2010年5月27日木曜日

組織と個人

 個人と組織 日本

 大企業でバリバリ働いている人がいる、大企業はそれだけ多くの人を管理しないと

いけなくなるので、出勤時間、退社、残業からはじまって、領収証、上司への相談、

根回し、その他もろもろで仕事がなかなか前進しない。

何かトラブルが起こるたびに対策委員会みたいなものができて、

再びおこらないように対策を練る、対策を練る人は練ったことが大切なのであって、

次に再びその問題がおこったときに責任を取らされたくないので、

あまり現場向きではなくて、強引にきめてしまう。

現場で使えるルールかどうかは関係ない、

自分の出世の為には現場でそのルールが守られようが、そうでなかろうが関係ないのだ、

守られなかった場合には、守らなかった現場のせいにしてしまえ!

って言うことになる。

 フェミレスで働いていた頃に肉類は20分以上常温放置してはいけない、

っていう規則があった、それを全国に1000店以上ある

ファミレスで統一することは難しい、夏にできたであろうそのルールは

冬になっても全国で守られている。バイトの人に言われた
 
 「ウラさん冬になったら冷蔵庫は5度だけどキッチンの朝一番は0度以下ですよ、

冷蔵庫の中のほうが暖かいです、それでも20分のルール守るのが社員の仕事ですか?」

 たぶんそれを守ると会社の中では一流になれたかもしれないけど、

人間としては三流になっていただろうと思う。

何か新しい規則ができるたびにまたあたらしい抜け道を誰かが考え出し、

結局はその規則を守るための規則がまたできていく、実力があって、

自分で何でも判断できる自信のある人にしてみれば、

歯がゆい事が多くなって独立したり、多少小さい会社でも、

もっとクリエイティブに仕事ができて、上司にイチイチ相談しなくても

自分に決定権がある職場に移りたくなることもあるだろうし、移る人もいると思う。
 
 「事件は会議室でおこってるのではない、現場でおこってるんだ!」

 って名セリフだと思います。

 しかし移った先では自由が利くが、予算の管理がずさんだったり、

自分を評価して引き抜いてくれた社長が意外とワンマンで合理的よりも

自分の機嫌で物事を判断するから、常にご機嫌を取らなければならずに、

個性的で独創性のある引き抜かれた従業員と、

保守的で気分屋の社長が5年ぐらい経つとお互いにぶつかり合うことは良くあると思う。


 逆に自分で独立して会社を立ち上げて、それが上手く軌道に乗ると、

今度は自分が人を管理しなければならなくなり、

会社が成功して大きくなればなるほど、

もともと自分が大企業に居たころに悩まされたくだらない

規則や管理を自分自身でまた作らなければならず、

昔の自分のような独創性があって、

多少は組織にはなじまないが一匹狼でと結果を出すような

社員が少し面倒くさくなることもあるかもしれない。

 管理について昔読んだ本に

「管理するとは5匹のトラをトラのまま自分の支配下に置くことであって、

5匹のトラを羊に変えて支配下に置くことではない」 
 
って書いてました。

 巨人の監督の難しいところはそこなんだろうなー、って思います。

せっかく良いトラと契約しても、それをトラのまま巨人で使うことって難しいよね。

 そこで大切なのは巨人軍としての誇というかロイヤリティーみたいな、

トラ達が本来持っているはずの忠誠心みたいなものを上手く監督が表現して、

しかも監督自信が謙虚で献身的であることだろうね。 

原監督ってそういうところ上手だな。と思います。

 松井はジャイアンツむきだし、シンジョーは向かないだろうし。

イチローに関しては自分を客観視する能力が凄すぎるから、

おそらく巨人軍にもしはいっていたらそれに

あった選手像に自ら変化していくかもしれないね。

 まあみんな偉大すぎて、凡人では想像できませんが。
 
 ということで次回は続編で海外と日本編を書こうと思います。

日本と海外 (個人と組織の続編です)


 
  <小学校6年生、僕も同じレベルでした>




組織と個人 海外編

 別に海外の組織と個人では無いのですが、それに似た状況を書くと

日本の管理社会やくだらないルールは大嫌い、

海外みたいにもっと合理的で自分の意見をズバズバ言える環境の

ほうが自分にはあっているし、自分の能力を発揮できる!

