2010年3月1日月曜日

人で紹介アニワ島(悪役マイク)


俺の名はマイク、アニワ島ではちょっとした悪役だ、
 
 まあ理由は簡単、俺が島に一台しかないトラックを持っているからさ。
 
  俺の親父はアニワ島出身、母親は首都のポートビラ出身だったもんで
 
 俺は島のカスタムで子供の頃に母親の出身のポートビラに養子に出されたんだ
 
 そして俺は首都の都会でアブ(爺さん)とブブ(婆さん)と暮らしていた、
 
 18歳で高校を卒業してからは 
 
 アブの買ってくれたトラックで運転手として働いて居たんだ
 
 今思えば首都の生活は結構俺にはあってたかもな、気楽なもんだったよ。
 
 でも俺が24歳のある朝にアブが急に
 
 死んじまった。医者はハイプレッシャー(高血圧)と言ったがアブはそんなに太ってな 

 かったし、まあ年だったんだろうな、俺はまだ結婚してなかったし残されたブブはおば
 
 さんに引き取られたんで俺は一人になっちまったのさ
 
 まあ首都でドライバーするのもいい加減あきてた頃だし、親父と話あってアニワ島
 
 に戻ることにしたんだ、唯一の俺の財産のトラックと一緒にな、
 
 トラックは船で輸送するんだが、その金額は大金で俺はなかなかアニワ島にもどれ 
 
 なかったんだが、ある日タンナ島から首都に行く船に定員の3倍の300人を乗せ
 
 乗せて出航したら、夜中に人が甲板からあふれて海に落ちて3人も死んじまったの
 
 さ。船は営業停止になって警官の立会いでタンナに戻る事になったのさ、もちろん
 
 営業停止だから船は空だ、ちょうどそのときの立会いの警官が俺のいとこ
 
 のマッケンジーだったもんで、俺はマッケンジーに少し賄賂を渡してその空っぽの
 
 船で途中のアニワ島まで車を送ってもらったってわけだ。 
 
  アニワ島?まあド田舎もいいところさ、なんたって車は俺の車一台だからな、
 
 俺の車がついたときには450人いる島民みなが迎えに来たくらいだ。
 
 みんな大喜びで車の為に道を広くしてくれたもんだったなー。
 
 アニワでの生活は最初は戸惑ったよ、首都と違ってやってることが島民すべてにわか
 
 っちまうし、俺はアニワで育ったわけではないから最初はよそもん扱いさ、
 
 だから俺は自分のトラックを最大限に利用したんだ、トラックを使って人脈を作り友
 
 達を作った。それしか方法がなかったんだよ。
 
  そのうち島の若い奴らが俺のところに集まるようになった。なんといっても俺は首都

 の生活を知ってるから若い奴にとってはカリスマ的存在だったんだ。
 
 タバコの吸いかた、バヌアツでよく飲まれているカバという木の根を噛み砕いて
 
 水で濾して飲む飲み物、あとは俺が首都から持ってきたサングラスを欲しいという奴

 の為に首都に連絡して送ってもらったり、魚をつくためのモリを送ってもらった
 
 り、ピアス、懐中電灯といろいろと面倒を見てやったのさ。
 
  でもあるときから少しずつ俺は悪役になっていったのさ、
 
  最初の事件は3年ほど前かな? 俺のところに良く遊びにきていたタポイがスノー
 
 ケルが欲しいと俺に言ってきたんだ、でも島ではお金を稼ぐ方法がないから買えるわ
 
 けもなく、俺のところに相談しに来た。 奴が言うにはスノーケルがあれば魚を採れる
 
 そうすれば今後は現金が手に入るということさ。
 
 そこで俺が思いついたのが島に沢山居るナウラ(伊勢海老)を三箱ほど首都に送る

 代わりにシュノーケルとダックダック(フィン)を首都から送ってもらう。ナウラは浅瀬に
 
 に居るから採るときにスノーケルはいらないからな。
 
  ナウラは島に沢山いるから面白いように採れたよ、毎週土曜日に飛行機で首都
 
 に三箱ずつ送った、その代わりにスノーケル、カバ、タバコ、クリスマスにはワインも手
 
 に入った、俺は首都でワインもビールも飲んだ事があったが、島の若い奴らは初めて
 
 だったもんで、これがいつも教会でジーザスの血だといわれている飲み物かと興味
 
 津々だった、すぐになくなっちまったがな。今思えばあの頃は楽しかったな。
 
  最初に事が起こったのは俺がいつものように島の若い奴らをトラックに乗せてナウラ
 
