2010年11月8日月曜日

この半年間のまとめ①

32ooパウンド、約45万円の募金活動が無事に終了しました。

心配と応援してくれた皆様、あと日本から募金しましょうか?

と提案してくれた方々、本当にありがとうございました。
 
 終わってみればメンバー10名の中で最も早く終わることができました。 

そろそろこの半年のまとめをしようと思います。

 まずは

「ノーと言える日本」

 について、

「日本人はノーと言わない」

 これはこちらの先生達が日本人を褒めるときにも、けなすときにも使う言葉です。
 
嫌なことはキチンと断ってくれないと困る

 というのが彼らの意見ですが。

 この半年で気がついたことは、

日本人は相手の気持ちをとても考えて質問するので、その場でとっさに

「ノー」

ということに慣れていません。

相手が受け入れにくい質問は最初からしないのです。
 
ずうずうしい質問をすることを恥じるので、キチンと相手が

「イエス」

って言ってくる質問をします。だから聞かれたほうほ


「良いよ!」

 っていうのが普通になっています。

 特に日本人の中でも生真面目で普段からみんなに尊敬されている人に対しては、

こちらもあまり失礼なお願いはしないので、

そういう人はさらに「ノー!」ということに慣れていません。
(別に自分がそうとは決して言ってません)
 
相手の理由はどうであれ、 誰から自分に対して助けを求めているのなら、

すでに相手は相当思案した上で訪ねてくれているのだろう。

だから答えは即答で「イエス!」なのです。

そこでいちいち相手を疑って

「なんで僕の助けが必要なの?どういう理由で?」

などと聞くことは下品なことだと思っているのです。

 それが一流の日本人、外国の人みたいに

言ったもの勝ち、主張したもの勝ち、実力はその次、

ずうずうしくないと生き残れない、ヨーロッパは昔からいろいろな国の文化、

習慣、言語がミックスしているので、

相手の気持ちなんて察しようと思っても全くわからないのです。

だからとりあえず明確にストレートに自分の主張を通すことが普通なのです。
 
ということになります。

だから一流の日本人が外国人と接するときに、その人が立派な日本人であり、

謙虚で律義で誠実で

耐えざることに耐え、忍びざることを忍べば忍ぶほど、

海外で短期間のうちに活躍することは難しくなると思います。

 高倉健ではだめなのです。

「私は不器用なので、ご自由にしてください」

という僕たちの美徳は彼らにとっては「わかりにくい」のです。