らは一度そういう生活を経験して、でもやっぱり自分たちには争いも格差もないスローライフが向いていると判断しているところがすばらしいと思う。

 バヌアツの「毎日が同じことの繰り返しがいけないことなの?」の対極にある言葉で僕がよく紹介するのが夏目漱石が「心」のなかで言った
 「向上心の無いものは馬鹿だ」
 である
 
話の流れ的にはこの言葉は悪だと思うかもしれないけど、そうではなくって、僕はこの言葉も大好きです。

 せっかく人間として生まれてきたのから、自分の心と体が持っている能力をフルに発揮して、死ぬまで自分を限界まで高めながら生きていくことが人間として尊い生き方であると思ってしまう。 二つの道があったら困難なを選んでこそ人生は面白くなるのだと思う。

 だからこの二つの言葉で僕はいつも迷ってしまうのだけど、
最近思うことは「向上する方向性」が大切なのかな? 
 と思います。

 自分の心と体の向上を自分だけの為、有名になるため、お金持ちになるために使う「向上」なら必要ないと思うし、逆に世の為、人の為、家族の為(家族の為にひたすら金をぐというわけではなくて、愛情を捧げるという意味で)
 向上するという哲学があればそれでよいのかな?
 なんて思います。
 そういう方向に僕たちが行かなかったのは
 
 ・なんでも一番早く、一番大きく、一番強くというアメリカが近く    にいた
 ・第次、第2次 ベビーブーム右肩上がりの経済成長とと    もにもともと日本人が持っていて素晴らしい価値観を忘れ   て「道徳なき競争」に踊らされてしまったこと
  ・無意味な戦争をして、それに負けてしまったという反省と劣  等感

  などがあると思います。

大人と子供の違いは、大人は自分の価値が定まっているから人より高級だから良い、人より高学歴だから良い、人より都会に住んでいるから良い、などという価値観にとらわれず、自分の愛する人と、自分の好きな場所で、自分のペースで生きるという「足るを知る」人のことで、子供は単に他人との比較によって自分の価値を評価する人のことだ聞きました。

 満足した豚になるのか、不満足なソクラテスになるのかは難しいけど、僕は「満足した凡人」くらいが自分らしいかな? と思っています。