2014年12月29日月曜日

最低で最高だった高校時代

ミノウ学園、大阪の私立の普通科で最も偏差値の低いといわれている高校。 

僕はそこに滑り込みで入学しました。

同じ中学から5人が受験、ミノウ学園からは2人は合格させます。と伝えられていたそうです。

そして担任の先生はワッキーとフルチンという僕と同じクラスの2人にはそのことを伝え、僕には、

「この受験を失敗したら公立で受け入れてくれるところはない、専門学校を視野にいれながらの高校受験です」

というアドバイスでした。

でもフタを開けたらワッキー、フルチン、僕の三人が受かっていて、僕もなんとか高校生になれました。 結構奇跡だね・・・・

ミノウ学園はミノウにたくさん猿がいたことからモンキー学園とか、あまりにも頭が悪いのでムノウ学園、ミノウ専門学校とも言われていたけど、それは専門学校に失礼だよね。

俺たちはなんの専門技能も学ばないものね・・・・


三年間の目標はとてもシンプルで「卒業する」でした、

46人で始まった我が1年8組は1年間で7名が中退、8名が落第でした・・・・

2年生からは進学コースと就職コースにわかれるのだけど、僕は迷わず就職コースを選びました。

そんなミノウ学園で僕はなぜかアメリカンフットボール部に入り、それから32歳まで16年間、飛んだり跳ねたりぶつかったりしていたわけです。

ちなみにチームは大阪府で最弱でした。そもそも人数が少なすぎました・・・

「危険な奴ら」 という名前で デンジャーズという名前が付いていましたが、その危険さは恐ろしい意味での危険ではなくて、

「危ない人達」という意味合いが強く、その危なさはフットボールでの危なさではなく、僕たちの私生活や人間性もしくはクラブの存続の危なさも含まれたものであったと思います。

もう一つの意味は、人数が足りなくて毎年公式戦を棄権するので 

「試合を棄権する奴ら=デンジャーズ」

という意味にもとられていました。

部室でたばこを吸ったり、麻雀をして怒られたりしていましたが、根はいい人達なので、ワキアイアイと高校時代を過ごしていました。


キャプテン ウッキー  

副キャプテン ワッキー 

コーターバック エゴ 

レシーバー リンダ

ランニングバック ジョージ

パンターその他のポジション 俺(ウラ)

という感じでした。

 

練習は意味もな厳しく、辛すぎて僕は高校2年生で176センチくらい身長があったのに体重が53キロとガリガリでした。

フットボール選手としてはこれもまたスーパー三流でした。


あれから20年以上。

卒業したのが18歳だからそれよりも長い時間が過ぎました。

僕らに麻雀を教えていたうちの親父も亡くなり、その他のメンバーの両親もそれなりに年をとっていく中で、俺たち自身もすでに立派なおっさん。

腹、白髪、加齢臭は増大し、髪の毛と年収は減少傾向

誰かがこの世から居なくなる前に一度みんなであって人生の反省会をしようということになり、みんなで大阪の温泉に行きました。


仕事が終わってからだから集合したのは8時、すでに旅館の晩御飯は終わっているので
スーパーで買い出しをして部屋飲みです。

ダイエーみたいなスーパーに行って、みんなでお買い物。

40前のおっさんが5人でカートを引きながら発泡酒をあさる姿はブログに書いている以上にミジメなのかもしれませんが、俺たちはそんなことはお構いなし!

みんなであの時のように集まることが楽しいのです。

人間関係の序列は高校の時のままなのが面白いです。

半額になったコロッケを見つけて喜んだり、うまい棒を大人買いできるようになったと感動している俺たち、刺身も半額、白米も半額、あげた魚のあんかけも半額、焼き鳥盛り合わせは30%だけどまあ買ってしまおう! 

餃子とたこ焼きは暖かい物が良いので駅前で売っていた作りたてを買おう。
などとみんなで楽しくお買い物。


「高校時代は人生最大の汚点」

と言った僕にすかさずキャプテン・ウッキーは

「イヤイヤ、人生で最も輝いていた時代だ!」

 と反撃そういえばそうだったな、あれほど居心地の良い場所は人生で始めてだったのかもしれません。自分の居場所と仲間が出来た時代でした。

人生で初めて自分がやりたいことと、安心していられる仲間ができた3年間でした。

やはり「石の上にも3年」でした、「自分探し」とか言ってすぐに部活を辞めなかったのは、勉強はできないからせめて部活は続けないと生きている意味が無い。

という劣等感があったことと、同じように頑張っている仲間が居たからだと思います。

本当に良い時代でした。みんなにはとても感謝しています。





美しくて幸せな人

TEDのプレゼンテーションで

白人のモデルのキャメロン・ラッセルさんが言っていた

 


 「モデルはコンプレックスの塊、私達は何の努力もしないで ただ単に、白人で金髪で細くてシンメトリー(左右対称)が美しいと いう最近の価値観に乗っかっているだけ、10年間モデルをしても何の技術も身につかない、単に友達に向かって笑顔で手を振るような ポーズを1日に200回も300回も行うだけ。才能のある人たちと働いても自分自身には何の成長も無い」

「いわば宝くじに当たっただけの人間」
と言って今いました。
  
そういえば宝くじに当たって逆に不幸になった人ってたくさんいると思います。

その理由は自分が努力しないで得た「物」対して自分に自信が持てないこと
もう一つは、周りがその人の「心」にではなく「お金」に集まるからです。

「僕宝くじに当たりました!」

と言っている人と食事に行って、割り勘になることは無いと思うのだよね。多くの人がその人に期待しているのはその人ではなく、お金なんだと思います。

食事の最後に「では割り勘で」にはできないよね
「宝くじ当たったというから、一緒に食事したのに、なぜ割り勘なの?」
ということになります。

綺麗なモデルやセクシーな女性も同じだと思います。

相手が求めているのはその人の美しさや色気であってその人の「心」ではないからね。
極端なことを言えば、巨乳をアピールしている女性に男性が食事をおごってその後にホテルに誘った時に女性が

「私はそういうつもりではありません」
と言ったらそこに少し矛盾がうまれてきます。
  
宝くじと同じ原理が働いて
「色気でアピールしてきたから食事おごったのに」
となるかも。
「お金があるっていうから食事に付き合ったのに割り勘なの?」
と同じ原理です。

