2010年10月30日土曜日

哀れな日本人に愛の手を?


 <写真は募金をするときに使っている僕のオリジナルボードです、
 バヌアツの時の写真が貼ってあって、次はアンゴラに行くので募金宜しく!
 って言うとみんな納得してくれます。言葉よりも写真の力は大きいです>

 募金活動をしていて、思うことはアフリカ出身の人は二手に分かれること。
 
 とても喜んでくれて、協力してくれる人と、

 明らかに不審感を持って気分を害する人に分かれます。
 
「お前は何でアフリカに行きたいんだ!」

「おれたちの写真を使って金を集めてるだけだろ」

「おれたちはほっておいてほしいだけなんだ、助けなんていらない」

「旅行者気分で人助けなんてできないよ」

 って言われます。僕の答えは

「僕はスポーツを教えるのが好きだからアフリカに行きたい。

日本でも先生をしていたし、バヌアツでも体育を教えていて

自分の経験の為、楽しい時間を過ごしたいだけなんだ」

 でもこの答えは僕が最初に協力隊に行く前とは全く違っています。

4年前に協力隊に行こうと思った時に感じていたのは

「困っている人を助けたい、日本人として何か貢献したい」

でした、だからバヌアツで海外のボランティアが口々に

 「経験の為、自分の人生を変えたかったから」

っていうのを聞いて、少し驚いたし

「税金使って来てるのに、少し無責任だな、受け入れ国にも失礼だ」

なんて思いました、

  でも今は違います。バヌアツに行って少し感じだことは

 「基本的に人が人を助けることはできない」

解釈が難しいし誤解を生んだら困るけど、助けようと思って何かをしてあげると、

 最初は相手も喜んでくれるけど、それが継続的に行われると、

 相手もやってもらって当たり前になってくる。

 こっちは助けてあげている、って思ってるけど、何の感謝もされなくなる、

 別に感謝されるために初めて人助けではないけど、それが当たり前になってきたり。

 「もっと助けて!」

 って言われたりすると、
 
 助けるのではなくて自立させることが大切だ。

ということに気がつくのだと思います。もちろん

 「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」

「食べ物を与えて難民にするのではなく、クワを与えて自立してもらう」

 この言葉は基本にあります。でもこの言葉は時に現実的ではないこともあります。

 日本人は教育水準が上がれば彼らは自律して立派にほかの国と競争できる、

 と思っていても、もともと途上国はそんなことを望んでいないこともあります。

 また

 「こんなに献身的に頑張ってる自分て素敵!」

みたいな感じで、単に自己満足になる人もいると思います。

 ヨーロッパに来て思うことはボランティアって人生の中の一時期

 に無給で働いてみることによって、人生観が変わったり、

 給料をもらって働くことと比較できたする良い機会になるのかな?

 と思いました。

 またアフリカ出身の人が嫌な気分になるもう一つの理由は

 たとえば満面の笑みの日本人の子供の写真をどこかの外国人が

 ポスターにして持っていて、そのポスターのスローガンに

「日本を助けよう!」

「日本人に愛の手を!」

「あなたの100円で沢山の日本人の命が救えます」

「日本には教育が必要です!」

 こんなのを持っている外国人の若者を海外で見たとき、

 自分はどんな気持ちがするかな?って思ったら、きっと良い気分にはならないだろうな。

 っておもいました。

 だからアフリカ出身の人になぜアフリカに行きたいんだ?

 って聞かれたら今は

「自分の経験の為です、僕が彼らを助けることなんてできないことはわかってる、

 ただ僕はアフリカに行って彼らと一緒に遊びたいだけなんです」

 って胸を張って言うようにしています。
 
 そうすると相手も納得してくれます。

 間違っても

 「彼らを助けたいのです」

って言ってはいけない気がしてます。

 それが4年前と今とで僕の中で変わったことだと思います。

それぞれの人がいろいろな思いでボランティアだったり、

 人助けをするのだと思いますし、その動機は全員が違っていて良いし、

 常に変わっていくものだと思いますが

 2010年の僕は今こんなふうにおもっています。

2010年10月29日金曜日

僕の頭は150ギガくらい


  <写真はブリリングトンという港町です、古い建物が今でも
   残っているなかなか味のある町でした>

 学生時代に勉強する意味は、用は自分が持っているラップトップの中に

どんどんいろいろな情報を入れていくようなものだとおもう。
 
 メールソフトは国語
 
理科はエクセルで作った書類

 算数も書類、音楽はもちろん音楽

 社会もあって、英語もあって、自分のラップトップのメモリーの中にいろいろな情報を

「詰め込んで」行く作業のような気がします。

 メモリーが80ギガの人もいれば、500ギガのひともいて、

IQが高ければ1テラバイト(1000ギガバイト)みたいな人もいると思います。

 そして年齢が重なるごとにウィンドウズもアップデートされていって、

それらの情報はさらに使いやすく自分の頭の中で整理させて、

必要な時に必要な情報が取り出せるようになります。

 そこで重要なのは単に1テラバイトの中に凄く沢山の情報を詰め込んだ

IQの高い人でも、それらの情報を必要な時に取り出す技術が無ければ、

持っている情報は意味がなくなってしまうのだと思います。

「確かこんな情報を持っていたと思うけど、どこのフォルダに入れたかな?」
 
って感じること、パソコン持っている人ならだれでもあると思います。

 だから1テラバイトの情報量よりも300ギガバイトくらいの

使える情報を持っているほうが意味があるのかもしれません。


 でもとりあえず学生というのは自分の持っているメモリーの

容量に入るだけの情報を入れることは大切なのだと思います。

 そしてできるだけ多くアップデートして、

沢山の情報を使いやすく頭の中で整理して、準備しておきます。

 なぜその必要があるの?っていうことになりますが、

その答えは学生が終わって、社会人になりますが、社会人とはすなわち


インターネットだからです。

 仕事を始めるということはプロバイダーと契約して、

インターネットにつなぐことができることだと思います。

 だから社会人になったらわからないことがあればすぐに

グーグルやヤフーで検索すれば良いのです。

もういちいち図書館に行って調べなくても上司や友達に聞くことができます。


そのインターネットとは上司や同僚、お得意さんのことです。

わからない言葉があったら、

自分のメモリーの中の情報からいちいち探すよりもすでに

情報や経験のある人から聞いたほうが早いからです。

いちいちメモリーの中からファイルを探す必要はありません。

 じゃあ学生時代に詰め込んできた情報の意味はあるの?何のために勉強するの?

