2010年12月30日木曜日

管理と自主性②

 それで会社が考えたことは、

「お客は来ない、食材の質はこれ以上は落とせない、

となると手っ取り早く減らせるのは人件費だ」

 どうやって減らすかというと、マニュアルを徹底させて

 「無駄、無理、ムラ」

 をなくすのだ!
 
 「こういうマニュアルっていうかフレーズ作るの会社って好きだよね」

 そしてこういう方にはまったフレーズができてしまうと、恐ろしく

 それに向かって突き進んでしまいます。

 でも面白いことにファミレスのマニュアルはすべてキッチリ守ると、

 仕事は成り立ちません。


 たとえば料理はランチタイム8分、ディナータイム12分で出さなければならない。

 それが会社の目標、だから部長はとても厳しくそれに対して怒ります。

 それが過剰に管理されると今度は従業員が

 「いっぺんにお客さんが入店して、一度に注文すると、8分で出せなくなる、

  部長に怒られて、本部から変な肩書の奴が一週間お店に張り付くことになる、
 
 それを避けるためには、お客さんを一度に案内しないほうが良い」

 ということになり、 空席が沢山あるのに、入り口で待たせたりします。

 お客さんは不思議がります、

 「なんでいつもと違うの? いつも勝手に座らせてくれるじゃん!

 8分で料理出せないのこっちだってわかってるよ、だってランチは忙しいもの」

 みたいなことになります。 

 「こっちもわかってるけど、実は他に理由が・・・・」

 みたいなことになって何のためのサービスかわからなくなります。

 結局は10枚くらいオーダーが一緒に入ると物理的に無理になって、

 料理が出てないのに、勝手に出たことにしてしまいます。

 そしてみんなが思います

 「この意味のない作業が無ければもっと早く料理が出るのにね・・・・」

 部長は、料理が80%以上8分以内に出た! という数字だけをみて

 大喜びして、そういう人が会社の中では評価されます。

 被害者はお客さんです。

  従業員達はどんどんやる気を失います。 白けてしまいます。




 

2010年12月29日水曜日

人を管理することと、自主性を保つことのバランス

管理することと自主性を保つことってとても難しいな

ってよく思います。

 たとえばファミレスに居たころ、店長って何でも管理しようとします。

 お辞儀の角度は30度、歩く速さはどれくらい、レタスは120グラム、

スープの温度は90度。

 まあそれは品質管理だからよいのだけど、人に対しても同じように

管理しすぎると、本当に困った時に誰も助けてくれないこと良くありました。

 無駄をなくす動作の為に常に従業員に向かって

「この動きは右手で、キッチンの引き出しはこうやって開けろ、

 冷蔵庫は開けっぱなしにするな。蛇口のを勢いよく出しすぎるな、

 この仕事は誰がやったんだ?

 この料理は誰が作ったんだ?

 シフトを変えたいときはたとえ子供が病気でも自分でかわりを探せ!

 料理は必ず10分以内に出せ!」

 常にマニュアルに追われていて、人間性は二の次。だからファミレス


 って滑稽に見えて、よくお笑い芸人のネタにされているよね。

 
 でも、どれだけ滑稽に見えたとしても、そしてやってる本人達も

自分で滑稽だとわかっていても、お客さんに指をさされて笑われても
 
組織に逆らうことができないのが日本の社会だと思います。

組織に逆らって制裁を受けるくらいなら、人に笑われても感情を殺して

マニュアル通りにやってるほうがよっぽど楽だということになります。

 
 でもそういうお店って非常事態にとても弱いんだよね。

 みんなが常に感情を殺して仕事してるから、

臨機応変に対応することができないんだよね。

 体を動かすことには慣れてるけど、心が全く動いてないから駄目なんだよね。


 

