2010年12月30日木曜日

管理と自主性②

 それで会社が考えたことは、

「お客は来ない、食材の質はこれ以上は落とせない、

となると手っ取り早く減らせるのは人件費だ」

 どうやって減らすかというと、マニュアルを徹底させて

 「無駄、無理、ムラ」

 をなくすのだ!
 
 「こういうマニュアルっていうかフレーズ作るの会社って好きだよね」

 そしてこういう方にはまったフレーズができてしまうと、恐ろしく

 それに向かって突き進んでしまいます。

 でも面白いことにファミレスのマニュアルはすべてキッチリ守ると、

 仕事は成り立ちません。


 たとえば料理はランチタイム8分、ディナータイム12分で出さなければならない。

 それが会社の目標、だから部長はとても厳しくそれに対して怒ります。

 それが過剰に管理されると今度は従業員が

 「いっぺんにお客さんが入店して、一度に注文すると、8分で出せなくなる、

  部長に怒られて、本部から変な肩書の奴が一週間お店に張り付くことになる、
 
 それを避けるためには、お客さんを一度に案内しないほうが良い」

 ということになり、 空席が沢山あるのに、入り口で待たせたりします。

 お客さんは不思議がります、

 「なんでいつもと違うの? いつも勝手に座らせてくれるじゃん!

 8分で料理出せないのこっちだってわかってるよ、だってランチは忙しいもの」

 みたいなことになります。 

 「こっちもわかってるけど、実は他に理由が・・・・」

 みたいなことになって何のためのサービスかわからなくなります。

 結局は10枚くらいオーダーが一緒に入ると物理的に無理になって、

 料理が出てないのに、勝手に出たことにしてしまいます。

 そしてみんなが思います

 「この意味のない作業が無ければもっと早く料理が出るのにね・・・・」

 部長は、料理が80%以上8分以内に出た! という数字だけをみて

 大喜びして、そういう人が会社の中では評価されます。

 被害者はお客さんです。

  従業員達はどんどんやる気を失います。 白けてしまいます。




 

2010年12月29日水曜日

人を管理することと、自主性を保つことのバランス

管理することと自主性を保つことってとても難しいな

ってよく思います。

 たとえばファミレスに居たころ、店長って何でも管理しようとします。

 お辞儀の角度は30度、歩く速さはどれくらい、レタスは120グラム、

スープの温度は90度。

 まあそれは品質管理だからよいのだけど、人に対しても同じように

管理しすぎると、本当に困った時に誰も助けてくれないこと良くありました。

 無駄をなくす動作の為に常に従業員に向かって

「この動きは右手で、キッチンの引き出しはこうやって開けろ、

 冷蔵庫は開けっぱなしにするな。蛇口のを勢いよく出しすぎるな、

 この仕事は誰がやったんだ?

 この料理は誰が作ったんだ?

 シフトを変えたいときはたとえ子供が病気でも自分でかわりを探せ!

 料理は必ず10分以内に出せ!」

 常にマニュアルに追われていて、人間性は二の次。だからファミレス


 って滑稽に見えて、よくお笑い芸人のネタにされているよね。

 
 でも、どれだけ滑稽に見えたとしても、そしてやってる本人達も

自分で滑稽だとわかっていても、お客さんに指をさされて笑われても
 
組織に逆らうことができないのが日本の社会だと思います。

組織に逆らって制裁を受けるくらいなら、人に笑われても感情を殺して

マニュアル通りにやってるほうがよっぽど楽だということになります。

 
 でもそういうお店って非常事態にとても弱いんだよね。

 みんなが常に感情を殺して仕事してるから、

臨機応変に対応することができないんだよね。

 体を動かすことには慣れてるけど、心が全く動いてないから駄目なんだよね。


 

 ファミレスは3時から5時ってお客さんもお茶してるだけだから、

意外と落ち着いています。

6時から始まるディナーの準備をしたり、新人のトレーニングをしたりする時間です。

 僕も社員の頃はよくその時間に新人を教えたりしていました。

 基本的にはマニュアル通りだけど、

僕はなるべく自主性を持って仕事をしてほしかったので、常に
 
「君だったらどうする?どうあるべきだと思う?」

 って相手の意見を聞くようにしていました。

そうしないで一方的にこちらが指導しても、

相手は聞いてるふりはしてるけど、頭に入らないものね。

 よくいってました。

「とりあえず一通り説明するけど、今すべて理解しなくても良いからね、

わからなかったらその都度何度でも聞いてよいからね」

 でもどこの店長も僕のそういう姿勢は嫌いで、

「浦さんとりあえずマニュアル通りに押しつけちゃって良いしそのほうが楽だよ」

という感じでした。


 そんなことをしてるうちに4時ごろに夕立が降ってきたとします。

 7月頃にはよくあるよね。

 それが意外と7時くらいまで降り続くと、みんな晩御飯を買う為に

スーパーに行きそびれてしまうし、

 「それじゃあファミレスの宅配でも頼もうか?」


ということになって、5時あたりから急に宅配の電話が鳴りだします。

 でもキッチンは僕と新人の二人、

 少し早めに来てくれたバイトの子に入ってもらって、

あわてて宅配用の料理を作ります。

 新人の子にも気を使いながらですが、電話は店で受けているのでは無くて、

センターで一括して受けているので、一瞬のうちに三件が重なったりします。

 「ウラサン今の時点で5件です、

5時の注文だから遅くても6時までに届けないと行けないけど、

一軒だけ住所が全く逆です。

 6時にもう一人宅配する人が来るから

その人に持って行ってもらうように残してよいですか?」

 「わかった、良いよ、気をつけてね!」

 そうやってるうちにまた2件注文が入ります。


 合計7件、配るバイクは2台、キッチンは6時まで新人を含めて3人、

 僕のシフトは朝の9時から6時でおわりだから、新しく二人がキッチンに来ます。

 すでに45分での宅配は無理だから宅配時間を延ばすように

キッチンからパソコンに手を伸ばして、宅配時間を90分にします。

 それでも追加で3件入ってしまって、7時までに合計の注文が6件、

 おまけに金曜日などはお店も混んでしまって、6時に新人と僕が

 抜ける予定が、抜けれる状態ではなくなります。

 新人の子も手伝いたいけど何をして良いのかわからないし、

こちらも忙しすぎてどう指導もついつい手荒くなります。

 追加の注文がさらに3件入って、待ち時間を2時間に変更します。


 キッチンはすでにパンク状態、宅配用の食材ってそれほど沢山

お店に用意しているわけではないので、品切れが出てきます。

 「ウラサン、この注文はもう食材がありません、コールセンターに

連絡してください」


 「わかった、ちょっと待ってて、あとは何が切れそう?」

 「ドリアもない、フライもない、野菜もやばい」

 さっそうとしたキッチンにフロアーから声がかかります。

 「対してお客もいないのに、なんで料理が30分も出てこないの?」

 こちらとしてはお店のお客さんを優先してるつもりなんだけど、

 時には宅配を優先しないと、配達は3件を一度に持っていったり

するので、タイミングを合わせるのが大変になります。


  とりあえずコックコートのまま、お客さんに謝りにいって、

 フロアーをチェックすると自分が思っていた以上にお店が混み始めて

 いることに気が付きます。

すぐにキッチンに戻りますが、自分が何処まで料理を作っていたのかわからなくなり。

 抜けてる料理が一品でもあると、その宅配は出発できなくなるので、

悪循環になります。

 6時になって、キッチンに2人がきて、新人が抜けて

 4人で6時半まで料理を出します。

 一通りだしたら、いったんフロアーのお客さんの状態を確認してから、

おくれている宅配を自分の車で手伝います。

 7時までにクレームが一つもなければ8時には帰れますが、

 フォークが入ってなかった! ソースが抜けていた!
 
 一品足りない!写真と違う!遅すぎ!

 などのクレームが一見でもあって、コールセンターから

 [お店で対応してください。]

 ということになると、スーツに着替えて、そこから誤りに行きます。

 すべて終わって9時、部長から電話でクレームについて文句言われて、

 10時に帰宅、風呂に入って11時に寝て、明日はまた朝の7時には

 家を出て8時からお店です。
 

 お客さんに謝りにいって改善しますといっても

 雨が降るかもしれないから人を増やすことも、

 食材を多めに抱えるかともできるわけないから、謝るだけです。

 もともとは会社が人件費を削りだしてからこういうことが

 頻繁に起こるようになりました。

 そして上司からは人格まで否定されて。

「お前の常日ごろの指導の甘さが原因だ!」

 という結末に・・・

 「でも人間性は失いたくないし、偉そうに指導もしたくない・・・・」

 帰りに車で気がついたらよく歯ぎしりしていました。

 そういうときに限って、次の日に店長に言われます。

 「昨日に浦さんが指導した新人、辞めちゃいましたよ。
    やっぱり浦さんに指導は無理みたいですね」

 こんな毎日が続いた日々もありました。

 僕が難しかったのは、同じ時期に実業団でプレーしたいたフットボールは

 みんな教えられなくても自主的に行動してくれるし、

 みんながもっと働きたい、もっとチームに貢献したい。
 
 という人間の集まりだったのに対して、

 ファミレスはみんながあまり高いモチベーションを持っていなかったということ、

 それはもちろん社員である僕の指導力の無さもあるし、

  指導の仕方も変えなければいけなかったのだけど、

 それが僕には難しかったのだと思います。
 


 もともとは人を管理しすぎると、本当に困った時にみんな献身的に

働かなくなる。

 という話でしたがまた続き書きますね。

2010年12月22日水曜日

試合の前の日

 フットボールをしていた時、ものすごく大切な試合の前の日とかは

 興奮してなかなか眠れないし、色々と考え過ぎてしまいます。


 チームもものすごい緊張感に包まれるし、何もかもを研ぎ澄まして試合に臨みたい

 と思います。 

 「絶対に勝つ、何が何でも勝つ、勝って人生を変える」

 どんな犠牲も構わない、

 「相手を殺したって構わない!」

 って思い詰めた後に、

 「ウーンでもどうやってフットボールで人を殺すんだろう?

  なんかイメージ沸かないなー」

  というような疑問がわいてきて、

 
 「でもなんで殺せないのかな?なんで殺すイメージ沸かないのかな?」

 って考えていたら、もう一人の自分が教えてくれました。

 「お前、死ぬほど勝ちたい、勝って人生変えたい、相手を殺しても良い

 って言ってるけど、そう言ってる自分はキチンと死ぬ覚悟できてるの?

 勝てるなら死んでも良いっていう心の準備できてるの? 

 自分が死ぬ準備ができてなくて、

 相手をどう殺したらよいかなんてイメージできるわけないんじゃないの、

 だってそんなの卑怯でしょ、自分は死にたくない、

 でも相手は殺してやりたい、自分の中にそういう矛盾があるから、

 殺す準備ができないんだよ、そんな中途半端な気持ちでは勝てないよ」

 

 「あっそっか、自分が死んでも良いと思えないと相手も殺しては行けないよね」

 「ホントに死んでも良いかな? 

 まあ今までの約30年間結構やりたいことやってきたから、

 そろそろ命かけても良いかな。よし、死のう!

 明日勝てるんだったら死んでも良い!
 
 明日の勝利の為に今まで生きてきたんだと思う!

 今日はキチンとお線香上げて寝よう」



  そこまで考えて、やっと気持ちがおちつきます。

 「もう迷いなし! 明日は真っ白な気持ちで行ける!」
 
 って思えました。

 
 まあ結局は次の日の朝に目覚めて、試合会場にいって、

 ウォームアップでちょっと息が切れたり、腰痛やひざ痛などが出てくると、

 すぐに心もなえてしまって。

 「やっぱり無理、死にたくないし、相手も痛いだろうから殺したくもない

  今日もできる範囲内で頑張ろう、神様お願い!何とか勝たして!」

 
 っていうきもちにすぐになります。

 だから実際に試合中に殺してやろうなんて思ったことは一度もなくって、いつも

 「今日の芝は滑りやすいな」

 「また今日も親父は会場の端のほうでみてるな」

 「ハーフタイムにシャツ着替えないと、後半寒いなー」

 「今日は横浜スタジアムだから帰りは中華街だな」

 なんて考えたりしていました。
 
  そんなもんだよね、試合始まると気持ちって意外と落ち着くんだよね。

  
 でも若いころはそれほど真剣に考えていたなー!

 って思いだしたので書いてみました。
 
 自分が死ねる心の準備ができてる人だけが、相手を殺せるのかな?

 って思ってます。

 

2010年12月21日火曜日

教育とビジネス(前回の続きです)

スポーツとビジネスの違いについて前回に書いたので、次は

 教育とビジネスについてまた少し書きますね。 



 教育と商売は必ず分けなければならないと最近思っています。

 というのはうちの学校は

  半年間、アフリカの歴史、植民地政策、病気、文化、あとは一般社会での

リーダーシップやマネージメント、(たとえばキッチンのローターを作ったり、週末に

 ビルの修理を自分達でしたり、クリスマスパーティーの運営や、

 僕だったらスポーツを教えたり、人によってはヨガだったり、ポルトガル語だったり、

 過去の自分の経験のプレゼンテーションだったりそう言ったことを行ってきました。



 あともう一つの大きな目的は

 約45万円のアフリカに行くための募金活動です、

 実際には半年僕達がアフリカに行く予算は45万では足りないし、

 半年この学校にいる宿泊費などは最初にこれもまた45万円僕は振り込みましたが、

 それだけではデンマークに行ったり、その他もろもろの費用は足りていません。

 だから学校が他のNGOの組織にお願いして、お金を援助してもらっていますが、

 それでもなお半年間で45万円の募金活動はかなり厳しく、

 しかも学校も常にお金があるわけではないので、
 
  時には先生達に

 「キチンと募金活動してますか?」

 って思われることあります。 

 特に僕がしていたような古着集めの回収とか、

 コンテナを置く場所を探すサイトファインディングなどの仕事は

 日給が約5000円と決まっているので問題はないけど、

 ストリートでの募金活動は、募金額が1000円だったりすると、

 「キチンと情熱をもって、活動の宣伝のマガジンを売ってますか?」

 と疑われることがあります。 実際に200円のマガジンを売って募金を集めることは

 本当に難しいです。

 そしてやっぱり疲れてしまってコーヒーばっかり飲んで休憩時間が多くなること

 もちろんありますし、

 30名に声をかけてやっと一冊買ってもらえればよいほうなので、

 心ないことを言われたり、無視されたりすることが寒空のイギリスで続くと、

 やっぱり気持ちがなえてしまうこともあります。
 
 そういうことが重なると、時にはさぼりたくなるのは自然なのかもしれませんんが。

  そういうときに先生達に

「キチンとお金を作ってきましたか?」

 って質問されると同時に

 「学校にお金がないから暖房費を削ります」

 とか

 「どんどん学校を宣伝して、新しい生徒を呼んでください」

 なんて言われると

 これって本当に教育と呼べるの?本当に私の為を思って先生は言ってくれてるの? 

 結局お金の為なの?

 っていう疑問が沸くのは自然だよね。

  

 でもキチンと計算すればわかります。

 一人の外国人が半年イギリスで生活して、途中でデンマークに行ったり、

 週に一度はみんなでプールに行ったり、

 週末には特別予算でパーティーしたり、

 水、光、熱、学校の敷地のレンタル代、食費、 

 アフリカはいく往復のチケットなんかを考えたら、

 やっぱりそれくらいのお金は当然だし、
 
 あまり大きな声では言えないけど、先生が募金活動のことを厳しく言わないと、

 どこの国とかこれもまた言わないけど、

 人によっては募金に行くふりをして、

 町で遊ぶ人が出てくることは当たり前だと思います。

 日本人ほどみんな真面目では無いもの。

 そうするとだんだんとみんなが真面目に募金活動するのが嫌になってきて、

 あっという間に学校は崩壊していきます。

 その時に責任をすべて取るのはうちの学校の場合は半分NGOなので、先生達だものね。

 そういうリーダーの責任というものがあるから、

 決して甘くは慣れないことはわかります。


  でもそこまでわかっていたとしても先生が

 勉強とかスポーツにたいしてもっと頑張れ!

