2011年3月21日月曜日

少ない情報からですが地震について

 地震の情報は今の僕の生活ではほとんど入ってきません。

 写真の多いホームページやユーチューブはここで見ることは難しいです。

 民間のテレビを見た生徒やラジオ、家族、友人からのメールで情報が入って

 来ました。

 この大切な時期に日本にいなかったことは、今後日本人が共通認識として

持ち続ける今回の地震に対する意識を自分は持てないことになり。

 日本人としての何かが自分に欠けてしまったような気もしています。


 
 「世界からみれば秩序を維持しながら、

    懸命にたちむかっているというところだと思います」

 という連絡が人生の大先輩からあり。

 その一文だけでも、さすがに日本だな。 と感じました。

  災害に便乗して、商店を荒らしたり、人々が暴徒化している映像を見るのは

 日本では無いのだな。 と改めて感じます。

  もちろん必要に迫られて必要な水や食糧を多少もらうことはあるとは

思いますが、普段から仲の悪かった移民の店を荒らしたり、食糧以外の宝石や

貴金属をとったり、さらにマスコミがそういう状況を煽るように、

自国の恥を面白おかしく報道したりするような風潮は

今の日本の社会では許されないのだと思うと。安心します。

それと同時に今回の震災がそれほど深刻なものだということも

感じることができます。
 
 特に北の人達は我慢強いのかな?

 などと思いながらも、早く安定した生活に戻ってほしいと思います。

 
 10年後20年後に、

 「震災の後で日本はさらに強く美しくなった」

 と言われる日が来るまで、我慢強く頑張ることしかできないと思います。

 もちろん失ったものの大きさは計り知れないと思いますが。

 やっぱりそこは黙ってやるしかないのだと思います。


 とりあえず安定した生活に早く戻って欲しいと思います。

 不便でも安定してほしいと思います。

  
 
 高度成長を支えてきた団塊の世代、バブルがはじけて少し自信を失い

 かけていた人達が、最後にその存在感を示し後任に自分達の仕事を仕方を現

場で教えることができる良い機会なのだとも思います。

バブルの崩壊よりも今回の震災のほうが団塊世代の使命感は強いと感じますし、

若い世代は団塊世代と一緒に意味のある仕事をできる最後のチャンスだと思

って多くを学んで欲しいとも感じます。

それが日本の今できることだと思います。

  たくさんの人が亡くなったので、情報の無い僕が多くを語ることはよくない

 と思います。

今はただ不安を口に出さずに我慢する時期なのだと僕は思います。
  

2011年3月10日木曜日

異文化理解と国際貢献


異文化理解と国際貢献

この二つの言葉が違う意味を持つのかどうかはわからないけど、

日本の中では西洋ほど使い分けができていないと思います。

 異文化理解というのは別に途上国とか先進国とか関係なく、

自分と違う文化の人達と交わって、勉強することによって、自分の

今まで育ってきた文化の良いところ、良くないところを改めて

 確認することができて、今後の人生に生かすことができるもの

だと思います。だから特に途上国に行く必要もないよね。



 国際貢献は少なからず相手の国に対して何か利益というか

「貢献」するのが目的だから、提案でも改善でも良いので、

 なにか残すことができればよいのだとおもいます。

 そうなると途上国のほうがそういった問題点は見つけやすいのかも

しれません。ここで難しいのは、単に資本主義社会側からみて

「問題点」であって、人生何が正しいのかは本当は誰も知らないの

だけどね。まあここでは一応「基本的人権」というような観点から

みた「正しさ」です。それ自体も先進国が決めたルールだけどね。

簡単に言えば基本的人権って

「なるべくみんなが笑顔になりましょう」

という風に理解してれば良いのかな?と個人的には思います。

 そして日本人は「異文化理解」という言葉が苦手なのだと思います。

 協力隊みたいに海外に2年間もいて、相手を理解して、

自分の人生観を変える?