 ファミレスは3時から5時ってお客さんもお茶してるだけだから、

意外と落ち着いています。

6時から始まるディナーの準備をしたり、新人のトレーニングをしたりする時間です。

 僕も社員の頃はよくその時間に新人を教えたりしていました。

 基本的にはマニュアル通りだけど、

僕はなるべく自主性を持って仕事をしてほしかったので、常に
 
「君だったらどうする?どうあるべきだと思う?」

 って相手の意見を聞くようにしていました。

そうしないで一方的にこちらが指導しても、

相手は聞いてるふりはしてるけど、頭に入らないものね。

 よくいってました。

「とりあえず一通り説明するけど、今すべて理解しなくても良いからね、

わからなかったらその都度何度でも聞いてよいからね」

 でもどこの店長も僕のそういう姿勢は嫌いで、

「浦さんとりあえずマニュアル通りに押しつけちゃって良いしそのほうが楽だよ」

という感じでした。


 そんなことをしてるうちに4時ごろに夕立が降ってきたとします。

 7月頃にはよくあるよね。

 それが意外と7時くらいまで降り続くと、みんな晩御飯を買う為に

スーパーに行きそびれてしまうし、

 「それじゃあファミレスの宅配でも頼もうか?」


ということになって、5時あたりから急に宅配の電話が鳴りだします。

 でもキッチンは僕と新人の二人、

 少し早めに来てくれたバイトの子に入ってもらって、

あわてて宅配用の料理を作ります。

 新人の子にも気を使いながらですが、電話は店で受けているのでは無くて、

センターで一括して受けているので、一瞬のうちに三件が重なったりします。

 「ウラサン今の時点で5件です、

5時の注文だから遅くても6時までに届けないと行けないけど、

一軒だけ住所が全く逆です。

 6時にもう一人宅配する人が来るから

その人に持って行ってもらうように残してよいですか?」

 「わかった、良いよ、気をつけてね!」

 そうやってるうちにまた2件注文が入ります。


 合計7件、配るバイクは2台、キッチンは6時まで新人を含めて3人、

 僕のシフトは朝の9時から6時でおわりだから、新しく二人がキッチンに来ます。

 すでに45分での宅配は無理だから宅配時間を延ばすように

キッチンからパソコンに手を伸ばして、宅配時間を90分にします。

 それでも追加で3件入ってしまって、7時までに合計の注文が6件、

 おまけに金曜日などはお店も混んでしまって、6時に新人と僕が

 抜ける予定が、抜けれる状態ではなくなります。

 新人の子も手伝いたいけど何をして良いのかわからないし、

こちらも忙しすぎてどう指導もついつい手荒くなります。

 追加の注文がさらに3件入って、待ち時間を2時間に変更します。


 キッチンはすでにパンク状態、宅配用の食材ってそれほど沢山

お店に用意しているわけではないので、品切れが出てきます。

 「ウラサン、この注文はもう食材がありません、コールセンターに

連絡してください」


 「わかった、ちょっと待ってて、あとは何が切れそう?」

 「ドリアもない、フライもない、野菜もやばい」

 さっそうとしたキッチンにフロアーから声がかかります。

 「対してお客もいないのに、なんで料理が30分も出てこないの?」

 こちらとしてはお店のお客さんを優先してるつもりなんだけど、

 時には宅配を優先しないと、配達は3件を一度に持っていったり

するので、タイミングを合わせるのが大変になります。


  とりあえずコックコートのまま、お客さんに謝りにいって、

 フロアーをチェックすると自分が思っていた以上にお店が混み始めて

 いることに気が付きます。

すぐにキッチンに戻りますが、自分が何処まで料理を作っていたのかわからなくなり。

 抜けてる料理が一品でもあると、その宅配は出発できなくなるので、

悪循環になります。

 6時になって、キッチンに2人がきて、新人が抜けて

 4人で6時半まで料理を出します。

 一通りだしたら、いったんフロアーのお客さんの状態を確認してから、

おくれている宅配を自分の車で手伝います。

 7時までにクレームが一つもなければ8時には帰れますが、

 フォークが入ってなかった! ソースが抜けていた!
 
 一品足りない!写真と違う!遅すぎ!

 などのクレームが一見でもあって、コールセンターから

 [お店で対応してください。]

 ということになると、スーツに着替えて、そこから誤りに行きます。

 すべて終わって9時、部長から電話でクレームについて文句言われて、

 10時に帰宅、風呂に入って11時に寝て、明日はまた朝の7時には

 家を出て8時からお店です。
 

 お客さんに謝りにいって改善しますといっても

 雨が降るかもしれないから人を増やすことも、

 食材を多めに抱えるかともできるわけないから、謝るだけです。

 もともとは会社が人件費を削りだしてからこういうことが

 頻繁に起こるようになりました。

 そして上司からは人格まで否定されて。

「お前の常日ごろの指導の甘さが原因だ!」

 という結末に・・・

 「でも人間性は失いたくないし、偉そうに指導もしたくない・・・・」

 帰りに車で気がついたらよく歯ぎしりしていました。

 そういうときに限って、次の日に店長に言われます。

 「昨日に浦さんが指導した新人、辞めちゃいましたよ。
    やっぱり浦さんに指導は無理みたいですね」

 こんな毎日が続いた日々もありました。

 僕が難しかったのは、同じ時期に実業団でプレーしたいたフットボールは

 みんな教えられなくても自主的に行動してくれるし、

 みんながもっと働きたい、もっとチームに貢献したい。
 
 という人間の集まりだったのに対して、

 ファミレスはみんながあまり高いモチベーションを持っていなかったということ、

 それはもちろん社員である僕の指導力の無さもあるし、

  指導の仕方も変えなければいけなかったのだけど、

 それが僕には難しかったのだと思います。
 


 もともとは人を管理しすぎると、本当に困った時にみんな献身的に

働かなくなる。

 という話でしたがまた続き書きますね。

2010年12月22日水曜日

試合の前の日

 フットボールをしていた時、ものすごく大切な試合の前の日とかは

 興奮してなかなか眠れないし、色々と考え過ぎてしまいます。


 チームもものすごい緊張感に包まれるし、何もかもを研ぎ澄まして試合に臨みたい

 と思います。 

 「絶対に勝つ、何が何でも勝つ、勝って人生を変える」

 どんな犠牲も構わない、

 「相手を殺したって構わない!」

 って思い詰めた後に、

 「ウーンでもどうやってフットボールで人を殺すんだろう?

  なんかイメージ沸かないなー」

  というような疑問がわいてきて、

 
 「でもなんで殺せないのかな?なんで殺すイメージ沸かないのかな?」

 って考えていたら、もう一人の自分が教えてくれました。

 「お前、死ぬほど勝ちたい、勝って人生変えたい、相手を殺しても良い

 って言ってるけど、そう言ってる自分はキチンと死ぬ覚悟できてるの?

 勝てるなら死んでも良いっていう心の準備できてるの? 

 自分が死ぬ準備ができてなくて、

 相手をどう殺したらよいかなんてイメージできるわけないんじゃないの、

 だってそんなの卑怯でしょ、自分は死にたくない、

 でも相手は殺してやりたい、自分の中にそういう矛盾があるから、

 殺す準備ができないんだよ、そんな中途半端な気持ちでは勝てないよ」

 

 「あっそっか、自分が死んでも良いと思えないと相手も殺しては行けないよね」

 「ホントに死んでも良いかな? 

 まあ今までの約30年間結構やりたいことやってきたから、

 そろそろ命かけても良いかな。よし、死のう!

 明日勝てるんだったら死んでも良い!
 
 明日の勝利の為に今まで生きてきたんだと思う!

 今日はキチンとお線香上げて寝よう」



  そこまで考えて、やっと気持ちがおちつきます。

 「もう迷いなし! 明日は真っ白な気持ちで行ける!」
 
 って思えました。

 
 まあ結局は次の日の朝に目覚めて、試合会場にいって、

 ウォームアップでちょっと息が切れたり、腰痛やひざ痛などが出てくると、

 すぐに心もなえてしまって。

 「やっぱり無理、死にたくないし、相手も痛いだろうから殺したくもない

  今日もできる範囲内で頑張ろう、神様お願い!何とか勝たして!」

 
 っていうきもちにすぐになります。

 だから実際に試合中に殺してやろうなんて思ったことは一度もなくって、いつも

 「今日の芝は滑りやすいな」

 「また今日も親父は会場の端のほうでみてるな」

 「ハーフタイムにシャツ着替えないと、後半寒いなー」

 「今日は横浜スタジアムだから帰りは中華街だな」

 なんて考えたりしていました。
 
  そんなもんだよね、試合始まると気持ちって意外と落ち着くんだよね。

  
 でも若いころはそれほど真剣に考えていたなー!

