2012年1月25日水曜日

グローバルって意外と簡単

グローバルスタンダードとかグローバリゼーション

 とか聞くと語学が苦手な日本人としては何か自分達の知らないところで
 
そういう流れがあって、取り残されている。みたいな焦りが気がするけど、

 それは幻想であると思います。

 結局はグローバルな世界で通用する人間とは自分の国の文化をきちんと言葉で

 説明できるかどうかなのだと思います。

  僕の経験からいうと


  ・ハンガリア人に

 「私は村上春樹の小説が大好きです。あなたはどの本をお読みになりましたか?」

 
  ・空手をやっていたブルガリア人に
 
 「葉隠は最高!」 って涙ぐまれた時
 
 
 ・スペイン人に

 「イソロク ヤマモト尊敬してる!」

 
 ・イタリア人に

 「クロサワ映画、全部見たよ、お前はどれが好きか?」

 
 ・バヌアツ人に

 「何故日本人は拾った財布を警察に届けるの?自分の国なら見ないふりするか

   現金だけ抜き取るのが普通だよ、落し物センターとかないよ」

 
 ・ポルトガル人に

 「クジラ食べないといけないほど日本に食べ物ないの?
   俺もちょっと興味あるんだけど、本当に美味しいの?」

 
 ・世界中で

 「なんで戦争で何もなくなったのに、たった50年で日本は復活したの?
    
  何故それが自分達の国ではできないと思う?」

 
 ・これも世界中で

 「なんでアメリカに原爆落とされたのに今でも仲良しなの?」

 
   遠慮しながら
 
 「ハラキリ(切腹)のこと聞いてもよい?」

  

 こういうことを聞かれた時にきちんと説明できるのがグローバル化していく中で

 もっとも大切なことだと思います。(僕も答えるの苦手だけど)
 
 自分の国がどういう国か、どういう文化でどういう歴史なのかをきちんと
 
 理解していて言葉で説明できることが大切なのだと思います。


 
 そして実は日本が世界中で唯一それが苦手な国だと思います。

  大陸文化と島文化でいうと、日本は島だからよその国と自分の国を

 比較することになれていない、

  でも島国って世界中であるじゃない! って言われるかもしれないけど、

 ほとんどの国は基本的に一度植民地になっていて、好む好まざる関係なしに、

 一度自分達の文化と言葉を完全否定されて、他の国の文化を強制的に

 受け入れさせられている、その過程で自分達の文化についてじっくりと考える

 作業が行われている。

 日本はそういう経験少ないんだよね。アジアのはずれの島国で、他の国の文化を

 はじき返せるくらいに国力と軍事力のあった日本はそういう意味では特殊なのです。

 必要なのは世界を知ることではなくて、とりあえず自分達が何者なのかを知ること

  それを説明できるようになって世界に出ていかないと、

 出て行った先で

 「あなたは何者?どういう文化でどういう歴史?人生でもっとも大切なことは?」

 って聞かれて答えを持っていないと、そっちのほうが問題です。

 グローバルっていう国があればそこに留学してグローバル国の勉強すれば

 グローバル化できるのだろうけど、グローバルスタンダードっていう基準は無いから

 必死でみんなが模索しているのであって、

 模索することがグローバル化することだということになると、

 結局は自分の国のことをキッチリわかっていることが一番なのだと思います。

 
 難しく書いたけど、日本のことを勉強するだけだから意外と簡単かもしれません。

 
ちなみにグローバルとインターナショナルの違いは
主に国家と国家の間ならインターナショナルで世界規模ならグローバルというのが
適正なのだということでした。(ウィキペチティアありがとう)

