2010年3月1日月曜日

侍が残したもの


昔タンナに一人の侍が居ました。
 
日本で現職の教員そしてはたらき、ジャイカの現職参加制度でバヌアツ

にやってきた侍は小学校で算数を教えていました。
 
 侍が国から言い渡された大きな使命は
 
「魚を与えて一日を養うのではく、漁法を教えて彼らの一生を養えるよ

  うにすることがお前の使命だ」
 
 ようは、
 
「数年後にはバヌアツの先生達だけで独立して質の良い授業を実践でき

るようにすること、そのためにはお前は一人の教師として働くだけではなく、

教師たちに算数の授業とは何かを伝授しなければ、お前の仕事は2年

間現地の教師達の算数を教える機会を奪うだけになり、甘やかしの援

助となるそこを良く心得て日々生活するように」
 
 と厳しく言われて送られて着ました。
 
侍は国立大出身、その後難しいと言われる教員採用テストにも見事合

格、教員は社会的視野が狭いといわれる事を不服に思い、教員になっ

たときから協力隊に行く事を決めていたといいます。
 
 
 真面目な侍は一生懸命に現地の先生達に自分の使命を説き、一緒

 に授業をしてくれるようにと時には頭を下げてお願いし、時には厳しくし

 かりつけ、日本に残した妻子への思いをつのらせながら、
 
 「ここであきらめては自分は今後日本で教師として
                  胸をはって仕事が出来ない」
 
 という信念のもとに、彼の気持ちに気がつく事ができず、今のバヌアツの
 
 現状に危機感を持たない同僚の教師達に頭を悩ませ、苦悩し続け
 
 答えを出せないままに後任に全てを託す形で帰国していきました。
 

  現在は侍の後任が僕の心の友となりバヌアツで働いています。
 
 彼の後任は
 
 「自分の見識を広める為には日本に甘えがあってはいけない」

 と4年間勤めた日本の教育界から脱藩しゆくゆくはお国の為に何か

貢献したいと考えているいわば「浪人」の身です。

しかし心はりっぱなお侍。
 
 
 僕はもともと農家のでなので、武士道などは心得ず、
 
 「年貢の取り立ても無く、人々が食べるより早く食べ物の育つこの国なら

 農民は必要ないし、もともと身分にこだわる性質ではない、モットーは

 郷に入れば郷に従えだ!」

 と、さっさと農民という立場を捨てて乞食に成り下がってしまった不届き

  者です。
 
 今は毎日空から降ってくるマンゴー、ココナッツ、パイナップル、半分に

切ってさしておけばすぐにもとの大きさに戻る不思議な芋たちを拾って
 
 はお腹一杯食べています。
 


 でも脱藩してきた浪人の苦労を日々聞かされるうちに、お侍さんたちは

大変だな、もし侍たちの心の中に武士道が宿っていなければボランティア

という立場は楽なものになるのにな。
 
と思う反面、子供の頃からきちんとした教育を受けて世界平和のために

は自己犠牲をもいとわないとするこういった人たちが居るから今の日本が

成り立っているのだな。とも感じます。あるとき浪人が
 
「俺はもしかしたら自信過剰なのかも知れない、
                 だからこうして日々悩むのだ」
 
といっていたことがあるけど、俺のあまり使わない頭で考えると

 自分の中にそういった高い基準があって日々向上しようと考えている人

には悩みというものは尽きないなのかもな?

そういった高貴な考え方を自然に身に着けているお侍さんたちはやはり凄

いなと少し羨ましく感じました。
 
 帰国した侍の心の中でバヌアツでの2年間はどのような形で心に残って

いるのかわからないけど、少なくとも今バヌアツで働いている浪人と乞食の

二人の日本人は
 
  「侍は自分の初心を貫いたすばらしい男だった」
 
                    と日々感じています。 
 
写真は侍の任地だったタンナ島で今も爆発し続けるヤスール火山です。

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