 って思いだしたので書いてみました。
 
 自分が死ねる心の準備ができてる人だけが、相手を殺せるのかな?

 って思ってます。

 

2010年12月21日火曜日

教育とビジネス(前回の続きです)

スポーツとビジネスの違いについて前回に書いたので、次は

 教育とビジネスについてまた少し書きますね。 



 教育と商売は必ず分けなければならないと最近思っています。

 というのはうちの学校は

  半年間、アフリカの歴史、植民地政策、病気、文化、あとは一般社会での

リーダーシップやマネージメント、(たとえばキッチンのローターを作ったり、週末に

 ビルの修理を自分達でしたり、クリスマスパーティーの運営や、

 僕だったらスポーツを教えたり、人によってはヨガだったり、ポルトガル語だったり、

 過去の自分の経験のプレゼンテーションだったりそう言ったことを行ってきました。



 あともう一つの大きな目的は

 約45万円のアフリカに行くための募金活動です、

 実際には半年僕達がアフリカに行く予算は45万では足りないし、

 半年この学校にいる宿泊費などは最初にこれもまた45万円僕は振り込みましたが、

 それだけではデンマークに行ったり、その他もろもろの費用は足りていません。

 だから学校が他のNGOの組織にお願いして、お金を援助してもらっていますが、

 それでもなお半年間で45万円の募金活動はかなり厳しく、

 しかも学校も常にお金があるわけではないので、
 
  時には先生達に

 「キチンと募金活動してますか?」

 って思われることあります。 

 特に僕がしていたような古着集めの回収とか、

 コンテナを置く場所を探すサイトファインディングなどの仕事は

 日給が約5000円と決まっているので問題はないけど、

 ストリートでの募金活動は、募金額が1000円だったりすると、

 「キチンと情熱をもって、活動の宣伝のマガジンを売ってますか?」

 と疑われることがあります。 実際に200円のマガジンを売って募金を集めることは

 本当に難しいです。

 そしてやっぱり疲れてしまってコーヒーばっかり飲んで休憩時間が多くなること

 もちろんありますし、

 30名に声をかけてやっと一冊買ってもらえればよいほうなので、

 心ないことを言われたり、無視されたりすることが寒空のイギリスで続くと、

 やっぱり気持ちがなえてしまうこともあります。
 
 そういうことが重なると、時にはさぼりたくなるのは自然なのかもしれませんんが。

  そういうときに先生達に

「キチンとお金を作ってきましたか?」

 って質問されると同時に

 「学校にお金がないから暖房費を削ります」

 とか

 「どんどん学校を宣伝して、新しい生徒を呼んでください」

 なんて言われると

 これって本当に教育と呼べるの?本当に私の為を思って先生は言ってくれてるの? 

 結局お金の為なの?

 っていう疑問が沸くのは自然だよね。

  

 でもキチンと計算すればわかります。

 一人の外国人が半年イギリスで生活して、途中でデンマークに行ったり、

 週に一度はみんなでプールに行ったり、

 週末には特別予算でパーティーしたり、

 水、光、熱、学校の敷地のレンタル代、食費、 

 アフリカはいく往復のチケットなんかを考えたら、

 やっぱりそれくらいのお金は当然だし、
 
 あまり大きな声では言えないけど、先生が募金活動のことを厳しく言わないと、

 どこの国とかこれもまた言わないけど、

 人によっては募金に行くふりをして、

 町で遊ぶ人が出てくることは当たり前だと思います。

 日本人ほどみんな真面目では無いもの。

 そうするとだんだんとみんなが真面目に募金活動するのが嫌になってきて、

 あっという間に学校は崩壊していきます。

 その時に責任をすべて取るのはうちの学校の場合は半分NGOなので、先生達だものね。

 そういうリーダーの責任というものがあるから、

 決して甘くは慣れないことはわかります。


  でもそこまでわかっていたとしても先生が

 勉強とかスポーツにたいしてもっと頑張れ!

 というのではなくて、お金をキチンと作れなくて

 「もっと頑張れ!」ってプレッシャーかけられたおきに、負け惜しみのように心に起る

「本当に僕の為なの?」

 って思う疑問は教育の世界には必要ないと思います。

 だから教育とお金儲けは分けなければならないし、お金のことに対して先生が

 生徒にプレッシャーをかけることは日本人である僕には少し違和感がありました。

  経営者としては正しいことだと思いますし、

 生徒みんながいい加減になったら。
 
 学校が倒産してしまって、うちの学校のポリシーの一つである、

  途上国に行くチャンスのない国の人達も努力すれば自分の力でアフリカに行ける

 という生徒の夢を奪うことにもなります。

 日本人にはそういう気持ちはわからないかもしれないけど、

 ハンガリー、ブルガリア、エストニア、リトアニア、アルバニアの

 僕らのあまりなじみのないヨーロッパの経済的んあまり豊かでない

 人達にとってはうちの学校はとても貴重な存在なのです。

  そう言った現実を受け止めたとしてもやっぱり僕は思います。

 「教育と金儲けは分けるべきである」

 

  景気が悪くなって公務員の給料が一般企業よりも良くなってしまった今、

 教員がお金もらいすぎ

 なんて思う人も言うかも知れませんが、僕は思います。

 「先生がお金の心配していては、生徒に夢と理想は語れない!」

 だから日本の先生達にはお金の心配しないで、生徒に接してほしいと思います。

  外国だからこのスタイルで良いのかもしれませんが、日本には好ましくない
 
  と思います。

2010年12月20日月曜日

スポーツとビジネスの違い

 日本では有名な僕の尊敬する恐ろしく頑固なオンワードのコーチが

 僕に話してくれたことがあります。

 「俺はオンワードの仕事は嫌いだ、

 なんでも言ったもの勝ちみたいなところがある。
  
 努力とか実力とかは関係なくって、単に図々しくて、

 他人の気持ちを考えずに物をずけずけ
  
 言える奴が出世して、真面目な努力家の上に立つのを見たくはない、

 だから会社を辞めてコーチに専念する」

 と話していたのを思い出します。いまでもそのコーチは日本学生会のトップコーチです。
 オンワード辞めて大正解だったのだと思います。

 確かにビジネスの世界ではそういうことが沢山あるよね。
 努力とか、人間的な魅力よりも稼いだ金で評価される世界だからね。 
 でもスポーツにもそういうところがあるか?

