2011年2月10日木曜日

面白いことが書けない理由


 <写真は先週の日曜日に海に行ったときのものです。
 子供達のサンダルと洋服がすべてまとめて置かれていました、
 子供達は小さなグループは作らないで30人くらいで一緒に遊んでいました
 僕も31人目として子供達と遊んでもらいました>


 アンゴラに到着して、約一ヶ月がたちました。

滞在は7月の24日にイギリスに戻るよていなので、残り5ヶ月半です。

残りといっても始まったばかりですが。

 アンゴラのブログ、何か面白いことを書きたいと思っていたのですが、

なぜかかけません。

それはアンゴラと僕のいる教員養成校がきちんと成り立っているからだと

思います。

 すべてがいたって普通なのです。

 授業の運営もきちんと組織化されていて、

掃除、食事の準備、農業、スポーツ、もちろん勉強にいたるまで、

こちらが言わなくても生徒はきちんと動きます。日本と同じなのです。

 
 生徒は普通5名から10名ほどの兄弟をもっています。

その中で優秀な子供が教員養成校にきていることもあるとおもいますが、

兄弟が多いと子供の頃から親に手をかけてもらう時間が少ないので、

自然と自分で考えて行動するようになるのかもしれません。

大家族で育つと自立するのが早くなるのだと思います。

 

 食事を取るのも、勉強するのも、掃除をするのも

 親に注意されたからするのではなくて、自主的にやっている気がします。

待っていても誰も自分のことなど気にしてくれないからです。 

 逆に言えば他人をあんまり意識しないで生活しているので、

マイペースに見えたり、相手の気持ちを考えないな。と思われたり、

合理的過ぎたりします。


 日本人は合理性よりもみんなが周りの気持ちを考えすぎて、

たまに窮屈だったりしますよね。 ケーキでもなんでも必ず最後の一切れが

「遠慮のカタマリ」として残るし
 

 飲み屋の支払いもお互いに

「今日は私が出します!」

 「いや、今日こそ私が!」

 みたいなことになって、

合理性よりも人間関係を優先して疲れることもあります。

 
だから見えないところで陰口が出たりすることもあると思います。

 アンゴラ人はそういうことがない分、ケーキの最後の一切れは絶対に

 残らないし、支払いは最初から割り勘は当たり前。

 おごってもらっても特に感謝はされないかもしれません。
 
 「お金があって出したいなら出せば」

 っという感じかもしれません。すごいでしょ!

 でもそれが世界基準なのだと最近は思います。

 ギブ アンド テイク のバランスは日本ほどきっちりしていません。

 そのかわり陰口は無しです。ストレートです。

 疲れていたら話さないし、親切なときは100%心から親切です。

 無理して親切を装ってお互いに疲れることはないです。

 
  
  高い教育とはすなわち
 
 「やせ我慢」

 なのかと思うこともあります。

 お互いに上品ぶって、自分が下品だと思われたくないので、

相手に道を譲ります。

 本当に生活にゆとりがある人ならそれでよいですが、

 一般庶民同士がそれをすると、生活に困ります。

 そういう気持ちは陰口やねたみに変わるのかも知れません。

 「あの人は図々しい、相手の気持ちが考えられない」

 っておもうこと、日本人は良くあると思います。 

 どちらもバランスが大切なのだと思います。

 
 合理的過ぎると、弱者が守られない社会になるし、
 
 気を使いすぎても陰口が出るのだと思います。

   そのバランス感覚を持っていることが大切なのだと思います。

 
 結果としては
 
  アンゴラでそのバランスを持っている人は日本に行っても人間関係で

 悩むことはないだろうし、日本のなかでそのバランス感覚を持っている人は

 アンゴラに来ても成功するのだと思います。

  結局人間としての基本はアンゴラも日本も同じなのかもしれません・・・

 やっぱりまた最終的には普通でありきたりな

ブログにまとまってしまいました。

 せっかくアフリカのアンゴラまで来て何か違いを

 見つけたいと思っているのに、

 この世の中はどこまで行ってもみんなが普通に生活を営んでいて、

 家族をもって平和に暮らしているのだとつくづく感じてしまいます・・・・