2011年2月16日水曜日

6本の腕


 
 <写真は典型的なアンゴラのバンゲラという町の風景です。乾燥した
空気のサハラ気候では植物は育ちにくく、捨てられたゴミばかりが乾いた
大地に残って目立ちます。もう少し植物が生えればきれいな風景というか
やさしい風景になるのにな、と感じます>


 日本人は相手の気持ちになって考えることが得意な

人種だと習ったこともあるし、自分でもそう思います。

 相手の気持ちを創造できるので、相手が嫌がるようなことは言わないし、

 協調を優先するので、衝突も少ない。

 でもたまに思います。

 日本にいてアンゴラの映像をみて、

 子供がごみをあさっている、

 マーケットで女性と男性がつかみ合いの喧嘩をしている。

 泥水を飲んでいる

 車は人がすれ違うような感覚で走っている

 薬不足で日本でなら簡単に救える命が救えない

 教育を受けれない子供達がいる

 
そういう光景を見て相手の気持ちになって考えることが得意な日本人は

 もし私が明日この状況になったら生きていけない。

 そう思うと何かしなくてはいけない。

 と思うかもしれませんが、

 たとえばアンゴラの人達が昨日まで日本のように豊かで今日、

急に今の現状のようになったのなら、

日本人の「想像力」はアンゴラの人達にとっては一時的に

「ありがたい」

だろうし、津波や地震で今までの生活が急に破壊されたのなら

 そういう援助は今すぐにでも必要な援助だとおもいますが。

 生まれたときからそれが当たり前の人達にとっては、

そういう想像力とか援助というなの「同情」よりもきちんとした

 ビジネスパートナーとして同等に仕事をしてくれる仲間のほうが

必要なのかもしれません。



  前にもブログに書きましたが

 100年後の2111年からタイムマシーンで未来の人達がきて

「日本人の平均寿命は85歳なんてかわいそう、ガンやエイズで死ぬなんて

100年後には考えられない、2111年の平均寿命は120歳だよ」

 っていわれて、日本人を救ってあげよう!

 みたいなキャンペーンをされてもうれしくないように。

  
 たとえば地球人全員が阿修羅みたいに腕が6本あって生活しているなかで

事故か何かで急に4本の腕を失って2本になってしまった人がいたら、

その人は次の日から不便だと思うだろうけど、

生まれたときから2本で生活してきた僕達がが今のところそれで

 十分だと思っているように、アンゴラ人も特に今の状況を

 不便だとは思っていないのだと思います。

 

相手の気持ちを考えることができることはすばらしいことだと思いますが、

 もう一つ次の段階、「裏の裏」まで考えてあげて、そこから相手のプライド

を傷付けないように、そしてさらにお互いに利益が上がるように。

 そこまで考えての援助なら必要ですが、

「2本の腕だけでは可愛そうだから」

 といって急に援助というなの現金と同情をもらっても

一時的なものになり、結果的には自分で働いて得たお金でないと、

簡単に賄賂や私腹を肥やすために使われてしまうのだと思います。

 だから援助は難しい、そしてビジネスパートナーとして考えるなら

援助国の日本にもきちんと利益があがらなくてはいけない。

 同情というな利益ではなくて現金が儲からなくてはならない。

 そこまでわかっていての援助が大切なのかな?

 と思ったりしています。