そんな理由でリスクの大きい途上国に税金を使って行くことは許されない。

だったらその2年間は机に向かって勉強して学歴付けなさい。

 というほうがなんとなく日本社会的だよね。

 だから協力隊も「異文化理解」の要素が大きいけど、表向きは

「国際貢献」という感じになっているのだと思います。

 でもアメリカのボランティアもヨーロッパのボランティアも

それほど国際貢献とは思っていなくて、

「自分の人生観を変えたい、空っぽな人生に刺激が欲しい」

 というようなことを普通にみんな話しています。

 最初から異文化理解をしに着ているんだよね。

  募金活動をしている僕に対するイギリス人の励ましの言葉は

「良い経験してきてね」 

 であって、決して

 「途上国の人を助けてきてね」

 では無かった気がします。みんなわかってるんだよね。僕みたいな

 若者が(自分で若者って言ってしまった・・・)アフリカに半年間行っ

たって何も変えられない、

変わるのはせいぜい自分自身くらいだってことを・・・・

 協力隊に話をもどすとそのバランスはとても難しくて、

本当にスキルがあって言葉も話せて、

そして2年間という長い時間があれば

「国際貢献」してしまう人も結構いるのだと思います。

 そして最初から「異文化理解」といって人を集めたら、

2年間税金を使って遊ぶ人もたくさんいると思います。

だから「国際貢献」ということで志の高い人達に集まってもらって、

その人達が現場で一緒に働きながら、色々と経験してもらって、

2年後に帰国したときに得たものは結果的に50%は「

異文化理解」で50%は「国際貢献」であった。

というバランスが日本的なのかも知れません。


 ちなみに今回の僕のアンゴラでの半年は「異文化理解」だと

自分では思っています。日本の税金ではなくてイギリス人の

「良心」からくる募金できているから胸張ってそういえます。

 だから生徒と一緒に泥臭く働いて、生徒が歴史の勉強をしていれば、

その隣でポルトガル語の勉強を一緒に座って自習して。

 時には一緒に海に言ったり、料理したり、同じもの食べて。

日本人だってアンゴラ人と同じ生活できるし.

日本人がみんな算数ができて、車が作れてパソコンいじれるという

彼らの勘違いを正そうと思います。そういう僕の100%

「異文化理解」的行動が、彼らの心の中に

「日本人には泥臭い奴もいるし、俺達と変わらない」

ということをしってもらって、

10年後20年後にそういう彼らの気持ちが結果的には

「国際貢献」になっていた。ということになればメデタシ!メデタシ!

なのかな?っておもいます。
 
 先日学校の用事で町にコピーをとりに行ったのだけど、

メチャクチャ待たされたのにおとなしく嫌な顔もしないで座っていたら、

お会計のときにアンゴラ人の店長に

「もしかして日本人なの?」

って聞かれました。そうだよ!ってこたえたら。

「そうだと思った、僕は昔日本人と働いたことがあってね。
  あなたも日本人だと思った。僕は日本人大好きだよ、
    アンゴラに来てくれてありがとう」
 
って言われました。

 その人が日本人の方とどこで何をしていたのかはわからないけど、

そういうすばらしい日本人がいて、アンゴラの人が今でも

良いイメージを持ってくれているということは僕にはとても

 うれしかったです僕の生徒が将来日本人と働くことになったときに

 良いイメージを持ってくれたらとてもうれしいな。

 と僕は感じていますし。もし僕が日本で働いているアンゴラ人に

 あったら同じように

「日本に来てくれてありがとう」

 って言いたいと思います。それが異文化理解だと思います。


 

若いときに学んだこと


 <写真は日曜日に寮でオズワルドの髪を切るザカリアス、
  一緒に生活しているとこういう私生活も見れて楽しい
  です。ザカリアスの落ち着いた表情と見事な出ベソが
  印象的です。日本では出ベソの人少なくなったけど
  アンゴラではいまでもみんな立派に出ベソです>