2012年1月24日火曜日

ウンコパンツは当たり前だった頃

ゆうちゃんという優しいくて人を引き付ける同級生が居て

ゆうちゃんはいつもゆうちゃん軍団というガキ集団の面倒を見ていました。

 ゆうちゃんと僕が小4の時に一緒に遊んだ時だったんだけど、

 その時に引き連れいてたのは

 小3のヒデとカツ 小2のケン、小1のナオキ、あとは幼稚園くらいのシュン

 でした、

 ゆうちゃんの家の近所で遊んでたけど、歩いて10分くらいの崖に行って遊ぼう

 という話になったときに、カツが

 「シュンはちびだから家に帰れ、ついてくんな、お母さんに怒られる」

 って言ったんだけど、シュンが悲しそうになったのをみてゆうちゃんが

 「ええやん、シュンも来いよ」

 って言ってました、今思えばカツとシュンは兄弟だったのかもしれないです
 
 
  崖にいって僕達がすることは崖をひたすら削ることです、すでにみんなが削って

 洞穴みたいになってるから、そこに入ってドンドン奥に削っていきます。

 角材とか木の枝とか持ってきて、ひたすら奥へと削ります、足元にたまった土は

 洞穴から外に投げ出します。みんなで競争のように掘りすすみ、ドンドン奥へと

 入っていくのが何故か子供には面白いのです、シュンはみんなに

 「邪魔だからもっと端っこ削れ」

 っていわれて、

でもお兄ちゃん達と遊べるのがうれしいみたいで機嫌よく削ってました、

 
  そしてこれはよくあることなんだけど、必ずそういう砂地って犬とか

 猫とかのウンコがあって、その日も途中から子供の頃に砂場で良く嗅いだような

 ウンコの匂いが充満しだしました。

 
   みんながその匂いに耐え切れなくなったころに小2のケンが

 「シュンがウンコ漏らしたんちゃうか?」

 って言い出しました、

 すかさずヒデが崖を削っているシュンの長ズボンのゴムを引っ張って

 お尻をのぞきこみました、カツも一緒にのぞきこむと

  「あ、ホンマや少しウンコついてる!」

 シュンは少し下を向きながらされるがままになっていたけど、手だけは小さく

 だけど崖を削り続けていました。

  ゆうちゃんが

 「見せてみー」

 っていってシュンの長ズボンを引っ張ってのぞきこみました。

  僕もその時に一緒にのぞきこんだけど、まあウンコをもらしていた

 わけではなくって、たぶんふき残しが少しパンツについてる程度でした

 シュンはその時はうつむいていたけど、目には涙がいっぱい溜まっていて、

 本人は無意識かもしれないけど、それでも手だけはほんの小さく崖を削っていました

 「やっぱり連れてこんかったらよかった!」

 「シュンお母さんに怒られるわ」

 「めっちゃくさいなー」

  とみんながシュンに罵声を浴びせているのをみてかわいそうに思った

 ゆうちゃんが一言

 「でもこの匂いはシュンとちゃうやろ、シュンのパンツは少し汚れてるだけやしな、

  そのくらいのウンコはおれかってついてる時あるし、普通やろ」

 って言いました、それをきいたカツが、

 「そうやな、そう言えばみんなついてるわ」

と言って小1のナオキと小2のケンのズボンを引っ張ってのぞいた後に、

 ヒデ、俺のパンツにウンコついてるかみてくれ、って言って今度はみんなで

 ズボンの引っ張り合ってウンコパンツの確認をしながら大笑いしだしました。

 「お前もちょっとついてるやんけ!」

 「ゆうちゃんかってたまについてる時あるねんから

  俺かってちょっとくらいついてて当たり前やんけ」

  みたいな会話になってて、

 「ゆうちゃん軍団は笑けるなー」

 って思ったし、
   
 「うらくんもついてるか見せてーや!」

 って言われるのを少し警戒したりもしたけど、それは無くって


  
  
  そのあとに5分くらいしてシュンの事見たら

 嫌なことはすっかり忘れてまた楽しそうに崖を削っていました。


 「立ちショんした時に手を洗う水がなかったら、砂で手をこすって洗えば

 きれいになるねんぞ!」

 ってゆうちゃんが言ったので、みんなしたくもないのに無理に

 立ちションして、砂で手を洗って 「スゲー」

 っと納得していました。
 

 子供のころってそういう出来事の繰り返しが何度もあって、人の優しさとか

 人間関係みたいなのを学んでたんだなー、って思います。

 ゆうちゃん今頃出世してるんとちゃうかなー、

 いまでも周りに人あつまってるだろうね、懐かしい思い出です。

2012年1月23日月曜日

最高の飲みの誘われ方

僕の一番好きなの飲みに行く時の誘われ方は

 夕方5時から7時くらいの間に電話がかかってきて、
 
 「何してる?たまたま近くで仕事だったから飲まない?」

 「急に焼き肉食べたくなったから付き合って」

 「近所で飲んでるから暇だったら来て」

 とかそういう感じで誘われるとうれしくなります。なんか変に力まなくて良いし、

 そういうときって基本的には僕が居なくても飲みは成り立ってるけど、そこに混ぜて

 もらう感じ、助っ人的飲みというか気楽なんだよね。

 断っても問題ないしね。

 店なんかも行き当たりばったりで入っちゃって気にいらなかったらビール2,3杯

 飲んで30分で1500円くらい使って次の店に行っちゃえば良いしね。
 
 

