2014年11月23日日曜日

それでも人は生きていく

自分を含めていろいろな人の話をまとめて作った作り話です。

 子供の頃から正義感が強く、優しい性格で、困っている人を助けたい。と大学を卒業して、社会経験を積んで、アフリカに国際協力のボランティアに行った人が居るとします。
地方の農村に入り、自給自足の生活をしている人達と一緒に暮らします。優しい村人に出会いそこが第2の故郷となります。

援助は必要だけれでも、そうでない事に関しては自給自足が成り立っていて彼らが満足しているのなら、先進国のライフスタイルに合わせる必要は無いということでした。
だって彼らはすでに何百年もそこで持続可能な生活をしているからです。

優秀だった彼は、そのまま国際協力の道に入りました。
45歳になり子供が二人、そのうち一人は体が弱く海外への転勤には一緒に行けません。
両親もすでに年金暮らしです。
 
そんな時にフランス語ができて農業が専門だった彼が人事異動で任されたのは、まさしく20年前に、自分がボランティアとして2年間お世話になったアフリカの第2の故郷で開発される大規模プランテーションでした。

その土地は土壌が良く、人口密度も低く、水も豊かな土地なので、日本と現地の政府に よって開発が進められようとしています。
しかし彼には一つ疑問がありました。

プランテーションが出来れば雇用が生まれて現金収入が入ると言われているが、彼らはすでに現金がなくても自給自足が成り立っている。
もしプランテーションで働けたとしてもそれは雇用主に使われるだけ、搾取される側になる。そしてもし何かの理由で働けなくなってしまったら土地を奪われた後では自給自足にもどれない。
   
過去の同じような状況を見てきた彼は、その計画に賛成できませんでした。
しかし周りの同僚に言われます。
「お前がやらなくても、現地の政府との合意ができている限り、誰かがやるだけだ。」
    
公務員は国の政策には逆らえません

結果的には20年前に自分を家族として受け入れてくれた人たちは、開発によって住む場所を奪われ政府にあてがわれた家に住み、プランテーションで働く労働者になります。読み書きのできない彼らには選択肢はありませんでした。

彼にとっても日本の家族を守るためにはその選択肢しかありませんでした。
そこで組織に逆らって、プロジェクトから抜けてしまえば、その後はさらに環境の悪い国への選択肢はありませんでした。
 
「自分の家族を幸せにできない人は他人を幸せにすることはできない」

ミスチルの歌にありました。
「夢追い人は、旅路の果てにいったい何を見つけるんだろう? 嘘や矛盾を両手に抱え、それも人だよって悟れるの?」

40歳になって思うことは、みんな正しいことをしているとは思っていなくても、家族を守るために頑張っている。
たとえ世の中の為に良いことではないかもしれないけど、自分に害が及ばない為にはとりあえずいま少しでも出世してお金をためておくことである、ということなのかもしれません。
そうやって準備しているうちに、いつか人生が終わっていくのかもしれません。
誰も悪くないのに、どうしてなのかと感じることがあります。
   
   



   



お勧めの婚約指輪の選び方

 
結婚指輪の金額を気にする人に対して感じることがある。

この人は宝石店に行って、自分の好きなデザインの指輪を 選んでのではなくて、指輪の値札を毎回ひっくり返して、

  「この指輪は素敵だけど、5万円だから、ダメ」

  「この指輪は私の好みではないけど、値段的には合格」

などと考えているのかな?と思うと結婚指輪の意味ってなんなのだろう?と思ってしまう。自分の気に入ってデザインではダメなのかな?

   


   
昔に太平洋の小さな島の誰もいない美しい海岸で自分の気に入った石を探した時には、値段なんて気にしないでその砂浜にある何億もの石の中で一番気に入ったものを自由に選ぶことが出来ました。いま思えばとても贅沢です。
   
同じように物を選ぶだけなのに、値段を気にしなければならないのは逆に悲しく感じます。
一番良い方法は宝石店の指輪の値札を全部外してもらって、床一面に指輪をランダムに並べてもらい、浜辺で石を選ぶように 一番自分の気に入った指輪を選んでもらうことだと思います。
その場合には女性が選んだ指輪がいくら高くても逆に安くてもそこは文句を言わずに男性はお金を払う。それが一番の指輪の選び方だと思います。
そのほうがロマンティックだと思いますが、どうでしょうか?

2014年11月18日火曜日

平成32年東京オリンピック

名刺の渡し方について話していて

相手より下に出すとか、
もらった名刺は基本的には机の上座に置くとか

話し合いが終わった時には床に置いた鞄にしまってはいけなくて、

鞄を腰より上に持ち上げてからしまうほうが良いとか、

日本はやはり面倒だなー、って思ってしまいました。

もし自分が営業マンで、自分の先輩がそういうのを凄く気にする人でお得意先を回った後で、

「お前はそういうことが出来ていないから仕事が取れないのだ!」

と言われたら、結構嫌な気分だろうな・・・・ と感じました。

自分だったら名刺の渡し方より営業している商品の良さと金額がまず第一で

その次に営業マンが信頼できる人間かどうかが大切だと思うからです。

逆を考えると答えは簡単です。
商品が悪くて、金額が高いものを、営業マンが信頼できるからと取引を続けることは持続可能性はありません。
   
 まあバランスが大切だとは思いますが。
 
外国人にとってはペコペコして名刺を渡すことよりもきちんと相手の目を見て握手するほうが大切だそうです。
       
そうやって考えると日本のビジネスの文化は少しずつ変わっていくではないか?
と思います。

たとえば印鑑を使うかサインをするか?

外国人の研修生を受け入れている職場の上司が言っていたのは

印鑑よりサインのほうが良いこと

「デストラーデ」「メッセンジャー」「ゴンザレス」とか明らかに印鑑作りにくいし

たとえば ドーランド・パパ というアルバニア人が 

印鑑を「父」としてもOKなのか? 「葉葉」のほうがわかりやすいのか?

そういうことを考えると印鑑よりサインのほうが良いのでは?

と思ってしまう。   

また山田、鈴木、中村さんの印鑑は本人の了解さえ取れば他人の印鑑をいくらでも代用できてしまう。
 
もう一つは和暦と西暦、

海外でお酒を買おうとして、IDの代わりにドライバーズライセンスでも良いと言われたけど、日本の免許書だと僕の生年月日は昭和49年となっていて、

「お前は絶対に1949年生まれではない。」

と拒否されたことがありました。
     
しかも現在は平成だと26年、西暦だと2014年と表示だからこの2年差はとてもややこしく、年に数回「今って平成24年だよね?」と思ってしまうこともある。

例えば、お金への印刷はいつまでも日本らしく和暦にしてもらいたいけどもし今後移民などを受け入れていくなら西暦に統一しないと履歴書とかみんなバラバラになってしまうと思います。

「2020年東京オリンピック」とはいえるけど

「平成32年東京オリンピック」となるかどうかは今はまだわからないしね。

 年度の途中で年号が変わるのも外国人にとってはわかりにくいと思います。

 日本のアイデンティティー、文化として残すと事

 世界基準に合わせていく事のバランスは大切だと思います。