昔の話なのでドンドン大げさになっていますので、

実際はこの3分の1くらいしか頑張ってません。

 フットボール現役時代、週に三回はきちんとウエイトトレーニングを

して体を作る、それが勝つために自分がすべきことである。

 春に練習が始まってから、、練習と仕事の合間を縫って、

ジムに通ってウエイトをします。

 2ヶ月も過ぎると、慢性疲労がたまって、

朝に起きれなくなってきます。

友達からもらったアリナミンを寝る前に飲んだりして、

何とかおきるように頑張ります。

 朝の8時から18時までファミレスで立ち仕事して、
その後に何か少し食べて20時ごろにはジムに行きます、

ウォーミングアップで20分エアロバイクをこいで、ストレッチして、

ウエイトの器具に座りますが、疲れて踏ん張れません。
 
「とりあえず神経だけでも興奮すれば疲れた体はついてくるものだ」

とおもって、カフェインの強めのコーヒーを飲みます。

朝専用のカフェインの多いコーヒーをトレーニング前に

よく飲んでいました。

 ジワット汗が出てきて、ウエイトトレーニングがはかどります。

そんなふうにして自分をだましてトレーニングを続けていると、

体の抵抗力が弱っているし、胃袋にも良くないので、

風気を引いたり腹を壊したりしやすくなります。
 
「風邪なのかな?それとも慢性疲労なのかな?」

でも

「やらない理由は自分が決める」

「妥協の数だけ自分が弱くなる」

 と思って、無理にウエイトしますが、体に力が入りません。

 今日はプールとジャグジーで休養しよう。

 と思って、プールに入って休みますが、

 案の定その日の夜には熱が出ます。
  
 でも次の日は仕事、朝おきて7度5分以下なら大丈夫。

ファミレスで朝一番に社員が出社できないことはありえないので、

行きにコンビニでユンケル飲んで頑張ります。

 8時から1時まで働いて、少し落ち着いたら

メニューにある雑炊を食べて30分ほど車で寝ます。
 
腰とか太腿の筋肉が痛いけど、とりあえず水をたくさん飲んで、

午後も頑張って、働いてクタクタで帰宅。

 二週間ほどジムは休むことにしますが、

その間でも仕事と週に三回の練習は休めません。

常にだるい体とウエイトをしてないことの罪悪感。

毎日生活に追われている感じ。

フットボールの練習ですら休みたくなります。

 そんな状態がシーズン中に一ヶ月くらい続くと、

この状態が一生続くような気がして。

人生がとても辛いことのように感じてきます。

練習中も良いプレーができなくて、自分に腹がたちます。

 不注意からくる練習中の小さな怪我も多くなります。

 食欲がないからいっぱいだけと思って飲んだビールが

いつの間にか焼酎に変わって、ついついのみずぎて、

二日酔いで朝ごはんが食べれなくて、朝はコーヒーだけ、

10時ごろに蕎麦をやっと食べる。

というような典型的な駄目な食生活になって行きます。

 シーズン後半には膝と腰痛の痛み止めの副作用でさらに胃袋が弱って、

体重も減ります。

「ウエイトしなさい」

ってコーチに言われるだけで腹が立ち。

前向きでない自分に気がつきます。

 気がついたらあまり人と話さなくなって、

必要最低限のこと以外には何もしなくなってるんだよね。
 
部屋の中は腰が痛いので、床においたものをとるのが面倒になり。

汚れ放題になります。仕事と練習に遅刻しないで行くことがやっとです。

(大分大げさなので実際はこれの3分の1くらいの辛さだったことをここで改めて書いておきますね)

 でもここまでやけくそになるから試合中でも怪我なんて怖がらず、

良いプレーができるし、

ここまでやったんだからどんなことをしてでも勝つ。

という気持ちになれるのだと思います。

 チームやコーチも最終的に勝つのはメンタルだ。

とわかっているので選手にプレッシャーを与えてきます。

こちらもコーチができることはすべてやってくれている。

選手のすべきことは自分を追い込んで、

試合の土壇場でも妥協しなような自分をつくることだ。

と理解しているからできるんだよね。

 それくらいチームとコーチを信頼していました。

 チームとコーチが何もしていなくて、

勝てないのはお前達気持ちが弱いからだ!
 
