2010年3月1日月曜日

聖地ホワイトサンズへ⑨


朝飯が終わって8時、学校にバイクを取りに行ってジョナサンとはそこでお別れ、また来週ね!って登校してくる子供たちとバイクですれ違いながら挨拶をしてポートレゾリューションに急ぎました。
 
 到着は8時22分、遅れてゴメン、って思ってたら先週はなんとなく浮かない顔だった校長のラッキンが何故か熱烈な歓迎をしてくれました。

  グランドの芝もきれいに切ってくれていて
 
「なんか良い感じじゃん!」

 ってことで授業開始!
 この学校は7、8年生もあるし生徒の数も結構居るので2学年づつ一緒にやって合計4コマやりました。
 
 来週の火曜日にまた来るね!っていったら
月曜日の夜から来れば良いよ!っ言ってもらって、来週も泊まるところ確保した!って思ったけど、良く考えたら今朝イクアラマヌにバイクを取りに行ったときに、来週は準備しておくから学校に泊まってね!
 
 って言われてたから来週はイクアラマヌで、再来週に泊めてもらうね!
 っていって戻って着ました。
 
 そこから一気に我が家のあるイサンゲルまで約2時間、先週大雨の中でこの道を通ったときには、ホワイトサンズの巡回は止めようかな?って考えていたのが嘘のように、とっても幸せな気持ちで戻ってきました。
 
 写真は帰りのものです。天気もよくって川の水も引いてとてもきれいな景色でした。
 これが先週と同じ川なのか?
 っておもうとともに、今の僕の気持ちをこの美しい川のい景色が表してくれているようで思わず記念撮影しました!
  
 そしてここまで書き忘れていたけど、ナカマルで出会って僕を泊めてくれた親父というのは、なんと先週この川を渡る時に僕に付きまとったというか助けてくれた黄緑のカラフルシャツ親父だった事がわかりました。
 どうりで見たことあるなー!って思うはずだよね。

 名前は「チーフ・ナカウ」 しかもホワイトサンズでは結構偉いチーフみたい。
 イサンゲルに戻ってきて、近所の子供に、
「ナカウっていうホワイトサンズのチーフしってるか?」
 ってきいたらみんな
「知ってるよ!」
 って答えました。
 
 黄緑カラフル親父結構やるやん!
 って思いながら来週また会えるのが楽しみになってきました。
 
 という事で僕の2学期はこんな感じで始まりました。
ホワイトサンズはマダマダ魅力がたくさんありそうなので、また書きますね。期待してください!
  
 

聖地ホワイトサンズへ⑧


ジョナサンが戻ってきたのは6時過ぎ、二人でいったん学校にもどってバイクを教室の中に入れて、親父の家に向かいました。
 肝心な親父はまだカバを飲んでは村の中を徘徊しているらしく、僕とジョナサンは親父の奥さんの作ってくれたタロイモとマニオクというホカホカの芋のスープにお客さんだからと慌てて乗っけてくれたと思われる冷たいツナの缶詰めののった食事をとって、7時には布団に入りました。
 
 ちなみにバヌアツの人は缶詰めが贅沢品だと思ってご飯や芋にかけたりして食べますが、僕はホカホカのお芋のスープだけの方が本当は好きです。缶詰めの油と塩分は少し苦手なのです。
 
 焚き火の脇に捨ててあった缶詰めの空き缶を見て
(気を使わしてしまって悪い事をしたな・・・・)
 と思いながらも、お皿のなかで温かいスープに冷たい缶詰めを溶かして食べながら、それにしても飛び込み外泊計画は思っていた以上に上手くいったなー
 
 っと少しニンマリしながら、初めてのホワイトサンズでの授業と宿泊先の確保の成功に肩の荷が下りた感じて幸せな気持とともに多少飲みすぎたカバの心地よい眠気に浸っていました・・・・
 
 
 夜の7時から寝て気が付いたら朝の7時、ポートレゾリューションまでは30分はかかるからそろそろ起きなくっちゃと思ったら、ジョナサンはもう居ませんでした。
 
 起きてトイレに行くと、ジョナサンはキッチンのなかで焚き火をしながらタロイモを煮ていました。
 
 横にはお母さんとその娘が座っていました。
 ちなみにジョナサンはこの家の息子でもなんでもないけど、村ってそういうものみたい、何処に泊まっても何処で飯を食ってもよいみたい。
 
 でもジョナサン自身が他人の家のキッチンで料理をしていて、その家のお母さんと娘がその姿を見ているのってなんか変な感じもしました。
 
 ジョナサンって本当にやさしい奴なんだなーっておもいながら僕もタケでできたそのキッチンの中に座って芋が煮えるのを待っていました。
 
すると親父が起きてきて、昨日はどうだったかと僕に問いかけておきながら僕の話をまったく聞かずに一方的に自分のことをイロイロと話した後で、自分たちはお金は無くても食べ物がたくさんあるし、幸せなんだ、お前はもう家族だからいつでも来てくれてよいぞ!
 
 と3回くらい同じ話をされました。
 
 その後親父が居なくなった後で、お母さんにも同じ内容のことを2回ほど繰り返されて、僕はひたすら
 「ウン、ウン」
 と鼻をすすりながら、気が付かれないように、腕時計を見る為にトレーナーの裾を捲り上げてさりげなく時計を気にしていました。

 時間は7時15分
 ポートレゾリューションには8時には着きたい

 「ジョナサン早く朝ごはん!」

ってすこし焦っていました。
 
 

聖地ホワイトサンズへ⑦


汚い小屋と怪しい親父達で構成される独特なナカマルの雰囲気のなかで僕が考えていたのは
 
 今日は誰の家に泊めてもらおう?という事だけ、
もともと僕はあまりカバは好きではなく、付き合い程度で飲むくらいです。でもホワイトサンズのような電気の無いローカルなところでは、カバを飲んでご飯を食べたらさっさと眠るしかやることが無いので、いつもよりは積極的に飲みます。
 
 カバはお酒とは逆に心が穏やかになり、口数亜が減りそして眠たくなります。人間って眠たくなるときって無意識で、気が付いたら眠ってしまっているけど、カバはその眠るか眠らないかの状態を楽しむような感じです。
 
 自分の意識の中でそれがコントロールできます。

 カバにどっぷり漬かろうと思えば、黙って薄暗い中で待っていればさらに深いドロンとした気持ちになれるし、今日はこのくらいでいいやと思えば、自分で自分を覚醒させる事もできます。
 
 ナカマルでカバができあがるのは夕方の4時くらいでした。僕が到着したのは3時半ごろ、それまでの時間しばし回りの親父達と話しながら、どの親父が面白そうか探っていました。
 
 ちなみにカスタムの強いホワイトサンズでは女性はナカマルへは入れません。成人男性しか飲めないのです。しかも大きな声で話してもダメ、ただひたすらみんなで焚き火を眺めながら、カバを飲みヒソヒソと話し合います。
  
 
初めに僕が目をつけたのはカバを作っていたジョンソンという人、意外と真面目そうだし、顔つきも誠実、35歳位かな?
 
 子供はきっと僕の今日教えてきてイクアラマヌに通ってると思うし、ナカマルでカバを作ってるくらいだから地元ではそこそこの地位だと思って目をつけていました。

 その時ナカマルに居たのは5、6名の親父達、怪しい日本人の出現にこいつは敵か?見方か?という視線と好奇心で、僕に直接質問してこないで一緒に居るジョナサンを通して質問してきます。
 
 ちなみにジョナサンは21歳くらいでまだ未婚です、でもガールフレンドと子供が居るみたい。一緒に住んでるそうです。結婚しない理由は、結婚する女性は親父が決めるから自分では決めれない。
 
 という事らしいです。それ以上は難しい問題みたいだから聞かなかったけど、きっと今の状態が3年ほど続いたら親父も観念して今の人と結婚して良いよ・・・・
 って言ってくれるのではないかな?
と僕だけでなくジョナサン自身も考えてるような気がしました。

 カスタムは強いけどそれなりに抜け道もあるものなのです・・・・
 そういう事情もありジョナサンの家には僕は胸を張って泊まりにいけないのです。 

 そして時間は4時半になり、僕は2杯目のカバを飲んで結構良い感じにドロンとしていました。
 
 その時に僕にジョナサンの通訳無しに話しかけてきた親父が居ました。、多分50歳くらい、他の人よりも堂々とした感じで、話題も豊富です。
 そしてこの村のことや自分たちの歴史やカスタムなどをうれしそうに僕に説明してくれました。
 
 僕はカバで少しドロンとしていたし、話も面白かったので、ウンウンとうなずいて居ました。

 そしたらご機嫌になったその親父がところでお前は今日は何処に泊まるんだ?
 ときいてくれたので、マットレスが欲しいだけで何処ででも眠る準備はあるんだけどね、とドロンしながらも意味ありげな投げかけをしました。すると親父は喜んでジョナサンを呼び、
「こいつは今日は俺のうちに泊まらすから、いまからお前は俺の家に行って母ちゃんにお前と、こいつの二人ぶんの飯の準備とマットレスを用意しておけと伝えて来い!」
 
 っと言いました。ジョナサンは僕に、

 「そういうことになったから、僕はいったんこの親父の家に行き、そのまま一度自分の家に戻って事情を説明してからもう一度迎えに来るからね。」
 といって僕を置いてナカマルから出て行きました。

  時間は5時過ぎ、何とか日の沈む6時までに寝る場所が確保できて良かった、と思うとともに、なんかこの親父をどこかで見たことあるなー、なんて思いながら、寒くなってきたナカマルの焚き火をボーっと眺めていました。
 
 

聖地ホワイトサンズへ⑥


やってきましたイクアルマヌ、先生は三人という事だったんだけど、ジョナサンとエビリンの二人しか居ないとの事、
 いきなりやってきた僕に子供たちは少し緊張気味、僕も少しだけのノドの調子が悪いので、ここは一気に組み体操で子供の心を掴むより、無難にドッチボールから入ろうと思い、5,6年生を集めました。
 でもそしたら意外と少ない・・・
 という事で4,5,6年生をまとめてやる事にしました。
 これでも多分35名くらいでした。
 
 高学年さえ終わってしまえば、低学年は気楽なもんです。スキップだけでも大興奮してくれるからね。

  しかも1,2,3年生まとめてだから今日の授業はこれでおしまい。普段は3コマから4コマやってるので、2コマで終わるってとっても楽です。
 だから思い切って縄跳びと
ハンカチ落としのハードなやつ?
 (ハンカチは使わないで、子供にあらかじめ1番から5番までの番号を決めておき、僕が番号を言うとその番号の子供全員が立ち上がって追いかけっこをするというもの)
 
 の普段はメインでやる運動を二つこなして、とりあえず一週目としてはマズマズのでき!
 終わって時間は3時過ぎ!
 
 ってことで今日は何処に泊まろうかなー?
って考えていました。できればカスタムの強いホワイトサンズの中枢を担う村に泊まりたいなー!

 という野心もあるし、日の沈む6時までには泊まるところきめておかないと野宿だな・・・・
 
 とも思いながら、だからといって学校の教室で寝るのもねー
って思い、とりあえず親父達の集まる、ナカマルという
バヌアツの伝統的飲み物「カバ」を出すお店に行けば何とかなるだろう。
 という単純な考えでバイクを学校においてナカマルへと向かいました・・・・
 

聖地ホワイトサンズへ⑤


問題の川は相変わらずゴーゴーと流れていました。
親父とその仲間たちも雨が降ったので家に戻ったようで
した。
 でもその代わりに新車のマツダのピックアップトラックが川の途中で深みにはまって立ち往生、4人の男たちが一生懸命に押していたけど、すでにエンジンが止まっていてマフラーが水につかっていたから、多分もうだめかな?って心配していると、その中の一人がやってきて
 
 「もしお前が運良くこの川を渡る事ができたらレルマケルという村に行って応援を呼んできて欲しい!」

 といわれました。

 こうなったら人助けのためにも絶対にこの川を渡ってやる!
自分の為ならあんまり力がでないけど人の事にはなんか意味も無く使命感ができたので行きに川を渡り終えた時に自分で目印に突き刺した流木と、黄緑シャツの親父が川の対岸に突き立ててくれていた浅瀬を示す流木を目安にポイントをきっちり確認して来た時よりもアクセルを強目に吹かして一気に川を渡りました。 
 
 もうパンツまで濡れているので、洋服が濡れる心配などしなくてよいので一気に川を渡りきりました。
 
 そしてレルマケルに行って応援を呼んで、そのまま自分は帰路へと向かいました。
 
 途中で二回ほど休憩してイサンゲルに戻ったのは夕方の4時半、村人に顔色が悪いと言われて、そのままその日はなにもしないでゆっくりと寝ました。
 
 
 アレから一週間、その週他の巡回先の学校も相当道の荒れた学校だったので、半ばふてくされながら山を登っていきましたが、やっぱり普段ボランティアとは無縁な僻地に住んでいる子供であればあるほど、体育の授業を喜んでくれて、授業が終わって子供達が名残惜しげに僕のバイクを取り囲み、その後出発と同時にいつまでの後ろを追いかけてきてくれる姿をバックミラーで見ながら、
 
 「仕方ないから来週も頑張ってくるかな?」

  って思ってしまいます。

  学校によっては僕が来る為に学校まで上ってくる丘の道を生徒に補修させるから来て欲しい、といってくれるところまであって、さすがにその学校には、雨季が終わったら必ず着ますので、と断った事もありました。
 
 そして二学期二週目の月曜日、今日はもう一度あのホワイトサンズと川にリベンジだ!

  という事で朝から気合をしれてイロイロと準備をしました。
 
 予備のガソリンと川を渡った後でチェーンに塗るオイル、タイヤがずれてチェーンがたるんだ時に修理する工具、そして雨合羽と飲み水、寝袋、先週の月曜日から咳が止まらないので、そのためのイソジンも持ちました。もちろんジップロックに密封したトイレットペーパーもです。
 
 でもイソジンを薄める水までは持つ余裕がないので、困った時にはイソジンを原液のままノドぬーるスプレーのようにノドに数滴垂らします。結構効きます!っていうかスッゴク聞きます! 

