2010年11月1日月曜日
30年で2回
<写真はバヌアツの小学校一年生。
僕は彼らの何人を励ますことができたのかな?っておもいます、
ウラに褒めてもらったから、あの後30年頑張ったよ!って言ってくれる人
は将来いないと思うけど、僕はあれから30年間頑張ったつもりです>
今から30年前、僕が大阪の吹田市、千里第二小学校に入学したとき、
当時はまだ第二次ベビーブームでマンモス校と呼ばれていて、
木造校舎に40人以上の生徒が詰め込まれて、
それが10クラス近くあって、うちの小学校はなぜか宝塚みたいに、
雪組、星組、花組、月組、みたいにクラスが呼ばれていたころ。
僕の担任の先生は当時30歳くらいだったサッカー部の顧問の先生でした。
その先生が僕に
「ウラ君、キミはサッカーが凄く上手だし体育がよくできる。
きっとよい選手になるよ!」
週末にある地元のサッカークラブを紹介してくれました。
僕はそれがとても嬉しくて、自分がサッカーが上手なんだと思い込んで、
一生懸命サッカーをしていたのを思い出します。
そう信じていたからサッカーが上手になったのだと思います。
そのまま30過ぎるまでずっとスポーツしてきたから、
あの先生の一言が僕の人生に与えた影響は大きかったと思うし。
ウチの母親もいまだにその先生のことをよく覚えています。
それから30年が経って昨年ウチ親父の看病の為に大阪に戻って
午前中だけ中学校で非常勤の先生をしていましたが。
たまたま小学校の体育科の先生と、
中学校の体育科の先生達が一緒に集まる情報交換会みたいなのがあって、
そこでその先生に30年ぶりに再開しました。
30年ぶりでしたが、全く変わっていなかったので驚きました。
中学校で非常勤をしていること、
親父が一学期で亡くなってしまったことなどを話しました。
その先生はすでに校長先生になっておられて、地元では有名な先生でした。
二学期末に教育委員会から連絡があって、
「三学期、小学校で妊娠されている女性の先生のかわりに週3回、
午後に体育教えてもらえますか?体育だけなら浦さんが小学校で教えても大丈夫です。」
という連絡があり、30年ぶりに恩師の先生の学校で働かせてもらいました。
朝礼での初めての挨拶のとこに、
「みんなの校長先生は30年前の僕が小学校一年生の時の担任の先生でした」
っていったらみんなとても喜んでくれました。
僕の人生を2回も変えてくれた先生にはとても感謝しています。
教員ってよいものだな。と改めて感じました。
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