って言ってるチームもあるかもしれないけど。

それは間違っているとお思います。

気持ちというのは勝つための一つの要素であって、それ以外に、

戦術、トレーニング、医療、栄養、休養、練習環境、道具

などの要素の中の一つでしかないと思います。

大切なのはバランスだよね。
 
そのビジョンを持っているコーチの下でプレーできたことは

僕にとってとても幸せなことでした。

 今なら体が疲れてきたら素直に休めます。

 あの頃休まずに自分を追い込めたのは

「若さ」だったのだと思います。
 
だからシーズンが長いことを考えずに、その日の自己満足と罪悪感で

トレーニングしていたのだとおもいます。 

そういう潔癖なところが僕にはあったのだと思います。
 
大人になるともう少し長期的に物事を考えることができるよね。

 でも若いときにそうやって自分の限界と弱さを学べたことはとても

良いことだったのだと思います。

 アンゴラで20歳くらいの生徒達と一緒にいると不意にあの頃の自分

を思い出して、生徒達に対して尊敬というか、応援したくなる気持ちが

湧き上がることがあります。

若さって「純粋さ」であって決して「不器用さ」ではないのだと思います。

 大きな気持ちで見守ってあげるべきものだとだと感じます。

 

2011年3月8日火曜日

南北問題


 僕の聞き取りが間違ってなければ、昨日生徒が僕に教えてくれた内容は

大統領かゲリラ側かは知らないけど、

「今のままの政治が続くのなら2年後にもう一度内戦を始める」

って発表したらしいです。

 「ウラはその頃もういないから大丈夫!」

 って何か自信ありげに言ってたけど、

2002年に終わった内戦から約10年、

現在二十歳の生徒達が10歳の頃からやっと国が良くなって、

10年間安定して教育を受けて、

これから先生になって国に恩返しできるという時になって、

また逆戻りなの?
 

