2010年5月5日水曜日

武術と武道の違い

 昔に京都大学の有名なフットボール選手がアメフトの雑誌に書いていました。

 僕と同じポジションで90年代から2000年にかけて日本で最も偉大なワイドレシーバー

 であったと僕も同じポジションながら感じている方です。

 その人いわく

 反復練習とか、習うより慣れろ、とか石の上にも三年とかって言うけど、

フットボールを人格形成の為の物だと考えるならそれであっています。

でも京都大学のアメフト部は根本的に日本一になることを目標としている、

だから大学の4年間という短いスパンで考えて場合、習うより慣れろというよりも

新しい事をドンドン教えて次のステップに進んでもらいたい。

 気持ちや忍耐力を鍛えて選手が強くなるのなら、僧侶は毎日気持ちを鍛えて

いるのだから、基本的には彼らがフットボールで日本一になれるはずだ、

でもそうはならない。そう考えるといかにフットボールとして

実践的な練習を行うことが大切なのかがわかってもらえると思う。

 
と言うようなお話でした。 そしてその板井さんを育てた水野監督も

「忍耐なんてものは勝つ面白さがわかれば黙っていてもついてくるものなのだ

 忍耐や根性論が悪いというのはな無い、でもそれがまず第一に来るというのは

まちがっている」

と言っておられました。 

 まあ京都大学だし結果が出てるから説得力があるだけなのかもしれませんが・・・・

 
 でも僕もアメフト選手として長年言いわけばかり考えてきたので、

それなにに言いたいことがあります。

「練習中に声を出して試合に勝てるんだったら、コーラス部は毎日声出す練習してるから

 彼らが優勝するはずだよね!」

 ってなんか僕が言うと説得力無いですけど・・・ ほんとうに言いわけに聞こえる・・

 

でも雨の日に剣道の先生が

 「こういうひでもきちんと練習してる物が本当に強くなるのだ!」

 と言ったら、雨の日だけ熱心に練習してるやつが居る

 と言う話を聞いたこがあります。

 そういうこと日本で良くあるよね。実践にともなわない「スポーツごっこ」が・・・


 昨年に居た中学校で空手をやっていた先生がいて、その先生に聞いてみた事があります。

 「空手の世界では勝ことの意味って何なんですか?」

 「浦君それはだね、僕らは空手を武術と武道に分けて考えているんだよ、武術は

 ようはテクニックを磨くこと、勝つことが目的だし、

武道のほうは空手をつかって人間と

しての道を勉強しようということだから勝ち負けは関係なくなってくるわけだよ」

 ということでした、さすがだなと思いました。

その先生自身はそのどちらも極めて居るようでした。

個人的にもとても尊敬しています。



それで「武術」と「武道」という言葉があるわけか?

 でもその時に思ったのは高校野球ってどっちなのかな?

 
 参加することに意味がある?ってわけではもはやないみたいだし、

だからと言って松井の敬遠は

「高校野球としてはふさわしくない」

 みたいなとらえ方もされていたし。

 そういうところを明確にしないと難しいよね。

 

 良く考えたらプロボクシングとかプロ野球もそうだけど、純粋に「武術」と

とらえて勝つこと優先に考えてるからこそ、実社会でも応用できるメッセージがそこに

 隠されていることって多いものね、

「最初から人格形成の為」ってなってしまったら、指導者の導き方によっては

「苦しくても頑張ってる自分って凄くて偉い」

 みたいな世界になってしまうよね。

 でもその逆もあるか、人間的に最低な奴でも才能があって強い人がいると、

ファンや他の選手はやる気がなくなって結果的にはその競技から離れていくよね。

 
 それで今なやんでいるのが日本の相撲界なのかな?

