2010年10月20日水曜日

忍耐力 ①


 
 <写真はイギリスのある生協がやっているコンビニの横にあるリサイクリングサイトです。手前からグラスのリサイクリングがあって、靴のリサイクリング、プラスティック。紙、一番奥の青いコンテナが僕たちの服のリサイクリングです。その奥の車が僕が運転している大きなバンです。このリサイクリング場は相当大きな規模です。普通は田舎の小さなパブ、公民館やスポーツセンターの駐車場にポツンとコンテナが置いてあったりします。>
 


ちょっと忙しくしていました。

6か月のプログラムですでに4カ月が経過、すでに残り二カ月を切っています。

 先週の仕事はうちの学校がイギリスのいたるところに置いている

 古着回収のコンテナを、大きなバンで一人で回って中に入っている

 古着を集めてくるという仕事でした。

 

 だいたい朝の6時からスタートして、夜の7時くらいまでかかります。

 範囲は日本でいう、市とか区くらいの範囲で、

 25件くらいの場所を回って集めてきます。 

 平均のコンテナの距離は10キロほどなので、

 一日に250キロくらい車で走ります。

 
 それを6日間連続で行いました。

 地図は毎日違います。
 
 今日は新宿区、明日は世田谷区、明後日は町田市みたいな感じです。


 一週間続けていて思ったのは、自分には忍耐力がついたな。ということでした。

 若いころはつまらない仕事を続けることはとても

 苦痛だったしストレスがたまりました。

 自分の中で

「もっと効率の良い勉強の仕方があるのではないか?」

「もっと自分にあった会社に転職するべきではないか?」

「自分の居場所はここでは無いのではないか?」

 
 などと常に不安で、根気が無いというか、忍耐が無いというか、

 努力を継続することが難しかったと思います。

 なぜ最近はそれができるのかな?って考えると、一つは単に年をとったから、

 もう一つは過去に何度かだけだけど、味わうことのできた成功体験からだと思います。

 
 たとえば受験勉強。

僕は一浪したけど、浪人は、どれだけ勉強しても大学に受からなかったら

 全く意味がない一年間です。

 高校三年生までは、一応卒業という目標があるから頑張って

 中間、期末テスト受けてたけど、

 予備校って大学に受からなければどれだけ頑張っても

 全く意味のない一年になってしまう。だからこそ絶対に合格しなければならない。

 
 でもその一年間は何の充実感もなく、何の達成感もなく、

 毎日がどんよりと憂鬱に進むだけでした。予備校に一年間通ったからって、

 それが学歴として履歴書に書けるわけでもなく、ただ暗い一年間。

 でも奇跡的に浪人で8校受けた大学のうちの一校だけが受かって、

 なぜかこんな僕でも大学で勉強することができました。

 ほとんど運だったと思うし、数撃ったから当たったたけだと思うけど、

 僕にとっては数少ない成功体験であったと思います。

 もう一つはフットボール、
高校三年間は弱小チーム。推薦ではどこの大学にも相手にされず、

 親に頼んで予備校通いが始まりました。

奇跡的に受かった大学でも4年間二軍。

 だから社会人も一部リーグの中で中の下だったチームに入れてもらいました。

 社会人一年目はシーズン前に肩の脱臼

  二年目もシーズン前に前十字靭帯、内側靭帯、半月板損傷という

 フットボール選手としては一番最悪な怪我、通称

 (アンラッキートライアングル) を経験。リハビリの日々が続きました。

 この時点でフットボールを始めてから25歳まで一度も公式戦に

 キチンと出たことのない選手でした。

 26歳の秋に初めて社会人リーグデビュー、

 三試合目で昨年とは逆の膝の内側靭帯が伸びて、

 半月板も割れて、またシーズン途中でアウト。
 
チームの成績も悪くプレイオフには行けませんでした。

 その年のシーズンオフに受けたプレーオフを狙えるチームの入団テストも不合格。

 当たり前だよね、何の結果も出してないんだから。