 全く努力しなくても才能のある人が幅を利かせていること沢山あるものね。

スポーツとビジネスの違うところって何だろう?

 一つは京都大学のコーチが言っていたけど、スポーツは100対0で負けようが、
 1対0で負けようがただの一敗にしかならないけど、

 ビジネスの世界では1億万の損害を出すのか、100万の損害で終わらすのかでは全く違う。

 確かにそういう面ではビジネスはシビアだよね。スポーツみたいに途中で試合投げること

 できないよね。

  だからビジネスマンはタフでないといけないよね。

 努力することよりもいかに楽して稼ぐかを優先させるべきだよね。

 この世界では努力は美徳ではないものね。

 あともう一つ、スポーツがビジネスと比べて違うのは、

 たとえば10チームでリーグ戦して優勝を決めると、

 必ずリーグ戦の最後には一つのチームが優勝することになるけど、

 ビジネスの世界では10チーム全員が負けることもあり得るところかな?

  たとえば2005年の10チームはどこもとても努力して、

 とても強かったとします。

 でも2006年のチームは10チームどこもさぼっていて

 あまりみんな努力しなかったでもリーグ戦は一年で必ず

 一つのチームが優勝できるようになってるから、

リーグ全体のレベルが低くても年度末には必ずどこかのチームが

 「俺達が今年の日本一!」

 って優勝することになるよね。

 それがビジネスだと、そうはいかないよね。

 2006年の10社すべてがたいして努力しなかったら

 その業界自体がすたれてしまいます。すべての会社が倒産することだってあるよね。

 でもスポーツはかなずどこかが優勝できるし、

 それが前年度と比べてどのくらいのレベルで優勝したかは数字に換算できないから、

 前年度との比較とかはないのだと思います。

 そういう面が少しだけスポーツのほうが純粋というか楽なのかな? 

 なんて思ったりします。

 純粋イコール、甘い世界、とは言いたくないけど、自分もだんだん大人になってきて、

いつまでも夢みたいなこと言っていられなくなってきたし。

 キチンと日本でお金稼いでいる人達にくらべたら、

 自分はスポーツしてた頃のことばっかり思い出して、

 夢と理想ばっかり語って現実的には何もできてないのかな?

 なんて思ったりもします。

ウチの学校もそうだけどNGOとかNPOについても最近よく考えていて、

 夢とか人助けというのは口にするのは気持ち良いし、

 カッコよいけど、自分はすぐに楽なほうに流れるから、

 どこまでそういう世界に居て良いのかキチンと考えないと行けないし、

 結局はどんな理想を語ってもお金をキチンと自分達で継続して稼いで行かないと、

 いつまでも人助けだから恵んでください。

 では自分自身が駄目になるような気がします。

  逆に初めから一般企業みたいに

 「俺達金儲け!」

 っていって商売をキッチリとしておいてその売り上げの何パーセントかを寄付という形で

人助けに回したほうがよっぽど純粋かな? なんて思ったりもしました。

 このテーマ、なんかボケた感じでしか表現できませんでしたが、

 NGOとかNPOで働いている人の永遠のテーマであると思います。

 次回も少しこの続きを書きますね!

 

2010年12月17日金曜日

ビザとヒザ

 実は五週間前のスコットランド、朝の7時に実は事件は起こっていました。

 古着の回収にイングランドから一日かけてスコットランドに行き、

 一人で泊まったホテルを朝の5時に出発、

 その日は行きと別ルートで古着を回収しながらイングランドに戻ります。

 
 初日はスコットランドまで15時間のドライブ、

 今日中に絶対にイングランドまで戻りたい。

  そういう気持ちで仕事が始まったばかりの朝の7時、

 AKストアーという店の場所が見つからない、

 スコットランドの朝の7時はまだ真っ暗です。

 車をとめて道を確認しながら歩いている時、

 自分の車が静かに自分を抜かして行きました。

 大した道でもないのにサイドブレーキが利いていなかったみたいです。

 あわてて車の前に回って体でとめようとしましたが、

 日本でいうとエルグランドよりもう少し大きいバンは

 たとえ中身が空っぽでもなかなかとまりません。 

 民家の壁まで残り4メートルであわてて運転席に回ってドアを開けようとしたけど、

 鍵穴に上手く入らない。

 残り2メートル、壁を足で蹴りながら全力で踏ん張りましたがついに残り30センチ、

 スローモーションで車が壁に激突する瞬間、

 僕は対して迷うことなく自分の左足を壁と車の間に挟み込みました。

 車は静かにとまりましたが、その時に少しだけ壁と平行して進んだので、

  僕の膝は少しだけ壁と車の間でねじれてしまいました。

 「プチッ」

 っていう音と膝の関節が少し開く感覚があったけど、

 誰も知り合いのいないスコットランドの真っ暗な朝の7時に

 自分の車が民家の壁に激突することを考えたら、

 このくらいの緩やかなスピードなら足一本で何とかなるだろう。

 って思ってました。

  激痛と朝一番で血管が切れるほど踏ん張りすぎ為のめまい、

 ズボンの下に防寒の為に履いていた

 、ナイキのスポーツ用のタイツに血がにじんで冷たい感覚が残りましたが、

 一分くらい息を整えながら膝をさすっていると、家の中に人影が・・・・

 「せっかく体を犠牲にして激突を防いだのに、

 ここで何か疑われたら意味が無くなってしまう、

 何としても今日はイングランドに戻りたい」

 その一心であわてて車に乗り込み車をバックギアに入れるために

 左足でクラッチを踏もうと思いましたが、

 足の筋肉を動かすと痛みが走るので、

 腰全体を前に押し出して、

 足は棒のように曲げも伸ばしもせずに固定したままクラッチを踏みました。

 50メートルほど車を動かして、車を道の左側イギリスは日本と同じ左側通行です)

