2010年6月11日金曜日

自由、平等、権利

 先生のオーサが言った。

 アンゴラで40度の熱が出て、やっとの思いで病院に言った時、

 午前中は全く治療もしてくれないで、廊下でずっと待たされた。

午後になって私がきちんと保険に入っていて、

私の所属する団体が治療費を払うとわかると、

別室に移されてやっと治療を受けることができた。

 それが途上国です、お金がすべてなのです。

 
 逆に福祉国家のスウェーデンで息子のクリストーブが病気になった

時に、保険証を忘れてしまった私に先生が

 「そんなことは今は関係ない、まず第一に息子さんの治療が優先です」

 と言って治療をしてくれた、それがスウェーデン。

 

 権利と自由の国アメリカでは、病院に緊急で運ばれてきたホームレスが

 保険証もなく住所もないとわかると、そのまま病院の外の道に運んで

死んでしまうまで放置した、という話があるらしい。

 通行人はみんなそれを無視していた。

おそらくアメリカでも相当極端な例だからみんなの記憶に残ってるのだ

ろうと思います。

 死ぬのも自由だし、彼女には保険に入らない権利もあり、医療を受けな

る準備よりも毎日の生活を楽しむ権利があり、その権利を彼女自身が行使

した結果彼女は医療を受けなかった、しかし、他人の権利を侵害しない

限りは人間は自由であるのだから、アメリカではそれは間違っていない。


みんな基本的には平等だから教育を受ける権利だって持っていたはずな

のに、きちんと学校に行かず、知識を得なかったのも彼女の自由である。

 でもあまりにも自由すぎるとこうなっちゃうのかな?

 何事にも表と裏があるとおもいました。

 
 

完璧を求めすぎると・・・


 僕の尊敬する京都大学の監督さんが言っていました。

「人間は完璧を求めすぎると、人として最も大切なものを見失う」

 15年くらい前、学生だったころにその言葉を読んだ時は、

 どういうことだろう? ってあまり気にしていなかったですが、

 こっちに来て日本人として生活しているとたまにおもいます。

 「日本人は真面目だし、良く働く、個人の為ではなくて組織の

為に働こうとする、

(日本にいた頃は気にならな無かったけど、外国に来ると、なぜ日本人は

自分の利益よりも、組織の為に一生懸命はたらけるのか、不思議に感じま

す。もちろん外国の人と比べてだけどね。)

組織の為なら、自分を犠牲にする、部下が自分を犠牲

にすると、上司はもっと犠牲にしなくてはならない、上司がさらに犠牲を

払うと、社長は組織の目的をもっと高いレベルに設定せざるを得ない事

もある、おおらかな社長で、それを上手く受け止めて、部下のおかげで

組織が上手く回ってる

 って言える社長なら良いが、真面目な社長は日本一になったら、次

は世界一!

 と思うことも不思議ではないし、日本人にはそういうところがある。

 実際に経済では世界一だしね。

でも時に組織が大きくなりすぎると、社長もすでに組織に対して、

「これぐらいでやめておこうよ!」

 って言えなくなると、もうカジの聞かないタイタニック号のように、

ただ暴走して、沈むのを待つだけになってしまう。

 
 
 外国の人と一緒に仕事をしていて、日本人は素晴らしい、勤勉、真面目、

 謙虚、これ以上の事は無いと常にプライドを感じます。

  でも時には自分を戒めようと思います。

「人間は完璧を求めすぎると、人として最も大切なものを見失う」

 もちろんイギリスでボランティア活動を参加していたって、別に

完璧なんて求めてないけど、自分達が過去に戦争をしたことがあること、

思いつめると真面目すぎてとことんまでやってしまうことを考えると、

自分がそういう民族であり、そういう考えが

あるってことを時に客観的に考えて行動しようと思います。