2010年10月30日土曜日

哀れな日本人に愛の手を?


 <写真は募金をするときに使っている僕のオリジナルボードです、
 バヌアツの時の写真が貼ってあって、次はアンゴラに行くので募金宜しく!
 って言うとみんな納得してくれます。言葉よりも写真の力は大きいです>

 募金活動をしていて、思うことはアフリカ出身の人は二手に分かれること。
 
 とても喜んでくれて、協力してくれる人と、

 明らかに不審感を持って気分を害する人に分かれます。
 
「お前は何でアフリカに行きたいんだ!」

「おれたちの写真を使って金を集めてるだけだろ」

「おれたちはほっておいてほしいだけなんだ、助けなんていらない」

「旅行者気分で人助けなんてできないよ」

 って言われます。僕の答えは

「僕はスポーツを教えるのが好きだからアフリカに行きたい。

日本でも先生をしていたし、バヌアツでも体育を教えていて

自分の経験の為、楽しい時間を過ごしたいだけなんだ」

 でもこの答えは僕が最初に協力隊に行く前とは全く違っています。

4年前に協力隊に行こうと思った時に感じていたのは

「困っている人を助けたい、日本人として何か貢献したい」

でした、だからバヌアツで海外のボランティアが口々に

 「経験の為、自分の人生を変えたかったから」

っていうのを聞いて、少し驚いたし

「税金使って来てるのに、少し無責任だな、受け入れ国にも失礼だ」

なんて思いました、

  でも今は違います。バヌアツに行って少し感じだことは

 「基本的に人が人を助けることはできない」

解釈が難しいし誤解を生んだら困るけど、助けようと思って何かをしてあげると、

 最初は相手も喜んでくれるけど、それが継続的に行われると、

 相手もやってもらって当たり前になってくる。

 こっちは助けてあげている、って思ってるけど、何の感謝もされなくなる、

 別に感謝されるために初めて人助けではないけど、それが当たり前になってきたり。

 「もっと助けて!」

 って言われたりすると、
 
 助けるのではなくて自立させることが大切だ。

ということに気がつくのだと思います。もちろん

 「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」

「食べ物を与えて難民にするのではなく、クワを与えて自立してもらう」

 この言葉は基本にあります。でもこの言葉は時に現実的ではないこともあります。

 日本人は教育水準が上がれば彼らは自律して立派にほかの国と競争できる、

 と思っていても、もともと途上国はそんなことを望んでいないこともあります。

 また

 「こんなに献身的に頑張ってる自分て素敵!」

みたいな感じで、単に自己満足になる人もいると思います。

 ヨーロッパに来て思うことはボランティアって人生の中の一時期

 に無給で働いてみることによって、人生観が変わったり、

 給料をもらって働くことと比較できたする良い機会になるのかな?

 と思いました。

 またアフリカ出身の人が嫌な気分になるもう一つの理由は

 たとえば満面の笑みの日本人の子供の写真をどこかの外国人が

 ポスターにして持っていて、そのポスターのスローガンに

「日本を助けよう!」

「日本人に愛の手を!」

「あなたの100円で沢山の日本人の命が救えます」

「日本には教育が必要です!」

 こんなのを持っている外国人の若者を海外で見たとき、

 自分はどんな気持ちがするかな?って思ったら、きっと良い気分にはならないだろうな。

 っておもいました。

 だからアフリカ出身の人になぜアフリカに行きたいんだ?

 って聞かれたら今は

「自分の経験の為です、僕が彼らを助けることなんてできないことはわかってる、

 ただ僕はアフリカに行って彼らと一緒に遊びたいだけなんです」

 って胸を張って言うようにしています。
 
 そうすると相手も納得してくれます。

 間違っても

 「彼らを助けたいのです」

って言ってはいけない気がしてます。

 それが4年前と今とで僕の中で変わったことだと思います。

それぞれの人がいろいろな思いでボランティアだったり、

 人助けをするのだと思いますし、その動機は全員が違っていて良いし、

 常に変わっていくものだと思いますが

 2010年の僕は今こんなふうにおもっています。