そこで初めて相手が自分自身の魅力ではなくそれ以外のことで一緒に居てくれたことに気が付くと思います。

それに気が付けずに、いつまでも同じ間違いを繰り返している女性も多くて、
「私は魅力的なのにどうして幸せになれないの?」
となります。幸せになる方法をしらないよね。   

そのTVの中ではスケートの安藤美姫さんと、女優の吹石一恵さんがゲストで出ていたのだけど、安藤美姫さんが
「私も容姿だけに注目されて辛い思いをしたことがある」
とのコメントに対する吹石さんの回答は

「女優は綺麗なことだけが認められる理由ではなく、綺麗でない女性を演じることもあり、演じるということにおいて自分を磨けば成長がある」

ということでした。

それでいうと安藤さんのスケート選手としてのキャリアも決して宝くじ的な要素だけではなく、本人の努力があって成功しているのだから、自信を持ってよいのだと思います。
   
また同じように人に食事をおごるのでも、宝くじが当たって食事をおごる人には魅力を感じないけど、努力して一生懸命働いて成功した人がおごる食事にはきちんとした価値があると思うし、そういう人にはお金が無くても人が集まる器が備わっていると思います。
   
美人や巨乳や宝くじが当たった人がその「チャンス」をきちんと次のステップに繋げることができれば、それは幸せなことかもしれないし、単に自分が宝くじに当たっただけなのに、自分が特別な存在だと勘違いしてしまえばお金が無くなったり、美しさが衰え、自分より若い女性や、スタイルの良い女性が現れたら、自分は取り換えられてしまうことに気が付くことが大切です。

 

 

  

  

 


  



いつもここから




【写真は荒川の中学校でのキャリア教育のお手伝い中です】

大した選手でもなかったのに、大学を卒業後社会人でアメフトを続けようと思った時

32歳で引退して海外にボランティアに行った時その後に仕事を探していた時人生の岐路に立った時、追い詰められた時にいつも自分をワクワクさせてくれる原点がこの成績表です。

大阪の吹田市での中学校3年生の僕の成績表です。

写真では三学期の理科のテスト結果が24点を指しています。

ちなみに

国語 10点

社会 23点

数学 25点

理科 24点

英語 15点

5教科の合計点が97点です。

1教科で100点採る人も居るのにね。


これが中学校3年生の高校受験の時に僕の成績です。

見せるといつも

「大阪ではテストは30点満点なのですか?」

と言われます。

中学3年の担任の先生には、

「ウラ君の成績は同級生320人の中で300番目です、

だから私立の専願がダメなら学区外の定時制に行くか、

専門学校を視野に入れながらの高校受験になります」

と言われました。

母親に、将来僕に何になって欲しい?と質問したら

「何にならなくても良い、誰にも迷惑をかけない、普通の人間になってくれたらそれでよい。 」

と言われ、母親にとっては今の自分は普通の人間では無いのだな・・・・と感じたことを覚えています。

親にいくら反抗しても、自分一人で生きていけるわけもなく、

だからと言って頑張って机に向かって勉強しようと思っても教科書に何が書いてあるのかわからないし、質問の意味がなになのかもわからない。

普通のことが普通にできない自分自身を責める日と勉強ができない人間の居場所が無い日本の社会を責める日のウツと反抗の繰り返しでした。

だから人生に追い詰められて、岐路に立った時いつもこの成績を思い出します。

中学校3年生の時にはこの成績表は何の役にも立たないと思っていたけど、今の自分の出発点です。


2014年12月25日木曜日

世の中に貢献した人達への感謝の気持ち

 大学教授には定年が無いので、学生にアンケートを取り、結果が悪ければ引退して後任に譲るべきだという提案はいつも現役の教授達に却下されて、決まらないということだった。
しかしそれがこのたび無事に決まった、そしてその第一条件としてあげられたのは

「今いる教授にはそのルールはあてはまらない!」

ということ。 最初に聞いた時には呆れたけどその後にずっと考えていると、この判断は悪くないということ。

以下は私の妄想だから本当ではないけど

世の中には歯が3回生えかわる薬が作れなくは無いかもしれないしかしなぜその研究がなされないかと言うと、その研究を行うと全国の歯医者さんが仕事を失うのでタブーとされているとのことだ。
 
最近クリスマスでいろいろなところでイルミネーションが美しいけど、その時にふと思ったのが、LED電球は長持ちして環境にも優しいということだけど、そもそも本当に  優秀な人なら電気を使わなくても光る電球をつくることができるのではないか? 


ガンの治療だって、もしすべての癌に効く斬新な治療法が発見されたら、これまで日本の医療の中心だったガン治療に携わるすべての医学者が職を失ってしまう。

波の力だけでものすごい量の電気が発電できるようになれば原子力やガソリンを使って発電所のタービンを回す必要がなくなるので、ガソリンの価値は下がるし、それまで原子力発電に関わって働いてくれていた人達は職を失ってしまう。

世界がもっと平和になって軍隊はもういらないとなったら、軍事産業に関わっていた人たちは職を失うかもしれない。

だからあまりにも大きなマーケットで社会にインパクトのある発明に対しては暗黙の力で
タブーとされているのかもしれない。

日本のように転職が難しく、終身雇用で働いていると自分のいる業界が無くなってしまうことは生きるすべを失うことになるのだと思う。

でもそれが人類にとって良いことなのかというと長いビジョンでは自分たちの生活の首を絞めている。

本当に自衛隊のいらない社会ができたなら、自衛隊は解散するけど、これまで日本を守ってきてくれた自衛隊員の生活は今後もすべて社会が保障という判断が必要だし、癌の革命的な治療薬がつくられたとしても、これまで多くの人の命を救ってきた癌治療に携わる人の人生や生きがいは社会が責任をもって守るべきだし、そういう判断をしていかないと本当に良い社会にはならないかもしれない。
 
そう思うと大学教授たちが新しく作ったルールは素晴らしい決断なのだと思う。

今まで貢献してきた人達を追い出すのではなく、その人達の幸せもきちんと考えた上での判断ができる、そういう判断ができる人が出てこないかな?