 ちなみに先輩隊員にはイソジンしてたらバヌアツ人に吐血してると間違われて大騒ぎされた人居るらしいです。
  

聖地ホワイトサンズへ④


30分かけてイクワヌマヌに戻った時には雨はさらに増していて、とりあえずもう一度ジョナサンに頼んで雨宿りさしてもらいました。
 誰もいない教室でジョナサンに日本語の50音を教えたりしてるうちに、寒さとともにすっごく眠たくなってきて、椅子に座ったままウトウトしてしまいました。
 
 目覚めたらジョナサンは居なくて、外に出てみると子供が僕を呼んでいます。
 なにやらジョナサンがマットレスを持ってきてくれたみたい。

 小学校の床に無造作に置かれたマットレスと、シーツなのかかけ布団なのかわからないビミョーな薄さの布団に包まって
あっという間に眠りに落ちました。
 
 目覚めたら外はあいかわらず雨模様、真っ暗だったので、もしかしたもう夕方?っておもったらまだ2時だった、外に出てみたけど、まだ大雨、きっと川はさらに増水してるんだろうなー!
 って思ったけど、全身ずぶぬれのこの状態で一晩過ごすくらいなら、川を泳いででもわたって自分の家でゆっくり眠りたい!
 っていう寒さによる強烈なホームシックに襲われて、大雨の中を出発する事にしました。
 
 ここから気合を入れて帰れば2時間で着くはず!
最後の力を振り絞って家へと向かいます。
 
 

聖地ホワイトサンズへ③


しかし20分まっても雨はやみません、今回のホワイトサンズでの巡回指導で僕が考えていたのは、月曜日の午後にイクワラマヌで教えて、その後一度家まで戻ると、2時間近くかかるので、そのままどこかの村に泊まらしてもらって、次の日の午前中にポートレゾリューションで授業をして、その後に自分の村であるイサンゲルまで戻ってくると言う計画です。
 
 だからイクワラマヌにレターを出したからには絶対にポートレゾリューションにもレターを出さないと、来週の予定がくるってしまうとおもい。雨に濡れて体も冷えてきたし、いっそのことバイクでこのまま行ってしまえ!と思って、雨の中を出発しました。
 
 そこから約30分かけてポートレゾリューションに到着。思っていた通り、こちらも授業はやっていなくて、先生達もまだ学校には来ていなくて、住み込みで学校にいた校長先生に、
 
 「来週から宜しくね!」
 
 って自分ではやさしい雰囲気で言ったつもりだったんだけど、家を出発してかすでに3時間も過ぎていて、しかも雨の中震えてバイクを運転してきた僕の笑顔にはそんなに魅力は無かったみたいで、
 
 「とりあえず来週来てからゆっくり話し合いましょう」
 
 みたいな、まだ少しだけ他人行儀ないい方されてしまいました。
 でもとりあえずこれで今日の目標は達成!
と自分を奮い立たせながらも、今から来た道をしかもこの冷たい雨の中戻るの?しかも帰り川を渡れなかったら、もうすでにパンツも雨でビチョビチョだし、もし仮に泊まれるところがあったとしても、濡れた服のまま眠るの寒いなー!
 って思いながら引き返しました・・・・・・
 
 写真は後日撮ったポートレゾリューションです。
 岬の先端み見える岩は昔キャプテンクックがバヌアツを発見した時に上陸した記念の場所だそうです。
 
 現在のポートレゾリューションという名前は第二次大戦の時にレゾリューション号というアメリカの戦艦が来た時についた名前だそうです。
 
 今でも外国のヨットなどが止まっている綺麗な湾です。
 
 でも凄い僻地で入国審査とか絶対に無いから結構穴場かもしれません。
 
 

聖地ホワイトサンズへ②


しばらくトラックが来なくなると親父達は退屈になったみたいで、また僕のいるところまで上ってきて、
 「あっちから川に下りてこい、そうすれば俺たちがバイクを担いで向こうまでもって行ってやる、お前はただ歩いて渡ればよい」
 と、シツコクせまってきます。
 でも川の水は濁っているし、バイクを担ぐのは無理だと思うし、それに帰りはどうするの?
 親父達は僕が帰ってくるまでここで待っててくれるの?
バイクが壊れたら僕の活動がその場で停止してしまうし、そこまでのリスクは背負えないから相変わらず
 「アー」とか「ウー」とか相変わらず煮え切らない返事をしていました。
 
 でも1時間もそんなことをしていると、気持ちだけ川の水かさが下がってきました。
 
 ビスケットでお腹も膨れたし
「これは一つ頑張ってわたってみるか!」
 
 というきになったんだけど、親父達が悪乗りするのが嫌なので、
「まだ渡るかどうかは決めてないよ」という雰囲気をだしながら少しだけ親父に近づいていきました。
 
 暇をもてあましていた親父達は新しい客が来たを言わんばかりに大ハシャギで、
 「俺が先に歩いていって浅いところを探すからその後を着いて来い!」
 と言う感じでした。

 川幅は30メートル位で水位は深くても50センチくらい、でもそのかわりところどころ火山灰がたまっているので、バイクはタイヤを取られて抜け出せなくなります。
 
 基本的に僕のバイクはオフロード用でマフラーが高い位置についているので、50センチならわたれるけど、もし転んでエンジンが止まったら、マフラーから水を吸い込んでしまってバイクは壊れてしまうかも、でもここまできたら行くしかない!
 っておもって親父とその仲間の後ろについていきました。
 
 
 緊張しながらも何とかわたって、自分がわたったポイントに流棒を突き刺して帰りの目印にしてから、黄緑親父とその仲間たちに挨拶をしてその場を離れました。
 今から行く学校は
 イクワラマヌ小学校とポートレゾリューション小学校。どちらもタンナ島の中では僻地です。
 
 そして嫌な予感は的中して、川を渡ってしばらく行くと
ポツリ、ポツリと雨が落ちてきました・・・・
 帰り川を渡れるかな?って思いながらとりあえず前進あるのみ!
と勇気を振り絞って走りました。
 
 とりあえずイクワラマヌ小学校に行くと、今日から二学期のはずなのに学校はシーンとしていました。
 通りがかりの人に聞くと
「だって今は2ウィークスホリデーでしょ!」
 っといわれました。
 「でもそれは先週までで今週からは二学期なんだよ!」
 っていってやりたかったけど、言ったところで意味無いよなー
 って思っていたら、校舎の中から一人先生が出てきました。
 なんかみたことあるな? 
 って思ったら、前に火山の近くの温泉に行った時に、子供たちをピクニックに連れてきていたジョナサンという先生でした。
 
 早速巡回指導のレターを渡して、来週の月曜日に来るからね!って伝えました。
 そして寒いし雨が凄いから雨宿りさしてもらいました。
 
 18-2 体育 浦 輝大

聖地ホワイトサンズへ①


この川の向こうにある村の学校でも巡回指導に行きたい!

二週間の春休みが終わり、今日から二学期、この川の向こうにあるホワイトサンズでの巡回指導はかねてからの目標であり挑戦でした。

ホワイトサンズはタンナ島の東側にあり、イギリス、フランスが空港を西側に作ったのは火山のあるホワイトサンズよりも飛行機の安全を優先した為だと思います。

なんといってもホワイトサンズにあるヤスール火山は毎日爆発しているからね・・・

そして東側よりも気温が低い、だから最初は夏に行こうと思っていたんだけど、その時期を昨年逃してしまい、今年の一学期から行こうと思っていたら、雨季にあたってしまって道が悪いし、雨だと思うように授業もできないし、それで結局二学期になったら行こうと考えていたんだけど、今年の雨季は平年より長く、一雨ごとに寒くなってドライシーズンに近づいていくとは言うものの、いまだに雨、そして寒い、川は見ての通りの増水で雨こそ降ってないけど、いつ降り出してもおかしく無い感じ。

もしこの川を渡った後に雨が降ってきたら戻ってこれるかな?
しかも毎週この川を渡って授業しに行く事にそこまで意味があるのかな?
って考えながらも空と川を見上げてしばらくビスケットをかじってました。


巡回指導をお願いするレターを出そうか出すまいか迷いながら川の手前でビスケットを食べていると、30分に一台くらいトラックが川を渡っていきます。

そしてそれをかわらで見ている黄緑色のカラフルなシャツの親父とボロボロのグレーのシャツとその仲間たちが、
「渡るなら俺たちがバイクを担いでやる!」
とか
「俺が浅いところを先に歩いて示してやるからその後をこい」
とか僕と僕のバイクに興味津々な感じです。

でも僕が迷っているのはここで川を渡って向こうの学校にレターを出してしまうと、これから一ヵ月半毎週この川を渡らなくてはいけなくなってしまうから、雨季が完全に終わってからもう一度出直そうかな?
っていう深ーい考察がその時に行われていた途中だったので、今ここで川を渡りたいだけではないという問題なのです。

とりあえずビスケットをかじって気分転換していたのは何も空腹だけではなくいったん自分を落ち着かせようという気持ちがあったからなのです。 

後はただ座ってるだけだと親父達が話しかけれ来るのでビスケットをかじっていれば、近寄ってこないかな?

とも考えていました、いずれにせよ今ここで川を渡るかどうかが今後
約一ヶ月半の巡回指導の仕事を大きく左右します。

でも親父達にそこまで話して事情を説明するのは難しく、親父達とは少しだけ距離をとって、味のしないビスケットをまた一人でかじって考えていました。

追悼スパイダー


あまりブログには書いて無いてなかったけど、家にはスパイダーという犬が居ます。 
 なぜあまり書かなかったかというと、スパイダーのことを
書くと止まらないので、なるべく避けていた気がします。
 
 それほど僕らの二人暮らしは楽しいものなのです。 
 
 もともとは二軒先の家の犬だったのですが、僕のことが好きなようで、道をあるいていると後ろから付いて来ることがよくあって、それと同時にウチの裏でゴミを燃やす為に掘ってある穴から食べ物を見つけようとするので、荒らされるよりはましかと思い。最初から与えるようになってしまいました。
 
 不振な人が来るときちんと吠えてくれるし、僕の家にきてくれていたセキュリティーのジョセフが居なくなってからはジョセフの座っていた大きな椅子に代わりに腰掛けてそこで警備にあたってくれるようになり、彼の鳴き声に起こされて夜中に懐中電灯を持って外に出て行くことも何度かありました。
 おかげで一年間泥棒に入られた事はありません。

 でも最初はご飯にありつけるから尻尾を振ってるだけで、誰でもいいんだろうな、くらいにしか思ってませんでした。
 
 本当の飼い主もきちんと居たしね。
 
 そんな生活が続いていたあるとき僕は2週間ほど首都に上がっていました。
 
 戻ったらきっと元の飼い主の所に戻ってるんだろうな?
って思いながらトラックの荷台に乗って飛行場から我が家にたどり着いた時に、なんとスパイダーがジョセフの椅子に座って僕の帰りを待ってくれていました。
 
 僕がトラックの荷台から降りて大きな荷物を下ろしている時に飛びついてきたスパイダーの「鳴き声」というか「泣き声」は今でも耳に残っています。
 少し恥ずかしかったけど、ちゃんと待っててくれたんだねっていう気持ちを込めてきちんと目を見てただいまの挨拶をした時、僕がなでたスパイダーの首の皮がスッゴクたるんでいて、二週間ですっかり痩せていたことに気が付きました。
 その瞬間に、
「お前はもうウチの犬になるって決めてたんだな。」
って確信するととこに、もう自分の犬だと決断しました。

 アレから一年、

 パンの耳はスパイダー、白いところ僕が食べること

 雨の日にはウチの中で寝ても許されること

 パンにバターを塗らないと怒るけど、スプーンで塗る振りだけをすれば納得して食べること
 
 夕方に僕が鍵を持って出てくるとストアーに行く合図なので一緒についてくるけど、持っていないと近所で遊ぶだけだということ
 
 バイクのエンジンの音には凄く遠くからでも反応して迎えにきてくれるところ
 
 鍋からスパイダーのさらに残飯をよそってる途中に我慢できなくて顔を突っ込むと僕に蹴飛ばされること

 など二人の間にたくさんの暗黙の了解ができていました。
 
 来年僕が帰国する事を言葉で理解させる事ができないことが最初は辛かったけど、でもそんなこと考えても仕方が無いくらいにいつも仲良く二人で暮らしていました。
 
 喧嘩が強くて二匹くらいの相手なら簡単にやっつけて戻ってきますが、喧嘩をすると僕に蹴飛ばされるのを知っているので、喧嘩に勝ったのに尻尾を丸めて申し訳なさそうに戻ってきます。
 
 時には耳をかじられてピアスのように穴が開いていたり、よそのゴミ箱を荒らして子供にパチンコで打たれて足を引きずって戻ってきた事もたくさんありました。
 
 犬同士の縄張り争いや発情期の抗争が続く時には一晩中外で暴れまくって戻ってきてはウチの中で飯も食べずに死んだように眠っていた事もあります。
 一週間も続くと本当にきつそうでしたが、それでもよその犬の鳴き声が聞こえると夜中でも飛び出して行きました。
 あきれるほど勇敢な奴でした。そして常に一匹狼でした。
 
 ウチの家の敷地にメス犬以外が進入してくる事はまず無かったです。
 
 そんな彼がすでに一週間も戻ってきません。今までは三日以上はありませんでした。
 元の飼い主に聞いたところ、おそらくガールフレンドができて面倒を見ているのだろうということだったのですが、
ついに一週間経ったところを見るとやはり何かの理由で死んでしまったのだと思います。
 
 犬同士の喧嘩で死んだのか、トラックにひかれたのか、犬を食べる習慣のあるバヌアツ人に捕まったのか、その三つが重なってしまったのか、考えても意味が無いので深くは考えませんが、スパイダーが最後まで勇敢であったろうことは容易に想像ができます。
 
 スパイダーは弱肉強食の野生の掟を理解していたと思うし、死ぬ瞬間まで迷うことなく戦い抜いたと思います。

 スパイダーの死をしってか知らずかこの三日間ほどよその野良犬が我が物顔でうちの庭に進入してくるようになりました。
  
 最初はスパイダーが戻ってきたのか?とおもって慌ててカーテンを開けてみていましたが、もうそんな気配は無いような気がしています。
 
 2年間で帰国してしまう事を説明できないと考えて途中まできちんと自分の犬だと認めてあげなかった事や、それでもあいつが僕についてきてくれたこと、そして結局残されるのは自分のほうだった事などを考えると、同じ男として僕なんかよりもあいつは勇敢であり誠実であり一本筋の通った奴だったなと思います。
 
 本当に尊敬できる君と一年間一緒に過ごせたことは僕の人生にとってとても大切な時間でありまた良い勉強でもありました、君が居なくなったことによって教えられたえられた事もとても多いと感じています。
 
 さようならバヌアツでの僕の唯一の家族スパイダー
 
 そしてありがとう、冥福を祈ります!
 
