2013年1月24日木曜日

日本が援助をやめられない理由


 僕は世界は南太平洋の平和な国、 早急な援助はそれほど要らないバヌアツという国に

 青年海外協力隊として行っていたのだけど、なぜバヌアツへの援助は続けたほうが良いか?

 という理由の一つに

 「日本が援助をやめてしまうと、他の国が援助をする、その国が人間を
 
 育てるような援助をするかどうかを考えると、日本人の援助のほうがまだまし」

 というものがあります。

 例えばアンゴラ、資源の豊富なアンゴラは中国と協定を結んで技術をもらう変わりに資源を渡す

 というようなことをやっていますが、僕が見た限りでは何処にいっても中国人はポルトガル語を

 話さず、自分達が大勢でやってきて、やりたいように資源を持っていくだけ。

  アンゴラの政治家は国のことより自分の事しか考えてないので

 自分の政治家の地位が安泰で、そこそこのお金が入ってくれば、アンゴラの資源が減っていこうが

 気にしていないと思います。

  アンゴラ人は資源を取られて、しかも貧乏な人には全くそういう情報もお金も全くいかなくって、

 政治家と一般の人の格差が広がるばかり、それを手助けしているのは中国の

 「援助」 なのです。

 そうおもうと日本が援助をやめてしまうと、多くの途上国が他の援助国を求めて

  相手国を探した結果中国に頼ることになると思います。それなら日本が援助を続けていたほうが良いと

 思います。 もちろん日本の援助だって悪いところはあると思いますが。

 先日学生に日本の話をしたときに僕が

 「世界にバヌアツ一国しかないのであれば彼らの生活は全く問題ないのかもしれない」

 と話したら多くの生徒が共感してくれました。 グローバル化がなんてなにもカッコよい

 言葉じゃないのだと思います。

やりたいことが見つからない人へ

「自分探し」とかいう言葉があって、人間には神様がそれぞれ役割を与えているのだ。
なんていう人いるけど、アレはハッキリいって、そういう本を書いている人とか商売をやって
 いる人とかが煽っているののが大きいと思います。 だって人間は動物なんだから、やりたいことなくても生きてて良いと思うものね。
 そして最近気がついたのだけど、自分のやりたいことがないと20代くらいで悩んでいる人の
 多くが、結婚した後にとても素敵な親になっているということです。変に自分のやりたいこと
 とか必死でやって、自分の成功を求めている人は子供にもそれを求めてしまったり、仕事が
忙しかったりして、良い親になる確率はそうでない人より低いと思います。
 でもやりたいことが見つからなくて、なんとなく仕事していて、結婚した人に子供ができると 
 子育てが本当に生きがいみたいになって、本当によい親になっている人を僕は多く知って
 います。 だから自分のやりたいことが見つからない人も焦らずに普通に仕事して
 結婚して子供を作れば、気がついたら毎日がとても充実したものになると思います。
 とても簡単なことだけどなかなか気がつかないことなのかなー? なんて思います。

100円のグラスと10000円のグラス

 100円のグラスに入った酒の味と10000円グラスに入った酒の味は違うのか?

どうなんだろうね? でも違う角度から見ると、一人で寂しく飲む酒よりも仲の良い
 
友達と飲む酒のほうが絶対上手いし。一日ダラダラしていて、やることがないから

飲みだしたお酒よりも、一日一生懸命働いて疲れた体で飲み干す酒の味の

ほうが圧倒的においしいと思います。
 
 「このグラスは10000円するのよ。」 

 といわれて飲む酒は多分あんまりおいしくないだろうね。

 実家には高級なコーヒーカップがあって、それは普段は使わないようにして
 
 茶だんすの奥に入っているけど、孫ぐらいしか遊びに来ないのに
 
 いつ使うのだろうね?

 引き出物でもらった高級なお皿はしまってあって、山崎パンのシールを集めて

 もらったお皿で朝ごはんを食べている日本人をみると、「節約」の意味を

 履き違えてると思うのだよね。



  ここまで書いて気がついたのだけど
 
 100円のグラスか10000円のグラスかはあまり関係なくって

 その中に入っているお酒の質のほうが大切なのだよ! となりますね・・・

 
 しかしここでもう一つ問題があるのだよね。本当に10000円大吟醸は1000円の

 紙パックの酒より上手いかどうか? ということ

 だって正月に人が来たときの為に! といってとってある

高級なお酒は対しておいしいと思わないものね。やっぱりいつも飲み慣れたもの、

 食べなれたものを気の合う仲間と食べるのがおいしいのだと思います。

 今は1月末だけど、何処の家の冷蔵庫にも正月に空けた「高級」といわれる食べ物が
 
 その後に手を着けられることもなく、賞味期限が迫っていると思います。

 俺は何回飲んでも100円の器で1000円の普通の酒のほうが上手いと思うのだよね。
 
そして一緒に飲むのはもちろん、その価値を分かち合える人。
 
 10000円のグラスに10000円の酒を入れて世間で言う一流の人達と酒を飲む
 
ことが良いとあこがれている人は、逆にそういった世界の馬鹿馬鹿しさに
 
を知らない人なのだとおもいます。

 人間の価値観ってそういうものだと思うのだよね。

 もちろん本当に良くて自分に必要なものなら百万円出してもよいとは思うけどね。

お金の使い方は人それぞれだと思うけど、普通に考えればお金はなくても幸せには
 
 なれると思います。

承認の欲求

タケシの「日本のミカタ」というテレビをみて思ったのだけど

 昔の日本人は生活が向上できること、今より良いデザイン、機能的なもの、高級なもの、

 ブランド物をもつことが良いとおもっていたけど、景気が悪くなって今時の若者はそういったものを

買えないし、もともとそういうものが良いとも思わない、

ユニクロに行けば安くて良いものが打っているし、ニトリに行けばそこそこの家具が揃う、

100円均一に行けば十分に生活していけるだけのアイディア商品が揃っている、

そういう安っぽい価値観しかもっていない若者をみて大人たちは

 「失われた20年」とか言ってるけど、もしかしたらそれは文化人類学者が未開の地に
 
行ったらそこの人たちは幸せそうに暮らしていて、そっちの価値観に染まってしまう。 

というのと同じようなもので、実際に安くてそこそこのもので満足している若者の人生

 は全く惨めでも失われてもいないと思う。

 若者は若者でフェイスブックで「良いね!」をもらえればブランド品を買って自慢しなくても

 他人からの承認の欲求は満たされるので、お金はかける必要はないし、

 人間の承認の欲求は形を変えて満たされているのだ。
 
 みんながグッチをもっていればそれが良いと思う時期もあるだろうし、いま思えば

 グッチのカバンでも無印良品のカバンでもタグをみなければあんまり変わらない

 気がするのだよね? それは僕がグッチのよさを分からない失われた価値を持った人間
  
 なのだからかな? 

 結局は人間の物に対しての価値は変わらなくても他人から承認されたい

 という承認の欲求は永遠に変わらないとおもうのだよね。 金額よりもそちらが大切

 だと思う今日この頃です。