最初は「えっ!」と感じた判断ですが、やはり大学教授は一歩先を進んでいるのかもしれません。

   

   

    

2014年12月21日日曜日

グローバル人材は誰?

 「グローバル人材」について先日に聞いた話

 以下の誰がグローバル人材かというと困るよね

 ・アメリカのスーパーでレジ係をしているメキシコからの移民

 ・いもと あやこ
     
 ・国際線のスチュワーデスさん( 言い方が古くてごめんなさい)

 ・5か国後を話せる人

 ・ニューヨーク株式市場で働いてるディーラー
 
 ・日本のユニクロで働いている外国人

 ・青年海外協力隊のボランティア 
 
 ・イチロー選手や本田選手

 ・宇宙人が現れた時に地球人代表として話せる人

 ・黒澤 明、村上 春樹

  どれも当てはまるようで、何か違うような気がします

  グローバル人材って誰だろうね?

  

 

2014年11月23日日曜日

それでも人は生きていく

自分を含めていろいろな人の話をまとめて作った作り話です。

 子供の頃から正義感が強く、優しい性格で、困っている人を助けたい。と大学を卒業して、社会経験を積んで、アフリカに国際協力のボランティアに行った人が居るとします。
地方の農村に入り、自給自足の生活をしている人達と一緒に暮らします。優しい村人に出会いそこが第2の故郷となります。

援助は必要だけれでも、そうでない事に関しては自給自足が成り立っていて彼らが満足しているのなら、先進国のライフスタイルに合わせる必要は無いということでした。
だって彼らはすでに何百年もそこで持続可能な生活をしているからです。

優秀だった彼は、そのまま国際協力の道に入りました。
45歳になり子供が二人、そのうち一人は体が弱く海外への転勤には一緒に行けません。
両親もすでに年金暮らしです。
 
そんな時にフランス語ができて農業が専門だった彼が人事異動で任されたのは、まさしく20年前に、自分がボランティアとして2年間お世話になったアフリカの第2の故郷で開発される大規模プランテーションでした。

その土地は土壌が良く、人口密度も低く、水も豊かな土地なので、日本と現地の政府に よって開発が進められようとしています。
しかし彼には一つ疑問がありました。

プランテーションが出来れば雇用が生まれて現金収入が入ると言われているが、彼らはすでに現金がなくても自給自足が成り立っている。
もしプランテーションで働けたとしてもそれは雇用主に使われるだけ、搾取される側になる。そしてもし何かの理由で働けなくなってしまったら土地を奪われた後では自給自足にもどれない。
   
過去の同じような状況を見てきた彼は、その計画に賛成できませんでした。
しかし周りの同僚に言われます。
「お前がやらなくても、現地の政府との合意ができている限り、誰かがやるだけだ。」
    
公務員は国の政策には逆らえません

結果的には20年前に自分を家族として受け入れてくれた人たちは、開発によって住む場所を奪われ政府にあてがわれた家に住み、プランテーションで働く労働者になります。読み書きのできない彼らには選択肢はありませんでした。

彼にとっても日本の家族を守るためにはその選択肢しかありませんでした。
そこで組織に逆らって、プロジェクトから抜けてしまえば、その後はさらに環境の悪い国への選択肢はありませんでした。
 
「自分の家族を幸せにできない人は他人を幸せにすることはできない」

ミスチルの歌にありました。
「夢追い人は、旅路の果てにいったい何を見つけるんだろう? 嘘や矛盾を両手に抱え、それも人だよって悟れるの?」

40歳になって思うことは、みんな正しいことをしているとは思っていなくても、家族を守るために頑張っている。
たとえ世の中の為に良いことではないかもしれないけど、自分に害が及ばない為にはとりあえずいま少しでも出世してお金をためておくことである、ということなのかもしれません。
そうやって準備しているうちに、いつか人生が終わっていくのかもしれません。
誰も悪くないのに、どうしてなのかと感じることがあります。
   
   



   



お勧めの婚約指輪の選び方

 
結婚指輪の金額を気にする人に対して感じることがある。

この人は宝石店に行って、自分の好きなデザインの指輪を 選んでのではなくて、指輪の値札を毎回ひっくり返して、

  「この指輪は素敵だけど、5万円だから、ダメ」

  「この指輪は私の好みではないけど、値段的には合格」

などと考えているのかな?と思うと結婚指輪の意味ってなんなのだろう?と思ってしまう。自分の気に入ってデザインではダメなのかな?

   


   
昔に太平洋の小さな島の誰もいない美しい海岸で自分の気に入った石を探した時には、値段なんて気にしないでその砂浜にある何億もの石の中で一番気に入ったものを自由に選ぶことが出来ました。いま思えばとても贅沢です。
   
同じように物を選ぶだけなのに、値段を気にしなければならないのは逆に悲しく感じます。
一番良い方法は宝石店の指輪の値札を全部外してもらって、床一面に指輪をランダムに並べてもらい、浜辺で石を選ぶように 一番自分の気に入った指輪を選んでもらうことだと思います。
その場合には女性が選んだ指輪がいくら高くても逆に安くてもそこは文句を言わずに男性はお金を払う。それが一番の指輪の選び方だと思います。
そのほうがロマンティックだと思いますが、どうでしょうか?

2014年11月18日火曜日

平成32年東京オリンピック

名刺の渡し方について話していて

相手より下に出すとか、
もらった名刺は基本的には机の上座に置くとか

話し合いが終わった時には床に置いた鞄にしまってはいけなくて、

鞄を腰より上に持ち上げてからしまうほうが良いとか、

日本はやはり面倒だなー、って思ってしまいました。

もし自分が営業マンで、自分の先輩がそういうのを凄く気にする人でお得意先を回った後で、

「お前はそういうことが出来ていないから仕事が取れないのだ!」

と言われたら、結構嫌な気分だろうな・・・・ と感じました。

自分だったら名刺の渡し方より営業している商品の良さと金額がまず第一で

その次に営業マンが信頼できる人間かどうかが大切だと思うからです。

逆を考えると答えは簡単です。
商品が悪くて、金額が高いものを、営業マンが信頼できるからと取引を続けることは持続可能性はありません。
   
 まあバランスが大切だとは思いますが。
 
外国人にとってはペコペコして名刺を渡すことよりもきちんと相手の目を見て握手するほうが大切だそうです。
       
そうやって考えると日本のビジネスの文化は少しずつ変わっていくではないか?
と思います。

たとえば印鑑を使うかサインをするか?