 というのではなくて、お金をキチンと作れなくて

 「もっと頑張れ!」ってプレッシャーかけられたおきに、負け惜しみのように心に起る

「本当に僕の為なの?」

 って思う疑問は教育の世界には必要ないと思います。

 だから教育とお金儲けは分けなければならないし、お金のことに対して先生が

 生徒にプレッシャーをかけることは日本人である僕には少し違和感がありました。

  経営者としては正しいことだと思いますし、

 生徒みんながいい加減になったら。
 
 学校が倒産してしまって、うちの学校のポリシーの一つである、

  途上国に行くチャンスのない国の人達も努力すれば自分の力でアフリカに行ける

 という生徒の夢を奪うことにもなります。

 日本人にはそういう気持ちはわからないかもしれないけど、

 ハンガリー、ブルガリア、エストニア、リトアニア、アルバニアの

 僕らのあまりなじみのないヨーロッパの経済的んあまり豊かでない

 人達にとってはうちの学校はとても貴重な存在なのです。

  そう言った現実を受け止めたとしてもやっぱり僕は思います。

 「教育と金儲けは分けるべきである」

 

  景気が悪くなって公務員の給料が一般企業よりも良くなってしまった今、

 教員がお金もらいすぎ

 なんて思う人も言うかも知れませんが、僕は思います。

 「先生がお金の心配していては、生徒に夢と理想は語れない!」

 だから日本の先生達にはお金の心配しないで、生徒に接してほしいと思います。

  外国だからこのスタイルで良いのかもしれませんが、日本には好ましくない
 
  と思います。

2010年12月20日月曜日

スポーツとビジネスの違い

 日本では有名な僕の尊敬する恐ろしく頑固なオンワードのコーチが

 僕に話してくれたことがあります。

 「俺はオンワードの仕事は嫌いだ、

 なんでも言ったもの勝ちみたいなところがある。
  
 努力とか実力とかは関係なくって、単に図々しくて、

 他人の気持ちを考えずに物をずけずけ
  
 言える奴が出世して、真面目な努力家の上に立つのを見たくはない、

 だから会社を辞めてコーチに専念する」

 と話していたのを思い出します。いまでもそのコーチは日本学生会のトップコーチです。
 オンワード辞めて大正解だったのだと思います。

 確かにビジネスの世界ではそういうことが沢山あるよね。
 努力とか、人間的な魅力よりも稼いだ金で評価される世界だからね。 
 でもスポーツにもそういうところがあるか?

 全く努力しなくても才能のある人が幅を利かせていること沢山あるものね。

スポーツとビジネスの違うところって何だろう?

 一つは京都大学のコーチが言っていたけど、スポーツは100対0で負けようが、
 1対0で負けようがただの一敗にしかならないけど、

 ビジネスの世界では1億万の損害を出すのか、100万の損害で終わらすのかでは全く違う。

 確かにそういう面ではビジネスはシビアだよね。スポーツみたいに途中で試合投げること

 できないよね。

  だからビジネスマンはタフでないといけないよね。

 努力することよりもいかに楽して稼ぐかを優先させるべきだよね。

 この世界では努力は美徳ではないものね。

 あともう一つ、スポーツがビジネスと比べて違うのは、

 たとえば10チームでリーグ戦して優勝を決めると、

 必ずリーグ戦の最後には一つのチームが優勝することになるけど、

 ビジネスの世界では10チーム全員が負けることもあり得るところかな?

  たとえば2005年の10チームはどこもとても努力して、

 とても強かったとします。

 でも2006年のチームは10チームどこもさぼっていて

 あまりみんな努力しなかったでもリーグ戦は一年で必ず

 一つのチームが優勝できるようになってるから、

リーグ全体のレベルが低くても年度末には必ずどこかのチームが

 「俺達が今年の日本一!」

 って優勝することになるよね。

 それがビジネスだと、そうはいかないよね。

 2006年の10社すべてがたいして努力しなかったら

 その業界自体がすたれてしまいます。すべての会社が倒産することだってあるよね。

 でもスポーツはかなずどこかが優勝できるし、

 それが前年度と比べてどのくらいのレベルで優勝したかは数字に換算できないから、

 前年度との比較とかはないのだと思います。

 そういう面が少しだけスポーツのほうが純粋というか楽なのかな? 

 なんて思ったりします。

 純粋イコール、甘い世界、とは言いたくないけど、自分もだんだん大人になってきて、

いつまでも夢みたいなこと言っていられなくなってきたし。

 キチンと日本でお金稼いでいる人達にくらべたら、

 自分はスポーツしてた頃のことばっかり思い出して、

 夢と理想ばっかり語って現実的には何もできてないのかな?

 なんて思ったりもします。

ウチの学校もそうだけどNGOとかNPOについても最近よく考えていて、

 夢とか人助けというのは口にするのは気持ち良いし、

 カッコよいけど、自分はすぐに楽なほうに流れるから、

 どこまでそういう世界に居て良いのかキチンと考えないと行けないし、

 結局はどんな理想を語ってもお金をキチンと自分達で継続して稼いで行かないと、

 いつまでも人助けだから恵んでください。

 では自分自身が駄目になるような気がします。

  逆に初めから一般企業みたいに

 「俺達金儲け!」

 っていって商売をキッチリとしておいてその売り上げの何パーセントかを寄付という形で

人助けに回したほうがよっぽど純粋かな? なんて思ったりもしました。

 このテーマ、なんかボケた感じでしか表現できませんでしたが、

 NGOとかNPOで働いている人の永遠のテーマであると思います。

 次回も少しこの続きを書きますね!

 

2010年12月17日金曜日

ビザとヒザ

 実は五週間前のスコットランド、朝の7時に実は事件は起こっていました。

 古着の回収にイングランドから一日かけてスコットランドに行き、

 一人で泊まったホテルを朝の5時に出発、

 その日は行きと別ルートで古着を回収しながらイングランドに戻ります。

 
 初日はスコットランドまで15時間のドライブ、

 今日中に絶対にイングランドまで戻りたい。

  そういう気持ちで仕事が始まったばかりの朝の7時、

 AKストアーという店の場所が見つからない、

 スコットランドの朝の7時はまだ真っ暗です。

 車をとめて道を確認しながら歩いている時、

 自分の車が静かに自分を抜かして行きました。

 大した道でもないのにサイドブレーキが利いていなかったみたいです。

 あわてて車の前に回って体でとめようとしましたが、

 日本でいうとエルグランドよりもう少し大きいバンは

 たとえ中身が空っぽでもなかなかとまりません。 

 民家の壁まで残り4メートルであわてて運転席に回ってドアを開けようとしたけど、

 鍵穴に上手く入らない。

 残り2メートル、壁を足で蹴りながら全力で踏ん張りましたがついに残り30センチ、

 スローモーションで車が壁に激突する瞬間、

 僕は対して迷うことなく自分の左足を壁と車の間に挟み込みました。

 車は静かにとまりましたが、その時に少しだけ壁と平行して進んだので、

  僕の膝は少しだけ壁と車の間でねじれてしまいました。

 「プチッ」

 っていう音と膝の関節が少し開く感覚があったけど、

 誰も知り合いのいないスコットランドの真っ暗な朝の7時に

 自分の車が民家の壁に激突することを考えたら、

 このくらいの緩やかなスピードなら足一本で何とかなるだろう。

 って思ってました。

  激痛と朝一番で血管が切れるほど踏ん張りすぎ為のめまい、

 ズボンの下に防寒の為に履いていた

 、ナイキのスポーツ用のタイツに血がにじんで冷たい感覚が残りましたが、

 一分くらい息を整えながら膝をさすっていると、家の中に人影が・・・・

 「せっかく体を犠牲にして激突を防いだのに、

 ここで何か疑われたら意味が無くなってしまう、

 何としても今日はイングランドに戻りたい」

 その一心であわてて車に乗り込み車をバックギアに入れるために

 左足でクラッチを踏もうと思いましたが、

 足の筋肉を動かすと痛みが走るので、

 腰全体を前に押し出して、

 足は棒のように曲げも伸ばしもせずに固定したままクラッチを踏みました。

 50メートルほど車を動かして、車を道の左側イギリスは日本と同じ左側通行です)

 に動かして、

 そのまま痛みが引くまで足をさすりました。

 本当だったら冷や汗が出る感じだけど、スコットランドの朝は寒いので、

 寒さと痛みが全身に響きます。


  「やばい、でもなんとか乗り切った」

 そのあとは足の踏ん張りが全く効かず、

 コンテナの底に入っている古着をとるのも一苦労、

 結局500キロドライブして、夜の9時にイングランドに戻りました。

 血のにじんだスパッツは丸一日恐ろしくて傷口を確認しませんでした。

 夜に履き換えた時には渇いた皮と血がベリベリと剥がれるように脱げました。

  
 そのままカサブタが治って、膝もあまり気にならなくなり、

 サッカーをして楽しんだりしてたけど、

 先週から雪が降り出して30センチも積ったイングランドで、

 一週間雪の上で長靴を履いて募金のマガジンを売っていて、

 痛みがないから甘くみてたら、週末に膝にものすごい勢いで水が溜まって、 

 二倍になってしまいました。

  地元のパトリングトンという病院に行ったら、

 「ここでは無理、ハルという大きな町に行って」

 ハルでは

 「今日は無理、明日に隣の先生が判断を下します」

  次の日の隣の先生は

 「僕では無理、膝のスペシャリストにみてもらって、
    一週間以内にこちらから次の予約のお手紙が行きます」

  ってことで、一週間も待ってたら腫れも引くだろう。

 って思いながらもとりあえず待ってます。

 
 
 一方そしてアンゴラ行きのビザのほうは

 どうしても今年中に旅立ちたいメキシコ人エリックが

 ロンドンのアンゴラ大使館まで片道5時間かけて

 確認にいったら、

「二人のジャパニーズ、一人のコリアンはビザが下りてる、

   一人のメキシカンがまだだね!」

 って言われて、がっくり、基本的には4名そろって出発だからね。

 僕は膝のこともあって少しニンマリ!

 とりあえず様子見ます。

 たぶん全十時の片方が切れたと思うけど、

 どうせ膝の靭帯は半分くらいはフットボールで無くなってるから

 今更なんてことないです。とりあえず腫れが引くまで待ちますね。

 ビザとヒザ、この10回クイズになりそうな

 二文字の言葉が僕の出発の足を引っ張っています!

 実はあんまり膝のこと書きたくなかったのだけど、ネタがなかったし

 ビザとヒザっていう題名を思いついたら書きたくなってしまいました。

  でも心配しないでください。この二日で大分良くなりましたので!

 


 

2010年12月15日水曜日

冷蔵庫とお金

 自給自足の村が先進国の仲間入をさせられてしまう最初の一歩は

 「冷蔵庫」と「お金」であるとバヌアツに居たころに感じたことがある。

この二つは生活だけでは無くて、人の心を気がつかないうちに変化させてしまう。
 
 もちろんこの二つだけではないけれど、象徴されるのは冷蔵庫とお金だ。

 たとえば海沿いに自給自足をしている100人で20家族くらいの

 小さな村があったとする、村の若者が漁にいってその日は調子が良く、

 30匹くらいの魚をとってきた。

 
 冷蔵庫という概念が無いその村は、魚はその日のうちに食べなければならず

 若者は自分の家で3匹食べると、あとは村人に分配した。

 村の中では老夫婦もいるだろうし、

 カヌーを持っていなくて漁に行けない家族もあるから、

 みんながとてもその若者に感謝する。
 

 若者はとても誇らしい気持ちになるし、自分は若くて体が良く動くので、

 またみんなの為に漁に行って喜んでもらいたいな。と思うはずだ。


 しばらく海が荒れて若者が漁に出れないときには

 村の中で畑を持っている人が若者の家に野菜を届けることもあると思う。

 そうやってみんなが成り立っている。

 もちろん漁にも行けずに野菜も取れない時期もあるとおもう。

 みんながお腹がすいて、我慢しなければならないじきもあるが、

 村人皆がお腹がすいていれば、優先的に年寄りと子供に食事をとらせよう。
 
 という平等で正しい判断がしやすくなるとおもう。

格差が無ければ良いことも悪いこともみんなで分け合えるものだ。

 たとえ災害や水が干上がったりして、

 最悪な状態になって村が滅びることがあったとしても、

 それはみんなで受け入れられると思う。


 しかしそこに冷蔵庫とお金が入ってくると話が変わってくる、

 用は貯蔵が可能になるのだ。

 漁に行った若者はその日に10匹とれた魚の7匹を

 冷蔵庫に入れてお腹がすいた時に食べるようになり、

 よその家に分けることをしなくなるかもしれない。
 
 またお金を使うようになれば一匹30円で売って、

 お金を貯めておき、
 
海が荒れて漁に出れなくなった時に、

 畑を持っている人から野菜が買えるように蓄えておくかもしれない。

 そうやって知恵と力のある人たちの冷蔵庫に沢山の食料とお金を蓄え、


 もしもの時の為に蓄えておく。

 身内の不幸や病気で家族が十分に働けない家との間に

 少しずつ格差がうまれるかもしれない。

 蓄えるということは良いことだと思うけど、
 
 貯蔵ができずに常に生命の危険を感じながらもみんなで

 平等に生きていたころを忘れたくないと思います。

2010年12月14日火曜日

努力では変えられなかったこと

 石の上にも三年、継続は力なり、

 

 ということを良く書きましたが、ぼくには少し変わった経験があります

 それは長くやってきたフットボールの中で起こったことで、

僕は大学の4年間満足に試合に出たことがありませんでした。

 ボールを投げるクォーターバックという僕にとっては少し

難しいポジションをやっていたからだと思います。

 大した試合経験もないのに、社会人に行って、少しみんなに期待して

もらいましたが、自分の中では自信がありませんでした。

 実業団一年目ということもあり、人数のバランスもあって、

「少しだけ他のポジションやっててくれる?」

 みたいな感じで、パスを受けるポジションを始めました。


 そしたらそちらのほうは意外とセンスがあったようで、

 試合に出て活躍できるようになりました。

 その時に何故か変な気持ちが来ました。

 投げるほうは大学4年間あれだけ頑張ったのに全く結果が出なかった。

 でもパスを受けるほうはただ楽しくて受けてるだけで活躍できるようになった。
 
 なんか少し申し訳ないなー!
 
 という感じでした。



 そんな社会人生活が4年続いた頃。

プレーオフが目標なウチのチームが4年続けてプレーオフに行けない

事がきまり。「来年こそ!」 が4年間続くとさすがにこちらも疲れてきて、

 プレーオフも行かず、もちろん日本一にもなれず、

 このまま何の結果も出せないまま20代という男として今後の人生で

 大切な時期を無駄に過ごしているような気がしていたシーズンオフの12月。

 仕事に向かう少し憂鬱な車の中で携帯電話が鳴り

「ウラ知ってた?ウチのチームはオンワードと合併するぞ、

 リーグの納会かその前後には正式に発表らしいぞ、

 俺たちは知らなかったけど、オンワードの選手はすでに知ってるみたいだよ」

 っていう電話が・・・

 その三年後、プレーオフに一度も行ったこともなかった僕は

 実業団日本一の決勝に進出していました。

 ハーフタイムになんとなく思いました。

「信じられる?あと一時間半くらいして、もしこの試合に勝ったら、

 自分が日本一になるんだよ 自分は一生観客席でこの試合を見る側だと思ってたのにね、

 変だよね、後一時間半頑張らないとね」

 そういう気持ちは常にいつの試合の中でも自分の中にありました。

 フットボールとは思えない大量得点で圧勝してるときも

「信じられるか?昨年までは相手側のベンチで悔しい思いをしていたのに、

 今はこちら側に居るぞ、自分は何もしてない、

 ただラッキーなことにチームが合併してくれたからだ。」

 だからなんかいつも実感がなかったんだよね。

 気がついたらとても素晴らしいフットボール人生に勝手になっていました。


国際協力も基本的には同じだと思います。

「人は産まれてくる国を選べない」

 っていう言葉をどこかで見たことがあるけど、僕はたまたま日本で生まれたけど、

 アフリカに産まれてたかもしれないよね。

そういうことは努力だけでは変えられない、

 相手に対して憐みとか感じる必要はないと思うし、

 そういうのは逆に失礼だとおもうけど、

 なるべくいつも平等な目線と立場で人と仕事をしたいと思います。
 
 そういう気持ちを持つことが自分のやる気を継続するのに役立つと思います。

2010年12月11日土曜日

誰が一番頑固なのか?

 僕の今までの人生の内

 浪人も含めての学生時代は17年間、

 アメフトは高校から引退する32歳まで16年間

 ファミレスの社員は9年間

 独身生活は36年間

 ファミレスはもともと実業団でアメフトをしたかったから入社した

 会社だったし、今思えば国際協力に関係するような人間関係とか

基本的な衣食住に関することを沢山勉強させてもらったと思います。

 たぶん協力隊に行かずに今でもガストで働いてたら結構良い店長に

なってる自信あるよ、 (辞めたからなんとでも言えるよね・・・・・)

 自分のなかで利益追求よりももっと純粋に自分のしたいようにお客さんに

 喜んでもらうためには、大きな組織に居ては駄目だという気持ちがあったのかな?