 ってことになりますが、それはあります、

というのはネットの中の情報は本当のこともありますが、

嘘の情報や正確でない情報が沢山あるからです。

 それが世の中だし、社会なのだと思います。

インターネットの世界は意外と恐ろしいものなのです。

 そういった情報の中からどの情報が自分に必要で、

正確なのかを判断するためには、

今まで自分の中に貯め込んできた自分の

ラップトップの中に入っている情報が頼りになります。


 もしラップトップの中が空っぽで何の情報の蓄積もなくって、

その人がいきなりインターネットをつないだとしたら、

入ってくる情報が自分に必要なのか?正確なのか?わからなくなります。

とりあえず自分の興味のままにクリックし続けた結果が、

タチの悪い詐欺だったり、ウィルスが入ったりすること多いと思います。

 それをキチンと判断するには、

 ラップトップの中に最低でも300ギガバイトくらいの

 情報が入っていることが大切だと思います。


 ちなみに僕の頭のラップトップには150ギガくらいしか入っていませんが、

 その情報はすべて自分の経験の中でものすごく濃く刻み込まれた情報なので、

 とても使える情報だと思っています。時に相当偏っていますが・・・・

逆にいえば1テラバイトも情報量を学生時代に詰め込んだ人でも

 その情報の使い方を全く知らなければ、社会の中では全く使い物になりません。

そういう人は英語の単語も漢字も理科も社会も「情報」として頭に入れただけで、

 それがどういう情報なのか

 「知識」として自分で考えることをしなかった人だと思います。

 そして悲しいことに日本のテストの結果がすべてな学校ではそういう人でも

 「優等生」として扱ってくれます。

学生が終わるまではそれで良いのですが、そのあと社会に出ると困ったりします。
 
 自分の人生を外付けのハードディスクみたいな役割で終わるのならよいですけど、

 人生の醍醐味はやっぱり自分のラップトップでネットにつないで

 社会の一員として世の中をネットサーフィンしながら

 経験して行くことだと僕は思うからです。

 じゃあどうやって判断力を身につけていくの?ってことになりますが、

 それは、受験には関係のない 音楽、美術、体育、読書などから

 身につけること結構あると思います。
 
もちろんそのバックグランドには「国語」がとても必要です。

  国語がきちんとできて「言葉」として自分のハートに

 知識が刻み込まれなければ持っている「知識」はただの「情報」になるからです。

 今僕が中学生に「なんで勉強しないといけないの?」

 「学歴に何の意味があるの」

 って言われたら、こんな風に説明してみようと思っています。

 でもこれはあくまでも一つの側面からみた「勉強」に対する考え方です。

 もう少し深く考えてみようと思いますが、今日のところはすでに僕のラップトップ

 の能力以上考えたので、フリーズしてしまいました。ごめんなさい・・・・

2010年10月27日水曜日

役割



 <写真は今週に古着を集めに行ったスコットランドです。低い空と湿った大地どこまでも続く農園、湿気のせいかすべての色が濃く見えました。ウチ学校から500キロくらいあります。一人で行って、一人でホテル泊まって、一人で古着集めて帰ってきました。考える時間がありすぎて、逆に何も考えなくなってしまいました・・・>

 埼玉のガストで社員として5年間ほど働いていた事がありますが、

 そのころに面白い疑問がありました。

 ウチのガストの隣にはとても忙しいガソリンスタンドがあって、

 そこの店長はなかなかの人で、バイトの子達の接客態度もしっかりしていて、

 いつも感心します。

 そして一カ月に一度、その店長のオゴリでバイトの子達がガストに食事に来ます。

 すべてオゴリなのでみんな豪快に頼んで、豪快に食べて、

 ドリンクバー飲んで、タバコ沢山吸って帰ります。

 僕はひたすら彼らのテーブルが汚くならないように、

 食べ終わった食器を片づけて、

 すぐにいっぱいになる灰皿を新しいものに変えて回ります。
 
 テーブルにゴミが散らかって、灰皿があふれると、みんな行儀が悪くなる、

 というのがファミレスの社員として僕が学んだことだったからです。


 でもたまに僕がガソリンを入れに行くと、

 とてもキチンと働いて好感を持てて自分達も接客業しているその子達が、

 すぐ隣のウチのお店でこれほどまでに行儀悪くなれるのかなって、

 不思議に思った頃あります。

 たとえばその日の夕方に僕がガソリンを入れに行くと全く立場が逆になって、

 「ガストの人が来た!」

 って感じでなんとなく気まずくなるからです。

 そういう時って気持ちよく

 「いらっしゃいませ!」
 
 って言いにくいよね。

 そこで感じたことは、

 「日本人って凄くその役割を演じているんだな」

 っていうことでした。

 普段その子達は元気で礼儀正しいガソリンスタンドの店員を演じていて、

 僕はファミレスの社員を演じています。

 だから仕事が終わって演じなくてよい時には本当の自分が出ます。

 仕事中は少し我慢して演じているからです。

 僕自身はそういうときに演じるのが下手くそなきがします。 だから良く

 「お前は要領が悪い!」 って怒られました。

 これは型にはめるという日本の教育のシステムから始まっているのだと思います。


 日本の良いところでもあり、悪いところでもあるきがします。

 役割で自分を殺すこともでるからです。

 そして殺しているうちに身に着くことも多くあると思います。

 
 忍耐強いといえば響きは良いし、

 日本人は裏表があるといわれる理由もそこだと思います。
 

 僕も無意識の自分の行動のなかからそういう面を感じることあります。


 これはイギリスだけでは無くて、海外に行くと思うことですが、

 どんなサービス業の人でも、決して自分を演じていなくて、

 ありのままの自分でいるな。って思います。

 日本でよくあるマニュアル先行ではないのです。

 だから時にサービス業の店員の態度が悪いと腹を立てることがあります。


 外国の店員さんはあくまでも店員を演じているのではなくて、

「自分らしく居ること」

 が優先されているからだと思います。

 だから横で外国人同士がお客さんと店員さんとして対等に世間話をしているのを見ると、

 この人達前から友達だったのかな? って思うことあります。

日本には「お客様は神様です」

っていう言葉があるくらいだものね。

 でも隣同士のガソリンスタンドとファミレスで、

 昼間はガソリンスタンドの店員さんが神様で、

 夕方僕がガソリンを入れに行ったときは僕が神様になる! 