 昔聞いたことがあります

 植民地から独立したアフリカの国は内戦が始まって彼らの中の誰かが

今度は自分達の国民を植民地化しようとする。

その政治が悪かったりすると、独立しなかったほうがましだった、

ということになる。

 血みどろの内戦が終わって、やっとのことで新政府が誕生した後の

第一段階は

「武装解除」

 みんなの武器を回収して、独裁政治、クーデター、軍隊が力を持ちすぎる

ことなどを避ける、3年から5年間



 第二段階は

「インフラ整備」

町づくりが始まる、内戦で壊された橋、水道、道路、病院、学校、地雷撤去

などを行って、効率よく生活できるように、町を整えていく。

 10年くらいかかる


 段三段階は

「教育」

 義務教育から初めて、長期的、計画的に物事を考えることができる人を

育てる、政治家でも教員でも今後の「国つくり」をきちんとできる人を育成

する、そしてその人達が社会に出て実際に活躍して国が良くなるまでにかか

る時間が

 20年から30年

 第三段階まで行けば、そこで初めて独立と自立が成功したことになるのか

も知れない、日本の戦後30年って第一次ベビーブーム、いまや団塊世代が

30歳のときだよね。日本人は良く頑張ったのだと思います。

 
アンゴラは内戦が終わって10年、中国の技術援助とともにこの10年で

インフラ整備が進んできています。女性や子供がやっと安心して暮らせるよ

うになってきたのに、

2年後に内戦はじめるのはあまり賢い選択ではないと思います。

 もう少し我慢して欲しいと思います。

 そして、もう一つの疑問は

ダイアモンドや石油をたくさん持っているアンゴラが今後順調に国力を伸ば

していったら、困る人達や国もあるのだと思います。

 内戦が始まってアンゴラからの石油の輸出が不安定になれば、

値段があがること間違いないしね。

 そしてアンゴラが石油とダイアモンドを売ったお金で順調に

成長していって、もともと賢くて真面目なこの人達が教育を受けて強くなる

ことを恐れている人や国もあるのだと思います。

 自分の国に資源がない先進国の国は、アンゴラのような国には常に不安定

であってもらうころが大切なのだと思います。

 だから国つくりがある程度成功してくると、

反政府側に都合の良い話を提案して

お金や武器を援助して、内戦を起こさすのかもしれません。

そうすれば第三国が介入できるビジネスチャンスがまた増えるわけだしね。

ものすごく奥が深くて、アフリカがいつまでも成長しなくて世界で問題視さ

れている一番の理由はここにあるのだと思います。

 こういうのを南北問題っていうのかな?

 それを操っているのは資本主義、物質主義でお金持ってないと勝ち組にな

れない、正義を叫ぶ貧乏な人は説得力が無く、

「いつまでも学ばない民衆」はお金をもっている強いひと人と国の言うことを聞

いてしまうのが現況なのだと思います。無意識のうちに自分もその民衆の一人

かもしれないけどね。



 日本の戦後の歴史は奇跡的だよね。

 アメリカ一国が日本の面倒を見てきたからからかな?

 それとも島国だし、資源とかないから利用価値がないと思われたのか、

日本がまさかこれほど「物づくり」上手だとはどこの国も気がつかなくって、

気がついたら自分達が買う側になっていてお金払わされていたのかもね。

 日本は国としては戦前からすでに成熟した国だったこともあるのかな?

 建国200年のアメリカには理解できないし、コントロールできない

部分もあったのだと思います。


 日本人は、日本のそういった世界の中でもユニークな歴史をたどってきたこ

とを意識しながら、よその国とかかわっていけたらと思います。

 


 そしてそうやってアンゴラの利用している一部の人達に、

「アンゴラを利用するのは良くない」

 と言ったとすると、

 「何が悪いの、自国の利益考えるの当たり前じゃない、俺達は頭が良い
 
  だけだよ、国際社会ではそれが当たり前じゃない?

  アンゴラ人には内戦を断る選択肢もあるんだしね、俺達は選択肢を

  増やしてあげているだけ、選択しているのは彼だから俺達悪くないよ」

 ってあっさり言われるのだとおもいます。

 ヨーロッパを中心とする「西洋文化」ではすでに何千年も前からそうやって

 お互いに駆け引きしあって歴史を作ってきたわけだから、それは汚いことでは

無くって、当たり前なんだと思います。そういった国から見たらアンゴラ

みたいに、「幼い」国を外からコントロールすることは

 簡単なことなのかもしれません。 アフリカの本当の問題はここにあるの

かもね。

 