 そういう面では自分には甘いところがあって、

出世とか利益に対して意外と無頓着なところがあります。

 それよりも

 「今自分がしたいこと、ひらめいたこと」

がしたい。って思ってしまうんだよね。

 

 組織のなかで出世する人って、自分の価値観よりも組織の価値観が

優先していて、そういう人に説教されたり見下されたりすると、

「それなら、ここで頑張って結果出して見返してやろう!」

 ってなる前に

「頑張る場所を変えよう」

 って思ってしまいます。一番駄目だよね。子供だよね。

 

 そして飛び込んだの協力隊だけど、それはとても素晴らしい世界で

 まさに 水を得た魚のように気持ちよく2年間泳がせてもらったけど、

 そこでまた気がついたのは

「税金つかって人助けしてもそれが2年以上続くとただの理想家になってしまう、

 やっぱり金儲けは大事だ!」

 
 だから結局ファミレスで組織の為に自分をコントロールできて

 忍耐強く出世してる人達があってるということにってしまいました。

 やっぱり役員や部長になる人達は偉いのです

 

 そして国際協力の世界にも一般企業と同じように嫌な人が居て、

 さらに全く感覚の違う外国人もいて、

 日本の会社のようにマニュアルがあるわけでもなく、

 日本人の良心や価値観が通用する世界では無く、

 それぞれが自分の人間としての実力と信念で仕事を進めていくものだと学びました。

 

 だったらイギリスに行って、自分でチャリティーつのって、

 ボランティアに行ってみたらどうなるかな?

 なんて思ってここにきて色々学んだけど、

 ここでの生活は今後の人生でどういう結果になっていくのかはわかりません。

 もちろんプラスになることは間違いないけどね。

 
 一番長い36年間続いている独身生活については、

 結婚はその人一人が来てくれるのなら良いけど、

相手の家族も含めての結婚だから、先々には二人だけの問題では無くなってくるし、

 なんといっても自分の家族がそれほどお勧めできるほどのものではない!

 その前に自分自身が相手の家族にとっての「理想のムコ」には絶対なれない!

  
 という気持ちも働いて、まだ答えが出ていないのが現実です。

 いつまでも純粋な気持ちでいたい、

 利益よりも自分のやりたいことを純粋に追及したい、

 頑固な親父になりたくない!

 って思ってここまでやってきたつもりだけど、最近気がついたのは

 そういってる自分が一番頑固で一番融通が利かなくって、気難しい、


 だからいつまで経っても結婚できないし、ファミレスも辞めたし、

 フットボールだって相当一生懸命してきたのに、

 全く関係ない国際協力の世界に来てしまった。

 この世の中で一番頑固でみんなに困って存在だと思われてるのは自分かもしれない?

 って思ってきました。

 でもここまで頑張ってやってきたら

 なかなか人の忠告を聞けなくなってきてるんだよね。

 その代わりになるべく本を読んで人の良い意見を自分の中に

 取り入れるようにしようとは思っています。

 自分の為にも上手に年取って行かないとなー 

っておもいます。

2010年12月9日木曜日

自分のペース

 昔にウチの姉と話してことがあったんだけど、

小学校とか中学校時代に修学旅行に行くき、

何故か一番後ろの一列で5人座れる席にクラスの中の権力のある

グループが座ることになるのはどこの学校でも同じことだと思います。

 そしてその後ろのみんなが補助席なんかでトランプとかしているのを見てなんとなく

 「私もあのグループに入ってみたいなー、なんて思っていたのが僕達だったよねー」

 ってはなしたことがあります。

 子供の頃ってすぐに他人のほうが良く見えたし、

目立つ人たちがうらやましく思えたりしたしね。

 でも大人になってわかったけど、

自分はそういうタイプの人間ではもともと無かったということ、

 今ならわかります。

自分が一番後ろの席でみんなに気を使って楽しいふりをして騒ぐよりも、

自分の好きな友達と前のほうでゆっくりと外の景色を楽しみながら

お菓子でも食べてるほうが自分らしいということを。

 それが自分だということが今ではわかります。

でも子供の頃はなんとなく、

「騒がしくて盛り上がっているほうが楽しいのだ」

 って思ってたんだよね。



 観光に行くときもそういう価値観が出るよね。

とりあえず特急に乗っていち早く目的地について、

ガイドブックに載っている、

見るべきスポットをすべて回って記念撮影をするのが好きな人と。

混んでいる特急よりも座れる各駅停車にのって、のんびりと目的地について、

自分の気の向くままに一日を過ごして帰ってくるのと。

 
 まあその中間で自分の行ける範囲内でなるべく多くのスポットを見

るのが普通なんだろうけど・・・・・

そういう自分の価値観がわかってくるは僕達兄弟は20代後半くらいになってからでした。

お互いに同じような感情を持っていて、クラスの中心のグループには

入れない自分はだめなんだ。

なんて思っていたけど、今思えばそういう性格出なかっただけで、

のんびりして観光するだけで僕たちは十分に満足な性格だということ

がわかってきました。

 人生は観光旅行ではないけど、

 あまり無理せずに自分のできる範囲で進みたいと思います。



「大人は自分の価値観がキチンとあるから人と比べることはしない

人と比べて自分のほうが良いと思う人間は自分の価値観がしっかりと

していない子供だ」

そういう価値観が今ではよくわかります。

2010年12月5日日曜日

2番手の楽しみ

こんな僕でもフットボールをしていた時には何年かに一度は持ち回りで

 ポジションリーダーをしたりしました。

 またチームの中で常にスタメンで呼んでもらった時期もありました。
 
 それはそれで良い経験ですが、僕の個人的な意見としては

 フットボールを純粋に楽しみたいのならリーダーとかエースとか言われるより、

 二番手に居るほうが楽しめるし面白いと思っています。
 
 そのほうが純粋に競技に打ち込める気がします。

 エースと呼ばれる人は、チームの中でも高いモラルを求められるし、

 余計なプレッシャーを感じることが多いと思います。

 でも3番手になってしまってはダメだと思います。

 しっかりと2番の位置をキープすることが大切です。

 野球だって、四番が打てないとか、不振だといわれて何かと注目されるよりも、

 3番とか5番を打っているほうが、なんとなく気持ちも楽だし、

 野球に集中できると思います。

 
 職場の営業成績でも一番になってみんなに注目されて期待とプレッシャーを

 感じるのも確かに刺激になりますが、良いお客さんと良い仕事をしたいなら

 10人くらいの職場で2番目位に居るほうが楽しめる気がします。


 車を作るのだってトヨタみたいに一番になるよりも、

 ホンダとか日産みたいに2番手くらいで、

 本当に自分のやりたいことをやってるほうが楽しいような気がします。

 
 世界のリーダーだって、

 アメリカみたいに一番が好きで常に権力を誇示するよりも、

 日本みたいに2番手位に居て自分のやりたい道を進んでるほうが楽しいとおもいます。

 権力を持って自分の立場を主張することも楽しいかもしれませんが、

 純粋にその競技とか人生とかを楽しむには、

 二番手くらいにいるほうが楽しいな。って思うこと僕には結構あります。

 そういう考え方もありだと僕は思っています。

2010年12月2日木曜日

夫婦円満と異文化理解の共通点

良く街頭インタビューなんかで仲がよさそうな老夫婦に

「夫婦円満の秘訣はなんですか?」

ってあるよね、すかさずに奥さんが

「旦那さんのおかげでここまでやってこれました。」

 っていうと、旦那さんが照れくさそうに

「いやいや、良い奥さんに恵まれたから上手くやってこれました」

 ってこたえて、ふたりで仲よさそうにしていることがあります。

 でもその夫婦だって、それまでの結婚生活で色々な苦労をしてきたのは

当たり前のはず、それを一緒に乗り越えてきたのか、

片方の忍耐力で乗り越えてきたのかはわからにけど、

もし第三者に 

「夫婦円満の秘訣はなんですか?」

 って聞かれてお互いが

「良いパートナーに恵まれて私は幸せでした」

 ということができれば、お互いにどれだけ苦労してこようがそんなことは関係なく

幸せな結婚生活であったのだと思います。

 そこで

「私の我慢と忍耐でここまでやってきました」

 って旦那さんが言えば、横で奥さんが苦笑いしていただけだとしても腹の中では

「本当に我慢してきたのは私のほうだということにこの人はまだ気が付いていない」
 
という気持ちが芽生えて、

「何とか死ぬまでに私がどれだけ我慢したかをわからせなければ」

なんて気持ちになるかもしれないよね。

 そういう気持ちの中のしこりって言葉として現れなくても、

ふとした時に出てしまうものだと思います。

 だからお互いに自分のほうが我慢したと思っていても、

それは口に出さないことが思いやりであり、優しさであり、愛であると思います。

そこまで含めてが愛でありそれができなくなった時に愛が終わるのだと思います。 

決してそういう嘘は嘘ではないのだと思います。




 異文化理解も根本時には似ていると思います。

 お互いに自分の国が大好き、自分の育ってきた土地、文化、食事、人に

愛着があるのは当たり前です。

 だからお互いに

「自分の国はあなたの国よりも良い!」

 っていう必要はないのだと思います。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、どこで育とうが、

みんなが自分の国が一番だと感じていることは少し考えれば誰だってわかることだから。

 でもそういう基本的なことがわからないで

「私の国のほうがあなたの国よりもすぐれている、
   私の人種のほうがあなたの国よりもすぐれている、
    私の食事のほうが絶対にあなたの国よりも美味しい」

 ってわざわざ言う必要はないよね。だってそんなの当たり前だもの。

他の国の文化を見た時に

 ・インタレスティング   面白い、興味深い

 ・ディッファレント    違う

 ・ストレンジ       変、おかしい、変わっている

 この三段階の感じ方のどれを自分が感じるか、そしてそれを口にするかどうかで、

  相手の感情も変わると思います。

 できればインタレスティング が良いよね、もしストレンジと思っても、

もしそれを口に出せば次は相手がこちらの文化に対して
 
 「ストレンジだ!」

っていうのは当たり前だと思います。

 それは夫婦が

 「お互いのおかげでここまでやってこれた」

 っていうのか

 「私の我慢のおかげでここまでやってこれた」

 っていうのかと似ていると思います。

  
 自分に当てはめると、 時に

 「日本のほうが絶対によい、 和食のほうが絶対に上手い、
      色々な技術も絶対にハイレベルだ」

 っておもってしまうことがあるし、それはとても自然な感情だとは思いますが、

 それは口に出さずに

 相手に対して尊敬を表すことが大切なのだと思います。

 それは決して「こびている」のではなくて、少し考えれば

 みんなが気がつくことができる

 「つくことが許される真実の嘘」

  なのだと思います。

ビザに対する僕の勝手な解釈

 11月でイギリスのプログラムが終了!

 とっくにアンゴラに行ったと思っていたら実はイギリスで足踏みしています。

 問題は二つ、個人的の募金活動は終わりましたがチーム10名全員が

終わったわけではなく、学校が「チームワーク」という言葉を盾に、

もう少し募金活動して、チームメイトを助けてね! っていう無言の圧力があること。

 あとまっとうな理由としては大分前から手続きしている

アンゴラに行くためのビザがまだ下りないこと。

 この二つの理由が微妙に混ざり合って、

すっかり雪深くなったイングランドでいまだにくすぶっています。

 

 まえから一度書きたかったのだけど、ビザって何?って個人的に考えていて、

僕の今までの経験から勝手に想像して書いてみようと思います。

 キチンと知りたい人はネットで調べてみてください。



 「パスポートをとって海外旅行にいって、そのままその国が気に行って、
     知り合いを作ってそこで働いて、2年くらいして帰ってきたい!」

 って思ったこと無いですか? そんな生活してみたいよね。

 逆に

 「観光で来た外国の人が日本で楽しく働いて、
         しばらくして帰国してくれても良いよね。」

 でもなんでそれができないかというと、

 そういう人は税金を払う手段が無いからだと思います。

 外国にいってその国の公共手段を沢山使って、でも税金は払わない。

その国の人達のなかでも失業していて仕事が無い人が居るのに、

 勝手に観光客として入ってきて、働かれたら地元の人が困るよね。
 
 そういうことが無いようにビザがあるのだと僕は思っています。

 

 だから景気の悪い国で労働ビザを取ることはとても難しいし、

特殊な技術を持っていたり、マスコミの取材だったり、スポーツ選手、芸能人なんかの、

「その人でないとできない仕事」

 なら多めに見てくれるかもしれないけど、

 一般の仕事ならやっぱり地元の人が仕事してキチンと納税してくれないと国が困ります。 

 そういうのを確認するのがビザだと思います。

 ではビザなしの観光はなんでOKなの?ということになりますが、

確かアメリカなら3カ月はビザなしで滞在できます。

 ようは3カ月しかアメリカに居ないのなら、

 その間に友達を作って働くことも無いだろうし、

 アメリカで観光してお金を使ってくれるだけで稼ぎはしないだろう

 それならどうぞ来てくださいということなのだと思います。

 その目安がだいたい3カ月なのだと思います。

 もしそれ以上いるなら、絶対に働き出すはずだ! と思われてしまいます。

 だから僕が今回イギリスに来るためにとった18カ月の学生ビザなどは。

  18か月もイギリスに居るなら、月々の生活費が最低でも五万はいるはずだ。

 5万円の18カ月だから90万は持っていないと

  お前は絶対にイギリスで金がなくなってバイトするだろう。
 
 だから自分の口座に90万入ってることを証明しろ!

 みたいな感じでビザを申請するときに銀行口座に

 お金があることを英文で証明しなくてはなりません。

 ちなみに学生ビザでもキチンと単位を取っていれば

 週に何時間かはバイトできるようになっています。

 良く映画であるけど、たとえばこっそり不法滞在してその国で働きたいとき、

 知り合いの家でベビーシッターなんかして、お金をもらった場合。

 それはれっきとした仕事になるけど、それが仕事なのか、単にお手伝いして、

 その代わりに晩御飯と少しだけお駄賃をもらったなんていうことの

 見分けは難しいから、そいうやって働いている人のところに警察官が
 
 「お前は不法労働者だろ」

 なんていうシーンが良くあります。

 あと学生ビザで入国して、夏休みが3カ月とかあって、

 学生が許されている以上にバイトをしすぎて

 強制帰国させられることも良くあると思います。

 基本的にはビザってそういうところを管理するものだと思っています。

 

 ちなみに今回の僕のアンゴラビザで一番難しかったのは、

 僕がイギリスのアンゴラ大使館に日本人としてビザを請求するところが

 一番ややこしかったです。

 犯罪証明証というのを提出しなければならないのだけど、

 日本から送ってもらった僕の犯罪証明証は、

 スペイン語、英語、フランス、中国、英語、ドイツ語で書かれていますが、

 アンゴラで使われているポルトガル語では書かれていないので、

 それを翻訳して提出しなければならないこと。
 
 でも封筒の表に、「開封したら無効だよ!」

 って日本の警察がスタンプ押してるから、開けれないし・・・

 結局はウチの学校の先生がアンゴラの大使館に電話して。
 
 「開けても良い?それともスペイン語が英語でも理解してくれる?」

 って聞いてくれて、

「ああ、別に良いよ!」

 みたいな感じで話が収まりました。

 ちなみに僕も一生懸命ネットで日本人のアンゴラビザの取り方を調べましたが、

 すべての情報が日本人が日本からアンゴラに行く場合の情報であって、

 「日本人がイギリスでアンゴラビザを申請する?」

っていう情報は見つけることができませんでした。

 そこが一番苦労したところです。

 ということで今はビザを待っています。

 ちなみに12月の2週目を超えるとクリスマスシーズンで

 飛行機のチケットが高くなるし、僕が行くアンゴラの教員養成校は

 生徒がみんなお休みになって学校が閉鎖になるかもしれないから、

 きても誰もいないよ!

 ということになるかもしれないし、

 協力隊と違って6カ月しかないので色々と考えてしまいます。

 なにはともあれ、これが今の僕の状況です。
 
 予想では後2週間くらいでビザが下りると思います。
 
 頑張って待ちますね!