  

授業の工夫 ⑨ 最後はメンタル


バヌアツの子供で運動音痴とか肥満な子はほとんど居ません。
逆に能力の高くて攻撃的な子は居ます。そういう子には授業の最後に
 
 ・君は強いし、良いリーダーだと思う、だから君は弱い人を助けなくてはいけない。弱い人は弱い人を助けることは出来ない。だから強い君が助けるんだよ!家族だって同じこと、お父さんは強いから君達を守ることができる。もしも強い人が自分のことしか考えなかったら、家族は成り立たないでしょ。

 クラスでも同じ、学校でも同じ、タンナ島でも同じ、バヌアツという国でも同じ、常に強い人は周りを助けるから     組織は成り立つしそれでこそ回りの人は強い人を尊敬するんだよ

 って自分では説明してるつもりです、もしかしたら言葉が追いついてないかも知れないけど・・・・・
  
 ・スポーツはなぜ前半後半で陣地を入れ替えるには何故か知ってるかな?お互いが平等な立場で戦うためなんだよ。
  相手を倒す事よりも自分の実力がどの位なのかを試す目安として相手にお願いして試合をしていると思わなくてはいけないよ、だから常に平等な立場で勝負しないと意味が無いでしょ!だから反則をして勝っても意味はないんだよ
 
 ・「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」
 チームの中では一人の人間はその他のみんなの為に働き、その他のみんなは一人の為に働くという意識が大切であり、それが家族と言う組織の中でも、タンナ島という島の中でもバヌアツと言う国の中でも、人が集まる所では常にそういう気持ちがないといけないよ。
 
 ・勝つことも大切だけれども、負けからも学ぶべきことがあるんだよ

 ・スポーツは基本的には自由が認められているけど、それはルールを守ったなかでの自由であって、自由の意味を間違えて反則をしたり、他人を傷つけてしまってはそれはもうスポーツとは呼べないよ、それは普段の生活でも同じで自由というのはルールをきちんと守ったなかにあるものなんだよ
 
 ・何事も出来るか出来ないかより、第一に挑戦することが大切だよ、自分のベストを尽くせばたとえ出来ても出来なくても前向きな達成感を感じる事ができるし、その繰り返しが人を育てていくことであり、チャレンジしないであきらめる事は自分で自分の可能性をなくしてしまうとともに、自分で自分を傷つけることになるよ
 
 
 とまあこんな感じです。
 
 これを必要なタイミングで完結に生徒と先生に伝えたい。
 僕が嫌なのは、今日はこれが言いたいと思って、授業の方向をそういった方に持っていこうとすること、
 それってうそ臭いよね、授業はあくまでも自由な流れで行って、そこから出てきた問題点を上に書いてあるような言葉を使って完結に伝えることが出来れば、生徒達だけでなく、先生達の体育に関する意識も、
 「体を動かす」 から 「体を動かす事を通して人格を育てる」 と言う風に変化していってくれるとよいなと思って
 います。
 
 でも今の僕の語学力で伝えられるのはこの中のせいぜい30%って感じかな? 
 日本語で書いていても難しい内容だから、よその国の言葉だともっと難しくなるよね。
 でも少しずつ頑張って伝えるようにしています。
 言葉では30%しか伝わらなくても、一生懸命何かを伝えようと片言で話している僕の姿だけは100%伝わるからね、日本語みたいにカッコつけて遠まわしに言う事も出来ないから逆にシンプルでよいかも?って前向きに考えています。
  やっぱり最後はハートだよね!
 
 

授業の工夫 ⑧ 肩の上に立つ


最近好評なのが一人がもう片方の背中の上に直立するやつです。こ

れは僕も大学の時に始めてやったので相当な上級者向けです。
 
①一人が膝を付いて座り、もう一人は後ろに回り後ろから手をつなぎます。(子供は初めから砂浜においてあったカヌーに腰掛けていました。そのほうが立ち上がる時に楽です。)

②上手くバランスをとりながら座っている子供の肩の上にかがみます。
 
③下の子は手をつないだままゆっくりと立ち上がります
 
④その後に片手づつつないだ手を離し、上の子供の足首をつか    みます。その時の手は逆手にするのがポイントです。
 
⑤両手が離れたら上の子供は立ち上がります。
 
⑥上の子供が両手を広げて完成です。

 逆の順番でゆっくりと降りていきます。

 もし海に入れるなら海の中でやると恐怖心がなくなります。
 
 写真の子供の手は逆手になってないけどこれでもOKです・・・・

 18-2 体育 浦 輝大

授業の工夫 ⑦ 日差し


バヌアツは異常に日差しがきついです。僕も授業が終わるごとに

水分補給しています。

 3時間目、4時間目はすでに太陽が登って日陰が少ないし、高学年

は暑いと嫌がって日陰に逃げます。
 
 だから今年からは高学年から授業をすることにしました。

7、8年生が朝一番、1,2年生は11時前後となります。

ほんのちょっとのことだけど授業の順番を変えただけで凄くスムーズになり

ました。

 低学年はこっちが意識して挙げないと、気が付かないうちに

「ボー!」

 っとなってます。それでもこっちが微笑みかけるとうれしそうに笑ってまた

走りだします。

 でもそういう時は危険なので授業を短めにして終わらせます。

 低学年は常にこちらがコントロールできるので楽です。
 
 クールダウンも日陰を見つけてみんなで固まって行う事もあります。

そういう時は脚を開いたりしてストレッチできないので、なるべくみんなが

日陰に密集していても効果的に体が伸ばせるようなストレッチを選んで

行うよう心がけます。

 どんなに暑くても元気いっぱい動いてくれる子供達はとても可愛いで

す。
 
 18-2 体育 浦 輝大

授業の工夫 ⑥ ボールの使い方


どこの学校でも一番あるのがサッカーボールとバレーボールです。

でもサッカーボールは男の子が大好きすぎて、パンクしている事が多いで

す。

 だから一番活躍するのはバレーボール。
 
でもバレーボールはネットが一つしかないので授業ではやりません。

 工夫して使う使い方は三つあります
 
 ①バスケットボールをする時は空気をパンパンに入れて弾みやすくする

 ②ドッチボールをする時は普通の状態で使う

 ③キックベースをする時は空気を抜いておかないと男の子はみんなホー

ムランにしてしまうほど脚力が強いのでこっそり抜いておく

 ちなみにキックベースは何度言っても打順を覚えないので最近は手に

書いています。女子と男子が交互に打席に入るようにしています。みん

な手に番号書くと意味も無く喜びます。ベースは無いので、子供に頼む

と木に登ってたくさん葉っぱのついている枝をとっってきてくれるので問題

無しです。
 
 18-2 体育 浦 輝大

授業の工夫⑤(ドッチボールはチーム分け)


高学年で比較的失敗しない授業はドッチボールです。

新しく巡回指導を始める時は大体ドッチボールからはじめます。

 ポイントはチーム分けです。

 僕は2学年づつ一緒に教えてるので、

 最初は女子対男子で行います。理由はシンプルで

いきなり5年生対6年生で試合をさせると、5年生の男子と

 6年生の男子の戦いになり、女子はボールを避けるだけになります。

 でも女子対男子にすれば女子も腹をくくって参加してくれます。

 出来れば女子の方が立地的に有利だと良いと思います。

 単純に陣地が広いほうだったり、バヌアツではグランドが坂になってる事

が多いので、坂の上を女子にしたりします。
 
 でもたいてい女子が負けてしまいます。

 少し物足りなさを感じている男子と悔しさを感じている女子に対して
 
 「次は5年生対6年生ね!」
 
 って言うとみんな大喜びになります。そしてその後は女子も積極的に

参加してくれます。
 
 負けたチームには次に僕も参加して一勝一敗に成るように頑張りま

す。
 そしてみんなが好きな言葉はファイナル!(決勝)です。
 
 たとえ二敗しててファイナルでなくても三試合目は単にファイナルだと思

ってるみたいで、僕が

 「次ファイナルね!」 

 っていうと

 「ファイナル!ファイナル!ファイナル!ファイナル!」

 って大合唱しながらコートに移ります。
 
 ちなみに、バヌアツの学校は一学年に一クラスが基本です。

大体25名前後です。

 だから2学年一緒にすると50名前後になります。
 
 人数が少ない学年は複式学級といって5年6年で一クラスになりま

す。そういうクラスでは「5年生対6年生!」っていうと

 「俺どっちだっけ?」

 っていう子供が必ず居ます。

 男子対女子ね!っ言って

 「私どっちだっけ?」

っていう子が現れたらまた報告します・・・・ 
 
 時には5、6年生が白熱しすぎて時間がオーバーして、次の学年の

3、4年生がグランドに出てきてしまった時には、そのまま3、4年生対

5、6年生で一試合だけやったりします。

 100人近くの生徒が狭いコートにいっぱいになり、すでに体の温まって

いる5、6年生は逃げ惑う3、4年生に容赦なくボールをぶつけ。多騒ぎ

になって盛り上がります。

授業の工夫 ④ (砂浜を使う)


プールもないし、のぼり棒も無い、でも海があるし、木登りも出来る!

 道具にこだわらずに授業を工夫するのも僕の仕事です。

 その点砂浜は結構使えます。
 
 特によいのが組み体操、ピラミッドも砂浜だと怖がらずに

4-3-2ー1人の4段まで作れます。
 
 あともう一つ人気があるのが二人組みでバク中みたいにするやるです

①二人で背中合わせになり、片方がもう片方の手首をつかむ

②捕まれた人は少しずつ背中を曲げて背中のストレッチのような形を作る。
 
③上になったほうは少しずつ膝を曲げてそのまま自分の力でバク中して地面に着地する

 注意する点

最初に僕が必ず話すのは肘を組んで行わない事です。肘を組んでしま

うと失敗した時にモロに頭から地面に落ちてしまいます。

 手が上に上がっていれば手が先に着くので怪我しません。

 子供は異常に興奮してやります、体の大きな子は下の子が支えられ

ないので、結局僕がやることになりとても疲れます。

授業の工夫 ③ (先を読ませない)


授業の展開は基本的には

・ウォーミングアップ兼簡単な体力作りのトレーニングを15分

 ・メインの運動を20分
 
 ・クールダウンを5分
 
 大体これで45分です。
 
 僕がいつもイメージの中にあるのは昔僕がフットボールをしていた時のス

トレングスのコーチだったコーチ 「メル」です。
 
 メルのトレーニングはいつも30分でした。
 
 彼はその日によってコーンを30個くらい持ってきてひたすらコーンをタッ

チしながら縦、横、斜め、後ろに走らせたり

ロープで出来たハシゴ(ラダーと呼ばれています)を持ってきてステップをさせたり
 
いきなり長距離だったり
 
テニスボールを使ったボールトレーニングだったり

ストレッチ中心でメニューを組んでみたり
 
 体育とは違うストレングスのトレーニングだけど、僕が彼の何が好きだったかと言うと 「先を読ませない」 ところです。
 
 メルが肩にイロイロなものを担いでグランドに現れるたびに、僕はワクワ

クしたのを思い出します。
 
今日はきついのかな?それとも難しいのかな?あのコーンの並べ方は

何の運動の為かな? 

 って興奮しました。だからメルのいう事を聞き逃さないように必死だった

し、いつも列の先頭に並んでメルに褒めてもらおうとしました。

 メルのよいところは常に褒めるところ、上手く出来なくて転んでも

言われた事が理解できてなくて間違えても思いっきりやったことに対して

は必ず褒めてくれました。だからこちらも

 「自信を持って間違える」

 事ができたんだよね。どんなにきつくても頑張れたのはそのおかげです。
 
 10年後に僕の教え子たちが教員になったときに

「ミスターウラはいつも褒めてくれたなー!ウラが来るといつもワクワクしたなー」
 
って思ってくれたらうれしいです。

授業の工夫② (今あるもので何とかする)


どこの国の体育隊員も一緒だと思うけど、途上国って道具が無い、特

に僕の仕事は島の60校のまあ出来るだけで良いから将来継続的に体

育が出来るようにってことになってるので、一校だけに援助とかは出来な

いです。
 
 日本は鉄棒があったりのぼり棒があったり、夏の時期は水泳、冬はマラ

ソン大会に向けて長距離を走ったりと、比較的目標があってやりやすい

です。
 
 教育事務所のオフィサーなんだから、目標作ればよいじゃん!

 って言われるかも知れないけど、組織作って計画的に物事を進めるこ

との難しさはここでは書ききれないのでまた今度にします。
 
どこの学校も道具はボールが4個くらいとコーンが12個、バレーボールネ

ットが一つって感じです。

 それがベーシック、ちょっとお金のある学校だとフラフープがあったりします。
 僕が巡回指導を始めるときにまずチェックするのは学校の運動倉庫、

倉庫っていうか大きめのダンボールに過去に援助されて要らなくなった、

テニスボール、ラグビーボール、バドミントンのラケットだけ、ピンが折れてし

まった空気入れやカイト(凧)などが入っています。それらを使ってどんな

体育が出来るかを考えるのが僕の仕事になります。

 ちなみに僕がオフィスに持っている道具はボール6個とメジャー、縄跳びです。

 学校にあるもので足りない時はこれを背負って行きます。

 赴任当初はたくさん道具を援助してあげてみんなに喜んでもらおうと言

う気持ちが少なからずありましたが、何処の学校にも壊れて使われなく

なった道具が捨てる事もできずに置いてあるのを見て。
 
 「今あるもので何とかする!」

 という強い気持ちが生まれました。
 
 「足りないのは道具ではなくて想像力だ!」
 
 なんてかっこよいことはまだ言えないですけど・・・・
 
 でもそれが基本だと思います。

授業の工夫① (数の概念)


26人のクラスを5人のグループ5組に分けてリレーをするとすると

26人だから一つのグループだけが6人になってしまうから、残りの4つのグ

ループの先頭の人は最後にもう一度走るんだよ!