まあ悪いなと思うのはうちの母親が晩御飯作ってるから、家に電話して

 「ごめん、ご飯食べて帰ります」

 っという作業が申し訳なさもあって、ちょっと罪悪感があります。

 母親は嫌な顔しないで許してくれるけどね、奥さんだったらダメだろうね。

  
逆のパターンは幹事というものがすでに決定されていて3週間前とか1カ月前から

 人数、時間、場所などの調整が綿密に行われている場合。

 たぶん僕だけなんだろうけど、苦手なんだよね、

   行く前とかなんかそわそわしちゃって

 何を着ていこうとか、ウコンの力飲まなきゃとか、空腹具合を考えて昼飯の時間とか

 何食べるとか色々考えちゃうんだよね。

 そういう飲みはだいたい人数も多いし、結局話す内容も広く浅くだから、

とりあえず飲んどこうという感じで、

会話の内容よりもお酒の酔いでその場が盛り上がる的な感じで。

 頭よりも胃袋を優先的に使うという飲みになります。

 それは僕の苦手な飲みです。なんでなんだろうね、

予定として入ってると緊張しちゃうんだよね。
 
 

 でも女性ってそういうのダメだって言ってました。男同士のそういう突発的、衝動的

 飲酒は受け入れがたいみたいです。

 女の人は、その日に予定の無いことがすでに自分の中で予定となっているので、

 急にさそわれて飲みに行くことはあまりうれしくない。 そうなのです。

 なるほどね、いろいろな考え方あるよねー!

50万と25万

アンゴラでもバヌアツでもイギリスでもそうだったけど、

お金と時間の関係って複雑だな、って思うことがあって、

 具体的に書くと 月給25万で週休二日がキッチリ取れて、

仕事も9時から5時で終わる人と、

月給50万だけど毎日残業があって日曜日しか休みのない人とどっちが良いかな?

って感じることあります。

 僕は大阪に19歳まで、その後は関東に長くいて、バヌアツに行ったりしてたけど、

 途上国で圧倒的に良いのは時間があること、

時間があるとたとえばピクニックに行く時でも朝からお弁当を作っていける、

そうするとお弁当代がいらないし、

作ってる時からすでにピクニックは始まってるような気分になるんだよね。

 でも仕事が忙しくって日曜日しか休みが無い人は、仕事の疲れもあるし、

疲れた体で日曜日の朝に起きて、

今日は普段のストレスを発散するためにと思ってディズニーランドに出かけてしまう。

 そういう人がたくさんディズニーランドにいるからみんな疲れるし、

車は混むし、お弁当作る時間ももったいないから外食になるし、

普段の疲れがさらに増してしまう。

 日本の今までの風潮としては地元の市民公園に行くよりは

ディズニーランドに行ったほうが良い、というようなバブルのなごりがあったけど、

これからは家族で市民公園に行くことが増えるような気がします。

 景気が悪くなってお父さんがみんなもっと暇になれば良いと思います。

 まあ25万でみんなが幸せに暮らすには、教育と医療を税金で無料にすることが

 前提だと思いますけど、それだけやってくれたら後は何も不安無いものね。

 まあそういうことを実現してる国は税金高いし、消費税も20%くらいだけど、

それでみんなが安心して暮らせるならそれで良いよね。
 
 僕の考えてることは甘いのかな?