2010年11月16日火曜日

PEOPLE


<写真は世界で一番有名なハーフマラソンがイギリスであって、
その時にボランティアとしてみんなで参加した時のものです>


ウチの学校はすべて自主運営で、ビルのメンテナンス、食事の準備、掃除、芝刈り、ガーディ

ニングにいたるまで、アフリカに行ったときに困らないように。

 ということで自分達で行っています。でもキチンとテーブルを拭いた後に、

すぐに他の人が汚してしまったり。

 料理の後片付けしないで、残してしまう人、

洗浄機にかけただけでまだ汚いお皿を平気で戻してしまう人。

 年齢、国籍関係なく、やっぱりそれぞれ問題は起こります。

 そしてみんな愚痴ります。

「ピープル(みんな)いくら言っても言うことを聞かない」

「またピープルがキッチンから食材を持って行ってしまった」

「またピープルが使ったシャベルやクワをもとに戻していない」

「ピープルがゴミの分別をきちんとしていない」

「ピープルがトイレを流していない」

 
 それぞれみんな忙しいから、できることとやりきれないことがあって

 そういう結果になったのだろうけど、あとから来た人やそれを管理

している人はやっぱり腹がたちます。

 

 でもよく考えてみたら、 作った食事を

「これ誰が作ったの?おいしいね。ありがとう」

 って言ってくれるのもピープル

「ダイニングホールの壁塗り替えたの誰? きれいになったね!」

 って言ってくれるのもピープル

「庭のガーデニングしてくれたの誰? 前からあそこきれいにしたかったんだ!」

 って言ってくるのもピープル

 知らないうちにテーブルを片づけてきれいにしてくれるのもピープル

 僕の終わった洗濯物を出すだけではなくって、乾燥機に入れ替えてくれるのもピープル

 
 結局は良いことも悪いこともみんなピープルしかできないということになります。


 動物は人間に「ありがとう!」「おいしいね!」って言ってくれないものね。

 
 ピープルのどちらの面と多く接することができるか、どれだけみんな

にありがとうって言ってもらえるかは自分次第なのだと思います。

 そしてどれだけ人の失敗を我慢する器を持っているかも自分次第

なのだと思います。

 ピープルは両方の面を持っていて、どちらを多く見るかは自分の

心なのだと思います。

2010年11月15日月曜日

仕事の内容よりも大切なこと

5月から始まった僕達のチームは11月でプログラムが終了、

 あとは遅れているお勉強とアンゴラに行くためのビザをまっています。

 僕らは5月チーム、その次が4カ月あいて9月チーム

 そして11月チームが今月からスタートしました。

 僕達の5月チームが現在は最も古いチームになります。

 新しいチームはみんなわからないことだらけ。

 「ウラ、ゴミ袋はどこにあるの?」

 「プラスティックのボトルはどこに捨てるの?カンは?ビンは?」

 「料理した食材は肥料にして良いの?それとも野菜の皮だけなの?」

 「皿洗い機はどうやって使うの?」

 「オーブンは何度に設定するの?」

 「洗濯機はどうやって使うの?」

 「トイレ用のモップとキッチン用のモップはどうやって判断するの?」

 「あの先生はどんな性格なの?」


 半年前に英語ができずに僕が来た頃、わからなかったこと、

 いつも不安で、何か問題が起こってもどう対処して良いのか?

 単にゴミ袋ひとつ探すのでも、キッチンに入ってブレーカーのが何処

 あるかを探すだけでもとても時間がかかったし、苦労したのを思い出します。

英語で早口で説明されてもわからないことが多かったしね。

 そして僕は、とりあえず沢山仕事をしました。

 ファミレスの社員を9年していたことはここにきてとても役に立ちました。

特に掃除とキッチンは絶対に欠かせないスキルです。

 これから行くアフリカでもそれは変わらないと思います。

 今新しい人達が入ってきて、みんなとても不安そうです。

 何か貢献したいけど、どうして良いかわからない、

 料理も掃除もやる気が無いわけではないのだけど、道具の使い方

 どうやって70人分の料理を作ったら良いのかわからない。

 だから僕がブラブラしていると色々なところで呼ばれます。

 だから僕も一緒にそこに行って解決策を探します。

 「これは今できること、これは今はできないことだから後で先生に

 相談したほうが良いこと」

 そういった判断は今は僕はできます。

 そしてそういう時なんとなく、半年頑張ってきて良かったなー

 って思います。

 仕事もそうだと思います。

 自分がつまらないと思う仕事でも、3年、5年と続けているうちに

 気がついたら年長になります、それなりに経験もついて何かあった

時に回りからたずねてもらえるようになります。

 そういうときになにかやりがいみたいなものを感じることができれば

その人は幸せだと思います。

 大工でもファミレスでもフットボールでもボランティアでも教員でも

なんでも良いのだと思います。

 何か続けているうちに周りから頼られるようになれば仕事の内容以上に

人から頼られることのほうが面白くなることもあると思います。

 そこで、

「俺も苦労したのだから、お前も苦労して当たり前なのだ!」
 
 と思うのか

「自分が苦労したから、後輩達にはそういう思いはしてほしくない。

と感じて自分の持っている技術を喜んで伝えて、

それによって自分自身もやりがいを感じることができるのか」

 もしそういったことにやりがいを感じることができるのなら、

その人にとっては仕事の内容など関係なくなるのだと思います。

 どちらのタイプになるかで周りの評価は全く逆になると思います。



 この話もう少し続きを書きますね!


 教育の世界では

「苦労してこそ人は鍛えられる」
 
「技術は盗め」

 「石の上にも三年」

「見てわからな奴は聞いてもわからない」

 という考え方もあり、もちろんそれが当てはまることがあります。

 でも違う考え方としては

「今も僕が持っている技術を100%後輩に伝えれば、

それを学んだ後輩達はさらに次の高いレベルで苦労することができる、

僕がしてきた、基本的はレベルでの苦労を繰り返す必要はない」

 そういう考え方も教育の一つにあっても良いのだと思います。

 もちろんそれは義務教育のレベルでは無くて、大学とか、

協力隊や今僕が居る学校のようなある程度大人の人達が集まった中でのはなしですが。
(この理論は僕の理論では無くて、京都大学のアメフト部の理論です。僕はとても京都大学のアメフト部に影響を受けています・・・・)

「自分に自信が無くって、常に後輩を自分の支配下に置きたいのなら

大切な技術は黙っておいても良いと思いますが、

本気で自分が何かを達成したいとおもっていて、

もし後輩が自分よりもすぐれた能力を持っているとするのなら、

今の自分の技術を100%彼に教えて、

彼にその目標を達成してもらうこともありだと思います。」

自分の目標が自分の名誉の為ではなくて、

世の為人の為になることならなおさらだと思います。

 それこそが本気で何かを達成したいと思うひとの心意気なのかもしれません。

そこまで考えてから後輩に何ができるのか?

に戻ることも大切だと思います。

 といっても僕がゴミ袋が何処にあるかを教えたり、

 キッチンのブレーカーの位置を教えたりすることは

あまり世の為人の為にはなってないし、教育とは関係ないかもしれませんが

 そういう気持ちで働くことができれば、それはそれで幸せなことだと思います。

 

 

 


 

 

2010年11月14日日曜日

意味のない納得



<写真を撮った時にアルツーが考えていることは、カワイーでは無くてウマソーであったと思います。>


イギリスにはリス、ハリネズミ、シカ、トリ、兎などいろいろな動物がいますが、

彼らは結構な確率で車に飛び込んできます。

 僕も何度か引きそうになりましたし、運転していると彼らの屍は一日に何度も見ます。

 ドライブから戻ってきたスペインのカーター、

ブラジルのアルツーが自分達が引いてしまったのか、

すでに引かれてしまったのかわからないけど、

小鹿を持って帰ってきてキッチンで嬉しそうにさばきだしたとき、

そしてそれを見つけたポルトガル人のヌヌが

ものすごく嬉しそうに目を輝かして素早く焚火の準備を始めた時、

「やっぱり彼らとは文化が違う・・・・」

 って少し思ったけど、彼らから見たら日本人の

「魚の生け造り」

のほうがよっぽどクレイジーなのだろうな

って思って苦笑いして見ていた事がありました。

 殺菌のためなのか臭みをとるためなのかは知らないけど、

お酢とニンニクを沢山使うので、キッチンがお酢の匂いでいっぱいでした。
 
その匂いと焚火の煙が部屋に充満し出すと

 誰かが何かを食べてるな?と気が付きます。


 大分昔にポルトガル人のルイースと車に乗っている時、

結構大きな鳥が車の前に飛び込んできたことがありました。
 
運転していた僕がびっくりして急ブレーキをかけるとルイースが

「鳥の飛び込み自殺だ!」

 と言ったので、

「彼らの人生も我々と同じように辛くて、悲しいものなのだろう」
 
と僕が冗談を返したら、

すでに40歳を超えているルイースはその冗談がとても気に入ったらしくて
 

永遠に笑った挙句に良くその話をよく繰り返してしていました。


 そして先日スコットランドに行った時、

突如として飛行機が僕の車の横を低空飛行で横切りました。

ナビを見たら空港のすぐ隣だったみたいです。

 「ついに飛行機まで飛び込み自殺だ!なんて悲しい時代なんだ・・・」

 と一人で思ってしまいましたが、そのあと5分くらいして、ふときがついたことは

「もしあの飛行機が本気でこの車に飛び込んできたとしたら、

死ぬのは飛行機では無くて、確実にこちらのほうだ」

 と気が付いてしまいました。


 もともとの話の始めからして意味のない話なので、

この納得に何も意味は無いことはわかっているけど、

誰とも話さずに一人で何日もドライブしていると頭の中身もこんな風になるのだなー

 って思いました・・・・
 

2010年11月12日金曜日

 まとまらないこの半年のまとめ⑥

そしてもう一つこの6カ月で気がついたことがありました。

 もし日本の教育、技術が世界一で我々は西洋文化に染まる必要はないのだ、

 っていう考え方は間違っているとは思いませんが。

もしそれが進みすぎると、それが人種差別の始まりになることもあるのでは?

  とこの半年間で勉強したアフリカのことと、

 自分の毎日の生活のなかで感じました。

 たとえば日本に文化の違う沢山の外国人が

 10万人くらい入ってきて生活しだすとします。

 彼らは文化が違うので、仕事に一時間くらい遅れても当たりまえ、

 交通ルールもあまり守らず、ゴミの分別やリサイクリングにも興味がなく、

 町が汚くてもあまり気にせず、立ちションベンも当たり前。

 だってそういうルールで今まで生活してきた人たちだから、

 その国ではそれが当たり前だったとします。

 そして日本人は何度も彼らにお願いします。
 
 「頼むからそういう習慣を直してほしい」

 でも彼らも同じようにおもいます。

「これは習慣ではなくて、我々の文化なので、

 今まで長いこと我々はこの文化で育ってきたのだ、

 お互いにお互いの文化を鑑賞するのは良くないことだ!」

 そして日本人は思います。

 彼らに我々が今まで守ってきた規律や謙虚さ公衆衛生、食の安全、

 年長者を敬う気持ちなどを無視されることはこれ以上は許されない。

 そして日本人は自分達の文化のレベルを下げないために

 彼らとは生活を別々にしたいと考えだします。

 日本人にとってはそれは自分達の文化を「守る」ための

 プロテクションになりますが、違う見方をすればそれは


 「人種差別」の始まりになることもあるのだと思いました。

 

 とても難しいしすべての人種差別がそこから

 始まったわけでは無いことは明らかです。

 特に黒人に対する差別は、勝手に西洋の人達が彼らを奴隷として


 連れ去って来て、自分達の国に連れてきておいて、


 その後に差別をしたという矛盾があると思いますし。

 日本にもそういう歴史は沢山あります。


  逆に下品で野蛮だけど「多数派」な人達が

 上品で思いやりと優しさを持った「少数派」の人達のところに


 攻め込んでその人たちを奴隷にしたり差別したりすることも

 歴史の中で沢山あるとおもいます。

 

 でも高い教育と文化を持った人たちが
(実際はどの文化が高いとか低いとかいう判断は誰にもできないと思いますが、
 一般的に低いと考えるひと達、他人の権利を踏みにじることが平気な人達)
から自分達の文化を守ろうとしたときに人種差別が始まることもあるのだと思います。

 僕が日本人としてのプライドを捨てずに、

 頑固に寡黙にこの半年間この学校で頑張ってきて、

 西洋文化の自己主張に染まることを拒んだとき、

 この感情は僕にとっては自分のレベルを下げたくないという

 プロテクションであったかもしれないけど、逆を言えばこれが

 「人種差別」の始まりなのかな?

 とも考えることができると思います。

 とはいっても日本文化が世界基準から言って高いとは断言できないし、

 しかも今の時代の世界基準が
 
 「自己主張する文化」

 なら少数派である僕たちには長いものに巻かれるしかなく、

 時には

 「もう一度鎖国してやる!」


 なんて思ったこともありますが、

 やっぱりいろんな文化を知ることは楽しいし、いろいろと経験できたし、

 時には自分の持っている文化よりもさらに良いものがあることにも

 沢山気がつかせてもらったし。

 何と言っても自分が好きで勝手に申し込んでここまで来たんだし

 今後もそういうことに関心を持ちながら自分のできる

 範囲で色々と考えながら工夫して生活していこうと思います。
 
 こういう問題は答えを求めてはいけないのだと思います。

 一生懸命考えるだけ、それが大切で面白いのだと思います。

 
 

2010年11月11日木曜日

この半年のまとめ⑤

 それでは日本はこの先国際社会でどうやってふるまえば良いのか?

 ということになりますが、それはとても難しいものだと思います。
 

思いやりと厳しさ、頑固さと謙虚さこういうたぐいの矛盾した

難しい感情をうちに秘め、日本人同士でもお互いに気を使い合って

上手くいかないことが多いのに、

本人達も理解できない感情が外国の人達に理解できるわけもなく、

そして英語はとても難しく。

 どうしたものかと思います。

 献身的に頑張れば?

 って思いますが、それは相当難しいです。献身的に頑張っていることに、

西洋の人達が気がつくまでに時間が結構かかりますし、

気がついた後は政治レベルでは利用されるだけだと思うからです。


 僕も良く感じました、

今の日本の発展、特に僕は1974年の第二次ベビーブームなので、

その世代ををだてた第一次ベビーブームのウチの親父世代。

その世代を教育した昭和一ケタのみなさん、

その他多くの日本人達の血のにじむような

「自己犠牲」

によって今の日本の発展はある、だから世界一豊かになった今、

第二次ベビーブームの僕達世代の新たなる義務は日本の発展から

世界の発展にあるのではないか?

 これからグローバル化が進んでいく中で、敗戦国であり、

戦争を70年近くしていなくて、

頑張って発展した日本人の役割は世界の中で大きいではないか?
 
我々世代は世界に対して自己犠牲を払うべき時ではないか?
 
それがこれからの日本の若者の役割ではないか?

(もう僕は若くもないですけど)

 と思って献身的には世界の為に働こうと思ったこともありましたが、

日本で美徳とされる「自己犠牲」は海外では理解されることは

相当難しいと思いますし、理解したとしても、それは勝手にやったことだから・・・

 ということになります。

 前半に僕が書いた6カ月で相当信頼を得た、というのと矛盾しますが、

たとえ彼らが理解して尊敬してくれたとしても、

実際にお金など現実的な問題になると感情論は

 まったく別の問題になるのだと思います。

 世の中はそんなに甘くなくて当然なのかもしれません。

2010年11月10日水曜日

この半年間のまとめ④

 話は少し変わりますが

 良くこちらの先生が言っていました。

「我々はキチンを教育された人達なのだ、

しかしアフリカでは低い教育しか受けていない人にであうかもしれない、

彼らは尋ねることもなくあなたのストレートの髪を触るかも知れないし、

恥ずかしげもなく物乞いしてくるかもしれない、

賄賂は生活の中では当たり前だし、何かあっても警察に頼ることもできない、

警官は事件が発生したら知らぬふりしてそこから

一番に立ち去ることが仕事なのだ、

だから我々の常識は通用しない、最初は驚くかもしれないが、

彼らを教育することが私達の目的であり、仕事であるので、

それに染まってはいけない」

 
 まあそんな感じだったと思います。

 でもキチンと教育された人間である我々は低い教育しか受けていない彼らに

染まってはいけない。というのであれば日本人は西洋人よりもさらに

高い教育と文化を持っているのでは? 

と疑問に思ったこともありました。 

 基本的に会話をするときに

「相手の気持ちを考えながら話す」

という技術は相当に高度なことなのだと聞いたことがあります。

確かに外国の人と話していると

「この人は場の空気読まないな・・・」

 って思うことあります。僕個人としてはそういう人が意外と

好きだから良いし日本にもそういう人が沢山いることはみなさん

知ってのとおりだとおもいますし、

そういう自分が一番空気が読めない人間だということも

僕自身も十分に存じておりますが、
 
日本には僕を中心として2割くらいの人が空気が読めないとすれば、

西洋では4割くらいとその比率は倍になります。

 そして意外と空気を読むのがインド人だと僕は思います。

イギリスで出会ったインド人達は最初にキチンと相手の話を

聞いてからそれに対して返事をします。
 
「一方的に話してから相手の反応を待つ」

という西洋的な話し方をする人は少なかったです。
 
特にイギリスに移民としてわたってきて苦労して生活を築いてきた

人達だから謙虚なのかも知れませんが、

僕が以前に持っていたインド人のイメージはイギリスで変わってしまいました。

 話を戻して、低い教育の人に染まってはいけないと

西洋軍団が日本人に言うのであれば、僕は小さな声で言いたい

「私たちはあなた達のような思いやりのない文化に染まる気はないのだ!」

 うーん、絶対に口に出して言えない、でもたまに思いました。

いくら自己主張しないといわれて

「耐えざることにも耐え、忍びざることにも忍んだ時・・・」

 絶対にあなた達のような下品な文化は受け入れない

だって日本の技術は世界一だし、ビジネスでもしっかりと結果出してるし、

戦争に負けても、なんと批判されようと結局は私たちは勝者なのだ、日本には

「沈黙は金なり」

 という言葉があるのだ!

