2010年6月13日日曜日

とても感謝していること



<写真は K島さんにお願いして、息子さんの育くん(イクくん)と一緒に
銀行の前でとってもらった写真です、姉に見てもらいたかったので撮らせてもらった
写真です、あまり知らない僕に急に抱っこされて、少しビックリしていますが、
本当に可愛くて優しそうな男の子でした。笑顔が素敵なで無邪気な子です。>


 
33年間家族で住んでいた家というのは、とてもものすごい量の物があると、

親父が無くなってから改めて感じました。

 アルバムだけでも30冊以上、親父の本も500冊以上あり、

それは全てブックオフに買い取りに来てもらいました。

 500冊売って1300円とは安いと思ったけど、

親父の本は哲学の本とビジネスの本ばかりだったし、

いろんなところに書き込みがしてあったので、まあ仕方ないかな? って思います。


 親父のゴルフのトロフィーや、学生時代の写真、社会人時代のスーツ、

春夏秋冬で使う、扇風機、ヒーター、乾燥機、古いエアコン。

 捨てるのが大変だったのは、阪神大震災の後に母親がかったスッゴク

重たい金庫、家の権利証とかその他大事な物が入ってるはずだったけど、

結局空けてみたら、4段くらいある引き出しはマダ買った時ビニール袋が巻かれていて、

特に大したものは入っていませんでした。

二人かがりで持ってきてくれた40キロはある金庫を一人で捨てるのは大変でした。
 
 少しだけ笑えたのはハンコ、母親が離婚した時に僕に7本くらいくれました、

「私はもうこのハンコは使わないから!」

 って当たり前だけど、その後に姉が結婚して、また5本くらいを残し、

親父も実印を含めて5本は持っていたし、ハンコって半永久的に使えるし、

「もしかしたら何かの通帳に使ってるかも?」

って絶対にそんなこと無いのに、考えてしまったりします。

 親戚でも「浦」っていう名前を継ぐ人は、僕ともう一人の従兄弟だけで、

ウチの姉も含めて女性が多いので、誰にもあげることげできません。

 ということで沢山捨ててしまいました。



 そして最後に残ったのはマンション、これは親父の人生の最大の買い物、

山口の嫁に行った姉は「残しておいて欲しい」という意見でしたが、

離婚した母親は東京に居るし、僕はこれからイギリスに行くし、

もし残しておいたとしても、

姉が大阪に遊びに来た時には人に貸しているから泊まれるわけではないし。

 ということで、みんなの反対を押し切って、売ることにしました。



 不動産屋さんには僕が3月に学校の仕事が終わって、

4月からイギリスに行けるのか、5月になるのかわからないので、

年が明けてからにしてほしい、と話していました。

 「駅前の団地が建て替えで年金暮らしの人の立ち退きがあるので、

その人達はローンは組めないけど、立ち退き料があるから、良いかもしれません」

 って言われて少し悲しい気分に、このマンションは両親が買う時に、

一階だけど二階の高さにベランダがあって、

まだ小さかった僕と姉が前の公園で遊んでいる声が聞こえて安心だ。

と言って決めたマンションでした。できればまた子供がここで育ってほしいな、

と贅沢な事を考えていました。

「とりあえず年が明けてから売りだします。」

 と伝えてから、意外と早めに

 「浦さん今週末に部屋を見たい人が居ますけど良いですか?」

ということで、急遽部屋を掃除しました。

来てくれたのは団地からの立ち退きの方ではなくて、

3歳の男の子を連れたK島さんというご家族でした。


 ちょうど僕が隣の駅の関大前から千里山に引っ越してきたのも4歳くらいでした、

部屋を見に来て、姉と二人で新品で空っぽだった

バスタブに入って撮った写真がまだ残っています。

 少し緊張していて、なぜ自分が知らない人の家に入ってるのかな?

って不安そうなその子をみながら、 こんな家族がこの家を引き継いでくれたら良いな。

と思っていました。

 でも意外と早くに帰ってしまったし、おそらく家を買うときって、

何件か見比べるだろうから、見に来てくれたご家族と不動産屋さんが帰ってしまって、

いつもよりもきれいにかたずいている我が家に一人残されて、

今ごろは他の家も見て回ってるのかな? なんて考えていました。

 「これから家が売れるまで、いろんな人がこうやって訪れて、

僕ら家族が育った家を、良いとか悪いとか判断されるのは、

少し気持ちが滅入るな、でもやっぱり家を買うというのは一大事だから、

買う人は真剣に考えるのは当たり前だしな、

できれば今日来てくれたみたいな人が引き継いでくれると良いな」

 と考えていました。もともと売ることを嫌がっていた姉にも

「僕らが引っ越してきた時と同じような家族が見に来てくれたよ、

可愛い男の子が居た、あの家族だったら僕はうれしいけど、まだ分からない」

 と伝えました。


 結局不動産屋さんからはそれから一度も見学の依頼はなく、

最初に来てくれた、そのK島さんがそのまま引き継いでくれることになりました。

 マンションの売り買いだし、特別な感情は必要ないとは思いますけど、

やっぱり自分が育った家を気にいってくれて、

買ってくれたK島さんにはとても感謝しています。

 引っ越しの前日までに自分の荷物はすべて母親のところに送って、
 
当日の朝まで寝ていた布団をそのままマンションのゴミ箱にもっていて、

子供の頃から引いてあったベランダの人工芝は備え付けではなくて

母親が張り付けたものだからはがさないといけないと気がついて、

朝からはがしてそれも捨てて全て空っぽにして、

キッチンとガスの取り扱い説明書と


郵便ポストのダイアルの開け方が書いた紙を流しの横にわかるように置いて

すでに家の中は空っぽなので、

朝一番でコンビニで買ってきたおにぎりをほおばりながら、

10時に不動屋さん屋さんが来るのを待っていました。

 
 「銀行にいって契約が終わるって鍵を渡すと、もうこの家に戻ることはできません」

 ということなので何かと緊張しました。

 最後まで使っていた、インターネットのモデムを

KDDIに返す為にあわてて取り外して、最後に玄関を出るとき。

33年間家族が過ごしたこのマンションのカギを最後に閉める瞬間。

 「ありがとうございました、さようなら」

って感じたのを覚えています。

 その後に千里中央の銀行に行って、K島さん、不動産屋さん、

司法書士の方、銀行員のかたと一緒に沢山の書類に署名と印鑑を押して

、お昼前に全て終了、僕にはもうマンションには帰るところは無いので、

そのまま新大阪から東京の母親のところへ。

 新幹線のなかでホッとしたと同時に、少しのさみしさが残りました。

 あれはたしか3月の25日だったと思います。
 
 約二カ月以上が経ち、僕はこちらで生活しています。

 実は先日ブログにコメントが欲しい、というメッセージをだしたら、

K島さんから連絡をいただきました。

 僕も個人的にとても興味があったので、アドレスを交換したり、

ブログの事を伝えたりしていたのです。

 「今はまだリフォーム中なので、住んでいませんが、ブログ拝見させてもらっています」

 といううれしい連絡が、早速このブログを確認してもらって、

もし大丈夫ならアップしたいと思います。

 
 自分の家族の後かたずけは楽しい仕事ではなくとても大変でしたが、

そのなかで唯一僕の気持ちを明るくしてくれたのはK島さんとの出会いでした。