2012年1月22日日曜日

島は素敵


 <写真は12月の新島の海です、一日ゆっくり見ていたい気分でした>


先日青年海外協力隊の講演のお仕事をもらって新島の中学校に出張してきました。

 新島は東京都なので先生達はみんな東京都の職員です。

  調布からバヌアツを思い出すような30人乗りの飛行機に乗って、

 府中、読売ランドとか、町田の上を飛んで、ランドマーク、横浜を見ながら

 太平洋に飛び出すと、小さな島が点々とあってその一つの新島に到着しました。

 調布から40分でついてしまいます。

 今回は講演だったのでバヌアツの頃と違ってボールとか縄跳びとかは、

チーフに挨拶とかは無いけど、それなりに緊張しながら空港に到着。

  迎えに来てくれた先生の車で学校を見学したのに宿に案内してもらいました。
 
 先生方の優しさやこまやかな気づかい、新島のことを説明してもらいながら

 「やっぱり島って良いなー」

 などと感じました。夜には校長先生が宿に迎えに来てくれて、

校長先生の家で日本酒をふるまってもらいました。

学校の校長先生と二人でお酒が飲めるなんてとても貴重だし、

都心ではありえないなと感じながら島の人って温かいな。

「それにしても日本酒はどこで飲んでも上手いもんだなー」

とも思っていました。

 でも良く考えたらみんな東京都の教育委員会なので以前は三鷹、

    青梅、荒川などの都心で忙しく働いていた先生方です。

 校長先生も家は僕の家とご近所でした。

 
  そこで感じたことは、人間は基本的にはみんな優しくて親切、

人と会話するのがすきなんだな。

 でも都心に住んでいると忙しくってそれができない。

 こうやって島にすむからこそ時間と心にゆとりが持てるんだな。

 と感じました。そして自分がバヌアツの小さな島に2年間住んでいた時も

 そういう気持ちを持っていたなー。と思い出しました。

 昨日は別の講演で一緒だったマイクロソフトの偉い人とお話しさせてもらいましたが、

 マイクロソフトも地方に研究所をつくってそこで研究することを試みていて、

そうするとみんな時間に余裕があるからチームとしてまとまるし、都心で忙しく
 
している時には出てこない発想があり、効率がよい。都心に居ると忙しすぎて

 ダメみたいだよ。 と話していました。

 
 最近思うのはもっと、もっと景気が悪くなって、みんなの生活のレベルが一定の

 ところに落ち着いて、日本人の生活がもっとスローになったほうが心の豊かさは
 
 上がるのではないかな?って思います。

 そういう日本になって欲しいと思います。今までが過剰だったんだと思います。

2012年1月17日火曜日

最初の一歩


   たとえば 

 学校で先生に挨拶をする、それがもし学校のルールであったとしても、


   たとえば

 電車のお年寄りに席を譲る、

それがもし毎朝同じ車両に乗る綺麗な女性へのアプローチだったとしても、

 
   たとえば 

海外にボランティアツアーに出かける
 
 それがもし大学の単位の為だったり、自分のキャリアのためだったとしても


 

  そんなことはにっこり挨拶してもらった側や、席を譲ってもらったお年寄りや、

 日本人と友達になれた途上国の人達からしたら全く関係なく

  嬉しいことなんだとおもう。

 

 またそうやって他人に良いことをしたことで自分のなかで新しいことに気がついたり

 次は本当に自分がやりたいって思って他人に優しくするようになるかしれない。

 ってことはそういう機会を無理やりにでも作ってもらった社会とか環境はやっぱり

 間違ってはないということなんだろうと思う。

 それが最初の一歩なのだと思います。

格差について (ジャングルの王者と資本主義の王者)


 
 <写真はエリックとその部族の写真です>


 アンゴラに居た時、一緒にボランティアに行っていた、ケイタ、エリック、ミンジー

の三人は、現地で一緒に働いている人達の家族の住んでいる昔からの伝統を守って

 生きている人達の村にウルルン体験に行った。

 僕はそのころ体調が悪くて、いかなかったのだけど・・・

  基本的にはボランティア活動の期間中だからローカルな地域でのリサーチ

というか意識調査を行うというような名目で行ったのだと思う。

 10日ほどして帰ってきたエリックが言ったのは、

 「彼らはの現金収入はおもに炭をつくることで、何日も歩いて、

ジャングルから木を取ってきて、それを炭にして町に出荷する、

たくさん炭が集まればみんなで共同でトラックを借りて町まで運ぶが、

それほどの量が集まらない場合は町まで三日間歩いて持ってくる」

 そう言えばたまにそういう人みたことあります。マーケットでも炭を売っている

 人は結構居るしね。炭の値段って2キロで100円くらいだから三日かけて

頭に50キロの炭を乗って歩いてきても、儲けは2千5百円です。

 そんなんで良いのかなー?

