2010年6月22日火曜日

親父は超えれませんね



 <写真は親父の送別会です、親父は死ぬ前に言いました。
 「大阪で葬儀しない代わりに、送別会みたいなことをしてくれ、俺が死んだら
 この5人に連絡してくれ、っていって元の会社の人達の名前を書き残しました、
 そして、その人達が親父の意向をさっして送別会を全て段取りしてくれました。
 とても良いものになりました。親父にはもったいないほどでしたが、
 ありがたかったです。皆様にこの場を借りて改めて、お礼を言いたいと思います。>






息子というものは無条件に親父を尊敬しているものだとおもいます。

 良く「親父超え」

 なんていうけど、おそらく、世の中の親父達はそれほどその言葉を

意識していないし、息子は対してライバルでもないと思っているとおもい

ます。

 そんな僕と親父の人生が初めて交差したのが親父が53歳で会社を

引退した時だったと思います。

 それまでの親父の人生は「ベビーブーム」「高度成長」「団塊世代」とい

う常に多数派であり、人生のレールはひかれていて、そのレールの上を

他人よりいかに早く走るかを競う人生だったと思います。

 どこに行くのか? 何が目的なのか? なぜ急ぐのか?

 は関係なく、日本の全てが早く走ることに何の疑問も持たない時代、

その方向性はとりあえず「成長」すればそれでよし!

ということだったのだと思います。

 どこに行くのかは誰も気にしてなかった。

 でも昭和49年の早生まれの僕が97年に就職する頃、ちょうどバブル

が終わり始めたころから、なんとなく

「早く走るのも良いけど、そろそろ俺達の前を走っている国が世界中の

どこにも無くなってきたぞ、これからは何を目標にどこに追いつくために

頑張ればよいのかな?」

 という疑問が日本の中に出てきた時代だと思います。

 そんななか親父は会社を引退して、出家しようと思ったみたいです。

「お父さん、人生で初めて挫折したね」

 とその時僕が言ったそうですが、僕は覚えていません。でもおそらく

僕が親父に言いたかったのは、挫折ではなくて、

「自分が何を目標にして、どこに向かって走るのかを模索しながら

人生を進めていくことが一人の人間としていかに不安で、難しい物なのか、

初めて気がついたのではな無いかな?」

 ということが言いたかったのだと思います。

親父の人生は常に多数派だったからね。

それは僕が子供の頃からずっと悩んでいて、団塊世代の親父は一度も考え

たことが無い事だと思ったからです。



二人の人生が交差して、親父が自分の息子に本気で興味を持ちだしたのは

その頃からだと思います。

 でも親父の事をいまでも凄いなと思うのは、

団塊世代を走り抜けた親父には、

僕とは比べ物にならないほどの成功体験を持っているということ、だから

出家しても、癌になっても常に自分の成功を信じて、前向きに闘うことで

した。

 良く言えば前向きで純粋、悪く言えばガメツくゴキブリのような生命力

 最後までこのオヤジは超えれないなー!

とあきらめてしまいました。

 そんな親父が最後の半年間、精も根も尽きて、子供のように家族に甘えてこの世を去っていった時なんか少し嬉しかったです。

「人間は最後にはこんなにカッコ悪くなって死んでよいんだ、あれほど偉大だと思っていた親父も、これほど子供に戻って最後を迎えることができるとは、人生とはそれほど悪くは無いものだな」

 と少しだけ安心しました。改めて「えらいぞ親父!」

とおもいました。

皆さんにもお勧めしたいです、最後は頑張らずにカッコ悪く旅立つことは

子供にとっては少し嬉しい事でもあるし、人生の最後は頑張らなくても、

素晴らしいものだ、と感じさせてくれると思います。それが本当の人間

だと感じました。



「親子というのは争う物ではなくて、何か人生を引き継いでいくものなのだな」

 とも感じました。
30を過ぎて自分というものがわかってくると、なぜ自分はこういう風に考えるのかな?自分は何故こういうことにこだわるのかな?

 とかいう疑問がわいてきた時、自分の親父をみれば、なんとなく
「これは俺のせいではなくて、持って生まれた血のせいだ」

 と納得できることがあります。

 自分を知るには親を知ることが大切であり、親の悪いところは真似しないようにすることは大切だと思いました。

 そんな親父が一年前に亡くなってから、25年間勤めた親父の会社の

人達と、個人的にお線香をあげに来てもらった時や、

 親父の生前に何度かあったことのある人達と

一緒にお酒をごちそうになることが何度かありました。

 そこでみんなに言われた事は

「テルヒロ君、僕は君の事は何でも知ってるよ、スポーツしてたことも、

バヌアツにボランティアに言ったことも、お父さんはいつもお酒を飲むと

君の事を自慢していたからね」

 という話をみんなから聞きました。

「なんだヤッパリ僕の事好きだったんだ」

 と周りの人の話から感じることができました。

 葬式はしなかったのだ親父の送別会が開かれた時の挨拶で

「会社の皆さんに癌で死ぬ死ぬと言って8年間もタダ酒を散々飲ませてもらって、

家族にはお父さんは狼少年だから、本当に死んだときには誰も気がついてくれないだろう、

と言っていたのに、今日はこれほどの人に集まっていただいてありがとうございます。

僕が自慢の息子のテルヒロです。」

 と挨拶したらみんな喜んでいました。

 驚いたのは親父の会社では昨年の一年間だけで団塊世代とそれより若い人達が2人も亡くなっていたことです。

 「ゴルフが大好きだった浦さんもあの世に言って、天国にあるパラダイスゴルフクラブでは

今3人で居るはずだ、ゴルフは4人で回るものだけど、どうかまだ俺達を呼ばないで欲しい」

とみんなで言って笑っていました。団塊世代は頼もしいなー、となぜか羨ましかったです。

 あれからちょうど一年が経ちました、そろそろ親父も天国のほうが居心地が良くなってきた

頃だと思います。