強くてしかも人間的にも素晴らしい人が横綱になってくれないと、その競技自身の

品格が下がってしまうよね。

 ガッツポーズはお客さんや自分のチームの選手に対してするのは美しいけど、

 負けた相手に

 「ざま―みろ」

 っていうかんじでしてしまうと、それは美しくないよね。

 
亀田兄弟もボクシングもそういうところから問題になっていったのだろうね。

 でも亀田兄弟は周りの大人があの兄弟を大切に見守ってあげれば必ず世の中に

恩返ししてくれるような人物になると感じます。

 でもお金が動く世界だから、それだけが心配です。



 これは日本だけの問題ではなくてオリンピックでもよく問題になってるよね。

 「参加することに意味がある」っていう建前は既にどこの国も無視してるし

 ドーピングの定義だってむずかしいし。

 負けて言いわけしながわ忘れ去られていくよりも、とりあえず勝ちたい、って思う

のは当たり前かもね。その気持ちはよく理解できます。


 そしてどんなに嫌な奴でも圧倒的に強くて、たいして練習しなくて、酒ばっかり飲んで
 
いても真面目に練習してる選手よりも強い人に憧れたりする気持ちもわかります。

 そういう気持ちって人間の心の奥にきちんと準備されているよね。

 
 だから相撲界もボクシング界もオリンピックも高校野球も色々と悩むんだろうね。

答えはずっとないとおもいます。その時代に合わせてみんなが一生懸命考えて

決めていくしかないよね。

 そして負けたときに言いわけしないことも大切だよね。

 勝者にも敗者にもそれぞれ美学があると思います。

 長くなったけど、読んでいただいてありがとうございます!



 

グローバルスタンダード

 よくグローバルスタンダードっていうけど、それってたとえば日本とアメリカの

二国間で話し合ってるときには、

 「こっちのほうがグローバルスタンダードだ!」

 っていえるけど、 その場にフランス人もいて、ハンガリー人もいて、日本人、

 カメルーン人

 イタリア人、メキシコ人、ブラジル人と世界中の人が一緒に居るとうかつに

 「これがグローバルスタンダードだ!」

 って言えません。

 言った瞬間にいっせいにみんなから

 「何故それがグローバルスタンダードといえるんだ!」

 ってクレームでるからね。

 二国間で話し合ってるときにはグローバルスタンダードって言葉は使いやすいし、

 なにかの意味があるようなきがするけど

  今みたいに本当のいみでグローバルスタンダードな場所ではそれは存在しないんだって

 ことが良く分かりました。結局は個人の価値観のほうが国籍よりも大切ってことだと

 思います。

 アメリカ人がよその国を納得させるときにはよくこの言葉つかうけど、

 ヨーロッパでは誰も使ってない気がします・・・ 

朝の会話(ポルトガル人)

  

 ポルトガル人のジョゼの日本での発音はホセだということを最近知りました。

 そういえばホセっていう名前は良く効くよね。
 
 そして今日の朝にそのジョゼともう一人のポルトガル人のルイーズが話していました。

 「今日の天気しってる」       とジョセ
 
  「結構あったかいみたいですよ」  とルイーズ

 「でも昨日もそういって雨降ったしね」

 「僕は毎日天気予報を見てるけど、イギリスは当たらないんですよ」

 「そうだよね、春がきたと思ったら、冬に戻るし、毎日2時ごろにはシャツ一枚になりたい

 けど、4時には決まってマフラー欲しくなるしね」

 「ほんとですねー」

 「大昔にイギリス人達が我が国ポルトガルに攻め込んできた理由が良く分かるよ、

 こんな天気じゃよその国に移りたいって思うのあたり前だよねー!」

 「全くその通り、ヤッパリポルトガルが良いですねー」

 って言って満足げにふたりで大笑いしていました。

  うれしかったのはこの会話が全て英語だったことです。

 二人とも母国語のポルトガル語は使わずにたまたま同じテーブルに座っていた僕の為に

 普通に英語で話してくれていました。 

三人しかテーブルに居なかったのにもかかわらずです。

  そういう気づかいはここでは凄く感じます。

みんな自然にそういうことをしてくれるのがうれしいです、

やっぱり昔からそういうことに慣れているヨーロッパならではなのかな?

 とも思います。 

 二人はとてもうれしそうに腹の底から笑っていて、こっちもうれしく感じました。