2011年5月29日日曜日
出島と参勤交代が現在にもたらしたこと
<写真は教育実習中の生徒ドミンゴスです、もちろん彼女の表情も優しそうで
よいけど、僕が関心したのは手を挙げている子供の腕のラインの美しさです>
アンゴラ人によく聞かれます。
日本人は日本語以外に何語を話すの?
たとえばアンゴラはね、ポルトガル語が公用語だけど、
それぞれの州でローカルの言葉が10個くらいあるから、
町ではみんなポルトガル語だけど、村に入ると、お年寄りはポルトガル語を話さないし、
キンブンド語とかウンブンド語とかのローカルのランゲージを話すんだよ。
日本はいくつあるの?ってよく聞かれます。
アフリカで植民地になっていない国はないのでそういう発想はよく理解できます。
アメリカに原爆を落とされたので英語を話していると思っている人も多いようです。
南太平洋のバヌアツでもよく決まれました。
「日本人にはいくつの言葉があるの?」って
おそらく世界中に日本ほど、
国という枠と言語という枠がほぼ一致する国はないのかも知れません。
言葉ができた後に国という枠ができるのは当たり前だし。
話せない人達が国という組織づくりができるわけないものね。
その後に戦争で領土を取ったり取られたりして、
あとからできた「国」という枠はあくまでも政治的なまとまりであって、
言葉で分けてるわけではないものね。
先日に 森嶋 通夫さんという方の「続イギリスと日本」(岩波新書)
という本を読んでいたのですが、そこには
明治維新後に日本が大きく発展したのは、江戸時代に行われた参勤交代によって、
言葉と文化が統一化されていたという理由がある。
明治維新後に産業が西洋に追いつけたのは、
出島のような海外の技術はある程度入ってくるけど、
日本の産業も守る制度があったからだ。と書いてありました。
もし自由貿易が江戸時代から始まっていたら、当時農業国だった日本は、
自分達の農産物を売って、海外の製品を買うことになっていたので、
そうするとさらに農業化が進むし、自国の産業は遅れることになる。
でも出島によって、日本の産業は守られたまま、
海外の技術が少しずつ日本に入ってくることになった。
これは意図して行ったことではないけど、
明治維新後にすでに日本の産業が一定の水準にあったのはそういう理由がある。
と書いてありました。
なるほどね。そういうことか、
江戸時代と鎖国って今の日本にすごい影響を与えているんだな。と関心しました。
バヌアツ、アンゴラと見てきて、国の発達には言葉の問題はとても大きいと感じます。
お年寄りや地方の人達が公用語を理解できないと、
何か通達があってもそういう人達が取り残されてしまうものね。
そういう人が少数派なら何とかフォローできても、
言葉が三つくらいの大きな言葉のグループに分かれていた場合は
本当に細かいところまでのまとまりは難しいと思います。
そういう意味では明治維新後と戦後の日本の発達はとてもやりやすかったのだと思います。
それぞれの国によって事情はとても違って住んでみないとわからないものだな。
じます。
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