 ってそういうときだけ負け惜しみのように一瞬思いました。
 
あくまでも僕の負け惜しみですどちらが良いのかはまだわかりません。

 

この半年のまとめ③

 ってここまで書いて思ったけど、僕の好きな言葉の一つに

「目立たず大活躍!」

 というのがあります。それが僕の理想とするリーダー像です。

 途上国では特に大切だと思います。

 「俺のはこのプロジェクトでこれだけの仕事をした!」

 っていうよりも、現地の人をリーダーにして、そのを中心に

プロジェクトを遂行して、いつかは自分はそこから去っていく役割

 その人が去って初めて

「今思えば、あの日本人の役割は大きかったな」

 と気が付かれる存在それこそまさに

 目立たず大活躍!なのだと思います。

2010年11月9日火曜日

半年のまとめ②

次に行きます。

 それでは日本の文化は受け入れられないのか?我々の美徳はどうなるのか?

ということですが、それは受け入れられます。

西洋の人達は自分達の自己主張の強さ、

 いつまでたってもお互いに足を引っ張り合う文化、

 他人のことを思いやりたくても、

 自分が敗者になって搾取される側には絶対になれない。
 
そういう文化にうんざりしています。

 だから日本人が持っている

「いたわり、無念さ、弱者に対する思いやり、敗者の美学、情け」

といった感情にとても興味を示します。

 自分達の社会の矛盾の答えがこう言った感情の中にあるのでは?

 と感じるのだと思います。
 
 でも敗者にはなれない。だから絶対的優位な立場に自分を守りながら、

 「募金」という形で、敗者への「情け」の感情を表します。

 日本人みたいに「一庶民」として生きていくにはリスクが高い社会だからです。

 ではどうやってそういった感情を西洋の人に対して

 態度で理解してもらうようにできるのか?

 ということになりますが、

 たとえば映画や本のようにコンパクトに一つのものとして

 まとまっている場合には2時間で理解してもらえますが。

 今の僕のように一緒に生活しながら理解してもらうには少し時間がかかります。

 もちろん言葉の壁もあります。

 でもこの半年で僕が感じたことは、粘り強く頑張れは、

 それはキチンと評価されるし、日本人への信頼は僕らが思っている以上に高い。

 ということです。

 僕も一度はこう思いました。

 もっと英語が話せて、自分がもっと若くて、日本で働いたことも、

 日本人の文化についてもたいして知らなくって、二十歳前後でここに来たら、

 簡単に西洋人みたいになって、自己主張してそれが良い、

 日本人の謙虚さは意味が無い! って思ってたかもしれないでも
 
 でも僕は日本で10年間社会人してたし、

 その間に日本人として日本社会で学んだことは沢山あるし。

 大学の体育会4年、実業団のフットボール9年で嫌というほど

 身に着いた日本の上下関係、縦割り社会、個人と組織、情と知、自己犠牲、

 終終身雇用制度にいたるまで、

 深く自分の魂に刻み込まれてきた感情とそれによって得た

 成功体験から逃れることはできなくって、不器用だけどでも頑固に、

 そのスタイルを貫いてきました。

 結果的に今思うことは、半年の時間をもらって、教室以外の仕事、

 募金活動、掃除、食事の用意、部屋の改装やペンキ塗り、

 畑仕事など実生活の中で見せることができる自分のライフスキル、

 生活力と衣食住みたいなことから表現される実力が

 結果的には僕を助けたとおもいます。

 西洋の強烈な自己主張は最初の一カ月間は通用しますが、

 それが継続されると口だけでは通用しなくなり、敵が沢山できて、

 お互いに権力の取り合いになり、それが決着するまでは話が全く前進しなくなります。

 「船頭多くして船山登る」

 もう一人の日本人の啓太が先日教えてくれました。

  西洋文化を表すのにぴったりだと思います。

 みんなが自分の全体像を描くので、話が全く進みません。

 (逆に日本人は全体像を描いて主張することが上手くないと思います。
 物事が良く分かっている人に限ってこういう人が良くいます。)



  日本にはこういう言葉があります

「人を相手にするな、天を相手にしろ」

 権力を気にするあまり、相手を倒すことばかりに能力を使ってしまって

 本当にしなければならないことを見失ってしまうこと良くあると思います。

  プログラムが始まった最初の二カ月くらい良くこの言葉を思い出しました。

 もちろんこれはうちの学校という入学試験もなく、申し込みだけで入ってこれる

 学校の中で起こったことであり、もっとキチンとしたヨーロッパのあると思います。

2010年11月8日月曜日

この半年間のまとめ①

32ooパウンド、約45万円の募金活動が無事に終了しました。

心配と応援してくれた皆様、あと日本から募金しましょうか?

と提案してくれた方々、本当にありがとうございました。
 
 終わってみればメンバー10名の中で最も早く終わることができました。 

そろそろこの半年のまとめをしようと思います。

 まずは

「ノーと言える日本」

 について、

「日本人はノーと言わない」

 これはこちらの先生達が日本人を褒めるときにも、けなすときにも使う言葉です。
 
嫌なことはキチンと断ってくれないと困る

 というのが彼らの意見ですが。

 この半年で気がついたことは、

日本人は相手の気持ちをとても考えて質問するので、その場でとっさに

「ノー」

ということに慣れていません。

相手が受け入れにくい質問は最初からしないのです。
 
ずうずうしい質問をすることを恥じるので、キチンと相手が

「イエス」

って言ってくる質問をします。だから聞かれたほうほ


「良いよ!」

 っていうのが普通になっています。

 特に日本人の中でも生真面目で普段からみんなに尊敬されている人に対しては、

こちらもあまり失礼なお願いはしないので、

そういう人はさらに「ノー!」ということに慣れていません。
(別に自分がそうとは決して言ってません)
 
相手の理由はどうであれ、 誰から自分に対して助けを求めているのなら、

すでに相手は相当思案した上で訪ねてくれているのだろう。

だから答えは即答で「イエス!」なのです。

そこでいちいち相手を疑って

「なんで僕の助けが必要なの?どういう理由で?」

などと聞くことは下品なことだと思っているのです。

 それが一流の日本人、外国の人みたいに

言ったもの勝ち、主張したもの勝ち、実力はその次、

ずうずうしくないと生き残れない、ヨーロッパは昔からいろいろな国の文化、

習慣、言語がミックスしているので、

相手の気持ちなんて察しようと思っても全くわからないのです。

だからとりあえず明確にストレートに自分の主張を通すことが普通なのです。
 
ということになります。

だから一流の日本人が外国人と接するときに、その人が立派な日本人であり、

謙虚で律義で誠実で

耐えざることに耐え、忍びざることを忍べば忍ぶほど、

海外で短期間のうちに活躍することは難しくなると思います。

 高倉健ではだめなのです。

「私は不器用なので、ご自由にしてください」

という僕たちの美徳は彼らにとっては「わかりにくい」のです。

2010年11月2日火曜日

時が経つと変われること


 <写真は小学校3年生くらい、真ん中でビニール袋を持っているのが僕です。何をやっても自信が持てなくて、さえない子供でした。だから忍耐強く続けることができなくて、でもみんなに認めてもらいたい気持ちは沢山あって、子供だったから気がつかなかったけど、一生懸命にもがいていた時期だと思います。でもそういう経験があるからこそ、人にやさしくなれるのかな?とも思います、何事も経験しておいてそんはないですよね>

子供のころからあまり

「ウラ」っていう名前好きではなかったような気がします。

学校で先生が

「コラ!」

 って怒ったらなんか自分が怒られてるような気がするし、そのたびにドキッとするし、

 「山本リンダのファンですか?」

 「ジャングルクロベエの主題歌を歌って!」

 「下の名前はビデオくんですか?」

っていじめられるし、もっと「三浦」とか「杉浦」

とかそういうカッコよくてバランスの良い名前がよいなー!

 って思っていました。

 でも男だし一生この名前なんだな。って思ってました。

 でもバヌアツ、イギリスなどの海外に出来て思ったけど、

「ウラ」っていう発音、意外と外人は覚えやすいみたいです。

 明らかに下の名前の「テルヒロ」よりは発音しやすいし、

 北欧のほうでは嬉しい時に 日本でいう「ヤッター」みたいな意味で

「ウラー!」 とか「ウララー」 とか「フラー」

 とかっていうらしくて、その動作と一緒に自己紹介するとみんな覚えてくれます。

 そして結構それは前向きな意味なので、みんなな喜んでくれいます。

 ウチのチームで韓国人の女の子で

「スッキー」

っていう子がいるんだけど、毎日

「スッキー!」

って読んでるとなんか僕はこの子のことスキなのかな?

 っていう錯覚に陥るのと同じ作用があるのだと思います。

 猫も
 
ノラっていう名前つけると、だらしない猫が育つって言うしね。

 まあ呼ぶ側の心掛けの問題だと思いますが・・・・

あとはインターネット、「浦輝大」っていう感じの組み合わせ、

ジェイリーグのサッカー選手で似た人がいるのだけど、

それ以外はほとんどいないみたいで、

グーグルでもヤフーでも結構早めに僕の名前が出てきます。

 この名前嫌だな。って思っていたころにはインターネットなんてなかったし、

こんな日が来るとは思っていなかったけど、

時代が変われば価値も変わるものだな!って思います。



 価値が変わった話のもう一つは昨年の中学校で非常勤講師していたとき。

 支援学級っていう昔でいう養護学級って言ったらよいのか

 言葉の使い方が難しいところなんだけど、

 クラスに適応しにくい生徒のサポートをする教室に一年間居ました。

 自分の中学校時代は暗くて悲しい時期だったので、

 あまり思い出したくなかったのですが、昨年に支援学級で働いていて感じたことは、

「子供の気持ちがものすごくわかる、何をやっても自信が無いし、

 周りからは認めてもらえないし、その割に自分のプライドやエゴは凄くあって、

 みんなから認めてもらいたいっていう気持ちは凄くある。

 でも誰にも認められない、こういう自分って嫌だな、でも変えられないな」

 って思っていた時期、自分のそんな頃を自分の生徒を重ねてみると、

なぜかとても生徒に対してやさしい気持ちになれました。

 おそらく他の先生からは
 
「浦さん体育の先生なのに、生徒に甘すぎ、なめられすぎ」

って思われていたかも知れないけど、

 生徒はキチンと三学期まで楽しく学校に通ってくれました。

 二度と取り戻せないと思っていた自分の中学校時代でしたが、

 今思えばとり返す必要なんてなかったのかな?

 って感じています。

 「ウラ」っていう名前も、悲しい中学時代も、

 時が経ってみればちがう見方ができて、結局は同じことなのかな?

 って思いました。

 「人生の苦労の数は決まってる」

って学生の時の友達がオッサンみたいに言っていました。

 なるべくいろいろなことにこだわらずに自然体で生きていけたらよいなと思います。

2010年11月1日月曜日

30年で2回



 <写真はバヌアツの小学校一年生。
 僕は彼らの何人を励ますことができたのかな?っておもいます、
 ウラに褒めてもらったから、あの後30年頑張ったよ!って言ってくれる人
 は将来いないと思うけど、僕はあれから30年間頑張ったつもりです>

 今から30年前、僕が大阪の吹田市、千里第二小学校に入学したとき、

 当時はまだ第二次ベビーブームでマンモス校と呼ばれていて、
 
木造校舎に40人以上の生徒が詰め込まれて、

 それが10クラス近くあって、うちの小学校はなぜか宝塚みたいに、

 雪組、星組、花組、月組、みたいにクラスが呼ばれていたころ。

 僕の担任の先生は当時30歳くらいだったサッカー部の顧問の先生でした。

 その先生が僕に

 「ウラ君、キミはサッカーが凄く上手だし体育がよくできる。

 きっとよい選手になるよ!」

週末にある地元のサッカークラブを紹介してくれました。

 僕はそれがとても嬉しくて、自分がサッカーが上手なんだと思い込んで、

 一生懸命サッカーをしていたのを思い出します。

 そう信じていたからサッカーが上手になったのだと思います。

 そのまま30過ぎるまでずっとスポーツしてきたから、

 あの先生の一言が僕の人生に与えた影響は大きかったと思うし。

 ウチの母親もいまだにその先生のことをよく覚えています。

 それから30年が経って昨年ウチ親父の看病の為に大阪に戻って

 午前中だけ中学校で非常勤の先生をしていましたが。

 たまたま小学校の体育科の先生と、

 中学校の体育科の先生達が一緒に集まる情報交換会みたいなのがあって、

 そこでその先生に30年ぶりに再開しました。

 30年ぶりでしたが、全く変わっていなかったので驚きました。

 中学校で非常勤をしていること、

 親父が一学期で亡くなってしまったことなどを話しました。
 
 その先生はすでに校長先生になっておられて、地元では有名な先生でした。

 二学期末に教育委員会から連絡があって、

 「三学期、小学校で妊娠されている女性の先生のかわりに週3回、

 午後に体育教えてもらえますか?体育だけなら浦さんが小学校で教えても大丈夫です。」

 という連絡があり、30年ぶりに恩師の先生の学校で働かせてもらいました。

 朝礼での初めての挨拶のとこに、 

「みんなの校長先生は30年前の僕が小学校一年生の時の担任の先生でした」

 っていったらみんなとても喜んでくれました。

 僕の人生を2回も変えてくれた先生にはとても感謝しています。

 教員ってよいものだな。と改めて感じました。

2010年10月30日土曜日

哀れな日本人に愛の手を?


 <写真は募金をするときに使っている僕のオリジナルボードです、
 バヌアツの時の写真が貼ってあって、次はアンゴラに行くので募金宜しく!
 って言うとみんな納得してくれます。言葉よりも写真の力は大きいです>

 募金活動をしていて、思うことはアフリカ出身の人は二手に分かれること。
 
 とても喜んでくれて、協力してくれる人と、

 明らかに不審感を持って気分を害する人に分かれます。
 
「お前は何でアフリカに行きたいんだ!」

「おれたちの写真を使って金を集めてるだけだろ」

「おれたちはほっておいてほしいだけなんだ、助けなんていらない」

「旅行者気分で人助けなんてできないよ」

 って言われます。僕の答えは

「僕はスポーツを教えるのが好きだからアフリカに行きたい。

日本でも先生をしていたし、バヌアツでも体育を教えていて

自分の経験の為、楽しい時間を過ごしたいだけなんだ」

 でもこの答えは僕が最初に協力隊に行く前とは全く違っています。

4年前に協力隊に行こうと思った時に感じていたのは

「困っている人を助けたい、日本人として何か貢献したい」

でした、だからバヌアツで海外のボランティアが口々に

 「経験の為、自分の人生を変えたかったから」

っていうのを聞いて、少し驚いたし

「税金使って来てるのに、少し無責任だな、受け入れ国にも失礼だ」

なんて思いました、

  でも今は違います。バヌアツに行って少し感じだことは

 「基本的に人が人を助けることはできない」

解釈が難しいし誤解を生んだら困るけど、助けようと思って何かをしてあげると、

 最初は相手も喜んでくれるけど、それが継続的に行われると、

 相手もやってもらって当たり前になってくる。

 こっちは助けてあげている、って思ってるけど、何の感謝もされなくなる、

 別に感謝されるために初めて人助けではないけど、それが当たり前になってきたり。

 「もっと助けて!」

 って言われたりすると、
 
 助けるのではなくて自立させることが大切だ。

ということに気がつくのだと思います。もちろん

 「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」

「食べ物を与えて難民にするのではなく、クワを与えて自立してもらう」

 この言葉は基本にあります。でもこの言葉は時に現実的ではないこともあります。

 日本人は教育水準が上がれば彼らは自律して立派にほかの国と競争できる、

 と思っていても、もともと途上国はそんなことを望んでいないこともあります。

 また

 「こんなに献身的に頑張ってる自分て素敵!」

みたいな感じで、単に自己満足になる人もいると思います。

 ヨーロッパに来て思うことはボランティアって人生の中の一時期

 に無給で働いてみることによって、人生観が変わったり、

 給料をもらって働くことと比較できたする良い機会になるのかな?

 と思いました。

 またアフリカ出身の人が嫌な気分になるもう一つの理由は

 たとえば満面の笑みの日本人の子供の写真をどこかの外国人が

 ポスターにして持っていて、そのポスターのスローガンに

「日本を助けよう!」

「日本人に愛の手を!」

「あなたの100円で沢山の日本人の命が救えます」

「日本には教育が必要です!」

 こんなのを持っている外国人の若者を海外で見たとき、

 自分はどんな気持ちがするかな?って思ったら、きっと良い気分にはならないだろうな。

 っておもいました。

 だからアフリカ出身の人になぜアフリカに行きたいんだ?