 自分の国の国民に選ばれた政治家達がよその国の利益になることより

自分の国の国民の利益を考えることは当たり前だものね。

 
 今一緒にいる生徒達が2年後に兵隊ではなくて教員になって欲しいと

 僕は思います。

 せっかく10年かけて育ててきた長期的に物事を考える事ができる

 人達なんだからね。

 大事なことはそこまでわかっていも現場レベルで毎日コツコツ

頑張ることだとも思います。それができないと「自分の為」に良くない

気がします。文句ばかり言っていても誰も僕の為の都合の良い人生を

 作ってくれるわけではないしね。

 今日も一日健康で頑張れればとりあえず2年後も良くなると信じようと

思います。

2011年3月7日月曜日

平凡で非凡な日曜日


 <写真は水場から見える学校と農園の風景です>

日曜日なので水場に洗濯に行った。

 ナイススミス、ゴメシュ、ジョニートの三人が先にいて、

 ナイススミスはラジオの音楽に合わせて上半身裸で静かにずっと

踊り続けていた、ゴメシュ、ジョニートは洗濯をしていた。
 
ラジオからかかっている曲はレディー・ガガ

 その後はアメリカのヒットソングがずっとかかっていて、

  ゆっくりと踊っているナイススミスと洗濯の二人が話している内容は

 デモクラシー、アメリカ、アンゴラ、テクノロジー、アジア、中国、

日本、教育、お金、など聞き取れたのはそんな感じだけど、

雰囲気からいって民主主義について話しているみたいだった、

 


  「アンゴラ人が日曜日にアメリカンポップスに

    乗って踊りながらポルトガル語で民主主義について真剣に話しているのを

    洗濯しながら横で聞いている日本人の僕」



地球は果てしなく広いのか狭いのか理解に苦しむなー、

と思っていたらレディー・ガガが終わった直後のラジオのコマーシャルは

いきなり元気の良い中国語でした。
 
「これもまたありだよねー」

っておもいながら、気がついたらポルトガル語のラブソングが

流れているみたいで、三人はうれしそうに合唱していました。

 その後にトレイシー・チャップマンという僕が中学校の頃にはやった、

曲の少し新しいバージョンの曲が流れていて、

なんとなく懐かしかったし、

あの頃はまったく歌詞とか理解していなかったけど、

今英語で聞くと少しだけ意味がわかるようになったなー、

と自分も少し変わったんだなー、と感じながら、

気がついたら三人は洗濯が終わって戻っていき、

時間は午後の1時、強い日差しだけど、

乾いた風が吹く水場の空気はなんとなく気持ちよくて、

木陰でしばらく風に当たっていました。

 「人種も大陸も言葉も時間さえも混ざりあう世の中なんだなー」

  寝坊して、何をするにも中途半端な時間だから、

とりあえず洗濯して昼飯まで時間つぶそう、

っていう本当にごく平凡なよくある日曜日の風景なのに、

これだけの事が混ざり合っているんだなー、
 
三人がラジオとともにいなくなって静まりかえった

アンゴラの水場でしばらくボーっとして今いました・・・・
 
 なんとなく良い日曜日でした

2011年3月2日水曜日

「中途半端に賢い人」と「本当に賢い人」


 <僕の髪はこちらでは珍しいけど、黒人の人の髪ってとっても
  やわらかくて驚きます。フワフワです>

 僕は大学から社会人3年目まで、7年間ずっと2軍でした、いつも試合で

活躍している同期や先輩の姿をみて、自分もいつか試合に出たい!

