2012年2月11日土曜日

準備ばかりの日本人

小・中学校時代は高校受験に向けて、

 高校三年間は大学受験に向けて、

 大学4年間は少しゆとりを持ちながらも就職に向けて準備して

社会人になったら年金制度の崩壊を恐れて老後の為にせっせと貯金、

 60歳で定年すると同時に病気で死んでしまったり、

 定年した瞬間に奥さんに逃げられたり、

 仕事一筋だったので社会に居場所がなかったり、

それでも周りに迷惑かけてはいけないと一生懸命に医療保険を

 払い続けて何時病気になってもよいように準備して

 日本人の「人生の本番」は何時だったのか?

 と思うこともあります。

 外国人の自由すぎにもどうかな?と不安になることもあるけどね!

協力隊員の親達

留学するかどうか迷っている高校生に、大人は良いよ、

 自分の責任で何でもできるからね。って言った時に思い出して話したことがあって、

 協力隊に一緒にいった隊員にも二つのタイプがありました。

 一つは親から反対されている人、親からの理解を受けられず、

それでも自分の人生を進みたいと思って会社を辞めてでも参加する人。
 

 もう一つは親から

 「ダメだったらいつでも帰っておいで、私達はいつでも待っているよ」

と応援してもらって参加する人です。


  何をしようが親は無関心という人もいますが・・・

 親の理解が得られないまま参加している人は、

 やっぱり頭のはじっこで親の事がちらつくし意地になるから、

 どんな辛いことがあっても弱音を吐かずに頑張ると思います。

そうなると時には仕事に心のゆとりがなくなってしまうこともあると思います。

 弱音を吐いてしまって親から

 「だから言ったじゃないか、お前には無理んだったんだ!」
 
と言われるのがいやで頑張りすぎて抱え込んでしまう人も結構いると思います。

 でも協力隊の場合は行った現地と自分の能力や技術、

 人との出会いなどの運によるものが7割くらいを占めてるとおもうので、

自分のせいにしすぎないほうが良いと僕は思います。
 
 そこに親の反対を押し切ったという変なプレッシャーがかかると

 判断を間違いやすいと思います。


 親から

「いつでも待っているよ、自分のやり方でベストを尽くしておいで!」

と応援された人は、辛い現状になっても心が安定して弱音も吐けるし、

頑張らないといけないところ、妥協すべきところの判断も素直にできるのだと感じます。

 
 最後に僕が最も好きなパターンは

 親に反対されてきた隊員が現地に親を呼んで自分の生活や

現地の人達にどれくらい信頼され良い関係を作っているかを見てもらうことです。

親からしたら

「子供の頃から何を考えているか理解できないし、

何をやっても中途半端だと思っていたし、

ろくに相談もしないで勝手に協力隊に申し込んで飛び出していった自分の子供が、

ボランティアとしてこれほど輝いているとは」
 
と理解して、親自身の人生観もかえてしまう瞬間を見たときです。

仕事一筋で真面目だった親のほうがそういう気持ちになると思います。

 
 あといつも驚かされるのは、隊員として一緒に活動していたり普段生活していると、

「この人どんな親に育てられたのかな?なんでこんなに自由すぎるのかな?」

 って疑問に思ってしまう日本社会に不適合そうな隊員の親にあってみると、

メチャクチャしっかりしていて、優しくて、気が利いて良い人だったりします。 

そういうときに何かとてもうれしい気持ちになります。
 
それってウラさん自分の事でしょ。と思う人もいるかも知れませんけど、

僕はしっかりしているつもりです。

高校生は大変

先日に高校に講演に行った時に高校生に相談されたんだけど、

海外に留学しようと思っているけど親の理解を得られない、

でも今のまま学校に通うモチベーションが上がらなくって困っている、

とりあえず留学しないと何もかもが前進しないような気がしてしまっている。

 って言っていました。
 
よく気持ちわかるなー、って思いました。

 自分も大学受験を決めたとき、フットボールでプロのリーグに行こうと思った時、

社会人のチームの移籍を考えたとき、協力隊に行こうと思った時、

それぞれのタイミングで人生の転機があって、迷いました。
 
大人になると親に相談しなくて決めれたけど、

学生だと金銭的にも親の助けが必要だからやっぱり親の意見は絶対です。

 その子も「親にまだ留学する必要はない」
 
 と言われているみたいでした。

でも自分では足踏みしているような毎日は嫌だと言っていました。 

僕は親の気持ちもわかったし、その子の気持ちもわかったし、

「うーん難しいなー」
 
って本気で思ってしまったので思わず。

 「上手くアドバイスできないけど、僕から言わせると大人は良いよ!