 って教えまする、子供はは自信満々に

 「ウィ!」

 ってそこだけフランス語で答えます。

 すでに子供の目にはリレーに対する殺気がみなぎっています。

そういうところは野性的でこちらとしてはシメシメなのですが・・・・

 「チーム全員が走り終わったら座るんだよ」

 って言ってスタートします。

そうすると必ず5人が終わった時点で座り

「俺達一番!」

 って言います。

「違うでしょ。君たちは5名、でもこっちは6名だから先頭の人がもう一度

走らないといけないでしょ!」

 「ウィ!」

 「もうお前らの ウィ!にはだまされない、条件反射で言ってるだけだ。

良く考えてみろ、このグループは6名、君たち5名、その次も5名、その次

も5名でそしたら5名のところは誰かが二回走らないと人数が合わないでしょ!」

 「ウィ!」

「条件反射で ウィ! って言うな!」

「わかった先生が悪かったね、じゃあ先頭の人はアンカーになるのではなく

て二週回ってから次の人にタッチしなさい、そうすれば6人分になるでし

ょ!」

 って言って2回走る先頭の4名の頭をなでて

 「君は何週走ったら次にタッチするの?」

 「ウィ!」

 「違う!違う!二回走ったら次にタッチするんだよ、なぜなら君達のチ

ームは5名だけどあっちのチームは6名だから数が合わないでしょ!」

 「ウィ!」

 を4人分繰り返してヨーイドン

 すると6名のチームの先頭まで二週しそうになるので慌てて呼び止めて

タッチさせます。

 やっと一安心してみているとなかなかレースが終わりません。

 「何でかな?」

 って思ってみると、5名のチームは全員が二週ずつ走っているからで

す。終わる分けないよね。

 全員走り終わって疲れきった子供が僕の方を見て一言

 「ティーチャー、イナーフ!」 (先生もう十分!)

 「それはこっちのセリフだよ!」

 って思います。
 

 算数隊員の徹也の話だと、みんな指で数えないと数字がわからないら

しいのです。最初はそれでは算数にならないので、禁止させていたらしい

のですが、高学年のなかでも指ですらカウントできない子供が居るので、

最近は

「指を使え、足りなければ脚の指も使え!」

と言う事だそうです。

 サッカーの点数位ならみんなわかるようですが、キックベースも5点を越

えると点数の事はどうでも良くなるみたい。

 だから最近はみんなのスリッパを並べています。

授業中はみんなはだしなので。
 
 言葉はみんな、村語、ビシュラマ語、フランス語、英語と使い分けてる

のにね。数字はまったくダメみたいです。日本人と逆みたいです・・・・

体育の世界基準はどこの国?


日本の体育の授業のように毎回出席、服装チェック、ラジオ体操をし

てから屈伸や伸脚などの補助運動をしてメインに入る形も最初はやって

みたけど、結構悩みました。子供がだれるしなかなか教室から出てこな

いからです。そして僕の中で一つの答えが出ました。

  「バヌアツはグローバルスタンダード(世界基準)に近づきたいとは思っ

ているかもしれないけど、日本になりたいとは思ってないと言う事、そこを

間違えてはいけない、じゃあ体育のグローバルスタンダードって何処の国

なの?アメリカ?オーストラリア?フランス?って考えたらそんなものは無

いんだよね。だから僕らが作っていくしかない、きちんとした理論に沿った

バヌアツの体育を」
 
 そういう風に気が付いてからバヌアツに居る体育隊員3名は一生懸命

考えて、それぞれの島で別々の体育をするのではなくて同じスタイルで

行えるように頻繁にワークショップを行って統一してきました。その結果は

すでに出ています。
 
 基本的には最初に手をつないで大きなサークルを作るところからはじめ

るようにしたのもそのためです。
 
仲間意識の強い子供たちはそうするとあわてて教室から飛び出してきます。
  授業の内容はどれも運動量があって子供にとっては結構しんどい、

だから教えるほうはもっとしんどい!
 
でもそれでこそやりがいあります。

 P.E (フィジカル・エデュケーション) ティーチャーは大変なのです!
 

食生活三部作 (もう何も欲しがりません)


牛タンも手に入らず、コウモリは食べたくなくてマーケットでウロウロをしてたら若者二人が声をかけてきて、
 「なんか元気なさそうやん?」
 て聞いてくれたから、

「牛肉食べ飽きたから何か他の肉食べたいなー、って思って物色中なんだよね」
 って言ったら、
 「俺達の村で今日お祭りあるからくれば良いやん、俺達も今食料調達に来て探してたところやねん。上手そうな肉見つけたで!」
  って誘ってくれました。

 じゃあ甘えようかな?でもコオモリは嫌いなんだよね、って言ったら、大丈夫、今日のは絶対上手い。
 タンナ島ではめったに手に入らない種類のだから。
 って言われて少しお腹が減ってきました。
 
 村はすぐって言ってからすでに30分以上はあるっています。
「珍しい肉やからみんなにわからんところで食べたいねん」
 って言われて、納得したけど、食料調達しに町に来た割には何も買ってないし村についてから待たされるの嫌だな!
 って思ってました。その後二人は村語でうれしそうに話しているので、僕にはまったく理解できず、お腹はますます減るばかり。

 だんだんと夕焼けの光が綺麗になってきました。それとともに気になりだしたのは前の二人の首の辺りになには明らかに夕日とは異なる緑色の綺麗な光がボンヤリ光っている事。
 
「アレッ!」

 その瞬間にバヌアツ人の友達との会話が思い出されました。

僕が
 「タンナの人みんなキリスト教だけど、昔と何が一番変わったの?」
 って聞いたら
 「一人で遠くに行ったときにいきなり捕らえられて食われる心配がなくなったことかな?キリスト教が禁止にしてくれた!
 もし知らない場所に行ったときに現地のやつらがお前の理解できない村語で話し出した気をつけろ、お前のどこの部分を食べるかを相談してるから逃げなきゃダメだぞ!」
 
 そういえば本で読むと人間最大のタブーを犯した人間の首の周りには緑の光が燈っていると読んだことがありました。
 「タンナでめったに取れない種類って日本人ってこと!
  この二人はキリスト教徒ではない!
  そしてこの不吉に光る緑の光!
  僕に声をかけてきた時はちょうど食べ物を物色してたと い ってたっけ?
でもこの二人は僕を連れてきただけってことは・・・・」
 
今ならまだ日が沈む前に人のいるところまで逃げられる!
と頭で判断する前に僕の体は全力疾走で走り出していました。
 もう牛肉に飽きたなんて絶対に言いません、神様どうか助けてください!
 
 後ろから飛んできたブッシュナイフは僕の目の前の木に突き刺さり、吹き矢は僕の耳たぶをかすめました!
 
 そしてついに彼らの手が僕の方を捕らえました。そして転倒!
 そしたらその瞬間に
「ミスターウラなにしてるの?」
 って言う神の声が・・・
 教え子達がナカタンブルという金柑みたいな木の上に4人で登って上手そうに食べてました。
 「うん、ちょっとこのお兄さんたちとカラテの練習」
 「カラテ!じゃあ僕達にも教えてよ!」
 二人の男たちは、村語で何か話した跡に闇の中に消えて行きました。
  もう少しでミイラ取りがミイラになるところでした。
 でも食べられちゃったらミイラにもなれないか・・・・

 もう贅沢は言いません。素直に牛肉食べてます・・・・

 ちなみにキリスト教が入る前は食べてたらしいから、帰国までに緑の光が燈ってる人を探そうと思います。
 写真はあくまでイメージです

食生活三部作 (昼間に飛ぶ鳥食べたいな)


牛肉も食べた飽きて、牛タンを食べるのは調理が難しくて
豚はみんな飼育しててお祭りの時しか食べないし、鶏肉は高いからマーケットの親父に
 「鶏肉食べたんですけど、安く手に入りませか?」
 ってきいたら
 
「ニワトリとしては売ってないけど、あれやったら一応鶏肉やで、しかも安いで」
 って言われました。二百円です。
 
 これ一応鶏肉だけど、どちらかといえばねずみに羽が付いたって感じだよね。昼間飛んでる鳥の肉が食べたいと思いました・・・
 
 親父に
「親切に教えてくれてありがとう」
 と言ったら満足げに頷いてました。
 
 バヌアツ人はこれ見て
「うまそー!」
 って言うのかな?

キンディーの子供達


ウチのすぐ裏にはキンディー(幼稚園)があります。
7時半から始まるので、その頃になると小学校に行くお兄ちゃんやお姉ちゃんに連れられて子供たちがやってきます。
 
 僕は毎週水曜日は仕事がお休みなので朝寝坊していると、8時ごろから凄い大合唱が始まって起こされます。一週間のうちで一番気分良くおきれるのが水曜日かもしれません。
 「レールヤ!レールヤ!」
 って凄い声で歌ってるからずっと不思議だったんだけど最近やっとハレルヤって言ってるんだってわかりました。
 
 そしてこれはどこも一緒だと思うけど、サビの部分はみんな狂ったように歌ってるけど、歌詞が良くわからないところはあからさまに声が小さくなります。
 
 一人の子がオレンジを人房ずつ友達に配っていました。最後にグーに握りしめた手を僕に差し出して
 「ブロング  ユー 」    「これあなたの」
って言って渡してくれます。手の温度で生暖かいような・・でも愛情たっぷりなそのオレンジは口の中だけでなく心の中も甘酸っぱくしてくれます。

 夕方一人で散歩していると後ろから凄い勢いで走ってきていきなり手をつないでくれます。二人で来ると手の取り合いをしてくれます。
 僕の人差し指と中指を左手で握って、薬指と小指を右手で握って僕の右手に両手でぶら下がるみたいに手をつなぐ子もいます。
 いつも両親にやってもらってるんだなー、って思うと可愛く感じます。
 
 雨が降って小学生がみんなで水浴びしてる時にコニーという4歳くらいの子供が羨ましそうに見ていました。
 「コニーも水浴びしなよ」
 って言ったらうれしそうに
 「ウン!」
 って言って僕の前で両手を挙げてるから何してるのかな?
って思ってたらシャツを脱がして欲しいみたい。
 そういえば僕も子供の頃
「バンザーイ!」
 っ言って母親にシャツを脱がしてもらっていたなー
 って思い出してあわててシャツを脱がしてあげると喜んでみんなの中に飛び込んで行きました。
 
 写真はそのコニーです。
 このサンダル日本でもはやってると思うけど、こちらでは本物は高くて変えないので中国製の安いものをみんな買っています。でもバンドの部分がすぐにとれてしまうんだよね。子供はみんなそれを拾って腕に巻くのがはやっています。
 
 ウチの部屋のカーテンが扇風機で定期的に揺れているのを見て幼稚園の子供達は
 「ウラの家にはデビルが居る」
 といって家の中には入ってきません。僕もそのほうが都合がよいので否定していません。みんな開いているドアの外から僕と部屋の中を除いています。集団で来られると僕は動物園の動物みたいにみんなに一定の距離を置かれて監視されてるみたいになります。
 でもコニーだけはそれを無視して我が家にズカズカと入り込んできます。その瞬間に他の子供の驚く顔がすっごく面白いです。
 コニーはそんな子供です。みんな個性があって可愛いです。

食生活三部作(牛タン食べたいな)


タンナ島は牛肉がメチャクチャ安いです。豚は売ってません。みんな自分で飼育してます。鳥もほとんど売ってません。だから牛肉食べ飽きてます。
 
 でもそれしかないから食べるしかない。
 肉が売ってるのは月曜日と金曜日だけです。朝に牛を一頭殺して丸々持ってきます。
 
 でも最近見つけたのはレバーです、やわらかいし栄養満点、ニラと生姜が売ってるのでニラレバーにしたらとっても美味しかったです。
 
 そういえばタンも食べてみたいなー、って思ってタン無いの?って聞いたら
 
「タンとしては売って無いで、あれを買ってもらうしかないな!」
 
 と言われました。値段は千円とお手ごろです。

 あれをバイクの荷台にくくりつけて家まで帰るの結構勇気いるよね。バイクが止まってたらどっちに進むのか、見た人は迷うよね?
 
 タンを切り取ってる途中に生き返ったら腕を食いちぎられるかもしれないし、のどに手を突っ込みすぎて牛が「オエ!」
ってなったらゲロかぶるよね。ってその前にもう胃袋ないから
「オエ!」ってなっても何もでてこないか?
 
 なんて考えるのは楽しいけど、ウチのキッチンのまな板の上にあれを乗せて一人で解体して食べる勇気がありません。誰かウチに遊びにきたらチャレンジしてみようかな?
 
 足を4本薪の様に持って帰ってるお母さんは見たことがあります。一瞬何かな?って思いました。
 

離島の時間割


=  離島の暮らしの時間割 =
 
 午前中 8:00~11:00  45分授業を3コマもしくは4コマ
 
      11:30       帰宅後水浴び
      

 午後  12:00~      水浴び後は放心しつつつ
                 日陰で風に当たる
                  
      12:30~      愛犬と昼食
(日本語で会話できる唯一の時間)

      13:00~      食後の昼寝(寝汗に注意)
  
      14:00~      天井を見上げつつ、扇風機に
                  あたりながら、蚊に刺されないよ           
                  うに気を配る。

(天井を見つめるという瞑想状態を保ちながらマラリア汚染地域のバヌアツで蚊に刺される事は死に直結するという生死を賭けた緊張状態を維持しつつも扇風機の心地よさを感じるという五感のうちの三つを同時に使うという離島で覚えた高等技術を実践)
     
     15:00~      読書(首都から借りてきた限られ  
                 た本を参考書のように何度も読み          
                  返す)

      16:00~     下校途中の子供たちに遊んでも 
                   らう為に散歩に出る
     
     (子供に無視される時はおもむろに逆立ちをしてみたり、  
      デジタルカメラをちらつかせたりして餌をまき釣り上げる
      小3までならこの手で釣り上げる事が可能)
      
      17:00~      寂しく一人で水浴び
      
      17:15~      再び風に当たる
      
      17:30~      夕食準備・夕食
  
  と分刻みな多忙なスケジュールです。これを夕食語18: 00からもう一セット繰り替えし 22:00に就寝。午後のセットでは散歩に行くと獣に襲われるので、室内で家族や友達にメールを書きます。
 
 (注)土・日は午前中にもう一セットこなすので一日に3セット可   
    能になります。

週末モンキーズ


ピグミーが大きな木の切り株の中に住んでいるとか、二足歩行

で歩くより4足の方が速く走れる「もののけ」が居るとか結構頻繁

に聞くタンナ島でついに遭遇しました。しかも群れで・・・

 それは先週の金曜日、2時間かかって歩いてくる子供も居るの

で雨が降ると学校の登校率は当然下がります。

 一時やんだからとりあえず学校まで行ってみようと家を出たら

集中豪雨になってきました。日本だったら警報だなって感じ。

 道には僕以外だれも歩いてないし今日は無理だな!って思っ

たら山の方から動物の群れのような鳴き声が・・・・
 
襲われては大変とあわててブッシュの中に隠れ、カメラを片手に息

を潜めました。

 豪雨の中で奇声を上げながら両手をぶんぶん振り回し腰をクネ

クネくねらせ爆走する二足歩行の群れが僕の目の前を通過し

ていきました。
 
 サルよりは少しだけ大きく成人の人間よりは小さい生き物たちは

雨でできた土石流の中に枯れたココナッツをドンドン投げ込み

その後を自分たちもココナッツと一緒に流れて行きます。
 
 あわててカメラを向けたけど、防水ではないので思うように写真

が撮れない・・・・
 
 すると今度は下流からも他の群れのの奇声が聞こえてきまし

た。
 
 上流のココナッツ部隊と下流の奇声サル部隊が

合流してみんなでモンキーダンス。泳いでるのか流されてるの

かわからないけど、人間には劣るけどサルにしては知能が高いみ

たいで片言だけど人間の言葉をあやつります。

 写真を撮ろうとしたらチビザルが足を取られて泥水飲んで死にそ

うになってました。それを見た群れはさらにテンション上がって発狂

しだしました。死にかけたチビザルもなぜか大喜び人間の子供だっ

たら普通は泣くよね。

 その時に気が付いたのは一匹のサルが黄色い学校の制服を
 
 着ていること。という事は普段は人間に成りすます事が
 
 出来るってこと?
 