 って思っていたし、試合に出てる人の何か助けになれば。

と思ってチームの為にがんばっていました。

 そういう2軍の選手から見ると、一軍の選手の中でも二つのタイプの選

手がいることがわかります。

 一つはプレーできていることに感謝できている選手、二軍の僕達のこと

も気遣ってくれて、自分が活躍することよりも、チームの勝利を考えてい

る選手、そういう選手が試合中に良いプレーをすると、試合に出ていない

こちらも感動するし、たとえそういう選手が良いプレーができなかったと

しても

「頑張って欲しい!」

 という気持ちが沸き起こります。試合中でも思わず

「今日も期待してますよ!」

って声をかけに行ってしまいます。

 それがその人にどれほどの効果があるかわわからないけど、

みんなが必死なときにたとえ2軍の僕からでも励ましてもらえることはと

ても意味があると僕は思います。

 もう一つはもともとセンスがあってあまり努力しなくても活躍できる選

手、どちらかと言えば、毎日努力しても試合に出れていない僕のような選

手が馬鹿らしく見えるし、へたくそな選手に足を引っ張られてチームが負

けるのは迷惑だ、と考えている選手。

 仕事なら40代、50代で結果が出ることが多いから実力と人間としての

器が同じタイミングで育ってくると思うけど、スポーツは10代、20代

ですでに一流になれるものね、逆に30代に入ると練習量が落ちてしまう

のは仕方が無いよね。

 だから人間としての器が出来上がる前にものすごい地位と名声を手にし

てしまえば、そうならないほうがおかしいのだと思います。

 そして、

「俺がこれだけ頑張っているのに、ほかの選手のせいで勝てなかった」

「へたくそ組のやつらは今の倍は練習してもらわないと、チームは勝てない、それがチームのためだ」

「もっと自分は尊敬されるべきだ、これだけ試合中にチームで貢献しているのだから」

 というような気持ちが起こるのだと思います。

 そしてそういう選手が怪我で練習を休んでいたり、辛い練習をしなかっ

たり、練習に遅れてきたりすると、なんとなく2軍にいる僕は

「シラケテ」しまうよね。

 その人の倍は努力してるはずなのに、才能が無い、認められない、チー

ムのお荷物扱い、フットボールではなくて仕事でしか貢献できない僕とし

ては素直にチームを応援できなくなるのだと思います。

 今となっては

僕の努力の仕方が間違っていたからいつまでも2軍だったのだ!

 と認めるしかないですけどね・・・・

 まあそのときは若かったし、やっぱり悔しかったのを思い出します。

 そんな話をなぜ今ごろ思い出したかというと、

才能だけがある選手を「中途半端に賢い人」とすると

才能があってしかも2軍の選手やチーム全体のことを考えることができる

選手は「本当に賢い人」

なのだと思うからです。そこまで気がつけるというのは本当に賢いのだと思います。

 中途半端に賢い選手は

自分のため、自分の名誉のため、自己満足のためにプレーするし、自分の

才能を使うと思いますが。

 本当に賢い人は自分の才能を、組織全体のため、弱い立場の人のため、

世の為に使ってくれるのだと思います。

 そういった「使命感」を持ってる人は判断を間違えないし、自分の才能

以上のものを発揮することができるのだと重います。

 回りも応援してくれるしね。やる気が持続するのだと思います。

 でも「自己満足」の為にやっている人はやっぱり途中で挫折することも

多いのだと思います。そこで気がついて世の為人のためにと思える人もい

ると思いますし、

「俺がここまで頑張っているのみ、認めてくれなかった社会が間違っている」

となってせっかくの才能を無駄に終わらせてしまう人もいるのだと思います。

 ずっと2軍だった僕から見たら、なんともったいない・・・・

 ということになるのかもしれませんし、彼らから見たら

「ずっと2軍の奴は良いよな、栄光が無かった分、挫折を感じなくてもすむ、でも俺は一度頂点に立ったから落ちたときのショックは大きいのだ・・・」

 となるのかも知れません。

 僕の周りには「本当に賢い人」と「中途半端に賢い人」

の両方がいたと思います。

そして本当に賢い人は引退してもほかの業界で今でも輝いています。

そういう人は自分のためだけに努力しているのではないので、

判断力が良いし、使命感をもっています。

 挫折しても立ち上がります。やっぱり人間って自分のエゴだけの為に働

き続けることってよっぽどのエゴの強い人で無い限り難しいのだと思いま

す。家族のためとか社会のために働いているほうが人も集まってきて、

やる気が継続しやすいのだと思います。

 僕はいまだに人生は2軍ですが、先輩にもそして最近は後輩にも

「本当に賢い人」が出てきました。

 30代になって、そういう人達が自分の「使命」に気がついて、それぞ

れの道を進んでいくのを見ると、自分もエネルギーをもらえる気がします。

 それはちょうど試合中に

「今日も期待していますよ!」

って言いに行きたい気持ちと似ています。

 みんな僕より出世して、

 僕のことをいつか雇ってくれたらうれしいです。

 下働きならいまでも結構良い仕事する自身ありますよ。