自分で何でも決めれるしどこに行ってもよいし、金銭的にも親から自立できるからね。

高校生はそこが難しいよね、

結局はお金の事が絡むと親の意見を聞かなければいけないからね。

早く大人になれたらよいねー、俺も2度と高校生にはなりたくないよ」

って言ってしまいました。でもなんとなく説得力があったみたい。

 周りの先生も笑っていました。

 何の自信もなくも目標も希望もなかった自分の高校時代を思い出すと、

つくづく人生は面白いものだな。何とか生きてる自分に感謝です。
 
だからこそ人の為になるような仕事したいなともおもいます。

 高校生にも頑張ってほしいです。

日体大の意味付けが難しかった頃

教育の現場の変化について前回書いたのだけど、思い出したことが一つ。

 僕が日体大を卒業した97年ってバブルがちょうど終わるころで、

しかも日体大生もそれまでの好景気で民間企業に入る人が多かった時期です。
 
もう一つの理由は第2次ベビーブームが終わってから子供の数が減ってるので、

教員の採用が全くなくなってしまったんだよね。
 
 日体大は基本的には体育の教員を育てる大学として有名だったんだけど、

その時期って授業で勉強して教員免許をとっても、

教員になる人はほとんどいない状態でした。

 学校のカリキュラムと生徒が必要なことがマッチしてなかったんだと思います。

 でも日体大はそれを変えなかった、単科大学だから帰るのは難しいし、
(今はユニバーシティーだけどね)


そしたら最近はまた教員の採用が増えてきて、

本当になりたい人は教員に慣れるようにもなってきたしね。

 時代の流れってあるもんだなー、と感じています。

記憶力と想像力のバランス

最近は学校でバヌアツの事について講演させてもらう機会が結構あるんだけど、

そこで思うことは、日本の教育は記憶力をつけさせるものなんだなー、ってことです。

頭の中のハードディスクにいかに多くの情報を詰め込むかを

競い合っているのだと思います。

たとえば偏差値75の東大生の頭には750ギガバイトくらいの情報量が入っていて、

そこから偏差値順に600ギガの大学、

500ギガの学生のいる大学となっているような感じ。

 昔はそれでよかったんだと思うんだよね、

まいあさ新聞読んで不特定多数な情報を頭に叩き込んでその中で

勝負してればよかったんだと思います。

でも今ってインターネットがあるから個人がそれほど多くの情報を頭の中に

叩き込まなくても生活で必要な300ギガくらいの「基本知識」だけ頭に入ってれば、

必要な時にネットにつないでわからないことは

グーグルとかウィキペティアで調べることができるんだよね。

だってネットの中にはすでにギガレベルではなくてその何百倍もの情報が入っていて、

いつでもそこから情報や知識は引っ張り出せるものね。

そうなると偏差値30の学校出てても60出ててもたいして変わらないよね。

 必要なのはどのタイミングでどの情報を引っ張ってくるかの「ひらめき」

と「情報処理」的な能力のほうなんだと思います。

 ネットで調べられる情報をわざわざ記憶する必要はないと思います。

情報を分析して、文章や形にして外に発表する能力だよね。

もう一つの問題は現場の生成達はすでにそれに気が付いていることだと思います。

みんなわかってるんだよね、

わかっているけど上が変わらないから現場ではどうしようもない。

 あんまり簡単に今までの日本の教育を変えることは危険だと思うけど、

現場でそう言った矛盾に悩みながらも毎日頑張っている先生達は偉いな、

とも感じます。