外国人の研修生を受け入れている職場の上司が言っていたのは

印鑑よりサインのほうが良いこと

「デストラーデ」「メッセンジャー」「ゴンザレス」とか明らかに印鑑作りにくいし

たとえば ドーランド・パパ というアルバニア人が 

印鑑を「父」としてもOKなのか? 「葉葉」のほうがわかりやすいのか?

そういうことを考えると印鑑よりサインのほうが良いのでは?

と思ってしまう。   

また山田、鈴木、中村さんの印鑑は本人の了解さえ取れば他人の印鑑をいくらでも代用できてしまう。
 
もう一つは和暦と西暦、

海外でお酒を買おうとして、IDの代わりにドライバーズライセンスでも良いと言われたけど、日本の免許書だと僕の生年月日は昭和49年となっていて、

「お前は絶対に1949年生まれではない。」

と拒否されたことがありました。
     
しかも現在は平成だと26年、西暦だと2014年と表示だからこの2年差はとてもややこしく、年に数回「今って平成24年だよね?」と思ってしまうこともある。

例えば、お金への印刷はいつまでも日本らしく和暦にしてもらいたいけどもし今後移民などを受け入れていくなら西暦に統一しないと履歴書とかみんなバラバラになってしまうと思います。

「2020年東京オリンピック」とはいえるけど

「平成32年東京オリンピック」となるかどうかは今はまだわからないしね。

 年度の途中で年号が変わるのも外国人にとってはわかりにくいと思います。

 日本のアイデンティティー、文化として残すと事

 世界基準に合わせていく事のバランスは大切だと思います。

2014年9月29日月曜日

気合、根性は34%で良い論

巨人の星から始まる日本スポーツ界の

 「気合と根性論」について 

野球の日本シリーズや高校野球の決勝、オリンピックの柔道決勝、相撲の優勝がかかった大一番では最後の最後に勝負を決めるのは「心・技・体」の「心」の部分であり、「勝つことへの強いきもち」だと思う

だから勝利インタビューで

「最後は気合いで勝ちました」

というコメントは間違っていない。

日本シリーズで勝負を決めるホームベース上でのクロスプレーではホームに突っ込んでくるランナーと阻止しようとする


キャッチャーは激しくぶつかるし、高校野球の最後のランナーは一塁ベースに向かってヘッドスライディングする。

ロサンゼルスオリンピックの柔道の山下は怪我をしながらも決勝戦に出場し金メダルを取ったし。

勝つだけで無くて人としての生き方も横綱には求められる相撲も科学的トレーニングよりも昔ながらの根性論が好きだ。

相撲に関して言えば、もし海外にも広まってオリンピック競技になれば、もっと相撲を精神論を打ち破るようなトレーニングが外国で開発されて、日本選手が勝てなくなれば

日本の相撲界にも新しい考えが広まるのかもしれないけど、日本だけでしか行われていないので、しばらくは変わらないのだろうな。と思う。

何となく日本人としては相撲だけは変わってもらいたくない気もするし・・・


(もともと太った人しかできないスポーツということで自分がその競技に参加するという意識が全くないから他人事なのかもしれません。)


相撲で少し脱線したが、日本シリーズの決勝や高校野球、柔道などのインタビューを見て感動した指導者や選手が

「やはり気合いと根性だ!」


と勘違いして、高校野球に一回戦から一塁ベースにヘッドスライディングさせたり、肉離れをしているふくらはぎを引きずってまで柔道の練習をさせたりしたらどうなるだろうか?
あくまでも最後の最後は「気合と根性」なのであって、高校野球の一回戦から「気合と根性」で勝とうと思っているようなチームが高校野球の地方予選から勝ち抜いて決勝まで行くとは思えないです。
  
やはり「心・技・体」

   「心」 気合、根性 33%

   「技」 テクニックや戦術 33%

   「体」 持久力やその競技で必要な筋力 33%

が必要であり、最後の1%が気合としても「気合」は34%くらいでよいと思います。

イチローがよく日本人のインタビューで


「やはり最後は気合いで打ちましたか?」

と聞かれて

「テクニックで打ちました・・・」

と答えるのは当たり前なのだと思います。

「心・技・体」のバランスは競技にとっては大切なことです。

2014年9月26日金曜日

イギリスの市場から学んだお金の感覚





             【写真は何時も買い物に行っていた市場です】


イギリスの卸市場で週に10万円ずつ買い物をしている時期があったレストランをしていたわけではなくて、国際協力のNGOの学校に所属したからだ。

 僕は料理の知識があるが、英語ができないので、市場ではいつも親切なジョンという市場の兄ちゃんに相談しながら何を買うか決めていた
ジョンを紹介したのは僕の前任のイタリア人、フランチェスカ。他の市場のオッサンイギリス人は英語の訛りが強く、見た目も怖いので、いつもジョンにお願いしていた。

ズッキーニだったり、ブロッコリーだったり、洋ナシ、プラム、おいしくないイギリスの紫のキャベツ、
リンゴなどリヤカーにどんどん乗せていく。

ジョンは腐りかけのバナナをひと箱くれたり、傷の付いたリンゴを安くしてくれたり、お買い得の野菜を勧めてくれたり、その場で食でナイフで切って食べさせてくれる良い奴だった。

60人分の食事で一人の予算は一日300円だから一日18000
一週間で126000だけど、イギリスのパンは一週間もたないので週のまんなかでもう一度買い足しに行く、 
お金を管理しているA先生は10万円を5人の僕ら食事スタッフにわたし、26000円を足りない時に追加でくれるシステムだった。

シルビア(イタリア)、エリック(メキシコ)、ソフィア(
ポルトガル)ウラ(ニホン)、アルツー(ブラジル) の5人がそのメンバーだったが、 僕とアルツー以外の3人は自分がお金の管理をすると本気で喧嘩を初めて、その理由がよくわからずに僕は戸惑った。

