2011年2月27日日曜日

自主性を保ちながら管理すること


 <いつもは干上がっていて歩いてわたれる川ですが、上流で雨がふったので
 今日は靴を脱いで濡れながらわたりました>

 「自主性を保ちながら管理すること」って本当に難しいなと改めて

感じてしまいます。それは実業団のフットボールでも、ファミレスの店舗

でも、大学の体育会でも同じだと思います。

 組織が大きくなって、一人ひとりの意見が反映されなくなると、

みんな自分では考えることをやめてしまって、従うだけになるんだよね。
 
 だからといって、自主性に任せてしまうと、方向性を見失ったり、

モラルが下がったりしてしまいます。

 それを保つにはきちんとしたビジョンを持つリーダーが常に全

体を「見守る」ことができることが大切なのかもしれません。

 常に上の人が自分を見ていてくれているという「安心感」

はやる気とモラルを保つには大切なのだと思います。

管理する側がそれをしなくなると

管理される側もそれをしなくなります。

 実業団でフットボールをしていた頃に九州から来た選手がいました。

3年間関東の実業団でフットボールを勉強して母校に戻って、

自分の大学を九州で優勝させる。

 というのが目標だったので、良い選手だったのに

3年でやめて九州に戻りました。

 僕と何人かの同期が年に2回ほどその大学に呼ばれて教えていたのです

が、一番最初に合宿に呼ばれていったときの選手達の目の輝きは凄いもの

がありました。

 今までは関東の大学のビデオを見ながら選手同士で

「ああでもない、こうでもない」

と話し合って、そのまねをしていたのが、それを実際にやっていて、

今は実業団でプレーしている僕達が教えに来たのだから、

喜んでくれるよね。

 金髪に髪を染めたり、関東とはまた違うファッションでたくみに九州弁

をあやつる学生達のフットボールに対する質問は、

とても高度なものから、単純なものまで数多くあり。

 「実際に関東でやってる俺達もそこまで考えてないよ!」

っていう質問から。

 「よくこのレベルまで考えてるな?」

と感心させられるものまで、選手の意識の高さはすばらしいものがありました。

 
2年、3年と続けて行っているうちにあるプレーの選手の動きが気になって

「何でこのプレーはこうやって動いてるの?」

 ってきいたところ

自分が、大学一年生のときにウラサンにこの動きを教えていただきました

 だからそれから3年間、ずっとこれを守ってやってきました」

って言われて、

 とても驚いたし感動もしたし責任を感じた記憶があります。

 その後、僕は自分のフットボールが忙しくなり、2年ほどその大学から

遠ざかってしまいましたが、その間に創部30年近くで初の九州制覇をと

げ、大学から予算もたくさん下りて、しかも高校からのスポーツ推薦枠も

3人までが10人近く取れるようになり。

チームの環境も大分良なりました。

 俺達貢献できたのかなー?なんておもって久しぶりにコーチに行った

時には、きれいなミーティングルームも完成して、エアコンがかかった

なかでミーティングして、グランドで練習もしましたが。

 ミーティングでは特に質問もなく、選手はフットボールに対して自分達

で考えるのを辞めてしまって、コーチにやらされる感じでした。

 練習前の自主練習もとくに行わず、どこの体育会でもある練習前の憂鬱

な雰囲気が漂うチームになってしまっていました。

 僕の同期は監督になっていましたが、自主性の無い選手に怒ることも多

くなり、選手からは鬼コーチ呼ばわりでした。

 九州で優勝してからはそれまで関心を持っていなかったOB達がやたら

と口を出すようになって、関東から来た僕達があまり歓迎されなくなり。

高校で野球や柔道をしていて、運動能力が高く推薦で入ってきた能力の高

い選手は先輩を尊敬しなくなって、

5年ほど前に初めて僕達が尋ねたときの雰囲気は

なくなってしまっていました。

 ちなみに5年前に初めてその大学の合宿に呼ばれていったとき、

僕は夜中にものすごく怖い夢を見て、金縛りにもあい。

九州にはオバケがいると感じて
 
人生で初めて夜中にトイレに行くのが怖くなって一緒に寝ていた同期を起

こしてトイレに行ったことが、

次の日の朝には選手全員に知れ渡っていて。

「ウラサン偉そうなこと行ってるけど、
 大人なのに怖い夢見てトイレ行けなくなったらしいぞ」
 
 と選手にささやかれていたことを合宿の帰りに聞きました。

 でもあの旅館絶対に何かいたと思います。

選手達はチームを変えるためにわざわざ関東の実業団で3年も修行して、

自分達のチームを九州で優勝させた

僕の同期の長年の情熱を理解しているのかな?

と感じながら、人を管理すること、教育すること、そして

「鬼コーチ」
とささやかれても情熱を持ち続けることは大変だし、

それができて初めて、「教育者」なのだと感じました。

 アンゴラの学生はとても自主性があります。

子供の頃から自分から主張して勝ち取っていかないと、

食事でも勉強でも誰も準備してくれないからです。
ここにいる生徒はとても高い生存競争のなかで勝ち残っていた

生徒なのです。実際に多くの生徒たちが兄弟の死を経験しています。

 ようは九州の大学に僕が始めていったときのような

「向上心」と「野望」が彼らにはあります。

こちらが管理しすぎて、甘やかされた生徒にしてしまうよりも、

できるだけ一緒に働いて、何かを感じてもらって

今後の人生に生かしてもらうことが、半年しかいない僕にできる

最低で最高のことなのではと感じます。

 ちなみにアンゴラではまだ怖い夢を見ていないので、

今のところ「ウラはカラテを扱う凄い日本人だ!」

 ということになっているはずです。