2010年11月2日火曜日

時が経つと変われること


 <写真は小学校3年生くらい、真ん中でビニール袋を持っているのが僕です。何をやっても自信が持てなくて、さえない子供でした。だから忍耐強く続けることができなくて、でもみんなに認めてもらいたい気持ちは沢山あって、子供だったから気がつかなかったけど、一生懸命にもがいていた時期だと思います。でもそういう経験があるからこそ、人にやさしくなれるのかな?とも思います、何事も経験しておいてそんはないですよね>

子供のころからあまり

「ウラ」っていう名前好きではなかったような気がします。

学校で先生が

「コラ!」

 って怒ったらなんか自分が怒られてるような気がするし、そのたびにドキッとするし、

 「山本リンダのファンですか?」

 「ジャングルクロベエの主題歌を歌って!」

 「下の名前はビデオくんですか?」

っていじめられるし、もっと「三浦」とか「杉浦」

とかそういうカッコよくてバランスの良い名前がよいなー!

 って思っていました。

 でも男だし一生この名前なんだな。って思ってました。

 でもバヌアツ、イギリスなどの海外に出来て思ったけど、

「ウラ」っていう発音、意外と外人は覚えやすいみたいです。

 明らかに下の名前の「テルヒロ」よりは発音しやすいし、

 北欧のほうでは嬉しい時に 日本でいう「ヤッター」みたいな意味で

「ウラー!」 とか「ウララー」 とか「フラー」

 とかっていうらしくて、その動作と一緒に自己紹介するとみんな覚えてくれます。

 そして結構それは前向きな意味なので、みんなな喜んでくれいます。

 ウチのチームで韓国人の女の子で

「スッキー」

っていう子がいるんだけど、毎日

「スッキー!」

って読んでるとなんか僕はこの子のことスキなのかな?

 っていう錯覚に陥るのと同じ作用があるのだと思います。

 猫も
 
ノラっていう名前つけると、だらしない猫が育つって言うしね。

 まあ呼ぶ側の心掛けの問題だと思いますが・・・・

あとはインターネット、「浦輝大」っていう感じの組み合わせ、

ジェイリーグのサッカー選手で似た人がいるのだけど、

それ以外はほとんどいないみたいで、

グーグルでもヤフーでも結構早めに僕の名前が出てきます。

 この名前嫌だな。って思っていたころにはインターネットなんてなかったし、

こんな日が来るとは思っていなかったけど、

時代が変われば価値も変わるものだな!って思います。



 価値が変わった話のもう一つは昨年の中学校で非常勤講師していたとき。

 支援学級っていう昔でいう養護学級って言ったらよいのか

 言葉の使い方が難しいところなんだけど、

 クラスに適応しにくい生徒のサポートをする教室に一年間居ました。

 自分の中学校時代は暗くて悲しい時期だったので、

 あまり思い出したくなかったのですが、昨年に支援学級で働いていて感じたことは、

「子供の気持ちがものすごくわかる、何をやっても自信が無いし、

 周りからは認めてもらえないし、その割に自分のプライドやエゴは凄くあって、

 みんなから認めてもらいたいっていう気持ちは凄くある。

 でも誰にも認められない、こういう自分って嫌だな、でも変えられないな」

 って思っていた時期、自分のそんな頃を自分の生徒を重ねてみると、

なぜかとても生徒に対してやさしい気持ちになれました。

 おそらく他の先生からは
 
「浦さん体育の先生なのに、生徒に甘すぎ、なめられすぎ」

って思われていたかも知れないけど、

 生徒はキチンと三学期まで楽しく学校に通ってくれました。

 二度と取り戻せないと思っていた自分の中学校時代でしたが、

 今思えばとり返す必要なんてなかったのかな?

 って感じています。

 「ウラ」っていう名前も、悲しい中学時代も、

 時が経ってみればちがう見方ができて、結局は同じことなのかな?

 って思いました。

 「人生の苦労の数は決まってる」

って学生の時の友達がオッサンみたいに言っていました。

 なるべくいろいろなことにこだわらずに自然体で生きていけたらよいなと思います。