 に動かして、

 そのまま痛みが引くまで足をさすりました。

 本当だったら冷や汗が出る感じだけど、スコットランドの朝は寒いので、

 寒さと痛みが全身に響きます。


  「やばい、でもなんとか乗り切った」

 そのあとは足の踏ん張りが全く効かず、

 コンテナの底に入っている古着をとるのも一苦労、

 結局500キロドライブして、夜の9時にイングランドに戻りました。

 血のにじんだスパッツは丸一日恐ろしくて傷口を確認しませんでした。

 夜に履き換えた時には渇いた皮と血がベリベリと剥がれるように脱げました。

  
 そのままカサブタが治って、膝もあまり気にならなくなり、

 サッカーをして楽しんだりしてたけど、

 先週から雪が降り出して30センチも積ったイングランドで、

 一週間雪の上で長靴を履いて募金のマガジンを売っていて、

 痛みがないから甘くみてたら、週末に膝にものすごい勢いで水が溜まって、 

 二倍になってしまいました。

  地元のパトリングトンという病院に行ったら、

 「ここでは無理、ハルという大きな町に行って」

 ハルでは

 「今日は無理、明日に隣の先生が判断を下します」

  次の日の隣の先生は

 「僕では無理、膝のスペシャリストにみてもらって、
    一週間以内にこちらから次の予約のお手紙が行きます」

  ってことで、一週間も待ってたら腫れも引くだろう。

 って思いながらもとりあえず待ってます。

 
 
 一方そしてアンゴラ行きのビザのほうは

 どうしても今年中に旅立ちたいメキシコ人エリックが

 ロンドンのアンゴラ大使館まで片道5時間かけて

 確認にいったら、

「二人のジャパニーズ、一人のコリアンはビザが下りてる、

   一人のメキシカンがまだだね!」

 って言われて、がっくり、基本的には4名そろって出発だからね。

 僕は膝のこともあって少しニンマリ!

 とりあえず様子見ます。

 たぶん全十時の片方が切れたと思うけど、

 どうせ膝の靭帯は半分くらいはフットボールで無くなってるから

 今更なんてことないです。とりあえず腫れが引くまで待ちますね。

 ビザとヒザ、この10回クイズになりそうな

 二文字の言葉が僕の出発の足を引っ張っています!

 実はあんまり膝のこと書きたくなかったのだけど、ネタがなかったし

 ビザとヒザっていう題名を思いついたら書きたくなってしまいました。

  でも心配しないでください。この二日で大分良くなりましたので!

 


 

2010年12月15日水曜日

冷蔵庫とお金

 自給自足の村が先進国の仲間入をさせられてしまう最初の一歩は

 「冷蔵庫」と「お金」であるとバヌアツに居たころに感じたことがある。

この二つは生活だけでは無くて、人の心を気がつかないうちに変化させてしまう。
 
 もちろんこの二つだけではないけれど、象徴されるのは冷蔵庫とお金だ。

 たとえば海沿いに自給自足をしている100人で20家族くらいの

 小さな村があったとする、村の若者が漁にいってその日は調子が良く、

 30匹くらいの魚をとってきた。

 
 冷蔵庫という概念が無いその村は、魚はその日のうちに食べなければならず

 若者は自分の家で3匹食べると、あとは村人に分配した。

 村の中では老夫婦もいるだろうし、

 カヌーを持っていなくて漁に行けない家族もあるから、

 みんながとてもその若者に感謝する。
 

 若者はとても誇らしい気持ちになるし、自分は若くて体が良く動くので、

 またみんなの為に漁に行って喜んでもらいたいな。と思うはずだ。


 しばらく海が荒れて若者が漁に出れないときには

 村の中で畑を持っている人が若者の家に野菜を届けることもあると思う。

 そうやってみんなが成り立っている。

 もちろん漁にも行けずに野菜も取れない時期もあるとおもう。

 みんながお腹がすいて、我慢しなければならないじきもあるが、

 村人皆がお腹がすいていれば、優先的に年寄りと子供に食事をとらせよう。
 
 という平等で正しい判断がしやすくなるとおもう。

格差が無ければ良いことも悪いこともみんなで分け合えるものだ。

 たとえ災害や水が干上がったりして、

 最悪な状態になって村が滅びることがあったとしても、

 それはみんなで受け入れられると思う。


 しかしそこに冷蔵庫とお金が入ってくると話が変わってくる、

 用は貯蔵が可能になるのだ。

 漁に行った若者はその日に10匹とれた魚の7匹を

 冷蔵庫に入れてお腹がすいた時に食べるようになり、

 よその家に分けることをしなくなるかもしれない。
 
 またお金を使うようになれば一匹30円で売って、

 お金を貯めておき、
 
海が荒れて漁に出れなくなった時に、

 畑を持っている人から野菜が買えるように蓄えておくかもしれない。

 そうやって知恵と力のある人たちの冷蔵庫に沢山の食料とお金を蓄え、


 もしもの時の為に蓄えておく。

 身内の不幸や病気で家族が十分に働けない家との間に

 少しずつ格差がうまれるかもしれない。

 蓄えるということは良いことだと思うけど、
 
 貯蔵ができずに常に生命の危険を感じながらもみんなで

 平等に生きていたころを忘れたくないと思います。

2010年12月14日火曜日

努力では変えられなかったこと

 石の上にも三年、継続は力なり、

 

 ということを良く書きましたが、ぼくには少し変わった経験があります

 それは長くやってきたフットボールの中で起こったことで、

僕は大学の4年間満足に試合に出たことがありませんでした。

 ボールを投げるクォーターバックという僕にとっては少し

難しいポジションをやっていたからだと思います。

 大した試合経験もないのに、社会人に行って、少しみんなに期待して

もらいましたが、自分の中では自信がありませんでした。

 実業団一年目ということもあり、人数のバランスもあって、

「少しだけ他のポジションやっててくれる?」

 みたいな感じで、パスを受けるポジションを始めました。


 そしたらそちらのほうは意外とセンスがあったようで、

 試合に出て活躍できるようになりました。

 その時に何故か変な気持ちが来ました。

 投げるほうは大学4年間あれだけ頑張ったのに全く結果が出なかった。

 でもパスを受けるほうはただ楽しくて受けてるだけで活躍できるようになった。
 
 なんか少し申し訳ないなー!
 