 今日は金曜日、集中豪雨で学校休校!このまま週末に突入

で狂う理由は全て整ってます。


月曜びまでには人類に進化して学校戻ってきてね!俺は体育の

先生の資格はあるけど調教師や飼育係の資格はまだ取ってない

から・・・・ 
 

侍が残したもの


昔タンナに一人の侍が居ました。
 
日本で現職の教員そしてはたらき、ジャイカの現職参加制度でバヌアツ

にやってきた侍は小学校で算数を教えていました。
 
 侍が国から言い渡された大きな使命は
 
「魚を与えて一日を養うのではく、漁法を教えて彼らの一生を養えるよ

  うにすることがお前の使命だ」
 
 ようは、
 
「数年後にはバヌアツの先生達だけで独立して質の良い授業を実践でき

るようにすること、そのためにはお前は一人の教師として働くだけではなく、

教師たちに算数の授業とは何かを伝授しなければ、お前の仕事は2年

間現地の教師達の算数を教える機会を奪うだけになり、甘やかしの援

助となるそこを良く心得て日々生活するように」
 
 と厳しく言われて送られて着ました。
 
侍は国立大出身、その後難しいと言われる教員採用テストにも見事合

格、教員は社会的視野が狭いといわれる事を不服に思い、教員になっ

たときから協力隊に行く事を決めていたといいます。
 
 
 真面目な侍は一生懸命に現地の先生達に自分の使命を説き、一緒

 に授業をしてくれるようにと時には頭を下げてお願いし、時には厳しくし

 かりつけ、日本に残した妻子への思いをつのらせながら、
 
 「ここであきらめては自分は今後日本で教師として
                  胸をはって仕事が出来ない」
 
 という信念のもとに、彼の気持ちに気がつく事ができず、今のバヌアツの
 
 現状に危機感を持たない同僚の教師達に頭を悩ませ、苦悩し続け
 
 答えを出せないままに後任に全てを託す形で帰国していきました。
 

  現在は侍の後任が僕の心の友となりバヌアツで働いています。
 
 彼の後任は
 
 「自分の見識を広める為には日本に甘えがあってはいけない」

 と4年間勤めた日本の教育界から脱藩しゆくゆくはお国の為に何か

貢献したいと考えているいわば「浪人」の身です。

しかし心はりっぱなお侍。
 
 
 僕はもともと農家のでなので、武士道などは心得ず、
 
 「年貢の取り立ても無く、人々が食べるより早く食べ物の育つこの国なら

 農民は必要ないし、もともと身分にこだわる性質ではない、モットーは

 郷に入れば郷に従えだ!」

 と、さっさと農民という立場を捨てて乞食に成り下がってしまった不届き

  者です。
 
 今は毎日空から降ってくるマンゴー、ココナッツ、パイナップル、半分に

切ってさしておけばすぐにもとの大きさに戻る不思議な芋たちを拾って
 
 はお腹一杯食べています。
 


 でも脱藩してきた浪人の苦労を日々聞かされるうちに、お侍さんたちは

大変だな、もし侍たちの心の中に武士道が宿っていなければボランティア

という立場は楽なものになるのにな。
 
と思う反面、子供の頃からきちんとした教育を受けて世界平和のために

は自己犠牲をもいとわないとするこういった人たちが居るから今の日本が

成り立っているのだな。とも感じます。あるとき浪人が
 
「俺はもしかしたら自信過剰なのかも知れない、
                 だからこうして日々悩むのだ」
 
といっていたことがあるけど、俺のあまり使わない頭で考えると

 自分の中にそういった高い基準があって日々向上しようと考えている人

には悩みというものは尽きないなのかもな?

そういった高貴な考え方を自然に身に着けているお侍さんたちはやはり凄

いなと少し羨ましく感じました。
 
 帰国した侍の心の中でバヌアツでの2年間はどのような形で心に残って

いるのかわからないけど、少なくとも今バヌアツで働いている浪人と乞食の

二人の日本人は
 
  「侍は自分の初心を貫いたすばらしい男だった」
 
                    と日々感じています。 
 
写真は侍の任地だったタンナ島で今も爆発し続けるヤスール火山です。

ネイサンは兄さんだった!


僕は一年以上ネイサンはその名の通り、お姉さん、だと思っ

ていました。
 
 サックという弟がいるので

 「サックが弟で姉だからネイサンで覚えやすいな!」

 って思っていたんだけど、こないだネイサンは地元のアナイチョ

ムと言う島で割礼を受けてきたという事が判明!
 
 あれ?割礼ってことはネイサンは男の子だったの?
 
ってことで実はお兄さんでした。体育の授業の時もいつも男の

子のところにいたんだけど、きっとオテンバなんだなーとしか思っ

ていなかったので驚きました。でも今でも女の子にしか見えませ

ん・・・・
 
 女の子だったら結構美人なのになー
 
 バヌアツの人種であるメラネシアンはアフリカの黒人と違って髪が長く
 
 伸びます。寝起きとかは爆発してます。だから男の子と女の子の
 
 違いって結構わかりにくいです。
 
 

使えるビシュラマ語講座


前にも書いたかもしれないけど、バヌアツの言葉ってすっごくいい加減。道であったら挨拶は山から来た人が
 「俺は下に行くだけ」 
 「俺は上に行くだけ」
 「それ最高!」 
 「お前も最高!」
 「じゃあね!」
 
 って感じです。もし平地であったらどうなるの?ってなるけど、そのとき

 は先に挨拶したほうが「上に行く!」といえばその時点で相手は
 
 「下に行く」となります。まあそんな感じ。
 
 距離も一緒で基本的には
 
「そこに行く」「あそこに行く」しか言葉がないから手であらわします。
 
 視野に入る距離なら、体に対して下に45度下の角度で指差して、

「そこに行くだけ」となるし、視界に入るか入らないかの距離なら地面と

平行、体に対して腕が90度で「そこに行くだけ」ちょっと遠ければ斜め

上を指差して「あそこに行く」となるし、一番遠いときは、下から腕をしゃ

くり上げて上を指差して「あーそーこーに行く!」となります。といっても島

だからせいぜい5時間以上歩く事は無いだろうけどね・・・・
 
 すっごいおめかしして小洒落たかばん持って明らかに普段の格好とは

違うな!っておもてどこ行くの?って聞いても
 
「ちょっと歩いてるだけ!」絶対そんなわけ無いだろ!って感じです。
 
 
「ちょっと行って戻ってくるね」

って言って去っていって戻ってきた人はもちろん一人もいません。
 
 
 「午後に海に行く?」ってたずねて、

「もし太陽が出たらね!」って答えたら、多分行かないと思うけどもしか

したらいく気になるかも、って感じです。
 
その証拠に、午後に太陽が出たのでもう一度たずねると
 
「太陽が出すぎて日差しがきつすぎるからやめよう」
 
と断られる事もあるからです。
 
 でもこないだ驚いたのは近所のメルデンで、
 
「午後に一緒に海に行かない?」
 
ってきいたら
 
「うん、もし太陽が出てたね」

 って言ったので、午後に日差しが強い中もう一度誘いに言ったらなん

かトラックに沢山荷物を積んでいたので。
 
「メルデンどこか行くの?」

 ってきいたら悪びれもせず
 
「うん、今からニュージーランド!」

 こっちも平静を装って
 
「へー、海外とかいった事あるの?」
 
「もちろん初めて!今日は日差しが強すぎるから海は明日にしようね!」
 
 って言われて、呆然っていうか、ニュージー日帰り?
 
あくまでも海に行かない理由は日差しなのね?っておもってビックリしま

した。
 
まさか生まれてはじめての海外旅行を午前中に忘れていたわけ無いよ

ね? 
 
すべてがこんな感じなんだよねー、もうなれたけど・・・・
 
 使えるビシュラマ語講座でした!
 
 写真は隣のクウィンティル、もう手が付けられません!

なんか幸せです


朝にお湯を沸かしながらフライパンでパンを焼いていたら何

故かなかなかわかないから火力を全開にしたらなんかパワー

が無い。

 変だなって思った瞬間に嫌な予感が、3ヶ月位でボンベの

ガスか無くなるんだよね。そしたら町のガスやまでカラのボンベ

を持っていって3650円で新しいの買わないといけません。

 とりあえず半焼けのパンと生温いコーヒーで朝飯を済まし

て。すでに二週間を超えた断水に続いてガスまで無くなると

は!って思いながら職場のドライバーのジミーに乗っけてもら

って、オリジン・エナジーというタンナ島のガス屋さんまでガスを

交換に行きました。
 
ガス屋はなんか活気が無いなー、って思ってたら、中からお

ばさんがでてきて、
 
「サザンスター(首都から来る船)がくるまでガス無いのよね!

多分昨晩に出たらしいから今日の朝には着くとおもうから午

後にまた着てね!」
 
って言われてビックリ、島からガスがなくなるなんて!
 
しかもさすがバヌアツ、それから2日間もサザンスターは到着

しません。普通は一晩でくるのにね。どこに寄り道してるんだ

ろう?だからガスなし。
 
 冷凍してるパンも食べれないし、ご飯も炊けないから昨夜

薪を燃やしてラーメン作ろうと思ったんだけど、思い切り雨季

で湿ってるからローソク削って上においても薪が水を吸って重

たいので全然火がつかない。

 まあそんなもんだよねー!って思ってたら中学校の校長の

ドネルが通りかかって、明日から5名の生徒がニューカレドニ

アに留学して今日は壮行会だから学校にご飯あるよ!

 って言ってもらって。甘えることにしました。
 
言ったらドネルが記念に写真撮ってあげてって言われて、

デジカメで写真を30枚ほど撮りました。

 生徒はみんな大喜び!こっちも食事の変わりに少しは貢

献できて良かったです。
 
 帰ってきて9時ごろからウトウトしてたら10時ごろからなん

か揺れだして、なになに!って思ってたら地震みたい。

 しかも10分ごとに三回ほどあって、とりあえず首都にメール

して寝ようと思ったんだけど、結局その後も地震が続いてウ

トウトしながら地震を感じていたら2時半ごろに電話がリンリ

ン、きっと首都のO町調整員からだ!って思って電話を取っ

たら上手く取れなくて、その後もう一つの電話がなったんだけ

ど、そっちは事務所の電話で2コールでファックスに切れ変わ

ってしまって、こっちからかけなおそうと思ってカードと番号を持

ってきたら、衛星携帯がなったのだけど、たまにしか鳴らない

からとりかた間違えたみたいで、そっちも切れてしまいました。

やっとこちらからかけなおしてO町調整員につながりました。
 
「フィジーの大使館から電話があってタンナ島の北70キロ

 のところで地震があったようだけど大丈夫ですか?
 
 津波は無いようです。」

 と教えてくれました。

 やっぱり早めにこちらから連絡しておけば良かったと思いな

がら、もしかしたうちの島にある火山が爆発してるのかな?
 
って思っていたから少し安心して布団に入りました。

  
 地震も収まったみたいでした。
 
 またウトウトしてたら今度は三日ぶりの大雨が来ました。
 
断水で一番困るのは洗濯、シャツとかは洗わなくても干せ

ば何とか着れるけど、パンツはもう一度着たくないからね。
 
バケツに洗濯物を入れて洗剤を入れて置いてあってのをす

すげるチャンス。 
 
 とりあえず底を突きかけている40リッターと55リッターのバ

ケツを雨水で満杯にして、その後キッチンのバケツと水洗便

所を満杯にしてから洗濯物を濯ぎました。
 
 雨は凄い勢いで2メーターくらいの高さの雨どいから落ちて

くるので水が凄い勢いで跳ねます。
 
 長ズボンの寝巻きがぬれてきたので海水パンツに履き替え

て濯ぎを終了、きていたシャツも雨水で濡れてきて、このまま

布団に戻るのは嫌な感じ、そういえば今日は水浴できなか

ったなー!しかも次に思いっきり水浴びれるのもいつかわから

ないし・・・・

 ここまで濡れて同じ風引くならいっそのことスッキリしてたい

な。どうせこんなに雨が降ったら明日の午前中の巡回先の

レルマケル小学校には朝からいけないから午後になるし、だ

ったら雨水浴びてスッキリして眠ろう!

 ってなんか一人でハイテンションになってきました。
 
 シャツを脱いで海パン一枚で雨水に飛び込んでゴシゴシと

体を洗いました。滝のように水が落ちてくるので全身スッキリ

です。
 
 その後に服を着替えて時計を見たら夜中の3時40分、

濯いだ洗濯物を手で絞りながら、なんか楽しいなー!って

思いました。
 
 こういう気持ちってどうやって説明するの難しいけど、日本

とは遠く離れたバヌアツで夜中に一人で水浴びて、洗濯物

を絞って、しかも断水だし、ガスは島から無くなるし、薪は湿

って、洗濯も手洗いだし、日本と比べたら何もかも不便だけ

ど、でもなんとなく幸せを感じました。こういうなんでもない生

活が来年日本に戻ったらかけがいのない人生の思い出にな

るんだろうなー!