 なんて僕も思ったんだけでど、エリックも思ったらしくて、

 もっと計画的に炭を集めて町に出荷すれば効率よくお金が儲かるよ。

 と提案してもそれはしたくないのだそうです。そしてエリックいわく

 「彼らはとても幸せそうで、プライドを持っていて、家族を大切にしていて

世の中の仕組みというか、自然の摂理というか、人間としての領分が

良くわかっている感じだ」

と言っていました。

 ちなみにこのエリックはメキシコ人ですが、メチャクチャ良い人だし、

年も僕と近かったので大親友ですが、お金に関してはとてもシビアだという

イメージがあります。

 メキシコは北アメリカだけど、同じボランティアとしに行った南アメリカの

人達もお金にはとてもシビアです。日本みたいにお金は神聖なもの。

という気持ちはなく、もらえるものはもらう。

お金とは現実の象徴のような感覚でした。

 
だからこそ彼はアンゴラのまだお金文化を知らない人達の純粋さに感動し、

僕以上に価値観を揺さぶられたのだと思います。

  
そして結果としては一番つらい立場の人たちは自分たちの生活を捨てて

 効率よくお金儲けをしようとして資本主義社会に入ってしまって

  人達かもしれない。 ということになりました。

  結局はトラックを手配して、マーケットの場所代、ガソリン代、

みんなで共同して運営するのでそれぞれの日給と

それを計算する人を誰かに頼って運営してもらった場合、

その社長なりリーダーのような人に使われることになり、

自分達の生活はいつまでも苦しいだけになる、

時間は奪われお金という価値観の中では底辺になり、

常に搾取されでもその生活からは逃れられない。

 
だったら現状に満足している今のままで良い。

 という結果になっているのだと思います。

 
ボランティア、NGO,NPOと色々活動がありますが、現地の人の為にと思って

 効率を追求した結果、資本主義社会、物質社会、

人より多くを持っている人が勝者なのだという世界の底辺に、

ジャングルの王者、自然社会の勝利者達を誘い込んでしまうことも

 あるのだということを注意することも大切だと思います。

 
資本主義社会に失望してボランティア活動を始めて人間が、

 一生懸命頑張った結果が

 自分と同じ資本主義の失望者を作ってしまうことは矛盾があると感じます。

 
  アンゴラでもバヌアツでも問題になっているのは、田舎暮らししていた若者が

 夢を追って都会に出てきて、でも仕事もなく、都会の女性には相手にされず、

 自暴自棄になって犯罪に手を染める。日本も少しこういうところあるよね。
 

 一番の問題は格差に悩むことみたいです。

そういう人達にローカルな生活に戻るようなプロジェクトもありますが、
 
「あんなカッコ悪くて単調な生活には戻りたくない」

 という感じらしいです。でもだからといって今の生活にも満足していない。

 同じ町に住むお金持ちの生活を横目で見ながら、

  今の現状から抜け出せないでいる。

 お金持ちの人が謙虚に堅実に生活すればそういう不公平感はなくなると思います。

 ということは世界で一番安定している国民である日本人が

  自分の国の中の格差で悩まずに

 世界の為に謙虚に堅実に生活し続けることが大切なのかもしれないですね。

 誰ももう一度バブル経済期が来ることなんて望んでないことは確かだものね。

 ほどほどが良いと分かっているのが今の日本人だものね。

格差について (忙しいからこそシンプルな家)

先日テレビでスイスのお宅を訪問

 というテレビをやっていたんだよね、基本的にはアメリカの大邸宅とは全く違っていて

 こじんまりした家のなかに、それぞれ自分の気に入った家具を買ってきて

生活しているという感じでした、スイスの中でも上流な50代くらいの奥さんが言うには

「旦那さんの仕事が忙しいので、私達にはくつろぐ場所が必要なの、だから小さくても

 気にいった家具があって、ゆっくりくつろげる空間をつくることを心がけている」

 ということでした、

 ハリウッドスターみたいに家の中に映画館があったり、ジムを作ったり、

噴水やテニスコートがあったり、

 自分達の成功を他人に見せる為に生活しているのではなくて、

自分達の心の豊かさと価値観を中心に生活しているのだと感じました。

(ハリウッドスターはみんなに夢を売っているのだから派手でも良いのかもね)

