2010年7月10日土曜日

シャンプーと言う犬の話⑥(最終回)



<写真はシャンプーを追いかけて我が家までたどり着いた子犬です。優しい表情
 のシャンプーから僕はなぜか強さをもらった気がします>


 その後に僕は一度もシャンプーの子供を見に行ったことは無かったのですが、

途中で気がついたのはシャンプーは育児の手を休めるためにウチにきて

くつろいでいることでした。

一週間くらい経つと少し大きくなったシャンプーの子供達が一匹、

これもまたガリガリに痩せて、シャンプーを探して我が家に来るようになりました。

100Mくらいの距離ですが、よろよろとシャンプーを探して歩いてきます。

 シャンプーからミルクをもらおうと一生懸命にまとわりつきますが、

シャンプーもすでにガリガリでおそらくミルクはでないと思います。

子供も一生懸命ですがシャンプーもどうしようもできない様子でした。

 ただ一生懸命に子供の顔や体を舐めてあげていました。



 ある程度まで大きくなった子供は既に自分で食べ物を探さなければ

バヌアツでは生きていけないし、その能力が無い子供は生き残ることができない

という自然淘汰の中に居るのだと思いました。

優しそうなシャンプーが普通にその掟を理解して子供を甘やかさない姿勢に

僕は少し感動しました。


 そんなシャンプーの子供達も、人間の都合で勝手に犬の欲しい

家に引き取られていって、僕から見たらシャンプーはなんでこんなに

つらい思いをして子供を産んだのかな?

って思ってしまったけど、それはシャンプーにとっては普通の事

なのだとも思いました。

 結局はそういう同情みたいなものは野性の掟の中で生きている

彼女にとっては意味はないし、それをコントロールしようとか

勝手な同情で助けるのは人間のエゴなのだと感じました。

 「金持ちの奥様が自分の犬を愛すような、神様が人間を愛すような、
       そんな愛なら私達は必要ない」
 
バヌアツの図書館にあった本多勝一さんの本に書いてありました。

「ひざまずいて生き延びるくらいなら、自分の足で立ったまま死にたい」

 これは何故かオーシャンズ13の映画の中のセリフだったと思います。
 
バヌアツでの自分のボランティア活動がそういった間違った

姿勢になってないなかったか、これから行くアフリカで自分がそういう風な同情

にたよった「自己満足」なボランティア活動にならないか、

しっかりと考えようと思います。


 僕がバヌアツを去ったのは2009年の一月、それから一年以上たった先日、

協力隊の活動が終わってバヌアツを去ることになった

後輩隊員のヒロがバヌアツから最後のメールとして僕に送ってきたメールに、

追申として

 「シャンプーは今でもおしとやかに頑張っていますよ」

という一文が加えられていました。

 バヌアツ、タンナ島は治安の問題で男性隊員だけ、

僕一人から始まった最終的に5名でした。

その5名の隊員がみんな尊敬して、いつも気にかけていた犬、

それがシャンプーです、過酷な状況のなかで、恋人のスパイダーを失い、

ガリガリになって産んだ子供達も、すぐに人間達に持っていかれてしまった

シャンプー、そんな状況のなかでもおしとやかに、自分のペースで

決して餌の為にだけ生きているのではない彼女の姿勢は、

なぜか僕ら5人の心に訴えるものがありました。

きっと彼女は僕ら5人がどれほど彼女について話し合ったかは知らないし、

そんなことは興味はないのかもしれませんが、

僕ら5人は10年後にあってもやっぱりシャンプーの事は忘れないと思います。

 これがシャンプーと言う犬のお話です。 高貴ということばを犬に使ってよいのか

わかりませんが、彼女こそ本当に高貴な存在なのだと感じました。