 って聞かれたら今は

「自分の経験の為です、僕が彼らを助けることなんてできないことはわかってる、

 ただ僕はアフリカに行って彼らと一緒に遊びたいだけなんです」

 って胸を張って言うようにしています。
 
 そうすると相手も納得してくれます。

 間違っても

 「彼らを助けたいのです」

って言ってはいけない気がしてます。

 それが4年前と今とで僕の中で変わったことだと思います。

それぞれの人がいろいろな思いでボランティアだったり、

 人助けをするのだと思いますし、その動機は全員が違っていて良いし、

 常に変わっていくものだと思いますが

 2010年の僕は今こんなふうにおもっています。

2010年10月29日金曜日

僕の頭は150ギガくらい


  <写真はブリリングトンという港町です、古い建物が今でも
   残っているなかなか味のある町でした>

 学生時代に勉強する意味は、用は自分が持っているラップトップの中に

どんどんいろいろな情報を入れていくようなものだとおもう。
 
 メールソフトは国語
 
理科はエクセルで作った書類

 算数も書類、音楽はもちろん音楽

 社会もあって、英語もあって、自分のラップトップのメモリーの中にいろいろな情報を

「詰め込んで」行く作業のような気がします。

 メモリーが80ギガの人もいれば、500ギガのひともいて、

IQが高ければ1テラバイト(1000ギガバイト)みたいな人もいると思います。

 そして年齢が重なるごとにウィンドウズもアップデートされていって、

それらの情報はさらに使いやすく自分の頭の中で整理させて、

必要な時に必要な情報が取り出せるようになります。

 そこで重要なのは単に1テラバイトの中に凄く沢山の情報を詰め込んだ

IQの高い人でも、それらの情報を必要な時に取り出す技術が無ければ、

持っている情報は意味がなくなってしまうのだと思います。

「確かこんな情報を持っていたと思うけど、どこのフォルダに入れたかな?」
 
って感じること、パソコン持っている人ならだれでもあると思います。

 だから1テラバイトの情報量よりも300ギガバイトくらいの

使える情報を持っているほうが意味があるのかもしれません。


 でもとりあえず学生というのは自分の持っているメモリーの

容量に入るだけの情報を入れることは大切なのだと思います。

 そしてできるだけ多くアップデートして、

沢山の情報を使いやすく頭の中で整理して、準備しておきます。

 なぜその必要があるの?っていうことになりますが、

その答えは学生が終わって、社会人になりますが、社会人とはすなわち


インターネットだからです。

 仕事を始めるということはプロバイダーと契約して、

インターネットにつなぐことができることだと思います。

 だから社会人になったらわからないことがあればすぐに

グーグルやヤフーで検索すれば良いのです。

もういちいち図書館に行って調べなくても上司や友達に聞くことができます。


そのインターネットとは上司や同僚、お得意さんのことです。

わからない言葉があったら、

自分のメモリーの中の情報からいちいち探すよりもすでに

情報や経験のある人から聞いたほうが早いからです。

いちいちメモリーの中からファイルを探す必要はありません。

 じゃあ学生時代に詰め込んできた情報の意味はあるの?何のために勉強するの?

 ってことになりますが、それはあります、

というのはネットの中の情報は本当のこともありますが、

嘘の情報や正確でない情報が沢山あるからです。

 それが世の中だし、社会なのだと思います。

インターネットの世界は意外と恐ろしいものなのです。

 そういった情報の中からどの情報が自分に必要で、

正確なのかを判断するためには、

今まで自分の中に貯め込んできた自分の

ラップトップの中に入っている情報が頼りになります。


 もしラップトップの中が空っぽで何の情報の蓄積もなくって、

その人がいきなりインターネットをつないだとしたら、

入ってくる情報が自分に必要なのか?正確なのか?わからなくなります。

とりあえず自分の興味のままにクリックし続けた結果が、

タチの悪い詐欺だったり、ウィルスが入ったりすること多いと思います。

 それをキチンと判断するには、

 ラップトップの中に最低でも300ギガバイトくらいの

 情報が入っていることが大切だと思います。


 ちなみに僕の頭のラップトップには150ギガくらいしか入っていませんが、

 その情報はすべて自分の経験の中でものすごく濃く刻み込まれた情報なので、

 とても使える情報だと思っています。時に相当偏っていますが・・・・

逆にいえば1テラバイトも情報量を学生時代に詰め込んだ人でも

 その情報の使い方を全く知らなければ、社会の中では全く使い物になりません。

そういう人は英語の単語も漢字も理科も社会も「情報」として頭に入れただけで、

 それがどういう情報なのか

 「知識」として自分で考えることをしなかった人だと思います。

 そして悲しいことに日本のテストの結果がすべてな学校ではそういう人でも

 「優等生」として扱ってくれます。

学生が終わるまではそれで良いのですが、そのあと社会に出ると困ったりします。
 
 自分の人生を外付けのハードディスクみたいな役割で終わるのならよいですけど、

 人生の醍醐味はやっぱり自分のラップトップでネットにつないで

 社会の一員として世の中をネットサーフィンしながら

 経験して行くことだと僕は思うからです。

 じゃあどうやって判断力を身につけていくの?ってことになりますが、

 それは、受験には関係のない 音楽、美術、体育、読書などから

 身につけること結構あると思います。
 
もちろんそのバックグランドには「国語」がとても必要です。

  国語がきちんとできて「言葉」として自分のハートに

 知識が刻み込まれなければ持っている「知識」はただの「情報」になるからです。

 今僕が中学生に「なんで勉強しないといけないの?」

 「学歴に何の意味があるの」

 って言われたら、こんな風に説明してみようと思っています。

 でもこれはあくまでも一つの側面からみた「勉強」に対する考え方です。

 もう少し深く考えてみようと思いますが、今日のところはすでに僕のラップトップ

 の能力以上考えたので、フリーズしてしまいました。ごめんなさい・・・・

2010年10月27日水曜日

役割



 <写真は今週に古着を集めに行ったスコットランドです。低い空と湿った大地どこまでも続く農園、湿気のせいかすべての色が濃く見えました。ウチ学校から500キロくらいあります。一人で行って、一人でホテル泊まって、一人で古着集めて帰ってきました。考える時間がありすぎて、逆に何も考えなくなってしまいました・・・>

 埼玉のガストで社員として5年間ほど働いていた事がありますが、

 そのころに面白い疑問がありました。

 ウチのガストの隣にはとても忙しいガソリンスタンドがあって、

 そこの店長はなかなかの人で、バイトの子達の接客態度もしっかりしていて、

 いつも感心します。

 そして一カ月に一度、その店長のオゴリでバイトの子達がガストに食事に来ます。

 すべてオゴリなのでみんな豪快に頼んで、豪快に食べて、

 ドリンクバー飲んで、タバコ沢山吸って帰ります。

 僕はひたすら彼らのテーブルが汚くならないように、

 食べ終わった食器を片づけて、

 すぐにいっぱいになる灰皿を新しいものに変えて回ります。
 
 テーブルにゴミが散らかって、灰皿があふれると、みんな行儀が悪くなる、

 というのがファミレスの社員として僕が学んだことだったからです。


 でもたまに僕がガソリンを入れに行くと、

 とてもキチンと働いて好感を持てて自分達も接客業しているその子達が、

 すぐ隣のウチのお店でこれほどまでに行儀悪くなれるのかなって、

 不思議に思った頃あります。

 たとえばその日の夕方に僕がガソリンを入れに行くと全く立場が逆になって、

 「ガストの人が来た!」

 って感じでなんとなく気まずくなるからです。

 そういう時って気持ちよく

 「いらっしゃいませ!」
 
 って言いにくいよね。

 そこで感じたことは、

 「日本人って凄くその役割を演じているんだな」

 っていうことでした。

 普段その子達は元気で礼儀正しいガソリンスタンドの店員を演じていて、

 僕はファミレスの社員を演じています。

 だから仕事が終わって演じなくてよい時には本当の自分が出ます。

 仕事中は少し我慢して演じているからです。

 僕自身はそういうときに演じるのが下手くそなきがします。 だから良く

 「お前は要領が悪い!」 って怒られました。

 これは型にはめるという日本の教育のシステムから始まっているのだと思います。


 日本の良いところでもあり、悪いところでもあるきがします。

 役割で自分を殺すこともでるからです。

 そして殺しているうちに身に着くことも多くあると思います。

 
 忍耐強いといえば響きは良いし、

 日本人は裏表があるといわれる理由もそこだと思います。
 

 僕も無意識の自分の行動のなかからそういう面を感じることあります。


 これはイギリスだけでは無くて、海外に行くと思うことですが、

 どんなサービス業の人でも、決して自分を演じていなくて、

 ありのままの自分でいるな。って思います。

 日本でよくあるマニュアル先行ではないのです。

 だから時にサービス業の店員の態度が悪いと腹を立てることがあります。


 外国の店員さんはあくまでも店員を演じているのではなくて、

「自分らしく居ること」

 が優先されているからだと思います。

 だから横で外国人同士がお客さんと店員さんとして対等に世間話をしているのを見ると、

 この人達前から友達だったのかな? って思うことあります。

日本には「お客様は神様です」

っていう言葉があるくらいだものね。

 でも隣同士のガソリンスタンドとファミレスで、

 昼間はガソリンスタンドの店員さんが神様で、

 夕方僕がガソリンを入れに行ったときは僕が神様になる! 

 って何か疲れるよね。どことなく滑稽だよね。

 常にどちらの立場の時でもお互いに尊重して生きていたいよね。
 
 なんで常に自分であってはいけないのかな?

 自分らしく接客することがなぜ認められないのかな?

 レベルの低い人達が居るから、マニュアル作って押しつけたほうが簡単だ。

 という意見もあるかもしれないけど、

 逆に言ったらマニュアル以上の接客のできる人を白けさすし、

 接客されるほうもどこまでがマニュアルの笑顔で、

 どこからがその人の本心の笑顔かわからないと人間として接しにくいよね?

 日本は常に型にはまってるよね。
 

 30代の男は結婚しているべき!

 お年寄りは大らかであるべき!

 子供は無邪気であるべき!

 運動してる人はさわやかであるべき!

 長距離トラックの運転手はやしろあきを聞くべき!

 テレビ局のプロディーサーは石田純一であるべき!

 東大卒はプライド高くあるべき!

 課長は細くて神経質そうであるべき!

 部長は、小太りであるべき!

 新入社員の女の子は賢くてはいけないべき?
 (馬鹿を演じなくてはいけないってことです)

 30前の女子はたとえ結婚したくなくっても結婚を焦っているふりをするべき!

 お笑い芸人は自虐的であるべき。

 っていうなんとなく型にはまっていることを社会も要求するし、

 その肩にはまっているほうが何かと人生が生きやすくなるような

 仕組みができていると思います。

 
 おそらく企業がそれぞれの世代の多数派の人に向けて物を売りだしたり、

 宣伝広告出しているから、無意識のうちのそれに乗っかって、

 お金さえ払っていれば日本人の考える

 理想の日本人像」

 みたいなのに近づいていって、周りも本人も安心できるからかもしれません。

 そういうの外国ではあまり感じないです。

 僕が36歳っていうと、急に敬語になってよそよそしくなるわけでもなく、

 (英語に敬語無いしね)

 普通に20歳の人も今までとおなじように接してくれるし、

 年長だからという理由で、何かみんなから尊敬を受けた記憶もありません。

 ある意味36歳を演じる必要が無いので、気持ちは楽です。

 自分らしく入れます。

 でもそうやって自分らしく居ることは日本人には難しいのかもね。

自分ってどういう人なの?

ってあまり意識しないで生きているからだと思います。

 別に日本が悪いとは思ってないのだけど、そういうことをたまに

意識して生活してみるとまた面白いかな?って思います。
 

 

2010年10月25日月曜日

職業差別



 <写真は古着のコンテナを作っているイタリア人のトニーニョです。このコンテナ
  がコンビニとかパブとかスーパー、学校なんかに置いてあって、僕は車で回って
  中に入っている古着を集めます>


イギリス人で働いていて感じることだけど、職業差別が無いな。

って思います。

 常に人と人は対等で平等なんだ! っていう風に感じることがおおいです。

 募金活動していても

「私もボランティアしたいけど、忙しくてできないから、あなたに託します、

でもボランティアしてくれてありがとう」

 って言ってもらったことあるし。

 古着集めのコンテナを置く場所をお店に一軒一軒聞いて回ってもいても、
 
 「ウチはおけないけど、よい仕事だね、頑張ってね」

 って本心で言ってくれるし。

  先週も朝からドライブして、古着集めのコンテナを回っていたら、

 スーパーの清掃のオジサンがやってきて、

 「若い奴らがコンテナの周りにごみを捨てて汚れてしまってるけど、大丈夫かい?」
 
 って声かけてくれるし。

 その人もすでに60歳くらいの年だったと思うけど、

 杖みたいな先にごみを挟める棒みたいなのを持っていて、

 朝の7時くらいから一生懸命ごみを拾っていました。

 そしてみんなとても自分の仕事に誇りをもっているというか、

 僕がリサイクリングのコンテナを開けて、

 中に入っている誰かが入れたゴミと古着を少し

 ふてくされながら分別している時でも、凄く自然に。

 「おはよう、頑張ってるね、チャリティー活動してくれてありがとう!」

って声かけてくれいます。

 こんなところで汚い恰好して、ゴミと古着を分けてるアジア人になんで
 
こんなに親切なの?っておもいますが、

 僕の出会うイギリス人はそういう職業差別みたいなのは全くないみたいでうす。

 逆にいえば、40代50代くらいのキチンとした紳士が短パンにブーツはいて、

 郵便を配っていたりします。

 田舎の農家のオジサン達も夕方にはキチンと襟付きのシャツに着かえて、

 パブでビールを飲んでいます。

 決して作業着のままではパブにはいきません。

 そしてみんな凄く自分の仕事に誇りを持っているとともに、

 他人の仕事にも敬意を払います。


 一日中古着集めのコンテナから古着を回収して、疲れ切っていて、

 日差しが強くて夕方で外の気温は急に下がってきたのに、

 車の中は熱くてのどが渇いたな、と感じていた4時半頃。

 小学校の中のリサイクルセンターから古着を取り出して、

 次のコンテナの郵便番号をナビに打ち込んでいた時。

 子供がみんな帰った後の小学校で購買部の棚卸をしていた

 50代くらいのオジサンが、

 疲れて眉間にシワを寄せながらナビをにらんでいる僕のところに寄ってきて。

 「御苦労さま、よかったらこれ飲んで!」

 っていって紙パックのオレンジジュース2パックを

 大きな手のひらで僕に差し出してくれたとき、

「なんで僕がのど渇いてるってわかったんだろう?

 そしてなんでこんなところで作業着を着て古着集めてる

 アジア人にこんなにやさしくできるんだろう?」
 
 って嬉しさとともに疑問が沸きました。

日本では感じたことの少ない感覚だったからです。

 おそらくみんなが自分の仕事にプライドを持っているから、

 他人の仕事もけなさないのだと思います。
 
 そういう人間同士の平等っていうか、

 仕事や立場によって人の見方を変えないで、

 あくまでも個人と個人として人と接するところ、イギリス人は素晴らしいと思います。

 僕が日本で古着を回収している外国人を見た時に、

 そういう行動できるかな?って思ったら、なかなかできないと思います。

 イギリス人は合理的なのだと思います。

 決して人情とか憐みで親切にしているのではないんだよね。

 「なんで仕事で人を判断するの?」

 ってイギリス人は逆に疑問に思うのだろうね。

 自分にはそういう気持ちは少ないって思っていたけど、

 こちらに来てイギリス人と接していると、

 自分は無意識のうちに職業差別していたな、と感じました。

 そこは見習うべきところだと思います。

2010年10月22日金曜日

ガス欠


その日も朝からドライブしていました。

約250キロの旅ですが、朝にもらったガソリン代の5000円では足りそうもありません。

 選択肢は二つ、すべてのコンテナを回らずにガソリンの範囲ないで回るか、

自腹でガソリンを入れて、領収証であとから清算するか?

 そんなことを夕方の4時くらいから考えてきて、気がついたらすでに6時、

ついにガソリン切れのランプが赤く点灯しました。

 外は真っ暗、でもなんとか最後のコンテナの古着も回収、

なんとなく気持ちも楽になって、ナビを

「家に帰る!」

に選択して、あとはひたすらドライブするだけ、

でもこのまま高速に乗ってしまったらガス欠で止まる可能性もあるな、

なんとか高速に乗る前にガソリンを入れたい。

 って思っていたら、田舎だからなんと6時でガソリンスタンドが閉まっていました。

 やばい、もっと早めに決断して自腹でガソリン入れておくべきだった。

 って後悔しながら、暗い車内で赤く光る

エンプティー(空っぽ)ランプがやたらと気になります。

 高速までにガソリンスタンド無かったらやばいな・・・

 って冷や汗かきながら信号待ち。、田舎町で一車線なのに、

近くにある大型スーパーとイギリスでは意外と許されている

路上駐車のせいで道は少しだけ渋滞していました。

 こんなところでガス欠したらブーイングだろうな・・・

 って思いながら、疲れた頭と体で信号をまってました。

 青になったのに前の車が出発しないのは変だな?って思いながら

 イギリスはクラクション鳴らさないのが普通だし。

別にこっちも仕事が終わって帰るだけだから別に急いでないし、

ただ後続の車に悪いな、って思いながら、まっていました。

 もう一度信号が青になって、今度は明らかに出発してもらわないと困る感じ。

 でも前に止まっている軽自動車はなかなか出発しません。

 右折車に道譲ってるのかな?それとも友達を歩道に見つけて話してるのかな? 