 税金は高いけど、福祉がしっかりしているので、納得している。

 と言っていましたが、それも理解できました。

でもここで一つ言わせてほしいのは、僕が今までみてきた福祉に対する一つの問題、

 偉大な世代が福祉や生活保護を充実させると、

30年後の次の世代は自分達が楽しても政府が助けてくれる、と思って、

失業保険や生活保護をつかって昼間っからビールを飲んでいる、

そういう姿を先進国でよく見ます。

 日本も最近はそうだよね、昔は失業保険で生活するのは恥ずかしい、

 という考え方が少し会って、僕も会社を辞めた後は少し遠慮気味にもらいに行った

 記憶があるけど、最近は

 「当然の権利だ!」

 という雰囲気になりつつあるのもよくわかります。自分が生まれたころからある制度

 って、当たり前になってしまってるんだろうね。

 話はちょっと脱線したけど、日本もスイスみたいにみんな本当の豊かさを

 考える時代がそろそろ来たと思うし、すでに考えている人は実行しているの

 だろうけど、そういう人はわざわざ他人にアピールすることがないので、結局

 成功をアピールしている人が成功者なのだ!という変な文化に陥っているのだろうね

 今がその過渡期でこれから良い方向に変わっていくのだろうけどね

格差について (江戸時代のプライド)

アンゴラに居た時に一緒にボランティアしていたケイタと

 アンゴラって日本の江戸時代くらいのレベルかなー?

って話してました、まあたぶんそれくらいだと思います。そこに自分達はボランティア

 として来ている、それはアンゴラは貧しくて、助けが居るから。

 ってことは日本の江戸時代の人達は貧しくて助けが居るのかな?

っておもったら、そうではないと思うんだよね、きっとプライド持っていたと思うし、

自分達の生活に何の疑問も持たずに生活していたのだと思います。

 じゃあ何故アンゴラにやアフリカには援助が居るの?

 日本の江戸時代と何が違うの?ってなると、そこに出てくる答えは「格差」なのだと

 思います。21世紀をリードする先進国からみるとアンゴラは貧しい、

でもそれは生活のレベルではなくって、「格差」の問題なのだと思います。

他の人がもっている生活レベルを自分達が持っていない。

それが人を悲しくさせるのだと思います。

 南太平洋の食べ物が人が食べるよりも早く育つ国バヌアツ人も言ってました、

 「日本にも俺たちと同じように スタップ ノモ (止まってるだけ、ようは無職)

  の生活の人達はいるのか?」

 という質問になんとなく僕はホームレスの人をそうぞうして

 「居なくはないよ」

 っていたら、

「そいつらと俺達との違いはなんだ?」
 
 と言われて返答に困って記憶があるけど、用は格差の問題なんだろうね。

 電気も水道もなくっても幸せだと思ってる人もいれば

隣の人が外車に乗っているけど自分の家が国産車なことに不満を感じている人もいる

 生活のレベルではなくて

 「格差」というのは人を悲しくさせるのだと思います。

 経済成長と同時にそっちの価値観

 も変えていかないといけないと思います。

2012年1月16日月曜日

格差について (経済成長より大切なこと)