 って何か疲れるよね。どことなく滑稽だよね。

 常にどちらの立場の時でもお互いに尊重して生きていたいよね。
 
 なんで常に自分であってはいけないのかな?

 自分らしく接客することがなぜ認められないのかな?

 レベルの低い人達が居るから、マニュアル作って押しつけたほうが簡単だ。

 という意見もあるかもしれないけど、

 逆に言ったらマニュアル以上の接客のできる人を白けさすし、

 接客されるほうもどこまでがマニュアルの笑顔で、

 どこからがその人の本心の笑顔かわからないと人間として接しにくいよね?

 日本は常に型にはまってるよね。
 

 30代の男は結婚しているべき!

 お年寄りは大らかであるべき!

 子供は無邪気であるべき!

 運動してる人はさわやかであるべき!

 長距離トラックの運転手はやしろあきを聞くべき!

 テレビ局のプロディーサーは石田純一であるべき!

 東大卒はプライド高くあるべき!

 課長は細くて神経質そうであるべき!

 部長は、小太りであるべき!

 新入社員の女の子は賢くてはいけないべき?
 (馬鹿を演じなくてはいけないってことです)

 30前の女子はたとえ結婚したくなくっても結婚を焦っているふりをするべき!

 お笑い芸人は自虐的であるべき。

 っていうなんとなく型にはまっていることを社会も要求するし、

 その肩にはまっているほうが何かと人生が生きやすくなるような

 仕組みができていると思います。

 
 おそらく企業がそれぞれの世代の多数派の人に向けて物を売りだしたり、

 宣伝広告出しているから、無意識のうちのそれに乗っかって、

 お金さえ払っていれば日本人の考える

 理想の日本人像」

 みたいなのに近づいていって、周りも本人も安心できるからかもしれません。

 そういうの外国ではあまり感じないです。

 僕が36歳っていうと、急に敬語になってよそよそしくなるわけでもなく、

 (英語に敬語無いしね)

 普通に20歳の人も今までとおなじように接してくれるし、

 年長だからという理由で、何かみんなから尊敬を受けた記憶もありません。

 ある意味36歳を演じる必要が無いので、気持ちは楽です。

 自分らしく入れます。

 でもそうやって自分らしく居ることは日本人には難しいのかもね。

自分ってどういう人なの?

ってあまり意識しないで生きているからだと思います。

 別に日本が悪いとは思ってないのだけど、そういうことをたまに

意識して生活してみるとまた面白いかな?って思います。
 

 

2010年10月25日月曜日

職業差別



 <写真は古着のコンテナを作っているイタリア人のトニーニョです。このコンテナ
  がコンビニとかパブとかスーパー、学校なんかに置いてあって、僕は車で回って
  中に入っている古着を集めます>


イギリス人で働いていて感じることだけど、職業差別が無いな。

って思います。

 常に人と人は対等で平等なんだ! っていう風に感じることがおおいです。

 募金活動していても

「私もボランティアしたいけど、忙しくてできないから、あなたに託します、

でもボランティアしてくれてありがとう」

 って言ってもらったことあるし。

 古着集めのコンテナを置く場所をお店に一軒一軒聞いて回ってもいても、
 
 「ウチはおけないけど、よい仕事だね、頑張ってね」

 って本心で言ってくれるし。

  先週も朝からドライブして、古着集めのコンテナを回っていたら、

 スーパーの清掃のオジサンがやってきて、

 「若い奴らがコンテナの周りにごみを捨てて汚れてしまってるけど、大丈夫かい?」
 
 って声かけてくれるし。

 その人もすでに60歳くらいの年だったと思うけど、

 杖みたいな先にごみを挟める棒みたいなのを持っていて、

 朝の7時くらいから一生懸命ごみを拾っていました。

 そしてみんなとても自分の仕事に誇りをもっているというか、

 僕がリサイクリングのコンテナを開けて、

 中に入っている誰かが入れたゴミと古着を少し

 ふてくされながら分別している時でも、凄く自然に。

 「おはよう、頑張ってるね、チャリティー活動してくれてありがとう!」

って声かけてくれいます。

 こんなところで汚い恰好して、ゴミと古着を分けてるアジア人になんで
 
こんなに親切なの?っておもいますが、

 僕の出会うイギリス人はそういう職業差別みたいなのは全くないみたいでうす。

 逆にいえば、40代50代くらいのキチンとした紳士が短パンにブーツはいて、

 郵便を配っていたりします。

 田舎の農家のオジサン達も夕方にはキチンと襟付きのシャツに着かえて、

 パブでビールを飲んでいます。

 決して作業着のままではパブにはいきません。

 そしてみんな凄く自分の仕事に誇りを持っているとともに、

 他人の仕事にも敬意を払います。


 一日中古着集めのコンテナから古着を回収して、疲れ切っていて、

 日差しが強くて夕方で外の気温は急に下がってきたのに、

 車の中は熱くてのどが渇いたな、と感じていた4時半頃。

 小学校の中のリサイクルセンターから古着を取り出して、

 次のコンテナの郵便番号をナビに打ち込んでいた時。

 子供がみんな帰った後の小学校で購買部の棚卸をしていた

 50代くらいのオジサンが、

 疲れて眉間にシワを寄せながらナビをにらんでいる僕のところに寄ってきて。

 「御苦労さま、よかったらこれ飲んで!」

 っていって紙パックのオレンジジュース2パックを

 大きな手のひらで僕に差し出してくれたとき、

「なんで僕がのど渇いてるってわかったんだろう?

