2014年2月2日日曜日

ウォッシュレットが自由を奪った

 










  電車にのっている、

 右手につり革、左手に鞄、本を読みたい、もう一本腕があったらなー

 そう思って腕を一本増やす、電車が何時に目的地に到着するかを

 調べたい、4本目を増やしてスマホで調べる。

  選択肢を増やしたい、快適さを求めたい、そう思って多くのものを

  手に持ちすぎて気が付いたら自分が大忙しになっている。

  持っているものを維持するだけですでにとても肩がこる。

  しかも一度手に入れた腕(快適さ)を失うことはとても悲しい

  高度医療、年金、自衛隊 、マイホーム、高学歴、 

  リニアモーターカー、2020年東京オリンピック、原子力発電所

  「多くを持つことは良い事だ」

  と戦後に頑張ってきたけど、義務教育と健康保険で受けられる医療

  上下水道、電気、ガスがあれば結構人間幸せだよね? 

  失わないと気が付けないのかな?

  腕を増やすよりも自由な時間を増やした方が幸福度は増すと思います。

  スマホがないと生きていけないというなら、
 
  スマホが無かった10年前の日本人は不幸だったのかな?

  電気、ガス、水道が無かった江戸時代の日本人はどうしようもなく悲しい国民だった

  のかな?

   ウォッシュレットがないから海外旅行に行きたくないという人は

   ウォッシュレットが無い時代に生まれていたら海外旅行に行けたことになるぞ

   多くを持ち過ぎると失うのが怖くて動けなくなるのだと思います。
     
  
  「富は海水のようなもの。飲めば飲むほど、のどが渇く」

                     ショーペンハウアー

   
 今あるもので何とかするのも人生の楽しみだよね。


   
 
  

 

 

ルパンの自己実現欲


子供のころからルパン三世が好きだ。

ルパンはお金が欲しくて泥棒をしてるのではなく

金持ちが大切にするものや、誰も盗めないものを手に入れるために

日々頑張っているのが素晴らしい。

オリンピックのメダルと一緒であくまでも象徴なのだ
 
  
ルパンは手に入れたものには価値を見出さない。

高価なものを盗むまでの充実感を楽しんでいて、

決してお金もちになりたい訳ではないのだ。

そのほとんどが最後にフジコに持っていかれるのも面白い。

フジコは手段はどうでもよくて、単にお金が欲しいだけなのだ。

いかに楽してお金が手に入るか、自分が贅沢できるかが大切なのである

(いかにも女性的だと書いたら怒られるからここでは書きませんが)

  
ルパンはいつもフジコに肩透かしを食らい盗んだ財宝を持っていかれるが

本当のところはフジコを手に入れるまでにゲームを楽しんいるだけなので

実際に手に入れる必要はないと知っているのだと思う。
 
  
  
「真の強者は群れない。」

というが基本的にはルパンは一人だ、次元はパートナではあるが手下ではないし

五右衛門にいたっては必要のある時しか出てこないし

彼も決して自分はルパンの手下だとは思っていない。

  
そうやってみるとルパンには男としての生き方のヒントが詰まっている

  
「男には自分の世界がある、たとえるなら空をかける一筋の流れ星」

と歌っているのもうなずける。

流れ星は世界で一番美しいがダイアモンドのようにお金では買えないし、
  
決して手に入れることはできない。 それが男の世界なのだと思う。

そんな風に生きれたら良いなー  

   

   
 
  

  

 

心を枯れさせた井戸の話


 先日に知り合いの先生に中学校3年生の授業に呼んでもらいました。 

 テーマは日本の国際協力(ODA政府開発援助)は増やすべきか、減らすべきかです。


 まず中学生に問題を出しました。

   アフリカに毎日片道一時間、
往復2時間水汲みをしている村がありました。 

   子供たちはそのために学校に行くことができません

 日本の国際協力でそこに井戸を掘ることにしました。 

  さいわい村長の家には電気が通っていたので、
そこにポンプ付きの井戸を掘りました。

 これで子供たちは学校に行けると思って一件落着

 しかし一年後に行って見ると子供たちは以前と同じように学校に行
っていませんでした。   何故でしょう? という問題です。

 生徒たちは

 「学校にいく必要性がわからないから」 

   「井戸ができても他に仕事があるから」 

  「学校に行くお金がないから」


  というようなことを考えてくれました。 でも答えは

  「
一年後にいったら村長が水汲み料として村人から100円ずつ集めていたので、

   子供たちはそのお金を作るために働かなければならなかった」

 というものです。 

 「途上国の人は困っている、純粋である、
与えられたものに感謝する」
 
 というのはこちらの勝手な思い込みで、日本と同じように彼らにも社会があり、

 
人より多くを持ちたいと思う気持ちがありやきもちもある。  

 みんな納得していました。

   

 村長の意見は

「電気ポンプを動かす電気代はウチに請求が来る、
しかも村人は共同でものを管理することに慣れていないので、

水場はいつも汚れているし、
たまった水が腐ってボウフラがわくし、
結局それを掃除して管理するのは私の家族だ

だから100円もらわないと割に合わない」


 村人は

「昔は村長の子供も、ウチの子供も仲良く水汲みに行っていた、

今は井戸によって格差ができた。

こんなことなら井戸なんて無くても村人みんなが平等なほうが幸せ
だった」

作った日本人は
  
「一つの村につき20万の予算がついていた、

 電気ポンプにしないと予算を消化できなかった」

というものでした。

そして日本人から見たら可愛そうに見えた往復2時間の水汲み生活
が果たして本当にかわいそうだったのか?  という疑問もあります。

アフリカの人に 往復2時間満員電車に押し込まれて通勤している日本のサラリーマ
ンと
  
往復2時間水汲みをしている自分たちのどちらを選ぶ?と聞いたら

「アフリカ!今のままで幸せ」

というと思います。

      

では何故ODA(Official Development Assistance 政府開発援助) 

が必要かというと中国やアメリカに負けないように、

ガソリンやレアメタルを持っている途上国から優先的に資源を買うため。

グローバル化で勝ち残る為。ということになるのだと思います。 
   
中学生はそれにも納得していました。

みんな熱心に発言してくれてとてもうれしかったです。