資本主義社会がマネーゲーム、弱肉強食になってしまってそれぞれの国が行き詰って、

 各国の政府や政治家は国民の期待にこたえて何とかしようと頑張っているけど、
 
 その結果は結局はよその国からいかにお金を奪ってくるかになっているきがします。

 経済成長イコール経済戦略というか、まあ国というまとまりで選挙をして

税金を集めて運営しているのだから、その枠でしか考えられないのだけど、結局は

自分の国の利益の為には相手の国の不利益は仕方ない、という考え方になってしまうよね、

 それって今までは自分達の国内で競争していたのがグローバル化で国同士での競争に

 なってしまっただけで、時期が来れば行き詰るものだとおもいます。

経済成長が国を建て直すカギ、という考え方はやめて、成長しなくても

 幸せを感じられる生き方を模索するほうが良いと感じます。

 結局はよその国から奪い取ってきたばあいは、奪い取られた国はさらに弱い国から

 奪い取ることになるから、そのピラミッドの一番下になる国が必ずでてきて、

 その国はやけくそになったり、能力のある人は海外に出て行ってしまって、優秀な人材が

 残らなかったりで、悪循環になるものね。

  スイスとかデンマークなんかは意外とそういうの気が付いていて、

 地味だけど幸せに暮らしているし、それが一番良いと思っているみたいです。
 
 そう言えばバヌアツもそうだったきがします、そろそろ日本もアメリカ以外の

 国に目がいくと良いとおもいます。もちろん日本にも相当良い文化あるから

 それを再確認することも大切だと思います。

2012年1月10日火曜日

未病系ボランティアと応急処置的ボランティア

たまに協力隊のOBとして学校にいって講演をさせてもらうんだけど、

 震災もあってボランティアという言葉に意識が高い時期だと思います。

 先日にボランティア活動をしているという大学生と話していたときに僕が

 「俺が大学生だった頃は自分の事ばっかり考えていて、

人助けなんて全く考えなかったけどねー、今の学生は偉いねー!」

 って関心したら、その子達は

 「そういう時代なんですよ、大学も国際科コースとか名前を付ければ受験者が増

えるんです、ボランティアが活動が単位に認められるようにもなってきています」

 みたいなことを言っていて、なるほどなー!って感じました。

  まあ基本的には僕の考えは

 ボランティアをするほうが、単位になるからとか流行りだからと思っていてとして

も助けてもらう側は助けになるのだから、ためらわずにボランティアをしてほしいと

 おもいます。

  海外でもボランティアすると奨学金がもらえたりする制度あるしね。

 良いことだと思います。

 
 あと学校で講演するときにいつも気にかけていることは

 僕がバヌアツでしてきたボランティアと東北で行うボランティアは

全く違うということバヌアツは現状でもみんな満足しているけど、

さらに上を目指しての啓もう活動としてのボランティアであるのに対して、

震災のボランティアは今までの生活のレベルを失った人がそれを取り戻すための

助けであることです。

 人間は持っていたものを失うことにはとても悲しみを感じると思うし、一刻も早く

 安定した生活に戻ってもらいたいと思います。

 逆に途上国は今のところろ何かを失ったわけではなく、

さらに高い文化や生活水準を身につけることによって幸福感とか

充実感を学ぶ助けであり、だからと言って現状の生活が毎日喪失感と

戦っているわけではないしみんなとても楽しそうです。

  だから同じボランティアという言葉でも意味が違う気がしています。

 もう一つは、ボランティアをしてきた僕が社会貢献をしている立派な人間だという

 わけではなくて、たまたま人生のタイミング的に2年間行かせてもらっただけと

いうか、まあボランティアの定義ってわざわざ海外まででて行く必要はなくって、

 街中でゴミを拾ったり、電車の中で席を譲ったり、

 もう少し身近だと朝に笑顔で「おはようございます」
 
 って挨拶できれば、それだけで相手の気持ちを明るくさせることができるし、

 すでにそれもボランティアと同じ意味があるんだよ。って説明しています。

 
   
 もう一つは好きな人と結婚をして、立派な家庭を作って、正義感を持った子供を

 育てる、結果的には立派な子供が育てばそれは確実に世界平和に繋がるはずだから、
 
 わざわざアフリカに出向く必要は全くない、アフリカでのボランティアはいわば

 応急処置的なボランティアであって、日本で立派な子供を育てることはすでに貧困を

 作らないというか初めから病気にならないような予防になっているはずだ。

だからみんな今は一生懸命勉強して立派な大人になってくれればそれで良いんだよ!

 ってはすように心がけています。

 きっと間違ってないと思うし、みんなウンウンって理解してくれてる気がします。

心の豊かさの高度成長期に向けて

先日友達に
 
 「浦さんの趣味って何ですか?」

 って聞かれたんだけど

 衣・食・住

 だったんだよね。

 清潔な家に住んで、きちんと食事を作って、自分の身にあった服を選んで着る、

 そういうことを趣味のように楽しんですることができれば、

 それだけで結構時間を使うし楽しいし、落ち着いた生活ができるものだと思います。

 まあ衣食住プラス少し運動できたらそれで良いかな?

 僕は震災の時はアンゴラにいて、帰国してから日本人の価値観って少し変わったな

 って感じました、みんなが相手の事を思うやるようになったし、

命があって健康ならそれでよし!

カッコつけて生きることがカッコよいとは思わなくなってきた気がします。

 もしかしたら今の20代の人ってすでいそういう感覚なのかも知れません。

 第2次ベビーブームの僕たち世代はまだ職業に対するこだわりみたいなものが

 あったのかもしれないけど、そういう気持ちは薄れてきたしそういう時代では

なくなってきたような気がします。

 人生の本当の意味を震災と世界的な不景気からみんなが気がつきだしたのかな?
 
