2012年2月1日水曜日

苗字の違う家族

年末に二人の甥っ子が山口県から飛行機で送られてきて、僕が羽田に迎えに

 いって、レンタカーを借りてウチの母親と4人でスキーにいきました。

 甥っ子の苗字はアキモト、僕はウラ、母親は離婚してるから旧姓

 なんだよね、レンタルスキーとウエアーのカウンターで一人ずつ名前書いて

 申し込んだのだけど、そこのお兄さんが

 「とりあえず息子さんウエアーがこれで、お父さん(僕のことね)のスキーが

 こちらで」

なんて言って説明したあとに、子供と僕の名字が違うのを知って、

 少しあわててたけど、まあいまどきそういうこともあるから許してね!

 って思ってたんだけど、その後に靴を履いていた母親に僕が

 「お母さん」

 って呼んだときに自分の中で何か違和感が・・・

 もしかして、ウチの母親と僕が夫婦だと思われてる?

 もしくは僕がバツ一で子供を二人引き取って育てていると思われてる?

 でもその場合だと子供と僕の名字が違うのはおかしいから

状況的には嫁さんが二人の子供を引き取っていて、

スキー旅行は子供との面会日みたいな感じで、

僕が母親に連れ添ってもらって今ここにいると思われてる?

  でも甥っ子達は僕の事を「お父さん」ではなくて「てるくん」

 と呼んでいる。

  レンタルスキーのお兄さんにどういう風に解釈されているのか

 とても気になってしまいました。

  むかしソフトバンクに家族割を申し込んだときもそうだったんだよね。

 「みんな苗字違うでしょ。でも昔はみんなウラっていう名前で家族だったの!」

 だから割り引いて! って説明しました。

 でも向こうの人も結構慣れてるみたいで大丈夫でした。

 まあいまどきけっこう当たり前か・・・

なるほど、って思ったこと

現役教員の友人に今の日本の教育現場の体罰について聞きました。

  昔みたいに

 「ウチの子がおかしかったらぶん殴ってやってもらって結構です!」

   みたいなこと言ってくれる親っていないの? って聞いたら

 「もちろん今でもそういう親はいますよ、

  でも実際はそういうことが言える親に育てられてる子供は

  初めから殴る必要は全くないんですよね、そういう子は口で言えば理解しますから、

  殴るべき子供は言い訳ばっかりする甘えた子供です、

  親を見れば一発でわかりますね。

  だって親自信が言い訳ばっかりで社会に甘えてますからね、 

    とりあえず親からぶん殴らないとっておもいますね・・・・」

  なるほどね、学校現場は今でも素敵な人が多いな!って嬉しくなりました。

アラフォーの言い訳

協力隊で一緒にバヌアツにいた、ヒロが言ってたんだけど、

 「戦後生まれのウチの親父が働きだした頃は、40年働いてカブ(新聞配達の人達が
  
よく乗ってるバイク)一台買えたら良いなー、くらいに思っていた。でも実際は

 定年するころには、車も実家の軽トラを含めて3代、バイクもトラクターも

 持っている。まさかこんな風になるとは思っていなかった」

 と言っていたそうです。

 この40年てそういうものだったよね。

 でもこの先40年はどうかな?って考えると、そういう時代ではなくなってきた

 のだと思います。

 親達がしてくれたことが自分の子供にできるのかな?

 って考えると、現状維持はできても、それ以上は難しい時代だと思います。

 
でも最近気がついたのだけど、そういう喪失感みたいなものは第2次ベビーブーム

 でバブルの最後を少し見た僕の世代

(ジュリアナに行く年ではなかったけど、テレビで見たことはある世代、30代後半)

しか持っていないのかもなということです。

 今の20代の人達ってもともとバブルも知らないし、ゆとり教育をうけて、

就職も最初から無いし、終身雇用も崩壊、年金も崩壊、就職したら車を買って

ドライブするというよりは、電車で近場に行く、そもそも人数が少ないから

何をしたって社会現象として取り上げられにくかった世代だと思います。

 ある意味そういう世代の人達のほうが今の世の中の現状にマッチしていて

地に足がついている気もします。

 焦りがあるのは僕の世代(38歳くらい)親達がたどってきた成長が望めない

という世代だけなのかもしれません。

 こういうこと考えるのって40前にして同じ世代の勝ち組、負け組が決まって

 きたからなのかな?

惨敗組の自分はどうやって這い上がるべきなのかね・・・