 という感じでした。



 そんな社会人生活が4年続いた頃。

プレーオフが目標なウチのチームが4年続けてプレーオフに行けない

事がきまり。「来年こそ!」 が4年間続くとさすがにこちらも疲れてきて、

 プレーオフも行かず、もちろん日本一にもなれず、

 このまま何の結果も出せないまま20代という男として今後の人生で

 大切な時期を無駄に過ごしているような気がしていたシーズンオフの12月。

 仕事に向かう少し憂鬱な車の中で携帯電話が鳴り

「ウラ知ってた?ウチのチームはオンワードと合併するぞ、

 リーグの納会かその前後には正式に発表らしいぞ、

 俺たちは知らなかったけど、オンワードの選手はすでに知ってるみたいだよ」

 っていう電話が・・・

 その三年後、プレーオフに一度も行ったこともなかった僕は

 実業団日本一の決勝に進出していました。

 ハーフタイムになんとなく思いました。

「信じられる?あと一時間半くらいして、もしこの試合に勝ったら、

 自分が日本一になるんだよ 自分は一生観客席でこの試合を見る側だと思ってたのにね、

 変だよね、後一時間半頑張らないとね」

 そういう気持ちは常にいつの試合の中でも自分の中にありました。

 フットボールとは思えない大量得点で圧勝してるときも

「信じられるか?昨年までは相手側のベンチで悔しい思いをしていたのに、

 今はこちら側に居るぞ、自分は何もしてない、

 ただラッキーなことにチームが合併してくれたからだ。」

 だからなんかいつも実感がなかったんだよね。

 気がついたらとても素晴らしいフットボール人生に勝手になっていました。


国際協力も基本的には同じだと思います。

「人は産まれてくる国を選べない」

 っていう言葉をどこかで見たことがあるけど、僕はたまたま日本で生まれたけど、

 アフリカに産まれてたかもしれないよね。

そういうことは努力だけでは変えられない、

 相手に対して憐みとか感じる必要はないと思うし、

 そういうのは逆に失礼だとおもうけど、

 なるべくいつも平等な目線と立場で人と仕事をしたいと思います。
 
 そういう気持ちを持つことが自分のやる気を継続するのに役立つと思います。

2010年12月11日土曜日

誰が一番頑固なのか?

 僕の今までの人生の内

 浪人も含めての学生時代は17年間、

 アメフトは高校から引退する32歳まで16年間

 ファミレスの社員は9年間

 独身生活は36年間

 ファミレスはもともと実業団でアメフトをしたかったから入社した

 会社だったし、今思えば国際協力に関係するような人間関係とか

基本的な衣食住に関することを沢山勉強させてもらったと思います。

 たぶん協力隊に行かずに今でもガストで働いてたら結構良い店長に

なってる自信あるよ、 (辞めたからなんとでも言えるよね・・・・・)

 自分のなかで利益追求よりももっと純粋に自分のしたいようにお客さんに

 喜んでもらうためには、大きな組織に居ては駄目だという気持ちがあったのかな?



 そういう面では自分には甘いところがあって、

出世とか利益に対して意外と無頓着なところがあります。

 それよりも

 「今自分がしたいこと、ひらめいたこと」

がしたい。って思ってしまうんだよね。

 

 組織のなかで出世する人って、自分の価値観よりも組織の価値観が

優先していて、そういう人に説教されたり見下されたりすると、

「それなら、ここで頑張って結果出して見返してやろう!」

 ってなる前に

「頑張る場所を変えよう」

 って思ってしまいます。一番駄目だよね。子供だよね。

 

 そして飛び込んだの協力隊だけど、それはとても素晴らしい世界で

 まさに 水を得た魚のように気持ちよく2年間泳がせてもらったけど、

 そこでまた気がついたのは

「税金つかって人助けしてもそれが2年以上続くとただの理想家になってしまう、

 やっぱり金儲けは大事だ!」

 
 だから結局ファミレスで組織の為に自分をコントロールできて

 忍耐強く出世してる人達があってるということにってしまいました。

 やっぱり役員や部長になる人達は偉いのです

 

 そして国際協力の世界にも一般企業と同じように嫌な人が居て、

 さらに全く感覚の違う外国人もいて、

 日本の会社のようにマニュアルがあるわけでもなく、

 日本人の良心や価値観が通用する世界では無く、

 それぞれが自分の人間としての実力と信念で仕事を進めていくものだと学びました。

 

 だったらイギリスに行って、自分でチャリティーつのって、

 ボランティアに行ってみたらどうなるかな?

 なんて思ってここにきて色々学んだけど、

 ここでの生活は今後の人生でどういう結果になっていくのかはわかりません。

 もちろんプラスになることは間違いないけどね。

 
 一番長い36年間続いている独身生活については、

 結婚はその人一人が来てくれるのなら良いけど、

相手の家族も含めての結婚だから、先々には二人だけの問題では無くなってくるし、

 なんといっても自分の家族がそれほどお勧めできるほどのものではない!

 その前に自分自身が相手の家族にとっての「理想のムコ」には絶対なれない!

  
 という気持ちも働いて、まだ答えが出ていないのが現実です。

 いつまでも純粋な気持ちでいたい、

 利益よりも自分のやりたいことを純粋に追及したい、

 頑固な親父になりたくない!

 って思ってここまでやってきたつもりだけど、最近気がついたのは

 そういってる自分が一番頑固で一番融通が利かなくって、気難しい、


 だからいつまで経っても結婚できないし、ファミレスも辞めたし、

 フットボールだって相当一生懸命してきたのに、

 全く関係ない国際協力の世界に来てしまった。

 この世の中で一番頑固でみんなに困って存在だと思われてるのは自分かもしれない?