結局はみんながお金を着服したいのではなくて、相手が着服すると思っているようだった。

エリックとシルビアが仲が良いこと、ソフィアがポルトガル語しか話せないことでシルビアがお金を管理することになった。

   
買い物係はバンに乗れるのが4人なので大体いつも4人だったが、
僕は運転できるのと料理の知識があったので、いつも買い出し組だった。

最初に市場に行って、野菜と果物を箱で買い、4万使って、
その後にアスダ、テスコ、センスブリーズなどの大型スーパーマーケットでパン、ハム、チーズ、冷凍食品などを買う流れだった。
 
ちなみにイギリスでは生活水準によって行くスーパーが違っていて低レベルから順番に
1、アスダ
2、テスコ
3、センスブリーズ

という感じ、日本で言うとダイエー、イオン、成城石井というようなランキングになる。 
 
それぞれのスーパーが自社のオリジナルブランドだけ半額以下で売っているのでお金の無い僕らはいつもそればかりを買っていた。

   
ブラジル人のアルツーは何時も買い物してる途中でスーパーの商品を食べていて
、ジュースやチョコレートの食べかすをカートに入れる、レジの人はその食べたグミとかペットボトルとかのバーコードを読み取り生産してくれるという事後申告でOKだったが、そのルールはブラジルでは通用してもイギリスでは通用しないきがして、共犯と思われることにいつも焦っていた。

しかしアルツーから

「このグミうまいよ!」
などと渡されれて一緒に食べていたが・・・

A先生はレシートを見て怒ったりしたが、あまり本気ではなくって僕はその感覚がいつも不思議だった (グミも一緒に食べたし・・・)

会計前の商品をスーパーの中で食べることもブラジルでは当たり前
のようだった。


そんなある日いつも買い出しに行かなかったソフィアが買い出しに
ついてきた。市場でジョンと相談しながら買い物をしている僕の隣で、一緒に品定めしていた。

ソフィアは旦那さんのルイーズと一緒にそのNGOに来たが、
二人とも45歳くらいだったのだと思う。ポルトガルの貴族みたいで、とてもきっちりした夫婦だったが、ポルトガルの貴族独特のエラそうなところもあった。

しかし、彼らの傲慢さはただ偉そうという非常にわかりやすいものだったので、僕にとっては付き合いやすく、ルイーズもソフィアも僕とは仲が良かった。

ソフィアのアドバイスを聞きながら商品をリアカーに乗せて、最後に会計をして、そのままトラックの荷台に積むのだが、
驚いたことにソフィアはその日に帰ってから、すべての箱と交渉した値段をチェックして35ポンド(2010年当時では5000円くらい)多く払っていることを突き止めてうれしそうに僕に報告してきた。

     
今すぐジョンに取り立てに行くから運転しろと言われて僕はうんざ
りした。

往復で1時間30分はかかる。

結局来週の買い出しの時にマイナスすることになったらしいが何度もジョンのボスに片言の英語で電話していた。
時には旦那のルイーズも加わっていた。

ジョンがチップとして毎週少し多めにとっていたのか、
単純に今回だけのミスだったのかはわからないが、自分のなかでもしかしたらジョンは毎週僕からお金をかすめていたのかな?だからいつも愛想が良く、率先して僕らの担当を引き受けてくれていたのかな?と思うと、次回から気まずいな・・・

と感じて、次の週には言い訳をした買い物係に行くのを避けた。
     
それと同時にソフィアの行為に何のプラスも感じなかった・・・・

だから日本人の男はダメだと言われるのかもしれないけど

     
僕はなるべく8万以内に買い物を終わらせて2万くらいは余裕を持
たせようと節約していたが、そのことも後から問題になった、毎月26000円のお金がA先生に残っていた、次の月でもそのお金は使えると思っていたが、A先生は次の月には繰り越せない。
と言って、26000円はどこかに行ってしまい、次の月もまた10万円しかくれなかった。

結局その月も僕は8万円に抑えていたので、
週の途中にパンとその他を買い足しても100000円で収まった。

そしてA先生はその月にロンドンに息子と遊びに行き全寮制で敷地の中に一緒に住んでいる10歳の一人息子は新しい子
供用のマウンテンバイクに乗っているというわかりやすい現象が目の前で起きた。

ソフィア、シルビア、アルツーは猛抗議したが、認められず、来月からは最初に126000円を渡せと言ったがそれも認められなかった。

しかし恐ろしいことにソフィアは次の週にA先生に渡し
たレシートを全てコピーをとっていて、NGOのボスK先生に告発したのだ。

そのころには僕は人間不信で3か月間のこの食料係が終わることだ
けを願っていた。

A先生はNGOのボスに注意され、
先生としての立場や説得力もなくなりしばらく授業を休んでいた。 僕は可愛そうだな。 と同情したが、結局A先生はその後もお金のことで怪しい動きを見せることが多かった。

    
でもいま思えば、
これらのことはすべて海外では普通の感覚なんだと思う。

人にお金を預ければかえってこないし、
隙があればある程度のお金は着服する、周りもある程度はそれを許す。

そういうことが少ない日本のほうが珍しいという感覚でいないとい
けないのかな?

と振り返って感じています。

そして日本人が海外に居る時は少なからず

「人を見たら泥棒と思え」

という感覚で生活しないといけなくて、日本よりもオープンでフレンドりーに振るまえる海外において、頭の片隅で常に相手を疑わなくてはいけないという矛盾に疲れるのは確かです。

      
 
     

2014年9月10日水曜日

長靴を履くか、サンダルを履くか

 日本人は梅雨になると長靴をはく、濡れることは許されない

バヌアツ人はサンダル、または裸足で歩く 

 雨が降ったら濡れるのはあたり前だから

 
日本人は病気にならないように健康診断に行き予防する

バヌアツ人はその時が来たら死を受け入れる


 日本人は震災に備えて町つくりをする

 バヌアツ人は震災を受け入れて引っ越す

 
 日本人は老後に備えて蓄える

 バヌアツ人は子供が親の面倒を見るのが当たり前

 

 日本人は誰かが責任を取らないとことがおさまらない

 バヌアツ人はみんなで我慢し時が流れるのを待つ


 

 

