2014年9月26日金曜日

イギリスの市場から学んだお金の感覚





             【写真は何時も買い物に行っていた市場です】


イギリスの卸市場で週に10万円ずつ買い物をしている時期があったレストランをしていたわけではなくて、国際協力のNGOの学校に所属したからだ。

 僕は料理の知識があるが、英語ができないので、市場ではいつも親切なジョンという市場の兄ちゃんに相談しながら何を買うか決めていた
ジョンを紹介したのは僕の前任のイタリア人、フランチェスカ。他の市場のオッサンイギリス人は英語の訛りが強く、見た目も怖いので、いつもジョンにお願いしていた。

ズッキーニだったり、ブロッコリーだったり、洋ナシ、プラム、おいしくないイギリスの紫のキャベツ、
リンゴなどリヤカーにどんどん乗せていく。

ジョンは腐りかけのバナナをひと箱くれたり、傷の付いたリンゴを安くしてくれたり、お買い得の野菜を勧めてくれたり、その場で食でナイフで切って食べさせてくれる良い奴だった。

60人分の食事で一人の予算は一日300円だから一日18000
一週間で126000だけど、イギリスのパンは一週間もたないので週のまんなかでもう一度買い足しに行く、 
お金を管理しているA先生は10万円を5人の僕ら食事スタッフにわたし、26000円を足りない時に追加でくれるシステムだった。

シルビア(イタリア)、エリック(メキシコ)、ソフィア(
ポルトガル)ウラ(ニホン)、アルツー(ブラジル) の5人がそのメンバーだったが、 僕とアルツー以外の3人は自分がお金の管理をすると本気で喧嘩を初めて、その理由がよくわからずに僕は戸惑った。

結局はみんながお金を着服したいのではなくて、相手が着服すると思っているようだった。

エリックとシルビアが仲が良いこと、ソフィアがポルトガル語しか話せないことでシルビアがお金を管理することになった。

   
買い物係はバンに乗れるのが4人なので大体いつも4人だったが、
僕は運転できるのと料理の知識があったので、いつも買い出し組だった。

最初に市場に行って、野菜と果物を箱で買い、4万使って、
その後にアスダ、テスコ、センスブリーズなどの大型スーパーマーケットでパン、ハム、チーズ、冷凍食品などを買う流れだった。
 
ちなみにイギリスでは生活水準によって行くスーパーが違っていて低レベルから順番に
1、アスダ
2、テスコ
3、センスブリーズ

という感じ、日本で言うとダイエー、イオン、成城石井というようなランキングになる。 
 
それぞれのスーパーが自社のオリジナルブランドだけ半額以下で売っているのでお金の無い僕らはいつもそればかりを買っていた。

   
ブラジル人のアルツーは何時も買い物してる途中でスーパーの商品を食べていて
、ジュースやチョコレートの食べかすをカートに入れる、レジの人はその食べたグミとかペットボトルとかのバーコードを読み取り生産してくれるという事後申告でOKだったが、そのルールはブラジルでは通用してもイギリスでは通用しないきがして、共犯と思われることにいつも焦っていた。

しかしアルツーから

「このグミうまいよ!」
などと渡されれて一緒に食べていたが・・・

A先生はレシートを見て怒ったりしたが、あまり本気ではなくって僕はその感覚がいつも不思議だった (グミも一緒に食べたし・・・)

会計前の商品をスーパーの中で食べることもブラジルでは当たり前
のようだった。


そんなある日いつも買い出しに行かなかったソフィアが買い出しに
ついてきた。市場でジョンと相談しながら買い物をしている僕の隣で、一緒に品定めしていた。

ソフィアは旦那さんのルイーズと一緒にそのNGOに来たが、
二人とも45歳くらいだったのだと思う。ポルトガルの貴族みたいで、とてもきっちりした夫婦だったが、ポルトガルの貴族独特のエラそうなところもあった。

しかし、彼らの傲慢さはただ偉そうという非常にわかりやすいものだったので、僕にとっては付き合いやすく、ルイーズもソフィアも僕とは仲が良かった。

ソフィアのアドバイスを聞きながら商品をリアカーに乗せて、最後に会計をして、そのままトラックの荷台に積むのだが、
驚いたことにソフィアはその日に帰ってから、すべての箱と交渉した値段をチェックして35ポンド(2010年当時では5000円くらい)多く払っていることを突き止めてうれしそうに僕に報告してきた。

     
今すぐジョンに取り立てに行くから運転しろと言われて僕はうんざ
りした。

往復で1時間30分はかかる。

結局来週の買い出しの時にマイナスすることになったらしいが何度もジョンのボスに片言の英語で電話していた。
時には旦那のルイーズも加わっていた。

ジョンがチップとして毎週少し多めにとっていたのか、
単純に今回だけのミスだったのかはわからないが、自分のなかでもしかしたらジョンは毎週僕からお金をかすめていたのかな?だからいつも愛想が良く、率先して僕らの担当を引き受けてくれていたのかな?と思うと、次回から気まずいな・・・

と感じて、次の週には言い訳をした買い物係に行くのを避けた。
     
それと同時にソフィアの行為に何のプラスも感じなかった・・・・

だから日本人の男はダメだと言われるのかもしれないけど

     
僕はなるべく8万以内に買い物を終わらせて2万くらいは余裕を持
たせようと節約していたが、そのことも後から問題になった、毎月26000円のお金がA先生に残っていた、次の月でもそのお金は使えると思っていたが、A先生は次の月には繰り越せない。
と言って、26000円はどこかに行ってしまい、次の月もまた10万円しかくれなかった。

結局その月も僕は8万円に抑えていたので、
週の途中にパンとその他を買い足しても100000円で収まった。

そしてA先生はその月にロンドンに息子と遊びに行き全寮制で敷地の中に一緒に住んでいる10歳の一人息子は新しい子
供用のマウンテンバイクに乗っているというわかりやすい現象が目の前で起きた。

ソフィア、シルビア、アルツーは猛抗議したが、認められず、来月からは最初に126000円を渡せと言ったがそれも認められなかった。

しかし恐ろしいことにソフィアは次の週にA先生に渡し
たレシートを全てコピーをとっていて、NGOのボスK先生に告発したのだ。

そのころには僕は人間不信で3か月間のこの食料係が終わることだ
けを願っていた。

A先生はNGOのボスに注意され、
先生としての立場や説得力もなくなりしばらく授業を休んでいた。 僕は可愛そうだな。 と同情したが、結局A先生はその後もお金のことで怪しい動きを見せることが多かった。

    
でもいま思えば、
これらのことはすべて海外では普通の感覚なんだと思う。

人にお金を預ければかえってこないし、
隙があればある程度のお金は着服する、周りもある程度はそれを許す。

そういうことが少ない日本のほうが珍しいという感覚でいないとい
けないのかな?

と振り返って感じています。

そして日本人が海外に居る時は少なからず

「人を見たら泥棒と思え」

という感覚で生活しないといけなくて、日本よりもオープンでフレンドりーに振るまえる海外において、頭の片隅で常に相手を疑わなくてはいけないという矛盾に疲れるのは確かです。