 って感じです。
 
任地に派遣されてから一年三ヶ月、不便な事も不便と思

わないし、イロイロなことを待たされることにももうなれて、逆

にそういう生活の方が楽に感じられます。
 
 日本にいた頃のように夜中に怖い夢を見ることも無くなり

ました。不思議だよね。
 
全ての生活がシンプルだからイロイロの困難があっても対応

しやすいのかもね。まあもともとシンプルな生活のぶんトラブル

も起こりにくいし・・・・
 
みんなが同じような生活してるから特に新しいものも必要な

いしね。

 あーなんか幸せ!ってホノボノしながら洗濯物を絞って部

屋の中に干しました。パンツ8枚! 
 
これでもう一週間は断水に耐えれます。

 それだけでも幸せを感じられや夜中の3時40分でした。
 

住めば都


今月の21日に新隊員がタンナ島にやってきます。

 これで離島三人体制!8ヶ月の一人生活だった昔が嘘

のように感じられます。あの頃は日本人っぽい観光客を見る

とこっそり後を着けたもんだったなー!

 という事でその新隊員が先日タンナ島を視察に来まし

た。徹也と二人で

 「もちろん首都も良いけど、やっぱり物価は高いしトラックが

多くて危ないし、みんな忙しくて挨拶もろくにしない。それに

比べて離島っていうのは時間が沢山あってやっぱりおちつく

よ!」
 
 「俺たちなんか最近首都に行くたびに体調を壊してるから

ね、でも不思議な事にタンナ島に戻ってくると治るんだよ!」

 って二人して必死に新隊員さんに話していました。

 そして二人で

「なんか俺達って普段自分たちがマンタンナ達に言われてる

ことと同じ事言ってるね!」
 
って笑ってしまいました。

 みんな時間を守らない、働かない、借りたものを返さない

などとマンタンナの悪口を言ってしまうこともある僕らだけど、

やっぱり他の島の人がタンナ島やマンタンナの事を悪く言うの

を聞くと聞き流す事はできない。

 認めなくは無いけどいつの間にか自分の任地ってそういう

存在になってる気がします。

 家族の悪口を他人に話したときみたいな感じかな?

 自分が家族の悪口を話すのは良いけど友達がもし

「お前の家族って最悪だね!」

 って言ったらやっぱり「そうでもないんだけどね!」 

 っていっちゃう感じ。

 こういう複雑な感情ってみんな一度は経験した事あるよ

ね。 「住めば都」ってやっぱり良い言葉だよね。
 

断水 ②


断水で水が無い!金曜日に溜めて水はもうすでに底を突き

かけている、ヤバイ! 
 
って思っていたら、あるバヌアツ人のおっさんが
 
「兄ちゃん大丈夫やで!マンタンナはブラックマジックで雨を降ら

す事が出来るから、水無くなることはないで!ちなみに2003

年からタンナ島に台風がきてないのも俺たちのブラックマジックの

おかげなんやで、凄いやろ!
 
病気とか骨折とかも治せる力あるんやで!」
 
 って言われて

 だったらとりあえず雨降らしてください、トイレの水も流せませ

ん・・・・
 
って思ってたら、昨夜の6時くらいからパラパラと雨が降ってきま

した。
 
 親父やるやん!って思ってたけど、そのまま雨がまったくやま

ない、今はすでに朝の6時! 日本で言う集中豪雨みたいな

のが一晩中降りつづいていて、道は川と化し子供はムツゴロウ

と化し家の周りを這えづり回ってる。
 
 もちろん天気予報とか無いからいつまで振るのかわからな

い・・・・

 もしかしてブラックマジックって雨を降らす事は出来ても止める

 事はできないのかも・・・・

 マンタンナならありえそう・・・・・
 
 なんでもやりすぎる人達だからね・・・・・ 
 
 
 ちなみに断水の原因は海の近くにあるポンプの故障、オース

 トラリアから技術者が来れば治るらしいけど、とりあえず最速

できても二週間らしいです。それで治ればよいけど部品とか無

かったらまた大変だよね・・・・

 といいながらもすでに断水である生活が普通になってるから
 
 そんなに不便だとも思わなくなってきました・・・・・

断水




水曜日に首都から戻ってきて今日は日曜日、その間に水が

出たのは土曜日の朝の10分だけ、出張行く前にほとんどの

バケツの水を捨てていったから我が家の水は残りわずか・・・

雨季だからって断水しても誰も文句を言わないだろって思って

るパブリックワークス!そんな安易な考えで水を止めるなー!

タンナ島のウォータータンクは日本からの寄付でできてるんぞ、

って事は日本で働いていたときにきちんと納税していた僕には

使う権利があるはずだ!
 
 という事で我が家は雨水に頼ってます、でももう二日も雨が

降ってない、雨が降るのを待ってるので外出も出来ない。

トイレももちろん困るけど、米を研ぐのも困ります。だって我が

家の米には当然のように虫がわいているので、研ぐときには水

を何度もかえなくてはいけないので・・・・
 
仕方ないので、小分けにしてあるお米を新しく買ってきました。

 市場に行っても葉物は買えない、洗うのに水を沢山使うか

ら、最近食べてるのは玉葱と庭に植えている二十日大根、バ

ナナと米、レトルトの味噌汁のみ。

 ポンプが壊れてると思ってたけど昨日に10分だけ水が出たっ

て事は壊れてないって事、後考えられる理由は船が来ないと

ガソリンが無いからポンプが動かないということか、本当に雨季

だから水いらないって思ってるかどっちかです。

 みんな夕方になると海に行って体を洗ってます。まねしてみ

たけど余計に体が痒いきがします。
 
 雨が降ると屋根の大きなうちの家にここぞとばかりに子供が

水浴びに来ますが、とりあえず自分の家のバケツに全て水が

満たされるまでは追い払います。
 
 この状態いつまで続くのやら・・・・・
 

メンテナンス

僕が好きな仕事の一つは近所のスポーツ施設を直すこと。
 
 バヌアツ人の感覚は
 
 「使えなくなた物は取り合えず一度壊してすべて最初から    
 作り直す!」

 って感じです。だから上手く行かないことあるといったん全部

 燃やしてしまう。たとえそれが会社のオフィスでもね・・・
 
 まあ野性的な人が多いといわれている僕の任地のタンナ島

 だけかも知れないですけど・・・・
 
 瓶とかも粉々に砕いて捨てれば土に戻ると思ってるみたい。
 
 裸足だからそれで足を切ったりしてます。
 
 お菓子のビニール袋も葉っぱのようにいつか土に戻ると思っ

 てるみたいで悪気も無く人の家の前に捨てて行きます。
 
 まあもともとゴミの回収も無いし、ゴミ箱なんて無いしね。
 
 ブランコの鎖の一番上についている金具も錆びてボロボロ、
 
 僕が首都から買ってきて取り替えたときにはペンチで軽くひ
 
 ねっただけで砕けてしまうくらい錆びてました。子供が漕いで
 
 るときに片方がきれてたら大変だよね。
 
 バスケットのリングもみんながぶらさがるからリングが落ちてし

 まう。片方が無くなったら試合ができないからせっかくコンクリ
 
 ートで床を固めたコートも使わなくなってしまう。
 
 仕方ないから古くなった学校の机の天板を貼り付けてボル
 
 トで固定して修理しました。
 
 バレーボールのポールも錆びて放置してあったからもう一度
 
 穴を掘って立てました。
 
 ネットは無いから洗濯ロープを引くだけなんだけどね。
 
  でももしタンナ島にホームセンターみたいなのできたらどう
 
 なるかな?って考えると、それはそれでちょっと不安。
  
 みんな容赦なしに木を切ったり加工したりして自然破壊が
 
 進むだろうし、何よりも怖いのは、今までブッシュナイフ一本
 
 で大木を倒す事を誇りとしていたし、回りの人もそういう人
 
 を尊敬していたのに、僕みたいなヤサ男がいきなり電動ノコ

ギリであっという間に大木を倒してしまったら、価値観変わっち
 
 ゃうよね?お金を持ってて機械を買える人が山の中で自分
 
 達のカスタムにプライドを持っている人を支配してしまう。
 
 それって良い発展ではないよね?
 
 そうなるくらいだったらホームセンターも要らないか?
 
 もともとバスケットコートやブランコなんて西洋からおせっかい
 
でもってきただけで、そんなもの無くっても子供は木登りしてる
 
だけで十分楽しんでるものね。
 
 僕の仕事の体育の普及だって勝手に僕が日本からシャシ

ャリ出てきて、バヌアツの人達にお願いしてやってもらってる
 
 っていうか、「こんなのもあるよー!」みたいな感じで提案し
 
てるって思えばもう少し肩の力が抜けるかもね!
  
 
発展していくスピードに大切なのはバランスだよね。ゆっくり過
 
ぎるのもダメだし、だからと言って急ぎすぎるのはもっとダメ。 
 
みんなで見守りながら同じ視点て一緒につまずいて考える
 
事が大切だと思います。残り10ヶ月何が残せるのかなー?
 

自分を知ることは大切


先日パティックっていうただのおっさんなんだけど一応大学の先生と
 
 話していた時のこと、パティックの友達がジャイカの研修で日本に
 
 行った事があるらしくそのときの話になって。
 
 その友達はバスの中に全財産の入った財布を忘れたらしくもう
 
 バヌアツには戻れないと泣いて居たらしい、
 
 ジャイカの職員に連絡してバスの落し物預かり所に連絡したところ
 
 財布が届いていたらしくなくしてから数時間で戻ってきたということだ
 
 った。
 
 「へー、そうなんや、僕もモバイルを無くした時に自分のモバイルに
 
 電話して、もしもし僕のモバイルですか?
 
 って言ったら預かり所の人が出てきたよ、笑えるでしょ!」
 
 って話しました。
  
でもパティックの求めている答えは違ったみたい 
 
 「なぜ日本人はそうやって落し物をきちんと届けるんだ、なぜだ!
 
 なぜだ!」 

 としつこく聞いてくる、あんまりしつこいしそんな事説明しなくてもわか
 
 るでしょって思ったし
 
 「じゃあ逆に何で君達届けないの?」
 
 って言いたくなりました、でも流石にそれは言えないしし・・・・ 
 
 なぜだ?って言われても上手く説明できなかったんだよね。だって
 
 そんなの意識した事ないもの。
 
 でもそのときにちょっと思ったのは自分が日本人として、また個人と 
 
してどういう人間なのかってことをもっと真剣に考えて知っておく事
 
 ってとっても大切だな、って感じました。
 
 日本に居たら当たり前のことでも途上国の人にしてみたら不思議 
 
なことっていっぱいあるしね。
  
僕はこの一年間バヌアツ人の気持ちを理解したい!っておもって
 
 なるべく同じスタイルで生活してきたけど、バヌアツ人を理解するに
 
 は「一人の日本人」っていう自分のことも理解しておく事が凄く大
 
 切だと感じました。
 
 自分を理解してるからこそ、その自分と比べて相手がどう違うのか 
 
 を理解できる、そのほうが相手の気持ちが早くわかるような気がしま
 
 す。 ただ漠然と相手を理解しようと思っても比べる対象がないと
 
 意識しにくいものね。
 
 日本人の中で暮らしていたときには意識できなかった事なのかも。
 
 パティックに上手く説明できなかった自分って日本人として失格 
 
だな?って思いました。でもみんなだったらどう説明するのかな?
 
 落し物届けるのはなぜだ?って不思議そうに聞かれたら・・・・
 
 やっぱり武士道なのかな???

 写真はパティックです。典型的はバヌアツ人顔です。

初めての授業


ちょうど一年前に僕が任地に来て初めて授業をしたときの生徒たちが
 
 この黄色いシャツを着ているイサンゲルのフランス語の学校の生徒たちでした
 
 た。一年生だけでなんと60名!
 
 これはバヌアツの学校にとっては多いです。
 
  平均は30から40くらいなので、
 
 初めての授業の時に60名がいきなり教室から全力疾走してきて僕のまわ 
 
 りを取り囲んだときの恐怖心にも似た気持ちは今でも忘れられません。
 
  とりあえず4列横隊って思って、
 
 「メイケン フォー ライン!」 (現地語で四列に並んで!)
 
 って言ったけど、子供にはまったく通じず、やっぱりフランス語学校では
 
 ビシュラマだと伝わらないのかな?
 
 って自信無くしました。
  
 先生たちがやっと4列横隊に並べてくれて、僕が20メートルくらい離れて
 
 「メイケン スキップ カッセム プレスイヤ!」  (スキップでここまで来て!) 
 
 って言って笛を吹いたら「僕の常識」では一列づつ来ると思ったらせっかく作
 
った60名の4列横隊が全員一気にスキップしてこっちに向かってきた!
 
  「エッ!なんで?」
 
 って思って唖然としていたら子供たちのスキップ暴走は満面の笑みと共に僕
 
 の前を素通りしてグランドを越えてそのままブッシュの中へ突進していきまし
 
 た。
 
 「僕の常識」では普通は笛を吹いた人のところまで着たら止まるはず?
 
  そのままブッシュの中でかくれんぼが始まって、3人居た先生達
 
 が必死で子供を引きずり出す!
 
  そしてもう一度4列横隊の作り直し!
 
  でもすでに子供の興奮度は最高潮で何を言っても聞かない、
 
 仕方ないから今度は男の子で一列、女の子で一列に変えてみ
 
 た、そしたら意外とすんなり列ができたので、
 
 「最初は男の子だけでバックステップね!」
 
 って言ったら先生の通訳もあって伝わったみたい。
 
 ここまできたら止まるんだよ!って両手を広げて待ちました。 
 
 笛を吹いたら男の子の列は後ろ向きに走りながらみんな
 
 が僕を目指して走ってくるのでどんどん中心に子供が集まってきて、先頭に
 
 居た一番早い子供が転んだ瞬間にボーリングのピンが倒れ
 
 るように30人総崩れ!
 
 「ヤバイ!怪我する!」
 
 っておもって先生達を見たら3人とも大笑い、まったく助けない
 
 子供も泣いてる子が少し居ただけでむしろ転んだ事を喜んで必死に立ち上

がって僕のところまで来ようとする、その姿は海がめの子供が砂浜から這い上 
 
がってきて我さきへと海に向かって走り出すような感じでした。
 
 女の子もそれをみていたのにまったく同じ過ちを繰り返して笑わしてくれまし
 
た、きっと頭でわかっていても体はわからないんだろうなって思いました。
 
 でも今思えば小1にバックステップは難しかったのかも・・・・ 

 その語に軽い準備運動を見よう見まねでやってもらって、次は二人組みで
 
 馬跳びしようと思って
 
 「メイケン ツー ペアー」
 
 って言って指を二本上げたら子供たちはそれも準備運動だと思ってる
 
 みたいで僕を見上げて全員満面の笑みでピースサイン! 
 