神奈川のビーチから300年先まで

 ビーチでお酒を飲んではいけないという条例が神奈川のいくつかのビーチでできたと聞いた。

 僕が子供のころは、銭湯に行けば入れ墨の人がいたし、新幹線や電車の中でもタバコは自由に吸っていた。

 電車のホームで二重扉なんて考えられなかったし、車に乗るときはシートベルトはしめなくてよくて、バイクもヘルメットは必要なかった。
 
公衆便所は紙など常備していなくて、必ず水を流さない人が居て下品な落書きとタバコのにおいが定番だった。

この20年間で日本は本当に変わったと感じる。

最近の若者は無理にお酒の飲むこともしないし、車を持っている人も少ない。

ラグビー、アメフト、ボクシングなどの激しいスポーツが人格形成になるといった価値観もなくなってきた。

  
このままいくと100年後にはすべての人がベジタリアンになって
いたりお酒が法律で禁止されたり、本当に男女が平等になって、総理大臣や大統領の半数が女性になるかもしれない。

さらに200年くらい進むと、国際結婚がさらに加速して、人種や国境なんてものが無くなって、一人ひとりの個性が大切になって、
そうなってくると今以上にバイセクシャルの人も増えていくのかもしれない。

みんながベジタリアンになれば自然とマッチョの人も減ってきて、筋肉質で野性的な男性がセクシーというような考え方も減って、みんながヨガの先生みたいな細い体型になっていく。

個人的には望まないけど、サッカーのワールドカップやオリンピックなども人々の関心事ではなくなり、逆に絵画とかオペラとか美しさや芸術性を表現する運動がメインになってくるかもしれない。

競馬、狩猟、闘牛などはジャンルとしては確実になくなる・・・・

    
競争がなくなり文明の進歩は望めないかもしれないけど人口も減り食べ物や資源を奪い合うことも無くなる。 

今のところアフリカを中心に右肩上がりの人口も、ある時を超えて減り始め、人口も減って人の争いも減って、平和的な社会ができるかもしれない。

   
みんながベジタリアンになると動物が増えすぎるのでは? 


とおもうけど鳥、豚、牛などは基本的に野生のものを捕まえてきて食べている訳ではなくて、食べるために人間が育てているだけなので、問題はない。

生態系はそれほど崩れないものだと思う。

神奈川のビーチでお酒が飲めなくなったところから人類の今後30
0年後くらいまでいっきにタイムスリップしてしまったけど、結果的には少しずつ世界は整っていき、人間は自然とともに暮らす時代がくるのかな?

と感じる。

2014年8月22日金曜日

コーチはシェフ

 

最近アメフトのコーチのお手伝いをしている

 コーチというのは本当に難しくて、料理人に似ている気がする。

 選手は材料で、コーチはシェフ、

 いかに今ある材料で最高の料理を作れるかが

 シェフであるコーチの腕の見せ所だと感じる。

  そしてシェフがいかに多くのレシピを持っているかはとても大切である。

  たとえばカレーには肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、にんにくが必要だが
  毎年その具材がそろうわけではない、今年はジャガイモは無くてサツマイモだったり

  ニンジンは無くてゴーヤがあったりする。 

  

  ゴーヤはニンジンにはなれない。

  自分がサッカーの日本代表監督なら、 



 最初からカレーに必要な素材だけを選んでチームを

  つくれるが、大学の体育会では素材を選ぶことはできない。
  そこで大切なのがコーチがいかに多くのレシピを持っているかだ、

  別に例年カレーを作る必要はない、おいしければ何でもよいのだ。
 

  でもコーチがカレーのレシピしかもっていないと、毎年必要なのは

  お肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎとなる。

 選手の中にはマグロ、シイタケ、キャビア、トマト、フォアグラ、などが居て

  せっかくチームにキャビアやフォアグラがあっても



  コーチが料理するレシピを持っていなくては
  その素材は使われないまま腐ってしまう。

   多少癖のある個性の強い食材でもシェフの使い方で立派な料理となる。

   個性的な食材にはそれにあうスパイス(技術)と絡めてやれば使い道もある。

   毎年全く変わったレシピを試す必要はないけど

   コーチも経験とともにレシピとスパイスを増やしていけば多くの素材の良さを



  引き出して最高のチームを作ることができると感じる。

   今の自分にはもやし炒めくらいのレシピしかない。


   いつかもっと経験を積んでいろいろなレシピを身につけて


   みんながハッピーになるようなチームを作りたいと思う。
 

 写真はうちのチームのキャビアとフォアグラです。最高級の選手です。

2014年8月16日土曜日

「マイルドヤンキー」

 先日に東京の下町、葛飾区の都立高校にキャリア支援のお手伝いで行ったときのこと

進路担当の先生が挨拶のなかで、

「キャリア支援できてもらってもうしわけないのですが、うちの生徒が就職を考えるときに一番優先するのは、家から30分以内で通えるところです」

ということだった。

その場には30代、40代、50代の会社員の人たちがあつまっていたけどみんなとても驚いていた。

葛飾ってもともと下町だから地元意識が高いのかもしれないけど、僕の職場の八王子でも
同じような状況がある。

そういう世代を「マイルドヤンキー」というらしい。

 傾向としては 

 ・エグザイルが好き
 ・地元から出たくない
 ・「絆」、「家族」、「仲間」という言葉が好き
 ・車はミニバンが好き
 ・ショッピングモールが好き 

ということだった、できちゃった婚の人もおおくて、夫婦で非正規雇用なので、両親の近くに住んで、子供を親に預けて共稼ぎで子供を育てるという。

最初は僕も驚いたけど、それで本人達が幸せなら何の問題も無いのでは?と思ってきた。

親にしても、若干お金の心配はあっても自分の子供が近くで子育てしてくれることはありがたいことだと思う。

2011年に起こった震災を多感な時期に体験したこともあるのかもしれない。

一流企業に勤めて親からも独立して、高層マンションに住んで、子供を幼稚園に送り迎えするという生活も悪くはないと思うけどマイルドヤンキーの生き方もありだと思う。

マイルドヤンキーということばを学校の先生たちと話し合ったら

「その価値観は悪くはないけど、ヤンキーという名前を付けられるのはかわいそう」

ということだった。僕もそんな気がする。

彼らは彼らなりの欲張らない幸せを知っているのかもしれない

「足るを知る」を実践しているのかもしれない。

  
    ・ゆとり教育でそだって

    ・震災で「生きる」ことの大切さを知り

    ・高学歴でなければ大学にいっても終身雇用は望めない

そんな世代の新たしい価値観なのかもしれない。

大人たちは自分が理解できない若者たちの価値観にヤンキーとかニートとか悪意を持った名前を付ける傾向があるけど、もっと前向きにとらえてあげればよいのにな、と感じる。





2014年6月6日金曜日

オスギと義経

 オスギというアメフトの後輩は歴史の本をたくさん読んでいて、織田信長の「桶狭間の戦い」とか、秀吉がどうやって出世したかなどを、実際に本を読むよりも面白おかしく自分の主観を入れて僕に話してくれた。