 と思って海外に飛び出す人は居ると思います。

でも気をつけないといけないのは

日本では自分だけがズバズバ発言してヒンシュクを買って

浮いていたかもしれないけど、海外ではみんながズバズバ言うから、

一向に結論にはたどり着かずに話せば話すほど問題は大きくなります。

みんな自分の意見を通そうと、元のスタートとは全く次元の違う例えとか方向性に

話を持って行ってしまうからです。



 結局3時間話しても次の日には何も解決されないまま同じ

スタートラインから論争が始まるだけです。 いつもそんな感じです。

 それに比べると日本はキッチリとしています。

今ある問題の枠の中だけで話すからね、

とんでもなく大きな例題と比較したりすると、みんなから馬鹿にされたり失笑されるからね。

そしてお互いに相手の話をきちんと聞いてから次の人が話し出すから、

相手の話と自分の話が被らないから言い争いにもなりにくいと思います。

 朝まで生テレビはそういう面では海外の人のやり方を日本人がまねている気がします。

ショーとしては面白いけど、あの場ではあまり物事は決まらないと思います。

 テレビとしては面白いけど、昼間にやらないのはそうゆう理由もあるのかな?

 単にタイトルのせいかな? 「夜まで生テレビ」だと普通になっちゃうもんね!


 3年前にバヌアツに行く前に感じていた日本社会の堅苦しさ、

そしてバヌアツに行ってから感じた、不平等感といい加減さ、

どれほど日本が良いかと思ったことか。

 しかし昨年日本の学校で働いていて感じた公務員の難しさ、

税金を使っているから説明責任がある、

人間として正しい事をしようとすると、組織としては認められないこともある。

他の先生との足並みをそろえなければいけないし、

でる杭は打たれるし、でない杭は腐っていく、

そのジレンマのなかで毎日夜の8時、9時まで職員室に残って仕事をしている先生達。

 必ずしも生徒に人気のある先生が公務員として高い評価を得ている訳では無い、

という現実があることも確かだと思います。
 
それでもみんな頑張って居るのはヤッパリその中でも

子供の成長を感じる瞬間があるからだと思います。

日本の学校の先生は本当に素晴らしいと思いました。



 じゃあ何故今自分はここに居るのかというと、それは難しいけど、

一つの理由としては2,3年頑張るだろうと思っていた親父が、

あっけなく一学期で亡くなったこと、

2,3年も大阪で先生をしていれば、

そのまま大阪で教員を続けることになるだろうとなんと

なく思っていました。 実家のマンションもあるしね。

 でもその親父が一学期で亡くなって、姉は山口、母親は離婚して東京、

しかも自分自身は大学からすでに15年以上も大阪を離れていたし、

しかも所属していたフットボールのチームも関東だったことを考えると、

誰も家族の居ない大阪でこの先55歳まで20年近く教員をする

ことを少し戸惑ったこと。

 後は日本と同じように古い物とか

、伝統、文化を尊重するヨーロッパに何かこの先の日本の

目指すべき答えのようなものがあるのではないか? 

と感じた事もあります。

 
なんでも合理的で新しい物好きなアメリカ式に少し疲れていたのかもね。

その答えを探して納得するとともに、

教育界にこれだけ遅れて入れてもらえるとしたら、

後5年ほど遅れても許されるだろう。なんて甘い事を考えてしまったこともあります。

 でも日本で良い教育者になるためには

自分をもう少し鍛えてからのほうが良いとも思っています。


 もう一つはまだ国際協力にたいして未練があったこと、

日本で仕事するよりももっと自分の個性を生かせる仕事があるかもしれない、

と考えました。大人になったら自分のやりたいことが見つかるだろう、

って思っていた10代の頃から全く何も変わっていません。

おそらく一生何がしたいか探しているうちに人生が終わってしまうの

かもしれません。 


「振り返ってみれば結果的にはまんざら悪くもない人生になっていた」


となることを期待しています。 「人生後付け論」 なのです。

 すいません、自分の事ばかり書いて脱線しました。

 何か言いたかったというと、

「組織と個人」「日本と海外」どっちも素晴らしいということです。
 
 そして、その両方を行ききしている自分は結局こらえ性が無いだけなのだ、

ともいえます。

 日本に居る時には海外のほうが良いと思い、海外に出ると日本が素敵!

と言っているからね。

結局は自分が変わらないといつまでたっても大人にはなれませんよ!

と言いたかったのでした。