アンゴラに居た時に一緒にボランティアしていたケイタと
アンゴラって日本の江戸時代くらいのレベルかなー?
って話してました、まあたぶんそれくらいだと思います。そこに自分達はボランティア
として来ている、それはアンゴラは貧しくて、助けが居るから。
ってことは日本の江戸時代の人達は貧しくて助けが居るのかな?
っておもったら、そうではないと思うんだよね、きっとプライド持っていたと思うし、
自分達の生活に何の疑問も持たずに生活していたのだと思います。
じゃあ何故アンゴラにやアフリカには援助が居るの?
日本の江戸時代と何が違うの?ってなると、そこに出てくる答えは「格差」なのだと
思います。21世紀をリードする先進国からみるとアンゴラは貧しい、
でもそれは生活のレベルではなくって、「格差」の問題なのだと思います。
他の人がもっている生活レベルを自分達が持っていない。
それが人を悲しくさせるのだと思います。
南太平洋の食べ物が人が食べるよりも早く育つ国バヌアツ人も言ってました、
「日本にも俺たちと同じように スタップ ノモ (止まってるだけ、ようは無職)
の生活の人達はいるのか?」
という質問になんとなく僕はホームレスの人をそうぞうして
「居なくはないよ」
っていたら、
「そいつらと俺達との違いはなんだ?」
と言われて返答に困って記憶があるけど、用は格差の問題なんだろうね。
電気も水道もなくっても幸せだと思ってる人もいれば
隣の人が外車に乗っているけど自分の家が国産車なことに不満を感じている人もいる
生活のレベルではなくて
「格差」というのは人を悲しくさせるのだと思います。
経済成長と同時にそっちの価値観
も変えていかないといけないと思います。
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