 「違うよ、ペア!ペア!」って言ったけどよく考えたらフランス語だったと思って
 
  「 デュー! デュー!」
 
 って叫んだら子供も大喜びで デュー!デュー!って叫んでました。
 
 先生たちがそれで気が付いてやっと二人組みを作ってくれました。

  あの頃は何もわからなくて気が付かなかったけど、フランス語学校だからと
 
 言って小1からフランス語を話す子供なんて居るわけ無いよね。みんなバヌア
 
 ツの公用語であるビシュラマすら話せなくてそれぞれの村で話されている
 
 「村語」しか通じない。先生もよそから赴任してきたら村語が違う
 
 からまったく言葉も通じない、だから低学年の先生は近所に住んでる女の
 
 先生が多いみたいです。
 
  伸脚をしてるときに僕のしてたサングラスがずれたので、眉間のところを押さ
 
 えたら子供達もあわてて押さえてました。 
 
 「おまえらサングラスしてないだろ!」
 
 って思ったけど、そのときは子供達も気が付いたみたい 僕が笑うと本人達
 
 も照れ笑いしてました。 
 
 結局言葉が通じないから全ての動きを僕が一緒にやって無事に授業は終
 
 了!炎天下での一時間の授業はとても長く感じられました。
 
 やっと終わって一安心、何故かまた全力疾走で教室に戻っていく子供たち
 
 を見送った瞬間に隣の教室から待ち構えていたかのように2年生60人が
 
 全力疾走で僕を目指してきました。 午前中4コマだから後3つ・・・・ 初
 
 日からこんなんで体持つかなー・・・・
 
  あれから一年、季節が一回りして戻ってきたのを感じると共に自分のこの
 
一年間の成長も少しだけ感じれるようになりました。

ナニゴード


夕方に二軒先のナッシーが、アルプス少女ハイジのユキちゃんみたいな羊をロープでつないで散歩を
 
 していたので、
 
 「ナッシー羊飼うの?」
 
 って聞いたら
 
 「ナニ・ゴード!ナニ・ゴード!」
 
 って叫ぶから、ああ僕のビシュラマがまた通じずに、ナッシーは僕が「それなんだ?」って聞いてる
 
 と思ってるんだなー。って思ってこっちも
 
 「ナニ・ゴード!」
 
 って叫んだら、満足そうに去っていきました。
 
 でも羊なんて飼って面白いのかな?
 
 って思ってたら、次の日のお昼にドアのガラスをコンコンとたたく音がしたので、出て行くと
 
 「ウラ、これはお前のナニ・ゴード父ちゃんが持って行けだって!」
 
 良く見ると羊の後ろ足で長さは50センチくらい、踵から下は毛が剥いであるけど、足の先は
 
 ケンタッキーフライドチキンのアルミフォイル見たいにまだ毛がついてて結構リアル・・・
 
 一瞬焦ったけどこういう時はさっさとお礼を言ってから考えるべき!と思って
 
 すぐにそれをナッシーから受け取って高く上げて、ナッシーの親父に向かって
 
 「ありがとう!」 

 と挨拶、でも握ったらさらに気持ちが悪い・・・・
 
 どうやって食べるの?ってきいたら 
 
 「ボイル!ボイル!」 
 
 でもこっちの人が言うボイルって、煮るのも焼くのも、すべてボイルだから結局どうしてよいかわからず。
 
 とりあえず塩と胡椒を綺麗に塗って、ガーリックと一緒に中華鍋で焼くことにしました。
  
 焼きだしてから気が付いたんだけど、鍋は直径30センチなのに、脚は50センチなので、肉の部分が
  
 ちゃんと鍋の底につかないから煙ばっかりで火が通らない。
 
 仕方が無いから包丁で足首から切ろうと思ったんだけど、骨が硬くて包丁では歯が立たず、
 
 まな板とブッシュナイフを外に持ち出して、大きく振りかぶってバッサリ骨ごと切り落としました。
 
 後はひたすら焼くこと20分、絶対にちゃんと火を通さないとやばいって思ったので念入りに焼きました。 
 そしてもう一度まな板に乗っけて右手に包丁、左手にトングをもって肉を削ぎならが食べました。
  
 不思議なことに臭みも無くて味は最高!集まってきた近所の子供と分け合って食べました。 
 
 夕方に庭を散歩してると、昨日ナッシーが羊をつないでいたロープが無造作に転がっていました。
 
 捨てられているそのロープを見て
 
 「なんかハカナイ・・・・」
 
 っておもいながらも、離島で毎日同じものしか食べれない生活してると、あれだけおいしかったらまた
 
 べたいなー! 

 とも思ってしまいました。

 写真はナッシーが脚を持ってきたときのものです!
 

人で紹介アニワ島 (チーフ ディック)


ワシの名前はチーフ・ディック。チーフといっても特にたいした仕事をしてるわけでは

無いんだ、チーフの家計に産まれたから一応俺はチーフだがな。
 
 今年から島の代表として首都のチーフ会議に参加さしてもらう事になったけ
 
どなにか上手く貢献できると良いんだけどな。
 
 9人兄弟の5番目だからちょうど真ん中だな、ウチの家族は昔からからだが大きく
 
 て丈夫な人が多いんだ。働き者とは言えないけどみんな幸せに生活してるよ。
 
 
  日本?あまり知らないけど、トラックやテレビを作ってるんだろ、それだけイロイロ

な物を作れるって事はきっとすばらしい国なんだろうな。
 
 
 アニワ島は小さな島だけど俺は気に入ってるよ、住むところっていうのは人間
 
 が選ぶのではなく神様が選ぶものなのじゃないかな、上手くは言えないけど、自分
 
 が生まれたところで家族と一緒に精一杯生きることが大切なきがするな。
 
 チーフの仕事も同じだな、俺はたいした仕事をしてないけど、回りの人が助けてく 
 
 れるから、結果的には間違った方向には行かない気がしてるよ、そういうのも人間
 
 一人の力ではどうしようも無いものだと俺は感じているんだよ。
 
  
  チーフ・サモリアかい?
 
 彼は俺なんかより頭も良いし、働き者だな、なんていうのかな新しいビジョン
 
 みたいな物があるんだろうな、俺なんかよりずっと先を見ている気がするよ、時に
 
 は先を進みすぎていて理解されない事もあるが、それでも立派な人だと思うよ。
 
  彼はホワイトマンの文化を知ってるな。でも俺は思うんだけど、俺はホワイトマン
 
生活を尊敬しているしすばらしいと思うよ、でもそれと同じくらい俺たちブラックマンの
 
生活も良いものだと思っているんだ、だから少しずつ交流していくのは良いと思うが
 
あまり急ぎすぎたり、片方がもう片方を干渉しすぎたりするのは良い事では無い気が
 
してる。でも最近思うのはお金って言うのはそういうバランスを崩す事があると思う
 
な。だからお金に関しては気をつけないといけないと思ってるよ。
  
 今年俺達の村はバンガローをオープンするんだけど、あれだってウォータータンク
 
 以外は全て村人の手作りだし特にお金がかかっているわけではないんだ、ただな

んとなくみんなで作ってるんだよ。コミニティーワークはみんなで働けて楽しいしな、
 
お客が来てくれなかったらまた何か新しい事を考えるよ、チーフ・サモリアの村も
 
 作ってるから俺達のはそのうち要らなくなるかもしれないしな。まあアニワ島は土壌
 
 が良くて食べ物が良く育つし、魚も沢山居るから食べ物に困る事は無いし
 
 お金もそんなに必要ないんだよ。そういう生活が俺たちブラックマンの文化なんだ。
 
日本とは違うだろ? でも結構良いもんだぜ、あんたは日本人だからバヌアツに来れ

て両方の生活が見れたからラッキーだな。俺が日本に行くなんて事は考えられない
 
からな、でもあんたを見てるとなんとなく日本も良い国のように感じるよ。
 
 みんながお互いに国の良いところを認め合う事ができたら良いなと感じるよ。

人で紹介アニワ島 (サングラスの親父)


島のことなら何でも俺に聞いてくれて、俺は第二次世界大戦が終わった時から
 
ずっと島の生活を見てきているからな、これでも若いときは結構女に持てたんだぜ。
 
 戦争が終わったときには俺はもうココナッツの木に登れる歳になっていたから今なら
 
 小学校に行きだすくらいの歳だったとおもうぜ。
 
 あんたは日本人だよな。あの戦争で日本が勝ってくれてたら、今頃は南太平洋
 
 の国々は日本のおかげでもっと発達してただろうな。アメリカはダメだね俺たちのこと
 
 をまったく助けてくれないからな。
 
  チーフ・サモリア、まあよく頑張ってると思うがな、少し俺たちのブラックマン文化をわ
 
 すれちまってるかもな。あいつは島が発展する事が良い事だと思って使命感を持っ
 
 って頑張ってるが俺たちが忘れちゃいけないのは昔からの島のカスタムだと俺はおも
 
 うぜ。
  
  島の代表として首都のチーフ会議に行く役割を今年からチーフ・ディックに譲った
 
 と本人は言っているが、5年に一度の選考の時に皆がサモリアを推薦しなかったと
 
 言うのが本当のところさ。5年前は新しいことに挑戦してくれそうなサモリアに皆期待
 
 したが、俺たちブラックマンは飽きっぽいもんなんでね。サモリアのやり方に少し疲れ
 
 たのさ、新しい代表のディックはおとなしい男だし、計算はできないが、俺たちの生
 
 活をよく理解してくれているよ。むかしから奴の周りにはなんとなく人が集まるんだよ
 
 な。
 
  一ついいことを教えてやるよ、実はチーフ・サモリアは今必死になってリゾートだ

 バンガローだと言ってるだろ、実はあれには裏があるんだ。
 
  アニワには大きなラグーンがあるだろ、空港から近い方の土地は戦後にサモリア達
 
 の村が自分たちのものだと言い出してココナッツやサンダルウッド(ビャクダン)を植えて
 
 それを首都に送っていたのさ、空港が近いからなにかと便利だしな。
 
  そのときにチーフ・ディック達の村は出遅れちまってラグーンの対岸の土地しか手に
 
 いれられなかったんだ。っていうか別に欲しくも無い土地をサモリアの祖父が勝手にあ
 
 たえたんだがな、昔からディックの村の奴らはおおらかだったし、与えられ土地にラグ
 
 ーンをカヌーで渡ってはココナッツを植えたりして少しずつ管理していたんだ。
 
 それが昨年の初めにツーリスト・ボートというホワイトマンたちが乗ってくるデッカイ観光
 
 船がラグーンを見にアニワに来るという話になったんだが、その船を管理してるニュー
 
 ジーランドの会社がラグーンの対岸にあるディック達の土地に目をつけて、ここに観
 
 行客を連れてくるので貝や豚の牙などで作った地元のネックレスなどを売ってはどう 
 
 かと、提案してきたんだな。ディックはきちんとチーフ会議でその事を話し、他のチーフ
 
 達に了解を得て海沿いに大きな家を建ててツーリストボートを待っていたんだ、
 
 でも何故か不思議な事にツーリストボートに島の代表のチーフとして呼ばれたのは
  
 ディックではなくて、サモリアの方だったんだな。まあサモリアは昔から首都にも顔が
 
 利くからな、そしてツーリストボートはディック達が作ったお土産屋には立ち寄らず、
 
 沖でシュノーケリングだけして帰ってしまったんだ。後でサモリアが言った理由は
 
 「大きいな客船は浅いラグーンには入れなかったみたいだ」
 
 と言っていたが、まあそこは想像にお任せするよ。
 
 ディックか? あいつはそんな事気にする男では無いからな、まあ仕方無いなとあき
 
 らめたみたいだけど、せっかくみんなで作った新築のみやげ物屋を使わないのももっ
 
 たいないから、この際バンガローにして観光客でも呼ぼうと言ったのさ。
 
  ディックって奴は不思議な男で頭が切れるわけではないが、村人の気持ちを上手
 
 く読み取る事ができるんだよ、徳があるっていうのかな?
 
  
 
  ああそうだ、裏があるって話だったよな。
 
 実はディック達の村がバンガローを作って観光客を呼ぼうと言い出したらサモリアが
 
 急に自分達の村もバンガローを作ると言い出したのさ、そして今までサンダルウッド
 
 を植えてた土地を切り開いている最中なんだ、でも空港から近いサモリ
 
 アの土地はラグーンに下りるには崖を降りなきゃならないし、第一今から土地を切り
 
 開いても出来上がるのは来年だ、一方ディックたちのバンガロウは来月の4月4日

 にオープンするらしいぜ、戦後は使い物にならなかった土地が時代が変われば利用
 
 価値のある土地に変わっちまう。俺たちブラックマンは良く言うんだよ
 
 「時の流れには逆らうな」ってね。
  
  でもなぜサモリアがそこまでしてディックをライバル視するかって、まあといってもディッ
 
 クの方は別にライバルなんて思ってないがな。実はバヌアツが独立した1980年、
 
 サモリアのコミニティーは全盛期だったんだ、独立して国が外国から受け取ったドネー
 
 ションを分配していたのがサモリアの一家さ、その頃のアニワ島の代表はサモリアの祖
 
 父だったからな、サモリア家はその頃は金があったもんで中学
 
 校を卒業した子供たちをみんな首都の学校に通わせたのさ、今から約30年ほど
 
 前はどの家も一家に一人くらいしか首都の学校に進学させる事できなかった、島
 
 には中学までしかないしな。それをあの家族だけは6人全員を首都やサント島の高
 
 校に進学させたんだ、お金の出所はあんたの想像に任せるがな。
 
 でもそれがあの家が今では廃れちまう事になった始まりなのさ、島を出て行った6人
 
 の子供はみんな都会の生活に慣れちまって、結局3人の娘たちはみんな首都で
 
 であったよその島の男と結婚しちまって島には戻ってこなかったし、戻ってきたのは
 
 長男と三男だったサモリアの二人だけさ、その長男も昨年急に死んじまって、今は
 
 サモリア一人なのさ、やっぱり島で権力を維持するにはファミリーの助け合いは大き
 
 いからな、それに比べたらディックの家族は末っ子のマッケンジーだけが島を出て警察
 
 官になっただけで、残りの兄弟8人は全員島で結婚して子供を作ってるから
 
 自然と人が集まるのさ、そういった理由もあってサモリアがディックを勝手にライバル視
 
 するようになったのも事実だな。とまあ俺の話はこんなところさ、よそもんじゃないとこう
 
 ペラペラは話せないから今日は少し話しすぎちまったようだ。
 
 写真をとるならかっこよく撮ってくれよ!