 そしてなんでこんなところで作業着を着て古着集めてる

 アジア人にこんなにやさしくできるんだろう?」
 
 って嬉しさとともに疑問が沸きました。

日本では感じたことの少ない感覚だったからです。

 おそらくみんなが自分の仕事にプライドを持っているから、

 他人の仕事もけなさないのだと思います。
 
 そういう人間同士の平等っていうか、

 仕事や立場によって人の見方を変えないで、

 あくまでも個人と個人として人と接するところ、イギリス人は素晴らしいと思います。

 僕が日本で古着を回収している外国人を見た時に、

 そういう行動できるかな?って思ったら、なかなかできないと思います。

 イギリス人は合理的なのだと思います。

 決して人情とか憐みで親切にしているのではないんだよね。

 「なんで仕事で人を判断するの?」

 ってイギリス人は逆に疑問に思うのだろうね。

 自分にはそういう気持ちは少ないって思っていたけど、

 こちらに来てイギリス人と接していると、

 自分は無意識のうちに職業差別していたな、と感じました。

 そこは見習うべきところだと思います。

2010年10月22日金曜日

ガス欠


その日も朝からドライブしていました。

約250キロの旅ですが、朝にもらったガソリン代の5000円では足りそうもありません。

 選択肢は二つ、すべてのコンテナを回らずにガソリンの範囲ないで回るか、

自腹でガソリンを入れて、領収証であとから清算するか?

 そんなことを夕方の4時くらいから考えてきて、気がついたらすでに6時、

ついにガソリン切れのランプが赤く点灯しました。

 外は真っ暗、でもなんとか最後のコンテナの古着も回収、

なんとなく気持ちも楽になって、ナビを

「家に帰る!」

に選択して、あとはひたすらドライブするだけ、

でもこのまま高速に乗ってしまったらガス欠で止まる可能性もあるな、

なんとか高速に乗る前にガソリンを入れたい。

 って思っていたら、田舎だからなんと6時でガソリンスタンドが閉まっていました。

 やばい、もっと早めに決断して自腹でガソリン入れておくべきだった。

 って後悔しながら、暗い車内で赤く光る

エンプティー(空っぽ)ランプがやたらと気になります。

 高速までにガソリンスタンド無かったらやばいな・・・

 って冷や汗かきながら信号待ち。、田舎町で一車線なのに、

近くにある大型スーパーとイギリスでは意外と許されている

路上駐車のせいで道は少しだけ渋滞していました。

 こんなところでガス欠したらブーイングだろうな・・・

 って思いながら、疲れた頭と体で信号をまってました。

 青になったのに前の車が出発しないのは変だな?って思いながら

 イギリスはクラクション鳴らさないのが普通だし。

別にこっちも仕事が終わって帰るだけだから別に急いでないし、

ただ後続の車に悪いな、って思いながら、まっていました。

 もう一度信号が青になって、今度は明らかに出発してもらわないと困る感じ。

 でも前に止まっている軽自動車はなかなか出発しません。

 右折車に道譲ってるのかな?それとも友達を歩道に見つけて話してるのかな? 

って思ったら中から50歳くらいの女性が降りてきて

 「ガソリンが切れてしまったみたいで、押していただけませんか?」

 そんなこと人生で頼まれたこと無かったし、一瞬びっくりしたけど

 自分もガス欠寸前だったし、その気持ちよくわかるよ! ってことで

 なんかすごくエネルギーが沸いてきて。あわてて飛び降りて、軽自動車を押しました。

 なかなか動かないな?って思っていたら中学生くらいの男の子が
 
 全力疾走で走ってきて、隣で一緒に押してくれました。

 
 ふたりで10メートルくらい横の歩道に乗り上げるまで押して。

 そこでストップ。

  「ありがとう!」

 って言われてたから。
 
 「問題ないよ!」


 っていって自分の車に戻って後続の車にごめんね!

 って窓から挨拶して、出発しました。

  結局僕の車のガソリンは高速のひとつめのスタンドまでもったので、

 無事に帰ることができました。

  でもあの時に僕の力の入りようは普通では無かったと思います。

何か自分の車がガスケツして押すリハーサルしてるようなでも

半分はなぜかとても楽しい気分でした。こんなことあるんだなー

人助けして自分の気持ちも助けられることってあるよなー!

 って帰りの運転中に一人でニヤニヤといつまでもい笑ってしまいました。

2010年10月21日木曜日

忍耐力の続き③


 <写真は18歳予備校時代に大阪の淀川の河川敷のフットボールチームに参加していたころのものです。 一緒に写っているのは高校時代からの親友、ウッキーです、彼も僕の人生に大きく影響を与えた一人です、彼についてはまたいつか書きますね> 

ごめんなさい、忍耐力もうひとつ書きました。

 もし①と②を読んでいない方がいたら、順番が逆になっています。


ここまで書いてまたもう一つ深く考えると、

 なぜ高校三年間フットボールを続けられたのか? 

 ということになりますが。その理由の一つは劣等感からだと思います。

 専門学校を視野に入れながらやっと入った普通科高校でしたが、

 高校に入ったからと言って勉強ができるようになるわけでもなく、

 何か部活に入らないといけないと思って入ったアメフト部でしたが、

弱小チームで、公式戦も年に一度だけ一回戦で敗退するために出場するようなものでした。 

そのくせ練習だけはやたらときつくて、先輩にはいつもしごかれて、

 後輩にはなめられて、肩身の狭い3年間でしたが、なぜ続いたかというと、

「自分は勉強はできないから、

 もしアメフト部を辞めてしまったら学校に来る理由がなくなってしまう。

 子供のころから唯一好きだったスポーツまで辞めてしまったら、

 生きてる意味が本当に無くなる」

って思っていたからだと思います。

 もちろん、もう一つの理由は先輩と顧問の先生が怖くて辞めると

 言えなかったというのもあります。

 
 まあ理由はともあれ、一つのことに打ち込んだ高校三年間でしたが、

 3年間、嫌々続けてみると、それはそれなりに何か心に訴えるものがあり、

 大学に行ってやってみたい!

  って思うようになりました。

 たまたま大学に行った先輩が練習を見に来てくれて、

「ウチの大学は推薦なら、論文とフットボールだけで受験できるよ」

っていわれて、勉強しなくて大学に行けるんだ! 

 っていう甘い考えから始まったものでした。
 
 
 結局は現役で8校受けてすべて不合格、順調に予備校に入学しました。

 勉強嫌いな僕が予備校で自分に誓ったことはただ一つ。

「この受験勉強は勉強では無いんだ、

 大学でフットボールをするための入団試験の為のものなんだ、

 だからこれは勉強ではなくて、フットボールの一つなんだ、

 ウエイトしたり、練習したり、長距離はしったりして

 体を鍛えてフットボールが上手くなるための一つの手段なんだ

 だから受験勉強もフットボールの一環だと思えばよい」

 って自分に言い聞かせました。

 勉強を勉強と思わず、フットボールなんだ、と思えば意外と素直に机にむかえました。

 

 社会人でファミレスのスカイラークに入って、

 ガストの洗い場の油と食べ残しが浮いているシンクの中に初めて

 手を突っ込んだ時も思いました。
 

 「体育大学出てなんでこんな仕事してるんだろう?