 と帰国して感じるようになりました。

 政治家は経済成長が一番のポイントだ、というし、それも大切だとおもうけど、
 
 それと同時進行で、経済が成長しなくてもみんなが幸せだと感じれる方法も

模索できると良いと思うし、日本人は考えるの上手だから、発見できると思います。

 今後は心の豊かさの高度成長期を目指して国が一つになって頑張ってほしいです。

 もちろん僕も頑張りますよ

 ヨーロッパとアフリカの国をみて感じたけど、日本人がよく口にする

 「国際化」っていう言葉は日本の中では向上心のある!みたいな言葉だけど、

 イギリス人もデンマーク人も他のヨーロピアンもそれほど意識してないし、

 先日からブームのブータンの方々も僕が居た南太平洋のバヌアツ人も

 「国際化」が良いとは思っていないきがします。

アメリカ、中国、後は資源を持ってるいくつかの途上国はそういう

思考が強いのかもしれなけど、基本的にはみんな

「自分達の国の中だけで十分、なんで外国に自分達の国を宣伝したり、

   認めてもらったりする必要があるの」

 っていう考え方の国も結構たくさんあることを知りました。


  これからの時代はもっと内向きで良いのかな?と感じます。

 日本人としての衣食住ももっと大切にしたいと思います。

2012年正月です



 <写真はデンマークで鳥人間コンテストの練習をしていた時のものです
  両手をバサバサやって飛んで無事に海に着水しました、嘘ですけど・・・>

 いやいや、すでに半年以上もブログを書いていないと、

何を書いてよいのか少しうろたえますが、

 いつまでも出島と参勤交代の話がトップではいけないようなきもしますので、

書いてみようと思います。

 書いている場所というと、すでにアンゴラでもなく、イギリスでもなく、ジャパンです。

 すでに3カ月も日本に潜伏しています。

 帰ってきたのに何も書かなくってごめんなさい。

 7月にアンゴラからイギリスに戻って、

 イギリスで2カ月間はアンゴラでの活動をプレゼン

 をしたり、前にブログに書いたデンマークの体育開会の運営に行ったりしていました。

 その後9月の25日に帰国しました。

  おそらくアンゴラの後半あたりからコーヒーの量が多くなり、

 胃袋になにか違和感があり、イギリスに戻ってからも何も食べれなくって、

 体重が5キロも減ってしまいました。

 イギリスでの2カ月間は

 「ついに自分も癌になった」

 と思いこみ、日本に戻って病院に行って現実と向き合いのが怖くて、

 ダラダラとしていましたが、勇気をもって帰国、胃カメラを飲んだところ、

胃と喉の間のしまりが悪い逆流性なんとか・・・ 

 という今はやりの病であると診断され、基本的には

 「年齢的なものですね・・・・」

 というお医者さんにとってはとても使い勝手のよさそうなこのフレーズでかたずけられて

 しまいました。でも癌ではなかったという安心感と日本にいるという安心感で胃袋は

 順調に治っていき、今ではコーヒーも飲めるようになってきました。

 
  胃が働くなくなった3カ月間に気がついたことは

 自分の人生はすでに折り返しを超えたなということ

 爺ちゃんは64歳に癌で亡くなり、親父が61歳でこれもまた癌、その計算で言うと

 自分は58歳で死んでもおかしくないな・・・・

 などと考えながら、現在37歳、折り返しだとしたら74歳までになります。

 これまでの人生も相当長かったけど、この倍あると思うとそれも長いけど、

 でも58歳までだと29歳ですでに折り返していたことにもなって、ため息というか、

 せつなさというか、後半戦だけで済むという安堵感というか、

 山で言うと今回のアンゴラまでは登り、でも自分の人生の中での体力的な最高到達点は

 ここまでだな、と連日の胃痛を伴ったなかでの思考回路で気がつきました。

 もう登る必要はない、後は今までのこの恥ずかしい人生経験を貯金として、

 まあ少し人の為になるようなことをしながら人生の下り道を歩いていこうと

考えるようになりました。

  今まで漠然と考えてきた、

 「人生を攻めていないことに対する罪悪感」

  みたいなものはあまり感じなくなり、人間的にもおおらかになった気もしています。

  (体重も戻ったしね、逆に少し太ったかな?)

 まあそう言った感じになるのも、お医者さんの言う

 「年齢的なものですね・・・・」

 という使いやすい言葉を自分で自分に使ってしまっていますが、

認めざる得ないですね・・・

  ということで後一週間で38歳! めでたく独身。

今までは自分にムチを打ってきたのかもしれませんがそのムチもポッキリ折れて、

走る方向性を失いつつも、船でいうイカリのようなものが自分には必要なのかな?

などと思いながらも日本の冬を楽しんでいます。