人で紹介アニワ (チーフ サモリア・デイビッド)


わしの名前はチーフ サモリア・デイビッド
 
 450人の人口に対して10人居るチーフのうち、2名しかいないチーフの代表パラモ
 
 ンチーフの一人だ、そしてわしは宣教師の資格も持っていて日曜日には教会で説
 
 教もする。
 
 昨年までの5年間は島の代表としてバヌアツに居るチーフの代表が首都で行う
 
 カウンシル会議にアニワ代表としてバヌアツ全土から集まってくる38人のチーフと共
 
 に出席していた。 
 
 しかし首都に行くのに疲れたので今年からチーフ ディックに代わってもらったがな。
 
 もともとチーフの家系に産まれたこともあるが、わしはバヌアツがフランス、イギリスから
 
 独立した直後の82年から92年までバヌアツ・エアーの空港で働いていたので電卓
  
 が無くても二桁までの足し算と引き算ができる。ちょっとしたインテリなんだ
 
 まああんたら日本人にしたらあたりまえなのかも知れないがな。
 
  俺はアニワ島が大好きさ、島をもっと良くしようと思って過去5年間頑張ってきた
 
 海外からのドネーションだって沢山もらったし、今のようにウォータータンクがそれぞれ
 
 の村にあるのもわしが頑張ったおかげだ、今後の目標は電気を島に通す事と

 リゾート開発だな、まあリゾートといってもバンガローだがな、でもそのためにも
 
 電気は必要なんだ、来年にはウチの村のバンガローがラグーンの近くにできることに
 
 なってるんだ。そしたら日本人にも沢山来て欲しいな。
 
 できればドネーションでお金がもらえたらコンクリートのバンガローが作れるんだけど
 
 日本は援助してくれないかな?
 
 悩みといえば島の奴らが働かないだな?俺は首都の生活もしってるし、今後は
 
 現金収入がないと生活していけないこともよくわかってる、俺が一生懸命そのことを
 
 みんなに伝えてるのに、島の奴らはお金の為に働くのは嫌だと毎日最低限しか働
 
 らかず、食べて、歌って、寝てばかりさ、俺が一生懸命働かないとイベントの一つも
 
 できやしない。
 
 結局俺が居ないと島の奴らは何もできないのさ。
 
  最近は若い奴らが勝手な事ばかりするから困ってるがね。

人で紹介アニワ (老人パトリック)


ワシの名前はパトリック、第二次世界大戦のことは子供ながらに今でも覚えてるよ

 何人かの若者がバヌアツからソロモンまで戦いに行ったんじゃ、ワシはまだいける歳では
 
 なかったがな。
 
  戦争が終わってから結婚して子供が二人居たんじゃが娘のほうはよその島の男と結婚
 
 してしまって今は北の方の島に居る、長男は隣の島のタンナ島から嫁をもらって子供を6

 人作って、それはもう毎日家の中が騒がしかったことといったらなかったわい。
 
 でも今思えばあの頃が幸せだったんじゃな、ちょうど2000年になった年に妻に先立たれ
 
 たんじゃが、それでも6人の孫と一緒に毎日暮らしておった。しかし昨年の10月に急に
 
 長男がこの世を去ってしまったんじゃ、原因は今でも分かっておらん、昼間海に入って 

 魚を沢山採ってきてそれを夜にみんなで食べて、次の日の朝にはもう死んでおった、
 
 村人たちはブラックマジックだと騒ぎ立てたが、病院の無いこの島では本当の原因など分
 
 からんのじゃよ。
 
  6人の孫のうちの二人はすでに首都の高校に通っていたから学費だってかかるし、息子
 
 が死んじまってからは食べるものには困らないが現金収入が無くって困っておった。
 
  挙句の果てにクリスマスを実家で過ごしたいといってタンナ島に残りの4人の孫を連れて

 戻った嫁がすでに3ヶ月も戻ってこんのじゃ、まあ6人の子供とワシの面倒は女一人では
  
大変だろうから、戻ってくるのが面倒になってしまったんじゃろうなうらんどりゃせんよ。
 
 でも長男さえあんな死に方をしなければな・・・・ 
 
 ああそうだ、チーフ・サモリアの話だったな、あいつはすばらしいチーフじゃよ、古いカスタムと 
 
 新しい考え方の両方を知っておるからな。 
 
  バヌアツの今の問題の一つは昔からのチーフ制度と28年前に独立してからできたあた 

 らしい政府の二つの権力があることなのじゃ、首都や大きな島ではチーフの力は弱まり 
 
 政府の力が強くなってきておるのは当然じゃが、アニワ島のように首都の影響をまったく
 
 受けていない小さな島々にとっては今でもチーフの力が絶大なのじゃ、でも一つ問題なの 
 
 は政府はお金を持っているが尊敬されていない。逆にチーフは尊敬されているがお金は
 
 持ってないのじゃ。 なんといってもワシらは昔からお金などつかって生活していなかった
  
 からな。サモリアにも同じ事がいえるな。
 
 そしてもう一つの問題は、若者が進学の為に大きな島にでていってしまう為に、島には 
 
 老人と子供ばかりになってしまっていることなんじゃ、昔ならワシのように身寄りの無くなる
 
者などおらんかった、しかし今後はワシのような老人が多くなるだろうな。 
 
サモリアはそういったことにも気を使ってくれてなるべく多くの若者がアニワに戻ってくるように 
 
 頑張っている。時には若者達から面倒な親父だと思われることもあるみたいじゃが彼が
 
 頑張っているからこそ今のアニワ島があるといっても言い過ぎではないとワシは思っとるよ

人で紹介アニワ島(悪役マイク)


俺の名はマイク、アニワ島ではちょっとした悪役だ、
 
 まあ理由は簡単、俺が島に一台しかないトラックを持っているからさ。
 
  俺の親父はアニワ島出身、母親は首都のポートビラ出身だったもんで
 
 俺は島のカスタムで子供の頃に母親の出身のポートビラに養子に出されたんだ
 
 そして俺は首都の都会でアブ(爺さん)とブブ(婆さん)と暮らしていた、
 
 18歳で高校を卒業してからは 
 
 アブの買ってくれたトラックで運転手として働いて居たんだ
 
 今思えば首都の生活は結構俺にはあってたかもな、気楽なもんだったよ。
 
 でも俺が24歳のある朝にアブが急に
 
 死んじまった。医者はハイプレッシャー(高血圧)と言ったがアブはそんなに太ってな 

 かったし、まあ年だったんだろうな、俺はまだ結婚してなかったし残されたブブはおば
 
 さんに引き取られたんで俺は一人になっちまったのさ
 
 まあ首都でドライバーするのもいい加減あきてた頃だし、親父と話あってアニワ島
 
 に戻ることにしたんだ、唯一の俺の財産のトラックと一緒にな、
 
 トラックは船で輸送するんだが、その金額は大金で俺はなかなかアニワ島にもどれ 
 
 なかったんだが、ある日タンナ島から首都に行く船に定員の3倍の300人を乗せ
 
 乗せて出航したら、夜中に人が甲板からあふれて海に落ちて3人も死んじまったの
 
 さ。船は営業停止になって警官の立会いでタンナに戻る事になったのさ、もちろん
 
 営業停止だから船は空だ、ちょうどそのときの立会いの警官が俺のいとこ
 
 のマッケンジーだったもんで、俺はマッケンジーに少し賄賂を渡してその空っぽの
 
 船で途中のアニワ島まで車を送ってもらったってわけだ。 
 
  アニワ島?まあド田舎もいいところさ、なんたって車は俺の車一台だからな、
 
 俺の車がついたときには450人いる島民みなが迎えに来たくらいだ。
 
 みんな大喜びで車の為に道を広くしてくれたもんだったなー。
 
 アニワでの生活は最初は戸惑ったよ、首都と違ってやってることが島民すべてにわか
 
 っちまうし、俺はアニワで育ったわけではないから最初はよそもん扱いさ、
 
 だから俺は自分のトラックを最大限に利用したんだ、トラックを使って人脈を作り友
 
 達を作った。それしか方法がなかったんだよ。
 
  そのうち島の若い奴らが俺のところに集まるようになった。なんといっても俺は首都

 の生活を知ってるから若い奴にとってはカリスマ的存在だったんだ。
 
 タバコの吸いかた、バヌアツでよく飲まれているカバという木の根を噛み砕いて
 
 水で濾して飲む飲み物、あとは俺が首都から持ってきたサングラスを欲しいという奴

 の為に首都に連絡して送ってもらったり、魚をつくためのモリを送ってもらった
 
 り、ピアス、懐中電灯といろいろと面倒を見てやったのさ。
 
  でもあるときから少しずつ俺は悪役になっていったのさ、
 
  最初の事件は3年ほど前かな? 俺のところに良く遊びにきていたタポイがスノー
 
 ケルが欲しいと俺に言ってきたんだ、でも島ではお金を稼ぐ方法がないから買えるわ
 
 けもなく、俺のところに相談しに来た。 奴が言うにはスノーケルがあれば魚を採れる
 
 そうすれば今後は現金が手に入るということさ。
 
 そこで俺が思いついたのが島に沢山居るナウラ(伊勢海老)を三箱ほど首都に送る

 代わりにシュノーケルとダックダック(フィン)を首都から送ってもらう。ナウラは浅瀬に
 
 に居るから採るときにスノーケルはいらないからな。
 
  ナウラは島に沢山いるから面白いように採れたよ、毎週土曜日に飛行機で首都
 
 に三箱ずつ送った、その代わりにスノーケル、カバ、タバコ、クリスマスにはワインも手
 
 に入った、俺は首都でワインもビールも飲んだ事があったが、島の若い奴らは初めて
 
 だったもんで、これがいつも教会でジーザスの血だといわれている飲み物かと興味
 
 津々だった、すぐになくなっちまったがな。今思えばあの頃は楽しかったな。
 
  最初に事が起こったのは俺がいつものように島の若い奴らをトラックに乗せてナウラ
 
 を採りに行ったときだった、すべての岬の目立つところに一本の棒が立っていてその
 
 先にナメルという葉が付いていたのさ、若い奴らは急に顔が青くなって
 
 「マイクさんこれはヤバイよ、タブーエリアのシグナルだ、ナメルが示されているときは海
 
 に入る事はタブーだ」
 
 と言い出した。俺もナメルの事ぐらいは知ってが首都の連中が俺がナウラを送
 
 る事を待ってるから、どうしようかと考えたが、若い奴らは完全にびびっちまってたから 
 
 その日は引き上げたのさ。
 
  チーフ会議に呼ばれたのはその週の金曜日さ10人居るチーフと俺の11名、
 
 最初の話し合いは身寄りの居なくなった老人パトリックを誰が面倒を見るかをチーフ
 
 達が話し合っていたな、そしてその次は俺の話だ。
 
  チーフ・サモリアがまず言い出した。
 
 「ナウラは島民みんなの財産だ、お前が食うためだけ
 
 に採るのはかまわないが、毎週飛行機で首都に送ってお金を稼ぐのならそのお金は
 
 いったわしのところに持ってきてみんなで分配せねばならん。」
 
 
  サモリアは常々島の奴らは働かない、これからは現金収入が無いと貨幣社会 
 
 から取り残されるといっているのに俺のお金を取り上げるのなら、島の奴らはみんな
 
 一生懸命働く気が無くなる。だって働き損だもんな。 
 
  貨幣社会とは、競争社会ってことだろ。資本主義ってそういうことなんだろ、それを
 
 普段から言ってるサモリアが財産はみんなで共有するもんだと言って働いた奴からお
 
 金を巻き上げてりゃ誰も働く気がなくなるよな、そういうしくみは 
 
 社会主義っていうんだろ。俺はどっちでも良いけどなんかサモリアの言う事には矛盾
 
 があると思うな。
  
 
  第二の事件はつい最近さ、というかまだ進行中だがな。
 
  アメリカのドネーション「ミレニアム・チャレンジ」という予算が州にあるらしくて、昨年
 
 は島の全てのメインロードの道幅を左右3メートルずつ広くすれば州から10万円が
 
もらえるということで、チーフ・サモリアがアニワ島に4つあるコミニティーで道路を4等分
 
 にしてそれぞれ作業をして2万5千円づつ分け合ったのさ。 
 
  でも今考えればおかしな話だ、だって島には俺の車一台しかないんだから、よその
 
 島みたいに車がすれ違う事は無いだろ、道幅を広くしたって車が走らなけりゃあっと 
 
 いうまに草が伸びて道なんてふさがっちまう。おかしな話だぜ。
 
  そのおかしな作業をチーフ・サモリアが中心になって昨年はみんなでやったんだ。
 
 でも今年の正月に俺がタンナ島に車の登録をしに行ったときに州の道路の仕事を
 
してる奴に言われたんだが、昨年予算を使いすぎて今年はもう10万も払えない、
 
 どうせアニワには俺の車一台しか無いのだから空港から村に向かうメインの2キロ
 
 の道だけ俺が自分で道幅を広めてくれればそれで良い。
 
 と言われたんだ、それを一人でやってくれれば3万払うという事だった。
 
 俺は1万でチェーンソーとガソリンを買って島に戻り、若い奴らと一緒にメインの道の
 
 木を切り倒して道幅を広げたんだ。それが今問題になってるのさ。
  
 先週またチーフ会議に呼ばれた、チーフ・サモリアが言うには
 
 「空港へのメインの道2キロは村人みんなが空港に歩いていくための道だ、お前が
 
 チェーンソウで両サイドの木を切ってしまったから、昼間に空港に歩いてく村人達は
 
 日陰が無くなって暑くて歩けない。あの道はみんなのものだ、なぜチーフであるワシに
 
 相談せずに木を切ったのだ!」
 
 ということさ、俺が事情を話すと、その3万は島のみんなの分配すべきだという事に
 
 なったでも俺はすでに1万使っちまってる、そこで10人いるチーフのうちの一人、チー
 
 フ・ディックの提案で、残りの2万だけをコミニティーに寄付すればそれでよいという話
 
 になっって何とか収まったのさ。 俺はこんなド田舎はもう飽き飽きさ!