 って思ってきました。

 でもここまで頑張ってやってきたら

 なかなか人の忠告を聞けなくなってきてるんだよね。

 その代わりになるべく本を読んで人の良い意見を自分の中に

 取り入れるようにしようとは思っています。

 自分の為にも上手に年取って行かないとなー 

っておもいます。

2010年12月9日木曜日

自分のペース

 昔にウチの姉と話してことがあったんだけど、

小学校とか中学校時代に修学旅行に行くき、

何故か一番後ろの一列で5人座れる席にクラスの中の権力のある

グループが座ることになるのはどこの学校でも同じことだと思います。

 そしてその後ろのみんなが補助席なんかでトランプとかしているのを見てなんとなく

 「私もあのグループに入ってみたいなー、なんて思っていたのが僕達だったよねー」

 ってはなしたことがあります。

 子供の頃ってすぐに他人のほうが良く見えたし、

目立つ人たちがうらやましく思えたりしたしね。

 でも大人になってわかったけど、

自分はそういうタイプの人間ではもともと無かったということ、

 今ならわかります。

自分が一番後ろの席でみんなに気を使って楽しいふりをして騒ぐよりも、

自分の好きな友達と前のほうでゆっくりと外の景色を楽しみながら

お菓子でも食べてるほうが自分らしいということを。

 それが自分だということが今ではわかります。

でも子供の頃はなんとなく、

「騒がしくて盛り上がっているほうが楽しいのだ」

 って思ってたんだよね。



 観光に行くときもそういう価値観が出るよね。

とりあえず特急に乗っていち早く目的地について、

ガイドブックに載っている、

見るべきスポットをすべて回って記念撮影をするのが好きな人と。

混んでいる特急よりも座れる各駅停車にのって、のんびりと目的地について、

自分の気の向くままに一日を過ごして帰ってくるのと。

 
 まあその中間で自分の行ける範囲内でなるべく多くのスポットを見

るのが普通なんだろうけど・・・・・

そういう自分の価値観がわかってくるは僕達兄弟は20代後半くらいになってからでした。

お互いに同じような感情を持っていて、クラスの中心のグループには

入れない自分はだめなんだ。

なんて思っていたけど、今思えばそういう性格出なかっただけで、

のんびりして観光するだけで僕たちは十分に満足な性格だということ

がわかってきました。

 人生は観光旅行ではないけど、

 あまり無理せずに自分のできる範囲で進みたいと思います。



「大人は自分の価値観がキチンとあるから人と比べることはしない

人と比べて自分のほうが良いと思う人間は自分の価値観がしっかりと

していない子供だ」

そういう価値観が今ではよくわかります。

2010年12月5日日曜日

2番手の楽しみ

こんな僕でもフットボールをしていた時には何年かに一度は持ち回りで

 ポジションリーダーをしたりしました。

 またチームの中で常にスタメンで呼んでもらった時期もありました。
 
 それはそれで良い経験ですが、僕の個人的な意見としては

 フットボールを純粋に楽しみたいのならリーダーとかエースとか言われるより、

 二番手に居るほうが楽しめるし面白いと思っています。
 
 そのほうが純粋に競技に打ち込める気がします。

 エースと呼ばれる人は、チームの中でも高いモラルを求められるし、

 余計なプレッシャーを感じることが多いと思います。

 でも3番手になってしまってはダメだと思います。

 しっかりと2番の位置をキープすることが大切です。

 野球だって、四番が打てないとか、不振だといわれて何かと注目されるよりも、

 3番とか5番を打っているほうが、なんとなく気持ちも楽だし、

 野球に集中できると思います。

 
 職場の営業成績でも一番になってみんなに注目されて期待とプレッシャーを

 感じるのも確かに刺激になりますが、良いお客さんと良い仕事をしたいなら

 10人くらいの職場で2番目位に居るほうが楽しめる気がします。


 車を作るのだってトヨタみたいに一番になるよりも、

 ホンダとか日産みたいに2番手くらいで、

 本当に自分のやりたいことをやってるほうが楽しいような気がします。

 
 世界のリーダーだって、

 アメリカみたいに一番が好きで常に権力を誇示するよりも、

 日本みたいに2番手位に居て自分のやりたい道を進んでるほうが楽しいとおもいます。

 権力を持って自分の立場を主張することも楽しいかもしれませんが、

 純粋にその競技とか人生とかを楽しむには、

 二番手くらいにいるほうが楽しいな。って思うこと僕には結構あります。

 そういう考え方もありだと僕は思っています。

2010年12月2日木曜日

夫婦円満と異文化理解の共通点

良く街頭インタビューなんかで仲がよさそうな老夫婦に

「夫婦円満の秘訣はなんですか?」

ってあるよね、すかさずに奥さんが

「旦那さんのおかげでここまでやってこれました。」

 っていうと、旦那さんが照れくさそうに

「いやいや、良い奥さんに恵まれたから上手くやってこれました」

 ってこたえて、ふたりで仲よさそうにしていることがあります。

 でもその夫婦だって、それまでの結婚生活で色々な苦労をしてきたのは

当たり前のはず、それを一緒に乗り越えてきたのか、

片方の忍耐力で乗り越えてきたのかはわからにけど、

もし第三者に 

「夫婦円満の秘訣はなんですか?」

 って聞かれてお互いが

「良いパートナーに恵まれて私は幸せでした」

 ということができれば、お互いにどれだけ苦労してこようがそんなことは関係なく

幸せな結婚生活であったのだと思います。

 そこで

「私の我慢と忍耐でここまでやってきました」

 って旦那さんが言えば、横で奥さんが苦笑いしていただけだとしても腹の中では

「本当に我慢してきたのは私のほうだということにこの人はまだ気が付いていない」
 
という気持ちが芽生えて、

「何とか死ぬまでに私がどれだけ我慢したかをわからせなければ」

なんて気持ちになるかもしれないよね。

 そういう気持ちの中のしこりって言葉として現れなくても、

ふとした時に出てしまうものだと思います。

 だからお互いに自分のほうが我慢したと思っていても、

それは口に出さないことが思いやりであり、優しさであり、愛であると思います。

そこまで含めてが愛でありそれができなくなった時に愛が終わるのだと思います。 

決してそういう嘘は嘘ではないのだと思います。




 異文化理解も根本時には似ていると思います。

 お互いに自分の国が大好き、自分の育ってきた土地、文化、食事、人に

愛着があるのは当たり前です。

 だからお互いに

「自分の国はあなたの国よりも良い!」

 っていう必要はないのだと思います。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、どこで育とうが、

みんなが自分の国が一番だと感じていることは少し考えれば誰だってわかることだから。

 でもそういう基本的なことがわからないで

「私の国のほうがあなたの国よりもすぐれている、
   私の人種のほうがあなたの国よりもすぐれている、
    私の食事のほうが絶対にあなたの国よりも美味しい」

 ってわざわざ言う必要はないよね。だってそんなの当たり前だもの。

他の国の文化を見た時に

 ・インタレスティング   面白い、興味深い

 ・ディッファレント    違う

 ・ストレンジ       変、おかしい、変わっている

 この三段階の感じ方のどれを自分が感じるか、そしてそれを口にするかどうかで、

  相手の感情も変わると思います。

 できればインタレスティング が良いよね、もしストレンジと思っても、

もしそれを口に出せば次は相手がこちらの文化に対して
 
 「ストレンジだ!」

っていうのは当たり前だと思います。

 それは夫婦が

 「お互いのおかげでここまでやってこれた」

 っていうのか

 「私の我慢のおかげでここまでやってこれた」

 っていうのかと似ていると思います。

  
 自分に当てはめると、 時に

 「日本のほうが絶対によい、 和食のほうが絶対に上手い、
      色々な技術も絶対にハイレベルだ」

 っておもってしまうことがあるし、それはとても自然な感情だとは思いますが、

 それは口に出さずに

 相手に対して尊敬を表すことが大切なのだと思います。

 それは決して「こびている」のではなくて、少し考えれば

 みんなが気がつくことができる

 「つくことが許される真実の嘘」

  なのだと思います。

ビザに対する僕の勝手な解釈

 11月でイギリスのプログラムが終了!