それがあまりにも面白いので、自分も一度歴史小説を読んでみようと思い、結構立派な上下巻の文庫本を買ってみた。

僕はいい加減なので、小説の中の人の名前は全く覚えられず誰が主人公なのかもわからず読み進めていることがほとんどでその小説にはギケイというひととヨリアサという二人が出てきてどうやらその二人は兄弟のようだった。

全般的にひらがなの地名はない。

昔に三国志を読んだことがあったが、それも確か兄弟の話だったという記憶があり、僕の中ではこの小説も中国の話なのかな?

と思いつつ手さぐりで読んでいた。

信長も秀吉も家康も出てこなかったしね。

そんなある日にオスギとまた車に乗っていた、自分も歴史小説を読んでいることを自慢したくて、オスギに

「俺が呼んでいる小説は中国の話で主役はギケイでその兄がヨリアサというんだ、ギケイは子供のころに家から離れて生活していて・・・」

などと偉そうに話した、オスギはその話を黙って真面目な顔をして聞いていた。


しかしその後に登場人物の多さにパニックになり、飛ばし読みをしながらなんとか下巻をパラパラ開いたものの、ストーリーが全くつながらなくなり教科書を読んでいるような気がしてきて、そのままにしてしまった。

    
そんなある日に後輩のキイチが僕のところにきて

「ウラサン、ギケイとヨリアサの話どうですか?」

と聞いてきた。
   
このキイチは初めてチームに合流してきたときに
   
「自分は中井貴一に似ているとよく言われるので、キイチと呼んでください」

と自ら名乗り出てきたなかなかの強者で、千葉の地主の長男で人柄はおおらかで憎めない奴だった。

(しかしみんなからは中井貴一ではなくてギターリストの布袋さんに似ているといわれていた。)

僕はその時は

「なかなか面白いけど、登場人物が多いし、中国人の名前は覚えにくくて混乱している」

というよなことを話した。

しかしその後にキイチの質問になんか変な雰囲気を感じ、帰りにオスギに問いただすと、

「ウラサン、最初は自分も中国の話かと思いましたけど、義経とかいてヨシツネ、ヨリアサは頼朝とかいてヨリトモと読むんですよ。鎌倉幕府作った有名な人ですよ」

 と教えてくれた。 

オスギがどの段階でそのことに気が付いていたのかはわからないがすでに相当なチームメイトにウラサンが義経をギケイと読み、中国の話だと思って本を読み進めている。

と言いふらしていたようで、その後もたくさんの後輩からおちょくられた。

オスギはそういった恐ろしい一面を持った後輩でもあった。

   

  

オスギという男

アメフトをしていた時にオスギという後輩がいた

オスギはおばあちゃん子で子供のころからおおらかに育てられていたので、人に甘えるのが上手で、しかもとても優しい性格だった。

意地っ張りな僕とは全く逆の性格で、いま思えば僕はオスギから多くのことを学んだなーと思う。

 ある日オスギが僕に聞いた

 「ウラさん、人を判断する時ってその人のどこを見ますか?」

 そのときの僕はファミレスで働きながらアメフトをしていて、後輩が僕にはとても良いヤツなのに、自分より下の後輩にものすごく嫌な奴だったり、ファミレスで働いているときに、お客さんや僕たち社員にはとても気が利くのに、一緒に働いている人の悪口をものすごくいう人がいたりして、そういう人たちに疲れていた時期だったので

「俺に対する態度よりも、他人にどれだけ優しいかをみるかなー」

 と答た、するとオスギは少し考えてから

「ウラさん、それはウラさんが凄い人だからですよー、そりゃあ誰だってウラさんに偉そうな態度とりませんよ、 自分なんて誰にも相手にされないから、他人が少しでも話しかけてくれただけで、とてもうれしくって、なんでこの人話しかけてくれるのだろう?って思いますもん、さすがウラサンだなー」

って言いました。

 その時に僕はドキッとしたんだよね。

自分は結構うぬぼれているな、ってオスギがそれを悟らせようとしていったのかどうかはわからないけど、オスギは若いのに世の中のことが僕よりもわかっているなと感じました。

ちなみにオスギは苦労して公務員になり、今は結構出世しているはずです。

   

「今でしょ!」的人生論 パート②

先日あすなろラボという番組で 「今でしょ!」の林先生がヤンキーに授業をしていた。

林先生は「努力は裏切らない」という言葉は不正確だ   
 「正しい場所で」 「正しい方向で」
「十分な了なされた努力」は裏切らないが正しい。
 
どういうことかというと 僕がジャニーズになろうとして努力することに意味があるか?

と言っていた。 完璧なたとえだなー と驚かされた。


 
でも最近ふっと感じたことがある、林先生がジャニーズになることは難しいけど、AKBを目指していたらキンタローになれるひともいるかもしれない。

林先生だって東大を出て銀行員をしていて、その後に予備校講師をしていたら気が付いたら「今でしょ!」で大ブレイクしていて、今は予備校講師どころでは無い存在になっているしね。

自分の目標に向かって努力していくうちに、他の結果が付いてくることもあるのだろうなー 

林先生もキンタローさんもそうだけど、他のことに向かって努力していた人が、それ以外のことで結果がでたときって、人間的な幅が深いです。

一つは自分のことを客観的に見れているからなのかな? 
もう一つは結果的にどうなろうと、一度限界まで努力して人って、それだけで人間的な魅力と自信がつくのだろうな?