 でも我慢できる、これをしてるから安心して実業団で社会人として

 フットボールができるんだ、日本一を目指せるんだ。

 この洗い場もフットボールのうちなんだ」

 
 って思って手を突っ込んだのを今でも覚えています。

 「日本一になるためなら、なんでもする、それが本当のプライドっていうものだ」

 って思っていました。

 元をただせばすべて自分の劣等感から来たのだと思います。

 みんなと同じレベルになりたい、社会に受け入れてもらいたい。

 チームのみんなと一緒に試合に出たい。さらに上のレベルでフットボールがしたい。

 
 そういう気持ちが僕に高校三年間のアメフト部を続けさしたと思うし、

 社会人生活も続いたのだとおもっています。

 もし勉強ができて、なんの苦労や劣等感もなく高校に入学していたら、

 アメフト部はすぐに辞めていたと思います。

 だから時に劣等感ってときには大切なんだと思います。

 けして持っていて悪いものではない気がしています。

2010年10月20日水曜日

忍耐力 ①


 
 <写真はイギリスのある生協がやっているコンビニの横にあるリサイクリングサイトです。手前からグラスのリサイクリングがあって、靴のリサイクリング、プラスティック。紙、一番奥の青いコンテナが僕たちの服のリサイクリングです。その奥の車が僕が運転している大きなバンです。このリサイクリング場は相当大きな規模です。普通は田舎の小さなパブ、公民館やスポーツセンターの駐車場にポツンとコンテナが置いてあったりします。>
 


ちょっと忙しくしていました。

6か月のプログラムですでに4カ月が経過、すでに残り二カ月を切っています。

 先週の仕事はうちの学校がイギリスのいたるところに置いている

 古着回収のコンテナを、大きなバンで一人で回って中に入っている

 古着を集めてくるという仕事でした。

 

 だいたい朝の6時からスタートして、夜の7時くらいまでかかります。

 範囲は日本でいう、市とか区くらいの範囲で、

 25件くらいの場所を回って集めてきます。 

 平均のコンテナの距離は10キロほどなので、

 一日に250キロくらい車で走ります。

 
 それを6日間連続で行いました。

 地図は毎日違います。
 
 今日は新宿区、明日は世田谷区、明後日は町田市みたいな感じです。


 一週間続けていて思ったのは、自分には忍耐力がついたな。ということでした。

 若いころはつまらない仕事を続けることはとても

 苦痛だったしストレスがたまりました。

 自分の中で

「もっと効率の良い勉強の仕方があるのではないか?」

「もっと自分にあった会社に転職するべきではないか?」

「自分の居場所はここでは無いのではないか?」

 
 などと常に不安で、根気が無いというか、忍耐が無いというか、

 努力を継続することが難しかったと思います。

 なぜ最近はそれができるのかな?って考えると、一つは単に年をとったから、

 もう一つは過去に何度かだけだけど、味わうことのできた成功体験からだと思います。

 
 たとえば受験勉強。

僕は一浪したけど、浪人は、どれだけ勉強しても大学に受からなかったら

 全く意味がない一年間です。

 高校三年生までは、一応卒業という目標があるから頑張って

 中間、期末テスト受けてたけど、

 予備校って大学に受からなければどれだけ頑張っても

 全く意味のない一年になってしまう。だからこそ絶対に合格しなければならない。

 
 でもその一年間は何の充実感もなく、何の達成感もなく、

 毎日がどんよりと憂鬱に進むだけでした。予備校に一年間通ったからって、

 それが学歴として履歴書に書けるわけでもなく、ただ暗い一年間。

 でも奇跡的に浪人で8校受けた大学のうちの一校だけが受かって、

 なぜかこんな僕でも大学で勉強することができました。

 ほとんど運だったと思うし、数撃ったから当たったたけだと思うけど、

 僕にとっては数少ない成功体験であったと思います。

 もう一つはフットボール、
高校三年間は弱小チーム。推薦ではどこの大学にも相手にされず、

 親に頼んで予備校通いが始まりました。

奇跡的に受かった大学でも4年間二軍。

 だから社会人も一部リーグの中で中の下だったチームに入れてもらいました。

 社会人一年目はシーズン前に肩の脱臼

  二年目もシーズン前に前十字靭帯、内側靭帯、半月板損傷という

 フットボール選手としては一番最悪な怪我、通称

 (アンラッキートライアングル) を経験。リハビリの日々が続きました。

 この時点でフットボールを始めてから25歳まで一度も公式戦に

 キチンと出たことのない選手でした。

 26歳の秋に初めて社会人リーグデビュー、

 三試合目で昨年とは逆の膝の内側靭帯が伸びて、

 半月板も割れて、またシーズン途中でアウト。
 
チームの成績も悪くプレイオフには行けませんでした。

 その年のシーズンオフに受けたプレーオフを狙えるチームの入団テストも不合格。

 当たり前だよね、何の結果も出してないんだから。

 このままでは何も得ないままに無駄に大切な時間を使っているような

 気がして焦っていました。

でもその後に何故か幸運が重なって、

 自分が思っていた目標よりもさらに高いレベルでフットボールをできて、

 引退する頃には満足というよりも

 「よくこんなに幸運が続いたな」と不思議な気持ちで引退しました。
 
 僕がただ一つ続けていたことは単に、

 毎日の辛くて厳しい練習と社会人生活を周りのみんなに

 愚痴を聞いてもらいながら我慢して続けていただけ。

 その結果が自分でも信じられないくらいに良いものになった気がします。
 
 

 そのあとの協力隊。バヌアツでの2年間は楽しくもあり、

 辛くもあった2年間でした、。今ブログを読みなおせば、

 とても充実した2年間だったと思いますが。

 2年間の一日、一日をたどっていけば、朝起きるのが辛い日々も沢山ありました。

 自分はこんな地球の果てまで来て一人で何やってるのだろう?