って思ったら中から50歳くらいの女性が降りてきて

 「ガソリンが切れてしまったみたいで、押していただけませんか?」

 そんなこと人生で頼まれたこと無かったし、一瞬びっくりしたけど

 自分もガス欠寸前だったし、その気持ちよくわかるよ! ってことで

 なんかすごくエネルギーが沸いてきて。あわてて飛び降りて、軽自動車を押しました。

 なかなか動かないな?って思っていたら中学生くらいの男の子が
 
 全力疾走で走ってきて、隣で一緒に押してくれました。

 
 ふたりで10メートルくらい横の歩道に乗り上げるまで押して。

 そこでストップ。

  「ありがとう!」

 って言われてたから。
 
 「問題ないよ!」


 っていって自分の車に戻って後続の車にごめんね!

 って窓から挨拶して、出発しました。

  結局僕の車のガソリンは高速のひとつめのスタンドまでもったので、

 無事に帰ることができました。

  でもあの時に僕の力の入りようは普通では無かったと思います。

何か自分の車がガスケツして押すリハーサルしてるようなでも

半分はなぜかとても楽しい気分でした。こんなことあるんだなー

人助けして自分の気持ちも助けられることってあるよなー!

 って帰りの運転中に一人でニヤニヤといつまでもい笑ってしまいました。

2010年10月21日木曜日

忍耐力の続き③


 <写真は18歳予備校時代に大阪の淀川の河川敷のフットボールチームに参加していたころのものです。 一緒に写っているのは高校時代からの親友、ウッキーです、彼も僕の人生に大きく影響を与えた一人です、彼についてはまたいつか書きますね> 

ごめんなさい、忍耐力もうひとつ書きました。

 もし①と②を読んでいない方がいたら、順番が逆になっています。


ここまで書いてまたもう一つ深く考えると、

 なぜ高校三年間フットボールを続けられたのか? 

 ということになりますが。その理由の一つは劣等感からだと思います。

 専門学校を視野に入れながらやっと入った普通科高校でしたが、

 高校に入ったからと言って勉強ができるようになるわけでもなく、

 何か部活に入らないといけないと思って入ったアメフト部でしたが、

弱小チームで、公式戦も年に一度だけ一回戦で敗退するために出場するようなものでした。 

そのくせ練習だけはやたらときつくて、先輩にはいつもしごかれて、

 後輩にはなめられて、肩身の狭い3年間でしたが、なぜ続いたかというと、

「自分は勉強はできないから、

 もしアメフト部を辞めてしまったら学校に来る理由がなくなってしまう。

 子供のころから唯一好きだったスポーツまで辞めてしまったら、

 生きてる意味が本当に無くなる」

って思っていたからだと思います。

 もちろん、もう一つの理由は先輩と顧問の先生が怖くて辞めると

 言えなかったというのもあります。

 
 まあ理由はともあれ、一つのことに打ち込んだ高校三年間でしたが、

 3年間、嫌々続けてみると、それはそれなりに何か心に訴えるものがあり、

 大学に行ってやってみたい!

  って思うようになりました。

 たまたま大学に行った先輩が練習を見に来てくれて、

「ウチの大学は推薦なら、論文とフットボールだけで受験できるよ」

っていわれて、勉強しなくて大学に行けるんだ! 

 っていう甘い考えから始まったものでした。
 
 
 結局は現役で8校受けてすべて不合格、順調に予備校に入学しました。

 勉強嫌いな僕が予備校で自分に誓ったことはただ一つ。

「この受験勉強は勉強では無いんだ、

 大学でフットボールをするための入団試験の為のものなんだ、

 だからこれは勉強ではなくて、フットボールの一つなんだ、

 ウエイトしたり、練習したり、長距離はしったりして

 体を鍛えてフットボールが上手くなるための一つの手段なんだ

 だから受験勉強もフットボールの一環だと思えばよい」

 って自分に言い聞かせました。

 勉強を勉強と思わず、フットボールなんだ、と思えば意外と素直に机にむかえました。

 

 社会人でファミレスのスカイラークに入って、

 ガストの洗い場の油と食べ残しが浮いているシンクの中に初めて

 手を突っ込んだ時も思いました。
 

 「体育大学出てなんでこんな仕事してるんだろう?

 でも我慢できる、これをしてるから安心して実業団で社会人として

 フットボールができるんだ、日本一を目指せるんだ。

 この洗い場もフットボールのうちなんだ」

 
 って思って手を突っ込んだのを今でも覚えています。

 「日本一になるためなら、なんでもする、それが本当のプライドっていうものだ」

 って思っていました。

 元をただせばすべて自分の劣等感から来たのだと思います。

 みんなと同じレベルになりたい、社会に受け入れてもらいたい。

 チームのみんなと一緒に試合に出たい。さらに上のレベルでフットボールがしたい。

 
 そういう気持ちが僕に高校三年間のアメフト部を続けさしたと思うし、

 社会人生活も続いたのだとおもっています。

 もし勉強ができて、なんの苦労や劣等感もなく高校に入学していたら、

 アメフト部はすぐに辞めていたと思います。

 だから時に劣等感ってときには大切なんだと思います。

 けして持っていて悪いものではない気がしています。

2010年10月20日水曜日

忍耐力 ①


 
 <写真はイギリスのある生協がやっているコンビニの横にあるリサイクリングサイトです。手前からグラスのリサイクリングがあって、靴のリサイクリング、プラスティック。紙、一番奥の青いコンテナが僕たちの服のリサイクリングです。その奥の車が僕が運転している大きなバンです。このリサイクリング場は相当大きな規模です。普通は田舎の小さなパブ、公民館やスポーツセンターの駐車場にポツンとコンテナが置いてあったりします。>
 


ちょっと忙しくしていました。

6か月のプログラムですでに4カ月が経過、すでに残り二カ月を切っています。

 先週の仕事はうちの学校がイギリスのいたるところに置いている

 古着回収のコンテナを、大きなバンで一人で回って中に入っている

 古着を集めてくるという仕事でした。

 

 だいたい朝の6時からスタートして、夜の7時くらいまでかかります。

 範囲は日本でいう、市とか区くらいの範囲で、

 25件くらいの場所を回って集めてきます。 

 平均のコンテナの距離は10キロほどなので、

 一日に250キロくらい車で走ります。

 
 それを6日間連続で行いました。

 地図は毎日違います。
 
 今日は新宿区、明日は世田谷区、明後日は町田市みたいな感じです。


 一週間続けていて思ったのは、自分には忍耐力がついたな。ということでした。

 若いころはつまらない仕事を続けることはとても

 苦痛だったしストレスがたまりました。

 自分の中で

「もっと効率の良い勉強の仕方があるのではないか?」

「もっと自分にあった会社に転職するべきではないか?」

「自分の居場所はここでは無いのではないか?」

 
 などと常に不安で、根気が無いというか、忍耐が無いというか、

 努力を継続することが難しかったと思います。

 なぜ最近はそれができるのかな?って考えると、一つは単に年をとったから、

 もう一つは過去に何度かだけだけど、味わうことのできた成功体験からだと思います。

 
 たとえば受験勉強。

僕は一浪したけど、浪人は、どれだけ勉強しても大学に受からなかったら

 全く意味がない一年間です。

 高校三年生までは、一応卒業という目標があるから頑張って

 中間、期末テスト受けてたけど、

 予備校って大学に受からなければどれだけ頑張っても

 全く意味のない一年になってしまう。だからこそ絶対に合格しなければならない。

 
 でもその一年間は何の充実感もなく、何の達成感もなく、

 毎日がどんよりと憂鬱に進むだけでした。予備校に一年間通ったからって、

 それが学歴として履歴書に書けるわけでもなく、ただ暗い一年間。

 でも奇跡的に浪人で8校受けた大学のうちの一校だけが受かって、

 なぜかこんな僕でも大学で勉強することができました。

 ほとんど運だったと思うし、数撃ったから当たったたけだと思うけど、

 僕にとっては数少ない成功体験であったと思います。

 もう一つはフットボール、
高校三年間は弱小チーム。推薦ではどこの大学にも相手にされず、

 親に頼んで予備校通いが始まりました。

奇跡的に受かった大学でも4年間二軍。

 だから社会人も一部リーグの中で中の下だったチームに入れてもらいました。

 社会人一年目はシーズン前に肩の脱臼

  二年目もシーズン前に前十字靭帯、内側靭帯、半月板損傷という

 フットボール選手としては一番最悪な怪我、通称

 (アンラッキートライアングル) を経験。リハビリの日々が続きました。

 この時点でフットボールを始めてから25歳まで一度も公式戦に

 キチンと出たことのない選手でした。

 26歳の秋に初めて社会人リーグデビュー、

 三試合目で昨年とは逆の膝の内側靭帯が伸びて、

 半月板も割れて、またシーズン途中でアウト。
 
チームの成績も悪くプレイオフには行けませんでした。

 その年のシーズンオフに受けたプレーオフを狙えるチームの入団テストも不合格。

 当たり前だよね、何の結果も出してないんだから。

 このままでは何も得ないままに無駄に大切な時間を使っているような

 気がして焦っていました。

でもその後に何故か幸運が重なって、

 自分が思っていた目標よりもさらに高いレベルでフットボールをできて、

 引退する頃には満足というよりも

 「よくこんなに幸運が続いたな」と不思議な気持ちで引退しました。
 
 僕がただ一つ続けていたことは単に、

 毎日の辛くて厳しい練習と社会人生活を周りのみんなに

 愚痴を聞いてもらいながら我慢して続けていただけ。

 その結果が自分でも信じられないくらいに良いものになった気がします。
 
 

 そのあとの協力隊。バヌアツでの2年間は楽しくもあり、

 辛くもあった2年間でした、。今ブログを読みなおせば、

 とても充実した2年間だったと思いますが。

 2年間の一日、一日をたどっていけば、朝起きるのが辛い日々も沢山ありました。

 自分はこんな地球の果てまで来て一人で何やってるのだろう?

 って思っていた時期もありました。

 何も貢献できなくて、税金の無駄使い、申し訳ないと思っていた僕にバヌアツ人が

「お前が2年間バヌアツに居てくれたことが最も大切なことだった」

「仕事や体育なんてどうでもよい、お前の存在が大切だったんだよ」

 ってお世辞でも言ってもらって、そういうものなのかなー?

ってなんとなく帰りの飛行機のなかで感じたプライドみたいなもの。

あの経験もある意味の成功体験だったのかも知れません。

 そんな過去の「成功体験」って言ってよいのかどうかわからないけど、

 「石の上にも三年」っていうか、

 単に続けていた事が小さくても何かしらの結果に繋がったという体験が、

 自分に忍耐力をつけさせたのかな?
 
 と思いながら、一週間毎日12時間以上ドライブしていました。

 疲れて不機嫌なこともあったけど、でも辞めたいとは思いませんでした。

 それは頑張っていれば何かしらの経験や成功が得られるという

 気持ちが心の奥にあるからだと思います。

  
 

忍耐力②


  
 (写真はヨークというイギリスの田舎町です、畑の先にある町に置いてあるコンテナをナビで探しながら走り続けます。それが先週の僕の仕事、単純な仕事かもしれないけど、一人で考える時間が沢山あって、学ぶことは多くありました)

もう一つ考えられるのは目標がしっかりしていることかもしれません。

 たとえば週に6日間、毎日12時間の一人でのドライブが、何の目標もなしに、

家族の為でもなく、永遠に自分の人生の中で続いて行くと思ったら、

やっぱり何かしらの不安や迷いがドライブ中に出来てくると思います。

仕事の順調な時は良いけど、たとえば、ナビが壊れてなかなか目標地点につけないとか、

雨が降ってきて思うように仕事がはかどらないとか、

車のパンク、交通渋滞など、運転していれば当たり前に起こることだけど、

それは自分の責任ではないって思えてしまうこと。

 そういうストレスや不満や迷いが、スピードの出しすぎとか、

仕事のいい加減さ、なげやりさなどに繋がって、周りからも信頼されなくなり、

ますます自分をダメにする気がします。

 
 それを防ぐのはキチンとした目標があることが大切だと思います。

それに向かって順調に進んでいると思えれば、

多少のトラブルでも我慢できるものだと思います。

 
僕のプログラムの残り二カ月ですが、

自分がアフリカに行くための予算約45万円の内すでに30万は古着集めや

サイトファインディングという、古着集めのコンテナを置いてもらう為の営業活動。

または街頭での募金活動などで集めました。

残り2カ月での15万は頑張ればなんとかなりそうです。

今はラストスパートの時期です。

 それにプラスしてアンゴラに行くので、

そのためのビザの申請、ポルトガル語の勉強などもありますが、

それも困難ながらもできることから潰していくのが

結局は一番の近道だと納得できています。

 キチンと地に足がついているからこそ、

辛い仕事も頑張れるのだと自分では思っています。

 10年前には全く気がつかなかったことだと思います。

 周りで支えてくれた方々には本当に感謝しています。


 長距離恋愛も3カ月とか1年とか目標がしっかりとしていれば続くと思いますが、

 ただ漠然と長距離恋愛というのでは難しいのと同じだと思います。

 やっぱり人生には3カ月、1年、3年、10年後とキッチリとした

 ビジョンがあるからこそ、「今日この1日何をすべきか」

 の目標ができるものだと思います。

 「ウラサン気がつくの遅いよ!」

 って言われるかもしれませんが。いろんなところで遠回りをしてきた

 僕が、1週間ドライブしてきたなんとなく考えた結果はこんな感じでした。・・・・

2010年10月8日金曜日

Kill your speed not a child!




 前から気になってたんだけど、この看板はイギリスらしくて面白いよね。
 
 「殺すのはスピード、子供じゃないよ!」

 って感じなのかな?

  バルスティックっていう街の入り口にあります。
 
  役所が作ったのではなくて、町の人が作ったのだと思うけど 

  今日やっと写真撮れたので紹介します。

2010年10月7日木曜日

西洋文化村


 (写真はデンマークです、このカラフルなウィン・ミールという
 風力発電機の特許を持っていて、デンマークの重要な収入源になっているそうです) 

「西洋文化村」(先進国村)というのがあるとします。
その村は1000年くらい前から存在しています。

 日本がその村に引っ越してきたのは100年くらい前の話で、

まだまだ新参者です、現在の自治会長はアメリカ家、

この家族もほんの2,3百年前に引っ越してきたばっかりの、

新参者には変わりありませんが、とりあえず村を形成するほかの家の人達は、

持ち回りで一度は自治会長やったことがあるし、そのときに結構いやなおもいもしたし、

だから自分がもう一度自治会長をやらされるくらいなら、

とりあえず新参者のアメリカ家にやらしておいて、

嫌なときは協力しなければ良いし、自分に得のありそうなときは協力すればよい。

 という感じです。

 何といっても西洋文化むらの歴史はすでに1000年を超えており、

過去に村の中では色々な衝突があり、みんな表面的には仲良くしてますが、

腹の中では

 「イタリア家には40前になってもまだ結婚できていないいい加減な息子がいる、

古くから村に住んでいるから文句は言えないけど、

あの息子はきちんと仕事をして自治会費をいれるべきだ、

青年団の団長の仕事もきちんとやるべきだ!」



「ポルトガル家は300年前にボヤをだして、近所に迷惑をかけた、

現在は生活保護をうけている、最近は大人しいが、昔はヤンチャでこまった家だった」

 
「デンマーク家は昔はノルウェー家の面倒をよくみていたが、

ノルウェー家が油田という遺産を親からもらって金持ちになったために、

仲が悪くなり、最近はあまりつるんでいない」


「スェーデン家は真面目にコツコツと貯金していたのに、

お金もちだったがために自治会の運営費としてたくさんお金をとられてしまって気の毒だ」 


「フランス家は昔に自治会長をしていて、

そのときはかなり羽振りがよかったが、今は貧乏になってしまった、

でもプライドが高くて何かあると過去の栄光の話ばかりきかされるから、少し面倒だ」


「ドイツ家は酒も飲まず、社交性もなく、クソマジメで協調性が無い、

ゴミの日は守るがゴミの分別に協力的ではない、共働きで金はもっているし、

自治会ひきちんと払ってるからとりあえず今は良し」


「ロシア家は頑固おやじに嫌気がさして、

三人の子供はまったく家によりつかず、すきかってな生活をしている、

息子達は青年団のミーティングにも参加していない。文句を言いたいけど、

あの言えは貧乏で何かとお金を借りたがる。だから今はあまりつるまないほうが良い」


 「イギリス家も昔に自治会長をしていた、今はむらのご意見番だけど、

家が少しだけ村から離れているから、なんとなく村のことを冷めた目で見ている」


「スペイン家は金もなく、仕事も無く、ゴミ日の日も守らない、

酒ばっかり飲んでパーティばかりしている、ほっておくしかない」


「ギリシャ家は破産してしまった」


 もちろん西洋文化村は歴史、知識、経験など幅広く持っていますが、


それぞれの家は自分の家のことで精いっぱいなのと、

これまでも村の歴史で色々な衝突があったために、

お互いに自治会に対してはあまり積極的ではありません。


 その村につい最近に引っ越してきた日本家は村の状況があまり分からず、

ついつい自治会長のアメリカ家に頼っています。

 西洋文化村の人達も少し自分達とは違うこの家の人達に興味はありますが、

過去の村での嫌な思いでが邪魔してなかなか友達になるきっかけがつかめません。

 日本家の評価は

「新しく引っ越してきた日本家はとりあえず金は持っている、

車も高級車だ、子供たちは私学の学費の高い学校に通わせている。

ゴミの日はきちんと守っている、何の主張もしないから害はないけど、

週末などの自由な時間はいつもアメリカ家と一緒に行動しているので、

なかなか友達になりずらい、夕食に誘ってよいのかどうかもわからないし、

村人と友達になりたいのかどうかもわからない、

とりあえず自治会費の払いはとても良いし、

害はないからいてもらっても良いけど、よく理解できないく家だ」

 というかんじだと思います。

 日本家のすべきことはとりあえず英語だけでも上手に話せるようになれば、

歴史、文化、人柄はほかの国とはまったくおとっていないので、

みんなに愛され尊敬されると思います。 

もしくは英語話すの辞めて、頑固に日本語だけでとうしてもそれはそれでまた、

神秘の国として喜ばれると思うけど、それでは楽しくないし友達できないから、

やっぱり言葉は大事だと思います。 せっかく良い文化持ってるしね。

 自分達の気持ちをすなおに表現できれば友達もたくさんできるし

日本人は世界基準からみてもみんな良い人だと思います。

 

