2011年2月24日木曜日

長期的に考えること


 <写真はバスケットボールのファールをめぐってポルトガル語で激しく
 抗議するサムエル、見方からも「サムエル、ジョガ!ジョガ!」
 (しゃべるのやめてプレーしろ!)ってずっと言われてました

アンゴラにいてよく感じることは、長期的に物事を考えることに

 慣れていないな、ということです。

 1975年に独立してから内戦がが2002年まで続いていたこの国では

 人々の関心は10年先ではなくて、明日なのだと思います。

 今でも内戦の銃弾の後や地雷がたくさん残っています。

 そういった環境で育てってきた人達は、長期的なことは考えません。

 農業よりも略奪のほうが効率が良いかもしれませんし、

 貯金よりも今日おなかいっぱい食べるほうが賢い選択だったのかも

しれません。

 そして共同でものを管理することにも慣れていません。


 たとえば僕が働いているキッチンですが、食材の中でもニンニク、

 玉ねぎ、トマト缶、洗剤、油などは実際に使う量と同じだけ、

もって行かれてしまいます。

 トウモノコシの粉や米、小麦粉などはなくなっていても僕には

わかりませんが、それ以外は昨日まで10あったものが、一しかない

ことも普通にあります。

 新しく買った2本のナイフも一日で無くなってしまいましたし。

 チキンを切っていても、

 「ウラ、おなか痛くてみんなと一緒に食べれないから別に料理

したいの、一切れ頂戴」

 と悪びれずに言ってきます。おなか痛かったら鶏肉良くないよ!

 っておもい増すが、あまりにも真剣な目つきにこちらも渡して

しまいます。

 すこし大げさに言えば、とりあえずキッチンに入ったら何かを

ポケットに入れないといけない。という雰囲気があります。

 僕がキッチンにいるとみんな少しだけですが気まずそうな雰囲気に

なるときがあります。なにか働きにくそうなのです。

 僕が生徒に

「ニンニクが昨日はたくさん会ったのに今日は
             ゼロだからどうしよう?」

 っていうと、生徒が

 「部屋にあるから持ってきてあげる!」

 っていって悪びれずに持ってきました。

 一番信頼しているキッチンで働いているおばちゃんのですら、

 帰るときには用意した黒のビニール袋に何かを持って帰ります。

  みんながしていて、それで成り立っているから良いといえば

良いのですが、これを変えていくのは難しいなー!

 と思いながら、昨日はナイフが一本も無かったので、野菜は切れませ

んでした。

 だから料理は豆と米ばかり、

 学校側としては玉ねぎとかトマト缶とかかってきても無くなるだけ

だから、米と豆だけにして毎日同じメニューにしおいたほうが良い。

 と思うのが当たり前なのかもしれません。

 生徒自信は結局は自分達の行為が、毎日同じメニューを食べる結果

を招く。という長期的な考えよりも

 とりあえず今日自分がおいしいものを食べれれた

らそれでよい。明日がどうなるかは明日考える。

 メニューが同じになったらとりあえず上に文句を言えばなんとか

なるかも。

それが、長いこと植民地にされて、内戦が続いて、将来的に物事

を考えていてもその結果が出る前に、ぶち壊され続けてきた人達の
 
 標準的な考え方なのだと納得できます。

 なぜ中国と国の発達の為に共同で働いているのかという質問には

 「中国人はビルを建てるためにセメントを5袋用意したら、5袋つか

ってビルを建ててくれる。アンゴラ人なら5袋すべて自分の為に使う、

中国人はすばらしい、だからアンゴラは契約を交わした」

 と話していました。

 最初は少し戸惑いましたが、少しずつ納得してしまいました。

 なかなか根が深くて、向上していくのは時間がかかる問題だと

 思います。彼らを攻めることは今の僕にはできません

「王道」から思い出した話


 <写真は干上がった川を歩いてわたる人達です、
 でも空は晴れていても、上流で大量に雨が降ると、ものすごい勢いで
 泥水が流れ出すので要注意です> 

  地味な仕事が今の「王道」

 って書きましたが、続きがあります。
 
 イギリスでもアンゴラでも感じることがあります。

 日本の社会は地味に一生懸命働いていれば、

上司や社会がそれを評価してくれるものだとおもいますし、

そうなりやすい社会なのだと思います。

 「そんなの嘘だ!」

 と日本社会で働いている人は思うかも知れませんが、本当です。

 イギリス、アンゴラで感じることは、

地味な仕事をコツコツやって自己主張しない人は周りから

 「あの人は地味に働くことが好きな人なんだ」

 って思われます。我慢して社会や組織のために地味に働いている

 とは誰も思いません。

  だからもし、自分が評価を得たいのなら、

 「これだけ働いたよ!、結果出したよ!」

 って言わないといけません。

 それはイギリスの学校でよく感じました。

 ちなみにイギリスの学校にはイギリス人の先生はいなかったので、基本的に

 文化としてはフランス、イタリア、ポルトガルなどにラテンの国、自己主張

の強い国の人達が主導権を握っていました。

 そういう人達は働く前に自己主張します。不利な仕事はしないんだよね。

 最初はそういう文化に戸惑ったけど、それはある意味当たり前なんだと感じ

 ました、だって地味に働くことも、ある意味では自分の意思だととられるから

 です。

 ヨーロッパやアメリカみたいに色々の国の人が混ざって働いていると、

 日本みたいに仕事に対する「共通認識」みたいなものは無いんだよね。

 日本みたいに嫌な仕事は誰が決めなくても順番に行うというのではなくて、

 毎回きちんと明確にローテーションを決めないと、誰もしないし。

 そうするには最初に自分が権力を持ってローテーションを

 決める立場にならないと、他人がその立場になったら、

 自分は使われる立場になってしまう。

 そしてみんな恐ろしいほど自分のモラルとリーダーシップに

 自信を持っています。自分はすばらしい人間なのだ!

 という絶対的に自信を持っているラテンの人達は日本の

 それの3割増しくらいはいると思います。

 だから自己主張激しいです。

 日本人は、それほどもめるのなら、僕は使われる立場でよいよ、そこで地味に

やっていたら、いつか評価されるだろう。

 と思いますが、それではいつまでたっても評価されないこともあります。

 でも不思議なことに、結果としては同じなんだよね。

 自己主張の強い人達はお互いに足を引っ張り合うから、結果的に

 「一番働いている日本人に仕切ってもらおう!」
 
 見たいなことになりかねないからです。話がとても矛盾んしていますが、

 まあ時と場合ですね!