 とっくにアンゴラに行ったと思っていたら実はイギリスで足踏みしています。

 問題は二つ、個人的の募金活動は終わりましたがチーム10名全員が

終わったわけではなく、学校が「チームワーク」という言葉を盾に、

もう少し募金活動して、チームメイトを助けてね! っていう無言の圧力があること。

 あとまっとうな理由としては大分前から手続きしている

アンゴラに行くためのビザがまだ下りないこと。

 この二つの理由が微妙に混ざり合って、

すっかり雪深くなったイングランドでいまだにくすぶっています。

 

 まえから一度書きたかったのだけど、ビザって何?って個人的に考えていて、

僕の今までの経験から勝手に想像して書いてみようと思います。

 キチンと知りたい人はネットで調べてみてください。



 「パスポートをとって海外旅行にいって、そのままその国が気に行って、
     知り合いを作ってそこで働いて、2年くらいして帰ってきたい!」

 って思ったこと無いですか? そんな生活してみたいよね。

 逆に

 「観光で来た外国の人が日本で楽しく働いて、
         しばらくして帰国してくれても良いよね。」

 でもなんでそれができないかというと、

 そういう人は税金を払う手段が無いからだと思います。

 外国にいってその国の公共手段を沢山使って、でも税金は払わない。

その国の人達のなかでも失業していて仕事が無い人が居るのに、

 勝手に観光客として入ってきて、働かれたら地元の人が困るよね。
 
 そういうことが無いようにビザがあるのだと僕は思っています。

 

 だから景気の悪い国で労働ビザを取ることはとても難しいし、

特殊な技術を持っていたり、マスコミの取材だったり、スポーツ選手、芸能人なんかの、

「その人でないとできない仕事」

 なら多めに見てくれるかもしれないけど、

 一般の仕事ならやっぱり地元の人が仕事してキチンと納税してくれないと国が困ります。 

 そういうのを確認するのがビザだと思います。

 ではビザなしの観光はなんでOKなの?ということになりますが、

確かアメリカなら3カ月はビザなしで滞在できます。

 ようは3カ月しかアメリカに居ないのなら、

 その間に友達を作って働くことも無いだろうし、

 アメリカで観光してお金を使ってくれるだけで稼ぎはしないだろう

 それならどうぞ来てくださいということなのだと思います。

 その目安がだいたい3カ月なのだと思います。

 もしそれ以上いるなら、絶対に働き出すはずだ! と思われてしまいます。

 だから僕が今回イギリスに来るためにとった18カ月の学生ビザなどは。

  18か月もイギリスに居るなら、月々の生活費が最低でも五万はいるはずだ。

 5万円の18カ月だから90万は持っていないと

  お前は絶対にイギリスで金がなくなってバイトするだろう。
 
 だから自分の口座に90万入ってることを証明しろ!

 みたいな感じでビザを申請するときに銀行口座に

 お金があることを英文で証明しなくてはなりません。

 ちなみに学生ビザでもキチンと単位を取っていれば

 週に何時間かはバイトできるようになっています。

 良く映画であるけど、たとえばこっそり不法滞在してその国で働きたいとき、

 知り合いの家でベビーシッターなんかして、お金をもらった場合。

 それはれっきとした仕事になるけど、それが仕事なのか、単にお手伝いして、

 その代わりに晩御飯と少しだけお駄賃をもらったなんていうことの

 見分けは難しいから、そいうやって働いている人のところに警察官が
 
 「お前は不法労働者だろ」

 なんていうシーンが良くあります。

 あと学生ビザで入国して、夏休みが3カ月とかあって、

 学生が許されている以上にバイトをしすぎて

 強制帰国させられることも良くあると思います。

 基本的にはビザってそういうところを管理するものだと思っています。

 

 ちなみに今回の僕のアンゴラビザで一番難しかったのは、

 僕がイギリスのアンゴラ大使館に日本人としてビザを請求するところが

 一番ややこしかったです。

 犯罪証明証というのを提出しなければならないのだけど、

 日本から送ってもらった僕の犯罪証明証は、

 スペイン語、英語、フランス、中国、英語、ドイツ語で書かれていますが、

 アンゴラで使われているポルトガル語では書かれていないので、

 それを翻訳して提出しなければならないこと。
 
 でも封筒の表に、「開封したら無効だよ!」

 って日本の警察がスタンプ押してるから、開けれないし・・・

 結局はウチの学校の先生がアンゴラの大使館に電話して。
 
 「開けても良い?それともスペイン語が英語でも理解してくれる?」

 って聞いてくれて、

「ああ、別に良いよ!」

 みたいな感じで話が収まりました。

 ちなみに僕も一生懸命ネットで日本人のアンゴラビザの取り方を調べましたが、

 すべての情報が日本人が日本からアンゴラに行く場合の情報であって、

 「日本人がイギリスでアンゴラビザを申請する?」

っていう情報は見つけることができませんでした。

 そこが一番苦労したところです。

 ということで今はビザを待っています。

 ちなみに12月の2週目を超えるとクリスマスシーズンで

 飛行機のチケットが高くなるし、僕が行くアンゴラの教員養成校は

 生徒がみんなお休みになって学校が閉鎖になるかもしれないから、

 きても誰もいないよ!

 ということになるかもしれないし、

 協力隊と違って6カ月しかないので色々と考えてしまいます。

 なにはともあれ、これが今の僕の状況です。
 
 予想では後2週間くらいでビザが下りると思います。
 
 頑張って待ちますね!