 って思っていた時期もありました。

 何も貢献できなくて、税金の無駄使い、申し訳ないと思っていた僕にバヌアツ人が

「お前が2年間バヌアツに居てくれたことが最も大切なことだった」

「仕事や体育なんてどうでもよい、お前の存在が大切だったんだよ」

 ってお世辞でも言ってもらって、そういうものなのかなー?

ってなんとなく帰りの飛行機のなかで感じたプライドみたいなもの。

あの経験もある意味の成功体験だったのかも知れません。

 そんな過去の「成功体験」って言ってよいのかどうかわからないけど、

 「石の上にも三年」っていうか、

 単に続けていた事が小さくても何かしらの結果に繋がったという体験が、

 自分に忍耐力をつけさせたのかな?
 
 と思いながら、一週間毎日12時間以上ドライブしていました。

 疲れて不機嫌なこともあったけど、でも辞めたいとは思いませんでした。

 それは頑張っていれば何かしらの経験や成功が得られるという

 気持ちが心の奥にあるからだと思います。

  
 

忍耐力②


  
 (写真はヨークというイギリスの田舎町です、畑の先にある町に置いてあるコンテナをナビで探しながら走り続けます。それが先週の僕の仕事、単純な仕事かもしれないけど、一人で考える時間が沢山あって、学ぶことは多くありました)

もう一つ考えられるのは目標がしっかりしていることかもしれません。

 たとえば週に6日間、毎日12時間の一人でのドライブが、何の目標もなしに、

家族の為でもなく、永遠に自分の人生の中で続いて行くと思ったら、

やっぱり何かしらの不安や迷いがドライブ中に出来てくると思います。

仕事の順調な時は良いけど、たとえば、ナビが壊れてなかなか目標地点につけないとか、

雨が降ってきて思うように仕事がはかどらないとか、

車のパンク、交通渋滞など、運転していれば当たり前に起こることだけど、

それは自分の責任ではないって思えてしまうこと。

 そういうストレスや不満や迷いが、スピードの出しすぎとか、

仕事のいい加減さ、なげやりさなどに繋がって、周りからも信頼されなくなり、

ますます自分をダメにする気がします。

 
 それを防ぐのはキチンとした目標があることが大切だと思います。

それに向かって順調に進んでいると思えれば、

多少のトラブルでも我慢できるものだと思います。

 
僕のプログラムの残り二カ月ですが、

自分がアフリカに行くための予算約45万円の内すでに30万は古着集めや

サイトファインディングという、古着集めのコンテナを置いてもらう為の営業活動。

または街頭での募金活動などで集めました。

残り2カ月での15万は頑張ればなんとかなりそうです。

今はラストスパートの時期です。

 それにプラスしてアンゴラに行くので、

そのためのビザの申請、ポルトガル語の勉強などもありますが、

それも困難ながらもできることから潰していくのが

結局は一番の近道だと納得できています。

 キチンと地に足がついているからこそ、

辛い仕事も頑張れるのだと自分では思っています。

 10年前には全く気がつかなかったことだと思います。

 周りで支えてくれた方々には本当に感謝しています。


 長距離恋愛も3カ月とか1年とか目標がしっかりとしていれば続くと思いますが、

 ただ漠然と長距離恋愛というのでは難しいのと同じだと思います。

 やっぱり人生には3カ月、1年、3年、10年後とキッチリとした

 ビジョンがあるからこそ、「今日この1日何をすべきか」

 の目標ができるものだと思います。

 「ウラサン気がつくの遅いよ!」

 って言われるかもしれませんが。いろんなところで遠回りをしてきた

 僕が、1週間ドライブしてきたなんとなく考えた結果はこんな感じでした。・・・・

2010年10月8日金曜日

Kill your speed not a child!




 前から気になってたんだけど、この看板はイギリスらしくて面白いよね。
 
 「殺すのはスピード、子供じゃないよ!」

 って感じなのかな?

  バルスティックっていう街の入り口にあります。
 
  役所が作ったのではなくて、町の人が作ったのだと思うけど 

  今日やっと写真撮れたので紹介します。

2010年10月7日木曜日

西洋文化村


 (写真はデンマークです、このカラフルなウィン・ミールという
 風力発電機の特許を持っていて、デンマークの重要な収入源になっているそうです) 