間違った方向への努力も意味がないわけではないよね。

   

 

2014年2月2日日曜日

ウォッシュレットが自由を奪った

 










  電車にのっている、

 右手につり革、左手に鞄、本を読みたい、もう一本腕があったらなー

 そう思って腕を一本増やす、電車が何時に目的地に到着するかを

 調べたい、4本目を増やしてスマホで調べる。

  選択肢を増やしたい、快適さを求めたい、そう思って多くのものを

  手に持ちすぎて気が付いたら自分が大忙しになっている。

  持っているものを維持するだけですでにとても肩がこる。

  しかも一度手に入れた腕(快適さ)を失うことはとても悲しい

  高度医療、年金、自衛隊 、マイホーム、高学歴、 

  リニアモーターカー、2020年東京オリンピック、原子力発電所

  「多くを持つことは良い事だ」

  と戦後に頑張ってきたけど、義務教育と健康保険で受けられる医療

  上下水道、電気、ガスがあれば結構人間幸せだよね? 

  失わないと気が付けないのかな?

  腕を増やすよりも自由な時間を増やした方が幸福度は増すと思います。

  スマホがないと生きていけないというなら、
 
  スマホが無かった10年前の日本人は不幸だったのかな?

  電気、ガス、水道が無かった江戸時代の日本人はどうしようもなく悲しい国民だった

  のかな?

   ウォッシュレットがないから海外旅行に行きたくないという人は

   ウォッシュレットが無い時代に生まれていたら海外旅行に行けたことになるぞ

   多くを持ち過ぎると失うのが怖くて動けなくなるのだと思います。
     
  
  「富は海水のようなもの。飲めば飲むほど、のどが渇く」

                     ショーペンハウアー

   
 今あるもので何とかするのも人生の楽しみだよね。


   
 
  

 

 

ルパンの自己実現欲


子供のころからルパン三世が好きだ。

ルパンはお金が欲しくて泥棒をしてるのではなく

金持ちが大切にするものや、誰も盗めないものを手に入れるために

日々頑張っているのが素晴らしい。

オリンピックのメダルと一緒であくまでも象徴なのだ
 
  
ルパンは手に入れたものには価値を見出さない。

高価なものを盗むまでの充実感を楽しんでいて、

決してお金もちになりたい訳ではないのだ。

そのほとんどが最後にフジコに持っていかれるのも面白い。

フジコは手段はどうでもよくて、単にお金が欲しいだけなのだ。

いかに楽してお金が手に入るか、自分が贅沢できるかが大切なのである

(いかにも女性的だと書いたら怒られるからここでは書きませんが)

  
ルパンはいつもフジコに肩透かしを食らい盗んだ財宝を持っていかれるが

本当のところはフジコを手に入れるまでにゲームを楽しんいるだけなので

実際に手に入れる必要はないと知っているのだと思う。
 
  
  
「真の強者は群れない。」

というが基本的にはルパンは一人だ、次元はパートナではあるが手下ではないし

五右衛門にいたっては必要のある時しか出てこないし

彼も決して自分はルパンの手下だとは思っていない。

  
そうやってみるとルパンには男としての生き方のヒントが詰まっている

  
「男には自分の世界がある、たとえるなら空をかける一筋の流れ星」

と歌っているのもうなずける。

流れ星は世界で一番美しいがダイアモンドのようにお金では買えないし、
  
決して手に入れることはできない。 それが男の世界なのだと思う。

そんな風に生きれたら良いなー  

   

   
 
  

  

 

心を枯れさせた井戸の話


 先日に知り合いの先生に中学校3年生の授業に呼んでもらいました。 

 テーマは日本の国際協力(ODA政府開発援助)は増やすべきか、減らすべきかです。


 まず中学生に問題を出しました。

   アフリカに毎日片道一時間、
往復2時間水汲みをしている村がありました。 

   子供たちはそのために学校に行くことができません

 日本の国際協力でそこに井戸を掘ることにしました。 

  さいわい村長の家には電気が通っていたので、
そこにポンプ付きの井戸を掘りました。

 これで子供たちは学校に行けると思って一件落着

 しかし一年後に行って見ると子供たちは以前と同じように学校に行
っていませんでした。   何故でしょう? という問題です。

 生徒たちは

 「学校にいく必要性がわからないから」 

   「井戸ができても他に仕事があるから」 

  「学校に行くお金がないから」


  というようなことを考えてくれました。 でも答えは

  「
一年後にいったら村長が水汲み料として村人から100円ずつ集めていたので、

   子供たちはそのお金を作るために働かなければならなかった」

 というものです。 

 「途上国の人は困っている、純粋である、
与えられたものに感謝する」
 
 というのはこちらの勝手な思い込みで、日本と同じように彼らにも社会があり、

 
人より多くを持ちたいと思う気持ちがありやきもちもある。  

 みんな納得していました。

   

 村長の意見は

「電気ポンプを動かす電気代はウチに請求が来る、
しかも村人は共同でものを管理することに慣れていないので、

水場はいつも汚れているし、
たまった水が腐ってボウフラがわくし、
結局それを掃除して管理するのは私の家族だ

だから100円もらわないと割に合わない」


 村人は

「昔は村長の子供も、ウチの子供も仲良く水汲みに行っていた、

今は井戸によって格差ができた。

こんなことなら井戸なんて無くても村人みんなが平等なほうが幸せ
だった」

作った日本人は
  
「一つの村につき20万の予算がついていた、

 電気ポンプにしないと予算を消化できなかった」

というものでした。

そして日本人から見たら可愛そうに見えた往復2時間の水汲み生活
が果たして本当にかわいそうだったのか?  という疑問もあります。

アフリカの人に 往復2時間満員電車に押し込まれて通勤している日本のサラリーマ
ンと
  
往復2時間水汲みをしている自分たちのどちらを選ぶ?と聞いたら

「アフリカ!今のままで幸せ」

というと思います。

      

では何故ODA(Official Development Assistance 政府開発援助) 

が必要かというと中国やアメリカに負けないように、

ガソリンやレアメタルを持っている途上国から優先的に資源を買うため。

グローバル化で勝ち残る為。ということになるのだと思います。 
   
中学生はそれにも納得していました。

みんな熱心に発言してくれてとてもうれしかったです。