2014年2月2日日曜日

心を枯れさせた井戸の話


 先日に知り合いの先生に中学校3年生の授業に呼んでもらいました。 

 テーマは日本の国際協力(ODA政府開発援助)は増やすべきか、減らすべきかです。


 まず中学生に問題を出しました。

   アフリカに毎日片道一時間、
往復2時間水汲みをしている村がありました。 

   子供たちはそのために学校に行くことができません

 日本の国際協力でそこに井戸を掘ることにしました。 

  さいわい村長の家には電気が通っていたので、
そこにポンプ付きの井戸を掘りました。

 これで子供たちは学校に行けると思って一件落着

 しかし一年後に行って見ると子供たちは以前と同じように学校に行
っていませんでした。   何故でしょう? という問題です。

 生徒たちは

 「学校にいく必要性がわからないから」 

   「井戸ができても他に仕事があるから」 

  「学校に行くお金がないから」


  というようなことを考えてくれました。 でも答えは

  「
一年後にいったら村長が水汲み料として村人から100円ずつ集めていたので、

   子供たちはそのお金を作るために働かなければならなかった」

 というものです。 

 「途上国の人は困っている、純粋である、
与えられたものに感謝する」
 
 というのはこちらの勝手な思い込みで、日本と同じように彼らにも社会があり、

 
人より多くを持ちたいと思う気持ちがありやきもちもある。  

 みんな納得していました。

   

 村長の意見は

「電気ポンプを動かす電気代はウチに請求が来る、
しかも村人は共同でものを管理することに慣れていないので、

水場はいつも汚れているし、
たまった水が腐ってボウフラがわくし、
結局それを掃除して管理するのは私の家族だ

だから100円もらわないと割に合わない」


 村人は

「昔は村長の子供も、ウチの子供も仲良く水汲みに行っていた、

今は井戸によって格差ができた。

こんなことなら井戸なんて無くても村人みんなが平等なほうが幸せ
だった」

作った日本人は
  
「一つの村につき20万の予算がついていた、

 電気ポンプにしないと予算を消化できなかった」

というものでした。

そして日本人から見たら可愛そうに見えた往復2時間の水汲み生活
が果たして本当にかわいそうだったのか?  という疑問もあります。

アフリカの人に 往復2時間満員電車に押し込まれて通勤している日本のサラリーマ
ンと
  
往復2時間水汲みをしている自分たちのどちらを選ぶ?と聞いたら

「アフリカ!今のままで幸せ」

というと思います。

      

では何故ODA(Official Development Assistance 政府開発援助) 

が必要かというと中国やアメリカに負けないように、

ガソリンやレアメタルを持っている途上国から優先的に資源を買うため。

グローバル化で勝ち残る為。ということになるのだと思います。 
   
中学生はそれにも納得していました。

みんな熱心に発言してくれてとてもうれしかったです。

 

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