 このままでは何も得ないままに無駄に大切な時間を使っているような

 気がして焦っていました。

でもその後に何故か幸運が重なって、

 自分が思っていた目標よりもさらに高いレベルでフットボールをできて、

 引退する頃には満足というよりも

 「よくこんなに幸運が続いたな」と不思議な気持ちで引退しました。
 
 僕がただ一つ続けていたことは単に、

 毎日の辛くて厳しい練習と社会人生活を周りのみんなに

 愚痴を聞いてもらいながら我慢して続けていただけ。

 その結果が自分でも信じられないくらいに良いものになった気がします。
 
 

 そのあとの協力隊。バヌアツでの2年間は楽しくもあり、

 辛くもあった2年間でした、。今ブログを読みなおせば、

 とても充実した2年間だったと思いますが。

 2年間の一日、一日をたどっていけば、朝起きるのが辛い日々も沢山ありました。

 自分はこんな地球の果てまで来て一人で何やってるのだろう?

 って思っていた時期もありました。

 何も貢献できなくて、税金の無駄使い、申し訳ないと思っていた僕にバヌアツ人が

「お前が2年間バヌアツに居てくれたことが最も大切なことだった」

「仕事や体育なんてどうでもよい、お前の存在が大切だったんだよ」

 ってお世辞でも言ってもらって、そういうものなのかなー?

ってなんとなく帰りの飛行機のなかで感じたプライドみたいなもの。

あの経験もある意味の成功体験だったのかも知れません。

 そんな過去の「成功体験」って言ってよいのかどうかわからないけど、

 「石の上にも三年」っていうか、

 単に続けていた事が小さくても何かしらの結果に繋がったという体験が、

 自分に忍耐力をつけさせたのかな?
 
 と思いながら、一週間毎日12時間以上ドライブしていました。

 疲れて不機嫌なこともあったけど、でも辞めたいとは思いませんでした。

 それは頑張っていれば何かしらの経験や成功が得られるという

 気持ちが心の奥にあるからだと思います。

  
 

4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

やっぱり、変に熱くて独特の価値観のある表現?文章?言葉やね。

浦さんらしいいよ。

取り敢えず、元気そうでなにより。

心の中で古着を黙々と回収し続けた浦さんの姿を想像してほくそ笑んでいます(笑)

ほんじゃ、またぬーー。

KAI さんのコメント...

浦さん、こんにちは。久しぶりに読ませてもらって感動しました。自分の思いをこんなにも上手に表現している浦さん、君はやっぱりすごいよ!読みながら「そうそう」と思うと同時に今の私は、自分の生徒達に自分の人生の中で経験させてもらった人生観的なことをちゃんと伝えられているのかな!?と疑問に思いました。自分が教員をしているのは、ただ単に教科を教えるためではなく、心豊かな充実した人生を送れるような人間性を身につけてもらうため。そのための手段が体育という教科であり、学校という場所。
でも、教える私自身が心豊かに充実した人生を送れていなければ、言葉が上滑りするのかな?とも思います。うん、やっぱり浦さんすごいよ。こういう人と知り合いだということが今の私の心の支えです。(笑)

浦 輝大 さんのコメント...

カイサン、コメントありがとうございます。学校の現場の難しさはとても深いものだと、昨年少しだけのぞかせてもらって感じました。

 いろいろしたいことあるけど、出るいうは打たれるし、出ないと腐っていくし、その矛盾の中でカイサンは毎日頑張ってるんだな。って感じます。
中学生は特に難しそうですね。
 世の中矛盾だらけですよね。僕の場合は自分が一番矛盾してるな!って最近感じてますけど。

 お互いに上手くバランスとって頑張りましょうね。 今後ともよろしくです!

浦 輝大 さんのコメント...

ヨッシーコメントありがとね!古着集め結構楽しかったよ。いろいろと考えていました。 疲れるとラジオ聞いて歌ったりしてたよ。一人だからね。
 また一生懸命書くからよろしくね!