2010年10月5日火曜日

デミタス



 (写真はデミタス、普段は少し怖そうなヤンキーメガネをかけていて、
  少し接しにくい感じでしたが、少年のようなとても良い人でした)


 「私はエド・ピリオド(江戸時代)と宮本武蔵をこよなく愛します」

 僕が日本人だと知って、開口一番この言葉を話しだしたその男の名は

      デミタス

 デンマークでのオリンピックのボランティアとしてノルウェーの

 学校からやってきた、ラトビアの男です。

 
 彼は50名近くのボランティアが初めて集まってみんなが緊張気味

にミーティングを始めた矢先に、入り口の扉の横にあった大きなガラスの壁

が目に入らなくって、そこから外に出ようとして、ガラスに衝突、

 大きな音にみんなが驚いて振り返った時にはすでにガラスは粉々

彼は何が起こったのかわからなかったみたいで呆然と立っていましたが、

 その後にゆっくりと尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れてしまいました。

 多少の出血とともに病院に送られた彼は2時間ほどして戻ってきましたが、

 縫うほどの傷は無かったみたいでした。

 病院で顔に貼ってもらったバンドエイドがどういうわけか

 真っ白なバンドエイドだったので、

なんとなくフランケンシュタインみたいに見えたけど、

 初日ということもあり、みんな遠慮して彼にそのことは忠告しませんでした。

 
 その彼も典型的な外国の「オタク」でした

 
 僕に向かって永遠と徳川家康について語り続ける彼のところに

 他のノルウェーチームのボランティアが寄ってきて

 「ウラ、面倒だろうから気を使わずに 黙れデミタス! って言って
 
    良いよ、デミタスは話し出すと止まらないからね」

 って忠告してくれるほどでした。

 
 「エド・ピリオドは200年以上だ、

 もちろんノブナガやヒデヨシも素晴らしい、

 しかし200年以上続く都を組織したイエヤスは別格だ

  あの時代の日本文化の発達は素晴らしい」

  僕

 「鎖国してたし戦争無かったからみんな暇でそうとう煮詰まってるからね!」

 ってぼくは言いたかったけど、

 「煮詰まる」って英語ないよね? 深いっていう ディープで良いのかな?

 僕が適当に答えてるとデミタスはそんなことは全く無視して話し続けました。

 オタクの人ってそういうところこちらが気を遣わなくて良いから楽です。

 とても嬉しそうに話すので、こちらもとても嬉しくなります。

 バヌアツにいたころ感じたのは、

 バヌアツ人はジャッキー・チェンとかブルー・スリーとかのアクション

 映画は良く見るけど、人の内面とか、悲しさ、人情、歴史などについての

 映画はあまり見ていないこと。

 もともとは中国人がバヌアツで売れそうなDVDを

 輸入してくるからかもしれないけど、

 バヌアツでは日本文化について知ってるひとは少なかったです。

 それに比べてデミタスなんかのヨーロッパの北のほうの

 人達は人の内面について描かれた映画とか本をよく読んでいます。

  デンマークで知ったけど、 

 「醜いアヒルの子」 「マッチ売りの少女」

 などはデンマークの童話だそうです。

 どちらもヒーローものとは全く逆な話だと思います。

 こないだ読んだ記事ではフランダースの犬は

 最後に主人公が教会で死んでしまうという悲しい話なので、

 アメリカではうけない、しかし日本では原作のままでもとても共感を呼んでいる。

 という話でしたが、そういう面でも日本とヨーロッパ似てるのだと思います。

  国の歴史が長くなると人間の考えってどんどんと深くなって、

 悲しいほうに流れていくのかな? って思いました。

 「楽しくて愉快なだけでは人生はつまらない、

 悲しさや虚しさというスパイスが効いてこそ人生はより豊かになるのだ!」


 ってみんな気がつくのかもしれないですね。


 ごめんねデミタス、君の話だったのに少しずれたね。 

 次会う時までに僕もヨーロッパの歴史について学んでおきます。

2010年10月4日月曜日

ヒッチハイク


 人生の中で募金活動をしたことがある人が何人いるだろうか?

 って募金活動のときのブログに書いたと思います。その続きです。

「人生のなかでヒッチハイクをしたことがある人が何人いるだろうか?」

うちの学校から一番近いハル駅の間にヘドンという街があります。

 「トラディショナル・マーケット・プレース」

っていうスロウガンなんだけど、うちは田舎なので、それほど道のチョイスがなくって、

駅に行く車はみんなヘドンを通過します。

 しかもバスは45分に一回くらいしかなくって、

バス停の前で長時間待つのも嫌だし、たまに時間より早く来るので、

定時に待っていても次のバスまで一時間近く待たなければならないこともあります。

 
今週は募金活動の週なので、ヘドンに行ってみよう!

と思いついて、なんとなくヒッチハイクしてみようかな?

って思いました。

 僕の勝手な推測だとヒッチハイクは乗せるほうも、

乗るほうも恥ずかしいものだと思いました。

 だから頼む側は最初からものすごく無防備で飛び込んで

 行かないと乗せる側も気を使うだろう。

 ということで、キチンと紙に 「ヘドン」 って大きく書きました、。

ヒッチハイクに成功すれば、

ヘドンまでのバス代約300円を募金してもらった計算になります。

 朝一で300円の募金は相当大きいので、

何とか成功したいと思いながら前の晩に「ヘドン」と書いた紙をを用意しました。

 バス停までは歩いて20分、そこからバスでヘドンまで30分です。

 とりあえずメイン通りのバス停20分間歩いて行って、

 そこでヒッチハイクを始めよう。と考えていました。

 それだともし勇気が無くってヒッチハイク出来なくってもバスに乗れるからです。

 自分の中ではまだ自分がヒッチハイクする勇気があるかどうかわからなかったからです。

とりあえず募金活動用に使うボードに「ヘドン」の紙を張り付けて、

バス停まで歩くことにしました。

バス停までの20分で心の準備をしようと考えていたからです。

 途中の家の前に人がいたので、気持ちを切り替えるために

「グッドモーニング!」

って笑顔で挨拶してみたりもしました。

 そうやって少しずつフレンドリーな自分をバス停に着く

20分間の間に作らなくてはいけない。という気持ちがあったからです。
 
でもそういうことするとさらに緊張して、300円のバス代なら払っても良いかな?

っていう弱気な気分もでてきます。
 
バス停がドンドンと近づいてきて、

自分の中での葛藤と緊張が胸の高鳴りが大分大きくなってきたころ。
 
後ろから少しゆっくり走っている車の音を感じました。
 
うちの学校の車ではないし、道を聞かれても道も英語もわからないから、

気まずいのにな・・・

 っておもってたら、その車の人が

「さっき挨拶したよね、その時にヘドンの看板見たんだけど、乗ってく?」

 って言ってくれました。

 逆ナンパならぬ、逆ヒッチハイクみたいでした。

 あまりにも突然の提案と緊張で

「今日はバス停でヒッチハイクするつもりだから結構です」

 っていいそうになったけど、あわてて自分がすでにヒッチハイクに

 成功していることに気がつきました。

 気がついたら40代くらいのその夫婦の車に乗っていました。

ヘドンの親戚の家に奥さんの車があるから、そこまでとりに行くということでした。

 ということで僕のヒッチハイク初日は

こちらの意思とは関係なくあっさりと大成功して、

9時に着くはずだったヘドンに8時に着いてしまいました。

 「なんでこんな朝早くから、募金活動のマガジン売ってるの?」

 ヘドンの人達に思われてるみたいだったけど、

朝一番のうれしい出来事のおかげで、その日はいつも以上に募金活動も楽しくて、

 お昼までには目標の5000円を達成。

 「グッドモーニングとハブ ア ナイスデイ」


の言いすぎで、午後には耳がおかしく感じたので、早めに終わりました。

 
 その後も調子に乗って何度がヘドンまでヒッチハイクしましたが。

 常に3分以内で誰かがとまってくれるようになりました。

 止まってくれるのは老夫婦が多い気がします。
 
 僕の看板を見て、運転している旦那さんが隣に座っている奥さんに

 「乗っけてあげようか?」

 って尋ねる姿が見えたらそれはほぼ80%止まってくれるサインです。

 あとは満面の笑みで車に飛び乗って、キチンとシートベルトを締めてから

 「日本から来ました」 って自己紹介すれば、そのあとは相手の人が

 話し続けてくれます。 みんなお話好きだからね。

 うちの学校が田舎にあるからかもしれませんが、

本当にイギリス人は真面目でやさしいと思います。

 



 

2010年10月2日土曜日

ハリネズミ


 前から学校に居るとは聞いていたんだけど、

 先日学校の敷地の中にあるジムに行こうとおもって、スポーツウエアに

着替えてブラブラと歩いていたら、茶色くて丸いものがゆっくりと動いていました。

 「遅いな!」

 っておもって軽ーく足で突っつくと、それを待っていたかのようにゆっくりと

 丸くなりました。丸くなるの好きなんじゃん!って思いました。

  カメラをとってくる間に逃げないかな?っておもって、あわててカメラをとって

 戻ってきたけど、まだ同じ姿勢で丸まっていました。

 「意外と頑固だな、ちょっと開いてくれないと写真とりにくいのにな?」

 って思ってたら、ハンガリー人のドラが来たので、二人で一緒に観察しました。

  でも全く動く気配がないので、とりあえず僕はウエイトをしに行って、ジムの

窓から動き始めるのをチェックしていました。

 10分たっても動きださなかったので、

 「相当用心深い奴だな!」

 って思ってたんだけど、その後に雨がパラパラと降り出したとたん、急にムクッと

 起き上がって、茂みの中に戻って行きました。

 「なんだ、雨が降りだすとすぐに動き出すんだ!」

 っておもって少し拍子抜けしたけど、まあ憎めない感じで可愛かったです。

  でっかい尻尾のリスとか兎も沢山います。 ツバメは一時期沢山いたけど、

  最近はあまり見なくなりました。

  そろそろイギリスは秋になってきました。寒い季節です、すでに石炭で焚くストーブ
 
 を使いだしています。
  
 

2010年9月30日木曜日

学校訪問 ②


 (写真は訪問した学校です。トラブルキッズは特にきちんとした環境で
  生活するべきだ。ということで、食堂や教室などすべての設備がとても
  きれいに完備されていて、驚きました。日本みたいに道路やダムにお金
  使うよりも、やっぱり教育に使ったほうが良いな!って素直に感じました)


 その次の日に行った学校は全寮制のとても大きな学校でした。

 オリンピックゲームのときにひときは目立つ先生がいて、

常に得点について文句を言ってくるので面倒だな!って思っていたら

 彼はスペインから来ているこの学校のボランティアでした。

 
 「なんだそういうことだったのか!」

 って思いながら、僕たちはその彼に学校を案内してもらいました。

 サッカー場、バレーボールコート、ウエイトトレーニング場、

会議室、海が近いのでウインドサーフィン、カヤック、ヨット、

 広大な敷地に沢山の施設がありました。

 
 食堂もとても清潔でキッチンも日本では考えられないほどの

 設備が整っていました。

 
 寮も天井が高くてお城みたいな建物でした。

 4階建ての建物だったと思いますが、日本だったら6階建て位の

 高さがありました。


 これほどの施設をどうやって維持してるのかな?

 って思ったら、デンマークの平均年収が40万でその半分が

 税金として使われている、福祉国家だから意外とお金には困らない

 みたいだ、とスペイン人の彼は言っていました。

 日本も民主党が政権とったときに、

「これからは人に対してお金を使います」

 って言ってたよね、デンマークは昔からそうみたいです。

  彼の話で興味深かったのは

 「俺はボランティアでここにきている、子供達を信頼してあげて

 他人と良い人間関係をつくることを学んでもらいたい、そこはとても

デリケートなところで、距離を置きすぎてもいけないし、

 仲良くなりすぎてもいけない、そのバランスを考えないといけないところが難しい、

 何が言いたいかわかってくれるよね?」


 って言っていました。

 国や文化がちがってもそういう感覚って似てるな。って思いました。

2010年9月29日水曜日

学校訪問①


 
 (写真は今回僕たちをデンマークに連れて行ってくれた、デンマーク出身のカレンです)

金曜、土曜と500人のトラブルキッズ達のオリンピックを


運営して、日曜日はそれぞれの国からやってきた、僕たち50名の

 ボランティアの為のスポーツ大会がありました。

土曜日の閉会式が終わったときには

「メッチャ疲れた、明日はゆっくり休みたい!」

 って言ってた割には、日曜日の朝にはみんなやるき満々でした。

綱引き、短距離、バスケット、バレーボール、トラクターにロープ

を付けてひっぱる競技、台車に人を乗っけてリレーをしたり、

卵をスプーンに乗っけて運んだり、

 パン食い競争や飴食い競争はなかったですけど、それに似た競技は

ありました。

 それが終わってそれぞれの国にボランティア達は帰国していきます。


 でも僕たちの飛行機は火曜日の夜までありません。理由は簡単

週末とその前後のチケットは高いから、先生が火曜日の夜の

チケットをかったからです。


 日本の修学旅行では考えられないアバウトさですが。

 こっちにきてわかったけど、それが普通みたいです。

 レンタカーも事前に予約してるわけではなくて、

 デンマークについてから、レンタカーのカウンターに先生の

カリンが交渉にいって、2台のレンタカーを10日間借りていました。


 「これで今回の旅行の予算の半分を使った」

っていってたけど、そんなの事前にネットとかで予約するもんだよね」

 
 でもそこら辺はやっぱり文化の違いみたいです。

  ということで火曜日までお二日間、問題児の学校を見に行こう!

 ということになりました。

 一つ目の学校は普通の牧場みたいになっていて、広大な敷地に

 馬の公舎があって、室内の乗馬施設、外の乗馬施設、馬が10頭程

いて、女性の校長と掃除のおばさんが居ました。

 そこは学校ではなくて、学校に行きたくない子供が馬の世話などを

して社会性をみにつけていく為の施設でした。

 僕達が訪ねると、女性の校長がコーヒーをだしてくれて、

 二人いた、女の子の生徒が、僕達に学校の案内をして

くれて、その後に2頭の馬をだしてきてくれてみんなで順番に乗らせ

てもらいました。

 良く見るとその女の子の甲には日本でいう「根性焼き」の

 跡がたくさんありました。

タバコの火を自分で押しつけたのだと思います。
 
 国は変わっても若者の気持ちって複雑なんだな。って思いながらも

 馬にやさしく接している彼女を見ていると、

なんとなく安心しました。

 驚いたのはその学校はそれだけの施設を持っていて、現在来てい

る生徒は3人だけだということ。

 職員も二人だけだから人件費はそれほどかかってないけど、

 敷地は東京ドーム二つくらいありました。

 決して新しい建物では無いけど室内の乗馬場だって相当なもの

でした。

 

2010年9月27日月曜日

ソルとスッキー


 デンマークで初めてチームのメンバーの写真がそろったので、ここで改めて
僕のチームの紹介をしたいと思います!

寝坊したソルとスッキーが悪びれもせずに、二人でなかよくは歯磨きをしているときに

アルツー


 50人のボランティアの朝食をつくりおえたアルツーは、食事の片付けの前にテーブルの下でねむっており、

パウロ


 そのころブラジリアン・パウロは半ケツで開会式の踊りのリハーサルを体育館でしていて、

セリーヌ


 パウロの左斜め前で踊っていたフランス・セリーヌはやさしくフラッグにキスをしていた