2010年8月27日金曜日

すいません、二週間ほど 更新しません。


 
  <写真はおそらく31年前です、自分が36歳でこんな風になってる
   とは、この瞬間は想像することすらしませんでした。31年後を想像
   すると、67歳です、孫がいるのか、天国にいるのかはわからないけど、
     地獄にいるのは嫌だなっておもいます>

明日の27日から9月の8日くらいまで、約二週間ほど

 デンマークにある学校にいって、体育大会の運営をします。

 よくわからないけど、別に僕が運営するわけではまったくなくて、
 
 お手伝いに行きます。 パソコンはイギリスにおいていくので、
 
ブログの更新ありません。

 サボってるわけでも、病気なわけでもないのでよろしくです。

   

日本文化の不思議




 <写真はジェムソンとその弟、男7人兄弟だったと思いますが、ちょうどその真ん中がジェムソンでした。いつもお店の店番をさせられていて、まだ子供なのでカウンターにの後ろに背の高い椅子をよういして、足をブラブラさせながら店番をしていました。学校で会う時は僕の生徒だけど、お店で会うときは一人の大人みたいに見えて、なんとなく尊敬してしまいます。7人兄弟で唯一暗算ができるのも彼でした。バヌアツ、タンナ島、イサンゲルで今日も店番をしていると思います>

 ちなみにイサンゲルはグーグルマップで見ることができます>

ジャイカの研修で

「異文化理解」

という講座を受けたことがあった、

イギリス人の女性で日本にすでに10年以上住んでいる女性が講演してくれた。

日本のラジオとか落語など多くのところで活躍している女性だった。

その人が話していた。

 最初に日本に来た時に、

夏になると自動販売機からホットコーヒーがなくなって、

すべてアイスコーヒーになることにとても驚いた。

今はスターバックスとかあって、アイスコーヒーもメジャーだけど、

その時はまだイギリスではコーヒーはホットで飲むものだと決まっていた。

 
私にしてみれば、

日本人は夏になるとたこ焼きやラーメンを

冷蔵庫で冷やして食べているような感覚だった。

 
なるほどね!

 って思いました。



 アメリカ人が日本語を習った時


 こんばんわ、は夜すなわち   「晩」だから コンバンハでしょ

 こんにちは は日中すなわち  「昼」だから コンニチハでしょ

 じゃあ朝だったら コンアサハ のはずじゃない。

   「オハヨウ」  ってなんなの? 



 本多 勝一さんの本にありました。

有色人種のことをカラード ピープル っていうけど、

 有色人種からしたら、自分達がピープルで白人達は 

ブリーチド ピープル 「漂白された人達」 になる、

もちろんそんなことは冗談だけど、

人種差別される側からしたらそんな小さなことでも引っ掛かります。

  っていう話を聞いて、さすが世界にはいろんな問題があるなー!


 って感心してたら、昨年日本の学校で聞いた話

最近日本の学校では「肌色」という言葉は使わないほうが望ましい。

 これから国際化が進んでいって、いろいろな国の人が学校で学ぶ時に先生が

「肌色で塗ってください」

って言ったら、みんなが自分の肌の色で塗ると、芸術的すぎるから。

 たしか「薄ダイダイ色?」っていう名前だったと思います。

その言葉が使われているかどうかは別として、日本人は意識して

ないけど、これからの時代はそういうことって起こるんだな。

 って思いました。

Ⅹメン


Xメン、っていう映画をみたことがあって、そのなかで面白いな?