 を採りに行ったときだった、すべての岬の目立つところに一本の棒が立っていてその
 
 先にナメルという葉が付いていたのさ、若い奴らは急に顔が青くなって
 
 「マイクさんこれはヤバイよ、タブーエリアのシグナルだ、ナメルが示されているときは海
 
 に入る事はタブーだ」
 
 と言い出した。俺もナメルの事ぐらいは知ってが首都の連中が俺がナウラを送
 
 る事を待ってるから、どうしようかと考えたが、若い奴らは完全にびびっちまってたから 
 
 その日は引き上げたのさ。
 
  チーフ会議に呼ばれたのはその週の金曜日さ10人居るチーフと俺の11名、
 
 最初の話し合いは身寄りの居なくなった老人パトリックを誰が面倒を見るかをチーフ
 
 達が話し合っていたな、そしてその次は俺の話だ。
 
  チーフ・サモリアがまず言い出した。
 
 「ナウラは島民みんなの財産だ、お前が食うためだけ
 
 に採るのはかまわないが、毎週飛行機で首都に送ってお金を稼ぐのならそのお金は
 
 いったわしのところに持ってきてみんなで分配せねばならん。」
 
 
  サモリアは常々島の奴らは働かない、これからは現金収入が無いと貨幣社会 
 
 から取り残されるといっているのに俺のお金を取り上げるのなら、島の奴らはみんな
 
 一生懸命働く気が無くなる。だって働き損だもんな。 
 
  貨幣社会とは、競争社会ってことだろ。資本主義ってそういうことなんだろ、それを
 
 普段から言ってるサモリアが財産はみんなで共有するもんだと言って働いた奴からお
 
 金を巻き上げてりゃ誰も働く気がなくなるよな、そういうしくみは 
 
 社会主義っていうんだろ。俺はどっちでも良いけどなんかサモリアの言う事には矛盾
 
 があると思うな。
  
 
  第二の事件はつい最近さ、というかまだ進行中だがな。
 
  アメリカのドネーション「ミレニアム・チャレンジ」という予算が州にあるらしくて、昨年
 
 は島の全てのメインロードの道幅を左右3メートルずつ広くすれば州から10万円が
 
もらえるということで、チーフ・サモリアがアニワ島に4つあるコミニティーで道路を4等分
 
 にしてそれぞれ作業をして2万5千円づつ分け合ったのさ。 
 
  でも今考えればおかしな話だ、だって島には俺の車一台しかないんだから、よその
 
 島みたいに車がすれ違う事は無いだろ、道幅を広くしたって車が走らなけりゃあっと 
 
 いうまに草が伸びて道なんてふさがっちまう。おかしな話だぜ。
 
  そのおかしな作業をチーフ・サモリアが中心になって昨年はみんなでやったんだ。
 
 でも今年の正月に俺がタンナ島に車の登録をしに行ったときに州の道路の仕事を
 
してる奴に言われたんだが、昨年予算を使いすぎて今年はもう10万も払えない、
 
 どうせアニワには俺の車一台しか無いのだから空港から村に向かうメインの2キロ
 
 の道だけ俺が自分で道幅を広めてくれればそれで良い。
 
 と言われたんだ、それを一人でやってくれれば3万払うという事だった。
 
 俺は1万でチェーンソーとガソリンを買って島に戻り、若い奴らと一緒にメインの道の
 
 木を切り倒して道幅を広げたんだ。それが今問題になってるのさ。
  
 先週またチーフ会議に呼ばれた、チーフ・サモリアが言うには
 
 「空港へのメインの道2キロは村人みんなが空港に歩いていくための道だ、お前が
 
 チェーンソウで両サイドの木を切ってしまったから、昼間に空港に歩いてく村人達は
 
 日陰が無くなって暑くて歩けない。あの道はみんなのものだ、なぜチーフであるワシに
 
 相談せずに木を切ったのだ!」
 
 ということさ、俺が事情を話すと、その3万は島のみんなの分配すべきだという事に
 
 なったでも俺はすでに1万使っちまってる、そこで10人いるチーフのうちの一人、チー
 
 フ・ディックの提案で、残りの2万だけをコミニティーに寄付すればそれでよいという話
 
 になっって何とか収まったのさ。 俺はこんなド田舎はもう飽き飽きさ!
 

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