「西洋文化村」(先進国村)というのがあるとします。
その村は1000年くらい前から存在しています。

 日本がその村に引っ越してきたのは100年くらい前の話で、

まだまだ新参者です、現在の自治会長はアメリカ家、

この家族もほんの2,3百年前に引っ越してきたばっかりの、

新参者には変わりありませんが、とりあえず村を形成するほかの家の人達は、

持ち回りで一度は自治会長やったことがあるし、そのときに結構いやなおもいもしたし、

だから自分がもう一度自治会長をやらされるくらいなら、

とりあえず新参者のアメリカ家にやらしておいて、

嫌なときは協力しなければ良いし、自分に得のありそうなときは協力すればよい。

 という感じです。

 何といっても西洋文化むらの歴史はすでに1000年を超えており、

過去に村の中では色々な衝突があり、みんな表面的には仲良くしてますが、

腹の中では

 「イタリア家には40前になってもまだ結婚できていないいい加減な息子がいる、

古くから村に住んでいるから文句は言えないけど、

あの息子はきちんと仕事をして自治会費をいれるべきだ、

青年団の団長の仕事もきちんとやるべきだ!」



「ポルトガル家は300年前にボヤをだして、近所に迷惑をかけた、

現在は生活保護をうけている、最近は大人しいが、昔はヤンチャでこまった家だった」

 
「デンマーク家は昔はノルウェー家の面倒をよくみていたが、

ノルウェー家が油田という遺産を親からもらって金持ちになったために、

仲が悪くなり、最近はあまりつるんでいない」


「スェーデン家は真面目にコツコツと貯金していたのに、

お金もちだったがために自治会の運営費としてたくさんお金をとられてしまって気の毒だ」 


「フランス家は昔に自治会長をしていて、

そのときはかなり羽振りがよかったが、今は貧乏になってしまった、

でもプライドが高くて何かあると過去の栄光の話ばかりきかされるから、少し面倒だ」


「ドイツ家は酒も飲まず、社交性もなく、クソマジメで協調性が無い、

ゴミの日は守るがゴミの分別に協力的ではない、共働きで金はもっているし、

自治会ひきちんと払ってるからとりあえず今は良し」


「ロシア家は頑固おやじに嫌気がさして、

三人の子供はまったく家によりつかず、すきかってな生活をしている、

息子達は青年団のミーティングにも参加していない。文句を言いたいけど、

あの言えは貧乏で何かとお金を借りたがる。だから今はあまりつるまないほうが良い」


 「イギリス家も昔に自治会長をしていた、今はむらのご意見番だけど、

家が少しだけ村から離れているから、なんとなく村のことを冷めた目で見ている」


「スペイン家は金もなく、仕事も無く、ゴミ日の日も守らない、

酒ばっかり飲んでパーティばかりしている、ほっておくしかない」


「ギリシャ家は破産してしまった」


 もちろん西洋文化村は歴史、知識、経験など幅広く持っていますが、


それぞれの家は自分の家のことで精いっぱいなのと、

これまでも村の歴史で色々な衝突があったために、

お互いに自治会に対してはあまり積極的ではありません。


 その村につい最近に引っ越してきた日本家は村の状況があまり分からず、

ついつい自治会長のアメリカ家に頼っています。

 西洋文化村の人達も少し自分達とは違うこの家の人達に興味はありますが、

過去の村での嫌な思いでが邪魔してなかなか友達になるきっかけがつかめません。

 日本家の評価は

「新しく引っ越してきた日本家はとりあえず金は持っている、

車も高級車だ、子供たちは私学の学費の高い学校に通わせている。

ゴミの日はきちんと守っている、何の主張もしないから害はないけど、

週末などの自由な時間はいつもアメリカ家と一緒に行動しているので、

なかなか友達になりずらい、夕食に誘ってよいのかどうかもわからないし、

村人と友達になりたいのかどうかもわからない、

とりあえず自治会費の払いはとても良いし、

害はないからいてもらっても良いけど、よく理解できないく家だ」

 というかんじだと思います。

 日本家のすべきことはとりあえず英語だけでも上手に話せるようになれば、

歴史、文化、人柄はほかの国とはまったくおとっていないので、

みんなに愛され尊敬されると思います。 

もしくは英語話すの辞めて、頑固に日本語だけでとうしてもそれはそれでまた、

神秘の国として喜ばれると思うけど、それでは楽しくないし友達できないから、

やっぱり言葉は大事だと思います。 せっかく良い文化持ってるしね。

 自分達の気持ちをすなおに表現できれば友達もたくさんできるし

日本人は世界基準からみてもみんな良い人だと思います。

 

2010年10月5日火曜日

デミタス



 (写真はデミタス、普段は少し怖そうなヤンキーメガネをかけていて、
  少し接しにくい感じでしたが、少年のようなとても良い人でした)


 「私はエド・ピリオド(江戸時代)と宮本武蔵をこよなく愛します」

 僕が日本人だと知って、開口一番この言葉を話しだしたその男の名は

      デミタス

 デンマークでのオリンピックのボランティアとしてノルウェーの

 学校からやってきた、ラトビアの男です。

 
 彼は50名近くのボランティアが初めて集まってみんなが緊張気味

にミーティングを始めた矢先に、入り口の扉の横にあった大きなガラスの壁

が目に入らなくって、そこから外に出ようとして、ガラスに衝突、

 大きな音にみんなが驚いて振り返った時にはすでにガラスは粉々

彼は何が起こったのかわからなかったみたいで呆然と立っていましたが、

 その後にゆっくりと尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れてしまいました。

 多少の出血とともに病院に送られた彼は2時間ほどして戻ってきましたが、

 縫うほどの傷は無かったみたいでした。

 病院で顔に貼ってもらったバンドエイドがどういうわけか

 真っ白なバンドエイドだったので、

なんとなくフランケンシュタインみたいに見えたけど、

 初日ということもあり、みんな遠慮して彼にそのことは忠告しませんでした。

 
 その彼も典型的な外国の「オタク」でした

 
 僕に向かって永遠と徳川家康について語り続ける彼のところに

 他のノルウェーチームのボランティアが寄ってきて

 「ウラ、面倒だろうから気を使わずに 黙れデミタス! って言って
 
    良いよ、デミタスは話し出すと止まらないからね」

 って忠告してくれるほどでした。

 
 「エド・ピリオドは200年以上だ、

 もちろんノブナガやヒデヨシも素晴らしい、

 しかし200年以上続く都を組織したイエヤスは別格だ

  あの時代の日本文化の発達は素晴らしい」

  僕

 「鎖国してたし戦争無かったからみんな暇でそうとう煮詰まってるからね!」

 ってぼくは言いたかったけど、

 「煮詰まる」って英語ないよね? 深いっていう ディープで良いのかな?

 僕が適当に答えてるとデミタスはそんなことは全く無視して話し続けました。

 オタクの人ってそういうところこちらが気を遣わなくて良いから楽です。

 とても嬉しそうに話すので、こちらもとても嬉しくなります。

 バヌアツにいたころ感じたのは、

 バヌアツ人はジャッキー・チェンとかブルー・スリーとかのアクション

 映画は良く見るけど、人の内面とか、悲しさ、人情、歴史などについての

 映画はあまり見ていないこと。

 もともとは中国人がバヌアツで売れそうなDVDを

 輸入してくるからかもしれないけど、

 バヌアツでは日本文化について知ってるひとは少なかったです。

 それに比べてデミタスなんかのヨーロッパの北のほうの

 人達は人の内面について描かれた映画とか本をよく読んでいます。

  デンマークで知ったけど、 

 「醜いアヒルの子」 「マッチ売りの少女」

 などはデンマークの童話だそうです。

 どちらもヒーローものとは全く逆な話だと思います。

 こないだ読んだ記事ではフランダースの犬は

 最後に主人公が教会で死んでしまうという悲しい話なので、

 アメリカではうけない、しかし日本では原作のままでもとても共感を呼んでいる。

 という話でしたが、そういう面でも日本とヨーロッパ似てるのだと思います。

  国の歴史が長くなると人間の考えってどんどんと深くなって、

 悲しいほうに流れていくのかな? って思いました。

 「楽しくて愉快なだけでは人生はつまらない、

 悲しさや虚しさというスパイスが効いてこそ人生はより豊かになるのだ!」


 ってみんな気がつくのかもしれないですね。


 ごめんねデミタス、君の話だったのに少しずれたね。 

 次会う時までに僕もヨーロッパの歴史について学んでおきます。

2010年10月4日月曜日

ヒッチハイク


 人生の中で募金活動をしたことがある人が何人いるだろうか?