って感じたことがありました。 4作目くらいだったと思います。

すでに何作も出されてると思うから、

過去のストーリーはわからないのだけど 相当いい加減な僕の解釈だと

人間の中の何人かの人達がスパイダーマンとかスーパーマンみたいに

特殊な能力を持つことになる。

 それは身体的だけではなくて、

超能力みたいな能力ももっていて彼らはミュータントと呼ばれている。

そしてそういう人達がきちんと社会に適応できるように、

 高いモラルと倫理観をもったリーダーみたいな人が、

 学校を作って、ミュータント達を受け入れて、

 その能力を悪いほうに使わないように教育している。

「自分達が持っている特別なパワーを自分で支配できるか、

 それともその特別なパワーに自分が支配されてしまうのか

 それがミュータントとしての大切なところだ。」



 多くのミュータント達は自分達が人間から進化してしまって、

時には親から驚かれたり、

自分で自分の力をコントロールできないことに戸惑いや恐怖を感じているが、

その学校に来ることによって、

同じ悩みを持っているほかのミュータント達にあって、安心する。

でも中には学校に合わなくて悪の世界に進んでしまう人ももいる。

 そんな中で地球では多数派である人間達は

 ミュータントの進化に対する研究を進めていて、

 ついに治療薬を発見する。そして

「ミュータントの皆さん。ついに私達はあなた達に対する治療薬を見つけました。

 これであなた達も普通の人間になれます。」
 
 というようなキャンペーンが始まる。

それが強制だったのか、そうでなかったのかは忘れてしまったが。

 
 ミュータント達はとても戸惑う。

 「これは病気ではない、進化なのだ、だから直す必要はない」

 「人間達は特殊な能力をもった我々を恐れているのだ、

 だから自分達でコントロールできるように治療薬を見つけた、

 でもだまされていはいけない、

 きっと治療に見せかけて我々を管理しようとするだけだ」

 
 という人も出てきます。

または人間の中に好きな人がいて、その人と結ばれたいから、

 進んで治療を受けてミュータントではなくなって、好きな人と結ばれたい

と思っている人もいます。

 Xメンのなかで意見が分かれます。


 多数派(マジョリティー) である人間達は彼らの能力を

 恐れているので、無理にでも治療を受けさせようとします。

 多数派って怖いな、進化ですら自分達でコントロールできないと
 
「治療」という名前を使って管理しようとする。

人間ってそういうものなんだなー! って思いました。

確かにXメンの中にも悪者がいて、人間を困らせています。



そして映画だから一応クライマックスがあって、

 強制的に治療を受けさせようとする一部の人間と、

 悪役のミュータント達、そしてそれを

 止めようとする善役のミュータント達が戦うことになります。

 

 薬を開発してた科学者を悪者のミュータントが捕まえてきて、

 さらしものにします。 科学者は言います。


 「私はあなた達の為に研究を進めたんだ、

  これで治療が可能になった、すべて君たちの為だったんだ」

 悪役のミュータントは言います。


 「お前からみたら、おれたちは治療が必要なくらいにみじめなのか?」


  そういえばそうだな?進化だもん、病気ではないよね、でもそれが


 多数派の人にとって恐怖になるのであれば治療という「善意」の


 言葉を使ってコントロールしようとする。

 

 でもたぶん自分でも同じことするんだろうな?とも感じました。

 だって自分と違うもの、理解できないものって怖いものね。

  結局、映画は善者ミュータントが勝って一安心。


 悪の親玉は治療薬を打たれて人間になってしまいます。

 要は「治療」されてしまいます。

そして人間とミュータントの共存生活は続きます。
 
 映画だからいろんな矛盾はたくさんあるけど、色々と考えさせら

れました。

 「他人の善意ほど人を傷つけるものはない」
 
 っていう言葉を昔に聞いて、意味が分からなかったけど、こういうときに

使うものなのかな?って思いました。

  映画の中ではミュータント達は「進化」してしまって治療させられるし、

 一方アフリカの人たちは「発達していない」という理由で強制的に

 パワーを持っている西洋文明に自分達の文化を「発展」という言葉によって
 
 変えさせされているし、そういうのって難しいなと思いました。

 でも実際に今この時点で命の危険にさらされている人をみたら助けなければ
 
 ならないことも真実だしね。

 答えはないと思います。常に迷うことが大切、

  これがあってる! これから10年はこれでいこう!なんていうことはあっては

 ならないのだと思います。 Xメン なかなか良い映画でした!