 って募金活動のときのブログに書いたと思います。その続きです。

「人生のなかでヒッチハイクをしたことがある人が何人いるだろうか?」

うちの学校から一番近いハル駅の間にヘドンという街があります。

 「トラディショナル・マーケット・プレース」

っていうスロウガンなんだけど、うちは田舎なので、それほど道のチョイスがなくって、

駅に行く車はみんなヘドンを通過します。

 しかもバスは45分に一回くらいしかなくって、

バス停の前で長時間待つのも嫌だし、たまに時間より早く来るので、

定時に待っていても次のバスまで一時間近く待たなければならないこともあります。

 
今週は募金活動の週なので、ヘドンに行ってみよう!

と思いついて、なんとなくヒッチハイクしてみようかな?

って思いました。

 僕の勝手な推測だとヒッチハイクは乗せるほうも、

乗るほうも恥ずかしいものだと思いました。

 だから頼む側は最初からものすごく無防備で飛び込んで

 行かないと乗せる側も気を使うだろう。

 ということで、キチンと紙に 「ヘドン」 って大きく書きました、。

ヒッチハイクに成功すれば、

ヘドンまでのバス代約300円を募金してもらった計算になります。

 朝一で300円の募金は相当大きいので、

何とか成功したいと思いながら前の晩に「ヘドン」と書いた紙をを用意しました。

 バス停までは歩いて20分、そこからバスでヘドンまで30分です。

 とりあえずメイン通りのバス停20分間歩いて行って、

 そこでヒッチハイクを始めよう。と考えていました。

 それだともし勇気が無くってヒッチハイク出来なくってもバスに乗れるからです。

 自分の中ではまだ自分がヒッチハイクする勇気があるかどうかわからなかったからです。

とりあえず募金活動用に使うボードに「ヘドン」の紙を張り付けて、

バス停まで歩くことにしました。

バス停までの20分で心の準備をしようと考えていたからです。

 途中の家の前に人がいたので、気持ちを切り替えるために

「グッドモーニング!」

って笑顔で挨拶してみたりもしました。

 そうやって少しずつフレンドリーな自分をバス停に着く

20分間の間に作らなくてはいけない。という気持ちがあったからです。
 
でもそういうことするとさらに緊張して、300円のバス代なら払っても良いかな?

っていう弱気な気分もでてきます。
 
バス停がドンドンと近づいてきて、

自分の中での葛藤と緊張が胸の高鳴りが大分大きくなってきたころ。
 
後ろから少しゆっくり走っている車の音を感じました。
 
うちの学校の車ではないし、道を聞かれても道も英語もわからないから、

気まずいのにな・・・

 っておもってたら、その車の人が

「さっき挨拶したよね、その時にヘドンの看板見たんだけど、乗ってく?」

 って言ってくれました。

 逆ナンパならぬ、逆ヒッチハイクみたいでした。

 あまりにも突然の提案と緊張で

「今日はバス停でヒッチハイクするつもりだから結構です」

 っていいそうになったけど、あわてて自分がすでにヒッチハイクに

 成功していることに気がつきました。

 気がついたら40代くらいのその夫婦の車に乗っていました。

ヘドンの親戚の家に奥さんの車があるから、そこまでとりに行くということでした。

 ということで僕のヒッチハイク初日は

こちらの意思とは関係なくあっさりと大成功して、

9時に着くはずだったヘドンに8時に着いてしまいました。

 「なんでこんな朝早くから、募金活動のマガジン売ってるの?」

 ヘドンの人達に思われてるみたいだったけど、

朝一番のうれしい出来事のおかげで、その日はいつも以上に募金活動も楽しくて、

 お昼までには目標の5000円を達成。

 「グッドモーニングとハブ ア ナイスデイ」


の言いすぎで、午後には耳がおかしく感じたので、早めに終わりました。

 
 その後も調子に乗って何度がヘドンまでヒッチハイクしましたが。

 常に3分以内で誰かがとまってくれるようになりました。

 止まってくれるのは老夫婦が多い気がします。
 
 僕の看板を見て、運転している旦那さんが隣に座っている奥さんに

 「乗っけてあげようか?」

 って尋ねる姿が見えたらそれはほぼ80%止まってくれるサインです。

 あとは満面の笑みで車に飛び乗って、キチンとシートベルトを締めてから

 「日本から来ました」 って自己紹介すれば、そのあとは相手の人が

 話し続けてくれます。 みんなお話好きだからね。

 うちの学校が田舎にあるからかもしれませんが、

本当にイギリス人は真面目でやさしいと思います。

 



 

2010年10月2日土曜日

ハリネズミ


 前から学校に居るとは聞いていたんだけど、

 先日学校の敷地の中にあるジムに行こうとおもって、スポーツウエアに

着替えてブラブラと歩いていたら、茶色くて丸いものがゆっくりと動いていました。

 「遅いな!」

 っておもって軽ーく足で突っつくと、それを待っていたかのようにゆっくりと

 丸くなりました。丸くなるの好きなんじゃん!って思いました。

  カメラをとってくる間に逃げないかな?っておもって、あわててカメラをとって

 戻ってきたけど、まだ同じ姿勢で丸まっていました。

 「意外と頑固だな、ちょっと開いてくれないと写真とりにくいのにな?」

 って思ってたら、ハンガリー人のドラが来たので、二人で一緒に観察しました。

  でも全く動く気配がないので、とりあえず僕はウエイトをしに行って、ジムの

窓から動き始めるのをチェックしていました。

 10分たっても動きださなかったので、

 「相当用心深い奴だな!」

 って思ってたんだけど、その後に雨がパラパラと降り出したとたん、急にムクッと

 起き上がって、茂みの中に戻って行きました。

 「なんだ、雨が降りだすとすぐに動き出すんだ!」

 っておもって少し拍子抜けしたけど、まあ憎めない感じで可愛かったです。

  でっかい尻尾のリスとか兎も沢山います。 ツバメは一時期沢山いたけど、

  最近はあまり見なくなりました。

  そろそろイギリスは秋になってきました。寒い季節です、すでに石炭で焚くストーブ
 
 を使いだしています。